イシルは部屋の天井をぼうっと見つめていた。
タクール砦の防衛は黒顎騎士団の主任務ではない。しかし、守るべきものが消えてしまうことになんとも言えない気持ちになっていた。
もし補給が困難になれば、その隙をついてイレブンフラッグスが再び現れる。そうなってしまえば人々は飢え、病が流行り、見知った顔が、もしかするとメラニーや自分も無様に倒れるかもしれない。受けられる補給も鬼面由来の物だ。毒でも入っているかもしれない。
ありありと人々が死の淵に倒れす姿が目に浮かぶ。街の音が一つ一つ消えていく。その中に一つだけ、音が残る。美しく、か細い、世界で一番愛しい母の声が自分を呼ぶ。病に襲われた生まれ育った村の光景が瞳の裏へ溢れ出る。あまりの胸の高鳴りに、呼吸が荒くなり、嗚咽が漏れる。
「ああ、そうか、これが、これね、これが、私の好きな音楽なんだ?」
愛する人物が息絶える瞬間に自分を呼ぶ音、きっとそれは鬼神が作った地獄の中にあった音だ。自分の音楽に不足する音に違いないという確信が満ちる。
「隊長、なんか
メラニーが部屋に入ると、頬から涙を伝わせ顔を真っ赤にしたイシルが居た。何事と駆け寄ると、ひしとイシルに抱き着かれる。
「ねえ、メラニー、ちょっと、ねえ、私の名前を呼んでくれる?」
「隊長、ちょっと、苦しいッス……」
鍛え抜かれたイシルの腕は背尾骨を折る勢いでメラニーを抱きしめる。胸へと顔を押し付けられ、メラニーの息が上がり始める。
「イシルって呼んで、お願い……」
くぐもった、熱を帯びた声が、鋭い眼光がメラニーへ突き付けられる。
「イシ、ルっ……」
メラニーが声を絞り出すと、イシルは素早く離れる。求めた声と違うと理解した瞬間、自分が何をやらかしたか理解してしまう。
「ちょっと錯乱してたわ。ごめんメラニー。痛かった?」
「ちょっとキツかったッスよ、何するんスか!?」
メラニーはイシルを見上げて怒って見せるが、その顔には微塵も怒りはない。死に場所を求め続けているメラニーにとり、その手は、求めていた物だった。だが、まだ早い。死ぬべき場所と時ではない。なんとか不機嫌そうな表情を作り、まともなフリをする。
「うにゅ。いえ、そうよ、うん。鬼神の撃ち落とし方を思いついて興奮して我を忘れていたの?」
「なんで疑問形なんすか。こっちをちゃんと見て言って欲しいんスけどね」
「鬼神め、鬼面めっ、私に余計なことに気が付かせてくれたわっ、堕とす、堕とす、許さない。絶対に撃ち堕とすっ!!!」
===
ティラントー10機による鬼面の
以前撃退したはずの鬼面に手も足も出ず、しかも遊ばれたという屈辱は士気を鈍らせるどころか中隊に強い復讐心を抱かせてた。中隊の作戦会議は珍しく熱がこもる。
「鬼面を倒すにしても、鬼面を捕らえるにしても、この砦の戦力を総動員する必要があります! 対空陣形は無意味でした! そこで私は思いつきました!」
「鬼面から食料品購入するのはダメなんすか?」
「この砦を無視して後方の穀倉地帯を灰にできる幻晶騎士が鬼面以外にいると思いますか? 最悪の場合、鬼面とイレブンフラッグスはグルです」
瞳を爛々と輝かせ、黒板を背にしたイシルには半ば私怨が混じっている。
「そういうわけで、鬼面はいつでも倒せる準備をしておくべきでしょう。使えるものはなんでも使えますし使います。次の一戦までに、全員に我が家の秘伝を一つか二つ、丸暗記してもらいます!」
イシルの秘密、ミナス・ディンガーによって体内に埋め込まれた触媒結晶を用いて『詩』を操ることが出来る。歌詞・旋律・音程全てに意味を乗せたこの『歌』を自由に操ることが出来るようになれば、ティラントーを一時的に強化できるのだ。
カツカツと小気味良く黒板に描かれる譜面。隊員たちにとって意味が解らない。この時、イシルの頭から完全に体内の触媒結晶の事など消えていた。
「隊長、歌と
「術式を歌って、魔導演算機に読み込ませるの」
「その歌を歌うと、具体的にどうなりますか?」
「ティラントーの動作が少し早くなるのと、魔力の消費量が少し減るわ」
「ご期待に沿えず申し訳ございません。譜面が読めません」
「え、読めない人ってどれくらいいるの?」
元気に9本の手が上がり、イシルは気持ちを切り替えて次の提案を行う。
「じゃあ、先日出陣しなかった、この砦の隊長機を借りましょう! 何か、力になるかもしれない」
===
3年前。
平時であれば他国の商人が護衛の幻晶騎士を連れてジャロウデクに訪れることはあった。
バルベルリー・ベイガスはタクール砦付近の林道を歩く幻晶騎士ナードナック3機を見ながら盃に酒を注いでいた。
「どれから先に倒すか、弱そうなのにするか、隊長機か、中間にするか――」
大皿のような盃を傾け、一気に飲み干す。酒は複雑な思考を溶かし、バルベルリー好みの答えを導く。
「隊長機からだ! いくぜ野郎ども!!!」
群青のヴォラキーロ改修機、ラズ・ワルドが雄たけびを上げる。手には巨大な
「止まれっ、貴様、何者だ!?」
商人の馬車を護衛するナードナックが杖をラズ・ワルドへと向ける。されどラズ・ワルドは止まらず斧槍が両手で大きく弧を描く。杖を弾き飛ばし、その奥にいる隊長機へと突き進む。
隊長機は巨大な槍と盾を構え、ラズ・ワルドを迎え撃つ。
一方で杖を落としたナードナックが武器を拾い上げようとすると、一斉に騎馬兵が足元へと法撃を開始する。人の身で行える法撃が装甲に重大なダメージを与えることはない。しかし装甲の薄い部分を狙い態勢を崩した瞬間であれば、いくらかそのバランスを崩すことは出来る。
トドメと言わんばかりに2騎の騎馬兵が巧みに両足へと鎖を巻き、両の鎖を見事に結びつける。足に枷をはめられた形になるナードナックは明確に動きが鈍る。
「貴様、不意打ちといい、さらにそのような汚い手を!」
「どうせお前ぶっ殺して汚れるんだ、気にならねえなぁ!!」
引退したとはいえ、イレブンフラッグスの熟練
胸部装甲が開く。ラズ・ワルドの。
全身金属甲冑姿のバルベルリーは槍を持ち素早く斧槍の上へと駆けあがる。
「身体強化、身体強化、身体強化!!!!」
金属の甲冑が、斧槍から流れる魔力をバルベルリーへと伝え、その魔力は全て身体強化へと使われているのだ。強化された肉体で、装甲の隙間に槍を突っ込み、胸部装甲をこじ開ける。次の装甲も、さらに次の装甲も。瞬く間に。そして露出した操縦席へ槍を突き立てた。
「降りろ、降りたらお前は助けてやるぞ?」
その後、『タクール砦総司令』バルベルリーはナードナック3機と商人の資材を接収し、上機嫌に酒を煽るのだった。
バルベルリーという人物に運用され続けたラズ・ワルドは扱いが難しいこと、不名誉と血に塗られていることもあり、彼亡き後は封印されることとなる。
===
タクール砦の司令官用格納庫。2機のティラントーが暗闇の中佇んでいた。闇の中で眼球水晶がギロリとイシル達を見据えている。
イシルとメラニーは、鬼面に勝つために戦力を求めて此処へとやってきていた。
「バルベルリー総司令官が乗っていたティラントーも副司令官のティラントーも殆ど傷が無い。何故か副司令官の方の操縦室で戦闘の形跡があるけど――」
総司令官、副指令の幻晶騎士どちらも面白味のないティラントーだった。まめに整備されているらしく、イシルのティラントーよりも痛みが少ない。
「どんな一騎討したのよ?」
「ズバリ、バルベルリーが副司令官のティラントーの胸部をこじ開け乗り込み、槍で副司令官を斬り殺そうとしたところ、魔法で反撃され相討ちになったらしいッスね!」
「乗り込んだって、いったい何してるのよ。そもそもこの砦の連中、命知らずな戦い方ばっかり――」
イシルはティラントーのあちこち叩き、異音が無いか探し続ける。隊長機はとても良い状態だ。ティラントーは。だがこの部屋は少しおかしい。
「こっちで反響音が吸い込まれる。こっちに隠し部屋があるわ」
メラニーの手を取り、薄暗い格納庫の奥へと進む。棚の裏に隠された扉を開くと、そこには群青色のヴォラキーロがあった。彼方此方に赤い紐飾りがありとても派手だ。それを守るように、多くの破損したナードナックが置かれている。いずれも目立つのは胸部に大きな傷があることだ。その足元には幻晶騎士を縛る特注の鎖が何本も落ちている。
「こっちが本当の総司令官の愛機ね」
ヴォラキーロに触れるとあちこちに細かな傷が多い。癖の強い動き方をしているらしく、摩耗している箇所とそうでない箇所がハッキリとしている。そして関節部に何度も修復された跡がある。そしてその背後には特注の斧槍があった。
「この総司令官、戦前からイレブンフラッグスに喧嘩売ってナードナックの鹵獲してたんだ。もしかして穀倉地帯が燃やされたの、イレブンフラッグスの復讐?」