【本編完結】Take me to paradise.─Scenario of Manhattancafe(prototype). 作:春華ゆが
かの者の名はマンハッタンカフェ。罪悪神話を鏖す闇色の獣也。
ずずり。
朝一番に飲むコーヒーは、私の目を醒ましてくれる。
夢や惰眠の幸福に引き摺られる私を、明瞭な現実へと引き戻してくれる。
だから、私は朝のコーヒーを欠かさない。
どれだけ退屈でも、現実は得難く。泡沫に消える夢の世界と違って、一つのものが永遠に続く。砂糖の全く入っていないこのコーヒーのように、ただ黒一色の苦々しいものに思えなくもないけれど。
その苦さが、今までの私を生かしている。
今日は休日だ。久方ぶりの休日。それは羽根を伸ばす時間であり、心を癒す時間であり、退屈に殺される時間でもある。
等しく黒い湖面を持ったさまざまのコーヒーがあるように、人それぞれ等しく24時間の自由がある。何もしなければ黒のまま、何かをすれば口を付けて、その黒における闇を垣間見れるような。
同じに見える休日という一杯。けれど、人によってその味は細かく違うのだ。
「今日は本でも読みましょうか」
おもむろに口から独り言が漏れた。その言葉に自ら従うように一つ本を手に取り、一つ文章を読む。
物語に生きる人々は、その思考回路さえ我々読者に晒している。そのことを少し可哀想に思う時もある。彼らの人生はどんなに美しくても見せ物として描かれ、彼らには休日という概念は存在しない。
常に蠢くその日常に平穏は全くなく。それはそれで、退屈そうだ。
女優という仕事をする上で、凡ゆるヒトガタを自分に映した。激情的に、冷淡に、怠惰に、真剣に。それらを憑依させることは私にとって苦ではなく、それは私自身に色がかけらもないからだと思う。
鏡は光と映り込みを以ってのみそこに色を持てるのだ。誰かが照らし、誰かを取り込む。そうしてやっと、私は私というつまらない存在を生かしてやれる。
即ち、普段の退屈な私は生きていないのと同義だ。物語の登場人物を見せ物の人生とは言ったが、結局のところ彼らはそれだけ魅力的な存在ということでもあって。無色透明の私は、何処にも、誰にも。
プルルルル。
思考を徐々に現実に慣らしているところで、電話が鳴った。……マネージャーからだ。
「おはようございます」
「おはようございます、マンハッタンカフェさん。……早速ですが、あの件どうですか」
なんだったか。寝ぼけた頭を辿り、思い当たる。
「……ああ、レースでしたっけ」
「そうです! しかも、ただのレースじゃないですよ! ウマ娘にとっての最高峰、<トゥインクル・シリーズ>へ。いよいよもってカフェさんは参戦するんですから!」
あの件とは他でもない。一介のウマ娘である自分が、いよいよもってレースの世界、ウマ娘としての本懐。
<トゥインクル・シリーズ>に身を投じるべきだという話。それは単なる人気取りの一環なのか、私の存在を何か変えるものなのか。マネージャーにとっては戦略の一部なのだろうが、その一杯を私がどう味わうかは自由だ。
今までの私の人生は物語になれない。私は退屈に殺されそうなほど味のしない毎日を送っているから。
けれど物語とは、何もその存在の生まれから始まるものとは限らない。
ここから、先に。どこかに、往けるだろうか。私一人ではやはり無理な気がした。けれど私は孤高を気取り、誰にも彼にもつまらなさそうな態度を取る。
本当につまらないのは、私自身以外あり得ないのに。
「カフェさん聞いてます~?」
おっと。マネージャーの呆れ顔が目に浮かぶ。
「……ああ、すみません」
「もう一回言いますね。……今度、トレセン学園に行ってきてもらうことにしましたから。入学届とかそーいうのです。寮生活、学園生活! ……どうです?」
「したことがないので、わかりませんね」
トレセン学園。正式名称、日本ウマ娘トレーナーセンター学園。超人的走力を持つウマ娘達だけが集い、全寮制での生活の学園。確かにトゥインクル・シリーズに挑戦するならこれ以上の地ははないだろう。
マネージャーはこの企画に相当な気合を入れているらしい。
それにしても。
「集団生活、か」
切れた電話に向けて喋りかける。物語に於けるそれは人同士の群像劇ではなく、大抵主人公の周りに息遣いを感じさせるための道具である。どんなに生きているような演技をしても、その名前はA、とかB、とか。そういった記号以上にはならない。
けれど現実は違う。
良い言い方をすれば全員が主人公で、悪い言い方をすれば全員等しく価値がない。そこに差はなく、思い思いに生きている。そしてそれは基本的に波紋を作らない。影響され合う立場にいながら、結局他人の力で動くほどのものにはならない。
それでもなんとなく、飢える感覚はある。今の生活を退屈と断じ、それ以上を求める感覚はある。それは傲慢か、懇願か。どちらにせよ私が変化を求めていることには変わりはない。存外私はこのレースというものに乗り気なのかもしれない。
……少しだけ。少女のような夢を見る。どこかに劇的な出会いがあって、全ての私が色づくような。そんな、形すらない夢を見る。
顔も身体も見えない君は、確かに私に手を伸ばし。私はその手を取って、強く強く握る。絶対に離さない。血が溢れて私の掌を染めるまで、力を込め続ける。
そして私は、嗤うように呟いた。
ねえ、早く連れて行って。
これが私の物語の始まり。正確には、私と君の始まり。終わらない言葉を何度も繰り返し、それでいて終わりへ突き進む。終わらない物語も楽しいが、終わるからこそ物語は美しいのだから。
※
刻一刻。紡がれよ。私と君の愛が為。
楽園への道筋は、ここより。