【本編完結】Take me to paradise.─Scenario of Manhattancafe(prototype).   作:春華ゆが

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Scene11:Take me to paradise.

「注目のマンハッタンカフェ、ゲートに入ります」

 馬場は良く、枠番も悪くない。それでも存在する圧倒的なアウェー。最早現実と見まごうほど鮮明に脳裏を蝕むようになった敗北の運命。マンハッタンカフェは凱旋門賞で惨敗し、その時の怪我で競走生命を終える。

 だから走るな? 見えた破滅に飛び込むな? 灼日に身を投げるのは愚行であり、可能性のない挑戦は何も生まない。だから。

 それは正しい。正しい。だが、だからこそ。私は最初から罪科の黒に手を染めている。私は髄まで咎罰の闇に脚を漬けている。

 故に私にとって正しさとは相容れないものであり、また受け入れる必要もない。私が邪道を走り続ければ、運命さえも捻じ曲がると信じている。

 そう信じてくれている人が、いる。

「ゲートイン完了」

 君と私は、ここから始まる。スターティングゲートの先には、漸く届く楽園が。そこが神の座だというのなら、神殺しを為して楽園を手に入れよう。

 歓声。ゲートオープン。踏み出した一歩目。どれが最も早かったか、或いは同時だったか。大した差はなかった。待ち侘びて弾けるそれぞれのタイムラグはゼロに等しい。

 わかるのは、はっきり一つわかるのは。私は、マンハッタンカフェは。抜群のスタートで飛び出したということだ。

 そう、思わず笑みを溢してしまうほどに。昂りが頬を緩ませた。或いは引き締め、その歪みを口元に浮かび上がらせた。

 ……と、掛かってはいけない。ペースメイクを行う先頭が固定されると、私は好位外に付けて追走する。気持ちの昂りはレースに於いてままあることだが、自分でも異常なほどに興奮している。

 だが、それで瞳を炎に曇らせることはない。冷静に、獰猛に。全ての狂気は刹那に於いて解放されるべきだ。刃物の切れ味は殺せなければないのと同じだ。だから、更に研ぎ澄ませなければ。

 坂を越えた先の第3コーナー。ゆるやかだが着実な下り坂は、春天や菊花賞で淀の坂を越えた後の下りを思わせる。……いや、それよりはるかに難しい坂だ。一歩の幅、ペース配分、踏みしめるは慣れないロンシャンの芝。どれも緩やかにこちらに牙を剥いてくる。

 だが。私がやることは、君をゴールへと連れて行くこと。君がここまで連れて来てくれたのだから、私はそれを継ぐしかない。そのためにいる。

 それ以外は、いらない!

 ぞくり。身体を、全身を何かが迸る。手ごたえが、あった。見えた。視界を埋めていた絶望が、眩い光に染め返されて行く。運命よりも強い、勝利の糸が私から伸びている。

 第4コーナー手前の300m。ロンシャンレース場最後の難所、フォルスストレート。偽りの直線、偽りの終わり。それに遮られるものがあるとしたら、きっと我々の繋がりも偽りなのだろう。

 けど、違う。ここまで来た。ゴールは見えた。抜かなければいけないウマ娘の数などどうでもいい。私が走れば、全て抜き去れる。全て、鏖す。

 だか、ら─────

 

 

 がくん。

 その感覚は、体験したことがなかった。恐らくほぼ全てのウマ娘は知らない。知っているわけがない。

 知ってしまったら、走れないから。

 だめだ。

 

 だめだ。

 

 なにが? 私は脚が折れても走ると決めたじゃないか。私には君がいるじゃないか。私はトレーナーさんを、裏切るわけにはいかない。だから、文字通り死んでも走るのだと!

 そう、脚に告げるのに。脚は、脳より先に全てを理解してしまった。運命のレールに、両脚が沿う。私の意志から、離れていく。

 ぷつん。

 その時解けたのは、勝利の糸か、緊張の糸か、あるいは。

 

 ※

 

「大丈夫か、カフェ!」

 トレーナーさんが駆け寄って来る。私はしっかり両脚で立っている。演技もしていない。それなのに、何を心配して……。声が出ない。確かに自分の顔が涙を流し、満面の笑みを浮かべているのはわかるのに、それ以上がわからない。まるで内側と外側が区切られてしまったかのよう。

「……とりあえず、病院に行こう」

 その声が、私に向けてのものだとわかるのに。私には、届いていない気がした。

 

 ※

「屈腱炎です」

「そんな、それって……」

 屈腱炎。あのアグネスタキオンもだったな。ウマ娘が一生走れないといえば大体これだ。

「……それより、問題かもしれないのは」

「屈腱炎より……?」

 医者はこちらに向き直り、ジロジロと観察する。流れる涙が邪魔で相手が上手く見えない。引き攣るように裂ける口元がだらしなく唾液をこぼすのも、ついついそのままにしてしまう。

「マンハッタンカフェさんは、確かにレース中脚の故障に気付いたようです。途中で様子がおかしくなったので、恐らくその時。それゆえに、最小限の故障で済ませることができた……ですが」

「……」

 私は何も言わない。言葉の動かし方を忘れてしまったから。端的に言えば失語症だ。潤い続ける瞳と、開き続ける口と。私の何もかもが、歪んでしまったようだ。それを見る心も含めて。

「マンハッタンカフェさんは、深い傷を負いました。なにより、心に。それを助けてあげられるとしたら……トレーナーさん」

「俺に、できますか」

「……」

「……昔だったら、こんなふうに何も言わないカフェを珍しがりもしなかったと思う。でも、今は君の少しの異変だってわかる。……今の君なんて、目を覆いたいくらいおかしいだろうな」

「……」

 私の顔は変わらない。私の心は俯瞰している。身体の中の繋がりが全て、途切れたような。

「敗北のショック……君がそのせいでこうなったとしたら、君をここまで連れて来た俺には責任がある。当然だ。君をスカウトして、勝たせて来た責任がある。……だから、カフェ」

「……」

「俺が、君を連れて行くよ」

 その言葉が、確かに。僅かに。密かに。強かに。

「……ねえ」

「早く連れて行って」

 私に、響いた。呼応するように、開け放たれた口から語句が漏れた。

 それきりで、マンハッタンカフェの肉体は再び焦点の合わないヒトガタへ戻る。私の心は正常でありながら無感動で、そもそもマンハッタンカフェの身体と心が切り離されている異常を理解出来ていない。

 ただ、結果として。凱旋門賞の後に残ったのは。

 13着という結果。失語症と精神の錯乱と脚の故障を抱えた、マンハッタンカフェという"終わった"ウマ娘。

 そして、何を考えてるのかもわからないトレーナーさん。

 はて、私は何に立ち向かい、愚かにもこの結果を得たのか。黒すら失った無色の私には、何も思い出せなかった。

 

 

 ※

 

 少女は壊れた。運命の車輪を越えられないことを証明したことで。だが、なら運命は変えられないのか? そう、決まってしまっているのか?

 魂に刻まれた運命の先。光速で世界を描く運命を捕まえるもの。

 光の先、そこにいるのは。そして、並び立てるのは。たとえ一度斃れたとて、翼が焼かれたとて。それは挑戦をやめる理由にはならない。

 さあ。

 楽園へと、羽ばたこう。

 

 

 マンハッタンカフェというウマ娘がいる。女優として活躍していて、レースの世界とは関わらなかったウマ娘。それが一人のトレーナーと契約して、ターフへと足を踏み入れた。楽園へと向かうために。しかしその道は決して楽ではなかった。惜敗を喫し、リベンジの機会も与えられなかった。

 勝利の後には孤独を感じた。それでも夢を空に見て、朧げな翼で羽ばたき続けた。苦難の中で、確かに実績を積み上げた。それを、俺は見ていた。骨身を焼いて捧げ続けた。彼女が一人で歩けるようになるために、我が身を滅する覚悟だった。

 なのに。

 凱旋門賞。レース中での故障と、惨敗。

 屈腱炎の発症と、精神的なショックによる失語症。マンハッタンカフェはそれきり糸が切れたようになってしまった。あらゆる異変よりも、彼女の魂が抜けてしまったようなそれこそが取り返しがつかない気がした。俺は結局何もできていなかった。以前の俺なら、そう思って止まっていたかもしれない。

 けれど、今は違う。俺は彼女を信じる。彼女が信じて、着いてきてくれた己という存在がいる。俺はマンハッタンカフェのトレーナーだから、彼女が信じてくれた自分自身を信じるのだ。言葉を失う前に、彼女が最後に告げてくれた言葉。

 俺に、応えてくれた言葉。

 

「ねえ、早く連れて行って」

 

 最初に彼女が告げた言葉と同じ。走ることを決意した言葉と同じ。だから、まだ彼女は羽ばたける。羽ばたく意思がある。

 

 ※

 

「おはよう、カフェ」

「……」

 

 彼女の介護と療養のためもあり、俺たちはまだパリにいる。彼女の心はこのパリに囚われているのだと思う。だからまだ帰るわけにはいかない。

 

「ほら、カフェ。朝ごはんを食べに行こう」

 

 今日もホテルのビッフェへマンハッタンカフェを連れて行く。抵抗はない。彼女は何も喋らない。彼女に宿っていた何かが立ち消えてしまったかのように。もう、そこにマンハッタンカフェはいないかのように。

 脚の不調もある。ゆっくりとテーブルへ連れて、食事も全て代わりに取ってやる。これくらいしかできないのがもどかしい。だけど必ず彼女を取り戻してみせる。

 レースを司る三女神が存在するというのなら、彼女にもう一度。もう一度翼を授けて欲しい。そう、願う。

 

「美味しいか?」

「……」

 

 返答はなくとも、心は繋がっている。言葉をかけるたびに、彼女の心をこちらに引いてこれるはず。非現実な発想だとしても、その虚な瞳と曖昧に開く彼女の唇を見て何かしないわけにはいかない。

 部屋に戻ってやることは、彼女に本を読み聞かせること。何もしなければ、本当にマンハッタンカフェは死んでしまう。脚より先に、心が骸に堕ちてしまう。だから俺は必死にもがく。彼女が今まで闘ってきたように、そのトレーナーとして闘うのだ。

 

「……」

 

 それでも時間は無常で、何事もないかのようにただ過ぎていく。引退。きっとそれがマンハッタンカフェが辿るべき運命で、俺がやっているのはそのレールを違えることなのだろう。

 それでも、それでも。諦めるわけにはいかない。

 そう思った時だった。

 不意にマンハッタンカフェが立ち上がる。暫くぶりに意思を持って、よろよろと歩き出す。

 

「カフェ!」

 

 咄嗟にそれを支える。倒れそうになる彼女を抱き止める。カフェに変化があった。その理由を逃さないように周りを見渡す。彼女の震える眼が何を捉えているのか。その先を、見る。

 ……一つの小瓶が置かれていた。これは。

 

「……タキオンからの贈り物、だったな」

 

 凱旋門に向かう前、アグネスタキオンから渡されたボトルメッセージ。あの時は激励の意図を込めたものだと思っていたが、結局開かずに凱旋門賞は終わってしまった。

 これを渡した時のタキオンの言葉を思い出す。

 ───開けたくなるまで、開けてはいけないよ。

 そう、カフェに向けて言っていた。……まさか。

 

「開けたいのか?」

 

 それを渡された時とはまるで変わってしまった彼女に問う。返答はない。カフェはうめくように両手を宙で泳がせている。

 

「……わかった」

 

 なら。

 

「開けるよ」

 

 今が、その時なのだろう。

 

 

 小瓶の中には折り畳まれた紙が入っていた。恐る恐る、それを開く。

 

「これは……アドレス?」

 

 恐らくアグネスタキオンが立ち上げたwebサイトのURL。それが小瓶の中のメッセージ。

 いつものカフェがいたら、「やれやれ、相変わらず回りくどいですね」などと言っていただろう。

 藁にも縋る思いでそのURLを手元のパソコンに打ち込む。……そこにあったものは。

 

「これは……タキオンの言っていたBプランか。カフェに思いを託し、あらゆる手段でサポートする」

 

 URLの先は、そのデータベースのようだった。スクロールするたびに膨大な情報が目に入る。

 

「……彼女もカフェのために全力を尽くしてくれていた」

 

 今更ながらそれを思い知る。今のカフェを見たら、タキオンは何を思うだろうか。そうしてその情報を見続けていたが、途中で手が止まる。妙なリンクを見つけたのだ。

 

「ENTER……か」

 

 悩んでいると、いつのまにか隣にカフェが来ていた。これこそが彼女へのメッセージだとしたら、一緒にこのリンクの先を見るべきだろう。

 

「いいか?」

「……」

 

 返答はない。でもきっと。

 

「開けるよ」

 

 かちり。クリック音が、確かに響いた。

 

 ※

 

 

「えー……この動画を観ているのはカフェか、はたまたそのトレーナー君か……」

「これは……タキオンが撮った動画か」

 

 画面に映ったのは白衣のアグネスタキオン。いつもと変わらず妖しい笑みを浮かべている。

 

「私は長々と説明してもいいんだが、カフェはきっとそういうのはお気に召さないだろうからねぇ……手短に言うよ」

「……」

 

 名前を呼ばれて、僅かにカフェが反応した気がする。そう思いたい。やがて画面の中のタキオンが、ゆっくりと口を開いた。

 

「年末の中山で待つ」

 

 ……なんだって?

 

「私は運命を超えた。不可能と言われた復帰を果たす。……復帰戦で討つのは、世代最強のウマ娘、マンハッタンカフェだ」

 

 ライバルだ。あらゆる理屈より先に、その語句が頭を掠める。

 

「……親愛なるBプランへ。君は間違いなく強い。私が全身全霊でサポートしたのだから当然だがね。……でも、スピードの向こうを見るのは私だよ」

 

 アグネスタキオンは、確かに競走生命を終えるとあの時宣言したのに。

 運命が、姿を変えた。ならば。

 

「……カフェ」

「カフェ」

 

 画面の中のウマ娘と同時に、俺は彼女に語りかける。

 

「私と走ってくれないか」

「俺と走ってくれないか」

 

 言葉すら重なる。けれど、その意味はまるで違うだろう。それでいい。

 

「……わた、しは」

 

 彼女の瞳に闇が宿る。口元が少しずつ、意思を持つ。

 

「俺と」

 

 そう言って、考えるより先に華奢な身体を強く抱きしめる。……彼女と契約した時の真逆だ。奇しくも外の天候も、あの時と同じ雨。

 

「俺と行こう。もう一度!」

 

 やっとわかった。彼女を連れて行くということの意味。彼女のためになるだけでは足りない。それはマンハッタンカフェというウマ娘と、手を繋ぐことを意味していて。

 手を繋いでいるなら、互いに互いを引っ張りあって。いつかは、並んで歩くのだ。そう、それが真に楽園へ行くのに必要なもの。

 

「運命は、私を運命の通りに処刑しました」

「誰にも運命なんてわからないよ」

 

 マンハッタンカフェに、魂が宿る。

 

「栄光は全て、運命の通りだと思っていました」

「そんなことない。君だから、君と俺だから勝てたんだ」

 

 彼女の両手を、強く強く握る。

 

「……屈腱炎は絶望的な故障です。まず年末には間に合わない。その先ずっと、走れないことだって」

「アグネスタキオンは復活した。そのライバルが、これくらいの絶望で挫けるわけがない。……いや、挫けさせないよ」

 

 そう、だって。

 

「君は、俺と」

「私と、トレーナーさんは」

「「楽園に行くんだから」」

 

 そう、遥か昔に契約したのだから。

 

「……ご心配をおかけしました」

「心が治っても、脚も治さなきゃいけない。……時間は短い」

「それでも、行かねばなりませんね。あのアグネスタキオンに宣戦布告をされたのだから」

 

 爛々と輝く黄金瞳。深闇を湛える真黒の長髪。そしてなにより、心に秘めたる焔の座。

 漆黒の摩天楼が、ここに帰還する。

 最愛の人と、楽園へ向かうために。

 

 屈腱炎。ウマ娘が一生走れなくなるような病気で、レース引退の原因としてはポピュラーだ。幻の無敗ウマ娘アグネスタキオンも例外ではなかった。運命には逆らえなかった。はず、だった。

 しかし彼女は再び走り出す。光を超え、運命さえ超えた。復帰戦は今年の有馬記念らしい。一年以上ぶりのレースが年末の中山とは、つくづく馬鹿げたウマ娘だとは思うけど。それならば、宣戦布告を受けた私も馬鹿げていなければならないだろう。

 日本に帰国してからの2ヶ月。この極めて短い期間で私も屈腱炎を克服するのだ。まだ凱旋門での敗北も、そこで気づいてしまった脚の違和感も色濃く覚えている。でも、その先の道へと私たちは一歩足を踏み出した。

 全てが激しい向かい風の中だとしても。それでも、前へ。前へ。

 そう、前へ。

 

 

「ふっ……!」

 

 トレーニングマシンを使って、脚に負担をかけないように全身を慣らしていく。早期に気づいた故に私の脚はまだ軽い炎症で済んでいるらしい。それならば、次の一度さえ我慢すれば─。

 そんな思考をすぐさま止める。君が抱きしめてくれた時の熱い身体と心臓を思い出す。私だけなら壊れ果ててもいいかもしれない。でも、私たちは無限に羽ばたくのだ。果てなく続く楽園への道は、漆黒と純白の二重奏によってのみ踏破される。

 君のためにいることが、私の存在意義で。私のためにあることが、君の存在意義だと。私たちはそれぞれの役目を、相思相愛となんら変わりないものだと見つけたのだ。

 求むこと。与うこと。それらは等しい。貪られることを望むが故に差し出し、噛み砕くことを望むが故に捧ぐを受ける。だから。

 

「どうだ、カフェ」

「おや、トレーナーさん。トレーナーさんにも調べることがあるのでは?」

「……すまん、君が気になって」

「私もです。……来てくださって、嬉しい」

 

 私たちは、互いだけを見ていていい。

 

「出走登録なんだけどさ、当然脚の不調は隠せないし、治る、走れると言えるようになってからにしなきゃいけない」

「当然のことですね。私の惨敗はきっとこちらでもニュースになっていたでしょうし、脚の不調も知れ渡っている。……以前なら、苦痛くらいは隠して走れたのですが」

「もちろん、俺はそんなの許さないよ。君の細かい表情から、痛みを隠してたとしてもそれを見逃さないつもりだ」

「でしょうね。トレーナーさんにはバレてしまいます」

 

 もちろんあらゆる治療は受けているが、走行途中の違和感はまだ拭えない。そのことに私が気付けば、トレーナーさんはすぐさま走るのをやめさせる。私の未来を慮ってくれているから。

 

「でも、出ますよ」

「……ああ。君は有馬記念二連覇を成し遂げるんだ」

 

 心の一致。これ以上に優しく強い力なんてない。だからそれは必然。脚を治す時間がなくとも、相手があの超光速の粒子でも。

 私たちが再び頂点に座するのは、必然なのだ。

 

 

 まず一枠一番───。

 

 誰かの名前が挙げられるたびに、大歓声が巻き起こる。当然、ここに並び立つのは並大抵のウマ娘ではないからだ。

 

 五番人気は───。

 

 ああ、ならば血湧き肉躍るとも。我が本質は大罪の獣。血に飢えた猟犬なのだから。

 

 復帰戦とは思えない抜群の仕上がり! 一番人気、アグネスタキオンの登場です───。

 

 これまでで一番の歓声。私を追う立場に立ったといいながら、結局貴女が一番人気か。私の唇から苦笑が漏れる。

 

 そしてこちらも注目のウマ娘! 目指すはライバルの打倒か、二連覇か! マンハッタンカフェ!

 

 ワアァァァァァ───。

 

 パドックに、私が立つ。私が目指すもの。否、私たちが目指すもの。愚問だ。そんなものはあの日、三年前のあの時からずっと変わらない。

 楽園だ。それ以外には、何も要らない。

 だからその前に立ち塞がる敵は、牙を以って罪科に溶かすのみ。

 輝く闇に身を包んだ少女は、光る羽飾りに触れながら一人想う。たとえ一人で舞台に立とうとも、既に彼女は独りではないから。

 運命は姿を変えた。この先の勝負の行く末は、誰にもわからないだろう。

 翼を広げて。彼女に今見えているのは、運命でもゴールでもない。そういった決まり切ったものは、既に役目を失った。

 黄金色の瞳が捉えた、楽園への道標は。唯一ずっと変わらないものは。

 

「さあ各ウマ娘、揃ってゲートに入ります」

 

 君しかいない。君が、連れて行ってくれるのだから。

 

「スタートしました!」

 

 運命の外へと、駆け出そう。

 

 

 アグネスタキオンは先頭集団に付けている。私は後方内側で、どちらもきっといい位置なのだろう。私がマークするとすればやはり、彼女しかいない。

 中山レース場のコーナーは六つ。内側を回っていけばそれだけ有利になる。そういった知識はアグネスタキオンも持っているだろうが、私には去年の経験がある。依然、有利だ。

 しかし、それでも警戒せねばならない。いくら復帰戦でも、初めてのコースでも、相手はあのアグネスタキオン。光と運命を超えたウマ娘なのだから。

 

「ふーっ……」

 

 息を入れる。徐々に前方に進出し、スパートのタイミングを見極める。中山ラストの直線は310mで、決して長くはない。差しの戦法を取る私はここで勝負を決める必要がある。……行こう。

 四つ目のコーナーを曲がり、バ群が出来て来た。……ここまで来たなら、内側を走り続ける必要はない!

 だっ、と大外へと向かう。刈り取る体勢に入る。ステイヤーとしての私の素質は、この距離でもそれなりに余裕を持って走り続けさせてくれる。……そして、アグネスタキオンは。

 

「アグネスタキオン、抜け出した! この距離からロングスパートをかけるか!」

 

 ちっ。早めにねじ伏せてしまうつもりか! 彼女には先行バの中では負けるはずがないという自負があるのだろう。故に、警戒するべきは私のような差しウマ娘のみ。だから早めにスパートをかけ、距離を取ってしまうのだろう。……だが、なら。やるしかない。

 私だって、この程度の早仕かけに耐えられないような脚はしていないのだから。

 

「おっと! マンハッタンカフェ、大外から猛追! ぐんぐん伸びていきます!」

 

 貴女が力でねじ伏せるというのなら、私はそれ以上の力を振おう。

 集団から抜け出して、二人の一騎討ちが始まる。こんなにも早く勝負を仕掛ければ、それだけスタミナ切れのリスクを背負わなければいけないけれど。

 

「私は貴女に負けるわけにはいきません……アグネスタキオン」

「ふぅン……。同感だね、カフェ!」

 

 宣戦布告を受けた手前、勝負しないのはあり得ない。激しく競り合い、そのまま直線へともつれ込む。

 

「……はあっ……はあっ……!」

「アグネスタキオンにマンハッタンカフェが追いついた! しかしアグネスタキオンも差し返す! これは意地だ! かつて世代最強と言われたウマ娘と、"今"世代最強と言われたウマ娘の意地だ!」

 

 思えば彼女が居なくては、私はここまで辿り着けなかった。さまざまなサポートを受けた。挫折からの立ち直りに於いて、彼女の助けは必要だった。そして、最後。この瞬間。

 

「二人とも失速しない! 衰えない! 最強がここで決まるのか!」

 

 もう、一、回!

 

「おっと僅かに、僅かにマンハッタンカフェ! まだ脚が動く、動いている! そのまま───」

 

 ありがとう、アグネスタキオン。貴女のおかげでまた、私は未来を目指せる。

 

 

「……ふぅ」

「はっ……はーっ……」

「お疲れ様、カフェ」

「そちらこそ、タキオンさん」

 

 芝の上に寝転がり、互いを労う。

 

「……やはり早仕かけはまずかったかな! 私としたことが……早く走りたくってたまらなかったんだ」

「おやおや、負けた途端に言い訳ですか?」

「これは手厳しいね。……でも、やっぱりいいものだね」

「……ええ」

 

 レースでしか得られないもの。その最後のピースを、ライバルを。漸く私たちは見つけられた。

 

「また走りましょう」

「ああ、勿論だとも」

 

 やがて意識がはっきりしてくる。二人の会話は、称える大歓声に覆われていく。

 

 

「カフェ! その、その……」

 

 地下に戻ると、トレーナーさんが出迎えてくれた。言葉に詰まるのを見るのは初めてだ。でも、私も告げられる言葉がない。……ああ、一つあった。

 

「ねえ」

「私は、辿り着けた?」

 

 息も絶え絶え。思考も拙い。それでも、これだけはずっと揺るがない言葉だ。

 

「ああ」

「俺たちは、互いをここまで連れて行ったんだ」

 

 そう、返答があった。側から見れば意味のわからない会話でも、私たちにとってはこれ以上ない。

 そのまま、倒れるように君に抱きついて。君も、私を抱きしめてくれて。

 

「……トレーナーさん」

「おめでとう」

「そうですね、ここだったんですね……楽園は」

 

 魂が満ち足りる場。二人の場所。それはつまり二人で互いを見つめながら居るならば、何処であろうとも。

 

「漸く、しっかり口にできることがあります……いいでしょうか」

「もちろん。カフェの頼みなら」

 

 かぷり。君の舌に噛み付いて。吸い尽くすように貪って、唇を離した後に言の葉を紡ぐ。

 

「好きです、トレーナーさん」

 

 それは何度も咀嚼した気持ちだったけど。きっとそれを初めて告げた私の顔は、くしゃくしゃの笑顔で染まっていたのだ。

 ずっと、本当の永遠。楽園は、私の傍に。

 

 

 

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