【本編完結】Take me to paradise.─Scenario of Manhattancafe(prototype). 作:春華ゆが
飛び交う世界は安寧の如く。超える輪廻は愛憎の如く也。目が回るという感覚は極彩色のモノトーンの中にあっても一厘も存在しないし、雪解けの後にあるのが灼熱の熱帯夜であっても僅かさえ怯まない。それらは全て必然的なホンの話で、頭の中には展開予想図が組み込まれているのだから。是即ち、夢幻に於ける夢現。
白い背景に七色の鯨が浮かぶ中、私はt軸を後ろに向かって駆け出す。数歩の後退りの後光の帯が渦を巻くように立ち並び、物語が幕を開ける。夢と幻の世界。けれどそれは夢と現の鏡なれば。
私は火口に立っている。剥き出しの岩肌と同化して、仄暗いマグマの流れを演じる。ここが私の過去の世界。私のいる場所の後ろにあったもの。一つずつ、目の前の風景を具体化する。夢の中にいる時に正しく歩くためには、いかに自分自身の目を覚まさずに焦点をリアライズできるかが重要なのだ。
そう、私が今見ているものは夢だ。これは退屈な日常においても忘れ去られるほどの価値しかないミリ単位の塵芥だ。
そこに目を向けるならねじ曲がった根性を持たねばなるまい。夢に価値を見出すことは相当に難しいのだ。
さて、気がつけば。私がいる場所は一つの公園になっていた。そこでは仲睦まじい親子が遊んでいて、その姿に私は大いに見覚えがある。あれは私と母親だ。母親の姿に憧れて、私は彼女のようになりたいと願ったのだった。
そこまで思考をはっきりさせて来ても、私の目が覚める様子はない。深く眠りについている自分自身に感謝しながら、更なる舞台を紡ぎ出す。ここに於ける私の姿を現像する。夢というのは一人称で自身のモデリングを必要としないのだが、思ったよりも理屈を通すことを要求するのだ。
私は確か……そう、あそこにいる幼い私とその母親の見た目を混ぜ込めばいい。確か私は母親似だと言われていた気がするから。そうして朧げな靄でできた指先から、一つずつヒトガタを作り出す。頭部を創り出すのに合わせて、脳の中をカリカチュアライズする。私はこういうキャラクターだというふうに。……なんだかこういう作業は得意だった気がする。そうだ。
私の職業は女優だったっけ。
そうしてこの世界に降り立つ私は、確か未来に繋がる助言をするために過去の私に会いに来た。その資格がある。身体がほのかに暖かく、恐らくこれは布団に入っている我が身の熱であろうと推測する。まだ私は深く眠りについている。ならば一言ぐらい寝言を喋らせても大丈夫だろう。
夢の中で私が声を発することは、脳が喉に対して発声を命ずることに等しい。命ずるだけでそれが実行されるとは限らないが、実行されればそれは喉の渇きを生み目覚めにつながってしまう。つまりどういうことかというと、私は限られた回数の会話で夢の中を満喫しなければいけないということ。目覚めるまでの何度かの口数が、夢を動かし現実に作用するのだ。
ゆっくりと、
公園で遊ぶ二人に立ち寄る。その歩みはしっかりとした足の動きを伴っていたのか、夢の中らしく空中浮遊していたのか。こういった点を覚えておくことが後に夢を思い出す時にそれをより明瞭にしてくれる。近づくにつれ母親の姿は見えなくなり、幼い私自身がはっきりとしてくる。
あなたに伝えられることはなんだろうか。未来にどんな影響を及ぼせば素晴らしいだろうか。考えてはみるが、何しろ半分以上寝ながらの思考だ。その終着は堂々巡りにすら至らず、第二コーナーあたりで頭はすでにバテて走れなくなってしまう。
考えが動くたびに連動して空は歪み、公園の風景は再びマグマ煮えたぎる火口へと跳ぶ。火口にて私と私が二人。物言わぬ私を持ち上げて、炎の中へ突き落としてみる。突き落とす時に何かしらのメッセージを述べてみる。
それは自分には呻き声のようにしか聞こえなかった。要するに私の寝言は支離滅裂どころか言語の体を成さずに終わったということだろう。けれどもなぜか満足感が身体を満たした。
火口から私を釣り上げ、もう一度何かを伝える。これで更に満足する。突き落とす。繰り返すたびに満たされる。納得がいかないのは、満足したはずなのに風景が変わらないこと。夢というのは常に流動するものであるから夢なのであって、留まれば留まるほどその景色が鮮明になりレム睡眠が薄れていってしまうのだ。
……と、そこまで頭を巡って一言。
「あなたは、トレーナーさんにもっと優しくするといい」
これだ。感情の起伏が少なく、女優業でレースをほったらかし。そんな私には、もっと思いやりが必要に決まっている。そう告げると頭が再び柔らかい微睡に包まれる。そんな己の首を引きちぎって火口へと投げ込む。最後に首無しの私を見ながら、私の意識はまたt軸を駆け巡る。
夢。夢。夢。夢に於ける景色の変化は心情の変化そのもので、本当は先ほどまで見ていたものは公園でも火口でもなかったと思う。そういう認識を私に植え付ける空間、以上のものではなかったと思う。それは絵の具を塗りたくったようなものであったり、鉛筆と消しゴムだけで描かれたようなものであったり。
とにかく抽象的だった。夢の中で冷静に見れる事象は全て過去の出来事だ。時間軸が存在しないかのように振る舞いながら、思考の変化と一体化した世界は不可逆でしかない。確定した状況のみが思考の跡となって私の脳に残る。つまり本質的にはリアルタイムの夢を記憶に残すことなど不可能なのだ。記憶した時点でそれは過去の夢となり、変化の跡が跡形もなく残り続けるのだから。
往く先は永劫臨界、美しく燃える未来の事象。私は夢の中にいて、それを見守ることが容易い。
これからやることも単純明快だ。過去に伝えたメッセージが、未来でどう活きているか。それを確認する。それが私の夢の第二部となる。
未来世界に及ぶ思考は拙く、そこにある風景は先ほどと対して変わらなかった。ビジュアルではなくイメージとして、「この世界は未来のものです」と表層思考に伝わる。だからここは未来だ。さて、未来の私はどうしているだろうか。トレーナーさんと少しは仲良くしているだろうか。いつのまにか期待は高まり、安らかに眠っているはずの心臓が高鳴る幻覚さえ感じる。未来というのはそうでなくてはいけない。
豊かに色付き、幸せでお腹がいっぱいになる。でもわからないのは、私が願う未来というものがどんな形をしているかだ。トレーナーさんと仲良くしていればいいなどとのたまったが、実際それを望んでいるとは到底思えない。
私の心はただただ退屈しのぎを求めるのみで、君の状態がどうであれ構わないと思う。嫌われていたって構わない。何故あんなことを過去の自分に伝えたのか、少し後悔すらしている。端的に言えばどうでもいい。
夢の中の思考というのは苛烈な表現を孕みがちだが、これも少し過激すぎるだろうか。
そこまで歩いて、歩いて。あるいはゆらめいて、踊るように。未来世界の地図を片手に、未来の私を探し求める。
未来の空は相も変わらず七色の鯨が泳いでいたし、意外と元いた現代と大差ないなと感じる。ここが何年先の未来なのかもわからない。老いさらばえた私と出会うのかもしれない。夢の中に明確な時間軸はないというのに、そんな無意味な思考を止めることはない。夢の時間は伸縮自在。
先ほども言ったが、過ぎ去ったという事実だけが夢の中には存在する。同じように自らの思考を流れさせることがこの小さな脳内空間で私の存在を担保しているのだ。
「いた」
そこに見た人の形状がどうであれ、私が認定すればそれは私の未来になる。未来に手が届くのは夢の中の特権で、奇想天外ではあれど予想外となることは絶対にあり得ない。夢の世界は確かな幸せが保障されている。
だから、私が見たその幸せが。私が求める未来の私なのだ。彼女はとてもにこやかで、幸せにしている。彼女は顔のない人に寄り添って、幸せにしている。彼女は日々を楽しんで、幸せにしている。そこに私の助言は意味を成していたのか、そもそも私の頭に助言の内容が残っていたのか、それはさっぱりわからないけれど。
夢は連続性を綿布程度にしか持たないものだから、それでいい。ああ、私は幸せそうにしている。なんだかそのことがとても切なくて、愛しくて。声をかけることもなく、私は再び満ち足りる。満ち足りた瞬間に夢の景色は砂のように溶けていき、ばたん、ばたんと書き割りの背景が立ち変わっていく。今までの過去と未来は全て空想夢想。それを認識し、また一歩を踏み出す。
こうして私は、目を覚ました。
目を覚ました私は現実の素晴らしさに感謝する。だって素晴らしい現実が、こんな素敵な夢を見せてくれたのだから。身体に帯びた熱はさらにぽかぽかとしてきて、幸せでいっぱいだ。幸せな夢を見た、幸せな夢を見た。
そう大声で吹聴しながら外を歩き回り、やがてトレーナーさんのところへたどり着く。身振り手振りを交えて、決して忘れられない夢の話を余す所なく語る。見終わった夢はもう戻ってこない。
だから私は夢を追悼する目的で語り継ごうとするし、夢を語れる現実に戻ってくることは夢との別れを意味している。
僅かに涙が流れる。それは感動と幸せと、さよならの涙。幸せな体験をくれた夢に感謝して、私は目を覚ました。こうして、目を覚ました。めでたし、めでたし。
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とーん。頭の重さを感じる音。ぴよぴよ。外に鳴く小鳥の囀り。上体を起こすための力が全身に入ると、粘ついた空気の感覚も身体の周りにまた表れてくる。その感覚だけで、ここがどこか私にはわかる。何が起こったのか一瞬で思い出す。何度目かもわからない、限りなく飽き飽きした退屈な現象。
“ああ、私は目を覚ましたのだ”。
私がいたのは布団の中で、私は今度こそ本当に目を覚ます。夢の中の思考や感覚というのは全て無価値である。何故か? 頭が眠っている状態で感じたそれは寝ぼけた故の判断ミスに過ぎない。もとより夢の空間を形作るのにも脳は使われていて、自分自身でお膳立てした空間で脳なしになった私が幸せになることなど当たり前に過ぎる。
それまでの感動が一気に無感動に変わるのが、目覚めの時。
それは夢に感謝する瞬間などではない。ああ、結局夢なのか。ああ、あんな夢で喜ぶ私は愚かだった。夢の中で目覚める夢だって何度も見せられた。その度に私は幸せいっぱいの現実にぬか喜びし、真に目覚めた時に現実と夢は如何に差があるか、肢体の感覚から毎回のように教え込まれる。腕は重く、上体は重力を感じる。宙を浮ける錯覚など万に一つもあり得ない。そして何より、全てが退屈だ。
夢の中で見る偽りの現実と本当の現実のリアリティスケールはあまりに遠く、稚拙な夢に心躍らされた自分にため息をつくしかない。そういう瞬間。
そして退屈な現実における塵芥でしかない夢を必死にかき集めようとする。こんなにも素晴らしい感覚を失いたくないともがく。けれどそれは大抵無駄に終わる。例えば今回は、私の過去を名乗った夢の姿。それは偽りだ。
私の母親との記憶などほとんど存在しないし、私が女優を志したのは単に物語への憧れからだ。母親の顔すら知らないのに、よく母親のようになりたいなどと夢にみたものだな。自分で自分を嘲りこき下ろす。その過去は私の愚かな願望でしかない。
未来はどうだろうか。これこそ滑稽だ。願望に更に妄想を重ね、空想夢想は幻想に墜つ。ユメマボロシの極致である。私は取るに足りない幸せなど一度も望んだことがない。永遠に笑っているだけの幸福など退屈で仕方がない。変化のない日々を楽しんだことなどあるはずがない。
……顔のない誰かに満足することなど、考えたくもない。私にとって君は、どうでもいいわけが。
私が幸せならそれでいいなどというのは、まさに己の思考を半分以上閉ざしたが故の愚かな結論に相違ない。酷く、酷く。乾いた笑みすら浮かばない。
最後に見た夢。目を覚まして現実に感謝するという、夢。現実は得難く価値あるものだという、夢。それこそがユメマボロシに過ぎない。本物の現実はどういったものか。どこへ行っても纏わりつき、疲労感だけを溜め込むもの。それ以上ではない。息をするのに頭を使い、脚を動かすのに頭を使う。
それは生きながら罰を受けているかのようで、罰の代わり映えのなさこそが私を真に苦しめる。ああ、どうして現実は退屈で苦痛に塗れているのだろう。夢というものはどうして憧れる世界を見せてくれず、空虚で突拍子もない雑多な幸せだけを塗りたくるのだろう。
どうして、嘘でもいいから幸せを持続させてくれないのだろう。起き上がった瞬間にそれはか細い過去の夢になり、ユメウツツにある間の僅かな時間だけが私にとっての夢の価値である。
現実は色褪せていて、退屈だ。
鳴り響く複数の携帯電話を順に処理する。マネージャーからの電話は、おはようの挨拶と今日のスケジュールを確認する。そしてトレーナーさんとの電話。夢の中のように、君に幸せな夢を見たと報告はできない。そのことに少し物悲しさを覚えるけれど、表には出さない。こちらも挨拶とトレーニング内容を確認する。
服装を整え家を出る。私が女優をやっているというのは、夢の中の出来事ではない。とはいえ私は女優として、物語を映し出す鏡のようなあり方を選択している。これはつまり私自身には大した価値がないということでもあって、私に映る誰かの姿に人は魅力を感じているだけなのだ。
「おはようございます、マンハッタンカフェさん」
「……おはようございます」
控室に向かって。複数の同じような挨拶に一つずつ同じ言葉を返す。これがユメノウツツだったら、私は大喜びで夢の素晴らしさを叫んでいたはずだ。やはり夢というのはどれだけ現実を装っても現実味がないと思い知る。今日は我ながら夢の内容を引きずっている気がする。まあ退屈しのぎの思考迷宮はいつものことなので、取るに足りないそれを放置する。
退屈。
私にとっての退屈とは、人の生きる命のこと。私たちは十全に保護された社会に住み、枠から外れないために生きている。そこには安全がある代わりに他に何もない。
命を燃やすような輝きの世界は物語の中に潜んでいて、現実に映し出すには私たちのような鏡となる演者を必要とする。……少し前まではそういった認識だったし、今も人生の退屈さは変わっていない。けれど一つ差異がある。だから、私は今も歩んでいる。
今日の出演はバラエティ番組だった。もうすぐあるレースのことについて聞かれた。何も話題が無かったらさっきから堂々巡りを続けている夢の話でもするかと思ったが、やはりそれはこういう場には相応しくない。レースの話は私にとっても価値ある話だし。
レースというものがある。私たちウマ娘が走る場所で、人はそこに夢と希望を垣間見る……らしい。そしてウマ娘は本能として、走ることを尊ぶ。勝ちたいと願う。私がその世界に脚を踏み入れたのは最近のことだ。
そこには血に飢えた私の渇きを癒す戦場があった。差し切った時の興奮は何物にも代えがたい。……そういうトークは求められていないと以前マネージャーに怒られたので、控えるようにしているが。でも、でも。なによりも、なによりも。私にとっての走る理由は、退屈を忘れられる理由は。
「ああ、トレーナーさん。今向かっています。……今日の撮影はどうだったかって? ふふ、今日はトークの出演ですよ」
トレーナーさんが。君がいるから。
私がトレーナーさんに会ったのは、たまたま。けれどそれが運命というものなのかもしれない。マネージャーの指図でレース界にデビューすることになった私は、誰でもいいからとトレーナーを探していた。けれど誰もが私を見ていなかった。
正確には、私が被っている有名女優の黒毛ウマ娘というヴェールばかりを見ていた。そんなのは今までと変わらなかった。別の世界へ行きたいのに、私は見飽きた世界にまた飛び込むのか。女優業を蔑ろにするつもりはない。
むしろ広告塔のように雑に扱ってほしくないからこそ、私は勧誘を断っていた。
そんな時、私はひとつ問いたくなった。
「あなたは私を連れて行ってくれるの?」
そこまで明確に言語化はできていなかったし、我ながら今でも不明瞭な問いだ。だから結局持ち出すことは一度もなかったのだけど。
それに対する答えと出会ったのが、君との出会いだった。
ただ一人、女優のヴェールを脱いだ私に話しかけてきた。独りぼっちで奏する私に。マンハッタンカフェというウマ娘に。その時、おそらく私はこう問うた。
「ねえ、早く連れて行って」
どこかに、あなたが。君が、連れて行って。その時はそもそもトレーナーさんがトレーナーだということも知らなかったけど。何もかもが曖昧模糊で、答えるに値しない問いだと思う。でも、君はこう答えた。
「わかった。俺が、君を連れて行くよ」
その行く末がどこかにあるとしたら、夢物語の楽園かもしれない。荒唐無稽で存在しない場所に向かう。そのようなあてもない旅というのは自殺行為に等しい。けれど、私はその手を取る。方角だけしかわかっていない、定まっていない目的地へと向かう。だって、君は。私を連れて行ってくれると言ったのだから。
「……お疲れ様です、トレーナーさん」
「そちらこそお疲れ様、カフェ」
すでに夕暮れを過ぎていた。トレーナーさんの顔を見て、少しだけ思う。現実も悪くない。君は間違いなく、こちらにしかいないのだから。
「そうだ、トレーナーさん……ちょっとこちらへ」
「ん? どうしたカフェ」
無警戒に寄ってきたトレーナーさんに覆い被さるように抱きつく。首筋にある何度目かの噛み跡の瘡蓋を舌で剥がしながら、また温かい血が出るまで齧り付く。うん、やはり悪くない。
「今日、夢を見たんです。それで思いました」
「こんな夢を見せてくれる現実は、悪くない」
素晴らしいとまでは口走れなかったけれど。その日確かに私は夢を糧にした。夢と現実の差は、時折現実の得難さを教えてくれる。夢の中で得たその結論に回帰する。夢はやはり退屈かもしれないけれど、それは一人の独創に過ぎないから。君と一緒に見る楽園の夢なら、きっと退屈しないのだ。
ユメマボロシはウツツと変わる。それが、楽園への原点。
Interlude:Fashion.
「そういえば、カフェはどれくらいの数服を持っているんだ?」
「…服、ですか?」
「ああいや、女優はやっぱりたくさん持ってるのかなって、なんとなく」
そう聞くと、彼女は少し笑みを浮かべて。
「…見に、来ますか?」
乗り気にさせたからには、断るわけにはいかない。
※
「…服はだいたい部屋一個に収まる程度です。ドラマで着る衣装は借り物ですし、私自身が持っているのはこれくらいで。大した数ではありませんね…ですが」
十分多いと思ったが、カフェは言葉を続ける。
「服装には理由があります。別の服を着れば別人になるというのは比喩ではありません。私たちは服と共に、ペルソナを付け替えるのです……勝負服もそう、ですね」
そう言って、一つ服を手に取る。
「例えばこの服。愛らしい少女が着るべきもので、普段の私には合いません」
確かにその明るい色は、彼女のイメージとは違っている。
「でも」
その服を手前に持って、彼女がくるりと一回転する。顔を伏せ、また持ち上げる。
起き上がった顔に浮かんでいたのは、満面の笑み。不意を突かれてどきりとしてしまう。
「……と、このように。服を変えれば気分は変わり、人は変わります。……今のは変えすぎですが」
「さすがだな」
「私はただの鏡。普段が無色で無感情故に、これを天職としているだけです」
「……うーん、そうかなあ。カフェは結構感情あると思うけどな。……ほら、今ちょっと笑った」
かぷり。返答の代わりに、首元に甘い痺れが走る。
「……んっ。もう。 そんなことを言ってくれるのは、トレーナーさんだけですね」