【本編完結】Take me to paradise.─Scenario of Manhattancafe(prototype).   作:春華ゆが

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Scene07:Fate to fatally.

「はい、トレーナーさん。バレンタインですから」

 そう言ってマンハッタンカフェが手渡したのは、銀紙に包まれた市販の板チョコ。任務完了と言わんばかりに、渡した後はコーヒーカップに手を戻す。

「ありがとう」

 彼女の多忙を考えれば、わざわざ俺の分まで買ってくれただけでもありがたいというものだ。大切にいただこう。そう思って懐にしまおうとしたのだが。

「おやおや、トレーナーさん。それでは溶けてしまいます。すぐに召し上がってください、ね?」

「それなら仕方ないな」

 目の前で食べて欲しいということかも知れない。少し特別な存在になった気分だ。きっと彼女は大量の義理チョコを顔も知らない相手に渡す立場にあって、その中の一人から抜け出せるのは嬉しい。

 

 ※

 

 そうして、チョコレートを口にす───硬い。それに。

「……! これ、全然甘くないというか、苦い……!」

「カカオ99%のチョコレートです。お気に召しましたか?」

 まさか吐き出すわけにもいかず、一生懸命に一口飲みこんだかけらを噛み締める。

 苦味だけしかない後味が強烈に残る。漸くかけらを飲み込んだが、破片はまだ口の中でその香りを充満させていた。

「少し苦かったかも知れませんね。……今ミルクを用意しますから」

「……ああ、頼む」

 彼女は顔色ひとつ変えずにコーヒーを飲み続けていた。立ち上がり、コーヒーミルクを取り出す。……コーヒーミルク?

「はい、口を開けて」

「それしかないのか」

「口を開けて」

 従うしかない。だらしない格好で口を開け、垂らされるコーヒーミルクを受け止めようとする。

 声は出せない。ただ言いなりになる。口を閉じることすら許されず、渇きが喉へとやってくる。

 

 

 

 ここまで凡そ計画通り。君はもう私の口の中にいる。あとは、白と黒を溶け合わせよう。

「はむっ……!」

 君の唇を思い切り貪る。舌を絡めて口内に通路を開き、思わず逃げる腰へがっしりと手を添える。

 口の中を満たしていたブラックコーヒーを君の中へと流し込み、舌を使ってミルクとコーヒーを混ぜ合わせる。

 蹂躙の始まりだ。

 

 ※

 

「……んっ……んっ……ちゅっ……」

 逃げる君の舌を捕らえ、舐め回してはまた逃す。口の中に広がる黒い海。そこを二人きりで泳ぐ艶かしいピンクの肉塊。空気すら邪魔できない最高のプライベートビーチだ。

「んっ……ぅむ……ぇお……」

 ただ、全てを貪る。既に数分が経っていて、君の必死な鼻息が顔に当たる。そのまま窒息してしまうのだろうか。そうだとしたら、とても素敵だ。

 だってそれなら。君が最期に見るもの、最期に味わったものが私であるということになるのだから。

 

「ちゅぷ……っちゅ……」

 ぴたり、ぴちゃり。上顎の裏をつーっと舌でなぞる。形を覚えるまで、何度も、何度も。混ざり合った粘膜と液体が、甘く蕩けるよう。君の膝がガクガクと震え出す。気持ちよくなってくれているのだろうか? それならもっと。更に。

 優しく地面に腰を下ろしてやる。君は未だに舌で抵抗しようとしているけど、それがくすぐったくていじらしくて、ますます興奮してしまう。すっと腕を抱きしめて、脚を絡めて。君はもう口しか動かせないし、口もただ気持ちよくなることにしか使えない。

「ぁむ……はっ……ちゅるっ……」

 コーヒーを飲み込みそうになる君の口から吸い出し、再び送り出す。これは二人で作った大切なカフェオレ。白と黒が混ざり合うことを証明してくれるもの。そう簡単に飲み干してはいけない。君の舌を何度も捕らえ、愛おしむ。

 それを繰り返して漸く、君の方からも舌が伸びてくる。求める。求め合う。どんなチョコレートより、君が美味しい。

 片時も離さない。歯茎の隅まで互いに貪り、その度に粘膜が絡み合う。淫靡な音がただ、ただ。誰も邪魔できない黒の庭。果たしてどれほどの時間が過ぎたのか見当もつかない。どれほど重ね続けても飽きることはない。永遠でないとしたら、せめて那由多に続いてほしい。

 少し角度を変えて、君の喉の奥まで舌を伸ばす。君の身体が少し、跳ねる。味わえる限り、君を味わいたい。だから、限界まで。色のない私を、君に染めて欲しいのだ。

「んっ……む……あぅ……」

 漸く私も息切れしてきた。まだ終わりたくないけど、これ以上は君に嫌われてしまうかも知れない。そんなことを考えて、舌を引いて。唇を離そうとした時だった。

「……むっ……んんっ……! ……れろっ……」

 君の腕が私の後ろに伸びてくる。君の舌が名残惜しむかのように口の中を這いずる。私たちは抱きあう形になって、まるで本当に愛し合う二人になったかのようだった。

 たちまち力が抜けて、今度は君の蹂躙を一身に受ける。強く強く抱きしめられ、私は答えるように舌を絡める以外に術を持たない。

 君の少し渇いた唇が、私の唇に思い切り押しつけられる。唇の重なる感覚が心地いい。限界まで二人の間隔を縮め、ゼロ距離で愛し合う。ああ、幸せだ。

 挿し込まれる舌を優しく手招きし、咥内へと誘う。私は君を喰らったのだから、君にも私を堪能する権利があるだろう。歯の裏や隙間まで、私以外の生き物が触れるのは生まれて初めてだ。

 口付けという行為には特別な意味がある。今まで物語における知識でしか知らなかったそのことを、己の身体で教えられる。

 異物の侵入がこんなに心地いいなんて。求めたものが受け入れられることがこんなにも素敵だなんて。

 そのまま静かな水音と共に、溶け合うまで。

 

 ※

 

「……どうでしたか、バレンタインのお味は」

「いや、その。恥ずかしいというか」

 完全に彼女に魅了されてしまっていた。後になって自分はとんでもないことをしたのではないかと思いはじめる。でも。

「ありがとう、カフェ」

 でも、彼女の誠心誠意がこれだというのなら。距離感は少し近すぎるかも知れないが、そこに悪意はないのだから。

「こちらこそ、ありがとうございます」

 少し彼女の頬が染まる。……流石に恥ずかしかったようだ。

 思う。彼女はきっと見た目より純粋で、抱く感情も激しく揺れ動く。そんな彼女は普段の生活を仮面を被って乗り切っていて、それを外せる数少ない場所がここなのかも知れない。それなら。俺にできるのは、彼女が深層まで心を開けるようにサポートすること。

 どこにいても、誰とでも。たとえ、俺がいなくても。

 

 彼女には彼女にしか見れない景色があるのだから。そこにたどり着いたあと、1人で歩けるように。もしかしたら彼女は望まないのかも知れない。けど、望ましいのはそれだ。

 黒は一滴でも濁れば黒ではなくなってしまう。そのためには何も触れないか、強くあり続けるか。俺は彼女が強くなるまで、彼女が澱んだ色に触れないようにする責務がある。そう感じた。

 君は俺にとって大切な存在だから。だから、俺に縛られないで欲しい。

 失楽園の漆黒は、光射す方へ導かれる。

 

 

 ※

 

 

 放課後、熱く黒いコーヒーを嗜む。いつもの通りのルーティンだが、今日は二つ違うところがあった。一つはここが生徒会長室であること。そしてもう一つは、目の前で同じくカップに手をつけているトレセン学園生徒会長、シンボリルドルフの存在。

「よく来てくれた、マンハッタンカフェ」

「流石に会長さんのお呼び出しとあらば、出向かないわけにはいきませんよ」

「なかなか君を捕まえるのには苦労させられたがな……」

 おっと。そういえばトレーナーさんと会っている時は、他の連絡手段は全て電源を切っていたっけ。

「それは申し訳ない」

「いや、こちらこそすまない。忙しい中、感謝する。……さて」

 シンボリルドルフはカップを置いて、向き直る。此方に向けられるその風格は皇帝と呼ぶに相応しいものだった。気を抜けば喰われるのはこちらの方、そんな気がした。

「今度、君が春の天皇賞に出走すると聞いてね。……まずはそのことについて激励を」

「わざわざ会長さん自らの応援とは、痛み入ります」

「君が挑戦しようとしている記録は、難攻不落の巨大な壁だからね」

「記録?」

「おっと、これは失礼。まずは説明からかな」

 少し意外そうな表情をされる。私は走れればそれでいい。君と走れればそれでいい。何か大記録に手が届きそうだなんて思いもしなかった。その記録に届けば、楽園にも手が届くだろうか。届いてしまうだろうか。

「中央におけるGⅠレースのうち、最も距離の長い三つ……京都3000m、菊花賞。中山2500m、有馬記念。そして京都3200m、天皇賞(春)。これをクラシックからシニアにかけて連闘し、三連覇を成し遂げる」

「……なるほど」

「長距離重賞の最高峰を総なめし、最強のステイヤーとしての功績を打ち立てる。この記録は現在、ただ一人のウマ娘によってしか達成されていない」

「その一人とは」

「私だよ」

「……自慢話ですか」

 そう皮肉を突き刺すと、シンボリルドルフはそれを笑って受け止めた。

「ふふっ、そうだな。そう捉えられても仕方ない言い回しだった。……ああ、でも。これが偉業だと言うのなら、達成したことを誇りに思うし、また達成されることを心待ちにしているとも」

「貴女の後に続いて欲しい。それが今回の話の肝ですか? もしそれだけなら、大した話ではなかったですね」

 私が誰のために走るか、何のために走るか、なんて。それは変わらず、決まり切っている。

「……いや、もう一つ話があってね。こんな昔話だけで君を退屈させたりはしないよ」

「……ほう」

 私を退屈させないと宣言するなんて。面白い。

「もし、もしだ。レースに絶対はない。勝った後の話をするのは愚かしいことだ。そうだとしても、もし。君が春の天皇賞を獲ったなら」

 ゆっくりと、彼女は言葉を吐き出す。重く、強く。

「君には、私を超えて欲しい」

 その言葉には、僅かに切実さが込められていた。

「超える。七冠バの貴女を?」

「問題なのは強さだよ」

 強さ。それは記録では測れないものだろう。

「マンハッタンカフェ。私にも不可能だったことがあるんだ。日本で幾ら勝利を重ねても、終ぞ」

 彼女は少し拳を握る。悔しさというものを、無敵の皇帝から初めて感じ取る。

「海外、ですか」

「そう。運や巡り合わせもあっただろう。それでも私は二度、確かに失敗した。遂に最後まであの門を拝むことすら叶わなかった。……世界最高峰のレース、凱旋門賞を」

 凱旋門賞。私でも聞いたことがある。

「……確か、日本から出走したウマ娘で勝った者はいない」

「そうだ。我々の悲願。尤も私は挑めてすらいないけどね。……今でも偶に、夢に見るよ。おっと、それはともかく。

 マンハッタンカフェ。君が天皇賞で勝ったなら、君は紛れもなく世代最強だろう。そして私と同じ道を歩むことに成功し、更にその先へと行ける」

 世代最強。そのフレーズを聞いて僅かに頭を掠めるものがあった。私はその称号に、本当に相応しいのか。けれど。

 その先にいけるなら。まだ、私たちはゴールに辿り着かない。楽園への道筋が続き、君との時間を重ねられる。そうしていられる。

「分かりました。……勿論、勝ってからですが」

「応援しているよ。心から」

 空気は緩み、今度こそ解れる。けれど心の内の黒は濃く、深く闇を増していく。

 

 ※

 

 本当は、凱旋門賞にそれほど興味があるわけではない。けれどそこには、まだ誰にも到達できていない何かがあるという。それならば、私たちが向かうべき楽園に近い。前代未聞、荒唐無稽。果てなく空に浮かぶは天の庭。私たちは楽園に向かう。その道筋はまだ終わらない。

 私の願い。君との楽園。海の先にそれがあるというのなら、千里を越えてみせようじゃないか。

 ねえ、早く連れて行って。

 失楽園の漆黒は、灼き尽くすような光へと冀望の翼を掲げる。

 

 ただ黒い夜。私はコーヒーを一杯飲み下す。一杯、また一杯。勘違いしないで欲しいのだが、コーヒーを飲んでいるから眠れないのではなく、眠れないからコーヒーを飲んでいる。

 今日も蒸し暑い。外は雨が降っていて、せっかくの星も見えはしない。眠れない夜ほど退屈なものはないのに、僅かな星見の楽しみさえ奪われてしまっている。

 すこし、少し考えて。私はぽつりと独り言を発する。

「……外を歩いてみましょうか」

 雨の中を歩むそれは、或いは狂人の歩みに近い。それならば上等だ。何もなくてつまらないなら、芝居の糧にでもしてやればいい。

 真黒の傘を刺し、真黒の私は真黒の空へと歩みを進める。木々は影しか見えなくて、黒に塗り潰されているかのように錯覚する。

 ぽつ、ぽつ。雨音は少しまばらだったが、決して無視できない程度。傘を持ってきていたのは正解だろう。そうして、夜の道を歩み出す。

 私の別荘はトレセン学園とは離れたところにあって、当然門限などもこちらにはない。最近は寮で過ごすことが多かったので夜に出歩くのは久しぶりだ。

 いつぶりだったか──逡巡し、思い当たる。

 ねえ、早く連れて行って。

 あの時。

 まだトレーナーになっていないトレーナーさんが来るのを一晩待ったあの日。そうだ、と思い当たる。あれから少し月日は流れた。私たちの関係は順調に堅く強いものになった……とはとても言えない。私の罪。君を愛する傲慢の大罪。

 それは時間が経つごとに、根深く太くなっていく。

 雨の中、ふと傘を閉じてみる。冷たい水滴はそう、あの日のようで。

 あの、二人の契約が始まった日のようで。傘も差さずに抱きついて、どうしようもないくらいに言語化できない感情を溢れさせた。あの日確かに見えたなにかが、私たちを引っ張っているのか、それとも。縛っているのか。

 答えはまだ、見つからない。楽園に行かなければ、全ての正答はわからない。私の中には心が二つ。それは一つに混ざりながら分かたれている。

 君と共に楽園へ。使命感か、私の本質か。羽ばたく天使の如く、私に翼は生えているのか。それとも。

 君と共に奈落の底へ。諦観か、私の願望か。囁く悪魔の如く、私は君を永遠に縛ろうとしているのか。

 ここで走るのをやめて仕舞えば。私はきっと、永遠に君と。でも。永遠は退屈で、もしかしたら君にすら飽きてしまうのかもしれない。己の飢えが、君すら無価値と断じてしまうのかもしれない。それも怖い。なにもかも、怖い。

 私は、私は。君と離れたくないから走るというのなら。そこに楽園の実在性は必要なのか?

 或いは、君と離れたくないという感情自体に過ちがあるのか? 優先すべき信仰は一つのみで、残りの異端は廃するべきか?

 私は、私は。

 虚数空間に浮かぶ虹を幻視して、私の旅路はひとまず終わった。

 

 

 

 血に飢えた猟犬には、己の血すら通っていなかった。信ずる人と心を通わせ、通った心を喰らい燃やして。

 漸く一人の生きたいのちへと変わっていった。そうでなくては生きていけない、無機質で無感動な無色の少女。

 今、迷う。それは彼女の心の存在証明。願いは理想を目指すものか、欲望を目指すものか。

 失楽園の漆黒は、闇の空に虹光を視る。

 

 

 




Intelude:Window.

 今日は雨が降っていて、トレーニングはお流れだ。トレーナー室でカフェと二人で雨宿りをしている。彼女はずっと外を見ていて動かない。コーヒーを啜る音と雨音が部屋で混じり合う。
「何を見てるんだ?」
「もちろん、雨ですよ」
 振り向かずに彼女は答える。そんなに気に入ったのだろうか。
「ああ、動かないでください」
「……なんで?」
「なんでもです」
 窓の外を見ているのに俺が移動するのがわかったのか。不思議だなと思いつつも、問い詰めるような内容ではない。
「……ふわぁ」
「くすっ」
 すっかり気を抜いて欠伸をしていると、カフェが笑うのが聞こえた。そんなに外の雨は面白いのだろうか?
 
 窓に映る君の姿。まるで四角い箱に閉じ込めたようで、すこしぞくぞくする。
 普段の君は私の前では油断してくれない。だから、もう少し。雨が続くといいな。
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