2082年11月7日(土)10:30 対魔忍病院
【1】
柔らかな陽射しと冷たい風が心地良く感じられる11月初旬の午後。凜子の退院当日、制服姿のゆきかぜは病院の正面玄関にいた。その様子は落ち着きがなく、今すぐにでもその場を離れたがっているようにも見えた。
結局、凜子の入院中に一度も見舞いに訪れなかったゆきかぜだったが、退院し家に帰られてからでは流石に遅過ぎると観念し、達郎と凜子が現れるのを十分程前からこうして待っていた。
実際、入院中である母との面会の合間に、凜子に会いに行く時間は幾らでもあった。ただ、どうにも決心がつかず、会いにいけなかったのだ。ゆきかぜは凜子ではなく、ずっと凜子のそばにいたに違いない達郎をこそ避けていた。
(達郎と凜子先輩が一緒にいるところを見たくなくて)
(達郎の気持ちが私から離れていくのが分かってしまいそうで)
(だから…怖くて会えなかった)
(らしくないな私、本当何やってんだろ…)
憂鬱な気分から抜け出せないまま、何とはなしに正面玄関から院内に目を向けると、こちらに歩いてくる達郎と凜子の姿が視界に入った。
松葉杖をつき歩いてくる凜子の装いは、チャコールのダンボールニットフーディにカーキのワイドパンツ。過度にボディラインを拾わない緩めのコーディネイトだ。
(凜子先輩にこんな顔は見せられない。しっかりしろ私っ)
ゆきかぜはそう自らを奮い立たせて二人の方へと向かうと、普段と変わらない快活な挨拶を口にした。
「凜子先輩、お久しぶりです。それに達郎もっ!」
達郎は数日前に凜子の退院日をゆきかぜにメールで伝えていた。だから、ゆきかぜが正面玄関で待ち構えているのではと予想もしていた。
「ゆきかぜも元気そうで安心した。でも、先ずは凜子姉に言うべきことがあるんじゃない?」
「そうだよね、達郎。えっと…凜子先輩。全然お見舞いにいけなくて…結局、退院当日になっちゃって、本当にごめんなさいっ!」
そう言うと、ゆきかぜは凜子に深々と頭を下げた。
「頭を上げてくれ、ゆきかぜ。不知火殿に付きっきりだったのだろう?達郎から話は聞いている」
「そ、そうなの。三日前くらいからかな、ようやく毎日一、二時間程度の会話ができるようになったの。お医者さんも、峠は越えたから後は良くなるだけだって」
「それは何よりだ。ゆきかぜは達郎と共に、不知火殿だけなく私も救い出してくれたのだ。本当に色々と迷惑をかけたな…改めて礼を言わせてくれ」
「い、いいよそんな。凜子先輩とは長い付き合いだし…そんなの当然なんだから」
「そう言ってもらえると助かる…が、この恩は何れ必ず返さねばな。そうしなければ私の気が済まんのだ」
「まったく、相変わらず凜子先輩は頭が固いんだから…」
凜子の依然と変わらない様子を見て、ようやく少しは気分が晴れたのか、屈託のない笑顔を見せるゆきかぜ。他方、凜子の心中は穏やかではなかった。
(ゆきかぜ、そんな笑顔を私に向けないでくれ…)
達郎と結ばれたことで、ゆきかぜに負い目を感じていた凜子は、横にいる達郎の上着の裾を指でぎゅっと摘み、気を強く持たなければと自分に言い聞かせた。
【2】
病院を出た三人は最寄りの駅に向かって、凜子を真ん中に横並びに歩道を歩いていた。松葉杖の凜子を気遣い、駅までタクシーを使うつもりでいた達郎だったが、凜子が歩きたいと言い出したのだ。
「凜子姉、無理せずタクシーを呼んだ方が良かったんじゃ?」
「いや、大丈夫だ。今日は歩きたい気分なんだ。それに、週明けからは学校だ。それなりに歩けるよう松葉杖にも慣れておかないとな。さもないと、あっという間に卒業を…」
凜子姉の話を遮り、すかさず突っ込みを入れるゆきかぜ。
「ちょ…待っ、凜子先輩は二留確定してるからっ!来年も三年生だから…って、達郎。アンタ話してなかったの?」
「あぁ、話そうとは思っていたんだけど、ね…」
凜子に告白して以降、それよりも優先すべき凜子とのあれこれが多過ぎて…とは、とても言えない達郎であった。
「達郎は一年留年したけど、学業・任務共に優秀だったんで、来年は一年飛び級。で…どうやら、凜子先輩は二年留年が決まったみたいなんです」
「ふむ…となると……一体どうなるのだ?」
「ぁ…あはは……つまりですね、来年から三人とも三年生。同学年になるわけです。どう?驚いたでしょ、凜子先輩」
凜子は左右の二人を見やり、しばらく呆けていたかと思うと、やがて顔を赤くして俯き、恥じらうような態度を見せた。
「…そ、そうか。来年は達郎とも同学年か。それはまた…その、案外悪いものではないな、留年も」
「そうだね、どうせなら凜子姉と同じクラスになれると俺も嬉しいな」
「ぇ…ぅあ、あぁ。そ、そうだな達郎」
二人の雰囲気を敏感に感じ取ったゆきかぜは、目を見開き驚くとやがてその表情を失った。
(あ〜ぁ、これは…やっぱり凜子先輩に達郎取られちゃったか)
(達郎のことだから、母さんがちゃんと回復するまでは言い出さないかな)
(けど、まだ諦めたりしないよ達郎?)
(達郎が凄く苦しんでたのを知っているから)
(達郎が段々強くなっていくのを見てきたから)
(達郎の一番近くでずっと一緒にいたのは私だから)
(我儘だね、私。きっとこれから達郎を沢山困らせるから…)
(だから、今日だけは許してあげるね)
ゆきかぜは努めて明るく振る舞いつつ、会話に再び加わった。
「まぁ、三人の内でこの一年半、高校にちゃんと通っていたのは私だけですから。凜子先輩も、復学後に何か悩みごとがあれば、遠慮なく私に相談してくださいね♪」
「あぁ、よろしく頼む」
「凜子姉、何か困ったら俺も頼ってよね」
「達郎、アンタは駄目よ。まだ、高校通い出して半年程度だし。大体、五車学園で飛び級だなんて……あぁ、もうっ!来年もアンタは学校ではゆきかぜ[セ・ン・パ・イ]と呼ぶのよ、分かったわね!」
「ぅう…何て理不尽な……」
ゆきかぜの物言いに、思わず涙目になる達郎だった。
【3】
他愛のない会話がしばらく続き、そろそろ遠くに駅が見えてこようかという時に、凜子が神妙な面持ちで達郎に話しかけてきた。
「達郎、家に帰る前に…
達郎は凜子の突然の願いに驚くも、すぐさま喜び返事を返した。
「全然大丈夫だと思うよ、凜子姉。じゃ、ちょっと紫先生に電話するから」
「凜子先輩、私も一緒に行っていい?
「もちろん構わないさ。それに、ゆきかぜがいてくれた方が私も心強い。達郎だけでは少々心許ないのでな」
「凜子姉ぇ…」
「ふふ…冗談だ。許せ達郎」
「達郎は先に帰ってもいいよ別に」
「ゆきかぜまで、そんなこ…」
突然背後から聞こえてきたその声に、達郎は言葉を失った。
『ほう…よりにもよって自らの姉を…しかも、こぶ付きの使い古しを選ぶとは。ほとほと人間とはつまらぬ生き物よな』
「……っな!?」
瞬時に激昂し後方を振り返る達郎。
(誰も…いない?)
(でも、あれは…確かに黒井の声だった)
任務中さながらの真剣な顔付きで、射殺すような視線を誰もいない歩道に向ける達郎。
「達郎どうしたのよ、突然」
達郎が横を向くと、そこには怪訝な表情をし返事を待つゆきかぜと、達郎の緊張が伝わったのか、不安な表情を浮かべる凜子がいた。
(二人には聞こえていない。幻聴…だったのか?)
本当に黒井の声だったのか、或いは達郎の心の隙が生んだ幻聴だったのか…達郎には最後まで判断がつかなかった。
「ごめん、誰かいたような気がしたんだけど…気のせいだったみたいだ。二人は先に駅前でタクシーを捕まえておいてよ。俺も紫先生に電話したら、すぐに追いつくから」
「まったく驚かさないでよね。達郎も疲れてるんじゃないの?帰ったら少し休んだ方がいいんじゃない?」
「…確かに。自分では分からなかったけど、案外疲れているのかもしれない。ありがとう、ゆきかぜ」
ゆきかぜがもたらす何気ない会話と穏やかな空気感が、今の達郎にとっては救いのように感じられた。
【4】
二人の背中を見送った後、達郎は目を閉じて頭を少し下げると、誰にも聞き取れない程の小さな声で呟いた。
その呟きは、先程の幻聴(黒井)への返答であり、凜子と妖への誓いであり…そして、己の迷いを断ち切る覚悟とも受けとれた。
再び頭を上げ前方を見つめる達郎の瞳に、もはや迷いの色は見られない。落ち着きを取り戻した達郎は、紫先生との電話を手短かに済ませ、再び駅に向かい歩き出した。
(凜子姉のこと、ちゃんと名前で呼べるようにならないと駄目だよな。凜子姉も少し気にしているようだし。それに、ゆきかぜのことも…)
二人に合流するべくその歩みを速める達郎。やがて、駅間近の上り坂に近づくと、そこには道路脇のガードレールに寄りかかる凜子の姿があった。
「遅いぞ達郎。先日の見舞いの時といい、私を待たせるのはお前の悪い癖だ」
「凜子姉なんで…もしかして足が痛むとか?」
「いや…さっきの達郎の様子が少し気になってな。私の足を心配するゆきかぜに無理を言って、此処で待たさせてもらったんだ」
凜子の優しさに感じ入った達郎は、無言で凜子に近づくとその身体を強く抱きしめた。達郎の背後にそっと左腕を回し、背中を優しく撫でる凜子。
「何があった達郎。私はお前だけのものだから…頼って、かまってもらわねば、その責務を果たせないのだぞ?」
「心配してくれてありがとう、凜子姉。今夜にでもちゃんと話すよ。今はゆきかぜを待たせてるから、早く合流しないと…」
達郎は腕を解き凜子から離れようとしたが、今度は凜子が達郎の腕を掴みそれを許さなかった。
「分かった。達郎がそう言うなら、夜まで待つことにしよう。だが、先に褒美くらいはいただかなくては…な」
顔を近づけキスをせがむ凜子を、達郎は慌てて右手で制した。
「ダメ、それも今夜。大体キスなんてしたら…凜子姉、絶対我慢できないでしょ?」
「…っな、何でそんな意地悪をするのだ?達郎は私を愛してないのか?」
「違う、違うって。けれど、凜子姉も少しは我慢しないと。先々週からこっちほぼエッチしてばかりなんだし」
「むぅ…それは心外だぞ達郎。毎回最後までしてたわけでは…」
「あ〜、はいはい分かったから」
達郎は強制的に会話を切り上げると、松葉杖の凜子を気遣いつつ先を急いだのだった。
【5】
片付けなきゃならない問題は山積みで、これからも辛いことが沢山あるに違いないけど…最後は必ず幸せに。
道標は幻のように現れては消えるけど、進むべき方角を見誤ることは二度とないだろう。
そう信じられる今を、俺と凜子姉はようやくその手に掴み取ったのだから。
了
私の稚拙な作品に最後までお付き合いいただいた方々へ、この場を借りて厚くお礼申し上げます。
何分、初めての二次創作でしたので、お見苦しい点ばかりで本当に申し訳ありません。執筆中は自分の語彙力のなさに身悶えてばかりでした。
他方、よもや自分で文章を書くのが、こんなにも楽しいことだったとは思いもしませんでした。そのことに気付けただけでも、私にとっては価値ある挑戦だったと感じています。
なお、ゆきかぜの下りは初期の構想から大きく変わってしまいました。当初は達郎に振られ涙するただの引立て役だったのですが、キャラクターと向き合う内に、ゆきかぜがヒーローで達郎はヒロインのように思えてしまい…結果、ご覧の通りとなりました。
また、その後の
最後にここまでお読みいただいた方々に改めて感謝を。本当にありがとうございました。