凜子の想い
『ほう…よりにもよって自らの姉を…しかも、こぶ付きの使い古しを選ぶとは。ほとほと人間とはつまらぬ生き物よな』
聞き慣れた背後からの声に凜子は戦慄した。一年半に渡り主人として仕えた黒井の声を忘れるはずもない。性欲の命ずるまま快楽に溺れた当時の記憶が瞬時に
(…っあ、ぁああ)
客観的に見れば凜子はあくまで被害者であり、本人にその責がないことは明らかだ。だが、当時の凜子は意思まで奪われていたわけではない。マイクロチップと性的調教により誘導されていたとはいえ、快楽を欲し自らの意思で黒井の軍門に下った記憶があるのだ。
ゆえに、凜子は自責の念に駆られずにはいられない。未だ自刃もせず下劣な生き様を晒す自分を卑下し、否定し続けてしまうのだ。
今の凜子は過度のストレスに耐えきれず、精神的な視野狭窄に陥っていた。
堪らず達郎に救いを求めようと横を向くと…そこには近付くのも憚られる程の殺気を纏い、鬼神の如き形相で後方を睨みつける達郎がいた。
達郎の立ち姿には、以前の可愛らしい弟の面影は微塵も感じられない。四肢は弓を引き絞ったかのような緊迫感を保ち、眼光は鋭く後方を睨みつけている。
凜子をして、一人の男性として信愛に値する頼もしさをも感じさせた。その余りにも凛々しい姿に、凜子は目を奪われずにはいられなかった。
(男子三日会わざれば刮目してみよ、とはよく言ったものだ…)
凜子は達郎に見惚れながら、虚無感に苛まれ凝り固まっていた自分の心が、徐々に解きほぐされていくのを感じていた。
「達郎どうしたのよ、突然」
達郎に問うたのはゆきかぜだ。どうやら、ゆきかぜには黒井の声が聞こえなかったようだ。達郎は私達の方を振り向くとその硬い表情を解いた。
「ごめん、誰かいたような気がしたんだけど…気のせいだったみたいだ。二人は先に駅前でタクシーを捕まえておいてよ。俺も紫先生に電話したら、すぐに追いつくから」
その後一旦達郎と別れ、ゆきかぜと共に一足先に駅へと向かう凜子は、黒井の姿が無かったことに安堵しつつも、先刻とはまた別の不安を抱え込んでしまっていた。
(おそらく、達郎にもあの声が聞こえていたのだろう)
(そもそも、達郎はあの言葉をどう受け止めたのだろう)
(できれば、達郎の気持ちを確かめたい…今すぐにでも)
遂に不安を抑えきれなくなった凜子は、隣りを歩くゆきかぜに
「ゆきかぜ、その…実はさっきの達郎の様子が少しばかり気になってな。だから……」
その様子は、相手の気持ちを確かめずにはいられない、悩める初々しい少女そのものだった。
了
本編 第3話の黒井の声が、もしも幻聴でなかったら…っていう凜子視点の if ストーリーです。元々頭にあった展開だったので、自分の欲求のまま一気に書ききってしまいました。
達郎と凜子にだけ声が聞こえるという展開に、どうにも無理があるように感じたので…本編には数えず別枠で投稿させていだきました (_ _)