ウマが憑依(ぴょい)する三秒前   作:散髪どっこいしょ野郎

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ナリタブライアンルート
ウマが憑依(ぴょい)する三秒前


『走れ、走れ』

 

言葉の意味も分からない子供の頃から、絶えず囁いてくる何かがいた。

 

それは俺に走れと言う。どんな時も、どんな日も、毎日欠かさず四六時中。

 

狂気的なまでの幻聴にあてられ気が狂う────ということは無く、囁かれる度に頭の中では「走りたい」という欲望が膨れ上がっていた。

 

その声は誰かと走る、要は競走することを望んだ。より速く、より強い相手と走ることを望んだ。

 

近所にはウマ娘が住んでいた。当然、(コエ)はその子と競い合いたいと強く思う。

 

しかし不幸な事に俺は男。両親も混じりっけなし、純度百パーセントの一般人。血縁関係を辿ってもウマ娘の血が混じった者などいなかった。

 

ウマ娘に人間が勝てるわけがない。身体能力が関わってくるもので人間が立つ土台は無い。

 

そう分かっていながらも俺はその子と走ることを願わずにはいられなかった。

 

 

俺はその子と友達になった。歳は少し離れていたが気も合ったし、一緒に遊ぶことも多かった。その度、俺の中では『走れ』と何かが囁く。

 

彼女が他のウマ娘と走っている間、俺はただ見ていることしかできなかった。脳内では『走れ』の声。

 

もしかしたら俺はその時点で気が触れていたのかもしれない。愚かなことに、かけっこで勝負を挑んだのだから。

 

『ねえねえ、競走しようよ!』

 

『え……でも、わたし、ウマ娘だよ?それでもいいの?』

 

『ぜんぜん平気!ほら、いっせーのーででいくよ!』

 

『……うん。いっせーの───────』

 

覚えてるのはここまでだった。気がつくと病院のベッドに寝かされ、脚には包帯が巻かれていた。

 

一体何をしたんだと問い詰める両親に物心がついた時から頭の中で走れと声がする、だから走ったという趣旨のことを打ち明けた。今まで声について誰かに相談したことはなかった。

 

一気に顔を青くした両親を見て幼心に『ああこれは誰にも言わない方がいいんだな』と悟った。

 

精神科に通わされたことは割愛。とにかく、俺はそれ以降全力で走ることを固く禁じられた。

 

そのウマ娘とは疎遠になってしまった。色々と謝りたかったがご近所付き合いに()()()()()()()()()()()()()母により俺は引っ越しすることを余儀なくされてしまった。

 

何故走ったくらいでここまでされなければならないのだろう、と子供の頃は思っていたが、俺の脚は普通なら考えられない程の重傷を負っていたらしい。

 

加え自分の子供が自分達の気づかないところで「声」を聞いていたともなれば親としても何か思うところがあったのだろう。

 

 

俺はそんなことよりも「これから先の人生では二度と全力で走れないんだ」と子供心ながらに悲観し泣いた。頭の中では常に走れと囁く誰かがいる。その都度走りたいという欲求は高まる。

 

性欲なんかとは比較にすらならなかった。歳を重ね思春期を過ぎ、社会人になろうとも走ることへのとめどない欲が思考を弄ぶ。慰めようのないそれに昼夜問わず苦しめられ続けた。

 

 

もうターフだろうがダートだろうがなんでもいい。走らせろ。(ワタシ)に走らせろ。(ワタシ)に勝たせろ。

 

 

気が狂うかと思った。どうやったってただの人間がウマ娘と走る事なんてできやしない。大人になるにつれそれは痛い程理解した。分かってはいるのに体は疼きやがる。

 

俺はウマ娘のトレーナーになることを目指した。別になったからと言って走れるわけではない。それは十分分かってる。

 

そこに望むものがなかったとしても、俺はそこに近づかなければいけない気がした。

 

 

レース場に立て。どんな手を使っても(ワタシたち)をターフに、ダートに近づけろ。

 

 

養成学校に入り、無心に勉強を続けた。そうしている間は声に悩まされずに済んだ。

 

そんなだった為に友人などできるわけがなかった。青春、などというものは俺には無縁なものだった。

 

トレーナーになればこの昂りは冷めてくれるかと思っていた。しかし中央トレセンに入ってからも俺は悩まされ続けていた。

 

目の前では楽しそうに自由に走るウマ娘たち。そうすることが当たり前のようにどいつもこいつも笑っている。対する自分は指をくわえて見ていることしか許されない。

 

悔しさで腸が捻じ切れるかと思った。自分がただの人間として生まれたことを何度も呪った。

 

担当ウマ娘のスカウトに成功しても消えない憂鬱。それは俺を────いや、もうとっくに狂っていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

『走れ、走れ』

 

「おいナリタブライアン、今模擬レースは出来るか」

 

『走れ、走れ』

 

「なんだ急に……問題ない。いつでもいける」

 

『走れ、走れ』

 

「そうか、なら────俺と走ってくれるか」

 

『走れ、走れ』

 

「────アンタ何言ってるんだ?」

 

とある昼下がり、俺は()()()()()()()()担当ウマ娘であるナリタブライアンを見ることを止めた。

 

学園内の芝コース。レースにはうってつけの場所だ。

 

昼飯は軽く済ませた。あまりガッツリしたものを摂ってしまうとコンディションにも影響する。ナリタブライアンはいつも通り肉を頬張っていたが。

 

コイツとはなんやかんやあって契約を結ぶことになった。現在はトゥインクルシリーズの真っ只中。既にメイクデビューは済ませてある。

 

今は本格化の最中。選手として最も育ち盛りの時期。もう少し時間を置いてもよかったが────もう待ちきれない。

 

それに”怪物”と呼ばれるコイツ相手なら、いくらでも全力を出せる。何かしら精神に悪影響を与えてしまうかもしれないと根拠の無い不安に苛まれたがコイツの性格上問題は無い筈。

 

 

我慢の限界だ。この十数年、頭がおかしくなるかと何度も思った。もういいだろ。これ以上抑えきれない。

 

走りたくてしょうがないんだ。目の前にお前(ウマ娘)がいると競いたくて勝ちたくて脚が疼き出すんだ。声はうるさいぐらいに急き立てる。

 

こうしてレース場に立つ度にお前らウマ娘を羨んだよ。俺と違ってお前らはいつでも高めあえるんだから。

 

もしかしたら彼女たちによからぬ影響を与えてしまうかもしれない。根拠はないが少し不安に思う。

 

だがこれ以上耐えるのは無理だ。走りたい。俺はお前らと戦いたい。

 

──────もう、いいか。

 

(ワタシ)も、”ここ”に立ちたいんだ。この際人間とかウマ娘とか関係ない。

 

走りたい。たとえこの身が砕けようとも。

 

「で、どうなんだ。俺と走るか、走らないか。早く答えてくれ」

 

「当然、断る。そんな無駄なことに時間を割いてはいられない」

 

「分かった。じゃあ言い方を変える────俺と走れ、ナリタブライアン。俺はお前に勝つ」

 

「……アンタ頭は大丈夫か?なんなら保健室に連れて行ってやろうか?」

 

割と本気で心配されているが生憎こちとらとっくのとんまにイカれてるんだ。お前に心配されるまでもない。

 

「頼む」

 

「……ハァ。これっきりだぞ」

 

ああ。十分だ。

 

 

 

 

 

 

舞台は芝、距離は2000m。相手にとって不足なし。

 

スターティングゲートは使えないのでそこいらにいたウマ娘を捕まえて合図をとらせる。

 

何やら困惑した様子だったが、そんなことはどうでもいい。

 

やっと走れるんだ。(ワタシたち)はこの子と死力を尽くして戦える。

 

「言っておくが、手加減はしないぞ」

 

それは本当にありがたい。全力で()()()くれるとなれば此方としても走り手冥利に尽きる。

 

並んでスタート地点に立つ。その時点で俺の表情は歓喜に満ち溢れていたんだと思う。

 

 

「位置についてー」

 

『──────』

 

「──────あ」

 

 

そして、何かが降りてきた。

 

走馬灯のような光景、感覚が過ぎる。

 

踏みしめた()の感触、視界にチラつくハロン棒、初っ端から先頭に立ち風の中を独り走る心地良さ、その背中を追い抜く喜び、ラストスパートで一気に差し切る快感、最後尾からのどんでん返しによる大歓声、仲間達とのあの日々、あの時間、エトセトラ、エトセトラ……

 

ありとあらゆる記憶が「俺」を塗り潰し、殺していった。自分が誰なのか、今となってはどうでもいい。

 

スタートの合図が聞こえたと同時に足を踏み出す。

 

 

「あ」

 

 

ぶちり、と何処かから音が聞こえた。

 

視界が一段階薄まる。問題ない。

 

 

「あ、は、ぁ」

 

 

そんなことより、■は走っている。シャドーロールの怪物(ナリタブライアン)と戦えている。

 

それがどうにも嬉しくて、息に混じって笑みがこぼれる。痛覚はしっかり機能している。全く面倒なことだ。

 

さらに一歩踏み出す。その度に何かが千切れる。

 

それはいい。何はともあれ、■は最高のスタートを切った。

 

 

────────────────────

 

 

コーナーを曲がる。その感覚を、どこか懐かしく感じた。

 

■は現在ハナを切っている。故に深い思慮は要らず、最も深く、最も美しい曲線をなぞることができる。

 

 

「は、ぁ、っ、は────」

 

 

早くも肺が持たなくなってくるか。忌々しい足枷だ。

 

 

────()()()()()()

 

 

尋常ではない程の痛みが駆け巡るが────何故だろう。今はそれすら心地よい。

 

限界以上の空気を取り込んだ胸の奥から弾けるような音がする。構わない。最後まで役目を果たせるのであればそれでいい。

 

 

懐かしい。

 

一切の無駄を削ぎ落としたコーナリング。気の所為かもしれないが、少しだけ体が軽くなる。

 

その技の名は────

 

ああ、

 

そうだった。

 

─────円弧のマエストロ。

 

懐かしい。■はそれを知っていた。それだけでは無い。この「魂」に刻まれた力は、その限りではない……!

 

 

「ご、ボ」

 

 

何かが口から溢れ出る。どうでもいい。その赤さを確かめる余裕なんて無い。

 

 

向正面に入っただろうか。この調子なら、遠慮は要らないか?

 

風を感じる。直線に入り、加速する。

 

潰れる。小指?それとも筋肉?何が何だか分からない。どこかがぐちゃりと潰れた。

 

そして加速する。役立たずの肺と足を代償にしてさらに先を行く。心地良い。

 

ああでも足の感覚が()()()()()()だ。痛い、痛い、痛い、痛い…………

 

 

走りたいんだ、(オレ)は。

 

(オレ)身体(カラダ)でいいのなら、思う存分使えばいい。

 

ずっとこの瞬間を待っていた。幾度となく焦がれてきた。

 

(オレ)も走りたくて走りたくて、もう耐えられないんだ。この瞬間を楽しめるなら、最後まで全力を出せるのなら、

 

俺は死んだっていい。

 

 

「あ、あ、あ、あ、あ……!」

 

 

視界が、視界が更に一段階ボヤける。

 

おと、が、かぜのおとを、ひろう、ひろって、

 

 

「が、はっ───あは────」

 

 

たのしい。はしっているのが、走れているんだ。

 

 

上半身が更にのめり込む。ただの人間だったら考えられない超前傾姿勢。そう、これだった。これがウマ娘の走り方。

 

ぶちぶちと何かが千切れる。取り返しのつかないであろうそれに笑った。

 

息を入れる。咳き込みそうになるのを越えてさらに吸い込む。代わりに出てきたのは赤い何か。

 

風が痛い。芝が痛い。過ぎ去る景色が痛い。

 

 

────────────────────

 

 

勝ち取った栄光、夢半ば敗れたことへの無念、(ワタシたち)の思い。

 

もっと走りたかった。もっと勝ちたかった。あの人に報いたかった。彼女を追い越したかった。彼女になりたかった。

 

走りたかった。

 

 

それは()()()()に継がれるべきものじゃない。

 

継承されていくものはいつだってこの力だけ。宿る魂は一つ限り。

 

だからこぼれ落ちてしまったその全てを(オレ)の中で一纏めにして。

 

ウマ娘の私、知らない姿()の私、その思いと魂は忘れられようと消えることはない。

 

名ウマ娘と呼ばれた私たち。

 

何者にもなれなかった私たち。

 

だから(ワタシ)に名前は無い。”無名”が願うことはただ一つだけ。

 

みんなと、走りたい。

 

 

────────────────────

 

 

第三コーナーを回る。

 

身体中が笑えそうなぐらいに痛い。

 

死ぬほど痛いのに、なんでこんなに気持ちいいんだろう。

 

だけどこれはまだまだ全力じゃない。最後のスパートに向けて脚は溜めている走り方だ。

 

だけど、もう足が分からない。痛みすら曖昧になっている。

 

その上から、さらに()()()

 

ヒビが入ったような感覚。自分自身が消えていく。

 

苦しみなんて、未来なんて、どうでもいいんだ。今この時間、頂点を制することができないぐらいなら、オレなんてぶっ壊れちまえ。

 

引き出される記憶が■に走り方を教えてくれる。

 

 

第四コーナーを回る最中、背後から強烈な威圧感が届く。

 

 

来た。

 

ナリタブライアンだ。

 

シャドーロールの怪物が■を猛追する。こっちはこれ以上持たない。脚を溜めてる筈がぐらついて今にも「終わり」そうだ。

 

 

最後の直線に入る。

 

身体が、体が追いつかない。

 

鼻から口から生温い何かが流れている。奥が熱い。

 

(ワタシ)(オレ)がついていかない。

 

じゃあどうなる?ここで終わったらどうなる?

 

ナリタブライアンに先を越される。負ける。勝てない。なんで?■が抜かれたから。

 

嫌だ。

 

勝ちたい。

 

だから、

 

これで、

 

全部

 

 

「あ」

 

 

それが最後の枷だった。

 

何かが砕けた。それと引き換えに■は踏み込んだ。

 

 

「──────!?」

 

 

誰かが驚愕する様子が伝わってくる。考えるな。そんなことに思考を割く余裕は無い。

 

右の足で何かが断ち切れた。もう一度踏み出す。

 

砕けた。

 

左は生きている。跳ぶ。

 

砕けた。

 

それでも走っている。

 

あと少し、あと100mもない。

 

先頭を切っている。このまま行けば勝つのは■だ。

 

頭の中で甲高い警報が鳴る。誰かの叫びに似ている。

 

無視して前に。先に走り出す。

 

忘れかけた痛みが最高潮に高まり押し寄せる。叫ぶ喉は死んでいた。

 

『■■■■■■■!■■■■■■■■■!』

 

誰かの声が聞こえる。

 

視界が霞む。もう風さえ聞こえない。

 

あと少し、あと──────

 

 

「あ────」

 

 

視界が取り戻される。認識したのは真下の光景。

 

そして()()()

 

目の前がグルグル回って回って、■は走っていない。

 

 

「あ、え?」

 

 

空を見ていた。

 

俺は、倒れていた。

 

体が動かない。

 

ほんの少しだけクリアになった視界が直ぐに暗くなり始める。

 

 

「おい──大──か、ト────」

 

 

取り戻した聴覚が最後に捉えたのは担当ウマ娘の声。

 

それがやけに、懐かしく思えて。

 

 

何はともあれこれが俺ことただのヒト息子、人生二度目の全力疾走だった。

 

 

 

 

 

───────────────────

 

 

 

 

 

『外から飛んできた■■■■■■■■!』

 

『アタシ……もう……走れないんだ……』

 

『神はいる。そう思った』

 

『トレーナーさん!みんな!私、やったよ!』

 

様々な言葉、様々な記憶が流れ込んでくる。

 

四足歩行の見たこともない動物の映像や、ウマ娘のものであろう思い出の数々。誰かが賭けた思いが、誰かが走った軌跡が俺の目の前に映し出される。

 

逃げ、先行、差し、追い込み、全ての走り方が降りてくる。芝もダートも関係無しに最高のレースを繰り広げようと。

 

それでも俺は人間だ。完全に活かすことなど到底無理な話。

 

湧くバ場。歓声、絶望、怒り、賞賛……

 

走れなかった無念、栄光を掴み取った喜び、ウイニングライブの思い出、駆け抜けた青い日々……

 

────走りたかった。もっと走りたかった。

 

勝てなかった者、時代を覇した者達が遺した思い。本来消えゆく筈のそれが何の因果か巡り会った。

 

俺はそいつらを知らない。

 

有名なウマ娘も多くいたが、全く名前すら残っていない選手も並んでいた。

 

そいつらは一概に走りたいと呟く。俺に囁いてくる。

 

だから俺は走りたいと願っていたんだ。

 

四足歩行の動物。

 

そいつらの受け継がれなかった魂が俺に宿る。

 

本来であれば()()()()()()()()()()()それが何故か四足歩行の動物として俺の中にいる。

 

それは芝の、ダートの記憶を俺に流し込んできた。

 

彼ら彼女らの武器を俺の身体の中で呼び起こさせた。

 

人の身に余るその脚が俺を食い荒らしていたんだ。

 

何故俺なんだ。

 

問いかけようとして、自分がそこにいないことに気がついた。

 

 

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 

 

なるほどこんな感じだったのかと目覚めて直ぐに思った。

 

足どころではなく、体全体に包帯が巻かれている。右腕は固定され、だらしなく宙ぶらりんにされて。

 

あの時と似た光景。大袈裟すぎるくらいに大きなベッド。薬品と、それを打ち消す花の香りが鼻腔をくすぐる。

 

どうやら今は真昼間らしい。窓から覗いた外の様子からそれが確認できる。

 

今となっては両親が何故あそこまで大驚失色とした様子だったのか理解できる。確かにこの光景は異常だ。

 

 

「が……ぁっ!は、ぐ────」

 

 

体を動かそうとして痛みに喘ぐ。夢中で横のボタン(ナースコール)に手を伸ばした。

 

 

────────────────────

 

 

医者の話によるとそれはもう酷い状態らしい。

 

自動車並みの速度で転んだことで鼻の骨は折れ、咄嗟にカバーしようと挟んだ右腕──走っている最中はそんなことをした記憶が無いが──はあらぬ方向にねじ曲がっていた……らしい。

 

人の身でウマ娘の速度を出した弊害で足と肺はズタボロ。筋も腱も断ち切られ、骨は砕けた。

 

一体何をしたらこんなことになるんだ、と聞かれたが俺には走っていただけですとしか答えようがない。すっかり呆れられてしまった。

 

それはともかく、もはや走るどころか歩くことすら叶わないだろう……というのが医者の見立てだった。

 

しかし─────

 

「おい、起きてるか」

 

「……ナリタブライアン」

 

見舞いにでも来てくれたのか、担当ウマ娘であるナリタブライアンが病室に顔を出した。

 

そういえば俺はトレーナーだった。これからのトレーニングメニューのことでも聞きに来たのだろうか。

 

………意識を失った後、俺の顔は血だらけだったらしい。あの場にはほかのウマ娘もいた。まだ歳若い彼女達のことだ。トラウマになっている子もいるのかもしれない。

 

少しばかり罪悪感が胸を衝く……が、思考を切り替えナリタブライアンに向き直る。はたして何を言われるのだろうか。

 

「一体アレは何だ」

 

「アレ……とは」

 

「ふざけているのか?」

 

青筋を浮かべられるが────正直心当たりがありすぎてどれから言えばいいのか分からない。どのことを言っているのだろうか。

 

「ハァ……聞きたいことは山ほどあるが……とりあえずこれだけ確かめさせろ。アンタ、昔ウマ娘と走ったことはないか」

 

「…………あるな。もう顔すら覚えてないが、確かに年下のウマ娘と競走したことがある。その時もこうやって病院送りになった」

 

「────そうか。ならいい。それじゃあな」

 

立ち去ろうとするナリタブライアン。何故?聞きたいことがあったんじゃないのか?

 

「……ああ。そういえばあと一つだけ聞いておきたいことがあった。アンタ、もう走れないのか」

 

「本来ならな。だが────」

 

本来だったら歩くことすら叶わない程に重傷だった俺の体は、驚異的な速度で「奇跡的な」治癒を始めていた。まるで使命を果たすまで倒れるなとでも言っているかのように。これには医者も頭を抱えていた。

 

「分かった。アンタが治るまでトレーニングはこっちで勝手にやっておく。それと」

 

ドアに手をかけて帰ろうとしていたナリタブライアンは俺の元へやってくると──────絆創膏?を俺の鼻に貼っつけた。わざわざ包帯の上から。

 

「……今度はどこにも行くなよ」

 

それだけ言って出てってしまった。

 

「…………?」

 

話が早いのはこちらとしても助かるがどうにも腑に落ちない。しかし今はそれよりも優先して考えなければいけないことがある。

 

退院した後の各方面への説明や、精神に傷を負わせてしまったウマ娘たちへの謝罪。とにかく今は────

 

後でやってくるであろう理事長秘書にどう釈明するかを考えながら窓の外に目をやる。

 

相変わらず身体中がミシミシ痛む。子供の頃とは違いちゃんと記憶も残っている。あの苦痛は忘れ難い。

 

だというのに、

 

『走れ、走れ』

 

頭の中に響く声は、まだ消えなかった。

 

 

 

 

 

───────────────────

 

 

 

 

 

消えない渇きが残っている。

 

子供の頃は、姉の背中を追い続けているだけで幸せだった。それだけで心は満たされていた。

 

しかし、ある日姉は不慮の事故による怪我で入院することになってしまった。幼かった私は途方に暮れた。

 

姉と入れ違いになる形で現れたのが近所の少年だった。ソイツはウマ娘でもなんでもない、ただの人間。

 

だがどうにも面倒見がよかった年上のソイツに私は懐いた。走ること以外で誰かと遊ぶのはソイツが初めてだった。

 

姉がいない間、私は奴と毎日のように過ごしていた。私が他のウマ娘と走っている間もソイツは羨ましそうに見つめていた。近所だったこともあってか共に同じ時間を過ごす機会は多かった。

 

そして、奴は私に勝負を持ちかけた。あろうことか「競走」で、だ。

 

────速かった。

 

姉よりも、私が競った誰よりも速かった。

 

その背中を目指して、走って、走って────届かないまま終わってしまった。

 

姉に続き、奴までもが目を覚まさずに倒れた。

 

……今でもその光景は鮮明に浮かんでくる。

 

結局奴は私に消えない渇きとトラウマを与え、私の前から去ってしまった。奴が引っ越したと聞いた私は姉に泣き縋った。

 

それ以降、どんな相手と走っても私は渇き続けていた。

 

奴の走りは圧倒的だった。それでも奴は人間だ。これから先、何処へ行こうが奴と走ることは二度と叶わない。

 

その事実に私は呻いた。奴を憎みさえした。

 

中央に入ってからも渇きは消えなかった。どんな強者と仕合おうとも、あの輝きを超える者はいない。

 

だから、

 

『分かった。じゃあ言い方を変える────俺と走れ、ナリタブライアン。俺はお前に勝つ』

 

トレーナーの戯言には本気で苛立った。

 

奴とは成り行きで契約を結んだ。あまり深く踏み込んでこない性格だったため私としては都合がよかったからだ。

 

普段それほど会話があるわけでもないというのに、その時だけはやけに真剣だった。

 

『よーいド────え……っ!?』

 

『…………!?』

 

手加減をするつもりは無かった……が、油断はしていた。

 

爆発的な速度で奴はスタートダッシュを切った。それからも終盤に差し掛かるまで私の先を行き、最後の直線に入った際には追いすがった私を突き放してさえみせた。

 

序盤の足取りからペース配分、ラストスパートまで完璧だった。ありとあらゆるウマ娘の走法や特徴が備わっているようだった。

 

そしてその灯は、私の()()呆気なく消えていった。

 

『おいっ!大丈夫か、トレーナー────!』

 

10mを残し、奴は倒れた。

 

ふざけるな。勝手に私の前に現れておいて、また勝手に消えていくのか。

 

あの時と同じだった。私に抜かせまいと突き放しておきながら最後の最後で倒れる。

 

鼻と口から血を吐きながら虚ろな目で宙を眺めるトレーナーを見て私は震えた。

 

幼き頃の光景が蘇る。意識を失い、目を覚まさない奴の顔。

 

またいなくなるのか。ふざけるな。そんなことは許さない。私にこんな渇きを与えておいて、アンタだけいい思いして逃げるなんて、そんなの──────

 

『ブライアン!落ち着け!彼は平気だ!』

 

私は姉貴に縋り、何処かに走り出そうとしながら泣いていたらしい。奴が搬送された後も震えながら何かに怯えるようにして。

 

 

……トレーナーは一命を取り留めた。

 

そして確信した。奴はあの時の少年だ。私のことは忘れているようだが……今度こそ勝たせてもらう。

 

何度もアンタと走ることを夢に見ていた。誰よりも近く、誰よりも強かった私の超えるべき姿。たった一度きりの競走でアンタは深い傷と渇望を私に残した。

 

奴とは二度と走れないと思っていた。今回の怪我で再起不能になるかと思っていた。しかし奴は再び蘇ってくる。この際理由なんてどうでもいい。

 

色んな奴らに事情を聞かれたが、そんなことはどうでもいい。

 

何故人間でありながらあんな走りができるのか、疑問は尽きないがそんなことは心底どうでもいい。

 

 

やっと……見つけた。

 

もう逃げてくれるなよ、兄貴。

 

 




愛が重馬場的な展開は特にありません。

さらに言うと続きを書く予定もありません。
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