⚠死ネタ注意⚠
目を覚ますと隣でアグネスタキオンが眠っていた。
毛布を掛けてから場を後にする。仕事の時間だ。
いつになるのか分からないが、俺は近いうちに死ぬ。その為に身辺整理を始めていた。遺言書は既に書いてある。
遺言書で思い出したが、そういえば俺はアグネスタキオンに対して何も残していなかった。彼女が取ったデータが、彼女にとっての俺の全てだ。
「起きたかと思えば
「ちょうどいい。お前に伝えておかなければいけないことがある」
僥倖なことにアグネスタキオンがやってきた。この際だ、色々教えておかなければ。
「で、何故ここに連れ出されたんだい?」
「お前に料理を覚えてもらう為だ」
許可を取って、学生寮のキッチンを使わせてもらうことにした。料理以外にも日常生活のイロハを彼女に叩き込まなければならない。
「……私は、あくまで面倒だからサプリやミキサーで済ませているだけであって、料理ぐらいやろうと思えばできるが?」
「できるだけでやらないだろ。それに、今更お前が俺の弁当以外受け付けると思うか?」
ミキサー飯は簡単で、尚且つ効率よく栄養を摂取できる。だが、
「…………」
「──なんだよ。本当にできるじゃないか」
色々と拙かったが最低限料理はできていた。普段から薬の調合だのをしているだけのことはある。
「トレーナー君」
「なんだ?」
「君は、本当に死ぬのか?」
「ああ」
「ハーッ、ハーッ、ハーッ……」
大きく息をする。その度に鋭い痛みが体中を駆け巡るが、今となっては慣れたものだ。
「いいぞトレーナー君。後は触診だな」
「ああ、任せた」
全身に起きた症状を確認するためにあちこちを触られる。くすぐったいが充分許容できる範囲だ。
ちなみに触診は上半身をはだけながら行っているため、通りがかった生徒にはギョッとした顔で見られている。
「フム……次は、私だね」
「ああ。任せろ」
続いて共に併走をしていたアグネスタキオンの足を触診する。彼女の疲労具合や足の耐久性にも目を配らなければならない。脆い脚なら尚更だ。
アグネスタキオンの旅路はまだまだ続く。俺がいなくなったとしても。
死に場所を探す獣を見ている気分だった。
淡々と身辺整理を済ませ、引き継ぎの為に他のトレーナー──彼がある程度信用できると踏んだ相手だ──に、私のデータを渡している。
正直私の実験に協力的なトレーナーは彼ぐらいしかいないのが悩み所だが、まあ可能性を追い続ける関係上仕方ないのだろう。
夜になると彼は走る。傷つきながら、血を吐きながら。寿命をさらに縮めると知っておきながら。
物事を教えてもらうことが増えた。掃除も整頓も、面倒だがきちんとやるようにはした。
彼の瞳は依然変わらず狂った色をしている。私が魅せられた輝きを放ちながら、彼は死に向かって走っている。
「モグモグ……次はハンバーグ」
「…………」
トレーナー君がいなくなればこうして弁当を食べさせてもらうこともなくなる。そこも地味に面倒な点だが、彼が生きているうちは存分に召使わせてもらおう。
トレーナー君を担当にしたのは失敗かもしれない。こんなに多くのものを与えておきながら消えるなんて、いささか勝手が過ぎる。
直接言うわけではないが、実験に付き合ってくれていることには感謝している。あれだけ不可思議な薬を飲んでくれるのは、それこそ彼ぐらいだ。日常的に光っているのは中々シュール。
次に就くトレーナーはどのような人物だろうか。いずれにせよ彼を超える逸材は現れないだろう。
「──よし」
終活は無事終わった。高い授業料をかけてまで養成学校に入れさせてもらった両親にはもっと多くの金を残してやりたかったが、寿命が近いのだから仕方が無い。
「じゃ──走るか」
やるべきことはやった。なら、後は何をしても咎められない筈だ。
「アグネスタキオン、走り行くぞ」
「……君も懲りないねぇ」
夜。誰もいないトレーニング場で俺は一人走っていた。
今回アグネスタキオンは見学だ。連日模擬レースに付き合わせては彼女の体が持たない。
「ガハ……ッ、ハァ……ゴフッ……」
水場まで歩いて行き血を吐き出す。毎度の事ながらよくもまあここまで吐けるものだ。
「……君は、少し自分を労った方がいい。実験用のモルモットでも休憩ぐらいはある」
珍しい。彼女の口からそんな言葉が聞けるなんて。
「ところで今日の薬は?」
「これだ」
しっかり薬は用意してあった。効果は不明だが、まあ死にはしない。
『────、────』
そういえば声は今も聞こえていた。あまりにもノイズが酷いので意識の外に外れていたが、いつも四六時中鳴り響いている。
多分この性根と声は死ぬまで治らないだろうな、と思う。走ることが俺の全てなのだから。
「なあアグネスタキオン。明日空いてるか」
「なんだい急に。明日は海外からの資料を──」
「せっかくの休日だしどこか出かけないか」
「────ハァ?」
断られるだろうな、とは思っている。毎日実験に精を出している彼女のことだ。仮にスケジュールに空きがあったとしてもこんな提案には乗らない──と、考えていたが。
「……何時からだい」
「七時に校門前集合。もちろん朝な」
「──ウマ娘の限界。君なら、その先に辿り着けると思っていた」
色々な所を回った。とにかく学生が好みそうな所……アグネスタキオンは普通の学生像とはかなりかけ離れているがそこは考えないことにしておく。
とにかく、色々な所を巡った。
その帰路に着いている最中。彼女はいきなり語り出した。
「だが違ったんだ。君の力はあくまで借り物。極限まで速くとも──それは君自身の、いちウマ娘の力ではない。……興味深いことに変わりはないがね」
確かに、アレは俺の力ではない。正体不明の何かを体に打ち込んで得られただけの、刹那の享楽にしか過ぎない。
「私はこの頃、『感情』の力について研究を進めている」
『感情』。それは時に眼を曇らせ、それは時に背中を押す。
「今日こうして君と過ごして、得られた感情は……よく分からない。それだけだった。君はどうだい?」
彼女は俺に向き直る。俺は、
「……まあ、人並みに楽しかったとは思う」
「それで?他には何か無いのかい?」
他に。そうだな……。
「……お前に、人並みの喜びを経験してほしいと思っていた。だけどそれは思い上がりだった」
彼女には彼女の人生がある。それを俺がどうこうしようだなんて、おこがましいにも程がある。
「俺はもう満足している。今日にも、これまでにも。だからこの感情は──そうだな、よく、分からない」
感謝ともサウタージとも違う。安心に近い満足感が胸中を支配していた。
「……なら、何が君をそこまで突き動かす?何を支えにして傷を負いながら走り続けられる?」
「細かい理由なんて無い。俺は、レースが好きなただのバカだ」
……そうだな。自分で言ったことに後から確信を持つ。俺はバカだ。それも最上級の。
赤く染まった空を眺めながら、深く息をした。
「今回はこの薬だ。飲んでみたまえ」
「どれどれ……」
怪しい色をした数種類の薬品を一気に飲み干す。刺激的な酸味が鼻につくが慣れればいい。
「肉体に変化は」
「……無いな」
「そうか。……これでも、ダメか」
最近……というか以前からアグネスタキオンは俺の体をできるだけ補強しようとしてくれている。だが終わりに向かって突き進む俺の肉体は杪春の桜のように崩れていく。
嗅覚と味覚はとっくにお陀仏だ(先程の酸味は鼻で知覚した)。視覚と聴覚も怪しい。
そんな老人のような体に無理やり『彼ら』をぶちこんで、俺は走っている。
「別に俺の体は気にしなくていいのに」
「この実験は私たちウマ娘の選手生命にも関わることだ。君だけの為ではない。……君は、長生きしたくないのか?」
「そうだな……今までそんなこと考えたこともなかった」
「狂っているねえ」
狂っているもなにも、俺はただ走りたいだけだ。そんなこちらの思考を読み取ったのか、アグネスタキオンは呆れたように嘆息した。
大歓声が辺りを包む。今日はアグネスタキオンのレースの日だ。彼女は見事一着を獲ったのだが……
「……あれ?」
泣いてもいないのに視界が霞む。彼女の姿はぼやけて、捉えられなくなっていた。
「お疲れ」
「早速だが肩を揉んでくれ。ウイニングライブも控えている」
「はいはい」
地下バ道にやってくると彼女はいつも通りの様子で俺に世話を求めた。
だが目聡いことに俺の異常について気取られたようで。
「……君、目が見えてないのか?」
「見えてるけど微かにしか分からない。だから帰りに眼鏡でも買おうかと思っている」
ついでに補聴器も必要だろうか。
俺がそう伝えると、アグネスタキオンは迷ったような表情を見せた……のは、気のせいだろうか。
ウイニングライブは無事終わり、眼鏡を購入してから俺たちは帰ることになった。
「意外と様になってるじゃないか」
「そうか?」
一応これで視力は確保。補聴器は……後日改めて買うことにしよう。
──まだ、行ける。まだ俺は、戦える。
「──とでも考えてるんじゃないか?」
「よく分かったな」
「顔に貼ってある」
ある日、アグネスタキオンの走りをノートに書き込んでいた時のこと。
「あ」
ノートを落とした。普通に拾おうとすると──
「……あれ?」
指先に触れる感覚が乏しい。強く力を込めないと拾うことすらできなかった。
「…………」
触覚が薄れていた。もう人間としての終わりが近づいてきている。
朝。起きる。
眼鏡をかける。
貼り紙を見て自分の情報を確認する。
顔を洗う。
弁当を作りながら朝食を済ませる。
歯を磨く。
シャワーを浴びる。
寮を出る。
「ほらよ」
アグネスタキオンに弁当を渡す。食べさせるのは俺の役目だが、一応。
「今日は何の実験をするんだ」
「無い」
「え?」
「今日の実験は何も無い。精力的なのは感心だが、君もたまには休みたまえ」
珍しい。いつもなにかとつけて実験させてくるというのに。
というか最近モルモット呼ばわりされることが無くなった気がする。俺もお役御免といった所だろうか。
何はともあれせっかく貰った休み。存分に羽を伸ばさせてもらおう。
──だが、失ったものが戻ってくることはなかった。
「アグネスタキオン、今模擬レースはできるか」
「……構わないよ」
「よしきた」
逡巡している様子だったが許可は下りた。弁当は早めに食べさせたしコースを借りる申請も出した。
今は昼休みだ。時間の感覚も曖昧になっているので、近頃は腕時計を頻繁に見ている。
なんとなく、そう、なんとなくだ。
今ここで彼女とレースをしなければ、きっと後悔する。そう思い今回誘った次第だ。
息を吸い込み空を仰ぐ。今日は雲一つ無い快晴。絶好のレース日和だ。
「じゃ、やるか」
「トレーナー君」
「なんだ?」
「……なんでもない」
迷っているような素振りを見せるが次の瞬間には気持ちを切り替え、『走者』としての顔になる。
ありがたい。俺の我が儘に付き合ってくれる奴がいるなんて。
このレースが終わったら礼を言おう。そう思いながら、構えた。
今回の戦法は出会った時と同じ『逃げ』を選んだ。
少しでもペース配分を誤ると一気に瓦解していくハイリスクな走法。
だが俺の中にある力はそのリスクをまとめて踏み倒せる程強く。圧倒的なペースでラップを刻んでいた。
しかし力には当然代償が伴う。
体全体を駆け巡る痛み、痛み、痛み。足の感覚は曖昧で、肺にも穴が空いたような息苦しさが襲い来る。
それでも更に降ろす。何かが割れる音がした。
第一コーナー、第二コーナー、第三コーナー、最終コーナーを回り──超高速のプリンセスは、顔を出した。
「ハアアアアアァァァッッッ!!!」
嘘だろ、このペースに無理やり食いついてきやがった。
どこに出しても恥ずかしくない見事な先行策だ。彼女の牙が襲いかかる──が、俺には更に先が残されている。
「ッッ!?」
自分自身が飽和していくのを感じる。全て曖昧な中で、踏みしめた芝の感触だけがリアルだ。
一気にペースを上げ、彼女を突き放す。
「ウオオォォォオオォォオオオッッッ!!!」
これだ。これが、俺たちの────
外ラチの外側に逸れ、寝転がる。
体が動かない。もう、完全に死に体だ。
足音が聞こえる。呼吸を整えたのか、息は安定しているようだ。
「トレーナー君……君は……」
「アグネスタキオン」
これは、ちょっとした俺のお願いだ。普段実験に付き合っているのだからこれくらいは……いや、流石に気持ち悪いか?
「悪い、膝、貸してくれないか」
「まったく。君の役目は私に奉仕することなんだがね」
文句を垂れつつもアグネスタキオンは膝を貸してくれた。無い力をなんとか湧き起こし、頭を預ける。
「俺、お前の役に立てたか?」
「……まあ、及第点といったところか」
「手厳しいな」
これまでのことを思い返す。思えば、お互いにお互いを振り回していた。割れ鍋に綴じ蓋、というやつなのかもしれない。
「料理はちゃんとやれよ。あと、掃除も忘れるな」
「分かっているよ」
口酸っぱくして言ってきたことだ。俺が最後に叩き込んだ人間らしい生活をしっかり全うしてほしい。
視界が徐々に黒ずんでいく。
「悪いな、もう実験には付き合えない」
「まったくだ。せっかく興味深い研究対象が現れたというのに。この三年強じゃ全然足りないよ」
言い残したことは──ないか?
「─────────。──────」
アグネスタキオンが最後に何を言ったのか、もはや聞く術は無い。俺の意識は、今度こそ深い深い闇の底へ。
──ああ、でも、最後に、これだけは。
────ありがとな……
トレーナー君の息は止まった。誰の目から見ても明らかだ。これ以上ないくらい完璧に、死んでいる。
涙は出ない。ただ悔しかった。君という強敵に一度も勝てなかったことが。
私は『ウマ娘』だった。君に追いつけなかった事実が、何よりも心に食い込んでいる。
君に勝ちたい。それは我々ウマ娘の根源的な欲求だ。こんな昂りを与えておきながら消えるなんて、君はやはり勝手が過ぎる。
……私なりに最高のパフォーマンスを出せたレースだった。それでも君には勝てなかった。これ以上どうしろと言うんだ。
たづなさんを呼ぼう。彼を運ばなければ。
あれこれ考えながらも体は動かず、最終的にスカーレット君がやってくるまで私は動けなかった。
葬儀は淡々と終わった。
彼は知り合いが少ない。私に付き合えるような偏屈者だ。それはそうだろう。
彼の両親は泣いていた。私も涙の一粒くらい流した方がよかったのだろうか。
未だにあの昂りが胸に燻っている。彼に勝ちたいと。もう二度と走り合えない相手を前に。
「初めまして、かな。今日からキミのトレーナーになる者だ。よろしく頼む」
「……アグネスタキオンだ。よろしく」
後続のトレーナーは生真面目な奴だった。私の実験には程々に付き合ってくれているが、彼程じゃない。
なあ、トレーナー君。
私は未だに君の狂気が忘れられない。あの走りが、私を灼いて離れないんだ。
恨むぞ。勝手に死んでしまったことを。
君が嫌いだ。私の地雷を散々に踏みつけてくれやがって。
君のことは、まあ好きだったよ。恋愛的な意味ではなく、パートナーとして。
春風が君を攫っていく。その轍を、確かに残して。