ウマが憑依(ぴょい)する三秒前   作:散髪どっこいしょ野郎

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アドマイヤベガルート(一話完結)
めんたまギラギラ出走でーす


 

 

旅人が空に月を探すように、私は星を見上げる。

 

独りでよかった。独りがよかった。私だけが”それ”を享受するなんて、あってはならないこと。

 

それなのにあの人もみんなも強引に立ち入ってきて。

 

 

「…………朝」

 

 

懐かしい夢を見た。あの人が出てくる、夢を。

 

 


 

 

 

「はっ、はっ────」

 

 

白みがかった空の下を走る。外気は冷たく、火照った体に染み渡っていくようだった。

 

 

「はっ──ふ」

 

 

ペースを落としゆっくりと慣らしていく。

 

辺りには誰もいない。鳥の声と、細やかな静寂がこの場を支配していた。

 

 

「…………」

 

 

まだ、足りない。もっと速く、もっと強くならないと。私の脚はあの子に報いる為だけにあるのだから。

 

 

「っ────!」

 

 

再び走り出す。太陽が昇ってしまうより、先に。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「よ、久しぶり」

 

「……どうして、あなたがここに」

 

 

懐かしい顔と会った。

 

 

「どうしてって。トレーナーになったからだが」

 

「……そう。おめでとう」

 

 

アドマイヤベガ──アヤベとは古い仲だった。

 

社交辞令もそこそこに、昔話に花でも咲かそうと思ったのだが……

 

 

「私、ロードワークがあるから。それじゃ」

 

「……ああ」

 

 

あえなく彼女は立ち去ってしまった。

 

 

『走れ、走れ』

 

 

声が聞こえる。俺が生まれた時から、毎日欠かすことなくその声は囁いてくる。

 

ウマ娘と走れ、と。このことを知っているのは世界で俺と──

 

──アヤベだけだ。

 

 


 

 

「なあアヤベ、俺の担当にならないか」

 

「……いきなり何」

 

 

今日も彼女は独りで走っていた。

 

すっかり日も暮れて照明の明かりだけが確かなトレーニング場。もうすぐ解放時間も終わりを迎えようとしている。

 

 

「スカウトの話なら選抜レースの時にして。まだ走ってすらいないでしょう」

 

「……そうか。じゃあその時に、改めて」

 

 

言い終わるとさっさと後片付けをして彼女は帰っていった。

 

 

「……危ういな」

 

 

照明も切れたトレーニング場。後には俺の呟きだけが残された。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

初めて走った、『ポニーカップ』。ゴール地点で待っていたのはお母さんとあの人だった。

 

昔から無口な方だった私に、あの人はよく構った。

 

私の誓いも、祈りも、彼は全て知っている。だから──

 

 

「はっ、はっ────」

 

 

今日も走る。あの日の影に覆われてしまわないように。あの温もりに囚われてしまわないように。

 

 


 

 

「ねえ」

 

「ん?」

 

「どうして私なの」

 

 

選抜レースの結果は斜行により四着。

 

こんな結果だというのに、彼は真っ先に私の元へ駆け寄ってきて。

 

 

「それはお前が一番知ってる筈だろ」

 

「……同情なら、いらない」

 

 

嫌だった。彼の優しさも、憐憫も。

 

 

「同情?そんなもので契約結ぶ程傾奇者でもないぞ俺は。ただ単にお前の可能性を誰よりも知ってるからだ」

 

 

分かっていた。彼が誰よりも私を理解していることなど。

 

今日もこうやって、はぐらかすことも。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「選ばなければならないなら────あなたに、しておく」

 

「……!本当か」

 

 

昼下がりのトレーナー室。ためらいがちにノックされたドアの向こうには、俺の担当ウマ娘となるアドマイヤベガがいた。

 

 

『走れ、走れ』

 

 

これでようやく俺の望みが叶う。第一に優先すべきはアヤベだが、俺には俺の成すべきことがある。

 

しかし許可は下りるだろうか。それが問題だった。

 

──彼女とのレース。俺の真の目的に。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「はっ、はっ、はっ────」

 

「──よし。今日はここで終わりにしよう」

 

 

あの人がトレーナーについてから私を取り巻く環境は少しだけ変わった。細かく設定されたスケジュールとよく練られたトレーニングメニュー。確実に強くなっているのが分かる。

 

けれど今日のメニューはいつもより軽めに感じる。まだ日も高いし、体力だって残っている。

 

 

「……これで終わりなら、後は自主的に走っていいかしら」

 

「いや、今日はいつもより早めに切り上げてくれ。やりたいことがあるからな」

 

「やりたいことって、何」

 

「まあ後でみんながいなくなってからの時だけど──アヤベ、俺と模擬レースをしてくれないか」

 

「──────それ、は」

 

 

あんなことがあったのに。まだ彼は望んでいた。私とのレースを。

 

 


 

 

私が幼かった頃、隣にはいつも「お兄さん」がいた。

 

近所付き合いが多かったこともあり、お兄さんと関わる時間も日増しに長くなっていった。

 

 

『ねえねえ、競走しようよ!』

 

『……え?わたし、と?』

 

 

ある日お兄さんは競走を持ちかけた。「人間」のあの人が「ウマ娘」の私に。それが致命的な過ちだとも知らず。

 

 

『あー、いててて……』

 

『お、お兄さん……?』

 

 

結果は転倒。顔中血塗れになりながらあの人は笑っていた。

 

──速かった。私をどこまでも置いていってしまうような、刹那的で圧倒的な速度。

 

以降、この件は私たち二人だけの秘密になった。

 

……ベ……

 

彼と再会した時、私は動揺を隠せなかった。

 

……ヤベ……

 

あの時から変わらない駘蕩な立ち振る舞い。私のお兄さんだった頃と何一つ違わない──

 

 

「アヤベ!」

 

「……っ、何」

 

「どうした?やっぱりまだ疲れが残っているのか?」

 

「……そういうのじゃない。少し、ぼうっとしてただけ……」

 

 

意識を戻すと彼は不安げに私を見つめていた。

 

 

「そうか。それで、答えは?」

 

 

模擬レースの件は保留にしていた。もうすぐトレーニング場には誰もいなくなる。彼と走るには……うってつけの時間。

 

 

「……大丈夫なの」

 

「え?」

 

「……走って、大丈夫なの」

 

「ああ。約束はできないけど今回はいける気がする」

 

「…………」

 

 

なに、それ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

舞台は芝、距離は2000m。

 

心臓の鼓動がうるさい。足は今か今かと震えだし、視界はこれ以上ないくらいに澄み渡って──体中が歓喜に満ち溢れていた。

 

やっと、やっとだ。

 

この時を幾度も待ち続けていた。アドマイヤベガとのレース、この為だけにここにいると言ってもいい。

 

並んでスタートラインに立つ。

 

そして俺は、当然のように降ろし──

 

 

「────」

 

 

まず初めに体感したのは「重さ」だった。見えない何か、連れ添う何かが俺の体に染み込んでいく。

 

続いて得たのは「快感」。足を一歩踏み出すごとに強烈な痛みと快楽が押し寄せてくる。

 

スタートダッシュは完璧。レースは滞りなく始まった。

 

 


 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

息をする度許容値を超えた酸素が取り込まれる。ウマ娘並みに身体機能を引き上げられているのだから、当然体が持つ筈がない。

 

構わない。

 

ゴールまで届くならいくら死んだっていい。俺にとって走る事はそれぐらい大きな意味がある。

 

 

「づ────」

 

 

視界が炸裂する。手先の感覚は既に曖昧。──足りない。もっとだ、もっとよこせ。

 

 

「────ひ」

 

 

ダメだ。もうダメだ、これ以上は──うるせぇ知るか。

 

 

「くひっ、ヒヒヒ」

 

 

楽しい。楽しい、楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい!

 

生きててよかった。ああ、生まれてきてよかった。

 

湧き上がる苦痛すらも多幸感に包まれて、

 

 

「────グ」

 

 

まだだ。まだ耐えろ。()()を吐き出すのはゴール後でもいいだろう。

 

来い。

 

 

「ぐ、ああ、ああああ────!」

 

 

叫びながら疾走する。本能が掻き立てられ、理性はもうとっくに焼け爛れている。

 

残り■ハロン。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

速、すぎる。スパートをかけているのに全く追いつけそうにない。

 

あの時と同じ、広がっていく差、届かない背中。

 

あんなに走って、本格化を迎えても尚、力の差は大きく。

 

 

「────ッハァ!ハァッ、ハァッ……ごふっ、ご、げほっ……」

 

 

荒々しく息をつきながら走り終え、吐血するあの人の姿。私は駆け寄ることもできずにただ見ていた。

 

 


 

 

声が聞こえると打ち明けられたのは例の転倒事件から間もない頃だった。

 

昼夜問わず『走れ』と囁く何者かの声。突拍子もない話なのにあの時の私は真剣に聞いていた。実際事態は深刻だった。

 

 

「お兄さん──」

 

「げほっ、ああ、アヤベか。すまん、ちょっと待ってくれ──ごぼっ」

 

 

おびただしい量の血を吐きながらなんでもないような顔で彼は立っていた。

 

何はともあれ、これ以上走るようだったら強硬手段に及んででも止めよう。私はそう決断した。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「アヤベ──」

 

「レースなら、やらないから」

 

「……………そうか」

 

 

あれから。アヤベは一緒に走ってくれなくなった。まあ妥当な判断だろう。

 

楽しかった。それは間違いの無い事実だ。あの時間を過ごせただけでもこの学園に来た甲斐はあった。

 

 

『走れ、走──』

 

 

けれども「声」の方は満足いってないようで。闘争心を煽り立てる声は止まなかった。

 

 

「声、まだ聞こえてるの」

 

「ああ」

 

「……そう」

 

 

逡巡したように目を伏せるアヤベ。彼女なりに気遣ってくれているのだろうか。

 

もうすぐクラシック戦線、皐月賞だ。その為にも後顧の憂いは絶っておきたい。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 

一体何をしているの?私。直前になって体調を崩して、あんな無様な走りをするなんて。

 

 

「ごめん、ごめんね」

 

 

勝たなければいけない。次は日本ダービー。次こそはなにがなんでも。……どんな手を使ってでも。

 

 


 

 

「アヤベ、俺と一緒に走らないか」

 

「……前にも言ったでしょう。やらない」

 

「まあ待てよ。少し話を聞いてくれ」

 

 

彼曰く、自分も走った方が教えやすいとのこと。

 

事実、あのレースでの経験は今のトレーニングにも活かされている。

 

……走った方がいいのだろう。そうすればあの子に償える。報いることができる。

 

だけど、あんなに血を吐いているのに大丈夫なんてことはありえるの?

 

彼が負った怪我は既に治っている。原理は不明だけれどレースで負った傷はすぐに治るらしい。

 

 

「俺のことは気にしなくていい。怪我なら治るし声にも(あがな)えるしな」

 

 

……私は勝つ。勝たなければならない。

 

だから。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

共に走るようになって数週間。アヤベは俺が体得した戦法(スキル)をめきめきと吸収していっている。

 

トレーナーとして喜ばしいことだ。俺としてもアヤベが強くなってくれるのは嬉しい。走り甲斐がある。

 

 

俺はダービートレーナーになった。正直そこまで驚いてはいない。彼女にはその素質が十分にあるからだ。

 

 

トレーナーとしての日々に不満を感じることはない。(周囲に誰もいない時限定とはいえ)ダービーウマ娘と走ることもできている。これ以上何を望むというのだろう。

 

気のせいだったらいいんだが、日に日に治癒の速度は遅くなっているように感じる。まあだからなんだといった話だが。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

止めなければならないと思いながら、結局私は彼に頼ってしまっている。

 

彼は走る度に傷を負い、走る度に血を吐き出す。

 

止められなかった。走る程にあの人は昔のような眩しい笑顔を浮かべていて。

 

……本当に、心の底から楽しそうにあの人は走る。

 

私とは、違う。私にそんな感情はいらない。

 

その熱も賞賛も、全部あの子に捧げる為にあるのだから。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

夏合宿の季節になった。

 

海でのレベルの高いトレーニングは楽しみではあるが、合宿中は共に走ることができないのが少しガッカリ所だ。

 

さて、それはそうとして────

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ちょっと」

 

「ん?どうしたアヤベ」

 

「そろそろトレーニングの時間でしょう。準備はできてるの」

 

 

…………?

 

そうか。そうだった。俺はアヤベのトレーナーだった。

 

 

「悪い悪い、先行っといてくれ」

 

「…………」

 

 

気のせいだろうか。アヤベの俺を見る目に一瞬不安げな影が(よぎ)った気がする。

 

 


 

 

『走れ、────』

 

 

相も変わらず声が聞こえる。以前より不明瞭でありながらも確かにその声は聞こえてくる。

 

今となっては慣れたものだが、合宿中にも囁いてくるのはやめてほしい。走りたくても走れないのはどうにも()()()()()

 

そんなことを考えながら悶々としていると、隣の部屋から甲高い叫び声が聞こえた。

 

 

「ほら、ボウルはもう拾ったから。立てる?慌てないで、ゆっくりよ」

 

「はうぅ……すみませんすみません……!」

 

「ドトウちゃん、大丈夫っ?」

 

 

思わず向かってみるとそこにはアヤベに加えメイショウドトウとハルウララがいた。

 

話を聞いてみたところ夜食を作りに来たようで、そこで失敗(ドジ)をした結果こんな状態になったとのことで。

 

結局アヤベがその場にいた四人分のサンドウィッチを作ってくれた。態々俺の分まで。

 

 

「……それで、食べないの?なら冷蔵庫にしまっておくけど」

 

「いや、今食うよ」

 

 

……美味かった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

新月の夜になると私はあの子と語らいにいく。

 

その、筈が。

 

 

「……っ、どうして、私は────!」

 

 

忘れていた。忘れていた。

 

いつの間にか、忘れて。私が走っている意味さえ忘れて。

 

私の命はあの子に報いる為だけにあったのに。そんなことも忘れて──!

 

 

「ごめんなさい……!」

 

 

ごめんなさい。

 

 

「……ごめん、なさい」

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

夏合宿が終了してからというもの、アヤベの表情にどこか陰りが表れるようになっている。

 

キーとなるのはあの新月の日。彼女が妹と「語らっている」ことは前々から知っていたが、彼女がそれを忘れているのは初めて見た。

 

義理堅い彼女のことだ。それを罪だとでも考えているのだろう。

 

この問題は俺だけの力でどうこうできる話ではない。彼女自身がどう向き合うか、そこに注目しなければならない。

 

導き出した方向によって背中を押すか、引き留めるか。俺にできるのはそれくらいだ。

 

 


 

 

「はぁ……ッ、はあ」

 

「ゼェッ……ゼェ……」

 

 

本当に。走るのはいいものだ。骨が砕けようと脳が煮えたぎろうとこの快感には抗えない。

 

いつものように走り方の指導をし、寮に帰ろうとした時のこと。

 

 

「……ねえ」

 

「ん?なんだ?」

 

「…………あなたの、体は………………。…………なんでもない」

 

 

彼女は何事か言い淀んでいた。一応隠してはいるが俺の体には明らかな異常が出始めている。

 

まさかバレたわけじゃないだろうな。

 

そんなことを考えている間に彼女は場を後にした。

 

 

「……確かに、これはマズいよなぁ」

 

『走──、────』

 

 

誰もいなくなったトレーニング場で独り言ちる。

 

裾を捲り上げるととんでもない色に変色した足が見えた。実際問題、歩く度に激しく痛んでいる。

 

被害はそれだけに収まらない。

 

近頃は意識が覚束ない時がある。また、日常生活を送る上でも体の修復により張り裂けるような痛みが常に押し寄せてくる。

 

痛い、痛い。

 

それでも。走るのは楽しい。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『せめて、私と同じところまで墜ちて来てよ、お姉ちゃん』

 

私は……勝たなければならない。

 

何を犠牲にしてでも。例えそれがあの人に──破滅をもたらすものだとしても。いや、もたらしてる以上。

 

もう後戻りはできない。私は、勝たなければならない。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

菊花賞を勝利してからもアヤベの表情から憂いは消えなかった。

 

それどころかここ最近は自分を追いつめるように走り続けている。体に蓄積された疲労は無視できない所まで来ていた。

 

どうやらナリタトップロードとも一悶着あったようで、彼女を心配する声が寄せられた。

 

俺から見ても”あれ”は異常だ。このままでは、彼女は──

 

 

「……もうやめろ。少しは休め」

 

「……今は自由時間よ。私が何をしても勝手でしょう」

 

「そういうわけには──ってオイ!」

 

 

夜の山道。こちらの静止も意に介さずアヤベは走り去ってしまった。

 

……そっちがその気なら、こっちにも考えがある。

 

 

「────」

 

 

いつものように降ろす。だが今回ばかりは事情が違う。

 

どうか、彼女に追いつけますように。それだけを願って、ただ走る。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『……本当に、楽しかったんだよ、お姉ちゃん』

 

「…………え?」

 

 

気がつくと彼女はそこにいた。

 

私をお姉ちゃんと呼ぶ子。まさか、まさか──そんなことって。

 

 

『楽しかったよ。……ずっと、本当に、楽しかった』

 

 

待って──

 

 

『楽しかったし、嬉しかったんだよ。お姉ちゃんが、お姉ちゃん自身の気持ちで、レースをめいっぱい楽しんでくれたこと』

 

 

待って──

 

 

『だってお姉ちゃんには最初から、罪なんてなかったんだから』

 

 

待って──!まだ、私は、何も……!

 

 

『──『運命』は、私が持ってい──』

 

「おいちょっと待てよ」

 

『え……!?』

 

 

…………!?

 

 

「なにお前らだけで勝手に話進めてんだ。……少しぐらい、俺にも背負わせろ」

 

 

…………お兄さんが、いた。

 

 


 

 

「座れ」

 

『な、なんでトレーナーさんがここに』

 

「座れ」

 

 

荒い語気に従い、私たちはその場に座り込む。

 

 

「あのな、俺はトレーナーなんだぞ?ちょっとは頼れよ。おい聞いてんのかアヤベ」

 

『だ、だからってトレーナーさん──お兄さんが『運命』を持っていくことなんて──』

 

「妹ちゃんも妹ちゃんだ。アヤベにとって、お前は全てなんだから。勝手に消えるなんて俺が許さない」

 

「ま、待って。二人とも、何の話をしているの……?」

 

 

事態が飲み込めない。いきなりこんな──草原のような空間に来て、彼とあの子が話しているなんて。

 

 

「とにかく。『コレ』は俺が持っていく。お前らはずっとお前らでいろ」

 

 

そう言ったのを最後に、お兄さんはいなくなった。

 

 

『…………え、えーっと……だから、お姉ちゃんはお姉ちゃんのレースを楽しんで!それから、めいっぱい幸せになってね!大好きな、──私のお姉ちゃん』

 

 

そして全てが光に包まれて──

 

 


 

 

「……お兄、さん」

 

 

目を覚ますと、病室のベッド脇で眠っている彼が見えた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

俺の左足は動かなくなった。『運命』とやらを代わりに引き受けたんだ。覚悟はしていた。

 

対するアヤベには何の怪我も不調も無く。無事退院できるようだった。

 

 

「……責任、とるから」

 

 

退院後、それだけ言って彼女はいつものように駆けだしていった。

 

 


 

 

「なあ、一緒に走らないか」

 

「…………え?」

 

 

ある日。俺はふと競走を持ちかけてみた。

 

無論松葉杖で走るなんて芸当はできない。ただ、俺の中に確信に近い何かがある。

 

 

「時間を無駄にはさせないから」

 

「……分かった」

 

 


 

 

舞台は芝、距離は2400m。

 

いつものように息を吸い込み、いつものように降ろすと──

 

 

「──おお」

 

 

思わず声が漏れる。なにせ俺の左足は──何の補助も要らずに立っていたからだ。

 

 

「お兄さん、それ──」

 

「ああ、いけるみたいだ」

 

 

そして、一歩踏み出していった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『責任、とるから』

 

『別にいい。それよりお前はお前の幸せの為に生きろ』

 

 

彼までもが、あの子と同じことを言った。

 

『自分』なんていらなかった。消してしまいたかった。それがあの子にできる唯一の贖罪だと思っていたから。

 

これからもきっと変わらない。私はあの子の為に走り続ける。

 

でも、あの子が最後に言った言葉には、ちゃんと応えてあげたい。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「あれから、色々考えてみたの」

 

「……」

 

 

あれから分かったことは、俺の左足は走る時に限りその機能を取り戻すということと、それ以外の時はまったく動こうとしないということ。

 

なんにせよ走れるのであれば結構。これからも俺は走り続けるだろうと、そう思っていたのだが──

 

 

「『幸せになる』のがどういうことか。ずっと考えてみたのだけど答えは出なくて──」

 

「…………」

 

 

それは彼女がこれから向き合っていく問題だ。一朝一夕で答えを出せるものではない。

 

 

「……あなたは、どうしてそこまで私に構うの?」

 

「お前のことが好きだからだ」

 

「────え?」

 

 

ずっとそうだった。俺はアヤベが好きだからこうして支えようと思っていたし、アヤベが好きだからどんな苦痛にも耐えられた。まあ、走ることはそれ以上に気持ちよかったからどの道耐えられたと思うが。

 

 

「何を、言って──」

 

「お前が好きだ。お前の為ならなんだってしてやりたいと思ってる。これじゃ理由にならないか?」

 

「──────」

 

 

アヤベは面食らったように突っ立っている。唐突すぎただろうか?しかしこれが本音だ。

 

 

「──だったら、走るのをやめて」

 

 

──なんだって?

 

 


 

 

どうやら彼女は俺の体に起こっている異常について知っていたようで。走るのをやめるように言われた。

 

しかしこれだけは譲れない。俺にとって走ることは生き甲斐にも等しい。たとえ彼女が走ってくれなくとも一人で走るつもりだ。

 

そう伝えると、困ったように目を泳がせながら彼女は口を開いた。

 

 

「なら、私が勝ったら言うことを聞いて」

 

 

レースの問題はレースで解決するということか。

 

負けるつもりはない。俺はこれからも全身全霊をかけて走ってみせる。

 

 


 

 

『トレーナーさん、トレーナーさん……』

 

 

恐らく幻聴が聞こえている。辺りには誰もいないのにその声はしきりに呼びかけてくる。

 

 

『────、────』

 

 

例の「声」はノイズに包まれてまともに聞き取れない。走りきれば走りきる程この現象は活発化していた。

 

 

記憶が消えている。アヤベや両親の姿以外、俺に関する記憶がまとめて抜け落ちている。

 

 

──それでもいいかと思ってしまう自分がいる。

 

走る事は俺の全てだ。何を失おうとあの喜びを知ってしまったからにはもう戻れない。

 

 

「お兄さん」

 

「んお、アヤベか。どうした」

 

 

トレーナー室で呆けていると声をかけられた。

 

意識が朧気だ。彼女の声すらもどこか遠くに聞こえる。

 

 

「次のレースについてだけど」

 

「……ああはいはい、ちょっと待っててくれ」

 

 

視線を感じる。その中に物憂げな感情が入っていることについては、見ない振りをした。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「はあっ、はあっ……!」

 

「……ヒュー、ヒュー……」

 

 

今日も追いつけない。

 

彼を人に戻す為のレース。私は未だに勝てていない。

 

早く、早く勝たないと。取り返しのつかないことになってしまう。

 

そんな不安に駆られ脚が鈍る。

 

このままだと、彼は──

 

 

「ヒュー……お疲れ。先上がっといてくれ」

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 

嫌だ。この人を失わせたくない。そう思えば思うほど縮まらない差が鬱陶しく感じて。

 

 

「……まだ、勝てないの」

 

 

独り言ちる。

 

シニア級に入って着実に成果を重ねているのに、尚、実力の差は大きい。

 

それでも。もう逃げない。この感情から目を背けたりはしない。

 

 

「……次こそ」

 

 

次こそ、必ず勝つ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

こんなに幸せになっていいのだろうか。

 

俺は幸せだった。死力を尽くして競い合ってくれる子がいて、その子のサポートまでさせてもらえるなんて。

 

 

「今日こそ、あなたに勝ってみせる」

 

「……ッ!」

 

 

闘志のこもった視線を投げかけられ思わず口元が綻ぶ。

 

アヤベには感謝している。俺の相手となってくれたこと、俺の担当ウマ娘になってくれたこと、その他諸々含めた全てがありがたく感じる。

 

並んでスタートラインに立つ。

 

降ろす。

 

 

「────ぁ」

 

 

また、自分が殺される音が聞こえた。

 

どうでもいい。レースが始まったのだから。

 

 


 

 

第一コーナーを曲がり、息を入れる。

 

夜のトレーニング場には俺たちを除いて誰一人いない。走る度に、踏み出す度に、脳が痺れるような陶酔感が回っていく。

 

追いすがるアヤベを突き放しさらに加速する。筈が。

 

 

「────ッ、だああああぁぁッッ!!」

 

 

アヤベは食らいついてきた。

 

──面白い。

 

なら、もっと降ろしてもいけるか。

 

 

「────あ」

 

 

自分自身が細断されていく。湧き上がる熱と、歓喜の中に体中が燃えるように熱くなっていく。

 

突き放す。

 

楽しい。やはりレースは楽しい。

 

アヤベもきっとそうだろう、と、思っていた。

 

感覚はこれ以上ないくらいに研ぎ澄まされている。故に、彼女の息づかいもハッキリと聞こえていて。

 

──────────。

 

…………………………。

 

……なんだよ。お前、泣いてるのか?

 

 

「はぁ────は」

 

 

……分かった。分かったよ。俺の負けだ。

 

 


 

 

ペースを一気に落とし、歩いて体を慣らす。ゴールまであと200mもなかった。

 

当然、アヤベは俺を抜き去っていく。

 

ここから逆転する手立ては無い。完全に、俺の負けだ。

 

 

「はぁ、はぁ、っ、なん、で」

 

 

息も絶え絶えにアヤベは俺に詰問する。俺自身もよく分かっていなかった。正直に言えばもっと走りたかった。たとえ己が身が朽ち果てようとも。

 

……だけど、

 

 

「お前が泣いていたから、だろうな」

 

 

ポニーカップの時とは違う、必死で、今にも泣き出しそうな息づかい。それを聞いてしまったからにはもう進めそうになかった。

 

 

「やめるよ。走るの」

 

「…………!」

 

 

こうして、俺はただの人間に戻されたのだった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『ワァァアアアア!!!』

 

 

歓声が辺りを覆い尽くす。

 

オペラオーを降し、トップロードさんを降し、私はここに立っている。

 

あれからあの人は走らなくなった。以前のようなトレーニングはできなくなったけれど、私はそれでいいと思っている。

 

 

「お疲れ」

 

「……ん」

 

 

松葉杖を突きながら彼はやってきた。

 

 

「レース、楽しめたか?」

 

 

相変わらず、お節介。だけどこの熱は──ライバルたちと競い合うこの熱は誤魔化せそうになかった。

 

 

「…………うん」

 

「そうか。……よかった。じゃ、ウイニングライブ頑張れよ」

 

 

今でもあの子を近くに感じる。手を伸ばせば触れてしまいそうな程近くに。

 

……きっと、見ていてくれる。

 

 

「……お姉ちゃん、頑張るからね」

 

 

そう、呟いてみた。

 

 


 

 

始まりの三年間。私たちのトゥインクル・シリーズは終わりを迎えた。

 

これからもやることは変わらない。走って、勝つ。ただそれだけ。

 

 

「ねえ、あなた」

 

 

レース場からの帰り道。私はお兄さんに少しだけ聞いてみることにした。

 

 

「もしあの時私が止めていなかったら……あなたは、幸せだった?」

 

「……唐突だな」

 

 

今でも時折思うこと。私が止めてしまったせいでこの人が苦しんでいるのなら、償わなければいけないと。

 

 

「別に現状に不満があるってわけじゃないけどな……まあ、確かに幸福だったとは思う」

 

「……そう」

 

 

予想は的中していた。この人は今も、走る事を望んでいる。

 

 

「でも、今の状態も中々悪くないと思ってる。……なにより、お前が元気でいてくれてるからな」

 

 

返事はしないことにした。この人なら、きっとそれでいい。

 

困ったように微笑む彼。いっとう輝くあの星に、よく似ていた。

 

 

 

 

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