オリウマ娘が主人公です
私が跳躍(ぴょい)する三秒前
とうとう、とうとうやってきたトレセン学園!
これから夢のレース生活が始まる……筈だった。
『…………』
「あの……」
物心ついた時からそうだった。私には──一人の男の人が取り憑いている。
その人は基本喋らない。試しに今日も話しかけてみたけど返事は無い。
一度だけ話してくれたことはあるけど私にはよく分からない内容だった。前世がどうとかナリタブライアンさんがどうとか。
三冠ウマ娘、ナリタブライアンさんのことはレースを観ている人なら誰もが知っている。私だってファンの一人だ。
信じられないけどこの人はナリタブライアンさんのトレーナーだったらしい。私が知っているのはそれだけだ。
「次、ナナシノネームレス!」
「はいっ!」
教官の指示に従い走り込む。
ナナシノネームレスというのは私の名前だ。脚質は先行、適正は中長距離。
「はあ、はあっ……!」
息が切れ始める。本格化はまだ迎えていない。だからトゥインクル・シリーズにも出走してないし、トレーナーもいない。
『フォームが乱れてるぞ』
「はい!……って、ええっ!?」
いつもなら黙って取り憑いている筈の男の人から声をかけられた。突然のことに動揺するけど走る脚は止めない。
「ハァッ……フー…………!」
我ながらいい手応えだ。
それよりも驚いたのは──
「どうして、声をかけてくれたんですか?」
『…………』
トレーナーさん(仮)は喋らない。いつもなら決まってだんまりだったのに、どうして?
「う~んおいし~!おかわ──」
『太るぞ』
「ウェッ!?」
あれから。トレーナーさん(仮)はちょくちょく話しかけてくるようになった。
にしてもデリカシーが無いと思う。年頃の女子に体重の話は御法度なのに。
「あの、どうして私に取り憑いているんですか?」
『……仕事の延長線みたいなものだ』
この際だからと聞いてみたけどいまいち要領を得ない。
まさか一生取り憑く気じゃないだろうな、この人。
選抜レースに出たら幸先よくトレーナーさんが見つかった。これから二人三脚で頑張っていくパートナー。大事にしないと。
「そういえば、あなたもトレーナーさんなんですよね?どうして今までトレーニングとか走り方とか教えてくれなかったんですか?」
『それは俺の役目じゃない。それに俺は、トレーナーとして一流半もいいとこだしな』
仮にも三冠ウマ娘のトレーナーが一流半だなんて、そんなことないと思うけどな……。
最近、なんでもないような日常がレースに於ける重要なキーに感じられる時がある。
なんだろう……なんていうか、その時、ふと閃いた!って感じで。
トレーニングに活かせそうな物事の判断がよくなった気がする。コレは一体……?
『適合してきたのか、浸食しだしたのか、或いは……』
(トレーナーさん……はもういるし、なんて呼ぼう。幽霊……だから幽霊さんでいっか)幽霊さんはぶつぶつ何かを言っている。
とうとうやってきた、トレーニングの成果を出すメイクデビューの日。
「…………」
ハッキリ言って緊張している。トレーナーさんは好きにやっておいで、と言ってくれたけど「好きにやる」って何?
今の私は自分の走りも分からなくなっている。なっているまま、ゲート入りは完了した。
「ふ……っ!」
スタートした。
序盤の足取りは順調。三番手につき、位置取りも上手くいった。
順調……なんだけど、不安感は消えないままだ。
「…………っ!」
マズい。掛かった、掛かった!最後のスパートに向けて脚は温存しておきたいのに!
……っあ、抜かされた!いやだめだめ、ここは冷静にしないと……!
前の逃げにペースを乱される。ああもうっ、いつなもらこんなんじゃないのに!
これが、実戦……ッ!
焦りだけが募って自分の走りが見えなくなる。このままじゃ、私は──
「って、あれ?」
あれ……?なんで、いや、ここどこ?
宇宙空間みたいな空と、果てしなく続く草原。
私……今の今まで走ってたんじゃ……
「最後まで」
「え──────ひ……ッ!?」
幽霊さんがそこにいた。身体中血に濡れて、震える足で立っていた。
「走り切りたいか」
そう言って、赤く染まった右腕を差し出してきた。
「──────」
怖い。その手を取ったらどうなるか予想がつかない。いきなりこんな所に来て、わけの分からない状況で脳も混乱している。
でも、
負けたくない。
私にだって夢がある。こんなところで立ち止まってちゃいつまでだって叶えられない。
「……うん。走りたい。だって私は、日本一、いや、世界一になるウマ娘だから────!」
その手を強く掴んだ。
『よし、まずは抑えろ。ここで先走りしすぎると自滅するだけだ』
「はい……っ!」
前の子のことはこの際気にしない。スタミナをキープしつつ自由にレースをコントロールして──いや、今は
指示は任せる。私はそれに全力で応えるだけだ。
『今だ、行けッ!』
「だあぁあああぁぁぁあああっっ!!」
一気にスパートをかける。前には既に誰もいない。これが、これが私の────
「ナナシノネームレス!見事一着でゴールイン!」
「はぁ、はぁ……!」
……勝った。
「でも、いいのかな?これ、ズルじゃないかな」
『元々二つ分の一つが俺になったんだ。これぐらいがちょうどいいだろう』
相変わらずなに言ってるのか分からないけど、そういうことにしてしまおう。
それから、私のジュニア級は何事もなく進んでいった。
ただ今までと違う点は走る際に幽霊さんから指示を受けるようになったということ。
言われたことに従いただ走るのは……気持ちがいい。頭の中が空っぽになったような気分だ。
『……あんまり、俺にばかり頼りすぎるなよ?』
「分かってますよ」
こんな奇跡がいつまでも続くとは思っていない。だからレース運びの勉強もちゃんとやっている。
無事クラシック級を迎え、私はいつも通りトレーニングに勤しんでいた。
クールダウンを終え寮に帰ろうとした放課後のこと。どこかから私を呼ぶ声が聞こえた。
「ここは……」
呼ばれるまま歩いていくと三女神像の前に辿り着いていた。いったいこれは……。
「────っ!?」
頭上で目映い光が放たれている。そして目の前にいるのは──
幽霊さんと──
──
二人は光に向かって走り出す。
「待って──」
無我夢中で追いかけると──
「…………あ」
私は三女神像の前にいた。何か重要なものを見た気がするけど覚えていない。いや、それよりも。
「……力が湧いてくる……!」
体中に英気が満ち満ちている。今ならもっと理想の走りが出来る。そう確信できるくらいの。
迎えた大一番、日本ダービー。
初のGⅠということでファンの人たちの期待も膨らんでいる。それに応える為にも、精一杯やろうと思う。
「それじゃ、今日もよろしくお願いします、幽霊さん!」
『……幽霊さんって、俺のことか?』
「そうですよ?」
どうやら俺が死んでからかなりの時が経ったようだ。
この世界にナリタブライアンはもういない。であれば、早めに成仏したいところだが。
なんの因果か、ブライアンと俺の力がこの子に受け継がれてしまったらしい。
俺の力は本当に微々たるものだ。だからレースでの補助という形でサポートをしている。
与えられた以上役目は果たすつもりだが、如何せん俺はコミュニケーション能力が無い。したがって出す指示も感覚的なものになる。
だがそれをもってあまりある程の素質がナナシノネームレスにはある。こちらの言うことはしっかり聞いてくれるし噛み砕いて理解してくれる。
故に、今日の勝利も必然だった。
「~~~ッッッ!や……ったあー!!」
目指すは世界最高峰のレース、凱旋門賞。この子なら、或いは……。
調子に乗っていたのだろう。
初の海外遠征で、ニエル賞を一着に抑えて。
凱旋門賞という壁が如何に高いものなのか、私はまだ知らなかった。
『…………』
「……負け、た」
初めての敗北だった。
『どうやったら成仏できるんだろうな』
「どうしたんですか急に」
確かに、いつまでこの人は取り憑いているんだろう。
「何か未練とかないんですか?」
『未練……か。そうだな……』
それ以降、幽霊さんは黙りこくっていた。
今日も今日とてトレーニング。前回敗北した理由は作戦負けでも運絡みでもなく、単にフィジカルが足りなかったからだ、と、私とトレーナーさんと幽霊さんは分析している。
「いただきます」
体づくりの為にいつも以上の量のご飯をかっくらう。それからまた走って走って、ただ走る。
そんな生活がしばらく続いた。
それにしても……。
幽霊さん、成仏したいのかな。いやそりゃ死んじゃってるんだからそう思うのもある意味当然だけど、いきなりあんなこと言うなんて。
私からできることは何かないだろうか。死んでいるのならお墓もあるだろうし、多少は弔いもしてあげられるだろう。
幽霊さんにそう尋ねてみると、
『俺のことは気にしないでいい。それよりも、君のことが最優先だ』
そう返ってきた。
……幽霊さんがいなくなれば、私は一人で走ることになる。
分かっている。覚悟はしている。
それでも、もう少しだけこのままがいいと願うのは、悪いことだろうか。
季節は巡り、シニア級を迎えた。
ナナシノネームレスは更に強くなった。徹底的に追い込みに追い込んだことで仕上がりも万丈。
彼女のトレーナーは俺から見ても一流だ。アレなら十分信用するにあたる。
宝塚記念を一着に終えたことで勢いづいている。このままだ。このまま行けば凱旋門賞制覇も夢じゃない。
そして、二度目の海外遠征に向かった。
「はぁ、はぁ……っ」
「よし、後は流しで終わりにしよう」
『だとよ』
「はい……っ」
海外でのレベルの高いトレーニングを終え、ナナシノネームレスは疲弊している様子だった。
「……ねえ、幽霊さん」
『なんだ?』
「これが終わったら、二人でどこか出かけませんか?」
『……どうした急に』
驚いた。今までそんなことを言われたことはなかったからだ。というか常日頃俺はこの子の傍にいる。だからこの子が旅行する時は大体一緒にいた。
でありながらわざわざ言ってきたということは、何らかの特別な意味が込められているということ。
断る理由は無い。この浮かれた身でできることならできるだけ果たしてやりたい。
「やった……やった、やった……!勝った……!私、勝ったんだ……!」
感情が昂るあまり両目から涙がとめどなく溢れてくる。
それも当然、何しろ私は凱旋門賞ウマ娘になったのだから。
「ありがとう、ございました……!」
感謝を述べる。私を信じてくれたファンの方々、背中を押してくれたトレーナーさん、そして何より一緒に走ってくれた幽霊さんに。
帰国後の取材も終わり、私と幽霊さんはプチ旅行に来ていた。といっても幽霊さんは食べたり飲んだりできないから主に景色を楽しめる所で。
『……なあ、なんで俺を連れてきてくれたんだ?』
「え?いつもついてきてるじゃないですか」
『そういう意味じゃなく』
理由?理由かー……。
「私、まだ一度もあなたに恩返しできてないじゃないですか。だから少しでも楽しんでもらえたらなーって思ったんですけど……迷惑でしたか?」
『そんなことはない。それに、恩ならとっくに返してもらっているぞ。……無事に、走りきってくれただけで俺には十分すぎる』
「……なんかしんみりした空気になっちゃいましたね。次、どこ行きます?」
『そうだな。じゃあ──』
とある休日の日のこと。なんの前触れもなしにその時は訪れた。
『散歩に行こう』
「どうしたんですか急に」
『行こう』
「?……はい」
『俺はもうじき消える』
「────え?」
なんとなく分かっていた。俺が手助けをしてやれるのはこの三年間だけだと。
俺は役目を終えた。後は向こう側に行くだけだ。
その前に、ナナシノネームレスに伝えておかなければならない。
「本当に──本当に、消えちゃうんですか?」
『ああ』
河川敷を歩く。辺りには誰もいない。
「そう、ですか」
暫し静寂が流れた。それを終わらせたのは、彼女だった。
「私、もう大丈夫ですから」
『…………そうか』
「強くなりましたから」
『……強くなったな』
「──ありがとうございました、幽霊さん。いつも助けてくれて」
『礼を言うのはこちらの方だ。よく、勝ってくれた』
「……私一人じゃここまで来られなかった」
「私だけじゃ、勝てなかった!幽霊さんがいてくれたから、私は……!」
『……悪いな、急にこんなこと言って』
違う。あなたが謝ることじゃなくて、私は、
「──まだ、伝えたりない!もっともっと、ありがとうって言いたいのに、なのに……!」
幽霊さんはもうじき消える。私との思い出を残して、呆気なく。
『君はよくやった。ありがとうな、ナナシノネームレス』
「……!…………!」
言葉に詰まる。奥からどんどん感情が溢れ出てきて、際限がつかなかった。
『最後に。これを受け取ってくれ。俺の最後の力だ』
幽霊さんの手に光る何か。それを掴んだ瞬間、目の前が眩しく光って────
「…………あ」
幽霊さんはいなくなった。
「各ウマ娘、揃ってゲートに入りました」
「…………」
あの人が消えても、私の旅路に終わりは無い。
これからは一人で私は戦い続ける。
「────ッ!」
スタートした。
狂いなくラップを刻み、最終コーナーに入ると同時に一気にブチ抜く。
そしてゴールする直前──
「……?」
風がそっと、私の体を軽くしてくれた──ような気がした。
「まさか、アンタじゃなく私が待つ側になるとはな」
「……悪い、待たせた」
「遅かったな」
「ああ。ちょっと野暮用を済ませてきた」
「それで、どうする?姉貴がカレーを作っているが」
「いいな。……ただ、それより先にやりたいことがあるんだが」
「……フッ、アンタならそう言うだろうと思っていた」
「走ろう」
「ああ。走るか、兄貴」