ウマが憑依(ぴょい)する三秒前   作:散髪どっこいしょ野郎

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過去一長いです













スティルインラブルート(一話完結)
うまぴょいとはなんだったのか


「──ああ、良い空だ」

 

 

 本日は真っ青な快晴。こんな日は足が疼く。

 

 まずちょっと、俺の身の上話をしよう。

 

 俺はかなり恵まれた生まれだった。裕福な家庭。両親が健在で、親戚仲も悪くない。ただ一つの悩みを除けば、世間的に見ても″良い″環境だったのだろう。

 

 ただ一つの悩み。それは、

 

 

『走れ、走れ』

 

 

 声が聞こえる。絶え間なく。

 

 幼少期からずっと声は囁いてきた。ただ走れ、ウマ娘と走れ、と。

 

 しかし俺は人間で男。トゥインクル・シリーズに出走することは叶わない。

 

 ──ならば、トレーナーになればいいのでは?幼く短慮な俺はそう考え、ひたすらに勉強を重ねる毎日。

 

 そんな中出会ったのが彼女、スティルインラブ。

 

 スティルインラブと俺はご近所付き合いがそれなりにあり、彼女の走りを目撃する機会がありがたくも舞い込んできた。

 

 圧倒的だった。幼くして天稟(てんぴん)とは何か思い知らされる一時だった。

 

 が、それに伴う形で彼女の異常性が奔出する。

 

 スティルインラブには誰も彼も喰らい尽くそうとする本能と、それをはしたないと自制する理性、二つの人格が存在していた。

 

 レース時になると発現する本能。周囲からは怯えのこもった視線を投げかけられ、彼女は独りになっていった。

 

 ──絶好の機会だ。

 

 俺はスティルインラブに近づいた。生まれついての異常性はお前だけじゃない。それを証明するために走る。

 

 ……至福の時間だった。眼球が割れようと足が裂けようと走る瞬間だけは生きている実感が持てた。

 

 体中血塗れになる俺を彼女の本能は恍惚とした表情で眺めていた。俺も激痛すら上回る歓喜に笑い続けた。

 

 多分、あの時が人生で一番幸せだったと思う。連日彼女と走る、至高の時間。

 

 だがしかし幸せはいつまでも続かない。スティルインラブ──スティルは、トレセン学園に入学してしまう。

 

 俺は焦った。年は二つ程しか離れていない。ストレートでトレーナーになっても、俺が着任する頃には彼女は卒業してしまう。

 

 ありがたいことに俺には才能があった。勉強もそこまで嫌いではなかったし、可能性は無限に秘められている。

 

 だから俺は飛び級に飛び級を重ね、世間一般であれば高校一年生の年齢でトレーナーになった。

 

 スティルと別れる直前、俺は約束を交わした。

 

 

『約束する。どんな手を使ってでも俺はお前のトレーナーになる。そうしたらまた思いっきり走ろう』

 

 

 そして今、目の前の桜吹雪に意識を戻す。

 

 

「スゥ……ふぅぅ……」

 

 

 俺はトレーナーになった。目標はこの学園にいる。まずは彼女を探す。そう決意して正門から一歩、踏み出していった。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 私にはお慕いしている人がいる。この気持ちは今までもこれからも変わらない。

 

 私には待ち人がいる。その人が迎えに来てくれるのを、ずぅっと待っていた。

 

 彼との出会いは幼少期まで遡る。忘れもしない、あの日、私は皆様方に恐怖を抱かれて遠巻きにされていた。

 

 

『…………』

 

 

 遠くに見えるのはかけっこをするウマ娘の方々。私の中の異常性──あの子が荒ぶることで怖がらせてしまい、共に走ってくださる方は誰一人いなかった。でも、それも仕方の無いことだと幼心に理解していた。だからこそ孤独という痛みは痛烈なものだった。

 

 

『皆と走らないのか?』

 

 

 膝を抱えて眺めることしかできなかった私の前に、彼は現れた。それは運命にも似ていて。

 

 ご近所付き合いがあったことで面識はあった。とはいえそこまで仲を深めていたわけでもないというのに、彼は水たまりを飛び越えるような気軽さで私に歩み寄ってくださった。

 

 

『……私が走ると、恐がらせてしまいますから』

 

『じゃ、俺とやるか』

 

『え……?』

 

『走りたいんだろ?なら、地獄の底まで付き合ってやる』

 

 

 どこか夢見心地で立ち上がり、並んでスタートラインにつく。

 

 ……強かった。私が見てきた誰よりも、味わってきた何よりも強靭で、甘くて、美しかった。

 

 けど、彼はウマ娘ではないただの人間。本格化を迎えていないとはいえウマ娘を超える速度で走ったのだから、その反動は強烈なものだった。

 

 鮮紅が彼の目、鼻、口から流れ出る。

 

 

『げほっ、がふっ、……あー、このことは黙っててくれ』

 

 

 ──きれい。

 

 そんな場違いな感想が胸を衝いたのを覚えている。

 

 彼との走りは、ほんト うにタの  シくて。

 

 喰らっても喰らっても喰らい尽くせない、止むことのない悦楽。思い出すだけで……あぁ、足が疼く。

 

 それからは彼と二人きりで走る日々が続いた。私の生涯の中で最も満たされた時間と言っても過言ではない。

 

 しかし私には夢があった。正式に、ターフの中で思う存分喰らいたいと、密かなる欲望が囁く。

 

 繰り返すけれど彼はウマ娘ではない。この密会はいずれ失うものなのだと、理解すればするほどに飢え、渇いた。

 

 彼と離れたくない。それでも私はウマ娘である以上、走りたい。

 

 ワタシではなく私が『欲しい』と口にしたのは、きっとその時が初めて。

 

 

『約束する。どんな手を使ってでも俺はお前のトレーナーになる。そうしたらまた思いっきり走ろう』

 

 

 そのお言葉は救済の一糸、何よりの寄る辺だった。だから私は学園に入学した。彼が来てくれるまで(まじな)いのように約束を胸中で繰り返し、縋り、堪え続ける毎日。

 

 あの子は連日わめき立てる。あの人と走らせて、喰らわせて、と。

 

 約束をした。だから彼は必ず来てくれる。そう信じて、耐え続けた。

 

 そして今、彼は──お兄さんは、目の前にいる。

 

 

「お兄さん……」

 

「よう。約束、果たしに来たぞ」

 

 

 桜吹雪が舞う中で、待ち人来たれり。

 

 

「……お兄さん……!」

 

 

 私は駆け寄った。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

「お兄さん……」

 

「よう。約束、果たしに来たぞ」

 

「……お兄さん……!」

 

「ごっ、スティル、ギブギブ、骨折れる」

 

「──あっ、ご、ごめんなさい」

 

 

 しばらくぶりの再会ということで感極まっていたのか、胸に突撃された。咳き込みながら落ち着かせる。

 

 

「……悪い。長い間待たせたな」

 

「いえ、いいんです。貴方は約束通り来てくれた。それだけで私は嬉しいですから」

 

「先に言っとくぞ。俺はかけだしの、何の経験も無い新米だ。それでも一緒に歩いてくれるか」

 

「はい。貴方を、ずっとお待ちしておりました」

 

 

 契約成立。俺は着任した足でたづなさんに担当ができた云々の書類を提出した。面食らったような表情が少しだけ嗜虐心を煽ったが、表には出さない。……我ながら中々に気持ち悪いな。

 

 

──────────────────────

 

 

「それじゃ──やるか」

 

「はい。二人きりで、どこまでも」

 

 

 俺たちは戦うことでしか語り合えない。

 

 今日のために″力″の調整は済ませてきた。相手はデビュー前のウマ娘。そこまで深く降ろさなくても勝負は成立するだろう。

 

 ……体が熱く、震える。これが武者震いというヤツか。

 

 トレーナーになるために失った数年間は痛かったが、こうして再びスティルと向き合えている。ならもうなんでもよかった。

 

 

『十秒前』

 

 

 携帯の機械音声が始まりの合図を知らせる。これから訪れる歓喜を認識し出したのか、口角がつり上がった。

 

 

『三、二、一……』

 

「……もう、いいのね?我慢しなくても……」

 

「──っ、あ」

 

 

 降ろす。

 

 ──罅が入ったのを感じる。今この瞬間、俺という存在は世界に溶けていく。

 

 それと同時に情報が叩き込まれる。バ場具合、シューズの締め付け、頬に当たる空気さえも。

 

 

『──ゼロ』

 

「ふっ──!」

 

「はぁっ──!」

 

 

 共通した感情──闘争という歓びが周囲に充満するのを最後に、俺たちは静寂を破った。

 

 

──────────────────────

 

 

(……やはり、か)

 

 

 今日まで勉強の合間を縫って筋トレに励んできた。体が少しでも力に適応できるようにと、切なる願いを込めて。

 

 しかし現実はそう甘くない。現に今、デビュー前のウマ娘に合わせた、最も初歩的な状態でも尚体が壊れていくのを感じていた。

 

 ……でも。でも、でも──

 

 

「……キヒッ」

 

 

 走るのは、走るという行為は何よりも──!

 

 

「がふっ、げほ、アハ──」

 

 

 ──楽しい!骨が潰れても、肉が引き裂かれても、脳が茹だっても、レースという行動はこんなにも!

 

 

「がはっ、はっ、はっ、アッハッハッ……!」

 

 

 笑う。息を吸う。骨が砕ける。走る。走る!

 

 最終直線に突入する。追いすがるスティルの気配を感じる。なあ、オマエも、今は『そう』なんだろ?

 

 

「いいわ……最ッ高よぉ……!もっと、もっとアナタの全てを喰らわせてぇッ!!」

 

「……オマエは最高のウマ娘だよ。少なくとも(オレ)にとっては、なあっ!」

 

 

 ああ、ああ!熱い、熱い熱い!もっとだ、もっと──オマエをよこせ!

 

 

「ギャハハハハハァッ!!」

 

「あハハははハァっッ!!」

 

 

──────────────────────

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ぐっ……」

 

 

 血液を吐き出しかけてなんとか堪える。悪かったなスティル。お前もこんな気持ちだったんだな。

 

 

「お兄さん……」

 

「ご、くっ……。ああ、すまない。ちょっと待ってくれ」

 

 

 様子が異常すぎたのか、ギャラリーはそこそこにいた。俺がウマ娘並みの走りをしていたことも集客力を助長していたらしい。

 

 そんな中でこのデメリットが発覚したら、最悪俺は二度と走らせてもらえなくなる。ここは平静を装え。

 

 

──────────────────────

 

 

「スティルちゃんのトレーナーさん、併走お願いできますか?」

 

「俺が?……もちろんいいが」

 

 

 なんだここは、天国か?

 

 結論を先に言うと、あのちびっ子理事長は快活な笑顔で俺が走ることを容認してくれた。反動のことはバレないようにしなければ。

 

 そうして再びスティルと走るようになった。自分で使った力を身を以て教授できることから、彼女はどんどん強くなっていく。それに目を付けられたのか、彼女以外のウマ娘からも併走を願われることが増えた。俺としては役得だが、スティルからすれば面白くないだろう。

 

 レースというのは、元来ウマ娘に大きな負担を強いる。

 

 俺とスティルが走る時は、決まって底の底まで出し切る究極の果たし合いになる。脚は消耗するわ喰らい合うことで闘争本能は荒ぶるわで良いこと尽くめとは言い難い。

 

 つまり、インターバルが必要なのだ。俺とスティルの間には。

 

 で、その空き時間で俺は勝手に走っている。俺としても心苦しいとは思いつつも競走という歓喜を逃したくはなかったから、こうして来る者拒まずの精神を貫いていた。

 

 まあ、言ってしまえば最低のクソ野郎だ。悪かったな、スティル。……面と向かっては言えないが。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

「……おに──トレーナーさん。お食事は召し上がらないのですか?」

 

「シリアルバーを食った。栄養は補給してある」

 

「……そう、ですか」

 

 

 できることなら、一緒にお食事をしたかった。とはいえ私は食べるのが遅い。高望みが過ぎる。それに、仮に味を分かち合うことはできなくともこうしてご一緒できている。それだけでも幸せだと言い切れる。

 

 私は……というより、ワタシと私はこの人に傾倒している。レースではワタシが、日常生活では私がお兄さんとの時間を欲する。

 

 たとえ誰に疎まれようとも、この人だけは私と走ってくれる。その意識が、より酣酔(かんすい)を早める。

 

 

「トレーナーさん」

 

「なんだ」

 

 

 ああっ、こんな時も、あの子が猛り狂う……!いけないのに……!でも……でも、貴方なら受け止めてくれる……!

 

 

「今日モ、アナタを、喰らわセて?」

 

「練習ならいいけど本番はダメだ。前回からあんまり間を置いてないからな」

 

「フフフ……いじわるなのね、アナタ」

 

 

──────────────────────

 

 

 それはトレーニングがお休みだった日のこと。戯れにコースへ足を運ぶと、トレーナーさんと私ではないウマ娘がいた。

 

 

「はぁ……はぁ……どうだ?あんたから見て」

 

「ふー……君は右に逸れる癖がある。まずは真っ直ぐ走ることを意識してみたらどうだ」

 

「分かった!ありがとな!」

 

「……」

 

 

 ……予想はしていた。けれど胸が締め付けられる。

 

 他の方を、見ないで。

 

 だから強くならないと。彼の意識全てを攫えるように、強く。

 

 私の適性でできる最大限。例えば──トリプルティアラ。

 

 強者との戦いを望む。そういった意味でも、ワタシとお兄さんの目的は一致していた。だから、私が強くなれば……貴方は私だけを、見ていてくれますか。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 昔からなんとなく理解していたが、スティルは恐らく俺に並々ならぬ感情を抱いている。まあ、お互い孤独だったから傷の舐め合い的な意味でもシンパシーは大きかったのだろう。

 

 しかし今の彼女には友がいる。そして、ライバルがいる。俺とは違う、青春の輩。

 

 

『走れ、走れ』

 

 

 春は捨てた。渇き続ける冬だけが、今の俺だ。

 

 走りたい。誰でもいい。強く、激しく、俺に風を与えてくれ。

 

 

「……休憩にするか」

 

 

 と、息巻いてはいたがトレーナーという仕事は普通に忙しい。欲望の赴くまま駆けたいとは思えど背中にのしかかった重圧が許してくれなかった。

 

 責務は果たす。トレーナーとして最大級の奉仕はする予定だ。それが終わったら、俺は修羅に戻れる。

 

 ──ノックの音がトレーナー室に響く。

 

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

「スティル?なんか用か?」

 

「お菓子を作ってきました。お兄さんもよかったらどうぞ」

 

「ああ、ありがとう。せっかくだし二人で食うか」

 

「!……よろしいのですか?」

 

「嫌か?」

 

「いえ……ただその……嬉しくて」

 

 

 告解すると、俺はスティルが俺に抱く感情から敢えて目を逸らしていた。俺のような人でなしが応えてやれる問題じゃない。

 

 

──────────────────────

 

 

『おにいさん、今日も私と走ってくれますか?』

 

『ああ。好きなだけ付き合う』

 

 

 ……懐かしい。幼いとはいえウマ娘。才気溢れる注目株との走りは、あまりにも甘美なものだった。

 

 

『アハハッ!いいわ!とぉっても強いのね、アナタはぁっ!』

 

『ハハハ……はっはっはっはぁ……!』

 

 

 走ると表れる本能。いつしか俺と走ることでセーブが利くようになった。ある程度抑制できるようになったのだ。

 

 というわけで学校などで走ることになった前日は決まって俺と『調整』していた。その甲斐あってか、彼女の本能が勝手に猛ることは(ほんの僅かだが)減っていった。

 

 ちなみに俺は友達がそこまでいない。というかトレーナーを目指すこととスティルと走ることだけに振り切っていたため、友情を育む余裕が無かった。

 

 まあなんにせよレースを除けばだが彼女の交友関係は増えている。なら俺のような異常者と関わることは少なくなるだろうな、などと当時の俺は考えていた。

 

 しかし──

 

 

『お前、いいのか。今日友達に誘われたんだろ。それに俺、今は治療中だから走れないんだぞ』

 

 

 その日はレースの代償でできた傷を癒していた。関わる理由は無い筈だ。それなのに彼女は俺と分かち合う孤独を選んだ。

 

 両親に代償を隠し通せたのは奇跡に近い。幼い頃は″力″のコントロールが覚束なかったため、頻繁に血反吐を吐いた。息をする度に体中が痛んだ。

 

 だが、骨折をしようが血管が破裂しようが俺の体は不可思議な力で治っていく。便利なもんだなと当時は考えていた。

 

 

『走れなくても、いいです。私は、おにいさんと一緒にいたいです』

 

『……そうか』

 

 

 ぶっきらぼうな反応しか返せない俺によく構うもんだ。不思議なウマ娘だなと思いながら見上げた茜空に薄くたなびく飛行機雲を、今でも鮮明に思い出せる。

 

 

「……あ」

 

 

 意識が浮上する。随分と懐かしい夢を見た。さて、仕事を再開するか。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

『一着はスティルインラブ!強いとしか言えない走り──』

 

「ハァ……ハァ……私の、勝ち……」

 

 

 メイクデビュー戦。私は一着だった。あの子が現出するのはもう止めようがないけれど、せめてウイニンクライブはしっかり行う。

 

 ……或いは、お兄さんがいれば。飼い慣らすことができるかもしれない。幼かったあの日のように、セーブできたら。

 

 

「よくやった。お疲れスティル」

 

「……お兄さん……」

 

「ん?どうした?」

 

 

 彼の肩に頭を預ける。今だけは少し、甘えたかった。

 

 ……きっと貴方は、私との静寂より、血宴の狂喜を願うでしょう。私が完全にあの子を抑えてしまったら、私は、捨てられ────

 

 ──嫌だ。それだけは嫌だ!

 

 

「ッ……トレーナーさん……」

 

「どうした?どこか痛むのか?」

 

 

 縋るようにしがみつく。やってくる現実から、今だけは目を背けたかった。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

「あ、アルヴさん……」

 

「ん?……ああ、アドマイヤグルーヴか」

 

 

 コース脇で軽くメイクデビュー戦のおさらいをしているとそのウマ娘は現れた。

 

 アドマイヤグルーヴ。孤児院出身の『神童』。孤高を貫き、他者との関係を持たない……というのが、周囲の評価。

 

 俺的には強ければなんでもいい。走ってくれるなら言うこと無しだ。

 

 よし、早速話しかけてみるか。

 

 

「アドマイヤグルーヴ」

 

「……なんですか」

 

「よかったら一緒に走らないか。俺のスキルも教えられるし──」

 

「結構です。私に、戯れで優しくしないでください。甘さは要らないので」

 

「それは無理だ。申し訳ないが」

 

 

 ストイックで強情。結構なことだが、独りでできることには限界がある。まあ、俺が追及できる問題ではないし解決する義理も義務も無い。走れないのは残念だが俺にはスティルがいるしな。

 

 それでもできるだけ干渉はするつもりだ。スティルと同世代なのだから、彼女の成長のためにもライバルとして育ってもらいたい。

 

 

「待たせたなスティル。じゃ、俺のスキルを教えるぞ」

 

「走りたい、ですか?」

 

「え?」

 

「アルヴさんと、走りたいですか?」

 

「……まあ、欲を言えばな」

 

 

 一口に走ると言っても、それぞれ味が異なる。追い抜かれるかもしれない恐怖(こうようかん)、置き去りにされるかもしれない戦慄(かいらく)、ウマ娘ごとに歯応えが違う。

 

 その中でもスティルは、極上だ。コイツが担当で本当によかった。

 

 

「よし。じゃ、授業を始める。この技術を習得すれば、お前は弧線のプロフェッサーにだってなれる」

 

「……はい」

 

 

 本格化を迎えている彼女が、最も強く輝くその日を俺は待ち遠しにしていた。一番美しく熟れた時、その果実を俺が刈り取る。想像しただけで思わず身震いした。

 

 

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「あけましておめでとうございます、トレーナーさん」

 

「ああ、おめでとう」

 

 

 楽しい時間はあっという間に流れ、クラシック戦線がやってくる。とはいえ今日は正月休み。俺はトレーナー室のこたつでぬくぬくしていた。

 

 

「……入っても、よろしいでしょうか」

 

「わざわざ伺い立てなくてもいい。お前がしたいようにしろ。俺はそれでいい」

 

「では、失礼します」

 

 

 遠慮がちにこたつに入るスティル。何か悩んだような仕草を見せたかと思えば、意を決したように口を開いた。

 

 

「まだ、″声″は聞こえていますか」

 

「ああ。四六時中な」

 

『走れ、走れ』

 

 

 痛むようにスティルは目を伏せる。俺に囁く声を知っているのは、この世界で彼女だけだ。

 

 

「……お辛く、ないのですか」

 

「んー……まあ、スティルと出会うまではしんどかったな。誰にも相談できないし、走る相手もいなかったし」

 

「……私は貴方のお力になれていますか」

 

「当然も当然。お前がいてくれたから今日まで頑張ってこられた。俺が今ここにいられるのも、走っていられるのも、全部お前のおかげなんだ」

 

「そう、ですか」

 

 

 はにかむスティル。やっぱりコイツ変わってるよな。俺のようなつまらない男に、そんな感情を向けるなんて。

 

 俺は女心どころか他人の気持ちがさっぱり理解できない。分からないわけではないが、俺と友誼を結ぼうとする奴らの気が知れなかった。

 

 スティルの想いに応えてやれるかは分からない。俺にとっては走ることが全てだからだ。そういった意味でも彼女の本能との相性は良かった。

 

 

「……ダメだ。我慢できない。スティル、ちょっと軽めにランニングしないか」

 

「……!……かしこまりました」

 

 

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 トレーニングの指南をして、たまに走って、それ以外は雑務に追われる。中々にハードな生活だが一年も経てば体が適応してきた。

 

 一つ問題があるとするならば、走りきるごとに俺の中の何かが削り取られていくということ。現在は味覚に影響が出ている。

 

 それでもいい。それでも本望だった。

 

 走れるなら、あの熱の中に紛れられるならば、俺は俺を喪っても構わない。

 

 

「ふぅ……今日はこんなところか」

 

 

 提出する書類とトレーニング考案用資料を捌ききり、息をつく。テーブルの上にはスティルが作ったフロランタンが残っている。

 

 

「ん……甘い」

 

 

 薄れつつある味覚だが一応機能はしている。いずれ失うものだ。楽しめる内に味わっておかなければ。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

『ああ、アドマイヤグルーヴか』

 

 

 アルヴさんを見つめるお兄さんの熱視線。ダメ、取らないで……!

 

 

「──ッ!はぁ……はぁ……」

 

 

 跳ね起きて、周囲の状況を確認する。部屋の中はまだ暗い。私は……夢を見ていた。

 

 よかった。同室のユニヴァースさんを起こしてはいない。そう安堵してから、彼のことに思考が寄っていく。

 

 彼はもう、私だけのお兄さんではない。日頃様々な方々と駆け、教授している。

 

 ……もっと強くならないと。強くなれば貴方の心も、意識も私に注視してくれる。そう信じている。

 

 

──────────────────────

 

 

「緊張してるか?」

 

「少し。……それと、あの子が発現しようとしているようで……震えが止まらなくて……」

 

「まあGⅠレースだしな。そうだ、スティルに一つ言っておきたいことがあった」

 

「?」

 

「お前を見ている。ちゃんと、見ているからな」

 

「……はい」

 

 

 それは私にとって最大級の睦言、殺し文句だった。震えはもう無かった。

 

 

「!アルヴさん……」

 

「……」

 

 

 ここは地下バ場。トレーナーさんと会話していた時からアルヴさんは私たちを見つめていたらしく、含みのある視線を投げかけられていた。

 

 

「あの……」

 

「何?」

 

「……いえ。なんでも、ありません」

 

「……」

 

 

 無言でターフに向かっていくアルヴさんを追いかけながら、本能の衝動が湧き上がるのを感じ取る。

 

 本日は桜花賞。トリプルティアラの、一冠目。

 

 

──────────────────────

 

 

「フフフ……!これがっ、これがGⅠの重み……!なんて甘くて、綺麗なの……!」

 

 

 ──ごちそうさま。美味しかったわよ?皆様方。

 

 

「楽しかったか?」

 

 

 そう言いながら歩み寄るのは愛しのお兄さん。今、彼の意識はワタシだけに向いている。

 

 

「ええ。とぉっても」

 

「……やっぱり羨ましいな。公式で走れるのは」

 

「ああ、そんなお顔しないで?アナタにはワタシがいるでしょう?」

 

「まあそうだな。でもちょっと違う。俺が求めてるのはお前でもあるしもう一人のお前でもある。いつものスティルを含めて、俺にとっては『スティルインラブ』なんだよ」

 

「……」

 

 

 そのお言葉で『私』が戻ってくる。

 

 

「っあ、トレーナーさん、私……」

 

「いい走りだった。鍛錬の成果が出てたぞ」

 

「……はい」

 

 

 『いつものスティルを含めて、俺にとっては『スティルインラブ』』。裡に目映い喜びが萌芽するのを感じ取った。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 うーん、参ったな。味覚が完全に消え失せた。その上今度は嗅覚が衰え始めている。連日走っているのだからこうなるのも当然ではあるが、このまま行けば夭逝してしまい、スティルの最盛期に刈り取る計画がおじゃんになる、という可能性が出てきた。

 

 走りたい。『声』もそう囁く。しかし一旦休止することも視野に入れなければいけないのか?

 

 ……ダメだ。あの快感を味わったからには戻れそうにない。レースという娯楽は、俺の欠けた人間性にハマりすぎている。両親には悪いが、俺の飢えは致命的なレベルにまで深まっているのだ。

 

 

「いっつ……」

 

 

 痛みに耐えるのは慣れた。だが慣れたからといって気分が良くなるわけではない。毎日修復されていく肉体に鞭打ちながら仕事を遂行している。

 

 甘味で誤魔化そうにも舌は機能不全。土塊(つちくれ)を噛んでいるようだ。

 

 そういえば、だが。俺は高校生の年齢だ。世間一般であれば様々な喜びを知る年だろう。

 

 ……探してみるか?俺に合う楽しみを。

 

 

──────────────────────

 

 

「スティル。次の休み空いてるか」

 

「はい。またレースのお誘いですか?」

 

「あー、いや……外出しないか」

 

「………………え?」

 

 

──────────────────────

 

 

「今日はありがとうな」

 

「はい。とても楽しかったです」

 

「そうか。お前がいいならいいんだが」

 

 

 ボウリング、カラオケ、ゲーセン、映画館等々学生らしい遊戯に興じてみたが、レースの快感を上回るものは一つとして無かった。

 

 ……やはり、俺の死に場所はターフの上にしかない。あ、ダートもあるか。どの道レースしか選びようがない。

 

 ただ……最近は妙な感覚が明滅するのを感じる。

 

 俺が死ねば、親は悲しむだろう。こんなナリだが愛されている自覚はある。しかしそれでも止まる気にはならなかった。

 

 だが、スティルはなんか違う。

 

 責任を放棄するのが嫌というセンもあるだろう。しかし俺が死んだ後のスティルを想像すると……なんかこう……言いようのない忌避感が表れる。

 

 俺が死ねば彼女が悲しむ。その事実が、妙に後ろ髪を引く。

 

 

「スティル」

 

「はい、どうかしましたか?」

 

「……お前、綺麗になったな」

 

「え……。……え……!?」

 

 

 スティルと過ごす一日。それが、不明瞭な温もりを放っていた。

 

 

──────────────────────

 

 

「ハァッ、ハァッ、はは、フハハハ……!」

 

「ウフフ……やっぱり、アナタは強いわね」

 

「ククク……お前も良くなってる。このペースで行けばトリプルティアラも夢じゃない」

 

 

 骨が軋む。肉が潰れる。それでも口元は歓喜に歪む。

 

 そろそろオークスの日がやってくる。その最終調整として俺とスティルは走っていた。

 

 

「……ん、どうしたスティル」

 

 

 彼女の本能はいつの間にか抑え込まれ、いつものスティルが戻ってきた。なんだが……急に近づいてきた。

 

 

「……痛みますか」

 

「そりゃあな。昔みたいに血を吐くのはなんとか堪えられてるけど、全開で走ったら多分顔面血だらけになる」

 

「……」

 

 

 なんなんだ?……ああ、コイツ優しいからな。大方自分に付き合わせてしまったことに対する罪悪感でも抱えているのだろう。俺は俺のエゴでそうしてるだけなのに。

 

 

「同情するのは結構だが、俺はお前の重石になるつもりは無い。お前の走りに影響が出るなら他の奴らと走る」

 

「……!そ、れは、……。…………嫌、です」

 

「そうか」

 

 

 ん……、なんか珍しいな。スティルがハッキリ嫌と言うのは。

 

 ……俺も俺で最近おかしい。他の奴らと走る。常日頃している行動だが、走る度にスティルの憂いを帯びた表情が浮かぶことが増えてきている。

 

 走るのは楽しい。何よりの生き甲斐だ。スティルと走れるなら言うことはない。

 

 こんな時こそおさらいするんだ。俺の最終目標は最も強いスティルを喰らうこと。それまで倒れはしない。

 

 

──────────────────────

 

 

「……素晴らしい」

 

 

 オークス。並み居る強豪を叩き伏せ、スティルが頂点に座する。

 

 

「これなら三冠もいけるな」

 

 

 後は怪我。これだけは絶対にさせないようにしなければ。……まずは出迎えだな。

 

 

「お疲れ。ライブ行けるか?」

 

「はい。……ああ、やっと『私』が戻ってきた」

 

「楽しかったんだろ?なら恥じることはない」

 

「……はい」

 

 

 メンタル面がやや不安だが自我のコントロールは一応できている。フラストレーションは俺と走ることで解消しているし、残る懸念点は……

 

 

「よし、そろそろライブだ。気張っていけ」

 

「はい。いってきます」

 

 

 スティルを送り出してから、俺はとあるウマ娘に声をかけた。

 

 

「よう、アドマイヤグルーヴ」

 

「……何の用ですか」

 

「俺たちと走る件、考え直してみないか」

 

「助力は要らないと言いましたよね。私に関わらないでとも言いました」

 

「悪いが俺はしつこいぞ。お前が首を縦に振るまでこの一件は終わらない」

 

「……もうライブなので。退いてください」

 

「分かった。俺はいつでも待ってるからな」

 

 

 今回、アドマイヤグルーヴは七着。努力しても結果が奮わず、内心穏やかでない筈。そこにつけこむ。

 

 

──────────────────────

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「よし、上々。タイムも縮んでる」

 

 

 一応俺はトレーナーだ。スティルを導く責務がある。成人にもなってないガキだがそれなりの成果を出してきた。

 

 だから、スティルが速くなることは″声″の影響を除いても望ましいものだった。

 

 

「じゃあ先に上がっててくれ。俺はまだやることあるから」

 

「はぁ……ふぅ……かしこまりました」

 

 

 時刻は夜。コースの解放時間はもうすぐで終わる。その中でも走っているのは俺たちと──アドマイヤグルーヴぐらいしかいなかった。

 

 彼女を見送ってから俺はアドマイヤグルーヴにコンタクトを取る。スティルは割とやきもちを妬く。だから他のウマ娘に話しかける際は彼女がいない時を狙っていた。

 

 

「よう、アドマイヤグルーヴ。今度俺たちと走らないか」

 

「しつこい……どうして私に構うんですか」

 

 

 お前を見ていると、昔のスティルを思い出す。孤独で、悲愴(ひそう)で、痛ましい。俺はどうもそういうのを放っておけないタチらしい。

 

 ──とは流石に言えないためなあなあで誤魔化す。

 

 

「強くなりたいんだろ?オークスでは七着に落ちて、焦ってる。だからこうして無理をしている」

 

「理由になってない。それに、私が強くなったら不利益を被るのは貴方たちでしょう」

 

「それがそうじゃないんだな。とにかく、一回俺を信じてみろ。損はさせない」

 

「…………」

 

 

──────────────────────

 

 

「というわけだから、しばらくスティルとアドマイヤグルーヴと俺で走ってもらう。ああ、向こうのトレーナーとは話つけているからな」

 

「……よろしくお願いします。アルヴさん」

 

「……言っておくけど、なれ合うつもりは無いから」

 

 

 俺がアドマイヤグルーヴを誘った理由の半分は善意からだが、もう半分は打算的な部分がある。

 

 『神童』の実力。是非ともこの体で味わってみたかった。

 

 結果としてスティルとアドマイヤグルーヴは著しい伸びを見せた。友情トレーニング、とでも呼称しようか。

 

 

──────────────────────

 

 

「……暑いな」

 

「夏、ですね」

 

 

 トリプルティアラ最後の関門、秋華賞に向けて研鑽を積む毎日。その中でも外せない一大イベント、夏合宿が始まろうとしていた。

 

 

「……?おに──トレーナーさん、その眼帯は……?」

 

「ちょっとイメチェンでな」

 

 

 顔を突き合わせる以上否応なしに発覚することだ。何故急に眼帯なぞつけ始めたのか。いずれバレるだろうが、スティルに余計な重荷を背負わせたくなかった。サングラスをかけてもよかったが、そっちの方が″これ″は気取られる。

 

 何はともあれ本格的なトレーニングが始まった。

 

 

──────────────────────

 

 

 玉のような汗が噴き出す。慣れない砂場はダートより深みを持ち、一足一足注意を運ばなければならなかった。

 

 

「ふー……これが、名づけて『ハヤテ一文字』だ。お前なら習得できる」

 

「はい。覚えます」

 

 

 よし、やる気は乗ってる。時間もある。トリプルティアラへの布石は整った。

 

 日が暮れる頃には俺の使ったスキルを無事取得し、更なる飛躍を見せながら今日の修練は終わった。

 

 夜。誰もいない食堂にて。

 

 

「もぐもぐ……筋肉量は増加している……他数値も至って健康……もぐもぐ……」

 

 

 トレーナーとして働く以上一分一秒が惜しい。食事の時間はデータ処理に割いていた。行儀は悪いだろうがこれが仕事なのだからしょうがない。

 

 

「ここにいたのですね」

 

「もぐもぐ……んん、スティル?祭り行かないのか?」

 

 

 今ごろ花火が揚がっているだろう。青春の一幕として欠かせない一ページになる筈が、何故俺の所に?

 

 ……なんて、本当は分かっていた。スティルが俺に向ける感情は大きい。大方俺と行きたかったが仕事ということで誘えず……といったところだろう。

 

 

「お時間は空いていますか」

 

「ちょっと待ってろ……よし、終了。今空いたぞ。今からでも祭り行くか?」

 

「いえ。少し、散歩をしませんか」

 

「いいぞ。じゃパソコン部屋に置いてくる……いてっ」

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 

 ドアの脇に頭をぶつける。そこそこ痛い。レースの苦痛には及ばないとはいえ、痛いものは痛い。

 

 うーん……やはり片目が塞がってると距離感が掴みにくいな。ま、いずれ慣れるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 夜の浜辺は静かだった。波打つ音だけが聞こえる中、私とお兄さんは歩いていく。

 

 

「お兄さん」

 

「なんだ」

 

「アルヴさんと走って、楽しかったですか」

 

「ああ。お前もいたし、最高だったな」

 

 

 醜い心が溢れ出す。どうか私だけを見ていて、他の方は見ないで──。

 

 その全てを飲み込み、笑顔を作る。お兄さんが喜んでくださるのなら私も嬉しい。これは嘘じゃない。

 

 

「お前、どうした?」

 

「え?」

 

「バレバレなんだよ、その作り笑顔」

 

 

 ……この人には敵わない。私は怖ず怖ずと口を開く。

 

 

「……とても、申し上げにくいことなのですが……アルヴさんが羨ましくて」

 

「羨ましい?何が──ああ、そういうことか。悪かったな。だが許してくれ。レースは俺の生き甲斐なんだ」

 

「存じ上げております」

 

 

 大丈夫。この人の中には私がいる。たとえどれほど小さな粒でも。

 

 ……どうして眼帯を付けだしたのだろう。イメチェンと仰っていたけれど、それにしては不自然な点が多い。

 

 ……秋華賞に集中するべき。分かってはいても、この人のことばかり頭に浮かぶ。或いは、その意識が私を早めた?

 

 

──────────────────────

 

 

「「「ワアアアアッ!!」」」

 

「スティルちゃんおめでとー!」

 

「よかったよー!スティルー!」

 

「……」

 

 

 思わず息を吞む。あんな、はしたない本性を曝け出してしまったのに、観客の方々は私を言祝いでくれた。

 

 夢見心地で地下バ場に戻ると、一番待ち望んでいたお兄さんがいた。

 

 

「……トレーナーさん……」

 

「トリプルティアラ達成、おめでとう。素晴らしいレースだったぞ」

 

 

 いつもなら、喜んでそのお言葉を受け止めていた。けれど、私の中に介在していた疑惑が体を突き動かしていた。

 

 

「スティル?どうし──」

 

「失礼します」

 

 

 眼帯を無理やり外させる。その裏には白く濁った右目。まさか──

 

 

「……目が、見えていないのですか」

 

「負担がな。誤魔化しきれそうになかったから片目に負荷を集中させた。……とうとうバレたか」

 

 

 衝撃が脊髄を駆け巡る。思わずその場にへたりこみそうになった。

 

 

「勘違いされそうだから言っておくけど、俺は俺のために走ってるだけだ。お前が気に病む必要はないからな」

 

 

 もう何も頭に入らない。疑問符と絶望が忙しなく脳内を埋め尽くしていった。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 眼帯を外したことで多くのウマ娘やトレーナーに詰められた。どうして失明したんだ、何故隠していたんだ、等々お説教を山ほど食らった。

 

 それでもレースは止められなかった。これが、これだけが俺の生きる意味なのだから。

 

 ……筈。筈なんだ。なのに何故、スティルの悲しむ顔が脳裏をよぎる?

 

 走れたら後は何でもいい。そんな人間未満が、何故この期に及んで躊躇している?

 

 ──惜しい。

 

 惜しい?何が?

 

 ……何度自問しても答えは出ない。スティルの出走する、エリザベス女王杯の日が近づきつつあった。

 

 

──────────────────────

 

 

「というわけで今日お前らに教えるのは、『コンセントレーション』と『ネバーギブアップ』だ。習得難度は高めだがお前らならモノにできるだろ」

 

「……スティルさん。貴方のトレーナーは、お人好しなのね」

 

「それがおに……トレーナーさんですから」

 

「?ディスられてるのか俺?」

 

 

 秋華賞を経てからアドマイヤグルーヴの雰囲気が変わった。張り詰めて、今にも割れそうだった危うさが、今は重厚な存在感に変わっている。

 

 まあレースできるならなんでもいい。それが強者なら言うこと無しだ。

 

 そうして時間は流れていく。

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「……っ、は、ぁ……」

 

「げほっ、げほっ……よし。掴んだようだな、お前ら」

 

 

 俺のスキルは積めば積むだけお得だ。降ろした分やれることは増えていく。その手段を俺は『スキル』と呼んでいた。

 

 ……いいなぁ、お前ら。俺も他の奴らのように、正式な舞台で走れたらいいのに。いや、それは高望みが過ぎるか。こうして走れるだけでも感謝しなければ。

 

 

『走れ、走れ』

 

 

──────────────────────

 

 

『なんということでしょう!一番人気のスティルインラブを退けて一着となったのは──アドマイヤグルーヴ!』

 

「……ほう」

 

 

 初めての予想外だ。確かに俺が授けたスキルの力もあるだろうが……精神的な成長がハナ差という勝利を生み出した、ということか。

 

 ──ああ、刃こぼれが無くなったな。流石神童。さて、スティルを出迎えるか。

 

 

「……スティル?どうした?」

 

「おにい、さん」

 

 

 見るからに憔悴している。敗北したとはいえ二着。十分成果を出しているんだが。

 

 そんなことを考えていると倒れ込むように俺へしなだれかかった。

 

 

「……どうしたんだ」

 

「嫌……嫌ぁ……!捨てないで……!」

 

 

 縋りつく少女を持て余す。こんな時、どんな言葉をかけたらいい?

 

 一回負けたからって捨てるつもりなど毛頭ない。むしろこれをバネに成長できるとも考えられる。

 

 それと、別にな、俺はお前が弱くたって構わなかった。なんなら走れなくてもよかったんだ。

 

 ……?俺は何を考えてるんだ?

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 何故、お兄さんだけが苦しまなくてはならない?

 

 私ばかり満たされて。私ばかり、私ばかり──!

 

 ……彼はきっと、止まらない。破滅が眼前に迫っていたとしても。

 

 だから、私が守る。たとえ狂気に身を堕とすことになったとしても。

 

 

(……来て)

 

『そうよねぇ?アナタも、分かっているのでしょう?』

 

(……そうね)

 

 

 あの方が望んでいるのは、ワタシ。私ではない。

 

 それでも、少しでも貴方からの思いを受け取れるのならば、貴方の望む私になれるのならば──化け物に堕ちても構わない。

 

 

──────────────────────

 

 

 シニア期に入り、金鯱賞当日。私は決意を彼に伝えた。

 

 

「お兄さん」

 

「ん、どうした。もうすぐゲート入りだぞ」

 

「真実を申し上げますと、秋華賞であの子は消えてしまいました。貴方から受け取った技術があったにも関わらず、エリザベス女王杯を制することができなかった。しかしこうも思ったのです。『これで引退できる』と」

 

「……」

 

 

 本当はこのレースで引退するつもりだった。あの子のいない私は、ワタシではないから。

 

 

「ですが私はあの子を再び顕現させました。走って、貴方の期待に応えたいと思ったから」

 

 

 もう迷いは無い。私だけを見ていてとは言わない。

 

 

「お望みください、私の勝利を。貴方のためなら、全てを超えてみせます」

 

「……分かった。じゃあ、お前の『お兄さん』として要求する。勝ってこい」

 

「──はい」

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 俺にはトレーナーになってから辛いと思わない時間は無かった。常に修復される体の痛みで、精神が日に日に削られていった。慣れても苦痛には変わらない。

 

 ──それが、最近はおかしい。

 

 

「スティル」

 

「はい、ここにおります」

 

 

 片目を失明してからスティルは過保護なまでに俺に関わるようになった。過干渉って奴か。

 

 金鯱賞まではどうとも感じなかった。いくら献身を受けようと辛いものは辛い。それが今は、

 

 

「……お前の傍は、苦痛が和らぐな」

 

「……ふふ……そうですか。よかった」

 

 

 スティルの傍にいると体調が楽になる。あれだけ痛みで重かった体が羽のように軽い。

 

 変調はこれだけに留まらなかった。

 

 

──────────────────────

 

 

「ん……朝か」

 

 

 最近は時間の流れが妙に早い。記憶を呼び起こしてみてもスティルのことぐらいしか思い出せなかった。まあ専属トレーナーだしそれはそうか。

 

 目覚めて最初に思ったこと、それは、右目が機能しているという異変だった。

 

 

「……え?」

 

 

 白く濁り、機能を停止した右目がまた見えるようになっている。これは如何なるカラクリか。浮ついた意識で鏡に向かうと──右目が赤く光っていた。

 

 

「狂気の血……」

 

 

 ふと脳内に浮かんだ言葉。

 

 交わった血が、俺を再びこの世に縛りつけた……ということか。

 

 

──────────────────────

 

 

「ん、ん~……少し休むか」

 

 

 体を伸ばすと至る箇所から骨が鳴った。今、トレーナー室にスティルはいない。しかし俺のために作った菓子が残されている。

 

 

「……いただきます」

 

 

 味はしなくとも貴重な糖分。ありがたく摂取させてもらおう──として、再び違和感を覚えた。

 

 

「……匂いがする……?」

 

 

 お陀仏になっていた嗅覚。それが復活している。まさかと思い菓子を口に運ぶと、

 

 

「……甘い」

 

 

 ……味がある。匂いがある。久しく忘れていた多幸感が色鮮やかに蘇る。

 

 

「トレーナーさん、いらっしゃいますか」

 

 

 あまりの衝撃に固まっていると、彼女が部屋にやってきた。もうすっかり夜だというのに。

 

 

「あ、ああ。空いてる」

 

「では、失礼します……トレーナーさん、どうかしましたか?」

 

「味、が……匂いが、分かって」

 

「……代償、ですか?」

 

 

 俺は包み隠さず体調の異変を伝えた。走っていく内に擦り切れて五感を喪失していったこと、それが最近はスティルに関してだけ蘇ること。

 

 カフェテリアの料理は味も匂いも分からなかったのにスティルの与えたものだけ鮮明に残る。

 

 そう伝えると、しばらく見ていなかった彼女の笑顔が目に焼き付けられた。

 

 

「でしたら、お弁当を作ってきます」

 

「それは流石に申し訳ない。お前普段忙しいのにこれ以上負担を増やしたら──」

 

「作ってきます」

 

 

 ……ああ。俺が異変を伝えた時点で、彼女の中では決まっていたのか。

 

 余計な手間をかけてしまうのは忍びない。しかしそれがスティルの望みなら、俺は何も言えなかった。

 

 

─────────────────────

 

 

 それからは目まぐるしく時が過ぎていった。彼女を喰らい、喰らわれ、喰らい合う。

 

 幸福だった。こんなにも満たされた日々を送れる俺は、きっと世界一幸せなトレーナーだ。

 

 ウマ娘以外の人々が視界に入らなくなった。それでも脳内には『走れ』の声。熱に浮かされながら駆ける毎日。

 

 これが俺の″夢″だ。何者にも縛られず、走りの享楽だけ注がれる。なのに──何故、この胸の中にはスティルが残っている?

 

 俺は狂っている。闘争に魅入られた修羅、それが俺だ。あと少しで俺は完成するというのに、何を迷っている?

 

 赤い満月。彼女の瞳。痛み、快楽(いたみ)愉悦(いたみ)……。

 

 終結は、すぐ傍にあった。

 

 

──────────────────────

 

 

「スティル、走ろう」

 

「はい」

 

 

 トゥインクル・シリーズが終わった。宝塚記念、エリザベス女王杯、ジャパンカップ。全てのレースでスティルは一位に君臨した。

 

 その全ての結晶、三年間の集大成が今だ。最も強くなった彼女が、ここにいる。

 

 

「距離は2000m。コンディションは……大丈夫そうだな」

 

「お兄さんが望むなら、いつでも行けます」

 

「……スティル」

 

「はい」

 

「今日までよく頑張ってくれた。本当に感謝する。……始めるか」

 

 

 さあ、始めよう俺の最愛。俺に、生を感じさせてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 この日を待っていたのは私だけではない。

 

 お兄さんは、私がいないと存在を保てなくなってしまった。終末に向かっていく彼を引き止めるには、この血で縛りつけるしかなかった。

 

 ……貴方に勝ちたい。勝って、その孤独を癒したい。

 

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 

 何年も前からそうだった。いつだって私を置き去りにして、貴方は駆けていく。

 

 

「……ッ、はぁッ──!」

 

 

 もう独りにはさせない。示す。私が、傍にいるのだと。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 ああ……。お前は、本当に強くなったな。

 

 限界ギリギリまで降ろしても、気丈に俺を追いかけてくれる。やっぱりお前は最高のウマ娘だ。

 

 だから──もっと、降ろす。

 

 

「がふっ、あ──」

 

 

 血を吐いた。これがバレたら俺は走らせてもらえなくなる。それでも、彼女に勝てるのなら何だって捨ててやる。

 

 降ろす。

 

 

「き、ヒャ……!」

 

 

 笑いが収まらない。俺にとってはこれが唯一の″生″だから。

 

 ──しかし現実はいつでも残酷で、楽しい時間はすぐに終わる。

 

 

「ッ、え?」

 

 

 破砕音。それと同時に、脚の制御権を失う。

 

 

「──」

 

 

 脳が情報を処理する。

 

 あー、俺、転ぶのか。

 

 現実は避けようがない。受け入れることでしか前に進めない。けどこれはあんまりじゃないか。

 

 次の瞬間にはバキゴキ、ぐしゃり。物言わぬ肉塊の出来上がりだ。

 

 ──仕方ない。俺の選んだ道──なのに、どうしてだろうな。どうしてスティルの顔が思い浮かぶ?

 

 あの時──エリザベス女王杯の時のことを思い出す。

 

 

『嫌……嫌ぁ……!捨てないで……!』

 

 

 あの時は言えなかったけど、別にな、俺はお前が弱くたって構わなかった。なんなら走れなくてもよかったんだ。

 

 自分でも不思議だが、すぐ後ろにいるこの少女は、俺の中で何よりも大きく存在していた。

 

 ついでに言ってしまうと、お前が俺を嫌っても構わなかった。お前を考えられるだけで、想えるだけで、俺はよかったんだ。

 

 ……ああそうか。そういうことか。

 

 俺は、スティルが好きだったのか……。

 

 俺はただ、走れたらなんでもよかった。それが、こんな感情を取得するなんてな。

 

 生きたい。俺は、初めて命を乞うた。資格がどうとか、権利がどうとかじゃない。俺が、生きて、応えたいと思った。

 

 聞こえる。それは、俺の内から。

 

 ──心臓の鼓動。命の音。それが胸を突き破らんと加速している。

 

 そうだ、俺は生きている。まだ、生きているじゃないか。

 

 思考を回せ。ここから何ができる。考えたからには道を閉ざすな。

 

 できるだけ体を捻る。頭部への衝撃は最小限に。

 

 受け身を取る余裕は無い。が、今からでもやれることはある。

 

 電気信号を体中に送る。倒れるなら、せめて被害を減らす。

 

 そうして俺の意識はブラックアウトした。

 

 

──────────────────────

 

 

「……ぁ、お、れ……」

 

 

 目が覚めると病院の一室に寝かされていた。

 

 ……生きている。俺は生きている。その事実に、感涙が流れ出した。

 

 

──────────────────────

 

 

「……長い説教だった……」

 

「……お疲れ様でした」

 

 

 退院後、走る代償が周囲に発覚し、俺はそれはもう大目玉を食らった。おまけに二度と走らせてもらえなくなってしまった。

 

 スティルと決着をつけられなかったのは悔しいが、夢は叶わないぐらいがちょうどいい。それに、今の俺には新しい夢があった。

 

 

「……今日まで、早かったな」

 

「そうですね。本当に……幸せでした」

 

「なあ、スティル」

 

「はい、なんでしょう」

 

 

 俺は何が惜しいと考えていたのか、あの転倒後ようやく理解した。

 

 彼女との時間が惜しい。俺が、そんな感情を抱くなんてな。

 

 喰らい合って、求め合って、ようやくそんなスタートラインに立てた。これはそんな、爛れるような初恋だった。

 

 

「好きだ、スティルインラブ」

 

「……はい。私も、貴方を愛してる」

 

 

 これを伝えるために、随分と遠回りをしてしまった。

 

 けど、ここに俺がいて、彼女がいる。ならその回り道さえも愛せるだろうから。

 

 

『走れ、走れ』

 

 

 この呪いは死ぬまで解けない。だが、お前が共に在るのならば。

 

 抗ってみるのも、悪くはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……さて、ここまで走ってきて疑問に思うことが一つあるのだが。

 

 ……うまぴょいとはなんだったのか。その疑念が、いつまでも痼りになって残っていた。

 

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