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魔窟九龍
████年
南瓜頭の男が空から降ってきた人間の子供を拾って五年の月日が流れた。
拾った当時は骨と皮だけだった体も、時が経つにつれて大分肉が付いてきた。だが、未だにその歳の子供にしては体つきは細く、肋骨も浮いているのは、単に発達不良なのか、そういう体質だからか。それでも、特に目立った病気もなく、
朝食に使う菜っ葉を包丁でザクリザクリと大まかに切りながら、当時の事を思い返していた。
鳴いた後すぐに意識を失ってしまった子供を、治療の為に衣服を割いた時、南瓜男は──そう見えるかはわからないが──顔を顰めた。
体の至る所に「切傷」「刺傷」「挫傷」「咬傷」と、正に外傷のオンパレードで、腕には自身で付けたであろう、痛々しい蜥蜴痕が幾重にも敷かれていた。そして、恐らく不衛生な環境に置かれていたのだろうか。その傷跡がぐずぐずに悪化して、所々虫にも喰われていたようだ。花はとうに散り、荒れた樹皮を晒した枯れ木は“
ただ、治療後の回復力は目覚ましいもので、一部痕は残ってしまったが、意識が戻ってからはものの数日で立って歩ける程に回復した。それに、外傷は惨いものであったが、病気には一切罹っていなかった。
当初は
ただ、気になる事もある。回復したら地上に返そうと、南瓜男は思っていた。そして、その事を子供に伝えると──
と、自ら嘆願してきたのだ。当時は別に迷惑でもないからと、快く聞き入れた。
それから五年間暮らし見てきたが、その子供は家の中を案内するまでもなく何処に何があるのか把握していて、更には南瓜男の行動も先読みしたかのように色々と手伝いをしてくれた。
だから、日増しに思うようになったのだ。まるで、
物思いに耽って野菜を切る手が止まっていた南瓜男の背後から、子供の声が聞こえた。
振り返ると、頬っぺたの赤い、
元気に挨拶したその子を優しく撫でてやると、にゅへぇと顔をくしゃらせた。
落ちてきた子供には「
言うよりも先に食器棚へと向かった子供を見て、南瓜男は急いで切った野菜を鉄鍋に入れてザカザカと炎と絡ませる。お腹を空かせた子供の為に、急ピッチで朝食の仕上げに取り掛かった。
空は食器棚から皿やコップを人数分取ってテーブルへと並べる。そして冷蔵庫から冷えた飲料を取り出し、先程のコップにこぽこぽと注ぎ入れた。
一通りの準備が終わった頃には料理が完成していた。ほんのりと焦げた野菜炒めが大皿へと盛り付けられ、美味しく炊きあがった米がテーブルに並ぶ。
南瓜男が席に座ると、空は手を合わせてこう言った。
男も併せてそう言った。
※
朝食を食べ終えた食器を洗いながら、南瓜男は空に聞いた。
早朝とは言えなくなった時間。窓の外はいつも通り薄暗く、天気は排水時々害獣。所により害虫。そう、
家の中も例外ではないが、空が住んでからは極力綺麗にするよう努め、結果害獣や害虫の出現率は半分にも減った。
そんなキッチン兼ダイニング。先程まで食事をしていたテーブルを拭きながら、空は答えた。
拭き終わった布を洗濯籠へと投げ入れる。それはふわりと弧を描いて、重なっている洗濯物の山頂に着地した。
今日も今日とて、忙しないね。
洗い物を終え、手を拭きながらゆっくりと空へと近付く。
敢えて聞かないでおくよ。
空の目線に合うように南瓜男は屈んだ。
蛍光灯がチカッチカッと鳴るキッチンで、時間がゆっくり、ゆっくりとなり始める。
それ以外の区画は流石に不安だ。安全は保障出来無い。ここでは――
もう耳にタコが出来るくらい聞いたよ。
片耳に、指で輪っかを作った手を当てながら、空はにぃっと歯を見せて笑った。
空の言葉を遮るように、南瓜男は目の前の華奢な肩を強く掴んだ。そして、眼をじっと見つめる。その先の瞳は、静かに、ただ強く燃えるように揺らいだ。
数刻間を空けて、一言。
低く、そして力強く、そう告げた。
その声からはいつもの飄々とした感じが全く無い。ただただ重く、じっと空の眼を覗き込んでいる。
じっとりとした汗が背中に伝うような、重苦しい空気が辺りを漂った。
だからこの携帯から警ら隊に電話してね。番号は登録してあるから。
ふぅ、と溜息をついていつもの南瓜に戻ったかと思うと、強く掴んでいた肩から手を放しつつ携帯を渡してきた。折り畳みタイプの旧型だ。裏の蓋にはシールが貼られており、そこには「
…後、せめて抵抗はしてくれ。その為のナイフなんだからさ。
そう言うと空の手に、いつの間にか手にしていたキッチンナイフを握らせ、改めて念を押した。
ここ魔窟九龍(正式名称:
だけど同時に、人間を襲い、獲って喰おうとする妖怪だっているのだ。空や南瓜男が住んでいる玖號区は物好きの巣窟で、餌になり得る人間にも好意的な者たちが多く、比較的安全な区画だ。捌號区も人と取引をする妖怪が多くいる。それでも、用心に越したことはない。
本来なら南瓜男が付いていく方が安全だろう。だが、空がそれを拒んだのだ。余程何をしているか知られたくないのだろう。だから敢えて理由は聞かなかった。
心配だが、生きて帰ってくれる事を祈るしかない。
重々しい扉を開いて、空は傘を差して出掛けて行く。
そんな成長した小さな背中を、扉が閉まり切るまで見送った。
※
カタンカタン、カタンカタン。
空は今、魔窟九龍に張り巡らされた線路を走る列車に乗っている。
「鈍行」と表示されたそれは、ゆっくりと捌號区へと向かっている。
本来そこへは徒歩でも行ける距離だ。それでも。
下水トンネルを抜けた先には夜の海が広がり、積みあげられた星たちが所狭しと煌めいていた。
魔窟九龍は訳あって地底に出来た“腐ったピザ”だ。そこに逝き場を失った、または未だ現世に未練がある妖怪たちが好き好んでこの魔窟に集まっている。この列車は、その九龍を一周するようにレールが敷かれている。「快速」「普通」そして「鈍行」。この「鈍行」は、この地底世界を眺める為に作られた、いわば娯楽用の列車だ。
おどろおどろしい下水トンネルの魚たちも、そして、この眠らない街も!
この海上(とても海とは言えない水だが)に積み上がっている星たちは、全て捌號区の商店街の灯りだ。今は
窓の外に広がる満点の星空を眺めながら、空は誰ともなしに呟いた。
空以外誰も居ない、静かな車内。時折、液晶のスピーカーからノイズ交じりの広告が流れてくる。
画面を見ると、可愛らしいキャラクターが釣りをしている場面が映し出されていた。沢山の魚が釣れるらしい。一世代前のグラフィックなのが少し気になるが、なんとも、楽しそうなサービスだと空は思った。
カタンカタン、カタンカタン。
鈍行特有のゆったりとした時間が流れる。ふと視線を窓に戻すと、夜空の星が揺れた。
えも言えぬ魚が海面から飛び跳ねては、また夜の闇へと消えてゆく。闇を優雅に泳ぐそれは、さながら絵本で知った人魚のように見えた。……それがグロテクスであることに目を瞑れば。
にへっと頬を緩ませる。列車の息遣いが、しんとした車内をこだまする。
空はにゅふふと静かに笑うと窓から目を離し、少しだけ背凭れに身体を預けた。
いつの間にか外の景色から夜が消え、星々の中へと入っていく。閉め切った列車の中だというのに、街の中の喧騒が、熱気が、肌に伝わってくるようだ。現に、外の呼び込みの声が少しだけ、車内の中にまで聞こえてきた。
そんな環境音を聞き流していたら、車内に生気を感じないアナウンスが流れた。
お降りの方に足がついている人は、お足元にお気を付け下さい…。
鈍行の速度が更にゆっくりしたものとなる。空は椅子から降り、のんびりとした足取りでドアへと向かった。
今日一番の笑顔を虚空へと向ける。誰も居ない空間が、一瞬、揺らいだように見えた。
プシュ──……ガコンッ。と、ドアが鈍く開いた。換気がされた車内とは裏腹に、外は溝と油脂、それと排ガスの臭いが立ち込めていた。
その未だに慣れない猛烈な臭気に一瞬顔を顰めるが、意を決して空は列車と向こう岸に広がる闇に注意しながら、ゆっくりと足を出した。
一瞬列車が揺れて吃驚したが、なんとか無事に足を地に付ける。下を見やると、そこにはどこまでも深い黒が続いていた。
列車から降りると、まだ駅構内だというのに辺りの喧騒がより一層強くなった。それは、次の駅へと向かう列車の音を掻き消す程に、大きく、活気溢れていた。
天井の案内を確認しながら改札方面へと向かう。その内、「急行」「普通」の乗客と合流し、その人混みに呑まれつつ目的の出口へと抜ける。突如、夜に酔いしれた瞳に花火が爆ぜるような衝撃が襲い、強く酩酊してしまった。
暫くして酔いから醒めると、目の前には異国の言葉が書き綴られた煌びやかなネオンサインと、それを過剰に彩る大小様々な提灯の群れ。そして、それを真正面から浴び続ける人々の姿が広がっていた。
ここは魔窟九龍、捌號区。商人達の
夜を泳ぐ提灯達を眺めながら、空はぽつりと呟いた。
にたぁ、と覇気の無い笑みを無へと返す。
空は捌號区の雑踏を掻き分け、その奥へと呑まれていった。