ある日ドクターはポプカルに今度来る老人の面倒を見てくれないかと頼まれた
「驚いた、お嬢ちゃんとっても力持ちなんだね
助かったよ、ありがとうね」
ポプカルは老人の身体慎重にベッドに横たえて、上にタオルケットを掛けてあげた。
みじろぎするのも苦しそうな彼は、ポプカルの手を力なく握って謝意を示した。
老人の指は枯れ枝のように頼りなく、細い腕には瘡蓋のように結晶が浮かんでいる。
「どういたしまして!
ポプカルは力持ちだからこれくらい大丈夫だよ!
ランセットだって持ち上げられるんだよ!」
彼女は力瘤を作って笑顔で答えて、隣にいる自分より大きい車輪のついた球体のロボットを持ち上げた。
「ちょっと!ポプカルさん⁉︎」
ランセット3は嫌がるようにタイヤを動かすがなんの抵抗にもなっていない。
「大丈夫大丈夫!
もっと重い物を持ったこともあるし、これくらいお茶の子さいさいだよ!
思ったより軽いんだね」
ポプカルはランセットを抱えたまま、膝を上下に曲げて見せた。
側から見るととてもバランスが悪く、いつ転倒するか分からずとても怖い。
「体重に言及されるのは初めてです。
女性が軽いと言われて喜ぶ気持ちが少しわかる気がしますね
まさかこんな所で経験するとは思いませんでしたが……」
メインカメラを明滅させて少し感慨深げだった
「うう、地に足がついていないと落ち着かないものですね……
そろそろ降ろして頂けますか?」
タイヤを空転させ忙しなくメインカメラを動かしている様は、ロボットながらに表情豊かだ。
ポプカルはランセットを地面に降ろしてやると、得意げに老人を見つめた。
「本当にすごい力だ
その力で色んな人を助けてきたんだね
皆んなのヒーローだな」
老人はニッコリと笑いかけ、ポプカルもつられて笑った。
「さてヒーローさん、お礼をしたいけど何かして欲しい事はあるかな?」
「えー、うーん、ポプカルは別にご褒美が欲しくてお手伝いしたわけじゃなくて、喜んでくれるからしただけで、だからありがとうって言ってくれるだけで嬉しいの!」
「そうか、お嬢ちゃんは謙虚だね」
ポプカルは可愛らしく小首を傾げた。
「謙虚ってどういう意味?」
「立派だってことだよ。
せめて頭を撫でさせて貰ってもいいかい?」
彼女はベッドの脇に頭を乗せた。
老人の手が帽子の上を行き来するたびにくすぐったそうに、しかし嬉しそうにはにかんだ。
暫くそうしたあと立ち上がった時、ポプカルの目にサイドテーブルの上の物が目に飛び込んだ。
それは紙で出来た動物達だ。
様々な色と形のものがあり、とても賑やかだ。
格好いいライオン、今にも飛び跳ねそうなカエル、可愛いらしい兎、優雅な白鳥、それらに目を輝かせた。
ポプカルが見惚れているのを見て、老人は少し得意げに説明してくれた。
「折り紙と言ってね、昔友人から教えてもらったんだ。
全部正方形の一枚の紙から出来ているんだよ。
気に入ったのがあったら貰ってくれるかい?」
しげしげと折り紙の動物を眺めたあと、首を横に振った。
「ポプカルね、時々、力加減が上手く出来なくて壊しちゃうの……
だからきっとクシャクシャにしちゃう……」
そう言って俯いてしまった。
「そうか、力が強いというのも良いことばかりじゃないんだね
なら自分で作ってみるのはどうだい?
それなら何回失敗しても良いし、覚えれば潰してしまっても作り直せる」
その言葉でぱっと顔を上げた
その眼は好奇心で輝いている
「本当?ポプカルでも上手く作れる?」
「ああ、勿論だとも。
ちょっとテーブルを私の前に持ってきてくれるかい?」
子供らしい忙しなさでテーブルまで走り寄ると、少し乱暴に長方形のテーブルを動かした
しかし、片側だけ持ち上げしまいバランスを崩して転びそうになってしまう
老人はびっくりしてベッドからずり落ちそうになった。
ランセット2は慌てて身体をぶつけるようにしてポプカルを支えた。
「ふー、ちょっと危なかったですね
新しいことをするのはとてもワクワクしますが、慌てないように気をつけないといけませんよ。
まあ、私もあまり人のことを言えませんが……
この前なんて……いや、なんでもありません」
「ああ、またやっちゃった……
ありがとう、あとごめんなさいランセット……
お爺さんも驚かせてごめんなさい……」
ポプカルは少ししょげた様子で頭を下げて謝った。
老人は年端もいかない子供がしっかり謝る様子に感心していた。
「怪我がなくて良かったよ。
さあ、こっちにおいで」
持ってきてくれた机の中から茶色の紙を取り出して、対角線に折り目をつけた。
折っては戻しを繰り返し、少しづつ形を作っていく。
最後に目を書いて完成した。
涙目になっていたポプカルは、目の前でただの紙が可愛い動物になっていくのを見て、いつの間にか笑顔になっていた。
「よし、出来た。
何に見えるかな?」
「えーとね!くまさん!」
老人もニッコリと笑い返した。
「大正解!
君みたいに強くて優しいくまさんだよ」
老人はそう言って作った熊の顔を差し出した。
ポプカルは感嘆の声を上げながら手に取り、がおー、と鳴き声をあげさせた。
「スゴイ!スゴイ!可愛い!
他に何が作れるの!」
「イヌ、ネコ、ウサギ、ライオン、色んな動物が出来るよ」
「ウサギさん作って欲しいな!
私コータスだから自分でも作れるようにしたいの!」
「よし、じゃあまずはうさぎさんの顔を折ってみよう」
そう言って白色の紙を三角に半分に折り、何度か折り目をつけながら、形作っていく。
手順自体は言っていた通り簡単なものであり、子供でも出来そうなものである。
ポプカルも隣で同じように折っているつもりだったが、所々よれた。
めげずに何度か折り直したり、力んで破れたり、少し皺になってしまったりした。
それでも最後にはボロボロのうさぎを完成させた。
お爺さんはうさぎにクリクリの目を書き足して、破れそうな耳にテープを貼ってあげた。
「やったー、出来たー!」
完成すると彼女は満足そうに天に掲げた。
記念すべき処女作である。
ランセット2はマニュピレータを動かして拍手した。
お爺さんも釣られて同じく拍手した。
「ちょっと皺になっちゃった」
えへへ、とちょっと恥ずかしそうにポプカルは笑った。
「いやいや、私が初めて作った物はもっと酷い出来だったよ。
何度も折り直したせいで、シワシワになってしまったからね」
「お爺さんも最初は下手だったの?」
「ああ、誰でも最初から上手く出来る人は居ないよ
慣れと経験さ」
そう言って同じように笑った
「ポプカルさん、そろそろ次のお仕事がありますからリネン室に行って貰っても良いですか?」
はーい、と元気よく返事をして机を片付け始めた。
「ねえ、また教えて貰いに来ても良い?」
「勿論!是非来てくれると嬉しい。
首を長くして待っているよ」
「ホント?じゃあ明日もお仕事終わったら来るね!」
部屋を出る時、ブンブン手を振って別れを告げた。
その手には作ったクマが握られている。
老人も手を振りかえした。
「とても元気な子だね。
見ているだけで元気が貰えるよ」
「そうですね。
機械の私でもそう思います。
ないはずの母性というのが刺激される気がします」
暫くの間の後、老人は少し顔を険しくして聞いた。
「あの子も鉱石病のようだが、病状は安定しているのかい?」
「ええ、このままロドスで治療を続けていれば悪化することは無いと思います」
「そうか、良かった。
とはいえ、若いうちからこの病に罹ったのでは苦労するだろうが……
私は全てを失ってしまったよ……」
大きく溜息を吐いて少し咳き込みながら言った。
彼はほんの数年で大分シワが増え、肉が落ちた手を翳してみた。
実際はまだ老人というほどの年齢では無かった。
だが過酷な闘病は生気を容赦なく奪っていった。
「私は治療が遅れてここまで悪化させてしまったからね。
まあ、それでもベッドの上で死ねるだけマシな最期だな。
あの子には良い人生を送って欲しい。
私の様にならないように……」
「病は気からとも言います。
そんな悲観的なことを仰らないで下さい。
我々ロドスは日夜特効薬の開発に勤しんでいます。
今日までの不治の病も明日には治るように努力を惜しんでいません。
ロドスの先生方が必ず成し遂げると、私は信じています」
「そうだね。
患者に助かる気が無いのは先生方にとっても失礼な態度だったな。
最初のうちは弱気にならないようにと気をつけたつもりだったんだが、すっかり参っていたようだ……
ありがとう、ランセット2先生」
「とんでもない、私は唯の医療プラットフォームであって先生ではありませんよ
正直に言うと私の言葉は全て受け売りです。
ロボットは病に罹らないので知ったような口を聞いているだけなのです……」
「それでも様子を見に来てくれるだけで救われる事もある。
誰にも相手にして貰えず、見捨てられる孤独ほど苦しいことはない」
言い終わると疲れたように、ふう、と溜息を吐いた。
「すいません、喋りすぎて疲れさせてしまいましたね。
少し脈拍を調べさせていただきます」
マニュピレータを手首に伸ばして脈や体温、酸素飽和度などを計る。
「ふふ、機械との会話はもっと味気ないものかと思っていたよ。
君は優しさと愛嬌があるね」
「それだけ私を作ったレイジアン社とクロージャお姉さまの技術が優れているということですね。
何事も日進月歩で進歩しているということですよ
だから希望を持ってくださいね。
またポプカルさんにも折り紙を教えてあげて下さい」
老人はそうだね、と小さく返事をして瞳を閉じた。
脈は正常だったし心配はない。
「お疲れ様でした、おやすみなさいませ。
何かあったらナースコールをすぐに押して下さい」
ランセット2は車輪をギュルギュル音をさせて部屋から退室した。
病室にしてはやけに大きく頑丈そうな扉が閉まる。
老人は薄らと目を開けてそれを見送り、何となく部屋を見渡す。
部屋は自分しかおらず、ベッドと机以外は幾つかのモニター、使っていない棚、流し台、トイレがあるばかりだ。
窓ははめ殺しになっていて、病室というより監獄の方が近いかもしれない。
それもそうだろうなと彼は思った。
死んですぐに原石の粉塵を撒き散らされてはたまったものではない。
それに、死を目前にした人間は何をしでかすかわからない。
人畜無害そうでも、痩せ細って無気力そうでも、死を目前にして平静でいられる者はごく僅かだ。
感染者であるなら尚更だ。
大抵は諦めているフリをしているだけで、この世界の貧乏くじを引かされたことに怒りを感じている。
自分は恵まれている方だ……
何度目になるかわからない言葉を呟いた。
彼は若い頃に志を持ち、会社を作り、それなりに大きくして、妻と子を得た。
罹った後も暫くは隠しながら仕事を続け、心と身の回りの整理はしてきたつもりだった。
感染者区画に放り込まれず、ロドスに送って貰えたのも運がいい方だろう。
だが、それを姥捨のように考えてしまっていた。
家族が一度も会いに来てくれない理由も分かってはいた。
財産や地位などはどうでもいい。
それでも寂寥感だけはどうにもならない。
人恋しさは捨てることが出来ないでいた。
自分は恵まれている方だ……
また呪文のようにその言葉を繰り返し、いつものように意識を手放した。
ポプカルが部屋で折り紙を折るたびに部屋は賑やかになった。
使い道の分からない機械には熊や像、ハイエナが犇き、使っていない棚の上にはチューリップ、アジサイなど花が並んでいる。
「ポプカルのおかげで部屋も大分賑やかになってきたな。
上達が早いから追い抜かれないように、少し張り合いが出てきたよ」
「うん!
でもね、まだ沢山作りたいものあるんだよ。
コウモリさん、ウマさんも作りたいなぁ。
あとね、お空に鳥さんを吊るすの!」
また一つ作品を窓辺に増やしながら笑った。
最早この彼女のアトリエといっても過言では無いかもしれない。
「あっ!
そういえばオーキッドお姉さんがお礼をしてきなさいって言ってたんだった。
ちょっと待っててね!」
そう言って手を洗ってから、部屋のケトルでお湯を沸かし、持ってきた籠の中から缶とティーポットを取り出した。
ベッドの横に机を出して、コップとお皿を並べていく。
沸いたお湯でポットとコップを温めてから湯を捨てて、改めてスプーンで計りながら缶から茶葉を取り出し、もう一度お湯を注ぎなおす。
上から覗けば茶葉が勢いよく踊っているのが見えるだろう。
手早くこれらを済ませた後、ポットに布を被せた。
「ちょっと蒸らすと香りが良くなるんだって。
お茶を淹れるのはちょっと自信あるの!
それからオーキッドお姉さん特製のフルーツケーキ!
とっても美味しいんだよ!」
お皿の上にまだ少し熱の残った、ドライフルーツをたっぷり使ったパウンドケーキをとり分けていく。
バターの匂いが食欲をそそり、側面の焼け目が香ばしい。
散りばめられたフルーツは様々な色に輝く星のようだ。
二人はまずこの芸術品を目で楽しんだ。
「ポプカル、お茶を蒸らすちょっと待ってる時間がとっても大好き」
「確かに、とても贅沢な時間だね」
顔を合わせてふふっと笑い合った。
数分経ってポットを覗くと紅茶の良い匂いで部屋に色がつくようだった。
深い赤色になった湯をティーカップに注げば、湯気と一緒に、酔って恍惚としそうなほどの濃厚な香りが肺を満たした。
白いカップの縁には紅茶との境目に見事な黄金の輪が浮かんでいる。
最後の一滴はゴールデンドロップと言われて一番美味しい。
ポプカルはそれをお爺さんへと譲った。
その方が自分は美味しくこのお茶を飲めると思ったのだ。
「ありがとうポプカル、こんなに心尽くしのお茶会をしてくれて」
「ううん、折り紙を教えてもらったお礼だよ!
それにお喋りもしたかったの」
カップをおじいさんの前に渡し、ベッドの横に椅子を持ってきて腰掛けた。
「さあ食べようよ!ポプカルもう我慢できない!」
そう言って早速ケーキを一つ取って口いっぱいに頬張った。
予想通りの優しいバターの甘い味と、ドライフルーツの少しの酸味がいいアクセントになっている。
「んー、美味しいー!」
ポプカルはよく噛み締めながら両手で頬っぺたを抑えて蕩けた笑みを浮かべた。
「本当に美味しそうだ。
では一つ頂きます」
まずは一口かじってみた。
甘いだけでなく、少しだけラム酒の香りがする。
たまに少し歯応えを感じるのはクルミだろうか。
切り分けた場所によって少し具材が違うのかもしれない。
作ってくれた人はきっととても料理上手なのだろう。
そしてポプカルの淹れてくれた紅茶を一口飲む。
芳醇な香りが口から鼻に抜けて思わず恍惚としてしまった。
かつて本場のヴィクトリアで呑んだ紅茶よりも美味しいと感じた。
さらにもう一口飲めば笑みが深くなる。
老人はポプカルが自分の為にこれだけ手間を掛けてくれた事が本当に嬉しかった。
ふと彼女の方をみると、老人が紅茶を飲む姿を頬杖をつきながら笑顔で見つめていた。
「お爺ちゃん美味しい?」
「ああ……本当に美味しいよ……」
万巻の思いを込めてそう言い、カップを机に置いた。
しかし何故かポプカルは慌て出した。
「お爺ちゃん大丈夫?何処か痛いの?」
そう言われて老人はキョトンとした表情をした
その顔を見て彼女は少し困惑した。
「だって泣いてるから……どうかしたのかと思って」
言われて彼は自分の頬をなぞって始めて涙が出ていることに気がついた。
人恋しいと思うことはあったが、まさかここまで飢えていたとは思わなかったのだ。
「痛いところがあるわけじゃないんだ。
本当に……本当に嬉しかったから感動して涙が出ちゃったんだ」
恥ずかしそうに笑って、一口紅茶を飲んで誤魔化した。
「そうだったんだ、じゃあポプカル紅茶淹れる職人さんになれるかな?
オーキッドお姉さんにも、美味しくて泣くほど喜んでたよって伝えるね」
「泣いたのは秘密にして欲しいかな……
でも心から感謝していたと伝えてくれると嬉しい。
このケーキを作ってくれたオーキッドさんはポプカルの保護者なのかい?」
「ううん、一緒の部隊の隊長さんなんだよ。
でもお母さんみたいに優しいんだよ。
私のことを何かと気にかけてくれるの。
とっても強くて、綺麗で、かっこいいんだ!
部隊のみんなは皆んな優しいし、大好きだし、家族だと思ってるの」
「そうか、それなら寂しくはないね」
「その、お爺ちゃんは寂しいの?」
ポプカルは心配そうに聞いた。
さっきのこともあり、深く思い悩んでいるように見えたからだ。
「家族と別れて随分経つからホームシックに罹ってしまったのかもしれないね。
それに君を見ていたら娘のことを思い出してしまってね。
この折り紙も最初は娘に教えてもらったんだ」
「そうなんだ。
会いに来てって伝えられないの?」
彼は曖昧な表情で笑った。
「正直な話、自業自得でね。
今更寂しいから会いに来てくれとは言い出せないんだ。
私は仕事でトランスポーターと一緒に色んな都市に飛び回っていてね、頻繁に家を空けていたんだ。
家にいる時はできる限り構ってやりたかったんだが、年頃の女の子は難しくてね。
邪険にされがちだったなぁ……」
ポプカルはちょっと俯いて考えていたが、じっと老人の目を見据えた。
「お爺さんは家族と会うのが怖いんだね」
彼女は老人の恐怖を見抜いていた。
ロドスに来る人達は皆鉱石病に罹った人だ。
ポプカルは知っている。
相手が鉱石病だと分かると態度を急に変える人がいることを。
感染者になった途端、他人からの見る目が変わるのだ。
特に家族からその目で見られることほど辛いことはない。
今まで愛していた者から、まるで汚物の様に扱われる。
自分は変わったわけではないのに。
ただ患っただけ。
やるせなさと屈辱と哀しみ。
散々失ったのだ。
彼はこれ以上は耐えられないと思ったのだ。
ならいっそ会わずに逝く方が楽かもしれない。
彼は会いたいと思っているが、会いたくなかった。
ロドスに来る前、妻は冷やかな眼差しで彼を見送った。
娘は困惑と諦観、複雑そうな表情だった。
死の間際だからといって、それが変わることは期待できないだろう。
「それでも少しでも会いたいと思っていて、出来ることがあるならやらなきゃダメだよ。
ポプカルもちょっと怖いけど、もう一度お父さんとお母さんとちゃんとお話ししたいもん。
もし、怖いのならお手紙を書くといいんだよ。
もしかしたら話すよりもちゃんとした気持ちを伝えられるかもしれない」
「手紙か。
仕事先では家によく書いていたよ。
久しぶりに筆を取ってみようかな」
「それがいいと思う。
ねえ、お爺ちゃんの故郷はどんな所だったの?」
「私の故郷はヴィクトリアの湖水地方なんだ。
その名の通り大きな湖があるところだ。
私の家も湖の近くで、家に居れる日はよくサンドイッチを作って遊びに行ったものだよ。
暖かくなってきた頃に湖畔の森の地面一面にブルーベルの青い花が咲き乱れるのは見せてあげたいよ。
ボートハウスや倉庫もスレートを積み上げた純朴な色合いで、人工物さえも景色に馴染んでいるんだ。
そしてその景色を眺めながらティータイムと洒落込む。
今考えると、最高の贅沢だったね」
「凄い!行ってみたいな!
湖でボートを漕ぐのも面白そう!」
「それから、あの国は有名な庭園も多いんだ。
湖畔の周りにもその技術が活かされている。
普通の家庭でもガーデニングに力を入れていて、庭は家の顔だっていう言葉もある位だ。
妻も花が好きでバラやスイセンを栽培していたよ」
「ロドスでもお花を育ててる温室があるんだよ。
綺麗なお花や木もたくさんあるよ。
お友達のスズランちゃんもそこでお花を育てててね、私もお手伝いするんだけど咲くのが楽しみなの!
今度連れてってあげるね!」
「それはとても楽しみだ。
そういえば最近緑を見た覚えがないな。
どこに行っても散歩と風景を楽しむことは欠かした事はなかったんだが、そんな事も忘れていたんだな」
窓を眺めても目に映るのは寂しい荒野ばかりだ。
遠くの山々も赤茶けて、時折突風で砂が巻き上げられて霞んで見える。
飾られている折り紙の動物だけが生気に満ちている。
「お爺さんが元気になったらその森や湖を案内してね。
そしたらポプカルがまたそこでお茶を淹れるね。
あとお友達と、A6の皆んなとドクターも一緒に行きたい!」
「それは賑やかなお茶会になりそうだ。
ポプカルの友達なら皆んなとても楽しい人達だろうし大歓迎だ」
「ホント?
じゃあ約束だね」
老人は一瞬逡巡した。
だが反射的に返事をしてしまった。
「ああ、約束だ……」
大体のことは諦めた。
だが生きたい理由が出来てしまった。
淹れてもらった紅茶をひと口飲む。
とても美味しかった。
久しぶりに味わうそれはとても美味しい。
かつてはどれだけ忙しくても自分で淹れていたのを思い出した。
ましてや他人の手で淹れた物を飲むのは本当に久しぶりだった。
もし故郷で新しく出来たこの小さな友と思い出の湖畔でこの紅茶飲めたのなら、何も思い残すことはないだろうと彼は思った。
「ああ、もうこんな時間か。
すまない、そろそろ先生が検診にやって来るんだ。
今日は本当にありがとう。
オーキッドさんにも美味しかったと伝えておいてくれるかな」
「そうなの?
お爺さんといると時間が経つのが早いね。
じゃあ片付けてからポプカルは帰るね」
ポプカルが部屋を去る前に老人は声をかけた。
「そうだ、これをお礼に受け取ってくれないか?
私は大体頭に入っているから貰ってくれると嬉しい」
差し出したのは折り紙の教本だった。
年季が入っているらしく、少し色が褪せていてページの角を折った後がある。
「ほんとにくれるの?
ありがと!
でも良いのかなー、お爺さんより上手くなっちゃうかもしれないよ」
「ははっ、私も折り紙歴が長いからね。
そう簡単には負けないよ。
二つの紙を組み合わせたり、切れ込みを入れたりする折り方もあるんだ。
中々奥が深くて面白いよ」
「そんなのもあるんだ
読むのが楽しみ!
ねえ、友達にも見せてもいい?」
「もう君の物だからね。
好きなように使ってくれて大丈夫だ」
ポプカルは新しい宝物を胸に、手をブンブン振って別れを告げた。
それを見送り、扉が閉まるのを見届けてから胸を押さえて蹲った。
痛みに脂汗をかきながら、ゆっくり手探りで机からカプセルを取り出しそれを飲もうとした。
しかし嚥下する前に大きく咳き込みそれを手で抑えた。
腰を曲げて体を丸めた体勢で発作が収まるのを待ち、吐き出した血を見つめた。
「参った……約束は守れそうもないな……」
ナースコールを押してから、力無く窓を見やった。
先ほどより砂塵が勢いよく舞い散り、微かに見えていた山々さえ遮っている。
老人は今度は机からまっさらで色とりどりの
正方形の紙を取り出した。
この部屋にはまだ紅茶の芳しい香りと、友の温もりが残っている。
彼は手を拭った後、一人で黙々と机に向かった。
結末が分かっていて希望を抱くのなら、死神は絶望の鎌を持ってそれを刈り取りにやって来る。
それでも死神には少し待っていて欲しかった。
ポプカルはまたいつものように病室にやって来た。
だが部屋は施錠されていて、中に入ることが出来ない。
通り掛かった医療オペレーターに聞くと、病状が悪化して、部屋が移動になり今は会えない状態なのだと言われた。
仕方なく人も疎らな食堂に引き上げて、貰った本を読みながらラッパスイセンの花を折ろうと悪戦苦闘していた。
「やあお嬢さん、御相席よろしいかな?
とても難しい顔をしているけど、どうしたんだい?」
向こうから背の高い美丈夫が声をかけてきた。
「あっ、ミッドナイトお兄さん、おはよう!
今ね、折り紙っていう紙を色んな形に折り畳む遊びをしてるの」
ポプカルは机いっぱいに広げていた何かになる筈だったクシャクシャの紙を退けた。
どれも何回も折り目をつけたせいでボロボロになっている。
だがそれだけ難しい折り紙に挑戦している証でもあった。
「へぇ折り紙か、古風で優雅な趣味だね。
俺の故郷にもあったよ。
白魚の様な指先で、紙に息吹を吹き込む所を拝見してもよろしいかな、芸術家さん?」
「もちろん!
ちょっと見ててね!」
彼女は新しい黄色い紙を取り出した。
角を合わせて対角線同士に折り目をつけまた戻し、頂点を中心に向かって折る。
裏返しにして縦半分にして、更に畳んで四分の一の三角形を作り出した。
「此処からがちょっと難しいんだよね……」
裏と表で三角の中を開いて折り畳み、花弁の部分を作ろうとする。
表面は上手く折れたが、裏面の花弁を引き出す所で紙を破いてしまった。
「ああ、またやっちゃった……
力加減がとっても難しいんだよね。
綺麗に織りたいんだけど、必ずちょっと破っちゃうの……」
ポプカルが項垂れて、新しい紙を取り出そうとした。
「その一枚もらっても良いかな?」
ミッドナイトはその破れた一枚を貰って、皺を伸ばしてポプカルの折り方を最初からやり直していく。
一度しか見ていないし、やり方を教わった訳でも無いにも関わらず、一輪のスイセンを創り出した。
「あんなに皺になってたのに、とっても上手に折れてる!すごい!」
ミッドナイトはそうでもないさ、と言いつつ得意げに髪を撫で上げた。
「確かに皺や破れのない完璧な一輪は魅力的だね。
でも俺は縒れたり、少し破れている物の方が好きかな。
努力や苦労が分かりやすく表れていて、作者の人柄が見える気がするんだ」
「そうなの?
わかった、ちょっと破れても最後まで折るね。
そのスイセン上手に折ってたけど、ミッドナイトお兄さんは折り紙に詳しいの?」
「詳しいって程じゃないけどね。
極東では遊びとして折り紙が根付いているから、皆んな一度は触れたことがあるんじゃないかな。
即興で花を綺麗に折るとウケが良かったから、練習した事があるんだ。
ポプカルちゃんは何処で教わったんだい?」
「病棟の隅っこの部屋のおじいちゃんに教えてもらったの。
でもね、最近調子がとっても悪いみたい……
せっかく教えて貰ったから何か作って元気づけてあげたいんだけど……」
ミッドナイトは一瞬暗い顔をした。
隅の部屋列は確か、重症者の病棟だったはずだ。
「そうか……
そうだな、俺の故郷には遊びとしての折り紙もあるんだが、御守りや願掛けの意味が含まれているものもあるんだ。
ちょっと一枚拝借するよ」
そう言って白い紙を一枚袋から出した。
菱形に折り目をつけたり、袋状にした所に上手に綺麗に織り込んだりしていく。
てきぱきと、しかし大事な所はゆっくり魅せるように畳んでいく。
ただ折り紙を折っているだけなのだが、不思議と目が惹きつけられる。
手慣れているのは勿論だが、寸分の狂いもなく揃えられた折り目には性格が出ている。
一見軽薄に見える男だが、几帳面な内面なのだろう。
ほんの数分で見事な出来栄えの鶴が織り上がった。
「この鳥は鶴って名前なんだ。
極東では長寿の象徴で、とても縁起が良いとされてる。
そしてこれを沢山作って天辺を紐で通したものを千羽鶴というんだ。
昔、病気の少女が鶴を千羽織ると病気が治るって信じたのが由来なんだそうだ。
一度覚えればそんなに難しくないし、沢山作れると思うよ。
まあ実際千羽は無理だろうけど、何羽か作ってあげれば喜んでくれるんじゃないかな」
ポプカルは鶴をじっと見つめた。
湖でこの鳥たちが泳いでいる所を見てみたいと思った。
きっと美しいに違いない。
「ねえ、折り方を教えて。
ポプカル出来るだけ沢山作って、良くなるようにお祈りしたい」
「勿論、手取り足取り教えてあげよう。
俺も空いた時間があれば手伝うよ」
鉱石病は必ず命を奪う病気だ。
老人の具合が悪いことは分かっていたが、それでも別れには早すぎる。
気休めだとしても彼女は何かせずにはいられなかった。
ポプカルは部屋で鶴を折っていた。
最近は暇さえあればそれを作っており、余りの熱中ぶりで就寝前に布団の中にも折り紙を持ち込もうとして、オーキッドに怒られた程だ。
オーキッドはポプカルがお世話になっている老人の具合が悪いこと、千羽鶴で願をかけたいという話を聞いて、空いている時間は一緒に作ってくれた。
ある日、ポプカルはドクターに呼びだされ応接室へと向かっていた。
カバンには貰った本が入っている。
ドクターにも見せてあげようと思っていたのだ。
扉には使用中という札が掛けられている。
「ドクター、いる?」
あまり用のない部屋なので緊張して、ドアの隙から恐る恐る中を覗いた。
奥の向かい合ったソファに二人の人物が向かい合って座っている。
一人はドクターで、もう一人は知らない女の人だった。
「良いところで来たね。
こっちに来て隣に座ってくれるか?」
ポプカルはちょこんとドクターの横に座った。
対面の女性はなんだか機嫌が悪そうだ。
「ちょっと、ロドスには守秘義務があるんじゃなかったかしら?」
「ええもちろん。
彼女は貴方のお父様の様子をよく見てくれた優秀なオペレーターです。
口も硬く信頼できますよ」
ドクターは朗らかな様子で彼女をそう評した。
ポプカルには難しい言葉はよく分からないが、褒められているみたいなので嬉しくなった。
「まあ良いでしょう。
どうせもう話すことも有りませんし。
では、父がなくなったら速やかに連絡を下さい。
では失礼します」
言ってすぐ立ち上がって座っている二人を通り過ぎようとした。
女性は早くここから立ち去りたい様子だった。
しかし、ドクターはそれを呼び止めた。
「態々こんな遠くまで足を運ばれたのに、お父様に会って行かれないのですか?
きっと喜ばれますよ」
「今更話すことなどありません。
感染者なんかになってとても迷惑している位です。
一体何処から拾って来たのか……」
女性はドアノブに手を掛けた所で振り返り、目を吊り上げて怒気を放った。
しかしドクターは瞬ぎもせずにじっと彼女を見つめている。
「お姉さんは感染者が嫌いなの?」
ポプカルは無邪気な瞳で問いかけた。
「ええ、嫌いよ。
大嫌い……」
そう言ってポプカルを睨んだ。
女性の固く握った手が震えていた。
いつもならポプカルは誰かに悪意のある言葉を投げられれば萎縮してしまっただろう。
でも何故かその時は怖いと感じなかった。
怒っている筈なのに、その顔が泣いている様にも見えたからだろう。
「先程も言いましたが、ロドスは患者の個人情報を他所に流す様な真似はしません。
ロドスは製薬会社ですが、自衛の為幾らかの力は持っています。
もし政府や何らかの組織から情報の開示を求められたとしても、正当な理由なく応じることはありません」
彼女は、はぁ、とため息を吐いた。
「今更何を話せって言うのよ……
鉱石病を隠していたこと?
私達がそれに甘えて、隠していることを知らぬふりをしてた事?
どんどん弱っていく姿を見ていられなくて、こんな所に遠ざけた事?」
「全部、全部です。
貴方がこの艦を立ち去るなら、今思っている事は全て貴方自身の中で抱えていかなければならないでしょう。
それに、もし本気で感染者を嫌っているならロドス本艦まで来ない。
使者を送るか、通信機で相談するかで済ませます。
身内に感染者が出たのを隠したいだけなら、わざわざ安く無い料金と膨大な手間をかけません。
ただ荒野に転がしておけばいいんですよ。
なんなら部屋に閉じ込めて放置するだけでもいい。
どうせ放っておいても死ぬし、死体は原石になって消え失せます。
貴方がお父様を此処に送ったのは、例え手遅れでも少しでも良い最後を迎えて欲しかったからでは?
私には、貴方の感染者への嫌悪よりもお父様への愛情の方が優っている様に見えます。
本当にお会いにならないんですか?」
はぁ、ともう一度大きく溜息を吐いてから彼女は踵を返してソファに戻った。
「ヴィクトリアでは最近感染者への風当たりが強いわ。
貴族の端くれでも、もし当主が鉱石病に罹ったと分かったら、爵位を剥奪されて財産も没収されるかもしれない。
私達はそんなどうしようもなく自分勝手な理由で父を詰って遠ざけたのよ。
でも父は何も言わなかった。
父が感染して皆んなの見る目が変わった。
継承も財産も一族皆んなハゲタカみたいに食い荒らした。
剰え死んだ事にして館の奥に押し込めたのよ。
母ですらそうだったわ。
私は父の娘だけど、同時に貴族の令嬢でもあった。
結局、父より自分の安全と地位の方を選んだのよ。
ホント、合わせる顔がない……」
ドクターの執拗な問いかけに根負けしたようで、徐々に本音を吐露し始めた。
自分の手で顔を覆いながらゆっくり思いの内を言葉にしていく。
本当は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
「貴方は自分が憎まれているんじゃ無いかと怖いんですね」
「そう、でもそれ以上に自分がまた酷いことを言わないかが怖い。
私が感染者を嫌いなのは本当。
感染者は愚かさ、貧しさ、不衛生の象徴、国家の恥よ。
政府やメディアの作ったイメージだってわかっていても感染者なんて気持ち悪いの。
死んだ後の原石粉からしか感染しないって言うけど、絶対じゃないでしょ。
身体から生えている結晶も醜くて嫌い。
彼らにもし襲われた時、一般人より強くなったアーツが怖い。
何でよりによって家の父が……」
ポプカルの怒気が膨らむのが分かり、ドクターは頭を撫でて諌めた。
感染者差別の強い地域なら、どこも内心こんなものだろう。
自分が冷静に話を聞いていられるのは結局自身が感染者では無いからだろうか、ドクターは自嘲しながら思った。
「実の父親でも、感染者になったら恐ろしい他人ですか?
そんな事はない。
確かに病によって心身に影響はあるでしょう」
ふとドクターは傍らのポプカルに目をやった。
「それでも毎日を懸命に生きている普通の人です。
健常者も感染者達もそれは変わらない。
自分から言わなければ、感染者か判別出来ない事も多いですよ。
それから鉱石病は生きている人間からは基本的には移りません。
専門家の我々が保証しましょう。
さて、まだ会うのが怖いですか?」
女性は意気消沈してただ俯いていた。
後もう一押し欲しいか、ドクターは考えていた。
そして、それは彼の傍から出された。
「あの……お姉さん……これお爺ちゃんから貰った物だけど、多分いま必要な物だろうから渡すね」
ポプカルはカバンから折り紙の教本を差し出した。
彼女にとってとても懐かしく、見覚えのある物だろう。
「これ、昔私がよく読んでいた……父はこんな物を持って行ったのね……
私物なんて殆ど置いていったのに……」
ポプカルの手にあるそれを、震える手でゆっくりと受け取ると、胸に抱き締めて嗚咽を漏らした。
「お爺さん言ってたよ。
家族が会いに来てくれないのは自業自得だって。
でもホントは会いたいんだって。
ポプカルは行ってあげて欲しいと思うな」
彼女は顔を上げずに、只々うなづいた。
ポプカルは彼女に歩み寄って、顔を上げられない彼女の頭を掻き抱いた。
「とんでもない醜態を晒してしまったわね……
ごめんなさい。
もう、大丈夫よ」
目元がまだ腫れてはいるが、受け答えはもう出来るくらいには落ち着いたようだ。
だが彼女の涙腺の仕事はきっとこれからが本番だろう。
「ありがとう、お嬢さん。
貴方のお名前を伺いたいわ」
しゃがんで、目線を合わせて真っ直ぐ目を見て問いかけた。
「私はポプカルって言います。
えと、ロドスのオペレーターをやってます」
「ポプカルさん、父の面倒を見てくれてありがとう。
さっきは酷いことを言ってごめんなさい」
先程とは逆に、ポプカルをその胸に抱きしめた。
「うん、大丈夫だよ!
仲直りのハグだね!」
ポプカルは、お爺さんとお姉さんはお顔はあんまり似ていないのに匂いは似てる気がするな、と思った。
それがなんだか少し羨ましい。
「では、お父上の病室まで案内しましょう」
ドクターは部屋の扉を開けた。
女性は本をポプカル返し、もう一度ハグをした。
ドクターは現状を説明しながら歩いた。
「あれだけ焚き付けておいてなんですが、お父様の状態は良くない。
意識も混濁していることが多く、会話もままならないかもしれません。
ですが、明日にでも亡くなる可能性があるので、顔だけでも見ておいた方が良いでしょう」
女性は神妙に頷いた。
覚悟はしていたようだった。
病室は薄暗く、密閉されているようだった。
扉はエアロックでもするかのように厳重で、大きな分厚い窓から内部の様子が見える。
中央部の天井には大きな換気口がある。
病室というよりは実験室のようだ。
ベッドに横たわっている男は木乃伊のように痩せていて、まるで死んでいるようにも見える。
中で患者の様子を見ていた女医が此方に気付いて扉を開けた。
「よくいらっしゃいました。
私は主治医のフォリニックです。
間に合って良かったです、いつ息を引き取ってもおかしくない状態でした。
どうぞ中へ」
女性は老人の姿を見て、蹌踉めきながら隣に立って手を握った。
「こんな枯れ木みたいな指になって……
昔は指の皮が厚過ぎて、折り紙一枚折るのに四苦八苦してた癖に……」
老人に聞こえるように耳元で、パパ来たわよ、と呟いた。
すると突然息を吹き返したかのように、カッと目を見開いて手を握り返し、キョロキョロと周りを見回した。
そしてその視界に女性を収め暫く呆然とし、握った手に力を込めた。
「嗚呼……これは夢か?」
そして部屋の隅にポプカル達が居る事に気がつくと、納得してゆっくりと微笑んだ。
「そうか、ポプカルが連れてきてくれたのか。
本当に君という人は私に希望を運んできてくれるね」
フォリニックは彼が意識を取り戻し、明瞭に会話している事に驚いていた。
この病室に入ってから、彼が譫言以外のことを喋った事はなかったからだ。
「パパ、ごめんなさい、私パパが弱っていくのを見ているのが辛くて、皆んなに後ろ指を指さされるのが怖くて、目を背けてた……
親不孝者よ私は……」
彼は自分の胸に縋って泣く娘の頭をゆっくり撫でていた。
おそらくこれが今際の最後の会話になるだろう。
親娘水入らずで会話させるべく、三人は病室から外へ出た。
ポプカルも話したい事は沢山あったが、二人が最後にちゃんと話せた事がとても嬉しかった。
病室の外で二人が何か会話しているのを眺めながら、ポプカルは少し浮かない顔をしていた。
「ねぇドクター、もしかしたらポプカル悪い子かもしれない」
「急にどうした?」
脈絡なくそんな事を言い出したのでドクターはとても驚いた。
「お爺さんには娘さんが迎えにきてくれたでしょう。
お爺さんもとっても会いたいって言ってたし、ポプカル、本当に嬉しいの。
でもね……」
一度言葉を切り、ドクターの顔を窺った。
その先を言うべきかどうか悩んでいるようだった。
「大丈夫よポプカル、ドクターも私も何を言っても怒らないわ」
フォリニックはそう言って続きを促した。
この幼い若者には、言葉にする事がきっと大事だと大人の二人は思った。
うん、と小さく頷いて話を続けた。
「お爺さんには迎えが来てくれたでしょう。
でもポプカルはどれだけ待ってもお父さんもお母さんも来てくれそうにないよね……
だからとっても羨ましい。
殆ど諦めてたのに、娘さんが来てくれて、とても嬉しいことで、なのに心の隅っこで喜べない私がいるの……
もしかしたら、ポプカルがそんな事を思う悪い子だから、お父さんお母さんも来てくれないのかもしれない……」
フォリニックはそんな台詞に一瞬虚を突かれた。
ポプカルよりフォリニックの方が泣きそうだった。
彼女はただ強く抱きしめてやることしか出来ない。
ドクターはそっと頭に手を置いて優しく撫で続けた。
「ポプカル、それは大人でもよくある事なんだよ。
何かを強く願えば願うほど、他の誰かがそれを達成するのを見ると思ってしまうことなんだ。
でも、君達は友達だ。
友達のお願いが叶ったのなら、自分の事のように喜んであげることも出来るだろう。
ポプカルはとっても良い子だよ。
ロドスの皆んなが保証する」
二人の体温も言葉もとても暖かくてポプカルも泣きそうになった。
彼女は自分の中にこんな感情があることを始めて知った。
数分ほど経って様子を見に行くと、彼は娘に看取られて事切れていた。
フォリニックは脈を確かめた後、まだ父親の手を握っている女性の肩を抱いた。
だが、突然発光を始めた遺体を見て形相を変えた。
「速く!部屋から出なさい!
ドクター、扉のロックと換気の用意をお願い!」
何が起こっているのか理解していない彼女を無理やり立たせ、フォリニックは彼女を引き摺るように部屋を出た。
出て直ぐ扉は厳重に密閉された。
窓から内部を窺うと、発光していた遺体が粉を吹き上げながら崩れていく所だった。
オーロラのような七色に輝く光の粒は、その一つ一つが深刻な汚染を引き起こす。
やがてそれらは中央の換気扇に吸い込まれ、スプリンクラーの水によって洗い流された。
ほんのついさっきまで人間がいた形跡は、ベッドの上に残った検診衣だけだ。
この無機質で冷徹な部屋でそれだけが異彩を放っているように見える。
女性はなにが起こったのか分からず呆然としていた。
「え?父は一体どうしたの?」
「感染者の遺体は死後、原石反応によって空気中に飛散、消滅します。
まさかこんなに早く反応が進むなんて……
貴方を危険に晒したことをお詫びしなければなりません」
ドクターとフォリニックは揃って頭を下げた。
茫然とし、疲れ切った表情で彼女は言った。
「やっぱり私は感染者……いいえ、鉱石病は嫌いだわ。
浸る時間さえ奪われてしまうのね」
目まぐるしく動く状況に現実感が湧かないまま、彼女は暫く座り込んだままだった。
後日、老人の部屋を片付けるので欲しい物は持っていくように言われたポプカルは、ドクターと共に彼の部屋へと向かっていた。
「ごめんな、ポプカル
俺は彼がそう遠くないうちに亡くなることは分かっていたんだ。
それなのに君に彼と仲良くしてやって欲しいと頼んだんだ」
「ドクター、謝らないで。
とっても悲しいけど、ポプカル何となく予感はしてたから……
ポプカル、ロドスに来て色んな人達に優しくして貰ってるから、ロドスに来た人にも優しくしてあげたいと思ってるの」
「だから、もし寂しそうにしている人が居たら友達になってあげたいし、仲良くなりたい。
将来、どうなるかなんて分からないけど、今その人に出来ることをしてあげたい。
ドクターが皆んなにしてくれてるみたいにしたいの」
それにね、と先を歩いていたポプカルは振り返った。
「お爺さんと遊ぶのは凄く楽しかった!
色んなものいっぱい作ったから、ドクターにも見せてあげる!
この沢山の鶴もその一つなんだよ!」
紐を通した沢山の鶴を掲げた。
「お爺さんにも見せてあげたかったんだけど、会えなかったなぁ……
せめてお部屋に飾ってあげたかった。
ポプカル、すぐに片付けるとしても、一瞬でもあの部屋に、お爺さんと一緒に作った物と一緒に飾ってある所を見たいの……」
部屋に入ると前に入った時と同じように、沢山の作品がで迎えてくれた。
だが、部屋の中央に机が何個か並べてあり、それには見覚えはなかった。
一番通路側の机には一脚だけ引き出された椅子があり、そこに一枚のポストカードがあった。
ヴィクトリアの湖畔、遠くに森が映っている長閑な風景のポストカードだ。
裏には「親愛なる友へ」という文字と、ティーカップのイラストが手描きで描かれている。
机の上の中心には水色の画用紙が引かれ、その周りにはスレート模様の紙で出来た家が並んでいる。
きっと湖畔をイメージして作ったのだろう。
机の淵にはブルーベル、ツツジ、水仙の花が咲き、その合間にポプカルが作った動物が遊んでいる。
水辺には鳥、ボートがあって、魚が紙の湖の上を泳いでいる
そして、桟橋には二つの紙人形が座っている。
一つはきっとポプカルだろう。
特徴のある帽子と赤と黒の服で分かる。
もう一つはワイシャツを着ている、杖を持った人形だ。
これは老人だろう。
二人仲良く湖を眺めているように見える。
これは叶う事の無いと分かっていて、約束してしまった老人の罪滅ぼしだ。
そして、彼が少しでも長く生きたいという希望を持てた理由だろう。
ポプカルは千羽鶴から何匹か鶴を外し、湖面へ浮かべた。
窓から西日が差し込んで湖面へと降り注ぎ、幻想的な影の模様が浮かび上がる。
その時、ポプカルはヴィクトリアの湖面に沈む夕陽を幻視した。
隣のお爺さんもただ真っ直ぐにその景色を眺めている。
不意に彼がポプカルを見た。
その表情は優しく、ただ慈しみと感謝が感じられた。
気がつくと、ポプカルは滂沱の涙を流していた。
結局、ちゃんと最後の別れが出来ないまま老人は死んでしまった。
だから、彼の死に実感がさほど湧かないままに今まで来てしまったのだ。
今漸く、ちゃんとさよならが出来るだろう。
ドクターはそっとポプカルに寄り添った。
彼女はドクターの裾に縋り付いて号泣した。
二人の影が優しく西日で照らされた。