『“穢れ”し少年の吸血記』外伝   作:ダート

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悪しき入れ知恵

 

 階段に座って、聞こえる声に聞き耳を立てる。

 食堂からはお父さんとお母さんの話し声。

 

「…………は………………けん……アトラ………………」

「……も…………ム。そ…………問題に……………?」

「…………もな。だが…………だ。明日……………………。アトラも…………」

 

 ここからだとはっきりと聞こえない中にも、時々自分の名前が出ているのだけは聞き取れた。その度にどういう流れで名前が出ているのかを考えて、嫌な汗がにじんでくる。

 

 帰ってきたお父さんに、ぼくは『治癒覚醒法』のことを話した。その瞬間お父さんは目を見開いて、どこでそれを知ったのかとすごい剣幕で問いただされた。

 そんなお父さんを前にウソなんてつけるはずもなく、ぼくは山奥での不思議な体験を口にしようとした。

 

 ————言おうとして、なのに……言えなかった。

 

「あ……れ  ?」

 

 漠然とした記憶はある。けどその記憶を手繰り寄せることができない。遠くからみたら分かるのに、近寄ると途端にぼやけてしまう。

 なんだか少し、魔法を使おうとしたときの感覚に似ているような気がした。

 

「山の奥で……誰かが、教えてくれた……はず。 ぼく…………ごめんなさい、お父さん。ぼく……うまく、思い出せない……。さっきまで覚えてたのに……ううん、今も覚えてるのに、分かんない……」

「アトラ…………!」

 

 自分の状況や戸惑いをなんとか伝えようとすると、お父さんはぼくの肩を掴んで、真剣な表情で続ける。

 

「その“誰か”と、何か“約束”をしなかったか?」

「した……かもしれないけど」

「覚えていないか」

「うん……ごめんなさい」

「……………………いや、いいんだアトラ。お前が悪いんじゃない」

 

 頭にお父さんの手が置かれる。そうしてぼくを撫でている間、お父さんはいつもの優しい表情にもどってくれて、これで終わりなのかとホッとした。

 

「これは——〈契約〉か。『このことは秘密』とでも吹っかけたんだろう。アトラがそれを了承することで成立か…………ここまで一方的な〈契約〉は人間かも怪しいな……小賢しい妖精か? 何にせよやってくれる——」

 

 そんなぼくの安堵とは裏腹に、その笑顔に反してお父さんの声は低い。その怒りはぼくじゃない誰かに……顔も浮かばない“あの子”に向けられているのは明白だった。

 これが良くない状況だと、胸のざわめきが教えてくれる。だけど、そんなのはどうしようも無い。庇おうにもごまかそうにも、ぼくにだって訳がわからないんだ……。

 

 ぼくが話し終わるとお父さんはお母さんのいる庭の方へと出て行った。ぼくもこの話がこれで終わりにならないと予感してついて行くと、庭には大きな荷馬車が駐まっていた。

 それはすごく違和感を感じる光景。荷台にはぼくから見ても高級品だと分かる蒼の扉が、宙に浮かぶ水球の中で守られていた。

 

 初めてみる魔法。想像だけど、荷馬車がどんな悪路を走っても傷つける訳に行かないものを保護するためのものだろうその魔法は、蒼い扉の美しさもあって、ひとつの芸術品みたいだった。

 そんな水球を目の前にしながら、お母さんは顔を上気させてピョンピョンとはしゃいでいる。こんなお母さんは見たことがない。

 その熱い視線は、水球というよりはその中身、蒼い扉に向けられて見えた。

 

 お父さんはそんなお母さんの様子に苦笑すると、なんとか苦労して落ち着かせてから、“大事な話”のために食堂に行ってしまう。

 

 結果、ぼくは話に参加させてもらえずにここで聞き耳を立てるしかなかった。一度、終わったら呼ぶから部屋に戻ってなさいと言われたけど…………とても自室で落ち着ける気分じゃなかった。

 

 待ってる間に外はもう薄暗くなってきて、話が長引いている事実にまた落ち込んでしまう。ぼくのしでかしたことは、それだけ時間をかけなきゃいけない内容ということなのだ。

 

「そんな大変なことを言っちゃったのかな……」

 

 誰にともなくつぶやく。そんな自分に、もう心底呆れた。

 だって、大変なことを言ったのはもうとっくに分かりきってるじゃないか。それにもかかわらず白々しくもこんな呟きをもらすのは、つまりは言い訳なんだ。

 「悪気はありませんでした」、「ぼくは知りませんでした」という役作り。

 いや、知らなかったのは本当だけど……どこかで予感はあったじゃないか。『……そんな簡単なことなのかな?』とか、『なんで今まで読んだ本に書いてなかったんだろう?』とか……けど、そんな予感をぼくは嬉々として払い除けて、目先の希望に飛びついたんじゃないか。

 

 こんな言い訳をさせているのは、そんな今更な罪悪感と自己嫌悪に違いなかった……。

 

「っ、あ……アリア?」

 

 さっきまでなかった人の気配に振り向くと、予想通りの気配の主が立っていた。

 鹿のような角を持った白馬のぬいぐるみを抱いたアリアだ。大事に抱きしめられているぬいぐるみは、アリアの誕生日にお母さんが作ったものだっけ。名前はコロコロ変わるから今の名前は分からないけど、アリアがお気に入りのぬいぐるみを部屋から出すのはとても珍しい。

 

「アリア……?」

 

 見上げる先のアリアは、こっちを見ながらなかなか動かない。なんだか悩んでいるようにも見える。だけど相談に乗る元気もなくて、ぼくとアリアの間には奇妙な沈黙の時間が流れる。

 

 そして結論が出たのか、アリアは軽く頷くと無言で階段を降りてくる。そしてそのまま通り過ぎることなく、妹はぼくの隣に腰を下ろした。

 

「ん…………」

「え?」

 

 白馬のぬいぐるみが突き出される。

 それをどうすれば良いのか、何を求められているのかと戸惑っていると、アリアは再び口を開いた。

 

「だっこして、いいよ」

「あ……りがとう」

 

 何を思ってのことかはよく分からない。ぬいぐるみを触るのはこれが初めてだから。

 アリアは自分のものをあまり触らせたがらないし、気に入ってるぬいぐるみなんかは特にそうなのに……。

 

「わっ……やわらかい……!」

 

 とりあえず、渡されたぬいぐるみを抱いてみる。見た目以上に柔らかな白馬はもふもふとした感触で、なんだか日向ぼっこをしたヒヨコみたいな匂いがした。

 これを抱いて寝たら、それはもう気持ちいいんだろうな。アリアの寝付きがいいのも、この馬のおかげだったりするのかもしれない。

 正直うらやましいくらい、このぬいぐるみはなんというか……ポカポカしてた。

 

「こーやってなでてあげて」

「ああ、————こうかな?」

「うん」

 

 アリアとぬいぐるみを撫でたり、この馬のお世話の仕方を教わっているうちにあっという間に時間は流れて、気がついたらお父さんたちの話も終わっていた。

 夕食のいいにおいと一緒に、お母さんが呼びに来る。

 その頃には体にまとわりつくような嫌な汗はすっかり引いて、聞き耳を立てていたときでは考えられないくらいにぼくの気持ちは晴れていた。

 

(もしかして気づかってくれたのかな……?)

 

 これがぼくの都合のいい解釈なのか、はたまたアリアの優しさなのか。ぬいぐるみを置きに階段を上る小さな背中は、どことなく満足げに見えた。

 

(今日はアリアの好きな果物の日だし……ぼくの分をあげたら喜んでくれるかな)

 

 ちょっとした恩返しを考えながら、ぼくはひと足先に食堂に入った。

 

「————アトラ、明日は一緒に山に入るぞ。『治癒覚醒法』を教えた“誰か”に会いたい」

 

 夕食を終えたタイミングでのお父さんの言葉だった。

 ぼくはそれに頷くと道具の支度を済ませてから、翌日に備えて早く布団に入る。だけど、おかずのほとんどをアリアに容赦なく取られちゃったせいで中々寝付けず、浅い眠りから覚めたときにはもう夜が明けていた。

 

 

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「…………おはよ」

「んー? はは、なんだアトラ。あまり眠れなかったか」

「うん……」

 

 目が覚めて、なんとなく重たい頭をどうにか持ち上げて下へ降りると、もう完全に支度を整えたお父さんに張りのある声で迎えられた。

 うぅ……頭にひびく…………。

 

「ほら、顔を洗ってしゃんとしろ! 朝の不調は一日引きずるぞ!」

 

 足元に水の入った桶が置かれ、タオルが投げられる。

 びっくりするくらい冷たい水で濡らしたタオルは、頭の重さを吹き散らし、少しぼやけていた視界がはっきりしたものに変わる。

 

「フゥーーッ、よし!」

 

 だいぶスッキリした。どんな経緯であれ、お父さんと山に入るんだ。みっともないところは見せたくない。

 

「さて……」

 

 余った水を庭の芝にあげようと玄関を見ると、そこには数段グレードの上がった両扉が鎮座していた。

 『玄関は家の顔』とお母さんはよく言っていたけど、扉ひとつ変わるだけでこんなに雰囲気が変わるなんて……。

 

「すごい綺麗な扉だなぁ……これだけで知らない家みたいだ。シスが見たら喜びそうだな。こういうの好きそうだし」

 

 しばらく遊んでない友だちの顔を思い出す。今度これを理由に呼んでみようかな…………いや、それじゃただの自慢みたいになる。それはダメだって学んだじゃないか。

 

 頭を振って、余計な考えを飛ばす。今はそんなことよりやるべきことがある。カロンやシルス、そしてなによりオランのことは時間をかけて考えればいい。

 

 そんな考え事をしていると、目の前の扉が開く。お父さんだ。

 お父さんは何度か扉を開け閉めしながら、装飾を指で撫でて何かブツブツ言っている。

 

「————室内を想定しているからな……やはりコーティングして汚れにくくするべきか……今度町に行った時にでも買ってみるか? どこで手に入るんだったか…………あまり放っておくとアリシアがなぁ…………」

 

 なんだか難しい顔でお父さんも考え事みたいだ。ぼくはその横を通って水を庭に蒔くと、昨日の荷馬車が門の横に置かれているのに気がついた。

 庭を見回すと、馬が縄で木に繋がれている。気持ち縄が短い理由は、木の周りの芝の状態を見ればすぐに分かった。

 

「ゥ……」

 

 馬と目が合う。すぐに逸らした。

 実を言うと、ぼくはあまり馬が好きじゃない。というのも、少しこわいから。

 遠目に見える馬はかっこいいけど、近くで見ると本当に大きいし、顔や目もなんとなくこわいし……。

 

「アトラー! 顔も洗ったならそろそろ軽く腹に入れて出発するぞー!」

「はーい!」

 

 逃げるようにそそくさとお父さんのところへ戻る。そしてパンと果物をひとつずつ口にしてから、なぜか槍2本で武装したお父さんと一緒に村を出発した。


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