ウパーに促されるまま建物内に戻り、居住地にしている囲炉裏のある部屋に入る。カゲツは今も書き物を続けていて、中に入ってきたトウキに振り向きもしないまま「おかえり」と言った。
「ただいま」
疲労が声に滲み出る。息を吐いて囲炉裏に寄ると、カゲツがトウキの様子を不審がり声を掛けてきた。
「何かあったか」
何か。命の危機に瀕して疲れたというのが現状だが、更に確認されるだけだろう。端的に「クチートに出くわした」と言い、立てた膝に頭をのせる。危険はないといっていた相手に対し、こんなにも動揺して呆れられるかと思ったのだが、どうもカゲツの様子がおかしい。即座に手に持ったものを放り出してトウキに寄って来たのだ。
無言で近寄ってくるものだから驚いてトウキが仰け反るも、彼女はそのまま目の前まで来て肩を鷲掴みにしてきた。
「怪我は?」
鬼気迫る勢いで問われる。もしこれまでの付き合いが無ければ確実にトウキは怯えていただろう。
「な、無い」
「どうやって躱した」
「かわし……? いや、あんたが喧嘩を売るなって言ったから、言葉で。頭真っ白だったから何言ったか正直覚えてないけど」
カゲツは詳細を聞くと脱力してかくりと頭を落とす。彼女ははぁと長く細い息を吐いて心底安心したと露わにした。
「良かった、無事で」
「あー、うん。なんとか……?」
いままで見たことない様子に狼狽しているうちにカゲツが顔を上げた。きゅと眉間に皺が寄り元々の目つきの悪さもあって不機嫌そうに見える。ただ、肩を掴む力から、心配してどうしようも無くなっていることが伝わってきた。
「すまない、ここ半年で生態が変わっていると思わなかったんだ」
と。そんなことを言う。ここ半年で生態が、と言葉を飲み込んでいくと、言外になにを言わんとしているのかを理解してしまった。
「…………あの」
「うん……」
「もしかして、クチート、危険?」
「そう、かなり」
どっと汗が出た。危機から脱した後だというのに汗がだらだらと流れる。トウキの体は自覚しないまま震え出した。
「元々はハショウの森に居たんだ。追い出されたか居心地が悪くて出てきたかのどちらかだと思う。
ここに居るのはゴーストタイプが多く、生き物が増えるほど食事がしやすくなるため流れのポケモンでも受け入れる。半年前に来たきりだったから把握していなかった、本当に申し訳ない」
死にそうな声でカゲツが説明をして謝ってくる。トウキはそれを聞きながらも動揺して無我夢中でカゲツにしがみついた。抱擁なんてものではなく、木に抱き着くコアラのような姿だ。
「う、うそつき」
「本当にごめんな」
「信じた、から、信じたから俺」
「すまない」
三十分くらいの間、震えたまま文句を言い続けるトウキにカゲツはずっと謝った。言い訳一つなく文句すべてを受け止めてくれたのは、カゲツの責任感が強かったからだろう。
子どものように言い続け、段々と落ち着いてきたトウキがカゲツから手を放す。カゲツも掴んだままだった肩を放し、トウキの背を擦った。
「トウキが無事でよかった」
「……うん」
安心したと声や態度に滲ませる彼女は保護者そのものだった。トウキはもう危険は去ったのだと漸く実感して、そして先ほどまでの自分の醜態を恥じて膝に顔を埋めた。暫くは顔を上げられそうにない。
「疲れたろう。何か欲しいものはあるか?」
「……アイス」
「ちょっと……この島には無いな……」
意地悪だと自覚して言ったトウキに対し、困ったようにカゲツは言葉を返してきた。出来れば叶えてやりたいんだがと続くものだから、つい笑ってしまう。
「いいよ、別に。ただ、あとで甘いもん食わせて」
「……茶菓子を出すよ、一応持ってきていたから」
「用意周到」
カゲツは持ってきた荷物の方へ向かう。くってりと疲れ切ったトウキは、いま生きている事実を確認するように、改めて大きな深呼吸をした。
何かの跡地に居るポケモンは無害なものが多い。だが、クチートのように新しく住み着いたポケモンはその限りとは言えないらしい。
カゲツが淹れてくれた薬茶を飲み二人向き合って話をする。知識不足は死に至ると改めて実感したことから、カゲツから情報の共有を提案してきたのだ。
「軽く話をしたが、この一帯にはゴーストタイプのポケモンが数多くいる。具体的に」
「あ、いや、先にこの建物の中に居る奴を教えてくんないかな。タイプはそのあとに教えてほしい」
「む。それもそうか」
タイプごとに説明しようとしていたところを遮る。トウキが受けたいのは講義ではなく、身近な脅威への対策をするための知識だったからだ。この建物の中に居るポケモンが最優先であり、外に居るポケモンは後回しで構わないのである。
「建物の中に居るポケモンは……ちょっと待ってくれ、書き上げる」
カゲツが白紙を取り出してポケモンの名前を連ねてく。何かを見ながらでもないのに手を止めることがないため覚えているのだろう。名前をすべて書き上げてから、カゲツは説明を始める。
「ケーシィ、ユンゲラー、フーディンたちはエスパー、電気タイプのポケモンだ。彼らは建物内の二部屋を使用している。ここから見て左手側の二部屋だな」
あっちだ、と実際の部屋を指して示される。厨とこの囲炉裏の部屋の間にある部屋を居住地にしているらしい。
「どんなポケモンなんだ?」
「どんな……黄色い、帯電しているポケモンだな。一目でカミナリだとわかると思う」
聞いても一切イメージは湧かないが、カミナリであるため見に行く気は起きない。部屋には近づかないことに決めた。
「右手側の中央一室にはハイカケス、ニビカケス、クラカケスたちが居る。ゴースト、鋼のタソガシマ固有のポケモンだ」
「固有種なんだ」
「彼らの他にも固有種はいる。いずれ機会があれば紹介するよ」
ゴーストと鋼の複合は珍しいんじゃないだろうか。トウキが浅いポケモン知識を思い出すと、ガラルには確かいた気がする。剣の見た目をした格好いいポケモンだったが、同じようなポケモンなのだろうか。
「雨が嫌いらしくてね、たまにこの囲炉裏の部屋にも入ってくる。囲炉裏を使うと空気が乾くから」
「雨が嫌い……えーっと、どんな見た目してんの」
「鳥を模した機械の姿だな。彼らは友好的だから節度を持って接してみるといい。濡れた手で無ければ触らせてもらえるはずだ」
「……考えとく」
鳥を模した機械、と言われても。メカメカしい鳥なのだろうか。やはり絵が無いと想像し難い。友好的というのだし、気が向いたら見に行ってもいいかもしれない。
「あとはヒトモシ、ランプラー。ゴースト、炎タイプだ。最終進化であるシャンデラはこの島では今のところ観測されていない」
「そんなことあんの?」
「普通にあるさ。ポケモンは進化する前に十分に捕食している必要がある。この島のゴーストタイプは基本腹が満たされていない状態だから、進化しようにもできない」
そもそもきみ、ポケモンの進化のメカニズムはわかるか。そうカゲツに問われる。
「……戦闘を重ねて既定のレベルまで上がったら……?」
「レベル……レベルか、まあ、競技バトルならそういう観点もあるのかもしれないが……」
カゲツが言葉を探す素振りを見せる。ただ、それよりも先にトウキが訪ねた。
「レベルって概念、ない?」
「あまり言語学は詳しくないんだが。水準とか、格とか。そういう意味じゃないのか」
「あっ大丈夫です」
ポケモンの世界であるなら当たり前にあると思っていたレベルの概念が無いという。カゲツは不思議そうにしながら、話を戻すが、と続けた。
「ポケモンが進化する上で重要なのは経験だ。生きてきた中での経過全てがポケモンの進化に関わる」
それは戦闘を重ねた末に進化するということなのだろうか。いまいちわからないとトウキが返すと、カゲツはまた丁寧に言葉を探す。
「食事をして、光合成をして、敵と争って、身を守って、住処を探して。生きるために必要なことをするうちに、出来ないことがわかるだろう。
食事の速さが遅く他の生き物に捕食されてしまう。背丈が足りないため光を浴びることが出来ない。敵に一方的に負けてしまう。体が強くないため木に強打するだけで大怪我を負う。住処に適した場所を見つけても他の生き物み見つかりやすい。
その弱点の対策をするために、ポケモンが遺伝子に刻まれた通り、自分の体を作り替える。それが進化だ」
つまり、ポケモンの進化は不十分を十分にするために行われるという。だから進化前よりもポケモンたちはより強く賢くなり、より生き延びやすくなるのだと。
「そして次、なぜ進化が出来ないのか。これには二つ、理由がある。
一つは栄養不足。進化をするときには体を作り替える必要があるためエネルギーを多く使う。事前に多く体内に栄養を取り込んでいる必要があるんだ。だから十分に食事が出来ていないポケモンは進化が出来ない」
トウキは小学生の頃の理科の時間を思い出した。芋虫は変態し空を舞う生き物になるために、たくさんの葉っぱを食べるのだ。生存のためも勿論あるだろうが、あれは蛹の時に死亡しないためでもあったはずだ。
なるほどな、とその理屈に納得していると、カゲツがもう一つを話しだす。
「もう一つは、見本が無いことだ。わかるか?」
見本が無いことで進化が出来ない。どういうことだとカゲツを見ていると、彼女は仕方ないと笑う。
「結構難しい話なんだが……そうだな。きみ、泳げるか?」
「え? あ、うん。五十メートルくらいなら」
「……凄いな?」
私はさっぱりだと返答が来るが何が何だか。見本の話でなぜ水泳が出てきたのだろう。
「泳ぐにはまず、水の中を泳げるということを知っている必要があるだろう。水は泳げるものだという認識がまず最初に必要だ」
「……どゆこと」
「んー……きみ、水溜まりを知ってるか?」
「知ってる」
「あれ、泳げるか?」
「無理でしょ」
アスファルトに出来た空を映す水溜まりを思い出す。広さも深さも無いのに人間が泳げるわけがない。いや、他の微生物なら泳いでいるのかもしれないが。
「そう、無理だ。なら、どれくらいの深さと広さの水だったら泳げるかわかるか」
何が言いたいのだろうか。わからないまま「風呂の浴槽三つ分の広さがあれば十分なんじゃない」と答えた。
「ん、素晴らしい。そういうことなんだ」
「もっと詳しく説明して」
さっぱりだ、と首を振れば。カゲツは言葉を纏め終えていたのか饒舌に語る。
「泳げる人間はどうやって泳ぐかがわかるが、泳げない人間はどうすれば泳げるのかがわからないだろう。泳ぐのに適した環境も、泳いだ感覚を知らなければできない。
進化をするにも同じ。前例があって、その模倣をして学ぶ必要がある。飛び方を知らない鳥に飛べといっても飛べないように、足の動かし方を知らない人間に歩けと言っても歩けないように。進化の仕方を知らないポケモンは進化が出来ない」
と。最初からこの説明だけで良かったのではないかと聞きたくなるくらいには理解できた。ただ、ちゃんと義務教育を終え高等学校まで進学したトウキには、持つ知識からの疑問がまだある。
「遺伝子に刻まれた通りに進化するんだろ。なんで見本が無いとできないわけ?」
蝶々は変態する前に蛹になるが、その変態の仕方を誰が教えたというのだろう。見本が必ずあるわけでもないし、それが正しく遺伝子が持つ本能的な知識なのではないか。そう思っての疑問になぜだろう、カゲツがやけに楽しそうに笑った。
「ポケモンが知性ある思考する生き物だからだよ。人間や他の種族のポケモンとでも会話できるほどに賢いからこそ、本能は鈍りやすい。
野生のポケモンは進化が出来るが、人と一緒に生活しているポケモンほど進化が出来ないのはそのためだ。他の同族から離れ人間の環境に馴染まされ慣れて、どうやってポケモンはポケモンとして生きられる?」
カゲツは随分と楽しそうにべらべらと話した。今までで一番舌の周りがいいんじゃないかと思うほど饒舌だった。
「ポケモンはポケモンでしかない。だが、ポケモンも野生を離れればポケモンであることを忘れる。だから競技バトルの人間は最終進化系を主に捕まえるし、進化前を捕まえたら一苦労だ。野生のポケモンを観察させて学ばせる必要があるからな」
「……なるほど?」
遺伝子に刻まれていようが群れを離れて野生から離れれば、その内容を読み取れなくなると。どうにか言葉を理解して頷けば、カゲツは喋り過ぎたと一切反省していない声で言う。乾いた喉を茶で潤して、カゲツは本題を思い出したらしい。
「あとこの建物に居るのはゴース、ゴースト、ゲンガー。それからムウマとムウマージだ。タイプの説明は?」
「いや、もう結構です」
最後に挙げられた五体はもう知っている。ムウマージも名前からしてムウマの進化系だろう。
怒涛の勢いで話されて疲れてしまったと文句を言えば、やっぱりカゲツは悪びれもせずに感情の籠っていない謝罪を返した。
活動報告に『降雨』(ひとつ前の話)までの設定纏め書いてあります。よければ読んでください。