跡地に来て七日目になって漸く雨が止んだ。二日目以降危険なポケモンに遭遇することもなく平穏に過ごせたとはいえ、野生のポケモンと同居するというのは中々に精神的な疲労が溜まる。
雨が止むまでの間トウキはきのみをもう一度取りに行ったり、カゲツに紙を貰い色々と描いて過ごした。それは平穏な割に一定の緊張感がある、代わり映えが無い精神的に摩耗する日々だった。だから七日目の今日、まだ止んだばかりで出発するかの判断をカゲツが悩んだとき、トウキからもう行こうと言い出したのだ。
雨が止み地面がぬかるむ中、二人は旅を再開する。次に進むのはハショウの森。カガンの森よりも旅程を長く取られた場所になる。
「六日間降り続くとは思ってなかったな」
カゲツが泥で構築された地面を踏んづけながら言う。長くとも五日間だろうとカゲツは見積もっていたらしい。お供のウパーを籠に入れ運びながらも、彼女の脚は快調に動いている。
「最長で一週間なんだろ。ならマシだ」
毎日井戸水を運んで浴槽に入れた成果か、ストレッチを欠かさず続けたお陰か。トウキも余裕を持ってその歩みについていくことが出来ていた。
「因みにその最長記録が出た年は酷い水害だった。多くの木が根腐れを起こし、作物も殆ど駄目になったんだ。大変だったよ」
「うわ。今年はどうなの、それ」
「今のところはそこまでの事はないが……元々晴れが少ない島だから。心配ではある」
雨が止んだ今日も空は曇り模様。タソガシマに来てから一度も青空を見ていないことに気が付いた。
「全然晴れないのにどうやって作物育ててんの」
「各村の倉番は草タイプのポケモンを持つ風習がある。にほんばれやせいちょうなどの技を使ってもらうんだ」
「はあ、結局ポケモン頼み……」
良いのかと疑問を抱くと、カゲツはその通りだと返答をする。少なくとも喜んではいないことはその声からわかる。
「この島はポケモンと共に生き、生かされているから。人間だけだと生きられまいよ」
この島と他とは何が違うんだろう。トウキの知るポケモン世界とはポケモンと共に生きる世界だ。それ以外は知らない。知る由もない。
「人も一人では生きられないもんな」
「ん。そう。大抵の生き物は助け合って生きている。……そうだな」
複雑そうにカゲツは言う。トウキはそれを知らないふりして、ただ彼女の後をついて行った。
ハショウの森は全域が深い森だ。密度は違えど何処にも木が生い茂り視界不良になりやすい。路無き道を進むせいで、ムウマが居なければ数度カゲツと逸れてしまっていただろう。
ポケモンと遭遇しては技で距離と取らせたり、無視されるように振る舞ったり。都度対処しておよそ五時間を歩いた頃だ。
「今日はここまでで止まるぞ」
そうカゲツが言い出した。
場所はやはり今まで進んだ中と代わり映えの無い景色で、何故ここを野営地に決めたのか理解できないほどだ。それにまだ日も落ちていないだろう明るさで、どうしてここで足を止めるのか。
「もうちょい進めるんじゃないの?」
「いや、ここじゃないと不味い。縄張りの関係だ」
「縄張り」
カゲツ曰く、ポケモンたちにも縄張りがあり、その敷地で野営しようものなら間違いなく襲われるらしい。プライドが高いポケモンも多いため縄張りに含まれていない空白部分で野営するのが理想なのだと。
「ここを逃すともう五時間は歩き通しだ。嫌だろう」
「嫌です……」
「な。だから、今日はここまで。ゆっくり休んでまた明日を迎えればいい。急ぐ必要はあっても慌てる必要は無いんだから」
その言葉にトウキは頷く。カゲツは別にこの後五時間を歩いても良いと思っているのが見えたからだ。カゲツ一人なら普通に歩いたのかもしれないが、トウキが居るから止めたのだろう。その厚意には甘えたほうがいい。
「あまりに人が良くないか、あんた」
その良さに助けられている癖についそんなことを言ってしまう。だって出会ってから今までにどれ程の迷惑を掛けただろう。だのに、彼女はトウキに対する文句や不満を何一つとして言わない。ずっと思っていたことだから言ってやりたくなったのだ。
カゲツはその言葉を聞いて、きょとりと幼い子どもみたいな顔をした。それから不思議そうに首を傾げ、最後にはふふと笑いまでする。
「な。そんな良い人に思うか、私」
「少なくとも俺にとったら」
「ふふ、ふ。いや、ポケモン扱いされてるんじゃなかったのか?」
本当に可笑しそうにカゲツが笑う。皮肉屋だとトウキが言ったときとは違い、可笑しい面白いと笑っている。何がそんなに面白いのかとトウキが聞けば、カゲツは何処か品のある仕草で口元を隠した。
「やめてくれ、私は人でなしだよ」
そう。やっぱり可笑しそうに笑うのだ。
「……こんなに助けてくれるのに?」
「ほら、きみが言ったじゃないか。中々的確だと思ってる」
「何が」
「新種のポケモン扱い」
確かにそうだ、カゲツが納得したと言う。あのとき言ってからずっと考えていたのだろうか。それともそれよりも前から考えていたのかもしれない。
「私、人の名前を覚えるのが凄く苦手なんだ」
「……俺もそうだけど」
トウキは新学期が苦手だ。新しいクラスになると知らない人が同じ教室に居て、馴染むためには名前を覚えていかないといけない。学生なら熟さなければいけないその暗記が、凄く。トウキは苦手だった。
「じゃあきみ、ドンテンの村の倉番の名前、覚えているか」
ドンテンの村の倉番と言うと。カゲツを男っ気が無いと称したあの人か。
「ジュマさんだろ。村の人が言ってた」
カゲツに次いで知った名前だ。まだ知り合いが少ないためトウキでも十分に覚えられた、が。
「うん。覚えられていないんだ」
と。うっすらと笑いながらカゲツが言った。
「……何年暮らしてんの」
「ドンテンの村にか。大学を卒業してからだから、三年かな」
覚えが悪いにしても異常だ。興味が無いからだったとしても、短い名前を覚えられないのか。ハショウの森にいるポケモンの縄張りを覚えられる人が。何かの跡地にいるポケモン諳んじられる人が。
「病気?」
「……最初にそう言われるとは思わなかったな」
カゲツは苦笑いする。そこには僅かに喜びが滲んでいた気がした。
「生憎、そう言った疾患は研究されていなくてね。それを個性として扱われ、酷い人間扱いされてきたよ。……まあ、二年の付き合いの学友の名を覚えられなければ、そうも言われるのかもしれないが」
「なるほど」
大変そうだなぁ、とトウキはただ話を聞いた。元々人間は人の名前を覚えにくいらしいがそれでも度が過ぎると言われ続けたのだろう。その度に彼女がどう思ったのか。いまこうして自分を人でなしだと言っていることで、分かりきっているが。
「んじゃ、俺も人でなしになるってことね」
これまでの話を聞いて、トウキはそう結論を出した。カゲツは聞いて数秒固まり、いやいやと手を振って否定する。
「違う違うそうじゃない」
「だってあんた、俺の名前覚えてんじゃん」
「そうだけど、そうなんだが、そう……違うが」
だいぶ混乱しているようだ。カゲツは自分は人でなしで、トウキのことをポケモンだと思っているから認識出来ているのだと言おうとしている。自分は酷いやつなのだと言おうとしている。だが、トウキはそうは思わない。
「俺は俺だよ。あんたが俺のことを新種のポケモンだと認識しても、人間だけだと判断しても、それは変わんない。
嫌な自覚させて悪かったけどさ、そんな卑下すんなよ。変わらず新種のポケモン保護した程度に思ってくれりゃいいし、人間扱いするなら偶然名前覚えられる奴がいた、くらいに思えばいいって」
「……私が言うのも何だが、それで良いのか……?」
困惑した様子でカゲツが言う。トウキは一切の不満も無く頷いた。
「いいじゃん別に。俺は困んないし。俺に優しくしてくれてんのも事実だし。
あー……でも、他の人については何も言えね。どうせその人なりの受け取り方なんだろうしさ、そもそも励ましがほしいわけでもないんでしょ」
人が良いというより、ポケモンに優しい人なんだろう。人との付き合い方がわからない代わりにポケモンと付き合い続けたのだろう。確かにそれは人として適合できていないのかもしれない。
だが、トウキとは付き合えている。普通に言葉を交して一緒に行動出来て、それで十分じゃないか。少なくともトウキ自身はそれ以上をカゲツに望むことは無い。
「俺、そんな凄いやつじゃないから、あんたの支えにも成長のきっかけにもなれやしないよ。ただカゲツさんが俺に対して真摯に接してくれる限りは、俺も俺なりにあんたに接する。それで良くない?
人でなしとか……自己評価がそうだったとしても。俺はカゲツさんを良い人だと思うし、それにすごく救われてるし……。それだけ。
まあ。それでも良い人扱いされたくないなら、しない。口にしないだけでずっと思いはするけど」
本当にそれだけだ。カゲツが他者にどうあろうが、過去に何があろうが。結局大事なのは今目の前にいる当人だけだ。それ以外の全ては二の次で良い。
カゲツはトウキの発言を拾って、纏めて、飲み込もうとして。それから、どうも喉に魚の骨が引っかかってるみたいに、嫌そうな顔をした。
「……私は私なりに、これからもきみに接するよ。ただ、良い人扱いだけはしないでくれ」
「ん。わかった」
いったい何がそんなに引っかかるのか。褒め言葉一つも上手く受け取れないカゲツのことを、トウキは不器用な人なのだと思った。
「あ、ポケモン扱いは良いけどさ。特技らしい特技は無いからそれだけは勘弁してな」
「きみ、一言多いって言われないか?」
「割と言われる」
「…………はぁ」
カゲツが溜め息をつく。それが余りにも楽しそうだったから、トウキは不快には思わなかった。
野営の準備をし終えた後のことだ。今日はもう進まないからと一緒にストレッチをしていると、カゲツが「なぁ」と尋ねてきた。
「前に聞いたとき流されてしまったが、きみはどう生きてきたんだ」
と。以前された問いかけがもう一度繰り返された。カゲツは本当に雑談のつもりなようで、変わらず腿裏を伸ばし擦ったりしている。
「どう、な……」
トウキは日本に生まれ育った。家族と仲良くし、学校に通って知識を学び、友人と放課後にはよく遊ぶ。殆どの日本人にとっては当たり前の日常を生きてきた。だがそれをそのまま伝えても、カゲツにはきっと半分も伝わらない。
「もっと具体的に聞いてくんないか。俺にとっては普通の日常だったから」
同じく腿裏を伸ばすストレッチをしながら応える。カゲツはと言うと、何から尋ねるかを算段し始めたらしい。ぶつぶつと小さく呟いて、それから一つ頷いた。
「故郷はどんな場所だったんだ」
「どんな……自然が全然無い場所? 森どころか林も無くて、木は整備されて規定の場所にしか植わってなかったと思う。うん、人の手が入り尽くした場所」
「通りで」
カゲツが股関節を柔らかくするべく、足裏を合わせて前に上体を倒す。通りで、とは。聞けば、体力の無さを言われた。
「開発された都市に住んでいるのであれば、車やバス、電車に飛行機。そういったものに乗り慣れているだろう。だからポケモンには馴染みが無いし、徒歩慣れもしていない。島を歩き続ける体力が無いのもわかる」
「まあ、そうね」
この島で生活を続けるカゲツとは全く違う生活だった。だいぶぼかした返答になるが、彼女はさほど気にしていないらしい。
「そんな場所にいたなら、この島は特に不便だろう」
大変だな、他人事のように言われた。
「まあ、大変なのは間違いないけどさ。言うだろ、住めば都って」
「この島を都と思えるのか」
「思えるんじゃない、いずれ」
「今は思ってないな、その発言は」
流石に今は思えないだろう。自分で自分の身を守る方法が無いのだから。それに。
「俺はこの島の人間じゃないからさ。住んでもない」
「それはそうだ」
トウキの帰る場所は日本だ。なぜタソガシマに、ポケモンの世界に居るのかわからないが。別の世界かもしれないが、それでも帰る場所は変わりない。
「きみの帰りを、誰が待ってくれていると思う」
カゲツは関心からかそんなことを聞いてきた。言葉選びが良くないせいでまた皮肉認定仕掛けたが、本当に言葉通りの質問なのだろう。誰がと言われると少し困ってしまうが。
「家族は間違いなく待ってるよ。友達もきっと。
だから」
早く帰りたい。
つい溢した言葉にカゲツは「そうか」とだけ返す。トウキは少し寂しくなって、その顔を見る余裕も無かった。