カゲツは導も無いのに森を迷いなく進む。何か目印でもあるのかと探してみても、トウキには何一つらしいものを見つけることが出来ない。だからいったい何故そんなにも躊躇無く進めるのか――尋ねてみると、カゲツはなんてこと無さそうにこう返した。
「葉の厚みや足元の雑草、ポケモンの所在による位置情報で把握出来る。慣れればきみにもわかるようになるだろう」
「……無理だと思う」
つまり歩く上で必要な知識すべてを覚えているということだろう。トウキは植物にさして関心が無いから、カゲツの様にはなれまい。
ハショウの森に入って三日目。二人は細波を聞いていた。
「……海だ」
曇り空のせいで灰色にも見える視界一面に広がる水辺。薫る潮が目の前のものが湖ではなく海であることを知らしめている。外気に晒される肌にべたつく空気が触れて、気持ち悪さとは違う違和感を覚えた。
元々ここは島で海に囲まれている地形であるのだが、森が深くこれまでに進んできた場所では海は見えなかったのだ。潮風を浴びてその姿を確認した今もなんだか現実味がない。
「ここはハショウの森とミバリ海岸の境目なんだ。左に曲がればミバリ海岸に続き、その先にシンシンの村がある」
「ミバリ海岸、って結構危険な場所だったよな」
「ああ、感電死の確率が高い」
死因を繰り返してほしかったわけではないが記憶に間違いは無かったらしい。ミバリ海岸は通らないと聞いているため、今回向かうのは右側になるはずだ。
「右側には何があるんだ?」
これまで進んできたのがハショウの森。ならこの先は別の何かか。そう思っての質問だったのだが、カゲツは「変わらず」と答えた。
「まだハショウの森の半分に至ってない。今日が一番長く歩くぞ」
「げ。ちなみに、どんくらい」
「ここからおよそ八時間ほど」
帰りたい。顔を手で覆って泣きごとを言うが、まあ優しく励まされるわけも無く。
「さあ、行こう。あと三日で着く」
「わーい、やったー……」
今日八時間歩いても三日も掛かる。あと三日で終わる。いったいどちらで受け取ればいいのか。どうも前向きには成れず、つい溜め息を吐いた。
そんな他愛のないやり取りを終えると、二人はハショウの森を進む。左側に変わらず見える海は光を浴びて綺麗で、危険な場所だとはわかっていても眺めていたくなるほどだ。これで晴れていたのならどれほど輝いていたのだろうか、そんな関係の無いことが頭に浮かぶ。
「ハショウの森が海沿いってことは、オウセの村も普通に海が見えんの?」
「見えるぞ。元々島外との交易のために出来た村なんだ」
「交易、ねぇ」
ドンテンの村で着替えを融通してもらったが、その時には金銭のやり取りが発生していない。ただ必要なものを話し、いつまでに取りに来るようにと言われただけだった。
「どんなやり取りしてんの」
「またきみはざっくりとした問いを……。
特産のきのみや織物を輸出し、食料品や生活必需品を輸入する。金銭的やり取りはしていないな」
「へぇ」
やり取りがある地方名は前言っていた記憶があるが、トウキは流石に覚えていない。ただ割りに合わない取引じゃないかと思った。他の地方からしてみれば損しかないような。この島に輸出できる余裕なんて無いと感じていたから、そう思ったのだ。内情なんて何も知らないため、やはりトウキはなにも言わなかったが。
「ん。そろそろ気を付けた方がいいな」
カゲツが少し歩く速度を下げる。どうしたのかを問うと、その返答よりも先に。目の前に木が飛んできた。
「……えっ」
木? 理解できずに飛んできた物体を見るが、木だ。ついさっきまで植わっていただろう木が、折れ千切れかけた枝や根を揺らして哀れにも倒れている。
「…………えなに??」
「混戦が始まるんだ。巻き込まれないように気を付けろ」
「ちゃんと説明して」
「ちゃんとと言われてもな……」
倒れた木が変わりなく、と思っていたのだが。エテ、エテ。エイパ、そう鳴くポケモンたちがいつの間にかその倒木に群がっていた。橙色の毛並みを持つ猿のような見た目をしたポケモンたちは、みな尻尾の先に生えた手を両手よりも器用に扱って、その倒木の皮を引っぺがしていく。まるで追剥のように容赦がなかった。
「ハショウの森は広い森なんだが、縄張り争いがひどくてな。その分敢えて誰も占拠しない空白地が生まれたりするんだが……。
ほぼ毎日、ポケモンたちによる争いが起きる」
エテエテと鳴いたポケモンたちが二本の尻尾を使って、倒木の幹を何処かに放る。傍で見ていたエイパと鳴くポケモンは剥がした樹皮を抱えたまま、飛んだ木を眺めて楽しそうに笑う。何事かと思っているうちにその先に居たのだろうポケモンの叫び声がした。
「む、まずい。今のは多分カビゴンの声だ。走るぞトウキ!」
「えっ」
言い出してすぐにカゲツが走り出す。重い荷物やウパーを抱えたままよくまああんなに速く、とそこまで考えてトウキも慌ててその背を追うように走った。いままで雨が降った以外では一定の速さで歩いていた人が走ると言ったのだ。余程のことがあるに違いない。
一切の無駄口を聞かずに暫く走り続け、段々と喉の奥から血が滲んできたころだ。後ろから大きな破裂音がした。
「なに今の!」
「カビゴンのばくれつパンチだ!」
「そんな技覚えられるんだな知らなかった!」
トウキがゲームで遊んでいた時、仲間にカビゴンを入れていた時期がある。結構ちゃんと育てていたはずなのだがそんな技を覚えることは知らなかった。それともゲームとの差異とでも言うのか。
「この島以外のカビゴンでも覚えられるがこの島のカビゴンは電気と格闘タイプだ! 攻撃されたら即死する可能性がある死にたくなければ本気で走れ!」
「この島そんなんばっか!!」
大声で叫んだせいで喉が痛い。ゲホゲホと咳き込みながら必死に走り続ける。後ろからするバキバキと生木が折れる音が、死神が近づいてくる音みたいだ。気力を振り絞り全力で走った。
「もう少し進めばキノココやキノガッサの生息地域に入る! カビゴンはそこまでは来ないからこのまま走り切れ!」
もうまともに返答も出来ない。呼吸も滅茶苦茶で頭がうまく働かない。ただカゲツに置いて行かれないように、必死に彼女の後を走って走り続けて追いかけて。徐々に彼女の足がゆっくりになって、追いついて、足が止まった。
「キノココたちの生息地域に入った。もう大丈夫だ」
「ああぁぁぁぁ……」
どうしてこうも死の危険ばかりなのか。助かったという安心感から、ついその場に倒れこんだ。頭上で目を真ん丸にしてるムウマや、ぎょっとしたカゲツの顔が見える。
「あー、うん。まあここならまだましか……? いや駄目だな、起きてくれトウキ」
「ああ……」
よいしょ、と気の抜ける掛け声一つで軽々脇を抱えて持ち上げられてしまった。体制を直しながら膝に手を置いて動きを止める。流石にもう走れないのだ。
「むり……むり……」
「休ませてやりたいんだけどな……。胞子が、な」
薬茶を飲むのはポケモンの生息地で体内に取り込んでしまった毒素を分解するためだ。キノコ型のポケモンの胞子や草や虫タイプのポケモンが出す有害物質をそのままにすると人間の体はかなり体調を崩してしまうらしい。ここがキノココやキノガッサ――名前からしてキノコ型のポケモン――の縄張りであるなら、普段よりも漂っている胞子の量は多いはずだ。
「キノココの胞子は吸い込むと体の節々が痛くなるんだ。あとキノガッサの胞子は呼吸困難や激痛を引き起こしたりするから、ここもそこまで長居しない方がいい」
「さ……い、しょに、いえ」
本当にそういう大事なことは最初に言ってほしい。大急ぎで流れる汗を拭いて、歩みを再開することにした。
キノココたちの生息地を抜け、虫タイプのポケモンの巣を通り過ぎて、カミナリの電撃に肝を冷やしながらも歩き続けた。そうして視界が悪くなる夜になって漸く今日の目的地に二人は辿り着いた。
荷物を広げて野営地を整えてから夕食だ。薬茶を淹れながら食事の準備をする。
「お疲れ様」
差し出される瓶を受け取る。きのみを調理した保存食を入れた特製の瓶詰めだ。少し濃く味が付けられた食べ物は、他のものと食べてちょうどいい。今日は乾燥させた米を水で戻して一緒に食べることになった。
「こういう保存食ってなんていうんだっけか」
一度蒸した米を乾燥させた保存食。日本では古典の授業でも話題に上ったり、最近では防災用の備えで売られていたりもしたはず。なんだったかなぁとトウキが唸っていると、隣から「
「と、少なくともこの島ではそう言う。同じか?」
「多分」
残念ながらその答えを照らし合わせ出来るものはトウキの知識しかない。頭の片隅にしか置いていなかった記憶のため自信は無かった。
水で戻した糒と瓶詰めを食べて、ほどほどに腹を満たしてから薬茶を飲む。初日のような副作用は来ないとわかっていても散々胞子を吸った後だと心配になってきた。飲まないと無言でじっと見つめられるため飲むしかないが、この不安をどうか理解してほしい。
「……ふむ」
カゲツが薬茶を飲みながら何かを考えている。何か困っているのかと表情を窺ってみても、そんな深刻なものは無い。
「ん。どうかしたか」
「あ、いや。なんか考え事かなって」
「気になるのか?」
こて、と子どもみたいにカゲツが首を傾げる。普段は大人びているのにどうしてこういった所作は子どもっぽく見えるのだろう。
「まー、迷惑かけっぱなしだからなぁ」
「いや、別にきみのことを考えていたわけじゃないんだ。心配しないでくれ」
「あんた本当にそういうところだぞ」
相手を思いやっての言葉であることはわかるのだが、どうも言葉選びがよろしくない。別に今回は皮肉とは感じないがもう少し言葉を選べるんじゃないだろうか。
「うーん、そんなにまずいだろうか」
「友達居んのか疑問に思うくらいには」
「それはもう察しがつくだろう、私の口から言わせるな」
居ないことはよくわかった。こんな閉鎖的な島だし仕方ないと言えば仕方ないような。でも学友という話題も出ていたような、消えたような。……もう触れない方がよさそうだ。
鳥が羽ばたく音がした。何が飛び立ったのか気になり視線を向けるが、そこにはもう何もいない。こんなくらい時間に飛ぶなんて、見えるのだろうか。
「ヤミカラスかドンカラスだな。ハショウの森に居る数少ない鳥ポケモンだ」
「夜行性の鳥なのか」
「ああ。たそがれ時からかわたれ時の間を飛ぶ。でも体が黄金色なせいでとても目立つんだ。近い月のようで、見ていると目を奪われるぞ」
「それ、比喩か。大丈夫な方か」
「今回は比喩だから安心してくれ」
カゲツが言うと本当に物理的に目を奪われそうだから怖いのだ。眼を逸らしながらトウキが伝えると、カゲツは咽ながら笑った。
「げほっふ、ふっふふっ、ふふふはげほげほ」
「そんな面白いこと言ったか、俺」
「いや、いや……ふふ、駄目だ、説明しようとすると笑ってしまう」
「あ、そ」
よくわからないツボだと呆れてもカゲツは変わらず笑っている。その顔が随分とあどけなく見えたので、トウキもつられて口角が上がった。だって、こんなにも純粋に笑っているのを見るのは初めてだったのだ。
「変なツボ持ってんな、あんた」
「ふ、ふふ、いやツボなんて持ってないぞ、ふふ」
「笑いのツボの意ー……」
伝わらなかったと苦笑いすると、ますますカゲツが笑う。本当に変なツボに入ったらしい。
「ムウマが転がっただけで笑いそうだな」
と、さっきまでふよふよ漂って蚊帳の外に居たポケモンの名前を挙げる。彼はきょとと一瞬だけ動きを止めて、それから表情をそのままにゆっくりと空中をころころ回りながら動いた。
「ふふふふっふ、ふふふそれはずるいな」
「笑い方が独特」
「大声を上げるわけにいかないから堪えてるんだわかってくれ」
ムウマは空中をころころ回り、カゲツの前を何も言わずに通っていく。そしてそのあとをウパウパ言いながらウパーが追っていくので、なんとも微笑ましいというかシュールというか、変な笑いが出そうになる。
「カゲツさんの連れ、本当に何というか、かわいいよな」
「ん、ふ、ふふっ、そうだろう」
本当に嬉しそうにカゲツが弾んだ声で答える。好きで好きで仕方ないと伝わってくるほどに明るい声だ。
「私の連れは、ウパーが二番目なんだ。大学から戻ってきたときにオウセの村で、お互いに選んだんだ。彼がいてくれて本当に良かった」
「へぇ。じゃあムウマが最初なのか」
「いや。彼はウパーよりも後だよ」
おや、じゃあ一番最初のお供はいったい。そう訊ねるよりも早くムウマとウパーが一緒にころころと戻ってきたので、そちらに意識を持っていかれてしまった。流石に笑った。