借りた宿場の部屋は質素で、寝泊まりのためだけの一室だった。布団はあの押し入れの中、飲み物は井戸から汲んで自分で用意をするように、そう簡潔に説明をして案内人は部屋を出ていく。トウキに対しては丁寧に接したその人が、カゲツにはぞんざいな態度だったのがやけに記憶に残った。
防護服を脱いで身軽になった二人は向かい合って座る。こうして腰を据えて話すとなると最初に説明をされた時のことを思い出す。この島のこと、カミナリのこと、これからのこと。それからカゲツのことを話したのだ。
そしてまた、二人はこれからのことを話す。
「私はきみに二つの選択肢を提示する」
会話の切り出しはカゲツの言葉だった。てっきりウパーを選び選んでもらう為にどうするのかを話すのかと思っていたのだが、まるきり違う始まり方にトウキはきょとりと目を丸めて首を傾げた。
「選択肢」
「そう。私が伝えておくべき事柄と、それに付随する選択肢だ」
カゲツは正座をして背筋をピンと伸ばしたまま話す。姿勢の良さが行儀の良さに見えるのだ。つられてトウキもおひざして、すぐに痺れる未来が見えて胡座に戻した。
「まず第一に、私はきみが言うニホンを知らない。これでも各地の情報を頭に叩き込んでいるから、きみの故郷が鎖国してるかよっぽど辺境にあるかしない限り、知らないことはあり得ないんだ」
「随分と前に開国してるよ。少なくとも俺が生まれるかなり前に」
「……だからわからない。ガラル地方の別名かとも思ったが、それは否定されているだろう。私はきみをどこに帰せば良いのか、見当もつかない」
だから。カゲツはそう言って指を二本立てた。
「二つ選択肢を話す。きみはどちらを選んでも構わない。私は可能な限りの助力を約束しよう」
彼女は真剣に、真摯に。
「一つ。オウセの村に来る定期便で、シンオウかジョウトへ渡る。あちらの方が間違いなく情報を集めやすく、また交通の便も多く危険も少ない。私はこの島でやることがあるから一緒に行くわけには行かないが、私の支援者に話を通して便宜を図って貰うことはできる」
残酷なくらいに、冷静に話を進める。
「もう一つは、このまま島に留まり情報を集めることだが……あまり勧められない。なにせ閉鎖的な島で危険も多く、何年も探しても何も得られない可能性がある。
それに私も調査をしなければならないから、今回のオウセの村までの旅ほどきみを尊重できない。本当に真実として助手扱いするだろう」
優しさで提案された選択肢は、トウキの頭を真っ白にする威力があった。この人は何を言っているんだろう。それだけしか思えない。
「この旅の間にきみの人となりは見てきた。一言多いのが玉に瑕だが、物怖じしない態度や積極的に質問する姿勢は美点だ。どこででも間違いなくやっていけるし、きみの力になってくれる人が出来るはずだ。だから」
「やめろ」
怒鳴る様にトウキが言えばカゲツが言葉を止めた。色々言ったが、二つの選択肢を提示すると言ったが。なんだ、彼女はトウキを追い出したいのか。体のいい言葉を並べて遠回しに、迷惑だと、そう言いたいのか。
「え、ト、どうした」
カゲツが焦ったような声を出す。目論見がバレたと焦っているのか、トウキには判断が出来ない。ただ泣きそうになるのを、唇を噛んで堪えるだけだ。
「トウキ、どうしたんだ、私はなにかまずいことを言ったか?」
彼女がどうすればいいのか困った様子でトウキを見つめる。トウキはその目に対して睨み返し、耐え切れずに、ぽろと一つ涙を落とした。瞬間にカゲツはぎょっとしてそのまま固まってしまう。
「あんたが言ったんだろ」
「え、あ」
「あんたが、保証人になるって、教えてくれるって言った癖に」
「あ、うん、言った」
一度決壊してしまった涙腺はしばらく止まりそうにない。ぽろぽろと涙を零しながら紡がれる言葉に、カゲツが狼狽えながら頷いた。それを見てさらにトウキの泣く勢いが泣くものだから、益々カゲツは困ってしまった。
「あんたが」
そう、カゲツが。タソガシマに来てから、彼女が。この二週間の旅の間、共にした人が。
「あんたが、俺を、拾ったくせに」
ひっ、トウキの喉の奥が鳴る。涙を堪らえようとして堪えきれなくて、悔しくて辛くて苦しくて浅い呼吸を繰り返した。そう、悔しかった。
「最後まで面倒、見てくれよ」
他の地方なんて知るか、どこでも馴染めるなんて褒められたかったわけじゃない。ただ、そう、ただ。
「迷惑なら、さっさと、捨て置けよ」
カゲツの優しさが。とにかく、気に食わなかった。ぐじゅぐじゅと泣いて、泣いて。怒って、睨み付けて。トウキは黙りこくった。
「……あー……」
カゲツはいまいち頭が回っていない様子で頬を掻いた。困ったように、焦ったように。それから、ほんの僅かに照れたように。
「その、なんだ。気のせいじゃなければ……私、結構きみに好かれてるのか」
トウキは少しその言葉を頭の中で繰り返して。それから、無言でカゲツを軽く殴った。いてっとカゲツが楽しそうに言う。さっきまでの混乱が無くなり随分と余裕そうだ。トウキは何だか納得出来なくて、もう一度ぽこっと殴った。
「落ち着け落ち着け、ちゃんと腹を割って話そう。私の気持ちもちゃんと聞かせろって言いたいんだろう?」
淡々とされた提案が気に食わなかったから間違ってないのだが、そう言われると曲解されているように感じていまう。本当にわかっているのか、信じきれないままトウキは居住まいを正した。
「私はきみに故郷に帰ってほしい。それはきみを待つ人が居て、きみはその自覚があるくらいに愛されているから。だからより手掛かりを得られるだろう、シンオウやジョウトに行って欲しいと思っている。何の裏もなく心の底からそう思っているのだと信じてほしい」
決してトウキが迷惑だからとか、邪魔に思ったからなんて理由じゃない。彼女はそう言って、まだ泣き止めていないトウキを困ったように見た。
「……泣き虫だな、きみは」
「……あんたが、そうさせてんの」
だってトウキはもう高校生だった。悔しいことや悲しいことがあっても、自分の中で消化して割り切ることは出来ていたのだ。それが出来ないのは間違いなくカゲツのせいだ。これまでちゃんと保護者として在ってくれていた人が、突然トウキを放り出そうとしたのだからそうもなるだろう。
ぶすくれてもう一度不満をぶつけたトウキに、やっぱりカゲツは保護者らしく微笑むのだ。
「さて。……まあ、うん。まさか泣かれると思わなかったし……色々想定外だが。なんだ。もう一つの本音を言っておこうか。
そんな明らかな態度されたら、私もちゃんと言ったほうが……平等と言うか」
歯切れ悪くカゲツが言う。これまで理路整然と話していた態度とは全く異なり、気まずそうに、本当に言いたくなさそうに。目を逸らして、なのにうっすらと笑って。
「私も結構、きみのこと気に入ってるぞ」
そんな、あまりに人間らしい本音を。
「……ばーか……」
「子どもみたいに……」
カゲツが苦笑いする。いくら保証人と被保証人の関係とは言え、二人は同年代だというのに。なのに互いに悪い気はしていないのだから、もう変えようも無い。
「まあ、だから。きみがこの島に残ることを選んでくれるなら、責任を持つよ。本当に私に出来る限りを尽くそう。仕事は手伝ってもらうがね」
「うん。全然良い」
トウキは何だかんだ言いながら、この言葉選びが致命的に悪い博士見習いが結構好きなのだ。それに彼女が連れているポケモンのことも、先輩呼びするくらいには親愛を抱いている。
「あんたが新種のポケモン扱いしてきたんだ。俺が帰るまでは面倒見てよ」
「本当、きみはそれでいいのか」
くつくつと可笑しそうにカゲツが笑う。それから、しっかりと頷いた。
「わかった。これからもよろしく、トウキ」
「よろしく、カゲツさん」
漸く今、二人はちゃんとお互いを見たのだ。
さて、そうして話がまとまったところで、トウキが考えていた話題となった。
「この後村長に話をしに行き、ウパーを譲ってもらう。その際にはきみが選び、きみが選ばれる必要があるんだ」
「選び選ばれるって言ってたけど、どういうことなんだ」
トウキが目についた相手を指定して、その相手に気に入ってもらえばいいのか。ぼんやりとした想像しか出来ず尋ねると、カゲツは少し悩んでから徐に鞄を開け、村に入る前にボールに戻ってもらっていたウパーを呼んだ。
「ウパー」
カゲツが名前を呼ぶと、彼はウパっと返事をする。突然だというのにいい返事だった。それから、なぜ呼ばれたのかと不思議そうにウパァと鳴くのだからなんとも言い難い。
「村長に許可をもらい、彼らの居住地になっている池に向かうんだ。その時に自分なりに交渉をして、パートナーに選んでもらう」
なぜ呼ばれたのか分かっていないウパーは、ひとまずカゲツの周りを走る。なんでなんでと全身を使って尋ねているようだ。
「私のときは……ウパーと呼んだ時に一番に駆け寄ってきて、選んでほしいと言わんばかりに主張を続け、他の子に話しかけようとすると割って入るのが居たから……参考にならないと思う」
「先輩、カゲツさんのこと好きすぎない?」
元気よくウパーが鳴いた。全力で肯定しているようである。
「いつ惚れこまれたんだか」
呆れながらもカゲツは嬉しそうに笑っている。相思相愛でなによりだ。だが仲良しなのは良いが、本当に参考にはならなそうだ。
「えーっと、カゲツさんの他のポケモンはどうなの?」
「他、か。……ムウマは何かの跡地で出会ったんだ。ウパーが連れになったあと……ドンテンの村に住むようになってから跡地に行ったとき、やけに付け回されて。根負けした」
「そんなんばっか」
これまた参考にならない話だ。彼女の口振りからして他にもポケモンが居る筈だが、どうも言いたくなさそうだ。少し距離が縮まったから聞いてみようかと思ったものの、これで嫌われてしまっては適わないと触れることを避けた。
「気になってたんだけど、ムウマはなんでボールじゃなくて封印石? ってやつに収まってんの?」
「……そういえば説明しなかったか。この島でのカミナリ以外のポケモンの扱いについて」
「うん」
カミナリが崇拝対象なのは聞いている。それ以外のポケモンがどうなのか、はいままで聞いていなかった。
「まず、水タイプ。彼らは隣人として親しまれている。と言っても、人間と一緒に居るのはウパーだけなんだが」
「水タイプのポケモンって、他に何が居るんだっけ」
「タソガシマの固有種、コツブリ、カサツブリ、カサビラキの三体が居る。彼らもウパーと同じく水と地面タイプだ。
チョンチーとランターンも水タイプではあるが、彼らは電気タイプを持つからカミナリ扱いになる」
タソガシマで水タイプとして扱われるのはウパー系統とそのコツブリ系統のみだけだ。電気タイプばかりが居る島だから仕方ないとは言え、あまりに少ない。
「ほーん……その、なに。コツブリってやつを連れてる人間はいないのか」
「ウパーと縄張り争いをしていて、年中戦っているから……人間がウパーをパートナーに選んだ時点で、彼らと共にあることは不可能になったな」
「はい」
敵の敵が味方になりえるように、敵の味方は敵なのだ。もうどうしようもない。
「次、草タイプ。前に倉番が草タイプのポケモンを持つ風習があると説明しただろう。水タイプのポケモンと同じくらいに大切にされているな」
「主にどのポケモンを持っているとかってあんの?」
「特には。敢えて言うのなら、村の近くに住んでいるポケモンだな」
草タイプのポケモンは特にその土地の風土の影響を受けやすい。同じ島内ではあるため大きく体調を崩すことは無いが、それでも村ごとに気候が異なるため、出来る限りその近隣の場所のポケモンをパートナーにすることが望ましいらしい。
「それと、地面タイプか。彼らはカミナリへの対抗手段になるため、少なくとも村の長はパートナーにしている。ほとんどの人間はウパーを連れているから、他の地面タイプを連れているのは珍しいな」
「へぇ。カゲツさんは?」
「ウパーだけだよ。彼は焼餅焼きなんだ」
暫くの間無視されていたウパーはいま堂々とカゲツの膝の上を陣取っている。途中で撥水性のある袋を広げたから何かと思ったが、よくあることなのだろう。随分と慣れた様子だった。
「そして最後に、ゴーストタイプ。カミナリへの対抗手段でもなく、役に立つわけでもなく、悪戯をしてくる厄介者という認識で……あまり、好まれていないな」
言葉を選んだことがわかる。元々カゲツはポケモンを対等に扱っているから、タイプによって差別することが嫌なのだろう。そのうえムウマを連れているのだからなおさらだ。
「だから、村の中にムウマは連れていけない。オウセの村やシンシンの村は当然、ドンテンの村だったとしても望ましくないんだ」
「村ごとに何か違いが?」
「結構違う。私は全部の村を見て、そのうえでドンテンの村を選んだな」
ひとまずこれでポケモンについての説明は終わった。カミナリは特別扱い、大抵は隣人として接し、ゴーストタイプだけは差別をする。それが、タソガシマでのポケモンの扱いだ。
「……生き物に貴賤なんて無いだろ」
すべて等しく命があるだけだ。まあ、そういうトウキも気がつけばひょっこりと姿を現す虫なんかは大の苦手なのだが、あれは生理的嫌悪なので許してほしい。
嫌なものを思い出したと顔を顰めたトウキのことを、カゲツは静かに見ていた。