霹靂の地を巡る旅   作:るぅもる

2 / 19
オウセの村を目指す旅
知らない場所で


 

【挿絵表示】

 

 鳥の囀り。木々のさざめきに紛れて草はお喋りをして、虫たちは静謐な森でこっくりと眠気に襲われる。そんな早朝の朝靄が残る時間を妨害するかの様に、太い悲鳴を上げ緩やかな坂を駆け下りる一人の人物がいた。

「ああああああ゙ああ゙あ゙ッ」

 喉は枯れ汗は滝のように流れ、鬼気迫る形相で掛ける青年。ヒッヒッと引き攣る呼吸を繰り返しても足を止めないのはその背を追う存在がいるからだ。

 青年が木々の合間に存在する少し開けた獣道を走りながら、ちらと後ろを見る。居る。変わらず追っている。先ほどと全く変わらないそれが居る。

「んで……ッ俺が、こんな目に!」

 現状を嘆いても拾う存在はどこにも居ない。いや現在進行形で聞いてる存在はいくつか居るのだが、その中に共通の言語を持つ人間はいない。彼を追う存在は人間ではないのだから。

 青年を追いかけているのは青年の知らない生き物、生き物なのかも疑わしい両腕の生えた岩の塊だ。獣道の幅に合わないせいか先程からいくつかの木を倒しては、やはり青年が聞いたことのない生物の咎めるような鳴き声が響いていた。

 今も逃げ続けるこの青年は日本生まれ日本育ち、ちょっと田舎出身なだけの、極々普通の男子高校生だった。目が覚めたら全く知らない場所で全く知らない生き物に囲まれるまでは、普通に生きてきた青年だったのだ。

「だれか、誰かッ」

 助けてくれ。青年がいる一帯に響くほどの声で叫ぶ。叫び疲れて息が切れて足が重くて、もう諦めてしまいたい。それでもまた一歩と踏み出して。何もない空洞に、闇に、悲鳴も出せないまま青年は引き摺り込まれた。

 

 死んだ、そう思ったが、まだ生きていたらしい。気絶も出来ないまま目を開いて放心していた青年は、頬を弱い力で叩かれる感覚で覚醒した。ビクリと体が震えたことで意識が戻ったと判断したらしく、目の前にいるフィールドワークの為にか重装備を着込んでいる人物は青年から距離を取った。

「目は覚めたか」

 女性の声だ。青年はその声を聞いて瞬きを繰り返し、質問の体だったと気付いて「はい」と答えた。掠れてしまったのは先ほどまでの逃走劇が理由だろう。

「偶然声が聞こえたから駆けつけたが……なぜゴローンに追われていたんだ。彼の生息地はカガンの森でも更に上の方になるはずだが、そこまで行ったのか」

 何処か詰問の気配がする問い掛けだったが、覚醒したばかりの頭は鈍く読み取れない。青年は言葉のままを聞いて、これまでに何があったかを話すことにした。

 目を覚ましたら森の中にいて知らない生き物に囲まれていたこと、それまで何をしていたのかいまいち思い出せないこと、先程の生き物にはなぜだか分からないまま追いかけ回されたこと。それらに相槌を打ちながら聞いた女性は、訝しみ「ここが何処かわかるか」と尋ねた。

「カガンの森、とは先程言ったが。それ以外に知るここの地名は?」

「いや、全く……ここ、何処なんですか。そもそも、さっきのは生き物なんですか」

「……困ったな、いや……ううん、どうしたものか」

 青年に聞かれると、女性は表情は乏しいものの、途方に暮れたように眉間にしわを寄せ頭を振った。

「きみ、名前は?」

 先程までよりも軟化した声が掛けられる。青年はその変化にさえ気付かずに、今まで名前を知られてなかった事実だけを思った。

宮野(ミヤノ)冬樹(トウキ)。高ニ」

「……ミヤノ? トウキ? コーニ? どれだ?」

 純日本人らしい見た目の女性がそんなことを問う。トウキは揶揄われているのかと彼女を見たが、揶揄する気配は見られなかった。

「宮野が名字、冬樹が名前。高ニは、高校二年生の略……だけど」

「別の地方にはそんなものがあるのか?」

「日本だと一般的なものだろ」

「ニホン地方……? 聞いたことがない響きだが」

 どうも話が噛み合わない。女性の戸惑う様に困惑するトウキだったが、何もかもを妨害するように、視界が真っ白になる。一秒も経たないうちに轟音が響いたものだから、トウキは情けのない声を上げた。

「な、なに、なに今の」

 自分を追ってきた生物と似たものの咆哮か。怯えを隠せないトウキに目を丸くした女性は、いや、と否定の声を紡いだ。

「あれは雷だ。この島は晴れていても雷が落ちるから。ただ……近くに落ちたかもしれないな、軒下に移動したほうがいい。

 またポケモンに追われては敵わない。一先ず私の家に行こう。そこで詳細を話す」

 女性はそう言うと近くに置いていた荷物を背負い、彼女のすぐ傍を漂っている何かに話しかける。それは、ふよふよと漂う青紫色のお化けのようなもの。随分と親しげに話す様子と、先程の単語が、漸く脳内で噛み合う。

「ポケモン……?」

「ん。彼か。私のパートナーのムウマだ。先程きみを助けたのもこの子になる」

「ムウマ」

 鸚鵡返しでその名をなぞるが、トウキの脳内辞書には乗っていない。初めて見たポケモン、いや、そもそもポケモンを肉眼で見るなんて。どうして。

「……少なくともきみがこの島の人間じゃないことはわかっている。だから、まずは私の言うことを聞いてくれないか。きみの今の格好はカミナリに遭遇すれば命に関わるんだ」

「……雷……?」

 先ほど雷は落ちた。トウキが今まで生きてきた中で一番近くに落ちたと思う。だが、女性の口振りは天から落ちる雷のことではない気がした。

「話は後だ。ムウマ、彼を守りながらついてきてくれ。宜しく頼む」

 ムウマと呼ばれたポケモンはトウキの近くに来るとくふくふと笑い、ムゥと特徴的な鳴き声をあげた。言語として読み解くことはできないが、トウキにもそれが挨拶だということはわかった。

「俺は……トウキ。よろしく」

 またムウマが鳴き、トウキの周りをくるりと一周する。挨拶を交わすのを見守っていた女性は済んだのを確認すると「じゃあ」と方角を調べないまま指を差した。

「これからドンテンの村に向かう。くれぐれも逸れないでくれ、命の保証が出来なくなる」

 

【挿絵表示】

 

 先程も言われた命という単語は現実味が無い。確かにポケモン――ゴローンだったか――には追い回され死を感じていたが、そんなにも危険な場所なのか。実感が沸かないまま、それでも助けようとしてくれている人に従うべく頷いた。

「わかった。よろしくお願いします」

「ああ」

 女性も頷き、それからトウキに背を向けて歩き出す。迷いのない足取りで草木の茂る路無き道を掻き分け進むものだから、呆気に取られてしまう。慌てて逸れないようにトウキも歩き出すが、歩行速度が合わない。気を抜いたらそのまま置いて行かれてしまいそうなほど女性は歩くのが早かった。

「はや、速い、待ってくれ」

「……速いか……逃げ疲れているんだな。わかった、もう少し速度を落とす」

 言えば理解してくれたらしく歩行速度を下げて歩いてくれる。暫くの間草や木の根で転ばないように集中して歩けば、突然足を止めた女性にぶつかりかけた。

「っあぶな」

「静かに」

 文句を言おうとしたが制するように鋭い声が耳を突いた。トウキはがちりと体を固めて、何も言わない女性に視線を向ける。こちらからは背中しか見えないが、努めて息を殺していることが分かった。指示が何もなくとも空気を読むことに慣れている日本人だったから、トウキも自然とそれに倣った。

 浅く息をする。肺の表面だけ酸素を取り換えて、死なない程度に呼吸をする。木々の囁きと虫の羽音。それから、聞きなれないキキキと何かが擦れる音。

 何の音だろう。気になりはしたものの、いまこの状況で聞けるほど太い精神はしていない。トウキに出来るのは影を薄くして風景と同化して、これ以上女性の足手まといにならないことだけだ。

 息をする。生きたいから死体のふりをするのと同じように、トウキは木になったつもりで息をした。浅く、浅く。何にも拾われないくらい静かに。そして。

「……もう大丈夫だ」

 女性が漸く終了を告げる。何があったのかもわからないが兎に角終わってくれたようだ。安心して深呼吸をして、女性に「なんだったんだ」と問いかけた。

「カミナリだ」

「……音は無かったけど」

「しただろう、キキキキと」

 雷鳴は無かったというのに雷とは。女性がいったい何を言いたいのか理解できずもやもやと不快感を覚えたが、その説明をするために今自分たちは森を抜けようとしているのだ。これ以上の説明はあとで聞こうと考え頷くだけに留めた。

「先、行こう。あとどんくらい掛かるんですか」

「そこまで遠くはない。三時間足らずで着くさ」

 それは車を使う距離じゃないのか。不満を言いたくなったが、少なくともこの女性に言うことではない。溜息を大きな深呼吸として誤魔化して、隣でくすくす笑うムウマにしかめっ面を向けた。

 

 女性に水分や小腹を満たす焼き菓子を恵んでもらいながら歩き続け、漸く木々の切れ目が見えた。鬱蒼と茂る森の中よりも明るい場所に、トウキは知らず知らず安堵の息を吐いた。

「あそこが出口だ。念のため森を出る前に服を払ってくれ、胞子が付いている可能性がある」

「胞子?」

「キノコ型のポケモンは繁殖のために常から胞子を飛ばすんだ。他にも草タイプや虫ポケモンが人体に有害な成分を分泌している可能性がある。ポケモンたちの領域から出たら必ず払うように」

「こわ……」

 彼女の言葉には冗談の気配が一切ない。ぞっとしながら全身を払い、実際に散る黄土色の粉末に息を飲む。

「あの、これ、森の中で散々吸ってるんじゃ」

「だから薬を飲むんじゃないか」

 当たり前のように言う女性。これがポケモン世界の常識なのかと恐れ慄くが、女性は寧ろトウキの反応を不思議そうに見ていた。

「そんなに森に居たいのか?」

 まだ話を続けかけたのを咎めるためか、結構な鋭さの皮肉が飛んでくる。言葉の切れ味に頬を引き攣らせたまま首を振った。出来ることなら一刻も早く安心できる場所に行きたいに決まっている。

 

【挿絵表示】

 

 森を抜けたトウキたちを出迎えたのは曇天の空。雨雲だろう黒い雲に覆われた世界は暗く、森の中で見たほどは明るくは無かった。つまり曇天の村、と。そのままの名前らしい。

 曇天の下を更に十分ほど歩いたくらいか。村の入り口だろう場所が見えてきた。堀と柵に囲まれた、随分と古めかしい場所に見える。ポケモンに囲まれた場所で居住区域を作るのであれば、これくらいのことは当たり前なのかもしれないが。僅かにあるポケモン世界の知識が違和感を告げていた。

 女性は村の中に入る直前で足を止めた。どうしたのかと思っていると、トウキの傍で漂っていたムウマにお礼を告げる。

「ここまでで大丈夫だ」

 ムウマが何処か不満そうに細く声を上げる。ふらと揺れて女性の顔の傍でくすんと態とらしい嘘泣きをした。

「駄目だ。ほら」

 女性はそう言うと、石のようなものをムウマに見せる。ムウマは嫌そうにその石に身を触れさせ、消えた。

「えっ」

「……これも見たことがないのか。封印石の一種なんだが、知らないか」

「封印石……?」

「この島ではゴーストタイプのポケモンは認めてもらえないから。彼には不便を掛けるが、安全のためだ」

 説明になっているのかいないのか。理解出来ないままなトウキに、女性は早々話を変えた。

「私の家まではここからあと二十分はかかる。あと、飲み水がないから途中で井戸に寄らせてもらう」

「はぁ、井戸、に……井戸!?」

「そんな大きな声を出すな。井戸くらい普通だろう」

「え? いや、でも」

 先進国の中でも日本は他国と比べても水道整備が遅かった方だろう。だが少なくともトウキの生まれたころには水道が通り、井戸は博物館の展示でしか見たことがない遺物になっていた。それを生活用水にしているなんて、いったいいつの時代だというのだろう。

「足を進めないのなら置いていくが」

 考え込んでいるトウキを置いて、すでに女性は数歩足を進めている。歩行速度の違いは既に理解しているから、あと五歩進まれたら追いつくのに随分と苦労することはわかっていた。慌てて隣を歩けば、その後は二人、無言で道を進んだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。