途中の井戸で飲水を汲み、女性の暮らす家までやってきた。村の中を歩いて知ってはいたが随分と古風で、江戸時代かと勘違いしそうになる家屋だ。鍵も無い家の戸を開け「どうぞ」と言い残し、女性は履物を靴箱に仕舞い畳張りの室内に入っていった。
「……お邪魔します」
戸を閉め同じ様に靴を靴箱に仕舞わせてもらう。純和風の家なのに、並ぶ靴の中にはヒールの高いパンプスが混じっている。なんだか歪だと感想を抱きながら、トウキも室内へあがる。嗅いだことのあるいぐさの匂い、障子の隙間から入り込む風。知らない光景なのに懐かしさを覚えた。
「茶を入れよう。少し待っててくれ」
女性が座布団を二つ置き音も立てずに移動する。厨の方だろうと予想しながら、置かれた座布団の片方に座る。正座が苦手なので胡座をかいて、知らない部屋を失礼にならないくらいに見渡した。
木製の棚に紐とじの書物が仕舞われている。部屋の隅には折り畳みの机があり、ここで何らかの作業をしてるんじゃないかと思った。
隣で火が燃える音と水が熱せられる音がする。細かな生活音が聞こえてきて、もう少し掛かりそうだとまた視線を彷徨わせる。
日本家屋らしい室内に不釣り合いないくつかの家具。大型の機械らしきものと、洋風のクローゼットと、はたまたよくわからない機械。広めの部屋だからといってここまで雑多に置かれているのは、部屋移動の手間を省く為なのではないかと邪推してしまう。
隣から注がれる音がする。お湯が沸いたんだろうと思いまた少しだけぼうとしていると、お盆に急須と湯呑みを二つと茶菓子を載せて女性が戻ってきた。
「好きに取ってくれ」
向かい合う位置の間にお盆をそのまま置いて、おひざした女性が緑茶を湯呑みに注ぐ。透き通った黄緑に「いただきます」と声を掛けて、一口。飲み慣れた緑茶の味がした。
「薬茶だから少なくとも二杯は飲んでくれ」
ほっと一息ついた所で、後出しでそんなことを言われる。悪い成分でないから良いものを。トウキは不満も一緒にもう一口を飲み下した。
「それで、説明してくれるんですよね」
「ああ。一つずつしていこう。ただ……私はきみがどれくらい理解しているのかわからない。もし知っていることや、あるいは全く知らない言葉があれば、その都度言ってほしい」
「わかりました」
首肯すれば女性が何から話すかと少しだけ悩み、そうだな、と一拍置いて説明を始めた。
「ここはタソガシマという島だ。タソガシマだけで一つの自治であり、地方には所属していない。このドンテンの村の他に三つの村があり、人が暮らしているのはその村の中だけだ。
先程私たちがいたカガンの森は、ドンテンの村ともう一つの村の間にある。草タイプや地面タイプのポケモンも多数いるが、やはりカミナリが多く一般人は踏み入ることは無い場所だ。
ここまでで質問は?」
一度に入る情報量が多すぎる。トウキは顔の前に手をやって、少し待ってほしいとジェスチャーをした。
「タソガシマは地方に所属してないって言ってたけど、地方に所属してるか否かで何か変わったりすんの?」
「少なくともきみが言っていたニホン地方の中には無い、という話になる。
シンオウやジョウト地方の名前を聞いたことはあるか? タソガシマはその二地方とは交流がある」
「いや……」
ここでトウキが持つポケモン知識について簡潔に説明をしておく。彼はニンテンドースイッチで出たポケモンソード・シールドのソード版、そのメインストーリーしか遊んでいない。彼が知っているのはガラル地方と、辛うじてカブがガラル以外の地方から来た人間だと言う知識だけだ。彼はこの世界についてあまりにも無知だった。
「地方についてはまあ、わかった。
この島に四つ村があって……それぞれの交流とかはどうなってるんですか。なんか、口振り的に薄そうだけど」
「危険だから殆どの人は村を出ない。ただ資源が限られた島だから、数少ないポケモントレーナーが村を渡り歩いて、橋渡しはしているな」
「あなたも?」
「私は、違う。ポケモントレーナーではあるが……研究員だから」
研究員。部屋の多数ある本は何かの資料なのか、と考えが及んだものの。如何にも服装的にそう考えがたい。ゲームで遊んでいたときに出てきた穴掘り兄弟を思い出してしまうくらいなのだ。
「他には?」
「あー……カミナリって?」
もう少し話を聞きたかったのに、追求を嫌がるように話を変えられてしまった。空気を読む人種であるため、トウキは大人しくそれに従ってしまう。
「カミナリはこの島特有の呼び方だ。他所で言う電気タイプのポケモンに当たる。くれぐれも他の人の前ではカミナリ様と呼ぶように心がけてくれ」
「……その割に、あんたは普通にカミナリって言ってるけど」
「私は研究者であり、彼らもポケモンであるからだ。私も他者の前ではカミナリ様と呼ぶ。……きみは別の地方の人間だから、気を抜いてしまったんだろう」
ふう、と女性が息を吐いた。本当はカミナリ様とは呼びたくないのかもしれない。勝手に憶測を抱きながら、トウキは一杯目の薬茶を空にした。
「なんでカミナリ様って呼ぶんだ」
「……きみに馴染みがあるかわからないが。土着信仰というものになる。
この島にはよく雷が落ちる。雷は神が鳴らすものと言う考え方は聞いたこともあるんじゃないか。それと似通っているんだが、電気タイプは雷を操るものであり、いずれ神に成るものであると考えられているんだ」
いずれ神に成るから、カミナリ様。宗教の考え方としては理解出来た。ただトウキにはどうしても理解出来ないことがある。
「なんで電気タイプだけ特別扱いなんだ?」
電気タイプでもポケモンはポケモンだ。日本で言う職業に貴賎が無いように、人の上に人を作らないように、ポケモンはいずれも同じでは無いのだろうか。確かに伝説扱いのポケモンが存在するのは知っているが、ゲームとして知識を持っているトウキは一体しかいないから特別なのだろうと認識している。電気タイプとそれ以外のポケモン、いったい何が違うというのか。
女性は不思議そうにトウキを見た。知らない生き物を見るような目だった。
「………きみは、本当にこの島の知識が無いんだな」
「全く無いけど……」
「だろうな。この島にいるポケモンの六割ほどが電気タイプを持っていることを知らないんだろう」
六割ほど。かつて遊んだゲームのことを思い出し、あまりに異常な数だと目を丸くした。
「えっなんで」
「それを調べるのが私の仕事だよ。
カミナリが多いこの島は他の地方よりも危険度が高い。電気タイプがポケモンに関わる事故で一番死者を出していることくらいは知っているだろう。人々は畏怖の想いから、彼らをカミナリ様として特別に扱うようになったんだ」
「……電気タイプって、そんなに危険なのか」
当然を語る彼女に無知を知らせると「それも知らないのか」と驚かれてしまう。だって世界的人気を誇るゲームの主役格のピカチュウが属する電気タイプだ、そんなに危険であるとは実感が湧かなかった。
「人との距離感と致死性の高さが関わってくる話になる。可愛らしい見た目に勘違いして、電気の放電率を甘く見ていて、と言った具合に愛玩用として求めた人間の死亡率が高いんだ。
電気タイプのポケモンと関わるときには必ず絶縁体の装備を付ける必要がある、というのが一般常識だ。それを守らない人間がよく死ぬんだが……。
だからきみの格好はその、自殺志願者に値する程度に死が近い」
懇切丁寧に説明されてしまえば血の気が引く。よく自分は生きてあの森を出られたと身震いした。
「脅すのはこれくらいにして。他に確認したいことはあるか?」
「……うーん」
正直に言えば、わからないことだらけだ。この世界についても、本来自分がいる世界についても。どうやったら家に帰れるのか、これからどうすれば良いのか、何もわからない。でもそれをこの女性に聞いていいのかすらもわからない。
黙りこくるトウキをどう思ったのか、女性から話を再開した。それは、トウキが思ってない方向に。
「特に無ければ、これからの話をしようと思うんだが」
「……これから」
「そう。帰りたいだろう、きみも」
また当たり前の様に話をされて、思考が追いつかない。つい先ほど自分で否定した内容を相手から言われるとは思わなかったのだ。何も言えず動揺したトウキに対して女性は話を続ける。
「きみがどうやってここに来てしまったのかわからない以上、情報を集める必要がある。そして情報を集めるためには身を守る手段を得る必要がある。
身を守るには二つの方法がいる。社会的保証と肉体的な保証だ。社会的なものとして、私がきみの身元の保証人になろう。肉体的なものになると私では力不足になるから、きみのパートナーになるポケモンを得る必要があると思う。
ここまでで確認したいことは」
矢継ぎ早に話されるこれからのこと。自分では何もわからないのに、きっと目の前にいる人もわかっていないだろうに、どうしてこんなにも直ぐ言葉が浮かぶのだろう。そして、どうして、助けてくれようとしているのだろう。
「……なんで、そんなに……考えてくれてんの。別に、あんたがやんなくてもいいことじゃ、ないの?」
「……変なことを聞くな」
全く予想もしていなかった。そう発言する彼女はまた不思議そうに瞬きを繰り返した。
「敢えて言うなら、私がきみを見つけたからだ。
こう言っては何だが、君は本当に運が良かったんだよ。偶然私が森に赴いて、偶然にもきみの声を聞き取って、偶然私のパートナーにきみを助けられる能力があった。
偶然が重なって救うことが出来た命を、なぜ見捨てる必要があるんだ」
また、女性は当たり前のように話した。裏も表も何もない、明け透けに話を聞かせられて、トウキはもう言葉も出なかった。面倒だと思わないのか、不審だと思わないのか。言いたいことは幾つもあるのに、何を言っても失礼で、好意……いや、彼女の持ち合わせる考えを無下にする発言にしかならない。
「生きて帰りたいんだろう」
そう当然のことを話す女性に、トウキはもう、頷くことしか出来なかった。女性はそれを見て真摯に頷き返してきさえする。
「じゃあ、今後の予定の話を」
「あ、ま、待って」
大事なことを聞いてない。慌てて続きを遮れば、女性は無言で発言を促してくる。
「俺、あんたの名前、多分聞いてない」
「……そうだったか?」
名乗った気でいた、女性はそう言って呑気に二杯目の茶を飲み干した。二杯は飲めと言われていたことを思い出し、いつの間にか注がれていた二杯目をトウキも口にする。
「カゲツ」
「……カゲツ?」
「そう。タソガシマポケモン生態研究員、博士見習いのカゲツだ。博士号は持っているんだが、タソガシマ以外の論文で獲得しているため、私はこの島では博士を名乗れない。
いずれタソガシマのカゲツ博士と名乗る予定ではある」
どこか自慢気に話すほぼ博士な自称博士見習い。ポケモン生態研究員、そして博士、となると。
「つまり、未来のポケモン博士?」
「その通りだ。身元保証人になるには十分だろう」
「そのとおりで……」
トウキはまじまじとカゲツのことを見た。声からその若さはわかっていたが、しっかりと顔を見ると、若いというよりも幼い。同年代くらいだろうと見ていたが、これで博士を名乗ることができるほど勉学を納めているのか。
「きみは私の助手とでも名乗るといい。それである程度の身分は保証される」
「わかった。よろしくお願いします」
「ああ」
しっかりと頷くとカゲツは話を戻そう、とこれまでがおまけだった様に話を動かす。説明は下手ではないが話は上手じゃないようだ。
「さて、ではこれから本題で良いかな?」
「うん、はい」
「好きに話してくれ。私だって好きに話しているんだから」
「うん」
これまでもおざなりな敬語で咎められはしなかったのだから今更な訂正だっただろう。互いに抵抗も無く気楽に話すことにした。だってどうせこれからしばらく続く付き合いになるのだから、下手に見えを張っても意味がない。
「これから私たちはオウセの村に向かう。この島の中でポケモンとパートナーに成れるのはあの村だけだ」
口頭だと判りにくいだろうからとカゲツが地図を取り出した。今居るのはここ、それから、とカゲツが地図をなぞり示す。
「徒歩で約ニ週間は掛かる。荷物を用意してから向かおう」
「えっ歩くの」
「歩くさ、当たり前だろう。どうやって行くつもりだったんだ」
「あの、ポケモンで飛んだりとか」
「間違いなく雷が落ちるな」
「そうだった」
晴れていようが雷が落ちる島で飛ぶなんて確かに自殺行為だ。ニ週間歩くしかないことを認めてがっくりと肩を落としてしまう。
カガンの森とドンテンの村間の移動は三時間で済んだが、それは急ぎ足で進んだからだ。水を飲み間食しはしたものの歩き通しで進んだからその程度の時間で済んだのだ。余裕を持って行くのなら、確かにニ週間は見込むべきだろう。
「荷物は私が纏めておく。きみも必要なものがあれば言ってくれ」
「いや、正直さっぱりだから……ああ、でも着替えだけはちゃんと準備しておきたい」
「む。そうだな……下着類は流石に用意がない」
カゲツは少し悩むと紙を持ち出し、さらりと一筆認めた。
「近隣住民に相談してみてくれ。何があってもいいように村には備蓄がある」
「わかった」
手紙を受け取り内容を見れば単なる紹介状で便宜を図ってほしいと書いてある。その紙を仕舞おうとして入れるものを探したが、ポケットくらいしかない。そのまま畳んで仕舞い、立ち上がる。
「じゃあ行ってくる。カゲツさんは、何か必要なものは?」
「家のたくわえを確認してから行くよ。余らせても仕方ないだろう」
「それもそうだ。あ、お茶ご馳走様」
「飲めるようで良かった。行ってらっしゃい」
カゲツはそれだけ言うと空になった湯飲みと急須をお盆に載せる。手を付けなかった茶菓子はどうするのだろうか。未開封だからまだ持つのだろうか。考えても無意味なことだと思考を止めて、トウキは靴を履いてカゲツの家を出た。