先ほど通ったときにはカゲツの家に向かうために急いでいたため気づかなかったが、改めて見るとドンテンの村には人が少ない。元々の人口が少ない島なのだろうか。その問いかけを出来る唯一の対象は今頃彼女自身の家で支度をしている。
そうして一人で歩くと村の人の視線が刺さるが、それは同時にこちらから声を掛けやすくなる証拠だ。目があった相手に近寄り、トウキはそれなりの愛想笑い浮かべて話しかけた。
「すみません、ちょっといいですか?」
臆せずやってきたトウキに驚いたらしい。井戸端会議をしていたらしい二人は、目を真ん丸にして恐る恐る頷いた。特に思うこともなく、トウキは先ほどカゲツに渡された手紙を二人に見せる。
「カゲツさんの助手になったんです。これからオウセの村まで行くんですけど、ちょっと突然のことで着替えがなんもなくって。用意したいんですけど、どうすればいいですか?」
「……あ、ああ、カゲツさんね」
「ジュマさんとこ行ってみなさい、あの人が村の倉番だから」
カゲツの名前を出すと、訝しみながらも納得してくれたらしい。二人はあの方角だと指してジュマの居る場所を教えてくれた。長話をするつもりはないため、トウキはお礼だけ言って指示された方へと向かう。
そのあとにすれ違った人もなく言われた建物の場所にまで来た。倉らしきものが二つ、その見張りをする人物が一人。くぁと欠伸をした男性は、トウキを認めると目を鋭くした。恐らく彼がジュマだろう。
「……誰だァ?」
機嫌の悪そうな声だ。トウキは身を竦ませながら手紙を見せる。男性は内容を見ると、ほ、と気の抜けた声を出した。
「カゲツさんの助手になったトウキです」
「カゲツのか。あの嬢ちゃんのねぇ……なにが必要なんだ?」
先ほどよりも軟化した態度に息を吐き、着替えが必要なことを話す。これからオウセの村に行きパートナーを見つけるのだと話せば、ほうほうと存外親し気な態度で話を聞いてくれた。
「まあ男っ気の無い嬢ちゃんだからな、そりゃ男もんの下着なんてないだろうよ。オウセの村までとなると……少し待ってな」
ジュマは紙を取り出し書き出していく。もう一枚の既に物品が書かれている資料とを照らし合わせ、よし、と書き出していた方の紙を渡された。
「明日の夕暮れ時に来てくれ。その時に渡す」
「夕暮れ時」
空を見上げるが見えるのは太陽でも空の色でもなく鈍色の雲だ。いったいどうやって判断しているのかは疑問だが、カゲツにはわかるのかもしれない。
「わかりました、ではその頃に。あ、カゲツさんも後で来ると思います」
「アイツも? 二人で行くのか」
「一人で行くのは自殺行為なので」
「ちげぇねぇ。腕利きのトレーナーだ、存分に守ってもらいな」
お礼を言ってその場を後にする。ほんの数分で終わってしまった用事に、手持無沙汰を感じる。このままカゲツの家に戻っても良いだろうが、手伝えることは何もないわけで。
「……うーん」
少し村を見て回ろうか。どうせすぐに離れる場所だが、恩人が暮らしている場所だ。知らないままでいるよりも、雰囲気だけでも理解していた方がいい。
倉を離れて村を歩く。人は少なく、家も少なく、さらに言うなら物も少ない。こんな曇天が続くのであれば植物は育てにくいだろうにどうやって自給しているのだろう。どうやってこの村の人は生きてきたのだろう。見れば見るほどにわからない。
ふらふらと目的地もなく歩く。村の端までを歩いて、柵の手前までを来て。たまにすれ違った人に軽く声を掛けて、そうしてぶらりと一周してしまった。
「思ったよりも小さい村なんだな」
元々方向感覚があると言っても一度行っただけのカゲツの家までへの道が迷わずに歩けるくらいだ。森で歩いた道のりと比べると本当に狭いと感じてしまう。何事もなく無事に辿り着き、少し悩んで、何も声を掛けずに扉を開けた。
「戻った」
一応室内へ言うと、奥の方から「おかえり」と帰ってくる。まだ出掛けていなかったのかと意外に思った。靴を脱ぎ中に入ると、大型の鞄二つと荷物が散らばる部屋が目に入る。
「……どうしたの、これ」
「荷物の整理中だ。そちらの黒い鞄をトウキが使ってくれ」
「あ、うん」
初めて名前を呼ばれた気がする。思わずカゲツを見るが、彼女はトウキを見ずに荷物を纏めて片付けてと作業をしている。物の散らばり様から整理下手なのかと思ったが、すでに必要なものを吟味した結果だったのかもしれない。
「私の連れに水タイプのポケモンも居る。飲用水にするには不安があるかもしれないが、火付けの道具があるから煮沸消毒も出来る。少なめの荷物にはするから安心してほしい」
「結構あるように見えるけど」
「これ以上減らすと後悔するぞ」
「……お任せします」
聞く限りカゲツはある程度旅慣れているようだ。ろくに経験もないトウキが口を挟むより、カゲツが用意したものの抜けを考えた方が有意義だろう。
「荷物はどうした」
「明日の夕暮れ時に取りに来るようにと」
「わかった」
トウキにはわからないがカゲツにはわかるらしい。こっくりと頷くと、彼女は手を止めてトウキに「そうだ」と話す。
「これが汚してもいいタオルだ。あと、水も持っておくといい」
タオルとボトルをトウキの手に持たせると、カゲツは説明も無しにまた作業に戻ろうとする。
「なにこれ」
「ん。そろそろ副作用が来るんじゃないか」
「えっ何の?」
「薬の」
これまでで服用した薬はあのお茶だけだが。そう思った途端に、ぐりゅりと腹が嫌な音を立てた。
「っぐ、な、いってぇ……」
「体内に有害成分があることに慣れていないだろう。薬に過敏に反応してしまうんだ。一時間くらいで治まるから厠に篭っていていいぞ」
事前説明が無さ過ぎる。文句一つ言えないほどの痛みを感じながら、体を引きずって厠に入り、本当に一時間くらい篭もることになった。
散々に冷や汗を流して腹痛を乗り越えたら体力も切れた。ろくに記憶も無いまま一夜を明かし、朝を迎えた。
鳥の鳴き声と聞きなれない生き物の鳴き声、あとは風の音。日本に居た頃よりも雑多な生き物の声にトウキは起こされた。
「ん、起きたか」
体を起こしボンヤリしているところで声を掛けられた。目を擦りながら確認すると、昨日よりも楽な格好をしたカゲツが居る。
「今日までは療養時間、明日から出発になる。のんびりしていて良いぞ」
「……お腹空いた」
「卵がゆを拵えてある。好きなときに食べてくれ。私は隣で書き物をしているから何か用があれば声を掛けてくれ」
手慣れた様子で話すカゲツ。その足元には昨日は見かけなかった小さな、それでいてトウキにも見覚えがある生き物がいた。
水と地面の複合タイプ、小さくて丸っこいその体の持ち主と目が合う。その生き物はウパッと鳴くと、トウキに駆け寄り丸い目でじいと見上げてきた。
「ウパー……」
「おや。ウパーは知っているのか。
私の連れの子だ。この島では数少ない水タイプの持ち主になる」
ウパーは名前を呼ばれて嬉しそうにカゲツの近くを周り、ウパウパと鳴いていた、そしてまたトウキを見て気の抜ける笑顔を見せる。
「水ってそんな少ないのか」
「電気タイプが六割ほどだと話しただろう。そんな場所に居たいか?」
「……そりゃ嫌だな」
水タイプのポケモンの殆どは電気が弱点だ。多くの天敵が闊歩する場所に生息したいかと問われれば、何があっても嫌に決まっている。地面タイプの持ち主であるウパーは電気技が効かないから、この島でも生きていられるのだろう。
「俺はトウキ。よろしく」
挨拶をすれば、彼もウパッと鳴いた。随分と人懐っこいのか、ウパーはトウキに擦り寄り撫でて欲しそうに身を震わせる。触っていいのかとトウキが手を伸ばそうとすると、それよりも先に手袋を付けたカゲツがウパーを持ち上げる。
「こら、手袋を付けてない相手に催促しちゃ駄目だろう」
そう言って彼女はウパーの顔をうりうりと優しい力で撫で回す。手袋とは、とトウキが首を傾げていると、カゲツがきみもだと咎めるような声を出した。
「ウパーは乾燥を防ぐために毒の粘液を纏っているんだ。素手で触ろうものなら肌荒れどころじゃ済まないぞ」
「えっ毒あんの」
「なんでウパーを知ってるのにそのことを知らないんだ」
カゲツはトウキの持つ知識の浅さを不思議がる。
「野生のポケモンだけじゃない。人と共に生きているポケモンでも気を付ける必要がある。それがわかったら、今後は軽率に触ろうとしないように」
博士らしく上から諭されてしまえば手を伸ばす気も失せる。トウキははぁいと気もなく返事をして立ち上がり、大人しく撫で回されウパウパ鳴いてる小さな生き物を眺めた。粘液はカゲツの手袋にベッタリと付いていて、直接の関係は無いのに漆かぶれの言葉が脳内を過る。
「手袋は必需品だから、明日の出発前に使い方を説明するよ。彼と遊びたいのなら先に説明するが、どうする?」
「や、とりあえず、ご飯食わして……」
空腹で目が回りそうだ。そう言えば、カゲツは「それもそうだ」と頷き、ウパーを連れて部屋を出て行った。
腹も満たされたところでトウキはカゲツのもとに訪れた。彼女が部屋で出迎えてくれてすぐに「ポケモンについて知りたい」と言うと、まずは座れと室内の椅子に促される。専門的な資料が置いてある書斎に見えたのだが、連れられてきたウパーが片隅の設置されている小さなプールで遊んでいる。防水用のシートが張り巡らされているから、この部屋はウパーのためにあるのかも知れない。
「日当たりの関係でね」
視線で思考を読み取ったのか、何も言っていないのにカゲツから答えが来る。トウキはそのことに触れずに本題を口にした。
「電気タイプ……カミナリ様が危ないことはわかった。けど、他のポケモンの危険性がわかっていない。出発前に少しは知識を蓄えたい」
「勤勉だな」
いいことだ、とカゲツは何度も頷いた。だが、と言葉が続く。
「きみはトレーナースクールに通ったことが無いのか」
「……生まれた場所にそんなものはなかった」
「随分と珍しいな」
トレーナースクールはどの地方にもあり、最低限のポケモンに関する知識はそこで学ばされるのだとカゲツは話した。そこから旅に出るのも更に学習するのも個人の自由だと言う。
「この島にも一応寺子屋はある。オウセの村にしかないから、若い夫婦はオウセの村に住むのが慣習だ」
「はぁ」
本題から少しズレているような。態度に出した疑問はカゲツにも伝わったらしい。彼女は失礼と話がズレた詫びを言い、本題に戻る。
「正直に言うと、きみがそこまで無知だとは思ってなかった」
「まあ、うん。本当に何も知らないと思ってほしい」
「そのほうが良さそうだな。
ただ……その、基礎中の基礎というか、常識の話になると……今更過ぎて何を教えなければいけないかわからないんだ」
きゅ、とカゲツの眉間に皺が寄った。
「さっきの素手で触るなってことみたいに?」
「ああ。きみ、全くポケモンたちと関わったことが無いんだな」
「……そうね」
画面越しにしか無ければそれは机上の空論に等しいわけで。ウパーの粘液の毒性がどれほどなのかも、ムウマがなぜ封印石という石に消えたのかもトウキは知らない。だってここはゲームとは違う現実なのだから。
「だから、私はきみがわからないと言ったときに、危ない行動を取りそうなときに、必ず注意や静止の声を掛ける」
「……もし逸れてしまったら?」
「ムウマにはきみに付いててもらう。封印石を常に持ち歩くから、彼は私の位置がわかる。即座に合流出来るから安心してくれ」
カゲツはトウキの保証人となった。それはつまり保護者になったということだ。カゲツにはトウキの命を守る義務があり、生存のために尽くす必要がある。彼女はそう語る。
「これまでも何度か口にしてしまったが、きっとこれからもきみに対して無知であると度々言ってしまうと思う。ただそれは事実を確認するだけで、きみを傷つけるつもりはないことだけは、わかってほしい。
私はこれ以上トウキが無知であることを責める気はないし、そういった言動や態度を取らないように努める。だからきみも、わからないことがあれば素直に言ってほしい」
強制をするのではなくお願いという形でカゲツはトウキに説いた。なぜそんなことも知らないのかと教育者に責められることは自責につながる。だがその知らないことを教えるのが教育者である。カゲツは出来る限り真摯に、正しく教育者であろうとしていた。
「あんた、先生みたいだな」
はいともいいえとも言わずに感想を言えば、彼女はきょとりと目を丸めた。それからまた不思議そうに「まあ、未来のポケモン博士だからな」と言った。
「と、ポケモン博士のくだりは冗談で。良いトレーナーは良い教師である、という格言があるんだ。知ってるか?」
「……いいや」
また想定外な話の進みをする。格言だというその言葉自体が冗談みたいだったが、彼女は覆さない。首を振ったトウキの無知を首を傾げて聞いて、問う。
「そもそもポケモントレーナーがどういった人物かわかるか?」
脳裏に浮かぶのはゲームの主人公やライバル、ジムリーダーたちだ。ポケモンバトルをする人、と答え掛けたが、目の前の彼女もポケモントレーナーだと呼ばれていたことに思い至り考え直す。
「ポケモンを連れてる人のことじゃないの」
「間違っては無い。が、核心に触れてもないな」
当たり障りの無い言葉は満点に程遠いらしい。彼女はそのまま説明をしようとして、思い直すように首を振った。
「口頭で説明してもいいんだが……旅の中できっと理解出来ると思う。自分で考えてみてほしい」
別にこのまま説明してくれてもいいのに。トウキはそう思ったが、流石に口には出さなかった。