翌日。カガンの森の平原帯で二人が迎えたのは爽やかさとは程遠い朝だった。
耳を劈く咆哮。それに無理矢理に起こされ、トウキは怯えながら寝袋から出ずにもぞもぞと身を捩る。ムウマが合図をしていないときはすぐに出るなとカゲツに言われていたからだ。
「なにごとですか」
「あー……動かない方がいいぞ、彼だけは人間でも普通に餌にする」
「えっ」
平原帯は安全だと言っていたのに。トウキは文句を言いたくなったが、もう一度聞こえた咆哮で身を縮めてしまいそれどころではなかった。動きも言葉も止めたトウキとは違い、カゲツは普段とは変わらない語調で何が起きているのかを話す。
「ガブリアスだ。彼の生息地は山岳地帯になるんだが、餌を求めて島のあちこちに飛ぶ。今日はここを餌場にするんだろう。
目に付いたら狩られるから、平原帯で遭遇してしまったときは急いで森に潜り込むのが一番良い」
「……ご教授ありがとう」
「どういたしまして」
呑気に話してる暇はあるのかと言い含めたのだが伝わらなかったらしい。話が終わってしまえば動けない今、周囲で起きている音が聞こえるだけだ。少し離れた場所で逃げ惑うポケモンの悲鳴と、哀れにも捕まり響き渡る絶叫。目に見えはしないがその光景を想像してしまい脳裏に血飛沫が散る。聞いているだけだというのに心臓がダクダク嫌な音を立てた。
「……いつまで聞こえんの、これ」
「もうすぐ終わるだろう。ガブリアスの狩りは雪山で体が冷えきる前に終わると言われている。腹を満たせればそのまま去るよ」
「そっか」
ポケモンたちの声。ぶちりと千切れる音が聞こえた気がするがきっと気のせいだ。見えてないことは起きていないのと等しいと確か誰かが言っていたじゃないか――そんな現実逃避染みたことを考えて、暫く。長い喧騒の後、ごうと風を切る音がした。少しの時間が経ってから、みゃあしゃらころん、と声が。
「終わった」
ぼんやりとしていたトウキの隣から身動ぎする音がする。其方を見ると、カゲツが寝袋を脱いで伸びをしているのが見えた。彼女は横になったままのトウキに、いつも通りに声を掛けた。
「おはよう。体調はどうだ?」
何事も無かったかのような目覚めの顔。その頭の寝癖を笑ってやれたなら良かったのに、先程までの喧騒が邪魔をする。
「最悪」
「ん、だろうな」
見当がついているなら聞かないでくれ。そう言ってやりたくなるくらい穏やかな声色だった。
もう危機は去ったのだからと体を起こしたがどうにも頭が重い。寝不足ではないから間違いなく先ほどの惨状の名残だろう。頭を押さえて息を吸って吐いてと繰り返していると、ウパッと鳴く生き物が目の前までのんびり歩いて来たものだから、ついその姿を眺めてしまう。彼はトウキの視線に気が付くと、挨拶をするように呑気にウパウパ声をあげた。
「ウパーに水を出してもらうといい。口を漱いで顔を洗えばマシになる」
昨晩寝る前にボールに戻されたポケモンだ。危険だからと言っていたのに今出されているということは、もうその脅威は去ったのだろうか。ウパーはトウキの心配など知らず、カゲツに呼ばれたからか元気にお返事をして彼女の足元を走る。そのさまが余りにも呑気で平和で、力が抜けてしまう。
「なんか、こんなビビってるの馬鹿馬鹿しくなってきたわ」
「恐怖心は大事だぞ。忘れないまま持ち続けた方がいい」
説得力が有るんだか無いんだか。納得いかないままカゲツに言われた通りに口を漱いで顔を洗って、まあ少しは楽になった気もする。
そうして落ち着いた頃になってから姿を見ていなかったムウマがやってきた。挨拶代わりなのかトウキの近くをくるりと周る。先程までどうしていたのかと疑問に思っていると、カゲツから「伏せて動かずに居たぞ」と答えが返ってくる。口に出していない事柄に答えられるのはもう諦めるとして、ムウマの動きは護衛としてどうなのか。ドラゴンタイプであるガブリアスと争って無事に済むとは思えないため仕方ないことだが、少しばかり疑問である。
その後は食料をみんなで分け合って食べた。乾燥きのみと乾パンと言った保存食を水で流し込む。ちょっとばかりたんぱく質が恋しくなるが、この世界のたんぱく源となると何なのだろう。ゲームで作ったカレーを思い出し、まめのという候補の後にヤドンの尻尾を浮かべてしまって、嫌な方向に思考が向かっていることを自覚した。忘れようと無心に乾燥きのみを噛み続ける。
そうして特に言うこともなく食べていると、今日の予定だが、とカゲツが話し出した。トウキは焦ることなくそのまま食べ物を噛み続ける。
「ガブリアスが偶然にも今日平原帯を餌場にしたお陰で、最も安全に進む事ができる場所になった。今日中に平原帯を抜けてしまおうと思う」
ごくりと擦り潰したそれを飲み込む。カゲツがちゃんと聞いているかと心配するようにトウキを見てくるので、一つ頷いてからその後の予定を確認するべく口を開いた。
「また森の中入るんだよな」
「ああ。元々は平原帯と森林の境に沿って進む予定だったが、突っ切る事ができる。二日くらい旅程が短縮出来るぞ」
そんなに縮むのか。トウキは最後の一口を飲み込んで、ふぅんと気のない返事をした。どうも実感が湧かないままなのだ。
「なんでそんなに安全になるのさ」
「この平原帯にはそもそも生息しているポケモンが少ないんだ。ニャース、ペルシアン、アーボ、アーボック、コロボーシ、コロトックの六種三系統しか居ない。元々危険度が低い場所なんだが、彼らは仲間が死んだときに弔う習性がある。その弔い方の関係で他者を襲わないんだ」
ニャースとペルシアン、は知っている。ガラルに生息するニャースではないニャースが進化するとペルシアンになるのだ。それ以外のポケモンについては、一切覚えが無かったけれど。
「弔い方って?」
「遺体を他の種族に渡して食べて貰うんだ。コロボーシたちは他の二種に、ニャースたちはアーボに、アーボたちは他の二種に渡す。アーボたちの体には毒があるが、きのみと一緒に食べて無毒化する筈だ」
「……聞かなけりゃ良かった」
弔うために仲間を食べてもらうって、なんだ。理解が及ばない話になり、それなりに膨れた胃がぐるぐると回って吐き気がしてくる。顔色が悪くなったためかカゲツが「大丈夫か」と聞いてきた。
「んなわけないだろ。食べるんだろ、ポケモンがポケモンを」
「ごく自然の食物連鎖だよ、そんなに耐性がないとは思わなかった」
「……あー」
この世界はゲームとは違う。ポケモンは互いに捕食者で被食者で、命を狙い合う。草ポケモンや虫ポケモンは特に狙われて食べられているだろう。極々普通の、当たり前の食物連鎖。弱いものが食べ物になる世界。
だがもしそうだったとしても、トウキにとってのポケモンはパートナーで相棒で、一緒に旅をした仲間だ。それが仮想のものでしかないとしても、それでも。
「あんま見たくねぇわ」
馬鹿な夢想家扱いされたとしても、殺し合ったりお互いを捕食し合う姿など見たくはない。カゲツは特に戸惑うことは無く、ただ受け入れた。
「ん、まあ好んで見るものでもない。静かに近くを通り抜けるのが何よりの供養だ。食事を終えたら早々に移動しよう」
「はいよ」
頼まれても長居はしたくない。飲水を程々に飲んで、荷物を畳むことにした。
平原帯の中を進む。にゃあにゃあしゃあしゅるころころん、ここに住まうポケモンたちの声がする。今は互いに骸を抱えて、その遺体を差し出し合っているところなのだろうか。考えるだけでトウキは少しだけ気分が悪くなる。
静かに会話をすることなく通り過ぎる。距離が離れているから三系統が話し合う様は見えないが、特に荒れた声もしないため恙無く交渉が進んでいるのだろう。
黙々とただ広い平原帯を歩き、歩いて、休むことなく進んで。何事も無く二人は平原帯の端に辿り着いた。ここからまた森の中に入り、二時間程を歩けばライリュウの湖が見えるらしい。
順調に進んでいるため再度森に入る前に休息を取ることになった。ずっと一緒に進んでいたムウマとウパーにも水を与え、一息をつく。
「そう言えば、今のところカミナリには会っていないんだな」
森に入る直前の一休みでカゲツに尋ねる。カゲツは不思議そうにトウキを見ると、緩慢な動きで首を傾げて疑問を表現した。
「結構な数とすれ違ったが、気がついていないのか」
「え、いつ」
「ドンテンの村を出て直ぐにも居たぞ」
一切の警告がなかったのは何故かと聞くと、以前とは違い装備が整っているからだという。この服装であれば、すれ違いざまに少し触れる程度であれば問題は起きないのだと話した。
「と言うか……平原帯に居るのはすべてカミナリなんだが」
「……ニャースが?」
「む……カミナリの説明が不足していたか、すまない」
カミナリは電気タイプを持つポケモンのことを指す。平原帯に居る六種の名前を思い出すが、トウキが知らない四種はさて置いても、ニャースは電気タイプを持っていないと言い切れる。理解出来ないと顔に浮かべたトウキに対し、カゲツは水を飲んでまた教師のように説明を始めた。
「この島にいるポケモンは、大きく分けて四種類になる。電気タイプ、地面タイプ、草タイプ、ゴーストタイプだ」
大きく分けて、というが。元々タイプには分かれているものだろうに。全部で十を超える筈のタイプを、どうして四つに大分するのか。
「地面タイプ、草タイプ、ゴーストタイプだけは電気に染まらないんだ」
そう続いたが分かるような分からないような。曖昧に頷くとカゲツは言葉を探してくれる。
「地面、草、ゴーストのいずれかを持っていないと、この島にいるポケモンは電気タイプになってしまう、と言えば伝わるか?」
「……えっ」
言い換えられれば理解は出来た。タソガシマにいるポケモンの六割が電気タイプになるわけである。
「理由は?」
「前も言ったがそれを調べるのが私の仕事なんだ」
そういってカゲツは肩を竦める。この島にいるポケモンのほとんどが電気タイプであることはわかっているが、その要因は判明していないと。随分と大変そうな調査内容だ。
「そういや、もし他の島から来た電気タイプを持ってないポケモンはどうなんの」
「敏いな。先述した三つを持っていなければ電気タイプに変わる。塗り替えられてしまうんだ」
純粋な興味から尋ねるとしっかりと回答が来た。そうなのか、と納得だけをしたのも束の間。どうして回答が返せたのか、今日は嫌な方向に思考が働くので気が付いてしまった。
「もしかして、誰か連れて来ちゃったのか。ポケモン」
「うーん、今回ばかりは気付かない方が良かったんだが、そうだな。他の地方から連れてきて電気タイプを持ち、野生化してしまったポケモンも居る」
まず間違いなく生態系が狂う所業じゃないだろうか。在来種の住処を外来種が荒らした末路をトウキは知っている。知らない他人の失敗談を聞いて遠い目をしたトウキに対し、カゲツはそう暗くない表情で続けた。
「ポリゴンというポケモンは知っているか? 元々この地方にいなかったポケモンだ」
「いや、まったく。どんなん?」
「バーチャルポケモンという分類でな。人間がプログラムで生み出したポケモンなんだ」
プログラムで。全くその姿が想像できないままふぅんと相槌を打った。
「タソガシマと他の地方への連絡手段の構築のために連れて来られたんだが、作業の途中でノーマル単タイプからノーマルと電気の複合タイプに変わってしまってな。もう作業者が連れ帰ることも出来ないから、そのまま彼らはタソガシマの一員になった」
一度の話す内容が濃すぎることをそろそろ自覚してほしい。トウキは少しずつ噛み砕いて飲み下していくが、最後の言葉だけがどうにも引っかかった。
「なんか一員になったって言われると、馴染んでそうなんだけど」
「馴染んでるぞ。この島には何かの跡地があるんだが……そこでのんびり過ごしてる」
「生態系は?」
「一切の影響無し、不幸中の幸いだな」
何もないのなら良いことだが何も影響がないのも不思議な話だ。気になりはしたもののこれ以上は理解出来ない範囲の話になりそうだと判断し、トウキは休憩の終了を希望した。
「そうだな、そろそろ進もうか」
カゲツがウパーを呼ぶ。ウパーはお返事の声を上げてから元気に飛び上がり、カゲツの足元をくるくる駆ける。それを見てムウマも呼ばれてもないのにトウキの傍をくるくる周る。休憩を取ったと言ってもそう長い時間ではなかったのにあまりにも元気が良過ぎる。
元気に動き回る二匹を落ち着かせて、軽く柔軟をして二人は立ち上がる。一行は荷物を抱えて、また森の中へと入っていった。
今後も食物連鎖に関する話が出てくる可能性が高いです。ご注意を。