カガンの森を抜け夜を明かし、翌日。二人は出発前のストレッチをしながら今日の予定を話していた。
「ライリュウの湖近辺で砂嵐が起きたら死に直結しかねない。今日中に抜けて、何かの跡地までは移動したい」
「砂嵐?」
湖でか、とトウキが尋ねる。カゲツは少し悩んでから、彼女が持ち歩いている鞄からそこそこの厚みのある紐綴じの本を取り出した。無言でページを捲り暫く、目当てを見つけ本を大きく開く。差し出されたその内容を確認すると、子どもの落書きのような絵と説明文が書かれていた。
「フライゴンというポケモンだ。砂嵐が発生したらすぐにその範囲内から逃げろ。彼の攻撃は人間の身には耐えきれない」
フライゴンというと。ナックラー、ビブラーバと二段階を経た最終進化のポケモンだったか。ドラゴンタイプで、トウキはジムリーダーが使っていたという記憶を持っている。
砂嵐の話がいまいち分かっておらず問えば、カゲツはその紙で作られたポケモン図鑑を手渡してくる。読めということらしい。大人しくフライゴンの記載されているページを読み、彼が砂漠の精霊とまで呼ばれていることを知った。
「昔大学に通っていた時に読んだポケモン図鑑からの抜粋だが、概要はわかったと思う。
人と共にある以外のポケモンたちは皆、野生生物であり、私たちとは異なる
「……凄い怖いな、この世界」
「当たり前だろう。共存することは何よりも難しい」
生まれ故郷が酷く懐かしい。まだ郷愁に暮れることはないが、落差を思いしればボンヤリとその輪郭を追いもする。トウキは息を吐いて、別に目脂が残っているわけでもないのに目元を擦った。
「まだ旅程は三分の一だぞ」
「やめてくれよ」
疲労が残っているとでも思ったのだろうか、現実を知らしめるようにカゲツが言う。別に忘れていた訳ではないがそう改めて言われるとうんざりしてしまう。
「……ちなみになんだけどさ」
「ん」
「この島で一番危険なのってどこなの」
いっそこの湖が一番危険だと言ってくれれば、ここさえ抜けたらと気が楽になる。既に抜けたと言ってもらえるのならもう落ち着いて先へ進めるだろう。そう期待しての言葉だったが、カゲツは思い出すように上を向き、顎に手をついて考えていた。
「どこも危険ではあるが、一番となると……。悩むが。カガンの森の山岳地帯か、ミバリ海岸だろうか。
カガンの山岳地帯にはガブリアスたちの住処がある。カミナリは少ない代わりに危険なポケモンが多く居る場所だ。
ミバリ海岸にはチョンチーやランターンが居たり、他にも数多くのカミナリが居る。感電死の確率が一番高いのはあそこだろう。
今回の旅路に含まれない二ヶ所だから安心してくれ」
安心して、と言われても。救われると思った仮定に掠りもしないのだからどうしようもない。カゲツが言った言葉をそのまま飲み込んで自分の考えを捨てるのが一番楽か。色々と考えながらトウキはポケモン図鑑を閉じカゲツに渡した。
「返す。ありがと」
「ああ」
カゲツも大人しく受け取り鞄へと戻す。些細な会話をしながら、二人は出発の準備をした。
「さ。休憩も雑談も無しに今日は進むぞ。心の準備は」
「出来てないけど行こう」
「思い切りがいいな。出発だ」
その言葉を合図に、二人とお供のポケモン二匹は進む。
湖からはまだ遠い畔では水タイプのポケモンの姿は見えない。歩いて進む先にいるのはカミナリか或いは地面タイプのポケモンたちだ。彼らに襲われない様に身を潜めながら、時にはムウマに守られながら先へ先へと進む。
これまで殆ど喋り通しだったカゲツが無言で歩くことに違和感を感じながら、トウキは置いていかれないように歩行速度を上げる。男子高校生のトウキよりも余程早い歩みは、これまで過ごしてきた場所の治安の差が生んだのだろうか。……話しかけられないとこんな取り留めのないことばかりを考えてしまう。
すぐ近くにポケモンの技であろう電撃が落ち、悲鳴さえ出ずに息を呑み固まり動けなくなる。普通に生きていたら間近で見ることなんてない小さな雷。それが自分の間近に落ちて平静でいれらるわけがなかった。
そうして動けないトウキの前でムウマが何をしたかというと、目の前で突然小さくなった。ぎゅむと何かに潰されたかのように小さな丸い塊になってしまって、トウキの目は当然ながらその塊に釘付けになった。何が起きたのかわからないまま、次の瞬間に元よりも大きな体になって、その繰り返し。トウキは呆気にとられてその様を眺めていたが、気がつけば十回は目の前で繰り返されたあとだ。
「……なにしてんの」
他者に傷つけられたわけではなく彼の意志で繰り返しているのだとわかると、トウキは呆然と呟いた。ムウマはその声を聴くと悠々と空を泳ぎ、くすくすと笑ってから小さな声でムゥと一鳴き。トウキに背を向けてふよふよと前を進むから、気は済んだらしい。
何をしてたのか、ムウマには変わった習性があるのだろうかと考えながらその後ろ姿を追う。気付けばカゲツの姿は随分と先に小さく見え、結構な時間呆然としていたことをトウキは知った。
「あー……」
小さく小さく、口の中だけでぼやく。ダサ過ぎる、と。
別に当たるほどの至近距離に雷が放たれたわけじゃない。なのに動けなくなり、ムウマにそれとない――いや不自然ではあったが――気付けをされるとは。足を止めていいのなら、トウキは今頃情けなさから頭を抱えてその場にへたり込んでいただろう。
トウキを守ってくれる存在は本来トウキを守る義理は無い。自らの意志であったり、或いはカゲツの頼みであったり。彼らの親切のお陰で無事に生きている。
この旅だってそうだ。カゲツに得るものは何もない。正しく骨折り損に成りかねない、ただ彼女の配慮から出来たもの。オウセの村でしかパートナーになるポケモンと出会えないと言えど、恐らくポケモンをドンテンの村に連れてきて引き合わせることだって出来る筈だ。それをしないのは、トウキに選択肢を与えるためだろう。
周囲に目をやる。ポケモンたちが悠々と歩いている、喧嘩をしている、昼寝をしている、威嚇している、生きている、地に落ちて死んでいる。
ムウマを見る。ゆらゆら風に煽られているように揺れ、そして時折振り返る。偶然今回は目があって、ムウマがニコッと笑った。ふらりとまた前を見て漂い進む。
そして、先を征くカゲツを見る。カミナリが放った技のせいでパッと視界が明るくなったかと思ったすぐに、カゲツの持つ籠の中から泥が飛んだ。ウパーの攻撃だろう。あくまで威嚇でしかないそれはそのまま地面に落ちたが、技を放ってきたキリンのようなポケモンは警戒して距離を取った。
決して安全ではない旅路。だというのにお荷物を連れていくことを選んだ彼女。何の得も無いのに保証人になることを即決してくれた女性。この世界で生きてきた人。助けられているのにありがたいのに、だというのに同時にどうしようもないほど情けなくて仕方ない。
こんなにも考えてしまうのはカゲツに話しかけられていないからだ。いままでずっと会話をしていたから考えずに済んでいたと言ってもいい。ただ黙々とムウマのカゲツの後を追っているから、自分が守られている確信があるから気を抜いてしまっているんだろう。
……集中しなくては。まるっきり安全というわけでもないのだから。ふ、と息を吐いて。ムウマの後ろを歩いて。それで。
ムウマが突然トウキの横を通り抜けた。
釣られて後ろを振り返る。見えたのは闇、と。隙間からの強風。何の風かを考えてすぐにカゲツとの会話を思い出した。
――砂嵐が発生したらすぐにその範囲内から逃げろ。
先ほどまでは何もなかった。だが今は徐々に吹く風が強くなり、草が生えている地面を巻き上げている。トウキは後退しながら、ヤバイ、とそれだけを馬鹿みたいに考えた。
ヤバイ、ヤバイ。これはヤバイ。砂嵐が起きようとしている、自然現象じゃない災害が起きようとしている!
慌てて踵を返し走り出す。周囲のことに意識も向けられないが他のポケモンたちももう既に逃げ出しているだろう。きっと一番最後に動いたのがトウキだ。逃げろ逃げろとうるさいくらいに言う本能のままに走って、遠くのカゲツのもとへと走る。急げ。速く。追いつけ。逃げろ。叫びながら走りたいくらいに怖くて仕方ない。
走る速さと砂嵐が大きくなる速さは後者の方が圧倒的に早い。走るトウキは既に砂嵐の範囲内にいて、目に砂が入って痛くて仕方なかった。それでも足を止めたらどうなるかなんてわかりきっていたから、足を止めずに走って走って走って。踏み出した先に地面がなかった。
ひゅ、と息を飲んだ。あれなんか覚えがあるような――と考えているうちにその真っ暗に足が入り体が呑み込まれ、ついでに悲鳴も呑み込まれた。
今度こそ死んだかな。そう思ったが、トウキは気絶すらせずに五体投地で地面と再会する。ろくに受け身が取れずに顔面も一緒に地面に落ち、そのまま動けずに潰れたままになる。何が起きたのか理解する余裕なんてなかった。
「トウキ、無事か⁉」
焦りが滲むその声を耳にして、あ助かったんだ、とそれだけはわかった。ただ極度の緊張状態にあったトウキは起き上がることも出来ず、片手をわずかに上げることで意識があることを示した。
「……無事、では、無さそうだな。ライリュウの湖近辺から離れた場所になるから、少しここで休憩しよう。動け……ないよな、すまない」
何も言わずとも理解してくれたようだ。トウキはもう全身から力を抜いて、雑草が鼻の穴に刺さったまま呼吸を繰り返した。よく生きてる、よく生きてた、死んでいない。どくどくと鳴り続ける心臓が自分の生存を証明してくれている。
ピクリとも動けていないトウキにカゲツが近づいてくる。起き上がらせようとしてくれているのだろうが、正直今は起き上がるのもつらい。そのままにしてくれと伝えようとして、一個だけ現在問題があることを掠れた声で言った。
「……は……な……いた…………」
「はな……鼻? どうし」
ぶふっとカゲツが噴き出したのが聞こえた。その後ちゃんと雑草は除いてくれた。
少し体力が回復したところでトウキは起き上がり水分やエネルギーを補給した。差し出されるままに食べて飲んでと介護されている状態だったが、それを咎めるものは居ないだろう。人心地つき、トウキは大きな欠伸をする。安心して気が抜けてしまったのだ。
「眠そうだが、今日はもう少しだけ進むからな。何かの跡地まであと一時間の距離なんだ」
「うえ……はい」
もうここで休ませて欲しかったが初日のカガンの森の移動に比べたらましだ。彼女がそう言うならと諦めて従うしかない。
トウキはカゲツに促されるままにストレッチをする。少しでもこの後の行動に支障が出ないようにと考えてのことだ。言われるがままな現状がやはり情けないが、自分で自分の身の安全を確保することが出来ないのだから仕方ない。ぐ、と最後に立ち上がり伸びをして。はたと一つ気が付いた。
「ムウマは」
名前を呼んだ瞬間に目の前に現れるものだから、驚いてバランスを崩し後ろにひっくり返った。ムウマは楽しそうに笑っている。
「ムウマは悪戯好きなんだ。諦めてくれ」
「さいですか……」
特にぶつけたわけではないので怒る気はない。起き上がりムウマを見ていると、彼は不思議そうに傾いて、そのままくるりと一周回った。カゲツがする首を傾げる仕草に似ている。
「や、さっきなんで後ろ飛び出したのかと思ったけど……助けてくれてたんだよな。ありがとう」
トウキがお礼を言うとムウマは体を揺らす。気にしなくていいと言っているようだった。
「開けた場所だったからすぐにはきみを救出できなかったんだ。あそこまで走ってくれたからこそムウマが動けた」
「……ん? 何の話?」
トウキが言っているのは初動の話だ。カゲツの発言は逃げた時の話で噛み合っていない。トウキの反応を見て少し黙ったカゲツは、納得したようにああと呟いた。
「私の元に移動した話をしていたんだ。彼は影と影とを無理矢理繋げてくれたから」
影と影。言われて浮かぶのは最初の時とついさっき、トウキが死ぬかと思ったその出来事だ。
「……なんかの技?」
「競技バトルしか知らない人間には馴染みが無いかもしれないが、ポケモンたちは人間が知る技以外にも様々なことが出来るぞ」
「そうなんだ」
それは追々とカゲツが括ったので休憩がもう終わるのだと理解する。トウキは億劫な気持ちを誤魔化すべくもう一度伸びをして。呼んでも無いのに現れたムウマに驚いてすっころんだ。ムウマだけではなくウパーにまで笑われた。