ライリュウの湖近辺を速足で進んでいると雨が降り出した。装備品は撥水性もあるため濡れる心配は無かったが、徐々に雨量が増え出して視界も危うくなってきた。雨空の下は更に雷の危険性が高くなる、カゲツが言う警告に従い更に足を早め、最後には駆けて目的地へと滑り込んだ。
何かの跡地と言われていたがそこにはしっかりと建物が残っており、跡地と呼ぶには相応しくない場所だった。低い古風な建物は軒が広く、また戸が一つも無い。誰にでも開かれていた場所なのだとは理解出来るが、その用途は外観だけでは不明だ。
二人は軒下に入るとそのまま濡れた防護服や靴を脱ぎ、中の軽装のみになる。互いに特に照れることも慌てることも無くただ淡々と雨や汗で濡れた体をタオルで拭った。暇なポケモンたちは雨の下でウパウパ鳴いたり、カゲツに纏わりついたりしている。
「すげぇ雨。ここ、こんなに降るんだな」
ザアザアと音を鳴らし降る雨は広い軒の半ばまで跳ね返りが飛んでくる。大粒の強い粒が降っているのだ。寒くない気候とはいえ体が冷えたのか、トウキはくしゃみをした。
「奥に囲炉裏がある。そこで暖を取ろう」
すぐ傍を浮かぶムウマを無視してカゲツはそのまま濡れた服を抱えて上がり框に素足で上る。不満そうなムウマがその背を追い、ムムッと文句を言っているのが見えた。トウキも同じく入ろうとして、一匹で置いていくわけにはいかないとウパーも連れてから建物内へ。
綺麗に加工された木の床を歩く。今は使われていない建物だと言うのに随分と整っており、裸足でも特に痛くはない。変な臭いもない。今でも誰かが使っていると言われても信じそうなほど清潔だった。
「なんでここ、こんなに綺麗なんだ」
「……まあ、うん。まあな」
カゲツが曖昧な反応をした。前を歩く彼女の足取りには一切迷いが無い。いくつかの部屋を越しても見向きもせず、最奥の広間へと足を踏み入れる。
清潔に整えられた場所。慣れた足取り。把握している間取り。憶測にしか過ぎないが、トウキは一つ閃いた。
「私物化してたりする?」
動揺したらしくカゲツが転びかけた。何も言わずに彼女の動きを見ていると、振り向いてトウキに苦々しく言う。
「何故バレるんだ」
「勘」
「勘か……」
はぁ、とカゲツが溜め息を吐く。言うなよ、と悪戯がバレた子どものように言うので、トウキは笑わないように堪えて頷いた。不服そうにカゲツがそのまま前を行き、囲炉裏の横を通り過ぎた先にある木箱を開けた。
「右半分に黒炭、左半分に薪が入ってる。どちらがいい?」
「何が違うの」
「におい」
「マシな方で」
燃すのだから良い匂いの方では無いだろう。そう判断しての回答をするとカゲツは黒炭を取り出す。それを慣れた様子で囲炉裏に準備し、最後にはムウマに指示をして火を点けた。一酸化炭素中毒を気にする必要はこの開放的な場所では無いため、そのまま火元に近寄り暖を取る。
「炎技使えんの?」
トウキがムウマのことを見ながら言う。主語が無くとも伝わったらしく、カゲツは黒炭の位置を調節しながら答えた。
「おにびだ。炎技だがゴーストタイプのポケモンでも覚えることが出来る」
「ああ」
確かにそんな技があったと記憶を掘り起こす。炎ジムのジムリーダーが使ってきて、ポケモンにヤケドを負わされたんだったか。こうして日常的に使われるのを見ると、複雑な気分になる。
「なあ。囲炉裏があったりするけど、何のための建物なんだ、これ」
「それも調査中なんだ。すまない」
謝罪に対し、謝んなくていいけどと返答し、暫し無言になる。それからまたトウキが「わかってないの?」と聞いた。
「ん、そうだな。だから何かの跡地と呼ばれるんだ」
「へぇ。建物残ってんのになんで跡地っていうのか疑問だったんだけど、そういう?」
「本来使われていた用途で扱われなくなった、痕跡が残る土地だから。理由が判明したらそれらしい名が付くんじゃないか」
「ほーん」
外から吹き込む風で黒炭が真っ赤に染まる。二人ともどちらかと言えば風下にいたため煙を思い切り吸ってしまった。熱い臭い煙いと言い合いながら退避し、一息をつく。
「温まってきたことだし、濡れた服を干してしまおう。
「なげし?」
「む……壁に出っ張りが有るだろう。ハンガーとかが掛けられそうな。それを長押と言う。ほら、そこの竿だ」
カゲツはそう言ってトウキの後ろの方を指す。トウキが爪先立ちをして届きそうな高さにある出っ張りに、壁の角を利用して掛かる竿があった。言われた通りに竿を取りカゲツに渡すと、彼女は自分の防護服を通し、次いでトウキの防護服を掛け、またトウキに返してきた。
「あの位置に吊してくれ」
と、今度は別の角を指す。濡れたものを干すため風通しの良い場所が望ましいらしい。指示された通りに何とか吊るし終えて囲炉裏の傍へと戻る。カゲツはそのうちに薬茶を注いだらしく、水出しの淡い色をした水面が囲炉裏の灯を映す。飲むように勧められ躊躇することなく飲めば、やはり記憶にある緑茶そのものの味がした。
「雨が収まるまではこの建物で過ごす。水は煮沸すれば飲めるから心配は無いが、食料は確保しに行く必要がある。きのみが成る木をこの近辺に植えてあるから、明日にでも取りに行こう」
「……暫く滞在するような言い回しだけど」
「少なくともあと二日はここだな。この近辺は土砂降りの割に全然止まないんだ。下手すると一週間拘束されるから、食料は今のうちに確保しておきたい」
持ってきたものもそこまで多くは無い、とカゲツが話す。元々タソガシマにはある程度のきのみが成っており、別の村へ行くときにはある程度それを食料とするものらしい。これまでにもカガンの森ではきのみを食事にした。
「タソガシマは湿度が高いから食料品を長く持ち歩くのは良くないんだ」
「なるほどね」
お代わりを注がれてもう一杯を飲む。毎日寝る前には飲んでいるが、今日はもう外へ出ないから飲まされているのだろうか。飲み干したところで器を回収され、カゲツは席を立ち何処かへ向かう。簡易的な厨があるため、後程使用した食器類すべてを洗うそうだ。
「そんくらいならやるよ」
「ん……どちらかと言うと風呂を沸かしてほしい。入りたいだろ」
これまでの旅の間、確かに水浴びもしていない。出来たのは濡らしたタオルで体を拭くくらい。入りたいのは間違いないのだが、トウキはどうも風呂が嫌いになりそうだった。
「……また火の番すんの?」
「お供にムウマがつくから、そんなに嫌そうな反応をしないでくれ」
なにせタソガシマは電気機器が一切使えない島なのだ。風呂を沸かすのも薪を使って焚くのだが、それほど手間がない代わりに時間が掛かる。温度の上昇を確認しながら薪を追加し湯を沸かして、熱くなり過ぎたら水でうめる。入っている最中に温度が上がり過ぎたら最悪だ。
「まだ風呂で火傷しかけたのを引きずっているのか?」
「薪風呂なんて入ったこと無かったんだよ、ほっとけ」
初日の出来事を引っ張ってきたカゲツに対し、子どもみたいな反発をするトウキ。カゲツは肩を竦めて「そのうち慣れるさ」なんて返す。
「でも、そうだな。ウパーと話をしながら洗い物をするのと、ムウマと話をしながら風呂番をするの、どっちがいい?」
「まだ日は落ちてないんだから一緒にやろうよ……」
「効率的じゃないな」
そう呆れながらもカゲツは「構わない」と了承してくれた。どうせ時間はあるのだからと考えたらしい。
囲炉裏の火をそのままにし、まずは厨で食器や水筒などを洗っていく。洗剤は使わずに井戸から汲んだ水だけで洗うのだが、汚れが残るものなど無かったため殆ど流すだけだ。
カゲツが洗い、トウキが水を軽く拭いて食器を立てる。こうして靴も履かずに二人横並びになってみると、カゲツの背はトウキよりも少し低いことがわかる。
「普段感じないけど、カゲツさんって俺より背が低いんだな」
「ん。まあ、そうだな。きみは男性の中でも背が低めだな」
「気軽に人を傷つけないで」
確かに話を出したのはトウキの方だが、どうして的確に刺さる言葉を放つのか。渋い顔をしながら最後の食器を拭き終える。
「これで終わり?」
ちょっとだけ傷付いたが引きずるつもりも無い。カゲツに問うと、彼女は束の間幼い顔をして。それからいつもの表情に戻る。
「ああ。あとは……軽く水場周りを掃除するつもりだったんだが」
「やっとこう、することも無いんだし」
トウキが掃除道具の在り処を尋ねる。箒と塵取り、雑巾とスポンジが出て来て、一緒に掃除をした。
「見た目より汚い……」
「障子さえ無いからな。外から土埃がいくらでも入ってくる」
ぽつぽつと話をしながら整えていくと、やはりそこまでの時間を掛けずに終わる。雑談が盛り上がる暇さえなかった。
その後は風呂掃除をして、ひいひい言いながら水を張り、軒下で一緒に風呂が沸くのを待つ。水が一杯に入った桶を持ち何往復かしたせいでトウキは疲れきっていたが、同じくらい動いていながらカゲツはケロリとしている。カゲツは疲労で地面に座ったトウキに「きみは体力が無いな」と言い放った。
「結構刺さる」
「む。これも駄目か」
皮肉認定されたのかと思ったのか、カゲツは眉間に皺を寄せる。中々素直な人だ。そう思った矢先にだ。
「きみはどうやって今まで生きてきたんだ?」
「えっ皮肉ですか」
「違うが……」
文脈のせいで皮肉にしか取れなかった。カゲツは困ったように眉を下げてから「純粋に疑問なんだ」と話す。
「同じ人種に見えるのにシンオウやジョウトを知らない。ウパーを知っているのにムウマやゴローンを知らない。それなりの教養があるように見えるのにポケモンについては酷く無知だ。だのに競技バトルを知っているように思える。
私はこれらの情報を繋ぎ合わせると、競技バトル観戦が趣味な病弱な人間だと考える。病院の中で過ごす僅かな娯楽がそれだったのだと。でもきみは体力は無くとも健康そのものだ。だから、不思議でならない」
話しながらカゲツはムウマに指示をし、薪におにびで火をつけてもらう。初日の火打ち石の苦労との落差やら、今言われた内容やらが頭の中をぐるぐる巡る。
トウキが何者であるのかをずっと考えられていた。それを興味関心であると思えば良いのに、どうにも警戒されていると思ってしまうのは何故なのだろうか。
「……あんたは、俺のこと、どう思ってんの」
だから、つい。そのまま聞いてしまった。カゲツはと言うと火の調子を眺めながら「きみをか」と考える素振りを見せる。彼女の真っ黒の目や髪に火の明かりが反射するのを、トウキはまじまじと見ていた。
「人間」
と。それだけが返ってきた。
「……もうちょっとなんかさ、ないの?」
「私に何を求めているんだ、きみは……」
呆れて拗ねたような声を出したトウキはあまりに子どもっぽい。カゲツは困ったようにトウキを見、きゅと眉間に皺を寄せて唇を尖らせ、不満を顔に出した。
「しいて言うのなら……よくわからない生き物、か?」
「人間から遠ざけられた」
枠内で言い表してほしかったというのに何故はみ出すのか。そしてカゲツの発想はどうなっているのか。困惑してトウキはついカゲツを凝視してしまう。
「薄々感じてたんだけどさ、あんた、俺のこと新種のポケモンだと思ってない?」
「え、いや、そんなことは……無いと……」
言葉が続かない。つまりはそれが答えなのだろう。通りでいろいろと遠慮がないくせに中途半端に警戒したり、甲斐甲斐しくなったりするわけである。
「……すまない……」
「不快ではないけどさ……」
保証人、もとい保護者として在るのならちょうどいいくらいだろう。無自覚だったようだし深堀はすまい。
どちらも困る話題から変えるべく、トウキは別のことを考えた。と言ってもすぐに浮かぶ話題は旅のことだ。
「なあ、二週間かかるって言ってたけど。もしかしてここで立ち往生することを含めて二週間って言った?」
がらりと変わる話にカゲツは瞬きをして、それから一つ頷いた。
「うん。基本降られるからな、ここ。何度も通ったが、降らなかった試しがない」
「超降るじゃん」
雨の強さは建物に入ったときと同じに見える。強くも弱くもなっていない雨は、なるほど確かに長引きそうだ。
「島全体ではそこまで降らないんだが、この跡地近辺だけは大雨が降るんだ。理由はやっぱり不明。カミナリ様が泣いているのだと子どもは言われて育つ。何故泣いているのか聞いたが、知らないようで教えてもらえなかった」
「何もわかんないね……」
薪を一つ追加で投げ入れる。ぱちりと爆ぜた火花が目に滲みて、少しだけ後ろに下がる。雨で薪が湿気ていないのは不思議だったが、使えているのだからとやかく言うまい。
「そういや、さ」
「うん?」
「ここ、ポケモン居ないんだな」
人にとっては開け放たれた快適な場所だ。なのにポケモンはこれまでに一匹も出会していない。ポケモンが好まない場所なのか、それともカゲツが何かをしているのか。気になったので聞けば、カゲツはあっけらかんと「普通に居るぞ」と返してきた。
「野生のポケモン、中にも周りにもいるが」
「……マジで?」
中に入ってちゃんと確認したのはあの囲炉裏のある奥部屋と、厨と厠とあと風呂場。それだけしか見ていないから、もしかするとそれ以外の部屋にいるのかもしれない。そしてもしかすると、いま自分たちの周りにも野生のポケモンが居るのかもしれない。
「普通に寝泊まりしているし、掃除だってする。謂わば同居人だな」
「野生のポケモンと同居すんな。……冗談だよな?」
笑えないぞ、とトウキが言うのにカゲツは冗談だとは返してくれなかった。ただどの部屋にどのタイプのポケモンが多いかを呑気に話している。
「ああ、カミナリも居るから気をつけてくれ」
「あんた旅で散々脅してきた発言どこへやった?」
「そうは言ってもな……ここに居る彼らは距離間を保てば危なくないんだ。喧嘩を売ったりしないようにな」
「するわけねぇわ」
ポケモンの危険性を説いていた人間の行動なのだろうか。カゲツという人間が理解出来ず、なんだかトウキは頭が痛くなってきた。未来のポケモン博士がこれで大丈夫なのか。これまでの評価を全部忘れて考えてしまう。
「あ。ちょっとゴーストタイプのポケモンに味見されるかもしれないから、ちゃんと寝袋には入った方がいい。目が冷めたときに凍えかけるぞ」
「待って」
更にとんでもない話を聞かされてしまった。