翌朝を迎えても空は真っ黒な雲に覆われ、昨日と変わりない雨が降っている。トウキは目を覚ますと、何よりも先に寒気に震えた。本当にゴーストタイプのポケモンに味見されてしまったのかもしれない。
寝袋から出て消さずにそのままにしていた囲炉裏火に暖を求め近寄り座れば、少しずつ体が温まってくる。することもなくただ柔く燃え続ける黒炭を眺めぼんやりとしていると、ふと後方から衣擦れの音がした。もぞもぞと動いているのはわかるが、どうも音が止まない。どうしたのかと後ろを振り向くと、芋虫のように動く何かがそこにいた。
「……何してんの、あんた」
トウキが声を掛けると芋虫、もとい寝袋を纏ったままのカゲツが動きを止めた。勢い良く寝袋から出て来たかと思うと、トウキを見てしばしば瞬きをする。
「……おはよう」
「あー、うん。おはよ。どした?」
意識が戻ったのか挨拶をするカゲツ。先程の奇行の理由を問うが、首を振り回答を拒否されてしまう。
「朝食を取ったらきのみを取りに行こう」
寝袋を片付けて立ち上がり部屋を出て行ってしまう。準備をしに行ったか身支度をしに行ったか、ともかく追うほどのものではない。トウキは彼女が出ていった先を見つめ、何も無いと囲炉裏にまた目を向けた。
軽い食事を取り二人は雨の下を歩く。寝る前に封印石に誘導されそのままでムウマは居らず、念の為のお供として連れてきたウパーだって周囲を碌に警戒せずに雨の下で元気に走り回っているほど周囲にはポケモンがいない。いままでで一番安全な移動だった。
何かの跡地からほんの五分程度の場所にきのみが成る木は生えていた。きのみはゲームでは見たことが無いもので、橙色の瓜に似た実が不自然に鈴生りになっている。巨大化したグレープフルーツのようなそれをカゲツが房ごと切り落として収穫した。
「一つの木に対して採るのは一房までだ。野生のポケモンも食べるからな。一房で一日分の量になるし、三房まで貰っていこう」
トウキが持つ袋に三房まで入れると随分な重量となる。袋を上げ下げしてその重さを感じていると、ピカッと頭上が光った。
「ん、雷だな。急いで戻ろう」
カゲツの声を聞きながら見上げると、真っ黒な雲の間に雷が走るのが見える。雲放電と言うんだったか、起きている現象の名称を思い出しながら先を急かすカゲツの背を追う。たった五分を走る間にこれまでは一定だった雨が更に強さを増し、服が水浸しに逆戻りだ。
「想定より雨が強くなってきたぞ。早く雨が上がるか長引くかの何方かだ」
防水性があるはずなのに水分を含んでしまった防護服を脱ぎ捨てながらカゲツは言う。トウキも体が冷えきる前にと急いで脱ぎ、服の繊維を傷めないように気をやりながら絞る。弱い力の筈なのに音を立てて水が落ちた。
「カゲツさん、貸して」
「ん……ああ、頼む」
同じく濡れきったカゲツの防護服を受け取り絞る。出来る限り絞り服を広げると、カゲツに服とタオルを交換された。彼女自身はもう体を拭き終わったらしい。
「服は干しておくよ。ウパーを任せていいか?」
タオルで頭を拭きながら、雨と軒下の境を往復しているウパーを見る。まだ外で遊びたいようだが、このまま置いていって怪我をしてはいけない。室内に連れていくしかないだろう。
「足裏の汚れ拭いて連れてくよ。きのみどうする?」
「持っていく……には、ちょっと手が足りないな。厨へ頼む。そのままでも食べられるが、調理した方が美味しいんだ」
「はいよ」
カゲツが二人分の防護服とタオルを抱えて部屋の中へ戻っていく。その背を見送ってからガシガシと濡れた頭や体を拭いて、お供をしてくれたウパーの足を拭く。嫌々と頭を振って拒否していたが、暴れたりはしなかった。
「することも無いし、後でこの周りを散歩しようか。それくらいならカゲツさんもいいって言うだろうし」
元々水の中で生きているポケモンだ。雨の中を嬉しそうに駆け回るのを見てしまえば、部屋の中に拘束するのは可哀想だと思ってしまう。その考えから提案すれば酷く嬉しそうにウパウパと返事をするのだから、可愛くも感じるだろう。手袋を付けたままの手で撫でくりまわし、満足したところで一緒に建物に入っていった。
雨に濡れたきのみを汲んだ井戸水で洗う。そのまま置いていても文句は言われないだろうが、雨に濡れたままだと雑菌が増えそうだと思ったのだ。表面を洗って水気を切り皿の上に置き、これで頼まれごとは完了だ。
「待たせてごめん。じゃ、ちょっとカゲツさんに声掛けて散歩する?」
ウパーは嬉しそうに跳ねたが、何かに気がついたように戸惑った様子を見せた。どうしたのだろうかと思いながら寝泊まりをしている囲炉裏のある部屋に移動する。中を覗くとカゲツは何やら書物をしているようで、熱心にボールペンで文字を連ねるのが見えた。
「なにやってんの?」
トウキが声を掛けるとカゲツが振り向いた。体育座りで机も使わず、持ち歩いているバインダーを下敷きにしての書物だ。行儀があまり良くない行動だがそんなことを気にする人間は居ない。
「これでも研究者だからな。ドンテンの村を出てから今までの記録を纏めているんだ」
「へー。どんなこと書いてんの?」
「遭遇したポケモンも種類が主だな。あとは見慣れない行動をしていただとか、どんな状態の死体を見つけたとか、そういった様々なことだ」
見るかと問われトウキが頷くと、特に抵抗も無くカゲツは書いた内容を見せてくれた。先ほど言った内容の他にもさらに細々とした風量や気候、においや空気の感触といった内容まで記載されている。
「なに、この肌を刺激する乾いた空気、って」
「ライリュウの湖の記録だな。本来湖だからそれなりの湿り気があるんだが、あの日は乾いていたように思う。確か歩いているときに頬が刺激されている感覚があった。フライゴンが巣から出てくる予兆だったのかもしれないな」
詳しく説明されるがトウキはライリュウの湖で死にかけたことしか覚えていない。よくまあここまで思い出せるものだと感心することしか出来なかった。
「暇なのか?」
特に隣に座るわけでもないトウキを訝しみカゲツが訪ねてくる。間違いなく暇ではあるのだが、彼女は少し言葉選びを学ぶべきじゃなかろうか。口から災いを出すつもりもないのでトウキは指摘をせず、足元をうろうろ歩くウパーに視線を向けた。
「雨の中に居たいみたいだからさ、一緒に軒下でも周ろうかと思って。いいかな」
「それは構わないが……体を冷やしたままだと体調を崩すぞ」
カゲツの言葉に反応を返したのはウパーの方が先だった。ウパッと力強く鳴き、トウキの横でぴょこぴょこと跳ねている。外に出たいというのではなく別の主張であると、それくらいはトウキにも理解できた。
「ウパーも心配しているみたいだな。少し休んでから行くといい。ウパー、待てるな?」
当然と言うように彼はウパッと返事をする。そしてトウキはそのままウパーに勧められるまま囲炉裏の傍で体を温めたのだが。
「どうしよう、カゲツさん」
「どうした」
「ウパーのことを先輩って呼んだ方がいい?」
トウキよりもウパーの方が気遣い上手の可能性がある。というより、ウパーから後輩扱いされている気がしてならない。
「……きみ、自らポケモン扱いされにいっていないか?」
「そうかもしんない」
というより、トウキはポケモンに対して人間扱いをしているだけだ。対等な存在であると認識して、敬ってお礼を言って感謝して挨拶をする。最初からトウキはそうだった。
「……まあ、好きにするといい」
だからカゲツはトウキをポケモン扱いしていたのかもしれないが、二人ともその考えには至らなかった。
体を温めてから二人は建物の周りを散歩した。ウパーは楽しそうに雨の下で駆け回り、トウキはそれを眺める。たまにウパーが駆け寄ってきては跳ねて、ぱちゃりと泥飛沫を楽しそうに飛ばすお陰でトウキの靴は泥塗れだ。
こうして雨の中を散歩するのなんていつぶりだろうか。小学生、いや幼稚園児のころ以来かもしれない。新しく買ってもらった長靴やレインコートを身に着けられるのが嬉しくて、雨の中用事もないのに外に出た。曇り空は真っ暗だったけど透明な雨が綺麗で、草に溜まった雫を集めてはまた雨みたいに降らしていた。そんな、幼いころの思い出。
「ウパーは雨が好きなんだな」
軒下から雨空の下のウパーに話しかける。彼はウパッと晴れるように笑って、ぴょこぴょこその場で跳ねた。嬉しくて楽しくて仕方ないといった様子だ。
天候一つでこんなに喜んだことはあっただろうか。最近は全く思い当たらず、過去を探ってようやく思い出す。運動会や遠足、季節行事。先生が五月晴れや小春日和だと今日の日を言い表す度に、言い様も無く心が浮かれたものだった。すべてがすべて、昔のことだけれど。
「……随分と強い雨だ」
また雨の中を駆けるウパーはその雨量をわかっているのだろうか。視界不良なくらいに強く大きな雨粒は落ち、木も地面もすべてを等しく打ち付ける。トウキが歩こうものなら目の前が見えなくなって、呼吸もし辛くて、すぐさま雨宿りの場所を探す。その中を、彼は嬉しそうに歩くのだ。
「不思議な生き物だ」
ポケモンのことをトウキはきっと何一つとして知らない。その視界が映しているものも、どんな音を聞いているのかも、肌に当たる雨がどれほど心地良いのかも。トウキが人間である限り、理解し尽くせる日は来ない。
でもやっぱりそれは、人間同士だって同じなんだろう。すべては個体差で個人差で、受け取り方の違いでしかない。相互理解はどんな生き物同士でも出来る筈なのだ。
「まあ……」
食べる食べられる関係にあっては、理解する以前の問題なのだろうけど。
トウキは彼が楽しく過ごせるように、危ないものが居ないかを見張るために一緒に来た。ウパーは楽しそうに、何の心配も無いように歩く。雨に打たれて嬉しそうに、何の憂いも無い様子で。それは呑気なのか、トウキを信頼しているのか。きっと前者なのだろう。
建物の周りをもうすぐ一周し終える。二週目に入るかどうかはまたウパーに確認しよう。そう思いながら角を曲がり、建物の正面入り口に差し掛かる。
降り続く雨の音。ずっと変わりない様子。その筈だったのに、入口の前に出発時にはいなかった筈の生き物が居た。
雪のように真っ白の体。トウキの腰よりも低い背丈のその生き物は幼い子どものように見えるが、その頭部からは結った髪の毛に似ている大きな塊がある。パチリ。弾ける音。きっと纏っている電気が放電したのだ。
その生き物の閉じていた目が開く。無害そうな顔をして、うっすらと笑みを浮かべて、トウキたちが近づいてくるのを待っている。
色が違う上に雷を纏っているが、トウキはその生き物の名前を知っていた。
「クチートだ」
後ずさる。白いクチートは不思議そうにトウキを見ている。トウキは逃げようとして、近くにいるウパーの存在を思い出して、それからカゲツの言葉を思い出す。
ここに居る彼らは距離間を保てば危なくない。喧嘩を売ったりしないように。そう言っていた。
緊張で乾いた喉に唾液を流す。クチートは特に動いたりせず、トウキを見ていた。
「……俺は、トウキ。カゲツさんの助手に、なった」
自分が何をしているのかわからない。逃げるべきだ。あるいはウパーを呼んで助けてもらうべきか。少なくとも今の行動が正しいとは思えない。
「雨が止むまでここに居るんだ。邪魔をしたり攻撃をしたりは、しないから。同居人として、よろしく」
頭が真っ白で自分が何を言っているかもわからない。今トウキは防護服を着ていない上に跳ね返りの雨に濡れているから、クチートに近付かれようものならすぐに感電してしまうだろう。命の危機。こんな場合じゃない。逃げるべきなのに。
「雨に濡れるよ。中に入ったら」
からからに乾いた口で、どうして言葉を紡ぐのか。
ざあざあと雨の降る音と電気が弾ける音がする。自分の心臓の高鳴りが聞こえる。命の危険に晒されては鳴る音に、もう慣れ始めている。
クチートはトウキを見て。降り続く雨を見て。最後に、いつの間にかトウキの足元に寄ってきていたウパーを見て。
にっこりと笑って、建物の中へと入っていった。
何がどうなったのか働かない頭ではわからなかったが、クチートの姿が見えなくなったことだけは認識できた。いつの間にか止めていた息を大げさなくらい吸って、吐いて。その場にへたり込む。すぐそばにいたウパーが慌てて避けるのが見え、震える声でごめんと伝える。
「こっわ……」
真っ白なクチート。纏う電気。あれがタソガシマのクチート。カミナリ。
「こえぇよ」
危険はないとカゲツは言った。でも、駄目だ。怖いものは怖い。だって電気だ、カミナリと呼ばれ崇拝対象になるくらいに恐ろしい生き物だ。でも。
「……なんで」
なぜあの生き物は大人しくトウキの言葉を聞き入れたのか。襲ってはこなかったのか。
ウパーが心配するように声を掛けてくる。ウパウパと、大丈夫かと聞かれている気がした。
「……ありがとう」
決してウパーだって安全な生き物というわけではない。その体には毒の粘液があって、触れると肌荒れでは済まないくらいだ。でも、怖くはない。だってこうして、心配してくれるから。言葉を聞いて反応して応えてくれるから。
「あー……二週目行かない?」
鉢合わせることだけは勘弁してほしい。そう思ってウパーに提案したが、反対するように首を振られてしまった。