NEW GAME! ~omnibus love stories~ 作:黒ゴマアザラシ
俺は自分の顔が嫌いだ。
別に顔が不細工なわけじゃない。むしろ整った顔つきだと思う。
それでも嫌いなものは嫌いなんだ。子供の頃からずっと頭を抱えてきた。
この顔のせいで、周囲から浮いた俺は見世物同然の扱いを受けた。そんな状態で、まともに自己を保てるわけが無い。
高校を出た俺は実家を出る口実として大学に通うことになった。結果として、俺はまた、今までと同じように周囲を拒絶しないと自己すら確立できない環境に身を置くことになるはずだった。
「やっほ、ゆずっち。今日も気だるそうだね」
「……」
呼び鈴も鳴らさず、ヤツはいきなり玄関を開けて入ってきた。
確かにヤツの手にはレジ袋に飲み物やら食い物やら雑誌やらが乱雑に詰められていた。だが、今はそんなもの口にする気力すらない。
ヤツは図々しくも、俺の許しもないのにズガズガと俺の領域に侵入してくる。止めても聞かないのはわかっているから、もうとっくの昔に諦めた俺は怒鳴ることすら辞めて、ただベッドで横になっていた。
「冷蔵庫開けるね~」
そのうえ勝手に冷蔵庫を開けて、買ってきたものを入れはじめる。相変わらず、失礼な奴だと横目に見ていると、冷凍庫まで開け始めて何かを入れようとしていた。
「おい、なんだそれは?」
「あ、これ? シャーベット。柚子味の」
「……はぁ、アイスは好きじゃない」
「えー。もう夏休みなのに? さすがにゆずっちも冷たいの食べたいだろうな~って思ってたのに~」
冷蔵庫の前に座って、これ見よがしに手に持ったアイスクリームを俺に向けてきた。黄色いプラスチックの容器に詰められたそれは、多少時間がたっていたせいか、周りに水滴ができていた。
「ゆずっちにぴったりだと思ったのにな~」
「なんで?」
「ほら、これ、柚子のシャーベット」
「……」
ヤツが突きだしたプラスチックの容器をよく見ると、黄色い柑橘系の果実のイラストがプリントされている。
柚子だ。柚子のシャーベット。ヤツはそれを冷蔵庫に入れようとしていた。
「ね? ゆずっちにぴったりでしょ?」
「そのままじゃないか」
「そこがいいんじゃないのー。それにさ──」
ヤツは続けた。
「私、子供の頃田舎の親戚の家に行ったときに柚子採るの手伝ってたんだ」
「今も子供じゃないか」
「な! ヒドいっ!」
客観的で、正直な事実を述べるとヤツはあからさまに怒り出す。怒りたいのはこっちだまったく。
「それで、何が言いたいんだ?」
「柚子ってね、採るときにわかるんだけど、トゲが結構あるんだー。白くて可愛い花もあるのに、近づくと刺さって痛いから」
「……」
あらためて、ヤツの手にあるそれを見る。
「やっぱりゆずっちみたいだよ」
にこやかに笑ってくるヤツを見た俺は、なんとも言えない気持ちになるのをごまかしながら寝返りを打つ。
「……食べない」
「え!?」
俺は布団をかぶり、コイツと俺の間にある空間を遮断する。そもそも俺はテスト明けで眠たいんだ。少しくらいは静かにしてほしい。
だけどこいつが静かにしてくれることなどありえない。
「ちょっと、ゆずっちのばかー!」
あぁ、なんでこんなことになったのだろう。
こいつの名前は桜ねね。
クリーム色の髪をして、俺よりも背丈が小さいくせに、似合わないほどの胸にふくらみのある女。
なんで俺はこんなヤツを助けてしまったのだろう。
―――
――
―
事の始まりは、俺が大学に入学して少し経った頃まで遡る。
その頃には、俺はもう講義を受けることはなくなっていた。単純に退屈なのと、話しかけてくる連中の相手をするのが面倒だったから。
まだ誰にも荒らされていなかった頃の何も無いがらんのどうの部屋。
ベッドと電話しかないアパートの一室で寝転がって1週間。
それにも飽きて本当にやることがなくなった俺は、いつもの和服に羽織を纏って、自宅を出てもう真っ暗になっている街へ繰り出した。もう真夏とはいえ、外に出るときは肌を出したくない。
買い物ではない。金は持ってない。
──ただ歩き回るだけ。
気まぐれに、気分次第に。
人がにぎわう明るい大通りを通ることもあれば、薄暗い裏通りも通る。あーなんか気になるなーみたいなのりで廃墟のビルにも入る。
別に特に何かあるわけでもない。ただ歩き回る。
それが俺の日課だった。
これは、散歩というよりは徘徊に近いかもしれない。別にコースなど決まってないからだ。
裏通りを歩いていると、人がいるところに出た。少し広い。
「……」
あーここ前に来たな。派手なピアスや刺青が彫られてる男たちが、物珍しそうに俺を見つめる。ここには不良に毛が生えたような奴らがうろつくところだ。多分、麻薬とかもここらで売ってる。
たまたま通りかかっただけだし。ここにいる奴らがどんな連中かなど知ったことではない。俺は敵意をしめさないようにしつつ、カモにされないよう無反応でこの場を通り過ぎる。足早に裏通りを抜け、また細かい路地に入る。
「ぁ…」
薄暗い路地をあてもなく歩いていると、また広いところに出る。そこで起きていた光景に、俺はわずかに目を見開いてしまった。
「やめ…誰かっ、助け……っ!」
そこには、大男が三人がもみ合っていた。
喧嘩か?
と疑ったが様子がおかしい。太い腕や身体の合間から、クリーム色の髪とこの裏路地に似合わないパステルカラーの衣服から覗く細腕。
さっきの高い声が女の声だと察した俺はようやくここで行われていることに理解した。
「あっ!!」
理解したのもつかの間、大男に押さえ込まれているソイツと目が合い、俺に向かって声をあげやがった。そのせいか、ソイツに夢中だった三人の男の意識が俺に向く。
奴らにとって、俺にこの状況を見られるのは面白くないのだろう。つまり、俺が奴らの標的にされたということになったことを示していた。
「おい! 見世物じゃねぇぞ!」
「……」
大男三人はアイツの手を離して俺と対峙する。俺は三人の体つきと立ち方を見てすぐにこの三人の実力を把握した。
……使う奴はいないか。
「なんとか言えこのクソガキ!」
大男の一人が俺に掴みかかってくる。ものすごい勢いだ。闘牛のように突進してくる。そのままぶつかったら俺の小さな身体ではひとたまりも無いだろう。怪我で済むかも怪しいかも知れない。
ソレを見ていたアイツが大声で叫ぶ。
「危ない! 逃げ──」
──叫び終わる前に、事は片付いた。
「なっ……!?」
他の大男たちも動揺している。
それもそのはずだ。なにせ俺よりも一回り大きな巨人が、俺のような小さな子人に倒されれば驚かないわけがない。
「……ふぅ」
倒れてる大男は気絶している。無理も無い。
俺はこの大男を、体重+突進していた勢い全て乗せてこのコンクリの上に叩きつけたんだから。
実際に俺がしたのは掴みかかってくるコイツの腕を逆にとり、真下に振り下ろしただけ。
力なんて入れてない。
だって大きな力はコイツが親切にもくれたのだから
「やっちまえ!」
今度はもう一人の大男が服の中からナイフを取り出して突っ込んでくる。
銃刀法で許されてる六㎝よりも大きな刃渡りのナイフだ。
このまま突っ立っていれば腹にぶっ刺さって死ぬ。
なら避ければいい。
「がはっ!」
また大男が倒れた。別に、俺は何もしていない。
そう。ナイフを避けてちょうどコイツの頭があるところに手を置いただけ。
そしたら勝手に宙返りして倒れやがった。
「……!?」
残った大男は訳が分からずパニック状態になってる。
こりゃマズいな、さっさと仕留めねぇとどんなヤケ起こすかわからねぇ。
「おいテメェ! 動くんじゃねぇぞ! でねーとコイツがどうなってもしらねぇのか!?」
「っ……!」
予想通り、コイツも服の中からナイフを出し、さっきまで怯えていたクリーム色の髪のアイツを人質にとった。
アイツはナイフを始めて見たのか、言葉をなくしてる。てか服とか結構破けてんな。ブラとか見えちまってるし。
「……」
正直勢いでここまでしてやったが、俺がコイツを助ける理由が無い。故に、人質というものが全く成立していないのだ。俺はたまたまこの場所に出てきてしまっただけだし。
…どうしたものか。正直、ここは向こうに引いてもらった方が楽ではあるのだが。
「なんとか言えよ! このクソアマぁ!!」
「………………………………」
ナイフを突きつける大男の言葉と同時に、俺は一歩ずつ歩き出す。大男の方へ。
「な……なんだよ!?」
「……」
俺は足を動かし続ける。
一歩ずつ、大男の前へ近づく。
「お……おい! コイツがどうなっても──」
「ッ――――!!」
言い終わる前に、俺は脚を高く振り上げる。打点の高い脚は、大男の顎を真横大きく揺らす。
「ァ──ポ──」
俺は片足で一回転しながら回し蹴りの勢いを殺して静止する。その際、袴田が捲れそうになったので咄嗟にはたいて戻した。
「……ふぅ」
羽織を着直して足元を見ると、クリーム色の髪のアイツが腰を抜かしていた。
「うぅ……」
回し蹴りを至近距離で見たのがそれほど恐ろしかったのだろう。俺は呆れながら着直した羽織をコイツに渡した。
「ほらよ」
「え……なんで?」
「ブラ見えてんぞ」
「!?」
ようやく気がついたのか、顔を始めとする真っ赤にして俺から羽織をぶんどって身にまとう。多分アドレナリンが全開だったからわからなかったのだろう。
「……」
なんとか一人で立つことはできたみたいだが、まだ震えている。まあ、男に強姦されかけて、凶器突きつけられれば当然が。
このまま帰すわけにもいかねぇしな。仕方がない。
「ついて来い」
伸びてる大男など無視して俺は大通りの方へ向かう。
「あ……待って!」
後ろからトタトタと走ってくる音が聞こえたので歩調を合わせて大通りに出て、俺が一人暮らししているアパートに向かった。
「そういや、お前の名前なんなの?」
「な……同じ学科なのにそれはないんじゃないの」
さすがに名前も知らないのはやりにくいから名前を聞いてみると、俺の部屋があるアパートの前まで来て騒ぎ出したのだ。コイツの言い分からして、俺と同じ大学の人間らしいのだが、俺はそもそも大学にそこまで通っていない。
が、不意に思い出した。
「……あぁそうか。お前アレか。あの騒がしかったヤツか」
「なっ!?」
そうだ。思い出した。
俺が数少ない講義の合間や講義の最中、変に騒いでいたり妙に落ち着きのなかった存在のことを。
それが今、目の前にいて、俺が助けてしまったコイツだったということだ。それだけ覚えているが俺は名前も知らない。
そうこうしてると、コイツはもじもじしながら名前を言う。やはり服が破けて羽織だけだと冷えるのだろう。
「……桜、桜ねねよ。その……さっきはありがと、えっと…」
「柚貴だ」
「え?」
「名字は嫌いなんだ。名前で呼べ」
桜と名乗るコイツが俺の名前を知っている理由は大体わかる。どうせ俺の顔のせいだ。影で色々噂されていることを想像すると、無性にイライラしてしまう自分がいる。
幼いの頃からずっとこんな調子。俺の名前を知っている人間が俺は相手のことを何も知らないというのは、よくあることだ。
「じゃあゆずっち」
「はぁ!?」
「名前で呼ぶならそっちがいい」
「……チッ、勝手にしろ」
全く、変にペース乱してくるなコイツ。妙に調子が狂う。
舌打ちをしながら俺は桜を連れて俺の部屋がある階まで登る。俺の部屋の前まで来ると、俺よりも身長の高い男が俺の部屋の前に立っていた。
七三に分けた彩度が低い金髪にスーツ姿。
俺は眼鏡の向こう側にあるヤツの目が合った途端はまた舌打ちをすることになった。
「……柚貴さん。私はあの人になんて報告すればいいと思っているんですか」
「……」
「最近は大学にも通っていないと聞きました。その上、一人暮らしの家に未成年を連れ込もうとしているなんて、あの人に話しに行く私の身にもなってください」
「コイツは同じ大学のヤツだ」
ため息をつきながら額に手を当てている男に怒鳴りつける。
変に誤解されてあのババアの耳にまで入ったら、実家に強制送還されて地獄を見るに決まっている。そんなこと、許すものか。
「ったく、おい名波、コイツに適当な服用意してくれ」
コイツは名波賢人。
俺が一人暮らしをする上で、あのクソババアが監視という名目でけしかけてきた男だ。コイツとのつきあいは長く、クソババアからの絶大な信頼を受けている。そのせいか、度々コイツの説教を聞く羽目になるのだ。
「相変わらず人使いが荒いですね。そういうところばかりあの人に似て」
「うるさい! サッサと行け!」
呆れた顔でため息をつきながら、名波はアパートを後にする。コイツも、後ろにいる桜のことを看過できない性格であることは知っている。ちゃんと用意することだろう。
「あ……でもサイズとか」
「別にいいよ。図んなくてもわかるし」
「ちょ! それどういうこと!?」
何やら騒がしい桜は無視して、サッサと部屋に入る。ベッドと電話、風呂と洗濯機に冷蔵庫しかないワンルームの部屋だ。
「勝手にくつろいでろ」
生活に最低限のものしかない部屋に言葉をなくしてる桜を後目に、俺はとりあえず風呂にお湯を入れる。
久しぶりに身体を動かしたからこれも洗わねーとな。自分でもできるが和服は手入れがめんどくさいので基本的に名波にやらせてるが、たまには自分でやらないとまた小言を言われそうだ。
「なんで冷蔵庫の中いろはすしかないの!?」
居間に戻ると桜が冷蔵庫を勝手に開けて勝手驚いていた。
「おい! なに勝手にひとんちの冷蔵庫開けてんだ」
「痛っ!」
割とガチ目にキレた俺は桜の頭に手刀を入れる。非常識にもほどがあるだろ。
コイツ、他の学科の奴ともこんな感じか? 他人との距離感見失って人間関係壊すぞ。
「うぅ~だって勝手にくつろいでろって言ったじゃん」
「それでも最低限の礼儀と遠慮は持て!」
なんだろう。コイツ、なんの悪気もなく何かやからして、しでかしてからパニックになるタイプだぞ。
内心呆れながら、俺の部屋着と下着を渡した。名波が帰ってくるまではこれで我慢してもらうしか無い。
「とりあえず風呂入ってこい」
「……」
桜は何故か黙り込んでいる。
「どうした?」
「……これしかないの!?」
「ちゃんとした服は名波がもってくるからしばらくそれで我慢しろ」
コイツ、さっきまでどんな目に合ってたのか本当にわかってるのか?
俺は真剣にコイツの将来が心配になってきた。確かに、俺が部屋着として使っているのはワイシャツだけ。本人からすれば物足りないのだろうが、今回は耐えろとしか言えない。
しばらくすると、桜は俺が置いた着替えを身にまとって居間に戻ってくる。また顔を真っ赤にしている。脱衣場で和服を脱いで風呂場に入ると、俺がさっきためたお湯が全部無くなっていた。
「……」
どうしよう。今物凄くアイツを助けたことを後悔している。あのままほっておいた方が良かった気がする。
とりあえずシャワーだけ浴びて風呂から出る。
持ってきておいたワイシャツを身につけて居間に戻る。
ベッドの上に座っている桜を一瞥すると、俺は冷蔵庫からミネラルウォーターを二本取り出してから桜の座っているベッドとは対局にある部屋の壁にもたれた。
「で、とりあえずお前はなんであんな奴らに絡まれてたんだ?」
桜にミネラルウォーターを投げ渡した俺は前から思っていた疑問を尋ねた。そもそもなんでコイツがあんなチンピラどもに襲われてたのか、理由がさっぱりわからん。
「……今日、大学の皆とカラオケに行ってたらね」
たどたどしい言葉で話た桜の話を要約すると、その帰り道に酒を飲んだ奴があの大男三人にぶつかって、桜がそれを庇ってあそこまで連れてこられたという。
呆れた。俺はため息をつきながら言う。
「バカかお前は。おまえみたいなチビが行ったらどうなるか目に見えてるだろ」
「ゆずっちだってチビじゃん」
「お前より身長デカイ!」
本当に失礼な奴だなコイツ。助けるんじゃなかった。ミネラルウォーターをあおりながら思う。
「それじゃあさ、ゆずっち。気になってたんだけど」
「なんだよ?」
「あの怖い人たち、どうやって倒したの?」
「合気道だよ。嗜む程度だけどな」
「へーすごーい!」
正直コレについてはあまり話したくない。あのクソババアのことも絡んでくると余計にめんどくさいに決まってる。
だが、そんな俺などお構いなしに桜は俺に話しかけてくる。
「あと部屋の前にいた人、誰?」
「俺の付き人みたいなもんだ」
「え!? もしかして、親がすごいお金持ちだったり!」
「ちげぇよ」
このまま話してても拉致があかないので、俺は渋々ワケを話した。話したくないけどしょうがない。
「俺のお袋は合気道の達人なんだよ。結構有名でテレビにも出てる。弟子も沢山いるから、ガキの頃から身の回りの世話は名波がやってくれたんだよ」
その上、名波も一応うちの道場の門下生であることも、桜には話した。アイツもそれなりに腕はあるから、桜の身体見ただけでサイズはある程度解る。
「それじゃあもう一つ聞いていい?」
コイツは遠慮という文字を知らないのか? と思うくらいにまた質問してきた。流石に俺もめんどくさくなってきて雑に答える。
「今度は何だ?」
「なんで大学来なくなっちゃったの? 皆心配してたよ?」
「別にいいだろ。俺はああいうの苦手なんだ」
目を逸らすようにミネラルウォーターをあおる。理由はただ面倒になっただけ。元々実家から出られるならなんでもよかったのだ。
「ゆずっちって友達いるの?」
「悪いかよ」
遠慮のない質問に答えるのに嫌気がさしてきた俺は質問に答えず、半端な答えを返す。
すると桜はとんでもないことを言い出す。
「わかった! じゃあ私が友達になってあげる!」
「……はぁ!?」
「それならゆずっちも皆と打ち解けると思うんだよねー」
「おい! なに勝手に決めてんだ! 頼んでねぇぞそんなこと!」
思わず立ち上がった途端、玄関からチャイムが鳴る音がする。名波だ。丁度いい。とりあえずサッサとコイツを帰そう。そうしよう。
「ちょっと! まだ話は終わってないよー!」
騒がしい夜だった。
暴れる桜を名波に押し付けてご退場してから俺がよくやく眠れたのはもう12時を回っていた。
疲れた。
明日も大学に行くつもりはない。昼間まで寝ていよう。桜とも、これ以上関わることも無いだろう。
と、その時の俺はまだアイツにこの部屋を荒らされることになるとはつゆ知らずだったのだ。
●
目が覚めた。
窓から差し込む日光から察するに、もう昼頃なのだろう。
昨日口にしたモノというのは、桜と話していたときに飲んでいたミネラルウォーターのみ。流石に腹が減ってくるからコンビニで何か買ってこようと俺は部屋を出た。
「……」
玄関を出てすぐ、目の前には名波が待ち構えてた。
おそらく、俺がこうして過ごしていることに釘を刺しにきたのだ。今日は平日だし、仕事に行っていると高をくくっていたのは失策だった。
「お前、仕事は?」
「今日は半休をもらっています。ところで柚貴さん、今日も大学には行っていないのですね」
「…だったらなんだよ」
俺が好き放題していることに心中穏やかではないのだろうが、落ち着いた態度を崩さない名波はため息を一つ。コイツの異様すぎるほどの毅然な立ち振る舞いは、こういう時すごく居心地が悪くなる。
打てど響かず。という言葉がまさに名波賢人という人間を象徴していた。
「貴方の幼少期からのことは知っています。ですが、だからといって周囲の全てを拒絶していい理由にはなりません。いい加減――」
「大人になれってか? うるさいな。俺は自分の好きにしたいだけなんだよ」
コイツの説教は、あまり長くは無いのだが言い方が的を射すぎていて耳が痛い。話し終わる前に喰い気味で言い分を終わらせるに限る。
「…いいですか? 君はまだ子供です。ですが、これから大人になっていく、まさにその境目です。その大事な時期であることを自覚して生きて欲しいだけなのです。いつも話しているでしょう?」
あぁ、またコイツの十八番が来る。
さっさと逃げて飯を買いに行こう。
「枕元の抜け毛が増えていたり、お気に入りの総菜パンがコンビニから姿を消したり、そういう小さな絶望の積み重ねが――って、どこへ行くつもりですか柚貴さん」
「腹減ったから飯買いに行く。その話なら後にしてくれ」
話を完全に無視して歩き出す。
その話は耳にタコだ。この妙に実体験の籠もった言い回しが、特に鬱陶しい。
これ以上、俺に何を言っても無駄と理解したのか、俺の去り際に名波はまた小さなため息を一つついて見せた。
「……はぁ、貴方がそのつもりなら、こっちにも考えがあります」
と、何か意味深なことを呟いて。この下りも何回も繰り返した話だ。どうせしばらく無視していたら、効果が無いと諦めて辞めるに決まってる。
――と、思っていた。
「あ、ゆずっちおかえりー」
「……なんでおまえここにいる?」
アパートに帰ってきた俺に待ち構えていたのは、昨日チンピラから助け出し、名波に頼んで家に帰したはずの桜だった。俺の部屋をまるで自分の部屋のようにくつろいでいる。
スナック菓子やら雑誌やらを部屋十に広げて、その真ん中で堂々と。
「もう一度聞く。なんでおまえここにいる?」
「今朝ここに来たらゆずっちいなくてさ、部屋で待っててって名波さんが」
「アイツ……」
またいつもの意味深な事を抜かしてたが、とんでもないもの置いていきやがった。
「それとね、合鍵もくれたよ!」
「アイツ……っ!!」
「あ、何か買ってきたの? 一緒に食べよっ!」
そろそろコイツに遠慮という言葉について大学の講義並に教鞭してやろうかと真剣に思い始めたが、どうせ無意味なのでしない。
ベッドと電話しかないアパートの一室に、諦めと呆れが混じった情けないため息が一つ。
そう、これが、俺と桜ねねの馴れ初めだ。
桜は俺が買ってきた物まで手を付けながら、なにやら嬉しそうな顔をしている。
「…どうした?」
「ううん。初めて会った時のことを思い出してて。あの時はびっくりしたな~って。あの怖い人達をやっつけたのもそうだけど、なにより」
桜は言った。
「ゆずっちが、男の子ってことに」
主人公 6人目
名前 塩川柚貴
年齢 19歳
身長 160㎝
体重 47㎏
好きなもの 特になし
嫌いなもの 名字で呼ばれること、女扱いされること
母親は合気道の達人で、千人以上の門下生がいる。柚貴本人も母親に手ほどきを受けており、小柄な身体とは思えない戦闘力を持っている。
また、母親の血が濃かったのか、顔つきも女性的で、本人の普段着が和服ということもあって本当に女性にしか見えない。それでも本人は洋服が苦手。
今は大学生として一人暮らししているが、母親を継ぐ気はまったくない。
母は非常に柚貴と顔が似ており、父は黒いフチの眼鏡をかけている。