NEW GAME! ~omnibus love stories~ 作:黒ゴマアザラシ
佐藤視点
今日は言うなれば、我らイーグルジャンプの努力が改めて実を結んだと言える日だ。
その場にいる者は、みな満足げな笑みを浮かべていて、各々の歓談が広いパーティ会場の中を支配している。
俺たち以外にも、営業や外注会社、クレジットに名前が載っている人間のほとんどが集まっているから当然と言えるだろう。
イーグルジャンプが手がけた『フェアリーズストーリー3』は、それだけ多くの人の手によって作られていたのだと、改めて実感できる。
この日ばかりは車では無く電車で通勤した俺は、カクテルを片手にパーティ会場をうろつく。どうやらデバッグのバイトも呼ばれているようなので、桜の髪でも弄ってからかってやろうかと思っていると、会場の隅で一息ついている遠山を見かけた。
俺はたまたま近くを通りかかった会場スタッフに声をかけ、もう一つのカクテルをもらってから遠山のところへ向かった。
「よう、遠山。司会おつかれさん」
「あ、佐藤君。ありがとう」
せっかくの打ち上げだというのに、司会の仕事をこなしていたことへの労いの言葉ととともに、さっきもらったカクテルを差し出した。
遠山がそれを笑顔で受け取るのを見て、若干胃に負担がかかるのを感じるが、今日はこれが始まる前に飲んだ胃薬が効いてるせいかまだ耐えられる。
「ったく、お前もお人好しだな。わざわざ司会を買って出るなんてよ」
「気にすること無いのよ? 私、人と話すのは得意だし、それに・・・」
「それに?」
ちょっともったいぶっている遠山を見て少し不自然に感じた俺は、つい聞き返してしまった。すると、遠山は少し考えたあと口を動かした。
「そうね。コウちゃんにも伝わってるだろうし、佐藤君にもちゃんと言っておいたほうがいいわよね」
遠山は言った。
「私、次の開発から、プロデューサーになるの」
「・・・」
「と言っても今のプロデューサーと共同なんだけどね。元々私も希望してたし、だから背景班も抜けることになるの」
「・・・」
「コウちゃんには話してないから、びっくりさせちゃうかもしれないけど、こればっかりは私自身で決めなきゃって・・・・・・佐藤君、大丈夫?」
「ぁ・・・あぁ、大丈夫だ」
いきなりすっ飛んできた言葉に動揺しながらも、なんとか気丈に振る舞うフリをするようにカクテルを飲み干す。
「・・・ま、自分で決めたことなら、別にいいんじゃね?」
「そ、そうよね」
「・・・すまん、ちょっとタバコ吸いたくなったから外ってくる」
「え? ちょ・・・佐藤君っ!?」
空になったグラスをスタッフに返して、俺はタバコを吸うために会場を飛び出す。
というか、飛び出さずにはいられなかった。
俺は気持ちに整理が付かなかったが、なんとか喫煙所にたどりつくことができた。
「・・・」
ため息すらつかず、俺はポケットからタバコを取り出した俺はそれに同時に取り出したライターでそれに火をつけようとする。
いや別に、ショックを受けているわけではない。驚いただけで、別に落ち込んでなんていない。同じ背景班じゃなくなるから一緒に働けなくなるとかそんなことを考えてたわけじゃない。タバコを取る手が震えているのも多分気のせいだ。それにアイツの言い方からして、かなり前から考えていたような様子だったし、そんなことをいちいち俺がとやかく言うのも筋違いも甚だしい。うん。だからこれは俺には関係ないことだし、いちいちこうして驚く必要だってそもそも――
「――ちょ、ちょっと佐藤君、タバコの向きが逆よっ!」
急に耳に飛び込んできた母性的な声に、俺はハッとした。
声が聞こえた方向に目を向けると、遠山が俺を見上げていた。当然、俺の方がずっと背が高いので、必然的に彼女の視線は上目遣いのようになるのだが、いきなりそれを見せられたせいでまた少し胃が刺激される。
「あ・・・すまん」
彼女に言われたとおり、自分が手にしていたタバコに目をやると確かに俺が加えようとしていたタバコの先はフィルターではなく巻紙に巻かれた葉っぱだった。
俺はすぐにタバコの向きを直して、改めて火をつけた。
「こっちこそ、いきなり話してごめんね。びっくりしても仕方がないわよね」
「・・・・・・いや、まぁ、気にすることねぇよ。俺も悪かったな。逃げ出すようなマネしちまって」
タバコの煙が遠山に行かないように立ち回りながら、乱れた心を落ち着かせる。ニコチンが脳に染みこんでいくせいか、さっきの動揺が軽くなっているようだ。
「それで、さっきの話の続きなんだけどね」
「おう」
再び先ほどの話を切り出してきたから耳を傾ける。おそらく、仕事のこととしてちゃんと話しておかなければならないことなのだろうから、まだ残っているタバコの火を消す。
「私がプロデューサーになるってことは、ADと背景班のリーダーに空きができるじゃない? そのとき、葉月さんともう話してあるんだけど、ADはコウちゃんに、背景班のリーダーは、佐藤君に任せたいって思ってるの」
「・・・俺がか?」
「佐藤君って、背景班のなかじゃ一番仕事ができるほうじゃない?」
「・・・まぁな」
といっても、それは他の背景班のメンバーが、俺と遠山が話す機会を多くしようと画策してわざと俺にばかり仕事を押しつけてるだけなんだが・・・。
でもまぁ、昇格か。
「あ、でも嫌なら無理に引き受けなくてもいいのよ。宮本さんとか頼りになる人はいるし」
「・・・いや」
・・・正直、ドンドン先に行く八神の背中を見ていれば、俺なんかが昇格するなんて思いもしなかった。
だけど、そうだな。八神だって、一度ADでしくじってるわけだし、アイツだってアイツなりに悩んでいるはずなんだ。俺ばっかり、立ち止まってもいられない。それに、リーダーになれば、ただの平よりかは遠山と関われる機会も増えるはずだ。
「受けるよ。まだ決まった訳じゃ無いんだろうけど、心構えはしとく」
「そっか、ありがと。引き受けてくれて」
「気が早すぎないか?」
「そんなことないわよ。葉月さんだって佐藤君の仕事ぶりはちゃんと評価してるし」
・・・あの人、そんなことするタマか?
どうせ自分の周りを好みの女性で固めてるの、あれ絶対わざとだろう。
そんなこと、今更言っても仕方がねぇからもう気にするだけ無駄か。
半分諦めながら新しいタバコを取り出して火をつける。
「あのね、佐藤君。一つお願いがあるんだけどいいかな?」
「何?」
「せっかくだからこの機会に」
遠山の方に吸った煙が行かないように吐きながら聞き返すと、とんでもないことを言ってきた。
「りんって呼んで」
「・・・っ! ・・・っ!」
その言葉を聞いたとき、吸っていた煙が逆流して口から思いっきり吐き出してしまう。当然むせたので、何度も咳き込んだ。
「佐藤君っ。佐藤君、大丈夫!?」
な・・・なんだコイツ、いきなり突拍子もないことを・・・。
いきなり咳き込んだ俺を心配したのか、背中をさすってくれる遠山に俺は尋ねた。名前で呼び合うなんて男女の間じゃあまりよろしくないんじゃないのかよ。
「・・・なんでそうなるんだよ」
「えっとね。その、気分の問題っていうか・・・次の作品の開発も心を一つにしたいって言うか・・だから、それで――」
「?」
とりあえず、遠山なりの理由を聞くため、呼吸を整えてからもう一度タバコをくわえた俺は彼女の話を伺ってみると、
「私は佐藤君のこと、弘樹君って呼ぶっ」
「・・・っ! ・・・っ!」
さっきよりのとは比べものにならない言葉が俺を貫いて、俺は肺に溜めていた煙をまた吐き出してしまった。それも、さっきよりも盛大に。
「む、むせるならタバコ止めればいいのに・・・」
また遠山は俺の背中をさすってくれる。いや、違うんだ遠山、別にそういんじゃない。ただお前のそれは色々俺の心臓に悪いんだ。もっとも、そんなこと、本人に言えるわけないし。
「すまん。俺、昔から下の名前で呼ばれると喘息が出るんだ」
「まぁ、そうなの・・・私ったらごめんね」
お前はそんなありもしないようなウソを信じるなよ。
「あの、コウちゃんや佐藤君とはもう7年も一緒に働いてるのに名字で呼び合うのってなんかよそよそしいし・・・」
「ま、それはわかった」
別に断る理由もないし、それこそ本人がそうして欲しいならなおさらだ。俺はなし崩し的に遠山の提案を受け入れた。といっても、これからはコイツのこと、名前で呼ぶのか。それはそれで胃に悪そうだな。
「よかった。私、何年ぶりかしら名前で呼ばれるの。男の子の『友達』に」
――『友達』に
―『友達』に
『友達』に
遠山から発せられた言葉が、まるでエコーのように頭に響いてくる。
「・・・お前、わざと言ってんじゃねぇだろうな?」
「?」
●
ひふみ視点
私は今日の『フェアリーズストーリー3』の打ち上げを開発中からずっと楽しみにしていた。
なぜなら、今日この場所にはムーンレンジャーの声優さんが来てくれている。今作のヒロインを演じてくれたおかげで、私はライブや握手会なんかよりも近く彼女に会えることができるのだけど・・・、
「あの~サインいただいても大丈夫ですか?」
私は声優なんていうまぶしい存在に声をかける勇気なんてないため、こうして青葉ちゃんに頼んでもらい、青葉ちゃんの背中に隠れて待っている。だって、緊張するし、純君とははぐれちゃったし・・・。
「大丈夫ですよ~」
ピンクのショートカットを赤色のカチューシャで留めている彼女を間近で見ると、やっぱり本物だ。ライブで見るよりもずっと近い。しかもすごく綺麗な人。お人形さんみたい。
あぁ、近くで見ると思ってる以上にまぶしく見える。やっぱり緊張してきた・・・。
「さぁひふみ先輩!」
で、でもせっかく青葉ちゃんが手伝ってくれたんだし、こんなチャンス滅多に無いし、勇気、出さないと・・・。
「あ、あの、ムーンレンジャーから・・・ファンで・・・」
「わっ、ありがとうございます!」
青葉ちゃんに背中を押された私は勇気を振り絞って、色紙を前に出しながら彼女に話しかけると、彼女は笑顔で答えてくれたあと、手でハートの形を作って、
「メガ粒子レクイエムシュート!! ですね?」
「・・・・・・!」
思わず言葉を失ってしまう。
まさか生のボイスで『メガ粒子レクイエムシュート』の台詞を聞けるなんてっ。やっぱりアニメで録音された声よりも迫力がある。
すごいっ。こ、この仕事してて本当に良かったっ!
そのまま彼女は私の色紙を受け取ると、慣れた手つきでペンを走らせる。
「私、実は無印のころからこの作品のファンなんです。だからオーディションの受かったときは嬉しくて」
「そ・・・そうなんですねっ」
今までなら、緊張や興奮のあまり話すことさえできなかったけど、少しずつ話すのになれてきたおかげで相づちくらいなら打つことができる。
これも、青葉ちゃんや、純君と付き合うようになったからかな。
「あと、今作のBGM、私、大好きなんです」
あ、純君の作った曲のことだ。私も純君の作った曲は気に入っているのが多いから、少し彼女とシンパシーを感じることさえできた。
私はグラフィック専門で音楽にはあまり詳しくないけど、とりあえずお礼を言ってから色紙をもらった。返してもらったそれには彼女が書いてくれたサインが記されている。
さっきまで彼女が触れていたこともあって、不思議なオーラさえ感じる。これを手にしていると思うと、不思議と顔が緩んでしまうのを実感する。
サインとプロのパフォーマンスを間近で体験した私はこのうれしさを誰かに自慢したくなった。
いつもなら一人で抱えて思い出に浸っていたけど、今は違う。それを真っ先に話したい人がいる。青葉ちゃんと別れた私は会場の中でその人の姿を探す。しばらく周囲を見渡すと…いた。
息が詰まるくらいに溢れてた人並みの中で、白髪の彼を見つける。
純君だ。最近恋人になった大切な人。すぐに声をかけようとしたけど、私は足を止めてしまった。
「いやあしかし、新作はかなりの反響のようで」
「ありがとうございます」
「確か、今回は一人ですべての楽曲を手がけたとか、どれも素晴らしい曲でしたよ。サントラの売り上げも上々」
純君は人と話していた。それも大勢の人。どれも恰幅の良い男の人。歳も敦さんよりか老けていると思える人達の真ん中に、彼はいた。
どうしよう。話しかけられる雰囲気じゃ無いよ。
「いや―流石、―――トの名は伊達で――ませんな」
「演奏――――きなくと――の表現力。素晴―――才能です」
「……いえ、それほどでも」
彼が会話をしている相手はとても褒めちぎっているように聞こえるけど、どこか彼を見下すような口調にも聞こえてしまう。
なんだろう、すごく嫌な感じ。胸の奥がざわつく。
純君と恋人になる前から感じていた違和感。
それは、たまに怖い顔をすること。
何かに怯えていて、それを否定するために必死に取り繕うその顔。
そんな顔を見るたびに心が痛む。
今もそうだった。あの人の前では、きっとそういう表情を浮かべてるんだろうな・・・。
でも、どうして? あんなに頑張って作曲をして、売り上げにも貢献しようとしてるのに・・・。
「では、次の予定があるので、私はこれで失礼します」
「えぇ、またよろしくお願いします」
「はい」
あの人たちは純君とどんな関係なのだろうか。
そんなことを考えながらそのやり取りを見ていると、彼らはその場から離れていった。
たぶんあの人達は純君のお仕事に関係している人。多分、レコード会社の偉い人達なのかな?
でも、だとしたら・・・。
あの人の態度が妙に引っかかる。まるで、息子の才能を認めたくない親みたいに思えた。
もちろん純君とは血のつながりが無いし、年齢だって離れているから親子ってわけじゃないんだけど、それでもあの人が純君を下に見ているような気がしてならなかった。
「純君っ!」
「っ!」
彼らが見えなくなってから私は彼に話しかけた。彼は肩を大きく揺らす。
「あ、滝本さん」
振り向いた彼を見ると、やっぱりいつもの笑顔を向けてくれる。
でも、私は見てしまった。彼の手が震えていたのを。それが、あの人たちに対する恐怖からきているものだということはすぐに分かった。
でも、何で、こんなに怖がらないといけないのかな。
私が知っている純君は、誰よりも優しくて、真面目で、努力家で、私なんかには勿体ないくらい素敵な人で、なのに、なんで、今目の前にいるあなたは、こんなに辛そうにしているの?
純君が何をしてきたのか知らない。
もしかしたら、それは彼にとってそれだけつらい過去かもしれない。
彼はそれを必死に隠してる。私を傷つけまいと。
でも、悲しくて仕方がない。だってそれは、私を頼ってくれていないということなのだから。
「あ、それ。あの声優さんのサインですよね? 僕も貰ってこようかな」
「う、うん。凄く、綺麗、だったよ」
気丈に振る舞う純君は誤魔化すように私の手にある色紙を見てそう言った。
純君は、とても優しい人。私を嫌いにならないと、好きだと言ってくれた人。
なのに私は彼になにもできない。
……私、純君の彼女失格なのかな?
●
青葉視点
「あの、葉月さん。あと一ついいですか?」
――少なくとも今の八神さんは、私の尊敬できる上司です!
そう言って八神さんを迎えに行った私は、会場に戻ってきたときまた葉月さんに声をかけた。八神さんが一度ADになって一度失敗したことをさっき葉月さんから聞いたばかりだ。いても経ってもいられなくなった私は八神さんのところに向かったのだ。
・・・だけど、もう一つだけ気になること、聞きたいことが、私にはあったのだ。
「ん? まだ何か聞きたい様子だね。涼風君」
「えっと、その・・・あ――」
「敦君のことかい?」
私の口調と合わせるように、葉月さんは私の聞きたいことを言ってくれた。
「・・・・・・」
「その顔は、正解のようだね」
そう、私が聞きたいこと。それは敦さんのこと。
今聞くようなことじゃないのはわかっているけど、それでも聞かずにはいられなかった。八神さんのこともあるけど、敦さんのことは私が入社したときからずっと気がかりだったのだ。
だから――
「アイツの童貞を喰ったのは私だよ」
「!?」
その言葉に、飛び上がりそうなほどドキッとしてしまう。
え・・・えぇ!? ど・・・童貞!?
思わず言葉を無くしてしまった私を葉月さんは少しからかうように笑いながらなだめてくれた。
「ハハハ、別に驚くことでも無いだろう? 成人の男女の恋愛というものはそういうものさ」
「そ・・・そういうものなんですか」
ひふみ先輩のこともあるし、やっぱり大人の恋愛って色々すごいんだ・・・。
改めて感心させられるけど、今はそんなことに驚いている場合なんかじゃ無いんだ。
「私、敦さんの家に行った時、あるディスクを見つけたんです。それが八年前に作られていたフェアリーズストーリーっていうタイトルだったんです。それからずっと気になってて。だから、そのディスクのこと、それと緑さんっていう人のこと、なにか知っていることがあったら教えてくれませんか?」
「・・・」
葉月さんはちょっと目を丸くして驚いた顔をしたけど、すぐに元の余裕のある表情に戻った。
「もう彼女のことも知っているのかい? 敦君なら絶対に話したがらないことだと思ってたけど」
「あの、ゲーム展のときに渡邊新一さんって言う敦さんの知り合いがそんなことを話していたので」
「そうか。アイツもツメが甘いのか、それともわざとかいずれにしても私と同じものを感じたのかもね」
「同じもの?」
ゲーム展の時に、新一さんから受け取った名刺を葉月さんに見せると、葉月さんは納得して私にその名刺を返してくれた。
けど、最後の言葉が気になってしまい聞き返してしまったけど、葉月さんははぐらかしてくる。
「いや、すまない。こっちの話だ。それで本題に入ろうか」
次の瞬間、葉月さんの視線は、いつもの様子ではなく今まで以上に真剣みを帯びているというか・・・少なくとも今まで話したことのある葉月しずくという人物とは違う雰囲気を醸し出していた。
「先に断っておくけど、この話は敦君なら君には絶対に話したくないことだ。特に、八神君に憧れてこの会社に入ってくれた君には、ね」
「・・・」
「その沈黙は、覚悟の上ということだね。いいだろう」
その雰囲気に圧倒されて、固唾を飲んだ私だけど、それでも聞かなくちゃいけないことだと私は葉月さんの言葉にじっと耳を傾ける。
「君の疑問に対して、全ての答えになることを話そう」
「はい・・・」
「八神が入社する前、一人の女の子がこの会社にはいた。彼女の名前は
彼女の名前は、私が直接、敦さんから『話したくない』と言われた人のこと。それがこの人の名前なんだ。
葉月さんは休まず言葉を紡ぐ。それは私にもう後戻りはできないぞと代弁するように。だけど、そこから続く葉月さんの言葉を聞いたとき私の視界は大きく揺らいだような感覚に襲われた。
そんな・・・ウソだ。そんなことって――
●
敦視点
司会を務めていたはずの遠山が、佐藤を追いかけるとか言って会場を出たせいで、後に控えていたビンゴ大会を俺が仕切る羽目になってしまった。元々花男に頼んだおかげで見た目はいつもとは違うのでビジュアル的には問題無いのだが、猫の皮を被るのは疲れる。
ひとまず休憩したくなった俺は喫煙所とは違い、ひとまず店の外に出た。なんとなく外の空気を吸いたくなったこともあったが、それ以上に一人になりたかった。
いや、俺はきっと奴が来ることを待っているのだ。
『フェアリーズストーリー3』が完成し、その作品が成功したことが確実なものとなった今、奴は必ず俺に声をかけるはずだ。そのとき、俺はどうしても奴に涼風達を近づけたくなかったんだ。
「・・・」
タバコに火をつけた俺は、煙を肺いっぱいに詰め込んでそれをはき出す。はき出されたそれはギラギラとした人類の営みによって作られた光で包まれた夜の街に解けていく。
いつかのようにボーッと眺めているわけではない。俺の目は、アルコールが入った夜にも関わらず冴え渡っていた。
――そして、俺が待っていた時はやってきた。
「いい夜だね。敦君」
「・・・なんだい社長。この会社の代表者が会場を離れるなんて言語道断だろう?」
吸いかけのタバコの火をおろしたての靴で踏みけしながら、俺は声をかけてきた男を睨む。背広を赤いネクタイで締め、黒いコートを身に待っているこの男こそ、我らがイーグルジャンプの社長、本人だ。
「確かにそうだが、今回の開発の一番の功労者をねぎらわずに組織の長という者は勤まらないよ」
「よく言うぜ。どうせ今回のことも全部アンタの計算通りなんだろ?」
「そんなことはないよ。すべてそれが合理的だと判断したからこそ、私はこの作品が成功したと信じているよ」
「その合理的という考えには、一人の社員の命を捨てることさえも合理的だというのか?」
コイツが口癖のように口ずさむこの言葉を聞いたとき、抑えていたものがあふれてしまいそうになる。だが、そんなことをしても意味はない。なぜならば、
「敦君。君はまだ誤解しているようだね。確かに、綠君の身に起こった不幸は悲しいものだ。だがそれは私とどう因果関係があるのかね?」
そう、少なくとも、奴の言うとおり、何の因果関係もない。アレは一言で言ってしまえば不慮の事故でしか無い。ただ、アイツをその不幸の連鎖に陥れたのは・・・間違いなく奴だ。
「・・・なら、せっかくだから当てて差し上げましょうか? さっき、葉月と八神がADになるかならないかでわめいていたのを見かけたんでちょっと思い出しましてね」
「・・・聞こう」
わざと口調を変えた俺の詭弁に、奴は耳を傾けざるを得ない。少なくとも、ここで言い逃れをしたりするような人間では無いからだ。
「『フェアリーズストーリー』がヒットして、入社してわずか一ヶ月の八神の成長が目を見張るものだった。だけど、それを面白く思わない連中は五万といた。経験の少ない青二才とは言え、一度自信の付いたアイツを止めることはできない」
「・・・」
「だからアンタは、あえて八神の出世の速度を速めたんだ。いくら圧力をかけたところでアイツは止まらない。自分がいくら傷ついたって自分の目標のためならば構わない。それが、八神コウという人間の本質だ」
一つの目標のために死にものぐるいでなんでもやる。周囲と対立したって実力でねじ伏せるんだ。だが――
「だが傷つくのが、自分では無く他人なら別だ。八神を、『フェアリーズストーリー2』のADにすることによって、アイツと周囲を衝突させる。そしてわざと、入社して間もない新入社員と衝突させるように仕向けたんだ」
最終的に命令したのは葉月だ。おそらくアイツは、八神ならその過程で成長できると信じていたのだが、賭けはコイツに分があったのだろう。
「そして結局、その社員は半年で辞めた。言い方は悪いが、八神のせいでな。当然、ADとしては失敗だ。あのときADの役割がスムーズに俺に落ち着いたのだって、元々失敗する前提だったんでしょう? 八神に対する周囲の人間の溜飲を下げるために、出る杭だった八神を打つために」
いずれにしても、あのまま八神を野放しにしていれば最悪の事態になっていただろう。いくら自分が傷ついても構わないという本質は、所詮表面のハリボテに過ぎず、遅かれ速かれ崩れ落ちる。
だがそれがもし八神の存在が大きくなってからでは?
八神以外の戦力を、八神本人が食いつぶしてしまった後では?
言わずもがな、この会社は崩壊する。だからそのハリボテを壊したんだ。まだ手の施しようがあるうちに、八神がまだ、イーグルジャンプの主力になる前に。
「そのため5年前、アンタは入社して間もない新入社員を一人、八神の当て馬にした」
俺は社長の目を見る。それはまるで、獲物を刈り取る蛇のようなその目を。
「そして8年前には『フェアリーズストーリー』の発案者であり、キャラクターデザイナーだったアイツの――綠の夢を、アンタは殺したんだ」
不語。
ここから3巻の世界に突入します。