NEW GAME! ~omnibus love stories~   作:黒ゴマアザラシ

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史上最大の夜

 ひふみ視点

 

 社員旅行

 三日目の夕方、私は休んでいた大部屋で一人。

 あるモノと対峙していた。

 それは、社員旅行に来る前にうみこさんと買いに行った2種類の下着だ。

 私はこれから純君と二人で旅館の外へ観光に行く。その時にどちらを身につけていくべきか迷っていた。

 

 「…」

 一つは可愛いデザインが気に入って買った物。

 もう一つは、うみこさんが颯爽と買っていたのを目の当たりにして、買ってしまった物。

 一度お店を出た後、思い直した私が衝動的に手に入れた。正直後悔している。

 明らかに面積が小さく、サイドを紐で結ぶ物。

 デザインは前者の様な可愛らしいものであるのが唯一の救いだけど、これを履いて純君に会ってしまって大丈夫なのだろうか。

 彼の目の前でほどけてしまったりしたらと思うと、何も考えられなくなる。

 

 「……」

 

 私は後者を手に取る。

 もう覚悟を決めなければならないだろう。

 ここであんなことまでしたんだ。今更、怖じ気づいてもしかたがない。

 そうでないと、全部話してくれた純君に答えることなんてできないから。

 それに、純君は優しい人だからきっと笑って許してくれる。そう思うけど……、でもこんなことで嫌われたりしないかな。引かれたりしないかな。

 私は二つの下着を持ったまましばらく固まっていると、突然部屋の扉が開かれた。

 

 「あ、ひふみ先輩。温泉行きませんか?」

 

 現れたのは昨日、私に相談に乗ってくれて、背中を押してくれた青葉ちゃんだった。

 彼女に私の持っているものをてしまった。

 

 「ひ…ひふみ先輩、なんですか? それ」

 

 「え、いや、その……」

 

 恐る恐るの声で青葉ちゃんが指さしたのは、私が手にしていた下着だった。

 

 「その…まさかっ」

 

 聡明な青葉ちゃんのことだ。これがどういう用途で使われているのか、きっと気付くに決まっている。

 その証拠に、目を丸くして、口をパクパクさせていた。

 

 「ごっ、ごごごごめんなさーい! 何も見てませーん!」

 

 「あ、青葉ちゃ…待って、その、これは……行っちゃった」

 

 ●

 

 うみこ視点

 

 「にしても、アハゴンが私と二人で飲みたいだなんてめずらしいね」

 

 「うみこです。いい加減にしてください」

 

 私は居酒屋のテーブル席で向かい合うように座っている八神さんにツッコんだ。

 この人は毎回毎回、何度言えばうみこと呼んでくれるのでしょうか。

まぁ、今回は良いです。あまり雰囲気を悪くして遠山さんと合流なんてさせたら意味ないですから。

 

 ……佐藤さん、うまくいっていると良いのですが。

 私にできるのはここまでです。後は佐藤さんがどこまで遠山さんと距離を縮められるかにかかっている。

 この社員旅行のチャンスを逃すのは、かなり痛手だ。せめて、何かしらの進展があればいいんですけど……。

 

 「ん~、このお刺身おいし~」

 

 私の心中など察するわけもなく、八神さんは目の前のお造りを口に運ぶ。

 

 「誘った私が言うのもなんですが、病み上がりで大丈夫なんですか?」

 

 「大丈夫だよ。昨日はずっと寝てたんだし」

 

 と、余裕綽々でビールをあおる。

 その顔を見る限り、確かに体調が悪いように見えない。

 でも、先日の体調不良の原因は明らかに過労でしょう。普段から体調管理を遠山さんに任せている証拠です。

 しかし、それはそれだけ二人の関係の良さを表している。

 佐藤さんにとって戦況はかなり厳しい。本人も覚悟の上だろうが、このままでは遠山さんの気持ちは変わらないかもしれない。

 

 「おーいくね」

 

 少し考え事をしていたら、いつの間にかグラスが空になっていた。

 作戦のこともある。

 お酒は強い方ではあるが、酔いつぶれるほど飲むわけにはいかない。少しでも時間を稼がなくては。

 あるいは、何か有用な情報を聞き出すことができればいいのだけど。

 

 「すみませーん。ビールおかわりお願いしまーす」

 

 「あ、私も同じものを……」

 

 「あいよー!」

 

 店員さんの声と共に厨房の方へと消えていく。

 これでしばらく時間稼ぎができるはずです。その間に何か打開策を考えなければいけませんね。

私は運ばれてきたジョッキを手に取りながら思案した。

 

 「そう言えばさ、最近、りんが変なんだよね」

 

 「?」

 

 不意に、八神さんがそんなことを言い出した。

 

 「なんか、この間の面談の後もなんか悩んでたし。結局、原因わかんなかったし」

 

 「……そうなんですか」

 

 これは好機だ。

 八神さんからその話題を振ってくれば、こっちも話を聞きやすくなる。

 

 「何か心当たりはないんですか?」

 

 「ぜーんぜん、普段なら、どこかご飯連れて行ったら機嫌良くなるのにならなくてさ」

 

 「…」

 

 佐藤さんが7年感。この生殺しの状態にされている理由がわかった。

 八神さんと遠山さんの関係が進展しない理由も。

 この人、遠山さんがご飯を食べたから元気なったと思っているのだ。

 正確には、八神さんと出かけたから機嫌がよくなったなのに。

 確実にこの人の鈍感さも一枚噛んでいる。

 それと遠山さんがそんな八神さんに夢中なのと、佐藤さんがヘタレだということ。

 なんですかこの地獄。

 複数の気持ちが渦を巻いて、抜け出せなくなっている。巻き込まれた涼風さんが本当に可哀想だ。

 

 「あーあとさ。なんかさ、最近、佐藤の話ばっかりするんだよね」

 

 「……詳しく聞かせてもらえますか?」

 

 ●

 

 佐藤視点

 

 旅館のロビーで一人、コートに身を包んだ俺は人を待っていた。

 昼間、元気にスキーを楽しんでいた涼風達を思い出すと、これからどれだけ冷え込むかを予感させた。実際、そこそこ暖房が聞いているはずのロビーも多少冷える。

 これは、早めにどこか店に入った方が良いな。

 

 「佐藤君」

 

 そして、俺が待っていた時が来た。

 柔らかく母性的な声に反応すると、遠山が歩いてくる姿があった。

 肩からストールをかけており、その上に紅色コートを羽織っている。彼女も夜が冷えると思い、準備していたから遅れたのだろう。

 早歩きで俺の隣までたどり着いて、遠山は小さく息をつく。

 

 「ごめんね、待たせてしまって……」

 

 「いや、そこまで待ってないさ」

 

 本当は結構待ったけどな。

 まあでも、このぐらいの嘘なら良いだろ。

 

 「んじゃ、行くか」

 

 「うん」

 

 こうして、俺達は旅館を出ると、旅館側が用意したシャトルバスで駅前まで降りる。

 既に日は完全に落ちているが、街灯のおかげで歩くには困らない。むしろ、雪道の方が暗いかもしれないくらいだ。

 時折、風に吹かれて舞い上がる粉雪を見て、遠山が小さく笑みを浮かべて言う。

 

 「綺麗……」

 

 その横顔はとても美しく見えて、思わず見惚れてしまった。

 だが、すぐに正気に戻ると慌てて顔を逸らす。

 

 「どうかした?」

 

 「……別に」

 

 ……危なかった。

 見惚れていたのがバレるところだった。

 しかし、改めて見てみても、彼女は美人だ。

 

 「もーコウちゃんったら、前から約束してたのにうみこさんの挑発に乗っちゃうなんて、ひどいよね」

 

 「…そうだな」

 

 少しだけ罪悪感がわく。

 うみこと口裏を合わせて八神と彼女を引き離したんだ。きっと彼女にも予定が合ったのを、無理に俺に合わせてくれたのだろう。

 そう思うと申し訳なくなる。

 

 「私だって楽しみにしてたのに」

 

 「それは災難だったな」

 

 「本当! だから、今日は思いっきり楽しまないとね!」

 

 遠山の言葉を聞いてホッとする。

 どうやら怒ってはいないらしい。

 それに、彼女が言った通り、せっかく来たのだ。うみこに背中を押してもらったのだ、やれるだけのことをやろう。

 そんなわけでまず向かった先は居酒屋。

 テーブル席で向かい合うように座り、簡単に乾杯を済ますと早速注文をする。

 この店に着く頃にはもうかなり冷え込んでいたから熱燗にした。

 日本酒はあまり飲まないのだが、遠山と同じ物を頼んでみた。

 

 「じゃあ、乾杯」

 

 「うん、乾杯」

 

 チンッとグラスを当てて、同時に一口含む。

 アルコール特有の苦味が口に広がり、喉を通って胃に流れていくのを感じる。

 美味しいかどうかはよくわからないが、嫌いではない。

 そして、遠山の方を見ると……彼女は幸せそうな表情をしていた。

 

 「うん、おいしい」

 

 「こういう居酒屋でよかったのか?」

 

 「うん、結構有名なお店なんだって」

 

 「そっか」

 

 それなら良かった。

 適当に料理を頼みながら話をしているうちに酒が進んでいく。

 

 「佐藤君はお酒強い方?」

 

 「まぁ、ソコソコ」

 

 見てみると、彼女の頬が少し赤い。

 結構飲んでいるが、これでもセーブしているほうだ。

 涼風の歓迎会とか、祝賀会みたいになったらどうしようかと思っていたが、

 

 「それでね、コウちゃんったらね、旅行前日なのに全然着替えとか準備して無くてね。結局全部自分が用意したの。いつも自分でやりなさいって言ってるのに、ホントしょうがないんだから」

 

 「……」

 

 いつもと変わらんな。

 

 ●

 

 純視点

 

 「あ、ひふみ…どうしたの?」

 

 「う、ううん。大、丈夫…だよ」

 

 旅館のロビーで僕はひふみと待ち合わせていたのだけど、少し不自然な様子だった。

 どこかソワソワしているというか、特に腰周りを気にしているような気がする。

 ……もしかして、今朝のアレが原因なのかな。

 僕には想像することしか出来ないけれど、やっぱり恥ずかしかったりしたんじゃないかな。

 まさか、女性社員が休んでいた部屋であんなに大胆にキスしたわけだし。

 

 「そっか……。じゃあ行こうか」

 

 「うん……」

 

 いつもより口数が少ない彼女と一緒に旅館を出た。

 旅館から出ているシャトルバスである場所に向かう。

 この辺りは地元では無いけれど、有名な観光地。彼女に是非楽しんでもらいたい場所がある。

 シャトルバスの奥の席で隣り合うように座る。

 その間ずっと彼女は自分の腰周りとか太股とか気になるのか落ち着きがないように見えた。

 

 「あの、ひふみ、どこか具合でも悪いんですか?顔色が悪いように見えるのですが……」

 

 心配になった僕はそう聞くと、彼女の肩が大きく跳ね上がる。

 

 「そ、そんな…こと、ない…よ」

 

 「本当に大丈夫ですか?」

 

 「うん……」

 

 「ならいいんだけど……」

 

 ひふみは誤魔化す様に微笑むだけだった。

 そのまま僕らは無言のまま目的地に到着するまでバスに揺られた。

 窓から見える山々が近づいてくる頃、ようやく目的地に到着したようだった。

 バスから降りると、目の前に広がる光景に息を飲む。

 

 「すごい……」

 

 それは圧巻としか言いようが無いものだった。

 眼前に広がるのは煌びやかな装飾で彩られた街波。建物も日本らしいモノでは無く、まるで別の国に来たかのような錯覚に陥る。

 背後にはナイトスキーのための照明が点灯しており、夜の街と雪で覆われたゲレンデを幻想的に照らし出していた。

 来月に迫るクリスマスに備えてか、街全体が色めき立っているようだ。

 

 「あ、雪…」

 

 ふと空を見上げると白い粒のようなものが落ちてくるのが見える。

 

 「降ってきましたね」

 

 「うん」

 

 「風邪引いちゃわないようにしないと」

 

 「そう…だね」

 

 先程から様子がおかしいと思っていたけど、どうやら今は景色に見惚れてしまっているみたいだった。

 

 「喜んでくれたなら嬉しいです」

 

 「あり、がと……」

 

 二人してしばらくその景観に見入ってしまう。

 

 「……あっ、ごめん、ね。私、ばかり…見ていて」

 

 「いえ、大丈夫です。それより、少し歩きませんか?」

 

 「うん……」

 

 そう言うと、僕らは並んで歩き始めた。

 手を繋いで。

 手袋も、わざわざ外して。

 でも、手を伝う温もりのおかげか、全然冷たくなかった。

 ここはスキーだけじゃ無く、洗練された飲食店やお土産、宿初施設が充実したリゾート開発地。

 並ぶ看板は英語ばかり、日本語表記のお店は数えるほどしかない。

 僕たちはそんな異国情緒あふれる道を二人で楽しむことにした。

 日本では見ることの出来ない海外の食品、お土産やスキーグッズなどを見て回り、お店に入ってみる。店内に流れる音楽はロック調の音楽がかかっており、お客さんも外国人が多め。そんな中に日本人として 入るのはなんだか不思議な気分だ。

 

 「あ……これ、かわいい」

 

 「どれですか?」

 

 ひふみが見つけたのはスノードームと呼ばれる小さなガラス製の置物だった。

 中にはサンタに扮した女の子の人形が入っている。

 

 「買いましょうか?」

 

 「え……?」

 

 「すいませーん!」

 

 僕は近くを通りかかった店員を呼び止めると、「プレゼント用で」と伝えると包装された袋を受け取り財布を出す。

 

 「あ……あの」

 

 「はい?」

 

 「ありがとう……」

 

 「どういたしまして」

 

 そして僕らは再び手を繋ぐと店を後にした。

 時刻は既に19時をとっくに過ぎていることもあり、夕食を取ることになった。

 選んだ場所はスキー場内にあるレストラン。

 僕らが案内されたのは個室のようなテーブル席で、目の前には大きな窓があり、そこからゲレンデを一望できる。

 

 「わぁ、すごい……」

 

 「いい眺めですね」

 

 僕らは向かい合って座り、メニュー表を見る。

 

 「何にしましょうか」

 

 「私は、これが…いい」

 

 彼女が指差したのは『本日のディナーセット』と書かれたページ。

 そこには数種類の料理の写真が載っている。

 

 「じゃあ、僕もそれで」

 

 「わかりました」

 

 ひふみは店員を呼ぶと、注文をする。

 数分後、運ばれてきたのは小さめの鍋とサラダ、それにワイングラスに入った赤紫色の液体。

 

 「これは……?」

 

 「シェリー酒、って…言うんだって」

 

 「へぇ、そうなんですか。初めて見ますね。なんかおしゃれな飲み物ですね」

 

 「うん……」

 

 ひふみは小さく笑うと、僕の方を見た。

 

 「あの、今日は、本当に、ありがと……」

 

 「いえ、こちらこそ付き合ってくれて、ありがとうございます。楽しかったですよ」

 

 そう言って微笑むと、彼女は俯いて頬を染める。

 しばらくして食事を終える頃には夜はすっかり更けていた。

 外に出ると、イルミネーションでライトアップされていていた。降っている雪と反射して、さらに煌めいて見える。

 

 「きれい……」

 

 ひふみも同じことを思ったのか、感嘆の声を漏らす。

 そのまましばらく見ていると、不意に手を強く握られる。見ると、顔を真っ赤にしたひふみがいた。

 

 「まだ…帰りたく…ない……」

 

 消え入りそうな声でそう言った。

 

 「……っ!?」

 

 彼女の言葉に心臓が大きく跳ね上がる。

 もちろん、それは僕も一緒だった。

 周りを見ると、他のカップルたちも同じようなやり取りをしているようで、辺り一面幸せムード一色だった。

 

 「……」

 

 「……」

 

 お互い何も言えず、ただ黙ったまま見つめ合う。すると、突然強い風が吹き荒れた。

 

 「きゃっ」

 

 短い悲鳴と共によろめく彼女を支えるように腰を抱く。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 「はい……でも、ちょっと寒いかも……」

 

 そう言うと、肩を寄せてくる。

 その仕草にドキッとした。

 

 「じゃあ、もう少しだけ、歩きませんか?」

 

 「…うん」

 

 僕は彼女を連れて、再び異国情緒の街波へと歩みを進めた。

 

 

 ―――

 ――

 ―

 

 「もうバス、なくなっちゃいましたね」

 

 あれからどれくらい歩いただろうか? 気付けばシャトルバスの時間は終わってしまい、今や車が通ることの無い道路に僕らは立っていた。

 

 「ごめんなさい。こんな時間まで連れ回してしまって……。寒かったですよね?」

 

 「ううん……大丈夫。それに、私も……もっと一緒に居たかった……から……」

 

 上目遣いで恥ずかしげもなくそんなことを言う彼女にまたドキドキする。

 しかし、ここから旅館までは距離がある上にバスは通っていないためタクシーを使うしか無いのだが……あいにく今は近くにいないようだ。

 

 「……」

 

 「……」

 

 無言のまま立ち尽くす。

 その時だった。

 ひふみが僕の手を握りしめて来た。思わず驚いてしまう。

 

 「ど、どうしました?」

 

 「……」

 

 顔を上げて何かを喋ろうとするが、すぐに俯いてしまう。

 そして何度か口を開きかけるが、結局何も言わずに口を閉じた。

 

 「……」

 

 「……」

 

 それからしばらくの間、沈黙が流れる。

 

 「あの、そろそろ、戻りましょうか」

 

 これ以上遅くなる前に彼女を帰さなくては。

 そう思って声をかけるが、彼女は首を横に振る。

 

 「あ、あの……」

 

 「もう少し、純君と、いたい……」

 

 「え……?」

 

 「お願い……」

 

 ひふみは真っ直ぐに見つめながらそう言うと、僕の手を握る手に少し力を込めた。

 

 「……っ」

 

 胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。

 

 「で、ですけど……旅館に戻らないと」

 

 「明日、東京に、帰るん…だよ……?」

 

 「……」

 

 「だから、せめて……今夜、だけは……」

 

 「……」

 

 「わがまま…なのはわかってる……だけど、どうしても……純君と、一緒に…いたくて……」

 

 ひふみは僕の目をじっと見つめたまま、そう告げた。

 

 「……」

 

 正直、ここまでストレートに気持ちをぶつけられたのは初めてのことだった。

 僕も同じ気持ちだ。この旅行が終われば、お互い忙しくなるだろう。

 こうして、二人っきりになれる時間も限られてくる。

 

 「わかりました」

 

 そう答えると、ひふみの瞳が潤んだ。

 それが喜びによるものであることは、口にするまでもなかった。

 

 「本当? よかった……」

 

 嬉しさを隠しきれないといった様子だ。

 

 「それでは、もう少しだけ、お付き合いしますよ。どこへ行きたいですか?」

 

 「ほんと?いいの?」

 

 「でも…どうしましょう。随分と夜も更けてきたし、どこかお店とかあるかな……ん?」

 

 ふと顔を見上げると、目の前には看板があった。この地区の看板は基本的に英語表記で、一瞬何を書いているのかよくわからなかった。

 でもよく読んでみると、どうやらホテルのような名前が書かれているようだった。

 まてよ……これってもしかして。

 嫌な予感が頭を過りながらも恐る恐る聞いてみる。

 

 「ここって……」

 

 「あっ!あのっ……そのっ……」

 

 急に慌て出したところを見ると、やはりラブホだったらしい。

 しかも、ここはこの開発地の中でも一番高級そうなホテルだ。

 

 「……っ」

 

 「……」

 

 またもやお互い黙ってしまう。

 

 「え、えっと……あのっ」

 

 「……よ」

 

 「え?」

 

 「……いい、よ」

 

 彼女は確かにそう言った。

 頬を赤く染めたひふみは、顔を逸しながら続ける。

 その言葉の意味はすぐに理解できた。

 

 「だって…その、純君と……なら」

 

 「え、でも……」

 

 「ダメ……?」

 

 不安げにこちらを見る。

 普段のたどたどしい口調にも、どこか強い覚悟が秘められていた気がした。

 ひふみはきっと勇気を振り絞っているのだ。

 ならば、僕はそれに答えなければいけないと思った。

 彼女の方へ向き直ると、彼女の手を握る。

 すると驚いたようにびくっと身体を震わせる。

 そんな彼女を見て、静かに告げる。

 

 「じゃあ、行きましょうか」

 

 「……うん」

 

 コクリとうなずく。

 そのまま手を繋いで歩き出す。

 僕らはそのホテルの中へと入っていった。

 中に入ると内装は思ったよりも綺麗だった。

 ロビーで部屋を選び鍵を受け取る。エレベーターに乗って目的の階に着くまで待つ間、なんとも言えない緊張感に包まれていた。

 やがて到着音が鳴り扉が開くと、そこはもう部屋の中だった。

 

 「うわ……」

 

 思わず声が漏れてしまう。

 さすがは高級ホテルというべきか、そこらのビジネスホテルとは比べ物にならないほどの豪華な作りになっていた。

 

 

 「すごい……」

 

 隣にいるひふみが呟いた。

 

 「とりあえず……座ろ」

 

 「そ、そうですね」

 

 二人で並んでベッドに腰掛ける。

 ふかふかしていてとても心地が良い。

  照明はまだついていないせいか薄暗い。

 けれど、窓から差し込む月明かりやゲレンデの雪が反射して、それなりに視界は良好で躓くことはなかった。

 

 「純君……」

 

 不意に名前を呼ばれて振り返る。

 ひふみは真っ赤になった顔を隠すようにして俯いていた。

 そしてゆっくりと手を伸ばしてくると、僕の手の上に重ねた。

 ドクンと心臓が鳴る。

 手から伝わる熱にドキドキしながらも、それが決して不快なものじゃないことを自覚する。

 むしろ嬉しく思うほどに。

 しばらくそうした後、彼女は顔を上げて僕の目を見た。

 朧気な青い瞳。

 潤んだそれに吸い込まれそうになる。

 

 「キスして、欲しい」

 

 消え入りそうな声でそう告げる。

 

 「!?︎」

 

 あまりにも唐突なお願いに驚いてしまう。

 

 「ご、ごめん……私、変なこと言ってる…よね」

 

 困ったような笑みを浮かべながらそう言う。

 

 「い、いえ、別に謝ることなんてないですよ」

 

 慌ててフォローを入れる。

 

 「ただ……ちょっとびっくりしたというか……」

 

 「そうです、よね……やっぱり、ダメ、かな?」

 

 少し悲しげな表情になる。

 ここで断ったらまるで僕がひどい男みたいじゃないか。

 

 

 「わ、わかりました。それじゃ……目を閉じてください」

 

 「うん……」

 

 恥ずかしそうにしながら、言われた通りに瞼を閉じる。

 その様子を見届けてから、僕も目を閉じた。

 お互いに見つめ合う形になって、ますます緊張が高まっていく。

 ゆっくりと顔を近づける。

 お互いの顔が近づくにつれて、鼓動が速くなっていく。

 唇が触れ合った瞬間、身体中に電流が走ったかのような衝撃を覚えた。

 柔らかくて温かくて甘い味が口いっぱいに広がる。

 何度も触れあった感触。だけど、慣れることも、飽きることもない。

 名残惜しさを感じながらも、一度顔を離す。

 

 「んっ……ふぅ」

 

 息苦しかったのか、吐息を漏らしながら大きく呼吸をする。

 

 「あの……大丈夫ですか?」

 

 「うん……すごく…幸せ」

 

 「なら良かったです」

 

 「ねぇ、もっと……して欲しい」

 

 「っ……」

 

 「お願い」

 

 「……はい」

 

 再び顔を寄せる。

 今度はもう少し長く。

 お互いの舌を絡めるようにしながら、じっくりと味わい尽くす。

 静かな部屋に水音だけが響く。

 どれくらい経っただろうか。

 長い時間のように思えたけど、おそらくほんの数秒だろう。

 どちらからともなく口を離すと、銀色の糸を引いた。

 

 「はぁ……」

 

 ひふみは大きくため息をつくと、そのまま寄りかかってきた。

 その重みを抱き止める。

 

 「純君って、キス…上手、だね」

 

 「そ、そうでしょうか」

 

 「うん。なんか大人の人みたいな感じがした」

 

 「……」

 

 正直自信は無いのだけれど。

 実際、僕は今まで女性と付き合ってきた経験はない。

 当然のことだが、誰かとこんなことしたことはないはずだ。

 なのにどうして……。

 

 「それより、お風呂とか入らないんですか?」

 

 「あ……そっか」

 

 思い出したように立ち上がると、鞄を持ってすぐ隣にあるシャワールームの方へ歩いていった。

 

 「ちょっと…待ってて、準備、して…くる」

 

 「はい」

 

 そう言うと彼女はバスタオルと着替えを手に持って、浴室の中へと入っていった。

 

 それを確認してから、僕はベッドに横たわった。

 

 「ふぅ……」

 

 天井を見上げながら大きく深呼吸する。

 

 「やばい、かも……」

 

 これから僕らがすることが、大体想像ついてしまう。

 まだ覚悟が決まりきっていない。

 気持ちとは裏腹に彼女を傷つけたくないという理性が、すり減りそうになる。

 いつ限界がきてしまうか、僕にもわからない。

 未だに迷いがある内に、ひふみは戻ってきた。

 

 「!?」

 

 彼女が身にまとっていたのは浴衣。

 見覚えがある。

 僕らが泊まっていた旅館モノのだ。

 

 「な、なんで、それを?」

 

 「……だって、純君、昨日…ずっと見てた、から…こういうの、好き……なの、かなって」

 

 つまり僕の趣味に合わせてくれたということらしい。

 わざわざ旅館から持ち出しただろう。ということは、もしかして、こうなることをひふみは最初から予感してたのかな?

 

 「ど、どうかな?」

 

 不安げな表情を浮かべる。

 

 「……とても、綺麗です」

 

 率直に感想を述べる。

 

 「本当?」

 

 「もちろんです」

 

 力強く答える。

 

 「嬉しい……」

 

 嬉しそうな笑顔を浮かべる。

 その仕草がまた愛らしくて、思わず抱き締めたくなってしまう。

 でも、ぐっと我慢する。

 ここで手を出したら、全てが台無しになってしまう。

 そんな気がした。

 ひふみはまた、僕の隣にチョコンと座る。そして、肩を寄せてきた。

 彼女の体温が伝わってくる。

 

 「…ねぇ、純君」

 

 「?」

 

 震えるような声で聞いてくる。

 

 「…本当に…私で、いい……の?」

 

 そんなの、決まっているじゃないか。

 

 「僕は、あなたが良いんです」

 

 「……ありがとう」

 

 そう呟いて、彼女は目を閉じた。

 

 ゆっくりと顔を傾けると、僕の方へ近づいていく。

 僕はそれに応えるように、顔を近づけていく。

 再び唇同士が触れ合った。

 さっきよりも長く、深く。

 それから、お互いの舌を絡ませる。

 

 「んっ……ちゅ、はぁ……」

 

 唾液の混ざり合う音が聞こえる。

 それがより一層興奮させる。

 

 「ぷはっ……」

 

 口を離すと、ひふみは口元から垂れていた唾液を拭いながら、トロンとした目つきでこちらを見つめている。

 

 「いい…ですか?」

 

 「…」

 

 無言で小さく頷く。

 それを確認してから、今度はひふみを優しくベッドに押し倒した。

 

 「あっ……」

 

 上から覆い被さるようにキスをする。

 舌を入れ、さらに激しく貪っていく。

 

 「じゅ、くん……」

 

 呼吸ができないのか苦しそうにしている。

 一旦口を離すことにした。

 二人の間に透明な橋がかかる。

 名残惜しそうに離れるその橋はプツンと切れてしまった。

 ひふみは荒くなった息を整えながら、潤んだ瞳で僕を見上げてくる。

 その仕草にドキッとすると同時に情欲が沸き上がってくる。

 浴衣の前部分をはだかせると、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 

 「え……これって……」

 

 ひふみは、とてつもない下着を身につけていた。ゲーム展で見たような可愛らしいモノではなかった。

 デザインこそ、明るい色でフリルも着いていて可愛らしいけれど、面積も小さい、布地も薄い。

 まさか、待ち合わせたときに落ち着きが無かった原因ってこれのことか?

 

 「やっぱり、変だよ、ね……」

 

 「ち、違います! ただちょっと驚いただけで……」

 

 「ご…ごめん……こんなの、着けて、きて……」

 

 「いや、謝らないでください。むしろ、もっと見たいっていうか……」

 

 「う、うん……」

 

 「すごく、似合ってます」

 

 「っ…あり、がと」

 

 ひふみは恥ずかしいのかぎこちなく返事をした。でも、嫌がっていない。

 安心している様に見えた。

 

 「ねぇ、純君」

 

 「はい」

 

 「……来て」

 

 両手を広げて、僕を迎え入れる体勢を取る。

 窓から満月の月明かりが差し込んで、彼女の身体を照らした。

 目の前の光景はこうだった。

 まず、この空気とお酒で惚けたひふみ。

 少し乱れた暗紅色のポニーテール。

 はだけた浴衣から覗くのは彼女が僕のために用意したすごい下着。

 柔らかくて真っ白できめ細かい肌。

 そして、右の胸元に見える黒子。

 

 「――っ」

 

 そんな彼女を見た瞬間、ギリギリまで保っていた理性が、全て消し飛ぶ音がした。

 

 ●

 

 佐藤視点

 

 「それでね、コウちゃんったら、昨日青葉ちゃんに弱ってるところ見せたくないって話しててね。それで手を握ってほしいって」

 

 酒が大分回ってきている。遠山が話す八神の愚痴のペースもかなり滅茶苦茶になってきて、ほぼ惚気みたいになっている。

 俺もタバコを吸いながら、適当に相づちを打って熱燗を啜っていた。

 

 「それでコウちゃん、飲み物買ってきてとか甘えてくると、可愛いからついつい持ってきちゃって――あ、コウちゃんの話は一旦置いといて」

 

 「ん?」

 

 置いた?

 あの遠山が、八神の愚痴を?

 

 「この間ね。久しぶりに新しい下着を買いにいったの!」

 

 「っーー!」

 

 俺は口に含んだ熱燗を吐き出してしまった。

 咄嗟に横を向いて遠山にかかることだけは避けたが、彼女は一切ペースを緩めずに話を進める。

 本人もかなり酔っていて、興奮してるのか両手をブンブンと振りながら続ける。

 「普段は忙しいから通販で買ってるんだけど」

 

 「りん……」

 

 「その時はひふみちゃんとうみこさんの三人でお店に行ってね」

 

 「っ……」

 

 「お店の中は可愛い下着がいっぱいで」

 

 「遠山さん!」

 

 俺が彼女のことを名字で呼んで初めて、俺に反応してくれた。正直、この話をこれ以上聞かされると胃が持たん。ただでさえ酒が入っているせいか針で刺されたような感覚になる。

 「?」

 

 本人はどうやら、もう何を誰に話しているのかちゃんと理解していない様子だった。

 普段の豹変が鳴りをひそめているから問題無いと高をくくっていたが、こんな伏兵がいるとは思っていなかった。

 

 「あれ? 私、何か変な事言った?」

 

 「…いや、その……なんだその話題のチョイスは」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……っ!?」

 

 どうやら、ようやく気がついたようだ。今の今まで、自分が何を口走っていたのか。

 遠山の顔が一気に赤く染まっていき、涙目になり始める。

 慌ててハンカチを取り出して差し出す。

 それを受け取って、顔を隠して俯いている。

 

 「ご、ごめんね。私、ちょっと飲み過ぎてるかも」

 

 「…ああ、そうだな。今日はこのくらいにしとくか」

 

 「……うん」

 

 取り乱した遠山を先に店から出して、会計をすませる。

 店を出ると俺を待つ紅色のセミロングが風に揺れる。

 夜風に当たったおかげか彼女の動揺も酔いもある程度収まっているようだった。

 

 「ごめんね。お金まで」

 

 「いや、誘ったの俺だし」

 

 さっきまでの失態を思い返しているのか、少し顔を赤らめて目を伏せながら言う彼女。

 その姿がまた可愛らしく見えてしまう。

 だが、それと同時に自分の気持ちにも気付かされる。……遠山に対する好意の度合いが、前よりも深くなっていることに。

 

 「ねぇ佐藤君」

 

 店を出た俺達は、帰りのシャトルバスが待つ駅前まで道のりを隣り合って歩いている。そんな中、ふと遠山が口を開いた。

 

 「この前の祝賀会のこと、覚えてる?」

 

 「…プロデューサーの話か?」

 

 「うん」

 

 最近のことだ。忘れるわけが無い。

 いつも八神の愚痴ばかりだから、彼女がこうして自分のことを話すのは珍しい。

 きっと大事な話だ。俺は黙って耳を傾ける。

 

 「私ね、プロデューサーになろうって思ったの、佐藤君がきっかけなの」

 

 「…なんで俺が?」

 

 全く心当たりが無かった。

 俺は遠山の仕事のモチベーションは全て八神と対等であるためだと思っていた。

 そこで俺の名前が出てくるなんて完全に予想外だ。

 彼女は続けた。

 

 「コウちゃんはね、自分の信念を持ってて、強くて、キラキラしてて、それがすごく格好いいって思ってたの。でも、そんなコウちゃんの隣に、私がいていいのかなって、不安になってたんだ」

 

 「……」

 

 そんなこと、考えたことも無かった。

 彼女が八神と共にあることに不安があるだなんて、一辺も。

 

 「でもね、佐藤君を見てたら勇気をもらったの。どんな状況でも腐らずにコツコツ頑張ってるところとか、目標のために真剣になってるところとか、そんな佐藤君を見ていると、自分も弱音なんて吐いていられないなって」

 

 「…そうか」

 

 初めて聞いた、遠山りんが抱く俺への気持ち。

 本当に、こいつはどこまで健気で、真っ直ぐで、バカがつくほど素直なのか。

 そう思うと、胸の奥がきゅっと締め付けられるように苦しくなる。

 俺はただ、お前と一緒にいたかっただけなのに。

 

 「そんな佐藤君に恥ずかしくないように、自分もできることをしようって、そんな気持ちにさせてくれたのが、佐藤君なの」

 

 頬を赤らめて、隣で満面の笑みを見せてくれる。

 それは、俺が惚れた、彼女の笑顔。7年間、追い続けてきた笑顔で、彼女は言った。

 

 「いつも本当にありがとう。佐藤君、よかったら、ずっと一緒にいてね」

 

 「っ……」

 

 思わず息を呑む。

 いつか、屋上で放った同じ言葉。

 それに一瞬、頭が真っ白になった。

 そして、まるで時間が止まったかのように、周囲の音が聞こえなくなる。

 気付いた時には、既に手遅れだった。

 

 「あ……」

 

 隣で笑う彼女の手をつかみ、俺は引き寄せていた。

 

 「俺も…」

 

 そのまま、腕の中に彼女を閉じ込める。

 俺が求めている形と彼女が願っている形は、決定的に違う。だから、この気持ちは言えるわけが無い。

 

 

 だけど―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だけど――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だけど―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「俺も……ずっと一緒にいたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺だって彼女と同じ気持ちなのだから。





































おまけ

花男:さぁもずくちゃ~ん。ご飯の時間よぉ~。あ~よしよし、可愛いわね―――――っ!? 今っ! 何か感じたわっ! 私が見込んだあの子達に何かあったわ!! あー!! 気になるー!! 気になるわーー!!!!
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