NEW GAME! ~omnibus love stories~ 作:黒ゴマアザラシ
八神視点
5年前。
それは、フェアリーズストーリー2開発のまっただ中のことだった。
私は、異例のADとしての役割に苦戦していた。
『ねぇ、全然できてないじゃん! やる気あるの!?』
『……っ』
キャラ班の席で、私は一人の子に怒鳴り声を上げていた。
彼女は半年ほど前に入社してきた新人の子。
私の画面に映されているのは彼女が手がけたモデリング。
ある程度3Dができるようになってきたから任せるようにしたモブの村人だけど、はっきり言って全然なってない。
『だ、だって……』
『言い訳しない!』
『……』
私の声がフロアに響き渡る。
他のスタッフ達は心配そうに見つめてくるけど、もう気にしなかった。
いい加減イライラしてきてた。
キャラ班全体の仕事もかなり遅れている。私がスケジュールを管理して指示しても、全然動いてくれない。
どれだけ必死に動いても、状況は好転しない。寧ろ悪くなっている。
まるで蟻地獄にいるみたいだ。
抜け出せない。
このままじゃいけないとわかっているのに……。
なんとかしないとと足掻けば足掻くほど、悪化していく一方。
この子もそれはわかっているはずなのに、なんでもっと必死にならないのか理解できない。
『ねぇ、何しにここに来てるの?』
『……』
『答えなさいよ!!』
私は自分のデスクを叩く。
周囲の視線が集まってくる。でも止まらない。止められなかった。
『あなた自分が何をやってるか本当にわかってんの? 3Dモデル一つまともに作れない人がキャラデザの仕事できると本気で思ってるの!?』
感情のまま叫ぶ。
自分でも酷いことを言っている自覚はある。
それでも言わずにはいられなかった。
この子は真面目な子だ。その気になればもっとできるのに。
彼女も頑張ってくれているんだろう。
だからと言って甘えさせるわけにはいかない。そんな優しさはこの業界では通用しないから。
現に彼女は、私の言うことに反論すらしようとしない。
『……ごめん、なさい』
その顔からはポロポロと涙が溢れ出していた。
でも泣いている暇はない。時間がないのだ。
泣きたい気持ちはよくわかる。
だけど同情している余裕もない。
『泣くくらいならさっさとやりなさいよ!! なんのためにここに来たの!?』
『……ぅぐ……ひっく』
『泣いたら許してくれると思ってるんでしょ! ふざけないで! あんたが今やるべきことはそれじゃないでしょう!!!』
そしてまた怒鳴りつける。
彼女の嗚咽が大きくなる。
そこでようやく、私は我に返った。
『おい、何やってる!』
騒ぎを聞きつけた敦さんがブースの中にやってきた。
『八神、お前言いすぎだ』
『っ…、で、でも…』
私の話を聞いても無駄だと言わんとするかのように、私から目をそらした敦さんは泣いている彼女の方に歩み寄った。
『大丈夫か? 食堂で少し休んでろ』
『はい…すみ…すみま…』
『謝るな』
敦さんの一言に、彼女がビクッと震えた。
彼は優しい口調で言う。
『ほら、涙拭いてこい』
彼女は小さくうなずくと、そのままブースから出て行った。
私には一切目もくれず。まるで逃げるように。
『敦君』
入れ違うように人が入ってきた。
葉月さんだ。
それだけじゃない。もう一人いた。
『なになに~随分と賑やかだね。何か面白いことでもあったの?』
彼女の後ろにはさらさらした灰色の髪をした男の人がいた。
この人の名前は渡邊新一。
敦さんの同期だ。
『シン、テメェは黙ってろ。でなきゃその口に殺虫剤ぶちこむぞ』
『おお、怖い怖い』
全然怖がっていない様子の彼は、まるで茶化すような態度だった。
敦さんは彼を睨んだあと、葉月さんの方を向いた。
『葉月、悪いがこっからは俺が仕切るぞ。それでいいな?』
『ちょ、なんでそんな勝手に…』
それは私がAD失格を意味していた。
そんな、私はまだやれると、口を挟もうとした。
『……』
周囲の目が刺さる。
さっきまで気にならなかった視線。
それが私を串刺しにした。
もう私にはついて行けない。
それを無言で訴えていた。
葉月さんも困った顔をするだけで何も言わない。それは、敦さんの申し出を受け入れた何よりの証拠だった。
『遅れているところは全部俺に持ってこい。シン、プログラムの方はまかせたぞ』
『え~? なんでコイツの尻ぬぐいなんてしないといけないの? 今日は定時で帰れると思ったのに』
『テメェ……』
『わーお、こっわーい。悪いのはこの子でしょ? なのにどうしてこんな目に合わないといけないのかな~』
嫌みったらしく言う渡邊さんに、敦さんは舌打ちで答えた。
『八神、仕事に戻ってくれ。キャラデザに専念しろ。いいな』
私は力なくうなずくしかなかった。
結局の所、私はADとして役立たずだと言われているのと同じことだった。
嫌な静寂に静まりかえったブースの中、渡邊さんは私を一瞥して言った。
『まあ、いい機会だったんじゃない? 化けの皮を剥がす……ね』
『……お前、いい加減にしろ』
『あれ? なんか僕、悪者になってる? も~ひどいなぁ。ま、いっか。どうせ残業確定だし、食堂に行ってメロン食べよっ♪』
そう言って飄々とした態度のまま、渡邊さんはブースを出て行った。
敦さんと葉月さんも何も言わず、彼を追いかけるようにその場を去る。
ブースの中には私一人だけになった。
きっと彼らは私に気を使ってくれたのだ。
情けなくて涙が出てくる。
私は何をしているんだろうか。
何のためにここにいるんだろうか。
悔しくて悲しくて惨めで仕方がなかった。
自分はソコソコできると思っていた。だけど現実はこれだ。
こんなにもダメなのかと痛感させられた。
私は結局、自分のことしか考えられなかったのだから。
●
会社にいても捗らないから、珍しく定時退社したけど、一人暮らしの部屋に戻りたくなかった私は、電車に乗ること無く、近辺の繁華街を当てもなく歩いていた。
私、なにしてんだろ……。
コンペに負けたからって、みっともなく青葉に怒鳴って、完全に八つ当たり。
私、最低だ。
昔のことを思い出してしまう。
あの子は結局、会社に来なくなり、やがて辞めた。
私がクビにしたようなものだ。
……あの時と、全く同じだ。
「……」
心のどこかでおごりがあったのかもしれない。
自分が選ばれるものだって。
そんなこと、あり得るはずが無いのに。
思い返せば、私が入社したてのフェアリーズストーリーの時だって、敦さんがたまたま交通事故にあって絵が描けない状態だったから、自分が抜擢されただけ。
もしあの時、敦さんが万全の状態だったなら、私に勝ち目はない。
今回のコンペだって、敦さんは参加してないから、私を抑えて他の子の案が通るなんて考えすらおよばなかった。
それすら忘れていた自分が落ちるなんて当然だ。
青葉やゆんが敦さんに入れ知恵されていたことなんて言い訳に過ぎない。
結局、私は昔と変わってない。
ただ周りに助けられながら、ここまでやってきただけの人間なのに。
りんに、ひふみん、青葉もそうだ。
なのに、私は自分のことしか考えてなかった。運が味方して、誰かの力を借りて、ようやくここまでこれたのに。
それを自覚しないで、勝手に落ち込んで……本当にバカみたい。
「りんに相談すれば、よかったのかな……」
…ダメだ。
今、りんに頼るわけにはいかない。
旅行から帰ってきた直後のことを思い出す。
私以外のことであんなに楽しそうな顔をしているりんを、久しぶりに見た気がする。
りんも佐藤のことでいっぱいいっぱいはずだ。
今までずっと彼女に甘えてきた、そのせいで、自分がりんの時間を奪ってることを気にしなかった。
これ以上負担をかけることはできない。
でも、他に相談できる相手なんていない。
……気付きたくなかったな。
私からこの仕事を取ったら何も残らない、つまらない女だってことに。
こんな私じゃ、誰も好きになってくれないよね……。
「……」
泣きたい気分だった。
だけど、こんなところで泣くわけにはいかなかった。
こんなところ、知り合いに見られたくないし、それに……泣けば少しは気が晴れるだろうけど、余計惨めになるだけだ。
私はポケットの中のスマホを取り出して時間を確認した。午後21時半過ぎ、そろそろ帰ろうと思ったその時だった。
「八神さん?」
振り返ると、人並みの中でもひときわ目立つ人が立っていた。
背が高く、疲れ切った三白眼、コートに身を包んだ彼を私は知っていた。
彼の名は吉田駿輔。
うちのビルの警備員のアルバイトの傍ら、受験勉強に勤しんでいる浪人生だ。
「あの、なんで泣いているんですか?」
「!?」
慌てて涙を拭く。
まさか泣いていたなんて。
見られた。
よりによって一番知られたくなかった人に。
彼は心配そうに見つめてくる。
私のことを本気で気にかけてくれているようだ。
「ご…ごめん、気にしないで」
青葉と同い年の子にまで心配をかけるわけにいかない。
私は彼にそう言って立ち去ろうとした。
だけど、彼が私の腕を掴んだ。
「待ってください! こんな状態で放っておくほど僕、無責任じゃないです!」
「離してよっ!!」
私は思わず叫んでしまった。さすがに彼も驚いて手を離す。
あぁ、もう最悪だ……。
こんな形で彼と接点を持ちたくはなかったのに……。
「今のことは忘れて、お願いだから……」
私は必死に懇願するけど、彼は首を横に振った。
「嫌ですよ。八神さん、すごく悲しそうな顔してました。理由くらい聞かせてください」
「関係ないじゃん……」
「じゃあ、なんであの時、励ましてくれたんですか?」
「…それは」
彼が話しているのは二ヶ月前のことだ。
マスターアップした直後、模試の結果がふるわず、落ち込んでいた彼を励ますために連れ出したことがあった。あの時は確かにそういうつもりだった。
だけど今は違う。
私自身にも分からない。
青葉に当たってしまった私が、惨めで情けなくて、そんな自分が許せなくなったのか、それとも、自分のことを見てくれなかったことが悔しかったからなのか、自分でもよくわからない。
そんなの、言えるわけがない。
「確かに自分は八神さんと違って社会人にすらなっていません。でも、あなたがどれだけ努力してるか知っています。だから、誰よりも頑張ってることぐらい分かります。」
「……」
「絵のことはよくわかりません。それでも、何か力になれるなら協力したいです」
「……」
なんでこの子はこんな風に言ってくるの?
どうして私なんかのために。
私は、本当に最低なのに。
「八神さんが手がけた作品は自分もやりました。とても面白かったです」
「え……」
私は耳を疑う。
今、なんて言ったの?
「八神さんが画いたキャラクターはどれも魅力的でしたし、どのキャラも生きていました。僕はあのゲームが好きです」
彼はまっすぐな目で言う。
嘘をついているようには見えない。
本当に面白いと思ってくれてるんだ。私が作ったものを……。
その瞬間、私の中で抑えようとしてた感情が爆発しそうになる。
ダメだ。これ以上この子の前で醜態を見せるわけにはいかない。
でも彼は待ってくれなかった。
「設定画集も攻略本も買いました。インタビューの記事も読みました!」
……ん?
それってまさか…。
「…あの、もしかして、読んだの? あれ」
私の中で、嫌な予感が出てきた。
それは、彼に私のあの姿を見られた可能性が浮上したからだ。
「はい」
私は頭を抱えたくなった。
なんで読んでるのおおお!!
私は心の底から叫びたかった。
だってアレだよ!?
普段の私を知らないお客さんが読むだけならまだ耐えられたけど、彼に見られたとかマジ無理。恥ずかしすぎる。
「とても綺麗でした。髪もサラサラしていて、フリルが可愛い服も似合っていました。正直言うとちょっとドキドキしました……」
「やめてぇええ!!」
私は顔を真っ赤にして叫んだ。
もう本当に死にたい。
青葉達に見られただけでも恥ずかしかったのに、ヨッシーにまで見られてたなんて!
「……すみません、つい興奮してしまいました」
「……」
彼は申し訳なさそうに謝ってきたけど、正直、怒りも悲しみも通り越して呆れてしまった。
「……まあいいや。なんか少し楽になった。ありがと」
でも不思議とさっきまでの悶々とした気持ちは無くなっていた。
代わりにあったのは彼に対する感謝だ。
今の私にこんな風に言ってくれる人がいるとは思わなかった。
やっぱり一人じゃダメなんだね私は……。
「いえ、少しでも元気が出たようで良かったです」
ヨッシーは微笑む。
「だ~け~ど、ダメだぞ~ゲームなんてして。受験勉強はどうしたの?」
「す、すみません」
私が言うと、彼は苦笑いを浮かべながら謝った。
首に手を当てるいつもの癖と一緒に。
それを見ると、不思議と笑顔になれた。
「こっちもごめんね。あんな態度とっちゃって」
「気にしないでください。僕が悪いんですから」
この子は本当に優しい。
そして、強い。
自分より年下の子に気遣われるなんて情けない。
私がしっかりしないといけないのに。
けど……
「……ねぇ、そのついでみたいなもんだけどさ、この後空いてる?」
「え?」
「……いや、なんていうかさ、ちょっと付き合ってほしいっていうか、相談したいことがあるというか……」
けど今は、もうちょっとだけ甘えたかった。
一人に、なりたくなかった。
私は口籠りながらも、なんとか声にする。
すると、彼は小さく笑ってくれた。
「いいですよ。どこに行きましょうか?」
「そ、そうだなぁ……。じゃあさ、美味しいもの食べに行こうよ。奢るからさ!」
「え、悪いです」
「大丈夫、大丈夫。どうせ給料日前だし。それに、お金使うことないから溜まってるし」
「……では、お言葉に甘えて」
私は小さく笑う。
ヨッシーは遠慮がちだけど、私の誘いに乗ってくれた。
それが嬉しくて、思わず笑ってしまった。
それから私たちは、繁華街の一角にある居酒屋に入っていった。
ここはチェーン店ではなく個人経営のお店らしい。
店内は木目調の壁で統一されていて、爽やかな茶髪の男性のオーナーが温かく出迎えてくれる落ち着いた雰囲気の場所だった。
私たちの他にサラリーマン風の男性たちが数人いたくらいでほとんど満席状態だ。
「いらっしゃいませ。二名様でよろしかったでしょうか?」
「はい」
オーナーは慣れた手つきでテーブルを案内する。
「お飲み物の方はいかがいたしますか?」
「とりあえずビールをお願いします」
「ではウーロン茶で」
「かしこまりました。お料理は何にいたしましょう?」
「んー、どうしようかな……」
私はメニューを見る。
値段的にはリーズナブルなお店で、お酒の種類も多いみたいだ。
「この焼き鳥盛り合わせで」
「僕はこのハンバーグセットを」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
オーナーが注文を受けて奥へと入っていく。
「ハンバーグ好きなんだ。意外とこどもっぽいところあるんだ」
「ダメでしょうか?」
「ううん。ごめんね。ちょっと今年入ってきた新人の子みたいで可愛いなって思って」
私はクスッと笑う。
でも、彼がちょっと不安げに見える。
なんでだろと思って様子をうかがっていると、彼は気まずそうに訪ねてきた。
「…すみません。その、その人ってもしかして、男の人ですか?」
「へ?」
私は一瞬キョトンとする。
「ううん。女の子だよ。私よりも背が小さくて顔立ちとか表情は幼い感じの子。結構仕事熱心な子だから、今日も残業してるんじゃないかな」
「そう、ですか」
私の答えを聞いて、どこか安心した顔をしてみせた。
……変なの。
そんな話をしているうちに、先程の男性がビールと料理を持ってきてくれた。
乾杯をして喉の渇きを満たすように流し込む。
切れの良い炭酸が心地よい刺激を与えてくる。
「あ〜うまいっ」
冬は熱燗が美味しいけれど、暖房の効いた部屋の中で飲む冷えたビールもまたいい。
「ぷはぁ〜」
一気に半分ほど飲み干した。
「いい飲みっぷりですね」
「まぁね。ヨッシーも成人したらわかるよ。この気持ち良さが」
「楽しみにしてます」
苦笑いを浮かべながら、彼も同じようにジョッキを傾ける。
「それで、相談したいことって何でしょう? 何かありました?」
「えっとね……」
私は箸を止める。
そして、一呼吸置いてから話し始める。
「……実はね」
私は今日会ったコンペの話をした。
私が落ちて、青葉の案が通ったことも。
それで青葉にきつく当たってしまったことも。
他にも色々、りんのことも、自分の気持ちに整理がついていないことも。
「ごめんね。こんなこと聞かせちゃって」
私は申し訳なさそうな顔になってしまう。
すると、彼は首を横に振った。
「いえ、気にしないでください。僕で良かったら力になりますから」
「……ありがとう」
彼の優しさが胸に染みる。
やっぱり、もう少しだけ甘えてもいいよね……。
私はまたビールを流し込んで、小さく息をつく。
すると、彼は静かに口を開いた。
それは、私にとって意外な言葉だった。
「あの…八神さんはその人にどうなって欲しいんですか?」
「……私は」
私は俯く。
どうなって欲しかったのか……。
よくわからない。
ただ、悔しかったんだと思う。
だけど、それだけじゃない気がする。
もっと別の感情があるような……。
私が悩んでいると、彼は続ける。
淡々としていたけど、どこか安心する言い方で。
「きっと、八神さんなら正しい方を選べると思います」
「…なにそれ、丸投げじゃん」
「すみません…」
少し間を置いて、お互いに笑ってしまう。
なんか、悩んでいた自分がバカらしく思えた。
そうだよね。
結局、自分次第なんだもん。
それに、まだチャンスはある。
もう、諦めたくない。
だって、やっと見つけた大切な場所だから。
私は残りのビールを飲み干し、ニッコリ微笑む。
やっぱり誰かに相談してよかった。
そっか、私は、独りぼっじゃないんだ。
「んじゃ、湿っぽいのはここまでにしよっか! ほら、飲んで、食べよう!」
「はい」
それから私たちはお酒を楽しみつつ料理にも舌鼓を打っていった。
今日はとことんまで飲もう。明日のことは明日の私がなんとかしてくれる。今はただ、目の前にある楽しい時間に没頭したかった。
だが──。
残念なことに、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
居酒屋を出ることには夜はかなり更けていた。
「大丈夫ですか?」
「あ~らいじょうぶ~」
呂律が回らない。
頭がふわふわしてる。
全身が熱くて、気分が良い。
自分も正直今なにをどうしてるのかわからなくなってきている。
結構飲んでしまったから、今はヨッシーに肩を貸してもらっている。
「タクシー捕まえましょうか?」
「らいじょーぶらいりょういう」
「全然平気じゃないですよ」
私のことを心配してくれているのか、彼は優しく声をかけてくれる。
タクシーを探しているのか困った顔で周囲を見渡している。
その表情が、ちょっと可愛く思えた。
「私のことしんぱいしてくれるの~。うれしいねぇ~」
「や、八神さん?」
彼が慌てふためく。
それが面白くて、ますます笑ってしまう。
ああ、なんて素敵な日なんだろう。
私のために一生懸命になってくれる人がいるなんて、思っていなかったから。
それだけで幸せだった。
「おれいにぃこ~んなことしちゃうもんね~」
「え?」
私は空いている手で彼の肩を掴んで、グッとたぐり寄せた。
そして―――チュッと唇を重ねた。
ほんの数秒の出来事。
唇が離れすと呆然とした三白眼があった。
「……」
「……」
「……」
「……」
沈黙が続く。
だんだん酔いが冷めてきた。
と同時に血の気も引いていく。
そして、今ようやく、自分が何をしたのか理解した。
「え? あ、あの、わた、わたし!?」
私は慌てて飛び退く。
「ご、ごめん!! 酔っていて、つい!!」
「い、いえ」
「ち、違うの! 今のは事故だから! 本意じゃなくて! あ、あはははは」
私は誤魔化すように笑う。
笑ってる場合ではないのだが、とにかくその場を取り繕いたかった。
でも、彼は何も言ってくれない。
ただ、驚いたように固まったままだ。
私は恐る恐る彼の様子を伺う。
すると、彼は口元に手を当てていた。
「ヨッシー?」
「……」
「ど、どうしたの?」
「……」
「ねえ、ヨッシーってば」
「……」
「お〜い」
「……」
ダメだ。完全にフリーズしてる。
しばらく待っても動かないものだから、仕方がなく自分で処理することにした。
まずは謝罪。
それから弁解。最後に言い訳。
よし、これでいこう。
「ご、ごめん。本当にごめん。わ、わざとじゃないの。お酒とかその、そ、それにほら、私たちまだそういう関係じゃ無いし、ヨッシーも受験生だし、その色々ノーカンってことで」
私は必死に頭を下げた。
「……」
反応がない。
「ごめんね! ほんっとごめんね! 責任取るから! お金は払うから! それでチャラにして!」
「……金はいりません」
「へ?」
「責任もいらないです」
「え?」
「僕もすみませんでした。……そんなつもりはなかったんですけど、結果的にそう捉えられてもおかしくないことをしてしまいました。ごめんなさい」
「い、いいよ。気にしないで。私が勝手にしたことなんだから。謝られる方が辛いっていうか、むしろ怒られた方が良いというか、なんというか…アハハ」
私は頭を掻いて苦笑いする。
なんか変な雰囲気になってしまった。
まあ、あれだけ酔っていたんだから、なかったことにするのが一番かもしれない。
うん、そうだよね。
無かったことにしよう! それが一番良いはずだ。
だが──。
彼の言葉は予想外だった。
「なかったことにはしたくないです」
「へ?」
「今は受験もあるので、受験が終わったちゃんと答えを言います。だから、その時まで待ってください」
「ちょっ、ちょっと待って! ヨッシー!!」
呼び止める間もなく、彼は立ち去っていってしまった。
取り残されたのは、状況についていけず戸惑っている私一人。
でも、彼の言葉の意味はわかった。
それってつまり……。
私は両手で顔を覆った。
熱い。
12月の夜風すら、全く気にならないほど、恥ずかしさでどうにかなりそうなくらい体が熱かった。
心臓がバクバクとうるさい。
こんなにドキドキしたのはいつ以来だろうか。
思い出せない。
わからない。でも、嬉しい。
すごく嬉しかった。
私はその場にしゃがみ込んで、しばらくの間動けずにいた。
●
そして次の日。
「あ、八神さん」
二日酔いに頭を痛めながらもなんとか出社した私は、ビルの入り口でばったり青葉と鉢合わせてしまった。
昨日から口を聞けていなかったから、気まずそうにしている。
私も同じだ。
だけど、悪いのは私だ。
慢心して負けて、青葉に出し抜かれただけ。
なのに向こうから謝られたりしたら本当に立つ瀬がない。
だから私から声をかけた。
「あ、青葉っ…その、昨日はごめんね、大人気なく当たっちゃって」
「い、いえ! もっと言い方があったのに、申し訳ありませんでした!」
あの後、きっと敦さんに何か言われたのだろう。
だからこれでもうこの話は終わり。
来週のコンペに切り替えよう。まだ逆転の目あるはずだ。
とはいえ、けじめはしないと。
「そう言えば、昨日、わからないところがあったのは大丈夫だったの?」
「あ、はい。敦さんが見てくれて。それめで、ゆんさんと一緒に考えることになったんです」
なるほど、だから3人で話していたのか。
納得。
なら、私の出る幕はないかな。
私はほっとすると同時に少し寂しく思った。
でも、これで良かったのだ。
敦さんも教えるのはうまい。きっといい案ができるだろう。
私は私でまた頑張ればいい。
私は自分に言い聞かせるように胸中で呟く。
「そっか、じゃあ頑張って。私も負けないから」
「はい」
と言うと、笑顔を見せてから青葉はビルの中へ入っていった。
さて、私も行くか。
青葉を追ってビルの中へ入る。すると、目の前に見知った顔が現れた。
「あ、八神さん」
「あ……」
特徴的な三白眼と目が合う。
それは昨日相談に乗ってくれた彼、吉田駿輔本人だった。
「お、おはようございます…」
「お、おはよ…」
挨拶を交わす私たち。
ビルの通路にとても気まずい空気が流れる。
当然だ。だってあんなことをした昨日の今日なのだから。お互い何を言って良いかわからず黙ってしまう。
年上の私が何か言わないといけないのに、青葉の時と違って全然言葉が沸いてこない。
どうすれば……。
「あの…」
「!?」
私が悩んでいるところに、彼が口を開いた。
ビクッとして彼を見る。
彼はまっすぐ私の目を見て、はっきりと言った。
「今は、何も言わないでください。ちゃんと答えを出します。その時まで、待っていてください」
では、と言って彼は踵を帰して警備室がある方へ歩いていった。
私は呆然とそれを見送ることしかできなかった。
彼の言葉。
それは私が昨日、彼にしたことは夢なんかじゃないということを、改めて突きつけた。
私はその場で顔を覆い、またしゃがみ込んでしまった。
ああ……やばい……。
ごめん、青葉。
今回のコンペ、私無理かも。