NEW GAME! ~omnibus love stories~   作:黒ゴマアザラシ

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心のガン

純視点

 

 

 葉月さんから言い渡された期限まで、もう3日を切っていた。

 なのに一曲どころか弾くことすら叶っていない。

 もう時間が無い。

 自身の無力さを怒る気持ちと、焦燥感で胸がいっぱいになる。

 普段の仕事も全然身が入らない。

 どうすればいいのか、何が正しいのかすらわからない。

 ただひたすらに自分の不甲斐なさを呪う。

 ひふみにすら心配をかけさせて、何も出来ない自分に対するどうしようもない苛立ちを覚える。

 …この前の休みの日に誘われたのも断ってしまったことも、罪悪感を底上げした。

 ……それに、最近ひふみとちゃんと話せていないな。

 

 「純君、大丈夫?」

 

 会議を終え、またピアノを弾くためにサウンドルームに戻ろうとした僕を、ひふみが引き留めた。

 

 「あ……ひふみ」

 

 彼女は手に持っていたペットボトルの水を差し出してくる。

 どうやら僕は相当酷い顔をしているらしい。

 それを察してくれたのだろう。

 僕は小さく礼を言うと、それを受け取った。

 キャップを開け、水を口に含む。

 ひんやりとした水が喉を通り抜けていき、上っている血流を落ち着かせてくれる。

 

 「ありがとう、少し落ち着つきました」

 

 「よかった……」

 

 心底安心した表情を浮かべる彼女を見て、罪悪感に襲われる。

 彼女がここまで心配してくれているというのに、僕は一体何をやっているんだろう。

 彼女の想いに応えることはおろか、彼女に迷惑をかけてばかりで。

 情けない。自分に腹が立つ。

 

 「ごめんなさい。もう、平気ですから……」

 

 「嘘……」

 

 「え……」

 

 「旅行の時と…同じ顔、してるもん」

 

 そう言って、僕の手を握ってくるひふみの手は温かくて。

 そして、微かに震えていた。

 まるで怯えているかのように……。

 それが酷く痛々しくて、思わず目を逸らす。

 きっと、彼女もまた無理をしているのだ。

 そんなことにさえ気が付けない程余裕が無くなっていた自分が、本当に嫌になった。

 

 「ねぇ、何かあったなら話してほしい。私でよければ、聞くから……」

 

 「……」

 

 ひふみは僕の過去をもう知っている。

 ピアノのこと。

 ジストニアのこと。

 父の声のこと。

 そして、音楽を失った理由も。

 だからだろうか。僕のことをよく理解してくれているのは。

 きっと彼女ならば、相談に乗ってくれるかもしれないと思った。

 ……いや、ダメだ。

 今ひふみに頼るわけにはいかない。

 それは自分で解決するべき問題だ。

 もうずっと彼女に甘えてばかりだ。

 僕は何も出来てない。

 彼女と一緒になってから、色んな事を頼ってばかりでいる。それに、ひふみも自分の仕事で忙しいはずだ。

 これ以上負担をかけることはできない。

 

 「なんでもありません。ちょっと疲れてるだけですよ」

 

 僕は精一杯の笑顔を作り、その場を後にしようとする。

 だが、ひふみはそれを許さないと言わんばかりに、強く手を握られる。

 振り向いた先には、悲しそうな目を向ける彼女が居た。

 どうしてあなたがそんな顔するんですか。

 なんとも言えない気持ちになって、ついその視線から逃れるように目を伏せてしまう。

 違う、こんなことが言いたいんじゃなくて。

 ただ単に迷惑をかけたくなかっただけで。

 

 「お願い……頼って欲しい」

 

 「っ!」

 

 「私は頼りないかもだけど……それでも……」

 

 「そんなことは……無いです……」

 

 「じゃあ、なんで……」

 

 「それは……」

 

 言えない。言えるはずがない。

 ひふみのためだなんて言えない。

 だって、それを口にして、もし上手くいかなかったら……。

 もし期待させて裏切ってしまったら……。

 あの時みたいに、また失望させてしまったら。

 嫌だ。それだけは絶対に。

 

 ――そうだ。貴様はまた裏切るのか?

 

 ――貴様は死ぬまで出来損ないだ。

 

 ――出て行け。ここは貴様が生きて良い場所では無い。

 

 また、捨てられるのか?

 そんなの、耐えられない。

 僕は、裏切りたくない。

 彼女の勇気と優しさを。

 嫌われたく、ない。

 だって、こんなにも好きなのだから。

 

 「……すいません」

 

 絞り出した言葉は謝罪の言葉だった。

 僕が言うべきなのは、こんな言葉では無いはずなのに。

 でも、今の僕が口にできるのはこれしかない。

 

 「……やめてよ」

 

 「え……?」

 

 「そんな顔、するくらいなら……苦しいなら……言ってくれればいいのに……!何があったかわからないけど……辛いことがあるなら……言ってよ……!!」

 

 彼女の瞳からは大粒の涙が零れ落ちていく。

 その雫が床に落ちると、染みを作るように広がっていった。

 

 「なんで……泣いてるんですか……?」

 

 僕は何もできなかった。

 ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 しかし、彼女は止まらない。

 

 「私……音楽のこと…全然分からない。でも……だから少しでも、純君の力になりたいって思ってた」

 

 彼女は嗚咽交じりにそう言った。

 

 「でも……あなたは優しい人だから。私のこと…いつも……気を遣っくれてるのは分かってた」

 

 「……」

 

 「私、そんなに頼りにならないかなぁ……」

 

 「そ、そんなこと……」

 

 「あるもん……」

 

 「……」

 

 「あんな顔されたら……心配になるよ……」

 

 何も言い返せない。

 まさか彼女がそこまで思い詰めていたとは思わなかった。

 彼女は、自分より他人を優先するような人間だ。

 きっと、今回も僕のことを心配して、こうやって声をかけてくれたのだ。

 それなのに、僕は彼女を泣かせている。

 最低だ。本当に、最悪だ。

 

 「なのに……ヒドいよ」

 

 僕はひふみを傷付けた。

 彼女の想いを踏み躙った。

 それがどんな意味を持つか、わかっているはずなのに。

 僕の心の中で渦巻く感情は次第に大きくなっていく。

 それは、怒りなのか。憎しみなのか。それとも悲しみなのか。

 自分でもわからなかった。

 ただわかることは一つだけ。

 ひふみを悲しませたという事実だけだ。

 

 「っ……」

 

 彼女は踵を返し、走り出した。

 そして通路の奥へ消えていく足音が聞こえる。

 追いかけるべきだろうか。いや、きっと無駄だ。追いついたところで、何を言えばいいのかわからない。

 それに、追えばきっとまた彼女を傷つけてしまうだろう。

 どうすれば良かったんだろう。

 どうしたら正解だったんだろうか。僕はただ、その場に佇むことしか出来なかった。

 

 「……」

 

 耳鳴りがする。頭が痛くなるほどガンガンと響く。

 まるで警鐘のように。何かを忘れているかのように。

 

 ―――お前は死ぬまで出来損ないだ。

 

 うるさい。黙ってろ。僕に話しかけるな。

 

 ――お前は何も生み出せない。何も生み出せない者に生きる価値など無い。

 

 もう沢山だ。聞きたくない。思い出したくもない。忘れたままでいたかったのに。

 どうして思い出させるんだ。

 ああ、頭が割れるように痛い。

 

 「…何をしているんだ僕は」

 

 その場から逃げるようにサウンドルームに戻ってきた僕は、こぼすように呟いた。

 扉を開けると、中は薄暗く誰もいないかのように静まりかえっていた。

 その一角、僕は電子ピアノを見据えた。

 こんなモノさえいなければ、僕は――

 

 「……っ!!」

 

 僕は拳を握りしめ、力任せに振り下ろした。

 だが、腕は止まってしまう。

 鍵盤に拳が触れるその寸前、僕の身体は硬直した。震えが止まらない。動けない。息が荒くなり視界が霞んでいく。

 僕は怖くなったのだ。自分が何者なのか。どうしてここにいるのか。何もかもわからなくなった。

 こんな時に思うのはあの時のことだ。

 自分の無力さを噛み締めたあの瞬間のことを。

 あれ以来、僕は変わってしまった。

 周りの大人達は言った。僕には才能があると。僕が求めれば求めるだけ与えてくれる環境を用意してくれた。

 今思い返せば、全て狂っていたのかもしれない。

 周囲も自分も。たのは音楽の才能だけで、僕自身を見てはいなかったのだから。

 僕が欲しかったのはそんなものじゃない。

 誰かの笑顔を見たかったのに。

 誰かの希望になりたかったのに。

 僕が生み出したものは一体何だったのだろう。

 

 「なんで……なんでだよ……」

 

 情けない。

 

 自分のことが嫌になる。

 

 どうしてこうも僕は駄目なんだ。

 

 「……なんで動いてくれないんだ」

 

 僕はそのまま、崩れるように床に座り込んだ。

 

 何がしたいんだ僕は?

 

 何が欲しいんだ僕は?

 

 大切な人を泣かせて、裏切ってまで。

 

 これにすがって得たモノがどれだけ空虚だったか、僕は知っていたはずなのに。

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