NEW GAME! ~omnibus love stories~ 作:黒ゴマアザラシ
純視点
「……」
「……」
先輩に首根っこを捕まれて屋上に放り投げられた僕は、隣で黙り込んでいるひふみに何も言えないでいた。
冷たい風が僕らの間を通り抜ける。日射しが差し込んでいるから、意外にも寒さは感じなかった。
……沈黙が僕らの間を支配する。
無理もない。泣かせてしまってからしばらくの間、満足に会話すらできていなかったのだ。
だけど、いつまでもこうしていはいられない。
「ひふみ」
話すことは決まっている。
何をすべきかも。
後は言葉にするだけ。
そうでないと何も伝わらないから。
「ごめん」
だから僕は、ただ一言謝ることにした。
「僕が勝手に自分を追い詰めたせいで、ひふみにまで余計な心配かけた。相談して欲しいって、頼って欲しいって言われていたのに、一人で抱え込んで」
まっすぐ、青い瞳と向き合うように言う。
不思議と、恐怖はなかった。
彼女が叫んだ言葉が、頭に浮かんでくる。
それは、ひふみが僕のために泣いてくれたからだ。僕を心配してくれたからだ。
そんな彼女に応えたいと思った。
だからこそ、伝えることができる。
「本当に、ごめん」
僕は深々と頭をさげた。
これが、まず僕がしなくてはいけないことだと信じているから。
「……ねぇ、教えて? 何があったの?」
顔を上げると、そこには真剣な表情をしたひふみがいた。
そして、その問いに対する僕の答えは決まっていた。
……もう、迷わない。
それならば言うしかないだろう。僕の想いを、全てを。
「わかった」
僕は口を開く。
そして、全部話した。
またピアノを弾こうとしたこと。
葉月さんに課せられた課題のこと。
そのことで自分を追い込んでいたこと。
それらすべてを、包み隠さず打ち明けた。
彼女は、時折相槌を打ちながら静かに聞いてくれていた。
話し終わる頃には、僕の手を握ってくれるまでになっていた。
「そっか……。それで、あんな風になっちゃったんだね」
ひふみが呟く。
「うん。情けないよね、ホント」
僕は苦笑して言った。
それもすぐに引っ込んだ。
「純君」
ひふみの顔が、それだけ真剣だったからだ。
「私、そんなこと、一度も頼んでない。言ってもいないよ」
僕はハッとする。
そうだ。
ひふみは言ったじゃ無いか。
僕がピアノだけしか価値のない人だとは思ってないと。
僕の素敵なところはたくさん知っていると。
…なら尚更僕はバカだ。大馬鹿者だ。
どうしてそんな簡単なことに気付かなかったんだろう。
「純君がどれだけすごいことをしたとしても、それで純君が辛い思いをするなら意味ないよ」
握られていた手に力が入る。
痛いくらいに込められた力で、彼女の思いが伝わってくる。
でもそれは、決して不快じゃ無かった。むしろ心地良い痛みだと感じてしまう。
それほどまでに、彼女の存在は大きいということなんだろうか。
僕にとっての、かけがえの無いものなんだという証なのか。
「だから、無理なんてしないでいいから」
優しい声音に胸の奥が熱くなる。
いつの間にか視界は滲んでいたけど、それを拭うことはしなかった。
今のこの瞬間を、記憶に焼き付けていたかったから。
そしてひふみは続ける。
涙を浮かべながらも、精一杯の笑顔で。
僕を安心させるように。
僕を勇気づけるように。
「ピアノなんて弾けなくても、私は純君のそばにずっといる。だから、純君も私を信じて」
そう言い切った。
ああ、なんてずるいんだろう。
そんなこと言われたら、頑張らないわけにはいかないじゃないか。
だって、彼女が信じてくれるんだから。
僕がどんな失敗をしてもいいと、そばにいると言ってくれたんだから。
――だから、ここからは僕の気持ちを伝えないと。
「ありがとう。ひふみ」
握られている手を、握り返す。
そして、再びしっかりとその目を見つめた。
「僕、初めてなんだ。こんな気持ち」
自然と言葉が出てくる。
「昔はただ、僕がピアノを弾くことを望まれるがまま弾いていた。そうすれば、僕は生きて良いって思っていた。でも、今は違うんだ」
あの時、僕が一度だけ、ほんの一瞬だけピアノを弾けることができたのは偶然でも何でも無い。
弾きたかった。
聞いて欲しかった。
僕の曲を、僕ができる最高の形で。
それは紛れもなく、僕の本心から生まれた感情だったから。
「そう思ったのは、生まれて初めてだったんだ。自分のためじゃなく、誰かのために演奏したいと思えたのは」
今ならはっきりわかる。
僕がピアノを弾けなくなったのは、ジストニアとか、心に巣くう呪いの声なんかじゃない。
ただ単に、弾きたくなかっただけなんだ。
顔も、名前も、何も知らない誰かのためじゃない。
ただ一人、僕のことを好きでいてくれた女の子のために。
「だから、聞いてほしい。僕の演奏を」
僕の音楽を好きだと言ってくれた人の為に。
僕はピアノを弾きたいと思ったんだ。
だから、もう一度やってみようと思う。
それがたとえ困難な道であったとしても。
ピアノを諦めるのは、その後でいい。
何より、諦める理由がない。
何せ、僕の手の中には小さな光があるんだから。
●
約束の時はやってきた。
場所はこの会社で一番大きな会議室。
僕は葉月さんに指示された時間にそこの扉を開いた。
「やあ、増田君。約束の時間だね」
そこには、開発チームのメンバーが全員いた。
もちろん、ひふみもいた。
彼女と目が合う
と軽く微笑みかけてきた。
大丈夫だよ。
彼女は口を動かさずにそう言っている気がした。
もう、全て伝えた。
後は奏でるだけだ。
葉月さんと再び相対する。
「皆忙しい中来てもらってすまない。今日は君たちの意見をもらいたい。彼の演奏を作品に取り入れるに足るかどうかを」
ざわつく一同に構わず、葉月さんは話を続ける。
彼女の表情はいつもと同じだった。
余裕があって、ミステリアスな感じ。
けれどどこか楽しそうな気配がする。
きっと、これは気のせいでは無いだろう。
僕は会議室の中央にあらかじめ備えてあった電子ピアノと対峙する。
この2週間、一度も弾けることができなかった。
練習もろくにしていない。
7年分のブランクは、当時の僕からしたら不安で自殺していたかもしれない。
しかし、今は不思議と緊張は無かった。
――辞めておけ。貴様には無理だ。
……少し黙ってろ。
今、お前の話を聞いている暇なんてないんだ。
僕はこれから、大切な人のためだけに弾くんだ。
お前は、そこで黙って聞いていろ。
一歩、前に踏み出す。
そして、ゆっくりと椅子に腰掛ける。
楽譜はいらない。曲は全て頭に入っている。
そして、何を弾くかも決めている。それは、あの時、屋上で決めた。
『え? リクエスト?』
『はい。情けない話。決めてなかったんです』
屋上でひふみにああ言って見せたあと、僕はまた情けない顔でそんな話をしてしまったのだ。
みっともないかもしれないが、弾くことで頭がいっぱいで考えてすらいなかった。
でも、聞いてくれるなら、ひふみが一番聞いて欲しい曲が良い。
だがら、ひふみに尋ねた。
何か聴きたい曲はないかと。
『じゃあ……』
僕とひふみの思い出の曲。
ひふみがサウンドルームに訪ねてきた時に流した曲。
それがいいと、言ってくれた。
僕は一度大きく深呼吸をする。
それから鍵盤の上に指を置く。
指に白いプラスチックが吸い付くようだ。身体が軽い。
そのまま、最初の一音を鳴らす。
――瞬間。
会場が水を打ったように静まり返った。
まるで全ての音がその空間から消えてしまったかのように。
空気が変わる。
静かな、それでいてどこまでも澄んだ旋律が流れ始める。
この場にいる誰もが息を呑む。
僕の音しか聞こえていないのではないかと思うほど、静かにその曲が奏でられていく。
弾きながらふと考える。
この曲はこんなにも美しかっただろうかと。
もっと汚くて、醜いものだと思っていた。
だってそれは、僕が生きるために必死で足掻いて作り上げたものだから。
けど、今は違う。
この曲を、僕を好きだと言ってくれた人を想って奏でるこの曲には不思議な温かさがあった。
――ああ。
――僕はずっと、こうしたかったんだ。
心の底から湧き上がる衝動のまま、指を動かす。
僕が作った曲。
僕の音楽。
それを大切な人のためだけに弾くことができる。
これがどれだけ幸せなことか、今の僕にならはっきりとわかる。
そして、曲は終わりへと近づいていく。
僕に残された時間はもう僅かしかない。
最後の和音を響かせて、演奏を終える。
……。
……。
「ふう」
ピアノの前で僕は軽く息をつく。
今まで生きてきて一番の演奏ができた気がする。
さて、どんな反応かなと、周囲を見渡そうとした僕の視界は遮られた。
「っ……!」
いきなり誰かに抱きしめられる。
この感触。匂い。
間違えようがない。
ひふみだ。
「どう…でした?」
「……」
ひふみは何も言わずただギュッと腕の力を強めるだけだった。
彼女の吐息が耳にかかる。
「すごく良かったよ」
しばらくして、そう言った。
それはとても小さい声だったが、確かに届いた。
僕は思わず泣きそうになる。
そんな僕の顔をみて、ひふみはクスリと笑った。
優しくて小さな笑顔。
つられて、僕も笑う。
彼女の背中に手を伸ばし、同じように強く抱き返した。
「……コホン、君たち、一応、他の皆いるから少し抑えてくれるとありがたいんだけど?」
「「!?」」
葉月さんの声でハッと我に帰る。
慌てて離れると、ひふみの顔は真っ赤になっていた。
僕もきっと同じようになっているのだろう。
うわぁ、恥ずかしい……。
今更ながら、ものすごいことをしてしまったことに気がつく。
ひふみと揃って周囲を見渡すと、顔を真っ赤にしている葉月さんを筆頭に全員がこちらを見ていた。
あれ…確か、今ここって開発チームの全員がいるんじゃ…?
まずい!
見られた!!
これはまずい。本当にまずい。
今、僕とひふみは多分人生で一番幸せだけれど、同時に一番死にたくなっていた。
「とりあえずほら、離れなさいな。今更だけど、今就業時間だからねー」
葉月さんが僕らの肩を持って引き離す。
そして全員に聞こえるように咳払いをして、口を開いた。
「それじゃあ、彼の演奏を今回の開発に取り入れるかどうか検討したいと思うのだが……反対意見のある人はいる?」
沈黙が室内を支配する。
誰も何も言うことはない。
つまり、そういうことだ。僕は、その空気を肌で感じ取る。
でも、そんなことはもうどうでもよかった。
「…いないようだね。なら増田君。君の提案を受け入れよう。レコーディングのスケジュールは追って伝える。君は今の作曲と平行で、曲の収録に向けて準備してくれ。質問はあるかい?」
葉月さんの言葉に、僕は首を横に振った。
正直、聞きたいことだらけで、頭はパンクしそうだが、今はもうこの事実だけで満足だ。
ひふみも微笑んで僕を見ていてくれてる。
それだけで、胸の奥底から力が溢れてくるような気がするのだ。
その後、僕たちはスタッフから盛大な拍手を受けながら退室していった。
帰り道。
僕とひふみは手を繋ぎながら歩いていた。
「なんか、あっという間でした」
「うん、私も」
僕たちのプロジェクトはまだ始まったばかりだ。
でも、不思議と不安はない。
この先にどんなことが待ち受けているのか、楽しみで仕方ないくらいだった。
僕とひふみは目を合わせて、笑い合う。
そしてどちらからともなく、唇を重ねた。
顔を離して、ゆっくりと目を開くとそこには、満面の笑みを浮かべるひふみがいた。
「ひふみ、僕、もっと上手くなります。今日以上の演奏をあなたのためにします」
「うん……でも、無理しちゃだめ…だよ?」
「わかってます」
「約束」
「はい」
もう一度だけキスを交わして、歩き出す。この先何があっても大丈夫だと思える。
だって、僕の音楽には彼女がついていてくれるのだから。