NEW GAME! ~omnibus love stories~ 作:黒ゴマアザラシ
八神視点
「コウちゃん、はい、チョコレート」
「ん? ああ、今日ってバレンタインか~」
出社してすぐのこと、先に席に座っていたりんから、綺麗にラッピングされた箱を渡された。仕事柄季節感を忘れがちになることも多々あるから、こうして渡されるまで実感がわかないものだ。
「ありがと!」
チョコを受け取るけれど、りんは少し呆れたため息をついていた。
「はぁ…一応女の子なんだからそういうイベントくらい覚えてたら?」
どうやら今この瞬間バレンタインデーを思い出したかのような言い回しに見えてしまったらしい。
確かに、普段の私はこんなことあまり気にしないって自覚はあるから間違いではないんだけどさ。
「やっぱり、彼氏持ちは言うことが違うね~」
「なっ!」
一瞬で顔色を変える彼女を見て、ちょっとしたイタズラ心が芽生えてしまう。
先月の末、りんと佐藤は付き合い始めた。
告白したのは佐藤の方。
まさか、私の前であんなこと言って見せるとは思わなかった。
いつも何考えてるかわからない顔してるけれど、あの時だけは違った。
迷いの無いまっすぐな目で想いを伝えてきたんだもの。
私が問いただした、私以上のことができるのかという答え。
佐藤が導き出した形。
それをりんも、佐藤も納得しているのならそれでいいと思うし、お似合いだと思う。
でも…
それはそれ。
これはこれ。
ひふみんだけじゃなく、りんまで私を差し置いて恋人作るなんて……。
おめでたいし、羨ましいし、悔しいのだ。
だから、ちょっと意地悪をしてみたくなった。
「もう…コウちゃんの意地悪……」
ほっぺを膨らませながら拗ねるりんは可愛い。
こういう表情を見せてくれるようになったのも最近だ。
「ごめんごめん、冗談」
そう言って笑いかけると、ぷいっと顔を背けられた。
どうやら先日のことも相まって機嫌を損ねてしまったようだ。
まあ、あれはやり過ぎたかなと思ってるけど。
「もーそんなに怒らないでよ〜」
「ふんっ」
完全にへそを曲げてしまっている。
こうなるとしばらく口をきいてくれない。
りんのことだ。
きっとこの後、佐藤に愚痴を話に行くに決まっている。
そしてお熱い雰囲気をぶつけてくるのだ。
「いいのかな~」
でも今の私にはそんなりんを振り向かせるリーサルウェポンが手元にあるわけで。
デスクの脇。
ちょうどりんから見て死角になるところに忍ばせて置いた紙袋を手繰り寄せ、中から小箱を取り出した。
「実は私も持ってきたんだけどな~」
「!?」
私の一言に、ぴくりと反応するりん。
恐る恐るこちらを向いてくる。
その目は期待と不安が入り混じっているように見えた。
よし!狙い通り食いついた!
「どうしよっかな~」
チラッチラッと、横目で対角の席を伺うと……。
「…………」
うわぁ、すごい葛藤してる顔。
かわいい。
しかし、それも長く続かなかったようで、ついに彼女は折れた。
「ください」
頭を下げて行儀よく両手を差し出してくる。
ほんっとわかりやすいだよねぇ。
思わず笑みがこぼれてしまう。
怒ってても、なんやかんや最後は許してくれるんだもん。
それがまた可愛くてつい甘えちゃうんだろうなぁ……。
さすがにこれ以上は可哀想だし、素直に差し出すことにした。
「ふふ、よろしい」
差し出された小さな手にそっと小箱を乗せてあげる。
するとりんは目を輝かせて、大事そうにそれを胸元へと引き寄せた。
まるで宝物のように扱うものだから、ちょっと照れくさい気持ちになってしまう。
りんには私以上に大切なヤツができたのかもしれないけれど、この形はきっと変わらないのだから。
「…相変わらずだなお前ら」
声をかけられ振り向いてみると、そこには苦笑いを浮かべる敦さんがいた。
今日も怖いくらいに濃い目のクマと共にブースに入ってきたところを見ると、昨日も徹夜していたらしい。
おそらく出社してきたのではなくさっきまで仮眠を取っていたのだろう。
この人、本当に人間なのか疑わしくなるくらいタフだよね……。
でも会社に泊まっていたはずなのに、こんな就業時間ギリギリにやってきたのはちょっと変だと思った。
けれど、その理由は彼の手元を見ればすぐにわかった。
「その言葉、そっくりそのまま返しますよ」
私は皮肉をこめた苦笑いで敦さんに答えた。
手に提げられていた紙袋から覗くそれは、明らかにチョコレートだったから。
それも大量。
一体何個あるんだろう?って思うほど。
しかも、どれもこれも高そうな包装が施されている。
「そんなに誰からもらったんですか?」
「これは企画班のみなみ、これはつかさ。あとかりんからの。そんでこれはプログラム班全員。それとこれはエフェクト班の――」
言いながら、彼は持っていた戦利品を次々と机の上に並べていく。
ざっと見ただけでも20個以上はある。
「モテモテですね~」
「ったく……こんなときだけ機嫌取りに来るくらいなら、仕事減らしてもらいたいね」
ため息混じりにぼやくが満更でもないのが見て取れる。
このチームに女の子が多いとはいえ、すさまじい数だ。
だけど敦さんの活躍を考えれば可笑しいことじゃない。
中には本命で渡している人もいるんじゃないだろうか?
実際、甲斐性という点において彼の右に並ぶ人はいないんじゃないだろうか?
顔だってちゃんとしてれば悪くないし……。
なんていうか……モテない要素がないのだ。
「あ、宮本さん。これ、バレンタインです」
人当たりのいいりんも、また彼をねぎらうためにチョコを渡そうとしていた。
こうして皆に渡して回るんだから、りんは偉いと思う。
けど、敦さんの返事は少し違った。
「いや、今回は遠慮しとくよ」
そう言ってやんわりと断ったのだ。
もうすでに大量にもらっているのなら、今更一つ増えても大して変わらないのに。
「どうしてですか?」
りんも不思議に思ったらしく、首を傾げた。
「受け取れないよ。佐藤に悪いからな」
ああ、なるほどね……。
敦さんも、りんと佐藤のことそれなりに気を遣っているんだ。
やっぱり男女わけだし、変な曰くがついちゃいけないもんね。それにしても、あんなにいっぱいチョコを持ってきているのに律儀というかなんと言うか……義理堅いなぁ。
「ご…ごめんなさい! そんなつもりじゃなくて…」
「いいさ、気にするな」
申し訳なさそうにするりんに対して、軽く手を振って応える敦さん。
その姿からは余裕すら感じられる。
こういうところ、逆に色んな娘を勘違いさせてるんじゃないかと思っちゃうんだけど……。
現にゆんとか敦さんに気がありそうだし。
まぁ、私には関係ないことだし、どうでもいいや。
「おや…敦くんもいるんだね。ちょうどよかった」
と、そこへやってきたのは葉月さんだった。
いつものように唐突にヒョッと現れた。
「君は本当に罪な男だねぇ」
彼女は敦さんの机の上に置いてあった大量のチョコレートを見て、感心したように目を丸くしていた。
「日頃の行いの違いさ」
「よく言うよ」
得意げに答える彼だが、葉月さんは小さく肩をすくめただけだった。
「それより、用件はなんだ? わざわざそれだけを言いに来たってことはないだろう?」
「そうそう、これを渡したかったんだよ」
そう言っておもむろに羽織っている上着の中をゴソゴソ探り始めた。
「ほら、バレンタインチョコだよ」
中から出てきた小さな箱を、敦さんに目掛けて放る。
「っ!」
それを彼は難なくキャッチすると、怪しげに眉根を寄せた。
「なんだ…ココアシガレットかよ。湿気てんなぁ」
「失礼だね、こんな可愛い女の子が用意したのにお礼の1つもないのかい?」
呆れたような物言いとは裏腹に、葉月さんは楽しそうに笑っていた。
本当に仲良いよねこの二人。
かつて恋仲だったのは間違いないんだろうけど、今でもその空気が残っている気がする。
だが、今の私の心中は穏やかではなかった。
葉月さんが敦さんにチョコを投げ渡す瞬間、私は人知れず息を飲んでいた。
……もし、敦さんがチョコを私の目の前で落とすようなことがあれば私はーー
敦さんを殺していたかもしれない。
いや、落ち着くんだ私。
ようやく考えないようになってきたのにこれじゃ意味がない。
そうだ。
私に出きるのはただ信じて待つことだけなのだ。そう自分に何度も言い聞かせる。
よし…大丈夫。
落ち着いてきた。
「はい、君たちにも」
私が自己暗示でなんとか平静を取り戻したとき、いつの間にか近くに来ていた葉月さんが私達にもチョコを渡そうとしていた。
「あ…ありがとうございます……」
りんが恐縮しながらそれを受け取る。いったいどこから取り出したんだ。
次は私の番らしい。
小さいけれど綺麗にラッピングされた箱。
葉月さんの手から私の手へと置かれようとしたときだった。
「あっ」
それは一瞬の出来事。
ほんの僅かなタイミングのズレで、チョコの箱がスルリと私の手をすり抜けた。
チョコは重力に従って落下しようとした瞬間――
「キエエエエエエ!」
猿のような奇声を発しながら、私はそれに飛びついた。
そのまま床に叩きつけられる光景が脳裏に浮かぶよりも先に体が動いてしまったのだ。
我に返って手元を見ると、すでにチョコの箱は私の手の中だった。
あぁ…よかった。あぶなかった。
安堵のため息をつくと同時に、ふと顔を上げると怪訝な目つきで見下ろされていた。
葉月さんだけじゃなく、りんも敦さんも同様に。
「ははは…私のチョコがそんなに欲しかったのか」
葉月さんは乾いた笑いを浮かべると、私の頭をポンと叩いた。
「え……っと……」
私は冷や汗をかきつつ視線を泳がせる。
そんな私の様子を三人は黙ったままジッと見つめてくる。
「そ……そうなんです! わ、私、チョコ大好きなんですよねー! あはははは……」
苦しい言い訳なのは自分でもよくわかっている。
だけど、それ以外になんと言えばいいというのか……。
「そうかい。ならよかったよ」
葉月さんは特に追及することなく苦笑してみせたあと、そのまま逃げるようにブースを後にした。
それだけ私の挙動が異様に見えたのだろう。
…だけど、刺客はまだ残っていた。
「ったく、八神、お前もなんか変じゃないか? 遠山のこと云々よりもコンペ辺りから」
「っ!」
まだ残っていた敦さんが私の横に立って話しかけてくる。
その話題を振られて思わずギクリとする。
敦さんの見立ては間違っていない。
「え…えっとですね……」
私がこんな風にドギマギしているのは遠からず、いやほぼ確実にそれが原因なのだから。
あのとき、酔った私がしでかしてしまったこと。
それと完全に一致しているのだから。
敦さん本人は、そんなことも知らずため息をこぼし続けている。
「結局コンペのときも上の空だったし……何があったんだか知らねぇけど、コンペに落ちたからってそんな引きずるこ――」
「でええええええええいいい!!」
「ぐはぁっ!」
敦さんの口からあるフレーズが出た途端、私は普段佐藤が愛用しているハリセンで彼の顔面を引っぱたいた。
パンといい音が響き渡る。相当痛かったらしく、彼は顔をしかめて鼻を押さえていた。
「何すんだいきなり!?」
「しゃべらないでください」
「はぁ?」
私は彼を睨むと、その先を言わせないために口を開く。
「それ、今から一ヶ月くらい言わないでください」
「それってなんだよ」
「ですから、それです。不吉なこと言ってもし取り返しのつかないことになったら一生恨みますからね」
「……お、おう……わかったよ」
敦さんは気圧されながらもコクコクと首肯してくれた。
話の分かる人だから、これ以上深追いも下手な勘ぐりもしてこないだろう。
あぁ…さっきようやく意識しなくなってきたところだったのに……。
でも私にとっては、それだけ真剣にならざるを得ないことだったのだから仕方が無い。
今日は確かにバレンタインデー。
それは2月の中旬に来る行事でもメジャーなものに類するだろう。
だけどそれ以外にもう一つある。
それこそ人生の分岐点になる日と言ってもいいくらい重大なイベントが、この季節にはある。
その名は……2次試験。
それがもうすぐやってくる。
もう半月もない。まさに秒読みと言っても過言では無い。
社会人の私、それも高卒ですぐに就職した私からすれば無縁どころか無関係に近いものだと思っていた。
だけど今はそうじゃない。
このビルの警備室で最後の追い込みをかけているであろう彼、吉田駿輔ことヨッシーとの出会いによって私の運命は大きく変わってしまった。
それはきっと、彼がいなかったら今のような奇行はしかかったと思う。そう考えると、やはり人生は何が起こるかわからない。
それにコンペの時に彼が言ったあの言葉。
受験が終わるまで待って欲しい。
その時に答えを出します。
あのまっすぐな三白眼にそう言われてしまった。
彼が今まで積み重ねてきたこと。
酔った勢いで私がやらかしたこと。
その全ての答えがもうすぐ返ってくると思うと気が狂いそうになる。
でも、もし残念な結果で終わったのなら……。
もしそれが私の存在がプレッシャーになってしまっていたら……。
と考えると、私は不安で胸が押しつぶされそうになる。
彼がどれだけの不安や重圧に耐えながら、それこそ自分の身を削りながら必死になっているのかを知っているだけに余計だ。
だからこそ報われて欲しいと願う。
「……」
……だけど、逆に考えてしまうのだ。
もし……
もし万が一、喜ばしい結果になったとしたら……。
それは彼の答えが返ってくるということ。
その意味がわからないほど私だって鈍感じゃ無い。
もしそうなったら…私は……私は……っ!!
「あああーーーー!!」
●
青葉視点
「なんか、今度は八神さんがすごいことになってますね…」
キャラ班のいつもの面々でバレンタインのチョコを渡しあおうとしていたのだけれど、隣のブースの騒動でそれどころじゃなくなっている。
「あ…あんま刺激せんほうがええなあれは」
ゆんさんの言葉に皆が無言で頷く。
渦中の中心である八神さんは今も頭をかかえて悶えている。
ひふみ先輩と彼氏さんのこと。
りんさんと佐藤さんのこと。
新年早々色んな事件が立て続けに起こったと思っていたら八神さんまで…。
落ちるとかなんとか言ってたけどなんだろう…。
私は思い当たる節が一つだけあった。
受験?
美大を受けたときのことを思い出す。あの時も、美術部の皆はともかく教室の人達はピリピリしていた。
それがどうしても印象に残っていたからだ。
でも八神さんがなんで?
試験を控えた子供…は流石に年齢的にないだろうけれど親戚とか?
だけどそれだけであそこまで思い詰めるだろうか。
それこそ前のりんさんやその前のひふみ先輩に匹敵する勢いだ。
理由や原因はわからない。でも、あんな風に頭を抱えて悶える姿を見ると、とてもじゃないけど声なんてかけられない。
ただただ見守るしかない。
それが今の私たちに出来る精一杯のなのかな?
「と…とりあえず、チョコ交換しない?」
「そ……そうですね」
ひふみ先輩の一言で私たちはハッと我に返り、慌てて用意してきたチョコレートを机の上に広げ始める。
「じゃーん。チョコレート工房の人気チョコレート詰め合わせ! 買うの大変やったんだから!」
「チョコばかりだと思ったから私はクッキー…」
先にならべはじめたのはひふみ先輩とゆんさん。
二人らしいチョイスだと思う。
次にチョコを見せたのははじめさんだった。
「みんな普通ですな~。私は動物チョコレート!!」
と言って出てきたのは大きなゴリラの形をしたもの。
私が選びに行った時に見つけたのと似たものだ。
よかった。やっぱり別のにして正解だったみたい。
「1個しか無いやん」
「砕けばみんなで食べれるじゃん」
「でもちょっとかわいそうですね…」
「え…青葉ちゃんってこういうの真っ先に砕きにくるタイプじゃ」
「どういう意味ですか」
失礼極まりない。そんなことはしませんよ私。
どんなイメージ持ってんですか。まったくもう……。
そして最後に残ったのは私だ。
「動物さんチョコっていろんなのがあって可愛いですよね。私も迷ったんですけど…」
実際、私が買いに行ったときにはじめさんと同じモノを見つけたのだ。
可愛いからこれにしようと思ったんだけど、子供っぽいと笑われるかなと思ってやめたのだ。
「どんなのにしたの?」
「えへへ、ちょっと背伸びして大人のチョコレートを」
照れながら綺麗に包装された箱を皆の前に出す。
開けた箱の中に入っていたのは――
「じゃん! ウィスキーボンボン! お酒ですよ! お酒!!」
そう、私が選んだのは大人向けのチョコレート。ウイスキーを使ったものだった。
甘いものが苦手な人に渡すにはいいんじゃないかって思って。
でもこのラインナップの中では少し浮いちゃったかも……。
どう反応されるか不安でドキドキしながら皆の顔を見る。
すると意外なことに全員が微妙な顔をしていた。
え……あれ?
「青葉ちゃん、背伸びすると逆に子供っぽくなるで…」
「そんな!」
苦笑いするゆんさんの指摘にショックを受ける。
いや、確かにそうなんでしょうけど……自分でもわかっていたことですけれども……。
でも実際に指摘されるとショックが倍増します。
「あれ? 青葉ちゃん、他にチョコ持ってきて無かった?」
「えっ?」
ふいにはじめさんが言った。
彼女の言うとおり、私はもう一つチョコレートを用意していた。
でもそれを皆さんの前で口に出すのは憚られるというか……恥ずかしくて言えない。
だから私はその事を黙っていることにした。
「えっと……それは…その」
「あーわかった! 敦さんの分でしょ!」
図星。
顔が真っ赤になるのがわかる。
ああ、やっぱりバレてる……。
「あ……えと、はい……」
観念した私は素直に白状することにした。
ここで変に誤魔化して後々もっと大変なことになることが容易に想像できたからだ。
でも、正直に言ってしまえばこれはこれで恥ずかしいものがある。
皆さんの視線が一斉に集まる。
それも明らかに色めきだった様子で。
「なぁ、それホンマに!?」
「ぎ…義理ですよ! ほら! いつもお世話になってるので!」
必死に弁解しようとする。
「ふ~ん、義理なんだぁ」
「そ……そりゃそうですって」
はじめさんが何とも言えないニヤついた表情で言ってくる。
はじめさんが何とも言えないニヤついた表情で言ってくる。
本当のことを言ったつもりなのに、自分がウソをついているような気分になってしまう。
確かに、敦さんにはいつも助けてもらってばかりだけど……。
そんなにおかしいかな? 別におかしくないよね? そうだよね? ひふみ先輩の方を見ると彼女も何やら含みのある笑顔を浮かべている。
「そ…そう言えば! ひふみ先輩はどうなんですか?」
このままだと妙な雰囲気になりそうだったので話題を変えることにする。
ひふみ先輩に矢面を向けるのは心苦しくて仕方ないのだけれど。
「わ……わたし?」
急に話を振られたひふみ先輩は驚いている。
私は無言で首を縦に振る。
「確かに、渡すんですよね? 彼氏さんに!」
はじめさんはあえて主語を省いて聞いてみる。
ひふみ先輩は目を丸くして固まったあと、頬を赤く染めて小さくうなずいた。
「うん……渡す…よ」
そう答えるひふみ先輩は今まで見たことがないくらい乙女の顔をしていた。普段のクールビューティーさなんて微塵もないほど可愛らしい顔をしている。
その様子に、ゆんさんやはじめさんも興味津々な様子だ。
「どんなチョコあげるんですか?」
「やっぱり手作りですか?」
二人の質問攻めにあうひふみ先輩は戸惑いながらも一つ一つ丁寧に答えていく。
「えっと……最初は買おうと思ったんだけど……作ってみようかなって……」
「おぉ…」
二人共すごく感心した声を出す。
私も同じ気持ちだ。
ひふみ先輩が手作りチョコ。
料理上手の彼女が丹精込めて作ったチョコレートを渡せばきっと喜んでくれるに違いない。
彼氏さんは幸せ者に違いない。
私もいつか誰か好きな人に……と考えてみたけど、すぐに頭から追いやった。
だって、私が今日渡そうとしているチョコレートだって、男の人、敦さんに渡すんだと思うと、ちょっとだけ気恥しい気がしたからだ。
「でも、敦さん、なんか渡しずらいよね。いっぱいもらってたし」
「そうなんです…だから声をかけずらくて……」
はじめさんの言葉にうなずく。
そうなのだ。
今朝渡そうとしたのだけれど、等の敦さんは他の班に所属している女の子に囲まれて身動きが取れなくなっていた。
だから渡しそびれ私の席に泣く泣く持ち込んでしまった。
彼がそれだけこの会社を支えているかを考えれば当然のことかもしれない。
でも、あの時の満更でもない彼の表情を思い出すと胸の奥がきゅっと締め付けられるように痛くなる。
なんだろうこれ?
こんなの初めてでわからない。
なぜか他の人と同じようになりたくなかった。
……でも、どうすればいいのかわからない。私は一体何をしたいのだろうか。
そんなモヤモヤとした気持ちを抱えながらチョコレートを口に運ぶ。
あまり味はよく分からなかった。
「……ん?」
「青葉ちゃん?」
でも何故か手は止まらず、黙々と食べ続けて、いつの間にか箱の中のチョコレートは無くなっていた。
それは、私が持ってきたウィスキーボンボンだった。
箱の外にはクシャクシャに丸められた銀紙が置いてあった。
改めてソレが目に入った途端、身体が熱くなった。
ふわふわして、くらくらする。
すごく気持ちよくなってきた。
「ぇ ちょ いくつ食べたの!?」
「ん? 数個ですよ? なにビビってるんですか?」
慌てるはじめさんの様子がおかしくて思わず詰め寄ってしまう。
なんで慌ててるのかなぁ……。
それに、まだチョコを食べ足りない。もっと、欲しいなぁ。
「それより、はじめさん」
「は、はい」
「このゴリラまだ砕かないんですか? なんなら私が砕いてやってやるですよ。いいですか?」
と、テーブルに唯一残された大きなゴリラの頭を指先でコンコンと叩きながら言う。
「青葉ちゃん!?」
はじめさんが驚いた表情をしている。
なぜ驚く必要があるのだろう。
私、何か変なこと言ったかな? まぁいいや……。
それよりも、早くこのゴリラを砕きたい。
誰もやらないなら私が代わりに……!
「ふん……!」
ゴリラの肩を両手で掴んで力を入れる。だけど意外と硬くてうまくいかない。
あーもうっ! なんでこんなに硬いのよ!!
「ゴリラめ…こしゃくな……食べてやる!」
私は思いっきり齧り付いた。
「あああ! みんなのなのに!!」
はじめさんの声を聞き流しながらゴリゴリと噛み砕く。
そして口の中に残ったチョコレートを飲み込むと、また頭がふらつくような感覚に襲われた。
なんだろ? 眠いな……。
瞼が落ちてくる。
でも、もう少しだけ起きていたくて、私は必死に目を開けようとする。
でも、ダメだ。
抗えない。
そのまま意識意識を手放してしまった。
最後に見たのは、はじめさんやひふみ先輩の心配そうな顔だった。
―――
――
―
「…ろ。おい、起きろって!」
体を揺すられて目が覚める。
見慣れた天井が何度か暗転する。
少しして自分がどこにいるのか思い出した。ここは……会社の会議室だ。
私が初めてここで夜を過ごしたとき、落ち着かないからという理由で寝たことがあるから覚えている。
あれ……私……なんでここに……?
「起きたか……」
声のした方へ目を向けてみるとそこには敦さんがいた。
彼は私を見てホッと息を吐いている。
「えっと……私……どうして……?」
「……お前、酔って倒れたんだよ。それで俺がここまで運んできたんだ」
敦さんは呆れたようにそう答えてくれた。
そういえばさっきまでひふみ先輩たちとチョコパーティーをしていたはず……と思い出し、そこでようやく気が付いた。
「あっ…確か私……」
「そうだ。全部食ったんだ。ウィスキーボンボンをな」
敦さんはため息交じりにそう言い放つ。
その様子に、血の気が引いていくのを感じた。
「わ、私! どれくらい寝てました?」
「もう皆帰っちまったぞ?」
「えぇ!?」
「冗談だ」
敦さんは悪戯っぽく笑っている。
もう、敦さん、意地悪です。
「今は昼休みだから、寝てたのは一時間くらいだな」
「そ、そうですか……」
よかったぁ……。
そんなに長く寝ていなかったことに安堵していると、急に身体が震えてきた。
少し頭も痛い。お酒を飲むと二日酔いになるっていうけど、本当みたい……。
それにしても、チョコ一つでこんな風になると思わなかった。
しかもあんなにたくさん……。
あの時、私がどれだけ食べたのか分からないけれど、きっと箱の中にあったモノを全て食べてしまったのだろう。
「ほら、水」
「ありがとうございます」
敦さんからペットボトルを受け取り、蓋を開ける。
ゴクッと喉に流し込むと、ひんやりとした水が胃に落ちていき、火照っていた身体が冷まされていく。
「ぷはー」
「大丈夫か?」
「はい。なんとか」
「昼休みは残ってるから、まだ少し休んどけ」
「いえ、もう平気なので戻ります。午後の仕事に遅れちゃいますし」
「そうか。無理するなよ」
「はいっ」
私は敦さんに謝ると、立ち上がって共に会議室を出る。
すぐにブースに戻るけれど、そこには誰もいなかった
「皆さん、お昼に行ったみたいですね」
「みたいだな」
最近になって珍しいことではなくなった。
ゆんさんやはじめさんはともかく、ひふみ先輩も。
私が入社したばかりのときはずっと音楽聴いていたけれど、今は食事に誘われることも増えた。
それに、今日はバレンタインだからきっと彼氏さんにチョコを渡してるんだろう。
……チョコ。
「……」
そこで私はチラッと横にいる敦さんを見る。
皆お昼に行ってこの場所にいない。
ここにいるのは、私と、敦さんだけ。それなら……。
私は大きく深呼吸をする。
心臓が激しく鼓動を打つ。
顔が熱い。
緊張で手が震えてくる。
おかしい。
これは義理チョコなのに。
ただの感謝の気持ちなのに。
でも……でも……。
「あ、敦さんっ!」
「ん? どうした?」
「えっと…その…待っててください」
それだけ言うと、急いで自分のデスクに戻って鞄の中からラッピングされた小袋を取り出す。
それを両手で持ちながら敦さんの所へ戻ると、彼は不思議そうな顔をしていた。
その顔を見ただけで心拍数がさらに上がる。
ああ、もう! なんでこんなにドキドキするの!!
だって、男の人にチョコレートを渡すなんてお父さんくらいだったんだもん!
でも…渡さないと。
勇気を出して、渡すんだ。
「こ、これ! 受け取ってください!!」
「……」
敦さんは何も言わずに受け取る。
そしてゆっくりと包み紙を開いていく。
「……チョコか」
「はい…その、たくさんもらってるのに迷惑かもしれませんけど…」
「いや、ありがたくもらうよ」
「そ、そうですか……」
良かった……。
喜んでくれたみたい……。
「開けてみても?」
「もちろんっ」
私が皆さんに渡すために買ったウィスキーボンボンとは別に見つけたチョコレート。
色々迷ったけど、敦さんのイメージにぴったりのモノ。
だから渡したかったんだ。
敦さんは丁寧に箱の包みを開けて、中にあるチョコを取り出した。
それは太い棒状の形をして、布にくるまれている。
「これは……葉巻?」
「はい、中はチョコレートなんです」
お店の中を歩いていて、ショウケースに並べられているのを眺めていたらこれが目に入った。
その時に、敦さんがいつもタバコを吸っているのを思い出した。
それでこれを選んだんだけど反応は……?
「へぇ、面白いな」
敦さんは感嘆の声を上げつつ、布を取り除いて中の一本を手に取る。
そしておもむろにその細長い棒状のチョコを口にくわえると、器用に歯を使って布ごと折っていった。
その姿が妙に様になっていて、カッコいいと思った。
「うん、うまい」
「本当ですか!?」
「ああ」
「やったぁ!」
私は小さくガッツポーズを取る。
少しでもよろこんでくれたらうれしい。
願うなら、他に渡してきた人よりも覚えてもらえると……。
そんなことを、無意識ながらにかんがえてしまった。
「そういえば、お前は食わないのか?」
「私はさっき食べたばかりなので」
「そうか」
敦さんは短く返事すると、再び口にチョコを含んで味わうように目を閉じた。まるで映画のワンシーンのように思えた。
敦さんはチョコを食べ終わると、私を見て言った。
「うまかったぞ、ありがとうな」
「いえ、こちらこそっ」
お礼を言うのは私の方なのに、なぜか敦さんはお礼の言葉を口にする。
なんだか変な感じがしたけれど、それがおかしくて笑ってしまった。敦さんも笑ってるし……。
でも本当によかった。
喜んでくれて。
「じゃあ、飯に行くか」
「はい」
私は笑顔で答えて、敦さんと一緒にブースを出た。
お昼ご飯は何だろう? 楽しみだな。
私はウキウキしながら彼の後ろについていった。