史上最強の弟子ケンイチ 実績『達人としか呼ばれぬ者』獲得 作:秋の自由研究
一歩も動けなかった。
槍月から溢れだす、肌を泡立たせる、背筋が凍り付くような、嫌な感覚に、取り囲まれている。巨大な腕に、掴まれている様だ。息が詰まる。冷や汗が止まらない。
これが――達人の放つ、本物の殺気なのか。
目だけは何とか、動かせる。連華さんの方に視線を、ゆっくり向けた。
流石に僕とは違う。狼狽えてるなんて事もなく、少し腰を落として動ける姿勢を取ってはいる。でも余裕は……あんまりなさそうだ。僅かに頬を伝う汗がそれが伝えている。
でも、師父はその中で――
「――お互い、随分年を取ったね」
「袂を分かち、十年は優に経った……当然だろう」
「うん。その中で、お互い違う道を歩んできた……」
笑ってる。穏やかに。ゆるりと立っている。
まるで、濁流のように押し寄せてくる、この殺気の中で。川の流れの中、何も気にせずそこに有る、大きな岩のように……
「でも、兄さんは、何も変わっていない」
「……変われるほどに、器用ではない」
まるで、立ち話でもしているかのようだった。恐れていない。かといって、過度に警戒している訳でもない。臨戦態勢かと言えば、そうでもない。ただただ、自然に口を開いてそう――今にでも、目の前の大男を誘って歓楽街に繰り出しそうで。
それだけ、この中でもリラックスする姿勢を崩さない。無駄に緊張しない。自分のペースを崩していない。それは彼にとって、この修羅場の空気が特別でない証だった。
「……これが、本気の馬 剣星」
師匠として尊敬する部分がある。そして、エロ師匠としての尊敬する部分もあった。でも……師父の背中は大きく見えたのは、初めてだった。
なんて頼もしい。本物の殺人拳、天下に名を轟かせる武人、馬 槍月が相手でも、師父は決して負けてない――
「それが、おいちゃんには嬉しいね」
「……喜ぶような事か」
「そりゃあ、ね。さっき蓮華とケンちゃんを威嚇したの……自分に向かってこない様にワザとやったね? 兄さん」
――そのまんま、度肝を抜かれた。
「「えっ!?」」
思わず、声を揃えて目の前の槍月を見てしまう。
彼は――否定せず、少し顔を顰め、決まりが悪そうに頬を指先で掻いた。
「向かってこない様に、気を回す事をしてくれた。昔の、不器用な兄さんを思い出すね」
「……何処かの禿野郎のお陰でな。弟子クラスを縊り殺す様な武人崩れにはなれん。そんな事をすれば、奴に顔向けが出来んからな」
「うん。本当にいい友達を持ったね。兄さん」
「……フン」
びっくりした。どうやら、本当らしい。
鏡合わせみたいにこっちを見た蓮華さんと目があった。多分、僕以上に驚いていると思う。蓮華さんの方が、馬 槍月と言う男には詳しいだろう。
殺すのは否定しなくても、僕らを殺さないように、気を回す、なんて。
それと同時に、その言葉に、なんだか胸がジーンときた。師匠方が言っている、達人には信念があるという言葉、そのものだ。友達に顔向けができない事はしない。それは何処までも人間らしい血の通った信念だ。
人を殺した事があっても……それでも、そんな信念を捨てていない事が、なんだか、凄い尊い事に思えたのだ。
「――勘違いをするなよ。それでも向かって来るようならば」
「――殺す。分かっているね。兄さんの見出した道は、殺人拳だからね」
でも。
感動できたのも、そこまで。
互いに距離を取っていた二人が、一歩、前に歩き、距離を詰めた。
ハッとして、改めて二人に視線を向ける。最早、二人の距離は人一人が寝ころんだ程の距離しかない。恐らく、何方にとっても最早間合いだろう。
師父の顔つきが、変わった。槍月を見つめてるその表情は、先ほどまでのリラックスしたモノとは違う……真剣そのもの。言葉を交わすのは、ここまでなんだ。始まるんだ。別の道を歩み、お互いに頂点に立った二人の、戦いが。
なんで戦うのか、なんて。いまさらそんな事は言えない。
僕が想像もつかない程に強い因縁が、この二人の間にはある。
「行くぞ剣星――俺が追い続けた中国武術の神髄、とくと味わっていくがいい」
「行くよ兄さん――我が拳で、貴方の野心を打ち砕く!」
「「――!」」
不意に。
今度は二人の兄弟が、お互い、鏡合わせの様に一つの構えを取る。いや、構えじゃない。アレは、中国式の礼の一つ、抱拳礼――しかし左拳を右拳で包み込む、あの形は……間違いない、命を賭した決闘の合図だ!
「師父……!」
いけない、と言いたかった。兄弟で殺し合いをするだなんて。
でも、言えなかった……親族だからこそ、馬師父は、僕の想像なんかよりも厳しい覚悟をしているのかもしれない。実の兄を相手にしても、非情に戦うだけの、強い覚悟を。
今の師父に、部外者の僕が一体、何を言えるだろうか。
弟子として情けなくて、俯きかけて……そんな時。
師父は此方にちら、と振り向いて――笑った。
「ケンちゃん、なんて顔してるね」
思わずハッとする。
変わらぬ優しい笑顔だけど――厳しく、そして、強い瞳をしていた。
「勘違いしちゃいけない、おいちゃん、活人拳よ。殺しはしないね」
「で、でも……」
「兄さんは、本気でおいちゃんと戦うつもりね――誇りある、強い武人が。覚悟を決めて向かい合ってくれている。ならば、おいちゃんもその本気に応えて、命を懸けて戦う覚悟をしなければならない」
強い武人の本気に応えて、そして。覚悟を持って、戦う。
馬師父が言うその意味を――僕は、理解する事が出来た。
谷本君と戦った時。僕の事を強いと言ってくれた彼と、本気で戦った。僕は、彼がただ純粋に試合をしたいと言ったから。武人としてその挑戦に応えた。
師父は……自分のお兄さんが、己の全てを賭けて、戦いを挑んできた事に。同じく自分の全てを賭けて応えようとしている。
「――ケンちゃん、しっかり見て、覚えておくね。必死に活人するって言うのは、こういう事よ」
なんて事の無い、まるで他愛のない会話をするかのようにそう僕に告げてから。
師父が、拳を構える。
すっと、シームレスに、静かに。それに応えるようにして、槍月も、姿勢を半身程引いてから構えて――その静かで、シームレスな動きは、とても、とてもよく似ている様な気がする。
人一人分、ギリギリ無い位の間合いが、二人の間にはある。だけど――師父も、槍月もきっと、あの程度の距離を詰めるのは訳ないだろう。双方必殺の間合いなのに、余りにも静かな立ち上がり。
蓮華さんが、ごくりと唾を飲んだ音が耳にはっきりと聞こえた。それ位に、誰も、何も話してない……彼女の気持ちは、嫌って程分かる。この静かな空気の中は、先ほどにもまして苦しい。
何時までも続くかもしれない……もしかしたら瞬く間の後に、はっと気が付いた時には、この静寂が打ち払われて――始まっているかもしれない。達人同士の、凄まじい激闘が。
いつの間にか、連華さんと同じ様に、僕も動けるように腰を落としていた。動けない筈の身体が、せめてもの警戒態勢を取ったのだ。
喉が渇く。
足が強張る。
指先が、痺れてくる。
額から、冷たい汗が流れて……顔を伝っていくのが分かる。
こめかみを、頬を、顎を、
そして、顔から、垂れて、離れて、床へ――落ちた。
「「――!!」」
その一滴を、合図に。
達人二人の間にあった何かが――弾けた。
――ご お ぅ !
「うわぁっ!?」
二人が地を蹴ったその瞬間に……顔に叩きつけられるのは、突然の突風。
その直ぐ後だった。通路に面してた窓が、纏めて割れたのは。
「シィヤッ――!!」
「――ぬぅおおっ!」
風の正体は、拳圧だ。仰け反りながらも、思わず顔を両腕でブロックせずにはいられない。連華さんも、僕のように仰け反ってはいないけど、同じようにブロックしている。
重なった腕の隙間から、何とか薄眼で確認できたのは……僕が見ていた間にも――多分だけど、師父と槍月、二人の位置が、多分……六回は入れ替わった事。
そして、二人の間で、何かが二、三回くらい、弾けた事、くらいだった。
何にも分からない。
馬師父の小柄な体躯が。槍月の大柄な肉体が。文字通り、本当に一瞬かき消えて、直後に別の所に現れてるように、僕の目には、見える。
でも違う。目の前では物凄い高度な武術の応酬がされてる。きっと僕の目なんかじゃあの二人の動きが全然追いきれないだけだ。
「す、すごい……一体何回ぐらい拳の応酬がされてるんだ……!」
「バカ! 何十回よ!!」
「えぇっ!?」
想像を遥かに越えていらっしゃった!?
そ、それにしても……何十回!? たった六回くらいにしか見えなかったその中で!?
とても信じられないが、歯を剝く勢いで怒鳴っている連華さんの表情には、嘘があるとは思えない。ごくり、と息を呑み込んで、連華さんに問いかけてみる。
「ど、どうなったんです!?」
「仕掛けたのはパパよ。伯父上は待ちに入った。小柄なパパは小回りに優れる。それを活かして伯父上の懐に飛び込もうと、幾つか囮の攻撃を仕掛けた。確実に通したい本命を通すために、ね」
……なんだか、武術の戦いの説明をされている気がしない。囮だとか、本命の作戦だとか、それではまるで戦争をしているようじゃないか!
「でも、伯父上はそれを通さないために、敢えて囮の攻撃を受ける構えを取って……そこから無理矢理自分の反撃を通した! 死中に活を求めた反撃に、パパも本命を潰して応戦せざるを得なくなって、それで、お互いの渾身の拳が、ぶつかったのが――」
「……のが?」
「最初の拳圧まで!!」
「嘘だぁ!?」
えっ、今のって目の前の嵐のような戦いの解説ではなくて!? 最初の、窓が割れるまでの一連の流れって事ぉ!? あの一瞬で、そんな出来事が!?
そんな事が起きていたなんて。知る事は愚か、最早想像すら出来ていなかった。
……最早、映画でやっている様なレベルを、遥かに超えている。事実は小説よりも奇なりなんていうけど、正にその通りだ。
「コレが、達人同士の戦い……!」
僕の常識なんてものは遥か遠くに置き去りにされて。
二人の戦いは、更に勢いを増していくように見える――!!
若干ほんへをリスペクトしてる流れなのはナイショ。