史上最強の弟子ケンイチ 実績『達人としか呼ばれぬ者』獲得 作:秋の自由研究
……一瞬。
誰かが、ひゅっ、と息を呑む声が聞こえた。それが誰のモノなのかは、今は敢えて問わない。どうでもいい。
分かりやすい程に、部屋の空気は冷え切っている。その空気を生み出している、たった一人の動向を、他の二人が伺っていた。
……当然と言えば当然だ。
後ろにいるのは、猛獣よりも恐ろしい怪物だ。それが、気まぐれか何かで寄越して来た蜘蛛の糸を――自分は、突きつけられたナイフで思いっきり断ち切ってやった。
そう言った時点で殺されなかっただけ、背後の女は理性的な対応をしていると言えるだろう。
「し、ししょー?」
酷く、情けない声が聞こえる。
背後の女は。どんな顔をしているのだろう。新島からは見えないが、しかし少なくとも上機嫌ではないのだろうな、とは思う。あの美しい顔が、胸の内から湧きだした憤怒に彩られているのか、色を削ぎ落した様な無表情をはめ込んでいるのか。
しかしどんな顔をしていようとも――今の言葉を撤回するつもりだけは無い。
二人は揃って黙りこくっている。その間に、暫く言葉は無かった。
ややあってから……先に口を開いたのは、新島ではなく、ジャックの方だった。
「――理由を、聞かせなさいなァ……坊やァ」
……何と言おうか。言葉を飾るか。否、今更そんな事をするのも馬鹿らしい。
新島としては、もう今の時間が、既に死を覚悟した後のロスタイムだ。喋れるだけ得であり――もう言葉を遠慮するつもりは無い。好き勝手言ってから、死んでやろうか。
「はっ、簡単な事だろうが――」
生き残る為に、幾らでも頭を下げよう、媚だって売ろう、脚だって望まれれば舐める。
だがしかし。
首輪をハメられて、『首を垂れる』のだけは、決して。ただそれだけは。命を懸けられても尚、良しとする事だけは出来なかった。
青臭い事を言っているとは、自分でも思う。ただ一時でも、首輪をハメて生き残って再起を狙えばいい物を、新島春夫もヤキが回ったか、と。
頭の何処かで、理性が、冷静な部分が今こうして、命を捨てるような真似をしている自分を嘲笑している――けど、
自分の胸の内の一つの芯が、その嘲笑を払いのけ、狂ったように笑う。
自分の手綱は自分で握るなんて事は。誰かの意志でなく――自分の意志で、貫くなんてこと、この俺にとっては当たり前の事だろう。他の何者かに手綱を渡して、その掌の上で踊るなんざ、吐き気がする。
自分の意志を放棄するなんて、死を選ぶのとなんら変わらない。
「(へへへ、あぁちくしょう……もう後戻りは出来ねぇか……っ!)」
……死ぬ覚悟した後のロスタイム、なんて格好つけてはいるけれど。
怖いものは、怖い。歯がガチガチと鳴りそうなのを、必死に堪える。正直、今すぐにでも『すいません何でもしますから生かして返してください』と言いたいけれども。それだけは、したくない。
そう口にしてしまう前に、新島は、後戻りできない道へと自ら踏み出す――背後の女へと『自分の答え』を、返すために。
自分の頭に頂く『冠』は、誰にも渡してはならない。
「オレ様の『王』は――『オレ様自身』だぜ」
「――」
……言った。行った。逝った。
終わった、と冷静な頭が結論を出す。この後の末路は流石に想像出来る。背もたれに背を預けて天井を見上げる。
さて、何時殺されるだろうか? 拳銃か。ナイフか。それとも。
……死の間際には、走馬灯が流れると聞くが、噂話は当てにならない。こんな静かな空間で、一体何を思い出せと――
「……あ?」
――そこで、ハタと気が付く。
冷たい空気も何もかも。部屋の中から消え失せている。あの嫌な感覚も。立っていた鳥肌も。体の震えも。その全てが、凪いでいる。
余りにも、静かで。落ち着いている。嵐の中にいた筈なのに。中心部の『目』の中に入り込んだような――!?
「――AHAっ!」
ぞぐり
「――あっ?」
刺された。
胸の真ん中だ。息が止まる。何時の間に。
痛みも、何もなく、酷くあっさりと、何かが自分の体を貫いた。体の中心を。
ゆっくりと、視線を下ろし……胸の真ん中を見つめてみる――が。
不思議な事に、何も突き出していなかった。否、傷すら負っていない。思わず、背中にも手を回した。やはり何もなっていない。
認識と、現実が、大きく剥離している。頭がグラつく。
何が起きたのか、と思った――瞬間。
「AHAHAッ! KYAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAッ!!!」
耳の中に、金切り声が、響き渡る。
否、これは叫び声じゃない。部屋の中に、ぎゃりぎゃり、と脳味噌を揺さぶって、耳ざわりにこだまし続けるコレは――笑い声だ。最早これは、悪意の演奏会と言ってもいい程に。幾重にも、幾重にも重なる様に、女の哄笑が。
……そこで、漸く、認識と現実の擦り合わせが追い付いた。
自分は、死んでない。刺されてない。信じられないが……今の鮮明な感覚は、ただの自分の錯覚なのだ。
全ては――今、背後の女が撒き散らしてる、この、体を絡め捕る、名状しがたき、ぬらつく、殺意? 狂気? いいや、何よりも――感じる、この怖気を、頭が刃と錯覚してしまったのだ。
背後から、部屋の四方に向けて……濁流の様に、押し流されてくる。足首にぞろり、と絡みつき。首筋をざらりと舐めながら、『それ』は汚泥の様に空間を汚していく。
「This is Heavy……! So Cool!」
ガチガチの体を、錆びついたブリキの人型の様に、軋ませながら。
何とか、背後を振り向いて……そこで、呆気に取られた。
きゃら、きゃらきゃら、と――頭に響くような、けたけた笑い。
ジャックが、殊更嬉しそうに笑っている。天を仰ぎ、顔を覆って。しかしそれで見えなくても、彼女の口元が満面の笑みを象っているのは分かる……そこまでは、良い。だが――
「――イイっ! イイわァ……貴方ァ……っ! 気に入ったァ!」
「……っ」
ちらりと見えた、その目は。
底知れない『黒』に染まり切っていた。
「そォよォッ!!! 自分の意志は誰にも曲げられちゃいけないのォッ!!! 例えそれが『死』であってもッ!!! 自らの思いを、曲げずに、貫くゥッ!!!」
ジャックが此方と瞳を合わせたその一瞬、そう錯覚してしまった。
彼女の浮かべる、満面の笑みの美しさと、それに相反する程のこのねばつく嫌な気配の歪みが、異様な錯視を生み出していた。
星辰すら呑み込まれた、万天の暗夜をはめ込んだ暗がりの沼地に、黄金の蜜酒を垂らした三日月が、けたけた笑顔に合わせて揺れて――じぃっと、こっちの目の奥を、覗き込んでいる。
深淵の奥から、人ならざるモノが此方を覗き込んで来ているのだ。
「意志ッ! 自分の好きに生きる事をォ放棄しなァいその意思ッ!! 最高ォッ! 美しいッ……あぁ、そうよォッ! 自分の意志でッ! 選択してッ! 絶望してッ! それでも貫く覚悟を決めてェッ!!!」
部屋が、ぐるり、と歪んでいくのが分かる。
白が、黒が、茶色が、光るパソコンの画面が、目を狂わす極採食に彩られ――いや、蝕まれていく。現世の景色からかけ離れた色、瞳孔の奥に叩きこまれるサイケデリック。
目の前の生き物を喝采するかの如く、無機物たちが壊れた罅を笑顔に広げ、形無い賛歌を謡いあげる。
その中心で、機嫌よく、女の形をしたナニかが、ただ揺れている。矮小な自分を包み込む様にずるると伸びた両腕が鳥籠のように自分を包み込んで――右の口の端が、ぴしりと裂けていって。何よりも新鮮な『紅』が滴り落ちていく。
「貴方は今ッ――さイッコうに、輝いてるゥッ!!」
人型の美貌が歪んだ笑顔に食い破られて。自分はその中に取り込まれていく。覆い隠す掌に包み込まれて、自分も捻じれて、小さく、矮小な、ウジ虫の如く――
「へひっ、へへへへへへへっ……っ」
完全に腰が抜けている。否――体が全てを諦めていた。
本当に恐ろしいものにあった時。人は、叫ぶ事すら出来やしない。
新島春夫は、それを思い知った。この『いきもの』の前で迂闊に声なんぞ上げようものなら――食われる。頭から、ばりばりと。
『ヒト』とは根本から違う、この暴力の化身に向けて。
ならどうするか?
「あはァっ! あははははははァっ!」
「けへへへへっ……けけけけけけけけっ……」
壊れたように。笑う事しか出来なくて……永遠かもしれない、一瞬かもしれない。そんな互いの笑いを交わす時間の後。
「――あァ~……最ッ高よォ、久しぶりねェ、こんなに愉快だったのはァ」
『ソレ』は、傍らに立つ自らの従者に視線を向けた。
「――タイチぃ?」
「……あっ、えっ……はっ!? はいししょー!!」
「冷蔵庫からワインとォ……後ォ、私のキャリーからァ『一本』持って来なさいなァ」
「えっ……えっ?」
……此方に視線を向ける従者……いや、古賀と目が合うが、こんな状態で何が言える訳もない。ただ椅子の上から、力なく、床に腰を崩れ堕とすしかない。
気絶する事も、漏らすことも、叫ぶ事も、全てが目の前の存在に『許可されていない』かのように、選択肢にすら浮かばなかった。ただただ、そこに存在するしかなかった。
「早くゥ」
「はっ、はいっ!!」
が、彼女の一言で、古賀はそれ以上何か言う事も出来ずに、別の部屋へと走って消えていく。何時の間にか、部屋の景色は元に戻っていた。
部屋に残ったのは……ジャックと新島の二人だけ。
ジャックは。
新島に優し気な笑みを向けたまま、ゆっくりと、優雅に。ベッドに腰を下ろす。先ほどまでの空気は何処かへ霧散して消えていた。
「……」
「オミヤゲ、っていう奴よォ。そんなに警戒しなくても良いわァ」
ひらひら、と手を振り、口元を抑えながら言う彼女だが……言われなくても警戒も、クソも、ない。
今、この場で……必死に粗相をせず耐えている事を、褒めて欲しい位だった。今の新島は恐らく、この世の如何なる生き物よりも、無防備に『されていた』。
「酒とォ、金とォ――後はァ……権利♪」
「け……んり」
「一度だけェ。『タダ』で貴方からの仕事を請け負ってあげるゥ――私の仕事ォ、高いのよォ? 感謝しなさいねェ♪」
「ひぇ」
……当然ながら。そんなこの世のどんな武器よりも物騒な贈り物を、拒む事なんて出来やしない。ただ、力なく頷くだけだ。出来る事と言えば。
天井を見上げる。
生き残ったのだろうか。自分は。
少なくとも……生き残る為に、この一年分の全ての幸運を、使い切った気がしていた。
夜風に吹かれ、ホテルの前を行く。顔が笑顔から戻らない。筋肉が引きつっている。マスクでも買って帰らないと、都市伝説か不審者として通報を受けかねない。
ちらり、と手元の財布を見る。タクシーを拾えるように、とピン札を十枚ほど入れられた財布をポンと渡された。直ぐに捨てたかった。でも怖くてできなかった。タクシー代で使ったら、残りは何処かへ寄付しようと思う。使い切ったら呪われそうだった。
……財布は使えそうなので貰っておく事にする。そういう所はちゃっかりとしていた。
『そうねぇ……もうちょっとだけェ、貴方にオミヤゲをアゲルならァ……』
……ふと、夜空を見上げながら思い出す。
最後に掛けられた言葉を。酷く穏やかな。それこそ、植木でも眺めるみたいな、優し気な視線と共に、最後に彼女は口を開いた。
『ほんの少し『
「……」
それは、ある種の邪神からの啓示だった。
だが、アレだけのバケモノが、アレだけ穏やかに、自分の目の真っ直ぐ見て行った言葉である――不思議と、説得力はある、気がした。
参考にするくらいは、してもいいかもしれない。
「……寝よう。帰ったら」
酷く疲れた。
そして……必要なこと以外は全部忘れよう、と。手元の『お土産』の詰まったバッグの重みに潰されそうになりながらも、新島は、そう思った。
ジャックちゃんの楽しげな様子を書いてらなんか筆が乗った(震え声) 多分趣味を全部乗せで書いた。楽しかった。
一連の流れで『キャロル』って名の付いた曲を想像した人はボクと握手!