史上最強の弟子ケンイチ 実績『達人としか呼ばれぬ者』獲得   作:秋の自由研究

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第十五回・裏:遥か嘗ての理想 前編

 ――ずっと。あの日から走り続けて来た。

 

 力無く地面に倒れるパパ。酷く恐ろしい死神に命を奪われたパパ。パパを助けられず。無力だった自分に嫌気がさして。憎くて。許したくなくて。そんな自分から……抜け出したくて。走り出した。止まるな、止まるな、と。ずっと吠えたてた。

 目の前に居る患者を只管に治していた。何も見ずに。患者だけを見て、診て来た。毎日そんな事を繰り返して、もう、数年にはなるだろうか。ハイスクールに通っていた頃から体は大きくなっても、その頃から、やっている事はずっと変わっていない。

 それはきっと……その間ずっと、患者以外を見てこなかった、という事だったのだろう。

 

『貴様、現実を見て居ないと言われたことは無いのか』

 

 槍月に、そう言われたのを思い出した。今思えば、あの言葉は的を得ていた。きっと俺は現実どころか、色んなものを無視して、自分が求めるモノしか見てこなかった。見えている世界の狭い事、甚だしい。

 そんな風に狭い世界で満足して……戦場だろうと何だろうと関係ない。自分なら誰だって助けられる……いいや、助けなくてはいけない。そう思ってここに来た。ここで患者を診る事がどういう事かも、分かっていないのに。

 

『――自分の無力さからァ逃げようとするゥなんてェ、悍ましいわよォ?』

 

 結果はコレだ。

 ブリッジウェイにも見抜かれた。患者を治す、医に関わる者として。あるまじき醜態をさらしている事を

 

 あぁ、何故俺は気づけなかったのか。患者は何時も私の側に居る訳ではないのだ。

 どうしようもない者だっている。そんな当然の事をどうして気付かぬままにここに来れたというのか。あの時……立ち去っていくアメリカ兵士達の背中を見て、ずっと目も向けなかった事を嫌という程気付かされた。

 助けたかった。手の届く距離に居た。だけど、伸ばした私の手は、何よりも遠かった。私には私の患者が居て、彼らの元には行けなかった。彼らを助けたら、私は……今の患者を見捨てる事になるかもしれない。今、自分が居る場所は彼らと反対の場所なのだから。

 それは、人の世に生きる者として当然の事だった。

 

 その当然の壁が、俺にとっては何よりも厚かった。

 その当然の壁が、俺にとっては何よりも辛かった。

 その当然の壁が、俺にとっては何よりも覆せなかった。

 

 見えない壁に阻まれて。伸ばした手は空回った。自分では、彼らを助ける事は出来ないという事を、何度も、何度も何度も何度も……繰り返して。

 その、虚しい感触に耐えられなくて。逃げた。目を逸らした。目の前の患者に集中する、という言い訳に甘えた。集中する、等と。患者との問診も、ほぼ知っている知識を、患者に合わせて反射で出していただけ。話など聞いていたか、酷く怪しい

 

 そうだ。

 怖かった。

 助けられない。手が届かない。何も出来ない。あの日の無力感を思い出すのが酷く。本当に怖かったのだ。何か出来ている、という達成感を……いや、そう出来ているという幻想を麻薬の様に使って脳を誤魔化していた。

 

『――貴様が我々に抵抗するというのであれば、貴様を排除する。我々にも代わりの医者程度、幾らでもは居るのだからな』

 

 そう言われ、返せなかった。一言で。患者の事を考えるならば。あそこで引いてはいけなかったというのに。

 ここから引き離されるのが。自分が患者の治療に関われなくなるのが。イヤだったのだ。これ以上自分の無力を味わいたくなかったのか? 自分の無様を見せ付けられたくなかったためか? いいや、その両方だ。その両方を嫌という程味わう事になると、それが怖くて怖くて。

 逃げた。恐怖に負けた。更に無様を晒したんだ――

 

「……ッ!」

 

 違う。違う違う違う!!

 あぁ、何を言っているホーク・K・バキシモ。まるで過去のような言い方をして……どれだけ目を背ければ気が済む! それは今もなんだ!!

 

『――お願いします。父上と皆を、助けたいんです。力を貸してください』

 

 メナングが、そう言った。

 彼からしてみれば、こんな異常な所にお父さんを置いておけないと思うのは当然の事だと思う。そして仲間に、ここから逃げ出すという事が言えないのも、また当たり前の事だと思う。私も……患者を思うなら。ここから患者を離した方が良いのは。分かり切っている。

 このままいけば、新たに来た彼らは、患者をも使い潰すであろうことは。誰にだって分かる。分かっていた。私にも。

 

 だが頷けなかった。直ぐに。どうしてか、分かり切った話だ。しくじった時の事を考えてしまって、二の足を踏んだのだ。もし失敗すれば? 私の目の前でまた……助けられずに誰かが。そう考えたら。もうダメだった。

『一晩考えさせてくれ』などと、思っても居ない言葉を吐いた。絶対に、やる、なんて言えないのに!!

 

「……消えてしまえ。消えてしまえ」

 

 きっと俺より、きっと……もっと良い医師が居る。そんな人が、来てくれればどれだけ。どれだけ――いやだ――私では――いやだ――

 

「きえろぉおおおおっ!!!」

 

 頭がおかしくなりそうだった。力任せに机の上の物を払い除けた。

 どうして自分はこんなに執着するのだ。こんな無能は、消えてしかるべきだろう。消えろ消えろ、消えてしまえ。そうすれば皆幸せなのだ。もっと良い医者がここにきて。全てが変わる。もっといい方向に向かう。

 逃げ出してしまえば――もう怖くも無いだろうに。

 

「……はぁっ……はぁっ……あぁあ……」

 

 膝から力が抜ける。でも、ここから離れたくない。どうしてここまで執着するんだ。怖いんだろう。楽になりたいんだろう? だったら……どうして逃げないんだ。どうしてここまで離れたくないんだ。

 そんなに、医の道に携わりたいのか。そんなに、医の道を諦めたくないのか。

どんなに頑張っても。

 

『どう……か……愛しき、きみ……しあわせに……』

 

 大好きだった、パパも。

 

『俺にとっては、貴様が死ぬ方が気に食わん。意地を通させてもらうぞ』

 

 初めて出来た、友達も。

 

「結局……助けられなかった……癖にか……?」

 

 ――酷く、疲れた気がした。

 吐いてしまったら。もうそこまで。体の中にあった、何かの糸が切れた。ズルズルと柱を背中でこすり、地面に腰を下ろす。散らばっているカルテを拾い集める気にもなれない。

 これだけの患者の命を背負っている、というのに。治療法だって、考えなくてはいけない。少しでも早く治さねば、戦場に怪我したまま向かわされる。だというのに。

 

 今の自分に、マトモに診断が出来る気がしない。夢の様な心地に酔っていた頃ならまだしも。感情に邪魔されて、冷静な判断が欠ける可能性がある。

 

「……せめて……迷惑をかけない位が……でも」

 

 それでも手を伸ばして……降ろして。その時。

 ふと、指先に何かが当たった。硬い感触。カルテではない。なんだろう、と思ってみてみれば。それは一冊のノートだった。見覚えがある。

 

「パパの、ノート」

 

 パパの遺した財産の中から、唯一持ってきたのが、これだった。お金よりも何よりも。コレを持っていれば、何となく……パパを思い出せると、思ったから。

 ふと、それに何が書いてあるか。今更気になった。パパは、こんな自分とは違い、父として立派に俺を育ててくれて、そして医者として。色んな人に慕われて来た。そんなパパが、どうやったら、そんな事が出来たのか。

 気にならないと言えば、嘘になる。

 

「――どうせ、今は他にやる気も起きない、か」

 

 地面に転がっていたノートを、手元へ持ってくる。

 『メモ』とだけ書かれた、厚いノートだった。必死になって書き込んだのだろうか、横から見て、白い筈のページが、少し黒くなって見えた。一体どれだけの量の文字を書き込んだのか。どれだけの努力をしたのか。

 少なくとも……自分以上に凄まじい努力をしたのだろうなと。そう思って、ノートを開いて。

 

「……?」

 

 そこから滑り落ちた、紙に気が付いた。

 ノートに挟み込まれていたらしい。何かのメモだろうか。こういうのを沢山ノートに挟み込んでいるのだろうか。そう思って、小さく折りたたまれた紙を拾い上げて……開いてみた。そして、その一番上に書かれた名前に、目が留まる。

 

『我が愛しき子 ホークへ』

 

 それは。

 初めて目にした、パパからの手紙だった。

 




達成感は何よりも得難い脳内麻薬です。
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