史上最強の弟子ケンイチ 実績『達人としか呼ばれぬ者』獲得 作:秋の自由研究
ランチタイム。テラス席にての待ち合わせ。
待ち合わせの時間には、まだ些かと早いのは、先程確認したが……しかしながら、それでも思わず、である。こんなに緊張しているのは何時ぶりだろうかと、ふと普段はしない様な回顧などしてしまう。
無駄に気合を入れて普段着ないスーツなど着てみたり、サングラスなどで洒落た風な感じにしてみたりした辺り、心の何処かで自分は浮ついているのだろうか。
……否、そうではないだろう。きっと。恐らく恰好から気合を入れなければならない程に今の自分は、この待ち合わせを、大きな難局と見ているのだ。
数日前、連絡が来た時――本当に、人生で初めて、心臓が激しく、高鳴る音を聞いたのを覚えている。人体の構造上、有り得ない筈なのに――
「――きゃあっ!? どうしたんですか!?」
「すまん、包丁で指切った……ちょっと、包帯を……」
「失礼」
「どぅわっ!?」
――スーツの懐に入れて置いたアルコールで消毒、及び指についた血液の洗浄。アルコールでの消毒で痛みに震える患者の体を抑えつつ、密封されたパックから滅菌ガーゼを取り出し、適切な大きさにカット。傷口に当てて抑え、包帯で強めに圧迫して止血。終了。
「これで取り敢えずは大丈夫。毎日、必ず出来るだけ清潔なガーゼと取り換える事。それでも悪化するなら病院に必ず相談する事。包丁は切った食材の雑菌が付いているのでそれで切った時は万が一もあるので」
「えっ、えっ、えっ?」
「それでは」
問題はもう無いと判断し、厨房から出て、改めてテラス席に着席しなおす。やはり少し緊張しているのは間違いようだ。些かと過敏になってしまっている。治療をするにしてももう少し説明等を挟んでから、とメナングから言われていたというのに。患者が驚いて下手に抵抗するのを省ける、と言う言葉には頷く要素しかない。
席に着いてから取り敢えず落ち着こうと、一つ深呼吸でもしようか……と思った時、ふと周りが明らかに此方に注目している事に気が付いた。
何か目立つ行動をしただろうか。それとも、自分自身、何か目立つ格好をしているのだろうか。残念ながら何方にも心当たりがないのだが……
「――のう、お主医者からマフィアにでも転職したのか?」
「……っ!」
その声に、思わず席を立ちそうになって、しかしながらそうする前に、すらりと目の前に差し出された腕に動きを制された。
その手は、まるで少女の如きハリとツヤで満ちているというのに、骨格は成人した女性そのもの。アンチエイジングの範囲を軽く超えているレベルだろう。
そしてその手を辿っていた先の彼女の瞳と――目が合った。
黒く塗れている様にすら見える程に輝く髪、ぽってりと厚い唇は、つややかな紅を引かれて艶めかしく光っている。そしてその瞳は……底知れない闇に繋がっているかの様に、深く、そして潤んで見える。
俺自身、余り美醜などは分からない方ではあるが、しかし。流石に彼女が美人の類である事は理解は出来る。そして。
「――待ち合わせには些かと早いのでは。ママ」
「お主と会えるというのだからのぅ……年甲斐もなくはしゃいでしまうのも許せ」
――とても、彼女が八十代を越えた年だとは思えない。どんなに多く見積もっても二十代後半と言うのが、見た目から考えれば適切にも見えてくる。
櫛灘美雲。
パパが失った……と、私に告げていた、母。託されたあのノートから浮かび上がって来た、父の共同研究者でもある女性。
「しかし、アメリカまで来ているとは。ふふ、一影の奴めに付いて行くと急に言い出さねばならなかったのは恥ずかしかったぞ?」
そして。
殺人、旧き武術の形を貴ぶ影の武術集団『闇』。その中でも無手を得手とする者達の頂点に立つ武人達。一影九拳。その一角に座る御人でもある。
「――やはり、ミスター・志波を襲ったのはアナタ方でしたか。闇の一影からの誘いを断って戦闘になったと彼は言っていたので」
「ふむ。あの男、お主の患者となっていたか……眼は少なくとも使い物にならずとも、足は大丈夫そうじゃな。運の良い奴」
「目も必ず治療します――視力を取り戻す方法も、ある筈ですので」
彼女が俺に連絡を取って来たのは、アメリカに到着して暫く経った時の事だった。俺が普段使いしている携帯電話の番号に、ある日無造作にかかって来た。要件はただ一つ。会って話がしたい、との事だった。
俺に――断る理由は存在しなかったので、今、自分が居る場所を伝え、そこから詳細な日程を詰めて……こうして、顔を合わせる運びとなった。
メナングにティダードの駐屯地や、ミスター・志波の事を任せてしまったのは、少々と心苦しくはあるのだが。今回ばかりは、頼らせてもらった。
「ふふふ、そうか……しかし、意外ではあったな」
「何がですか」
「お主は、イーグルを殺した儂を見ておるはず。だというのに」
「動揺も、激昂もしない、ですか」
「うむ。率直に言えばな」
断る理由……あるとすれば、パパの事だ。
確かに目の前の女性がパパの仇である事に間違いはない。俺はパパを奪われた側であり彼女を糾弾する理由はある。
そして俺自身、目の前のママに全く思う所が無いか、と言われれば。無いというのは嘘になってしまう。しかし。
「――理由は、三つほど」
「ほう?」
「一つ。ママは間違いなく、俺とパパを愛していた。そしてパパもまた、ママを。それがあのノートには記されて居ました。殺されて尚、パパに後悔はなかった。パパを真に弔うのであれば、糾弾するのはお門違いでしょう。それは最早、俺のワガママだ」
パパは、先ず俺がママへの復讐を願うなど考えてすら居なかった。寧ろノートの中で書いている事が本当なら、パパはママに殺される事すら覚悟の上だったのだ。
闇の中に居る彼女は、自分とは大きく生き方が違う。表に引きずり出せなかったならば彼女の流儀に倣う事こそが自分の愛だ――と。
単純な話、パパはママにベタ惚れで。そんな二人が出した結論が『アレ』なら、俺がそこにどうこう言うのは、決して許される事ではないのだ。それは二人の思いも何もかも踏みにじる事になる。そして……
「二つ。俺は、医者です」
「うむ。そうであるな」
「俺にも信念がある。患者を放って自分の感傷の為に貴女を糾弾する事に時間はかけられない。嘗て誓った事を曲げない。それだけは決まっています」
それは居なくなった貴女への誓いでもあった――とは、敢えて口には出さない。死者だと思い込んでいた目の前の人への、非常に勝手な思いに過ぎない。彼女にそれを伝えるのは余りにも身勝手だろう。
まぁそれは兎も角。
暇が無いのだ、俺には。そんな事をしている暇があるなら兎も角患者を救わねばならない。メナングの助けもあり、多くの患者に手が届いて助けられている現状を崩す必要は一切ない。
「そして三つ目は……一つ目と似てはいますが、俺も、ママを……ママとして、慕って居ますから」
「……ほう、ほうほうほう?」
「ですから、貴女を責めるような真似は私はしない」
例え。パパをママが殺したとしても。そこには間違いなく『愛』と呼べるものがあったのであれば。自分を生んでくれた母を慕うのは可笑しな話ではない。もし、ママが情など不要と、弟子ですら利用し自らの望む物へ邁進する、パパが出会った
生涯でただ一度、俺は医者としての立場を捨て、この人を討ち取る為に全てを尽くす事すらしたかもしれないが。
「……パパは、『もし彼女がもう一度自分の前に現れたならば、それは愛ゆえだ』と、書き残して居ました。パパは自分を殺しにママが来た時点で、自分への愛情が冷めていない事を確信していたのです」
「――そうか、そうか。イーグルがその様な事をのう」
「えぇ。ですから、俺は。ママとして貴方を純粋に慕う事にしました。貴女が俺を愛してくれているのですから、俺も貴女を愛したい」
……出来る限りの気持ちを真っ直ぐ伝えた積りなのだが、何故そんなに顔を伏せているのかが分からない。こう言う事を言う事に慣れていないのだが、やはり変な事をしてしまったのだろうか。
「……全く、お主といいあやつといい、なんとも真っ向から気持ちをぶつけてくれる」
「ママ?」
「この儂が。赤面するなど……全く、全く」
何か怒らせるような事を言ってしまっただろうか。なんだか顔が赤いのだが。しかしそれも束の間、直ぐに元の涼やかな顔に戻ってくれた。どうやら寛大な心で許してくれたようだった。うむ。良かった。
「だが、そう言って貰えるなら、儂としても嬉しい……愛しい我が子に憎まれているというのは、それはそれで好ましくはあるが」
「好ましいのですか」
「うむ。だが、やはりキチンと愛されているのが最も良い」
……先ほどまで怒っていたとは思えない程に機嫌が良さそうなのを見るに、ママは想像していたのとは違い、気性の移り変わりが存外激しい性格なのかと思ってしまう。
「――のう、ホーク」
「なんでしょうか」
「儂は、愛しいお主を傷つけるのを好まぬ。故に、じゃ……儂の頼みを聞いてくれんか」
「内容にも寄ります」
そんなママが次に浮かべたのは……とても、優しい表情だった。僅かに目じりを下げた本当に僅かだけど、優しい笑顔。俺の乏しい感性で言うのであれば、母が子に浮かべる慈愛の表情というのは、こんな感じなのではないかと思う。
……やはりこの人は、俺のママなのだと思う。例えその手が血に濡れて居ようと、それはきっと変わらない。槍月だってそうだ。殺人拳であろうと、情が無いとは限らない。きっとこれは、俺が『どちら』であろうと身近に触れて来たからこそ、そう考えられるのだろうが。
「ノートを、儂におくれ」
「ノート。というと、パパの」
「そうじゃ……イーグルの書き記したもの。闇で学んだ医療技術に加え、儂の下で学んだ櫛灘流の多くの技術、そして奴が二十数年の間に集積した知識の数々が詰め込まれた。医に携わる者であれば、垂涎モノの一冊よ。それを――闇は、欲しておる」
そしてママは俺達を愛していたからこそ、パパの事を良く知っている。ノートの事もきっとパパと一緒に居た頃に多くを知った。何せ、パパのたった一人の『共同研究者』だ。
同時に、ママが俺に連絡を取って来た理由も何となく察しが付いた。
きっとママは『交渉役』として此処に向けられたのだ。パパが書き上げた執念の一冊を俺の手元から闇へと持ち帰るための。
「闇の者らはそれを『鷲の巻』と呼んで大層欲しがっている。今はまだ本格的に手を出してはおらぬがしかし、これから先の動乱の最中に間違いなく手を伸ばして来る。お主に」
「……それについては、既にお答えしたはずでは」
「分かっている。しかし儂も人の親。我が子を無為に傷つけたい訳ではない。守りたいと思うておる。それを預けてくれれば、儂が向こうに話を付けよう。だから、イーグルの遺してくれたノートを、儂に」
そう言って此方へと、ゆっくりと手を伸ばすママ。目を潤ませて。
なんというか、それは。
「――白々しい事を」
「……」
「渡してくれ、等と。そんな積りも欠片も無いでしょうに。本当に貴女が欲しいなら、私から奪い取る位はもうしていると思いますが」
きょとん、とした表情をしているが、そんな事では誤魔化されない。
溜息一つ吐いて、少し呆れてしまう。猿芝居と言うか。確かに私に向けられるその表情には、些かと『迫力』が足りない。『真剣さ』とでも言うべきか。というか、私に向けて伸ばしている手は、まるで犬にお手でも求めているような気軽さでダランとテーブルに置かれている。
「というか、そもそもママがそれを受け取った、として。渡しますか。『闇』に」
「そりゃあ、儂も闇の武人であるからなぁ」
「ないでしょう。ママ、欲深いとの事ですので」
そう言いきって、ママの目を見つめ返す。
そうしたまま、しばしの間、双方沈黙の時間が続く。ここで何かしら圧力が漏れ出すならば俺の想定が間違っていた事になるが……
どうやら、そこまで俺は馬鹿では無かったらしい。
――ママの目は、
「ふく、くくくくくくくく」
「……」
「いい。いいのぅ。はぁ、儂の子、良く育ち過ぎではないか。こんなに美味しそうに実っておると、ダメじゃ……もぎ取ってしまいそうになる」
冷静で、落ち着いて、完璧な武人としての顔。それがまるで、熱に晒された飴細工のようにドロドロになり果てて、ぺろり、と舌で笑いに象られた唇を撫でている。
今、この人に触れれば、その溶けた体に飲み込まれて、きっと取り込まれてしまうだろう……そんな錯覚を覚えてしまった。
否、もう取り込まれているのだろうか。俺は今、自分の周りに、千手の如き手の幻覚を見ている。それは砕くのではなく、優しく、自分の胸の内に掻き抱く様に、俺の周り全てを取り囲んでいるのだ。
「正解、正解だとも。あやつと貯えた全ての知は此処にある……だがそれはそれとしてそのノートは欲しい、奴の形見だからのう」
「でしょうね」
「だが愛しい愛しい息子からそれを取り上げる程、儂も狭量ではない。一応、一影の奴がうるさいから言うだけは言うただけ。お主と話す為の、良いきっかけにもなった」
「そうですか」
「それに……本当に欲しいのであれば、お主と一緒にというのが、一番であろう?」
無造作に。
逃げ場を無くしてから、ママの手が此方に伸びてくる。我が子の頭を撫でるように。本当に、当たり前の事をする様に。
「どこにもやらぬ」
「……」
「お主は、儂の下で微睡む。何者にも見せぬ。そうなる。そうする。今、そう決めた」
細い、華奢な手。だが俺にはそれが、泰山にも匹敵する巨人の掌にすら見えてくる。捕まれば二度と逃げ出せまい――だが。
「――ッ!!」
その手を――掴み取った。
途端に、頭の何処かで、何かが弾けた様な音がした気がした。鼻から、熱い物がしたたり落ちていくのを感じる。掴んだ腕先は震えている。
代償は大きい。だが……辛うじて、掴み取った。
「――ほう?」
「ぱ、ぱの……のーと、にはおおく、の……ハァッ、ちしき、が…………蓄えて、ありました」
揺れる視界と意識を、辛うじて繋ぎ止め、何とか立て直す。やはり格が違う。今の一撃は間違いなく『本気』の一撃だった。俺を完全に詰み将棋の袋小路に追い込んで、逃がさない包囲網。
そこからなんとか、止められたのは……ママにとって、初見の技能があったからだろう。
「その内の、一つ。動の気を、静の気の様に運用する技術……二つの気の同時運用より着想を得たこの技術は、感覚を昂らせるのではなく、静かに研ぎ澄ませる事で……相手の音を、温度を、信号を、感知するまでに……鋭敏化、させる、技術」
「――先を読むのではなく、人間そのものを『診る』技術か」
「単純な、攻撃性は、落ちますが……その分、相手への、対応、つまり『防御』に特化した『動』の気の運用……それを最大運用すれば、この様なことも……そして、患者の体をよく、観察する事も、出来ます」
そして、その技能は。誰かを救うために。患者の為に。ありとあらゆる技術からパパが見出した『可能性』から生まれた。この可能性を、俺は『悪意』ある誰にも渡してはいけないのだ。
もしこの知識がママに渡ればどうなるか。そんな物は分かり切っている。
渡す訳が無い。誰にも。パパと一緒に研鑽したその技術を。誰にも。ママは、パパが惚れさせるまでは、ただ一人で、只管に武術と向き合ってきた。どのような方法を用いても構わぬ、と。
その無限とも思える時間の最中、他にも愛情を向けた相手は恐らくは居たのだろう。しかしある『一線』を越えた事は無かったのではないか。それは、体の関係などではなく、心という一点に置いて。パパは……その『一線』を越えさせた。
その結果、どうなったのか。恐らくは、ママの執着は既に『過去』のソレを遥かに超えた未知の領域に至っている。俺も、パパも、パパの遺した技術も……すべてすべて、深い海の底に沈めてしまうが如く。自分の中に封印してしまうほどに。
「――俺は、患者を救う。まだ、その夢を、追いかけ続ける」
「故に、まだ儂の下では微睡まぬ、と?」
「はい。絶対に……」
「……口惜しいのう。これから先の闇の動乱、愛しい我が子が関わらぬように、守ってやる良いチャンスだったというのに。全く」
そうだ。今、こうして、目の前に患者がいるのだから。
先ずその人を見捨てて、眠りにつくような真似を、してたまるか……!!!
「少なくとも、俺は
「――そうか。であれば、お主を囲う期は幾らでもある、か。楽しみにしておるぞ、ホーク……儂の元へ、また元気な顔を見せておくれ」
一応、時間軸的にはメナング君がティダードの事を知る前の時間、『ホモ君が誰かに会いに行っていた』時の事です。
と言う事で、これにて本編に繋がる全ての断章はおしまい。
次回更新があれば、本編に入ります。若しくは疾走します(前提条件)
また何時か、暇が在ったらお会いしましょう。
最後になりますが。
深淵魚様、ヴァイト様、MAXIM様、savant様、メソポタ味噌様、ニワカファン様、典善様、ちょっとした猫好き様、frederica様、かにしゅりんぷ様、ちっそ様、weekend様、アカギ様
誤字報告、本当にありがとナス!!!