◆◆◆◆◆
刀鍛冶の里から蝶屋敷に帰って来て数日経ったが、本当に鬼による被害が激減しているらしく、任務は一度も入って来なかったし、そして新たに蝶屋敷に運び込まれて来る人も居なかった。
前から療養中だった隊士たちもその数日間で無事に機能回復を終えて蝶屋敷を離れて行ったので。蝶屋敷に滞在中の隊士は、禰豆子の事もある為あまり各地をウロウロとする訳にはいかない炭治郎たち位である。
何時も引っ切り無しに訪れる負傷者たちの看護に大忙しだったアオイたちにとっては、久方振りにゆっくりと出来る時間が訪れたのかもしれない。
まあ、炭治郎たちが居るので、蝶屋敷が賑やかである事には変わりないのだけれども。
任務が無い今が好機だとばかりに鍛錬に精を出す炭治郎と伊之助に混じって、カナヲもそこに加わっている他に、善逸と獪岳も炭治郎に引っ張られる様にその鍛錬に参加している。
上弦の鬼と直接戦ってそれを討ち取った事が大きな経験になったのか、炭治郎たちの鍛錬は前にも増してより一層激しくなっている。
特に、直接的には上弦の頸を落とせなかった事が相当に悔しかったのか、伊之助の意気込みは並々ならぬものである。
「今度会ったら絶対に俺が頸を落とす!」と猪頭の下で鼻息をフンスフンスと荒くしながらそう宣言する程であった。
お館様の予想通りにいけば、後半年もしない内に鬼舞辻無惨との決戦が訪れる。
なら、それまでに出来る限り鍛えておくのは、今出来る唯一の備えであるのだろう。
炭治郎たちに頼まれて手合わせの相手をしつつ、今の自分に出来る事は何だろうかと考える。
上弦の肆を炭治郎たちが討つ事が出来たと言うそれは、相性の問題があったにせよ間違いなく快挙であり、自分がその場に居なくても上弦の鬼を討つ事は出来るのだと示していた。
今回の戦いでは同時に二ヶ所を襲撃された為、炭治郎たちを助けに行く事は叶わなかったのだが、しかし炭治郎たちは自分たちの力でその強大な敵を乗り切って見せたのだ。
甘露寺さんと宇随さんの救援があったからこそであるのは確かだが、そもそも二人が間に合うまで誰一人命を落とす事無く戦えていた時点で、炭治郎たちがどれ程強くなったのかを示している。
かつて無限列車の鬼を討伐した後で上弦の参と遭遇したその時には、その場を動く事すらままならなかったと言う炭治郎が、ほんの三ヶ月程度で無惨の血によって更に強化された上弦の肆の頸を落とすまでに成長出来た。それは本当に凄い事であるし、並々ならぬ炭治郎の努力の結果であるのだろう。
炭治郎が言うに、刀鍛冶の里に滞在している間に無一郎と共に鍛錬したり手合わせしたりしていた事が、自分の力を高める事に繋がったのだそうだ。
柱の中でも天賦の剣才を持つと言われる無一郎の指導は、容赦が無かったけれど非常に的確で。細かな動きの無駄な部分などを徹底的に潰された上に、矯正された動きが意識せずとも出来る様に反復し続けた事も大きかったのだとか。
柱の様に凄い人に稽古を付けて貰えるのは、成長するのにこれ以上に無い環境であったと言う事なのかもしれない。
本来、柱は多忙を極めているから、直弟子である継子の様な者たちを除けば、隊士たち一人一人に稽古を付けたり成長の為に特訓を課したりする余力は無いのだけれども。
鬼の出没が激減した今なら、もしかしてその余力が生まれているのではないだろうか?
……刀鍛冶の里での無一郎と炭治郎たちの様に、柱の人たちが隊士たちを鍛え上げる事が出来れば、鬼殺隊全体の強さが底上げされるだろうし、来る最終決戦の際に犠牲になる人が少しでも減るのではないだろうか……と思う。
とは言え、それを決めるのは柱の人たちであり、お館様なのだけれども。
結局の所、今の自分に出来るのは炭治郎たちが強くなるのを少しでも手助けする事くらいであるのだろう。
ならば、少しでも炭治郎たちの力にならなくては。
恐らく、いや確実に。鬼舞辻無惨との決戦の際には、今も残っているのだろう上弦の壱たちと戦う必要がある。
上弦の壱から参の三体が一度に襲ってくるのも厄介ではあるけれど。
一番不味いのは、各々に分断されて戦わざるを得なくなる事だ。
未知の強さになっているだろう童磨は当然の事ながら、黒死牟も猗窩座も、単独で倒せる様な相手では無い。
特に、黒死牟があの予備動作すら不要な斬撃を乱発して来た場合、柱程の実力があったとしても戦い続けるのは相当難しいだろう。間合いも何もあったものじゃ無くなるのだから。頸を落とす為にはどうしたって接近しなければならない剣士にとっては、あの斬撃の嵐は致命的なんて言葉では片付けられない程に対処困難であろう。
一度でも掠っただけでその部分が泣き別れになるのだ。
手足が飛ぶだけで済めばまだ良い方で、胴などを掠りでもしたらその時点で即死しかねない。
あの斬撃は普通の防御で凌げるものでは無く、基本的に全部避けるか弾くしか出来ない攻撃であった。
誰が戦う事になるにしろ、あの斬撃を全て見切るなり察知するなりして、一撃たりとも掠らせる事無く回避出来る力が無ければ話にもならないだろう。
そうでなければただ屍を積み上げるだけの結果になってしまう。流石にその場に居合わせなければ、『ボディーバリアー』でダメージを肩代わりする事は出来ないのだから。
『マガツマンダラ』による精神攻撃が有効であった事を考えると、精神的な揺さぶりは有効なのかもしれないが。それは虎の尾を踏み竜の逆鱗を砕く結果にもなりかねないので、諸刃の剣でもあるのだろう。
縁壱さんに強い執着を懐いている様だったので、そこから何か揺さぶりをかける事が出来れば良いのかもしれないけれど……。しかし流石に、二度戦っただけの相手でしかない事もあって、その内面に何を抱えているのかは分からない。
縁壱さんに対し抱えている感情が、憎悪の様なものであるのか或いは愛情の様なものであるのかも。
『マガツマンダラ』の闇の中で黒死牟と猗窩座が一体何を見たのかを知る術は無い。
……精神的な揺さぶりが有効なのは、恐らくは黒死牟よりも猗窩座の方であるのだろう。
狂乱の中で猗窩座が叫んでいた人の名前は、かつて人であった頃の猗窩座にとっての大切な人の名である可能性は高いだろう。
一般的に、鬼になった者は人であった頃の記憶は完全に抜け落ちるか、或いは残っていても歪に欠けた物になる事が殆どであると、以前に珠世さんが言っていた。
鬼に成り立ての直後の飢餓によって理性が飛んでる状態とはまた別に、人であった頃の事を記憶に留めて置き続ける事は難しいと言う。
特に、珠世さんや禰豆子の様に鬼舞辻無惨の「呪い」を解かない限りは、鬼はその身も心も鬼舞辻無惨に支配されているも同然で。故に、その記憶も鬼舞辻無惨にとって「都合が良い」様に弄られている可能性もあるのだろう。
……まあそうでなくても、人であった頃と鬼となった後の乖離が激し過ぎて、人の心では現実を受け止められずに壊れるしかない為、一種の防衛機構として人であった頃の記憶を無意識の内に封じているのかもしれないけれど。
もし、猗窩座が人であった頃の記憶をほぼ完全に喪っている鬼であり、そしてあの『マガツマンダラ』の闇の中でその記憶を取り戻していたのだとすれば。
聞くだけで心を掻き毟る程の様々な激情を込めた声で叫んでいた人たちの名前は、猗窩座を酷く揺さぶるものであるのかもしれない。
こちらもやはり逆鱗に触れる可能性があるものだが、しかし念の為に炭治郎たちや柱の人たちにも予め教えておいた方が良いのだろう。
尋常の手段では太刀打ち出来るかどうかも怪しい程に強大な相手なのだ。切れる手札は一つでも増やすべきである。
そして猗窩座に対しては、正確に此方の動きを感知するあの力をどう掻い潜るのかも考えなくてはならない。
あの『羅針』だとか言う血鬼術でこちらの「何か」を読み取ってそれに対応して動いているのだろうけども、それが「何」であるのかは自分には分からない。
猗窩座はよく闘気だの至高の領域だのと口にしていたのでそれが関係しているのかもしれないけれど……。剣術もそうだが武術自体にそう明るい訳では無いので、一体何の事やらと言いたい所だ。
その事に関してはまた後で改めて、共に猗窩座と戦った伊之助や無一郎や煉獄さんと話して考えた方が良さそうである。
そして何よりも。
黒死牟たちを倒してそれで終わりと言う訳ではなく、寧ろ最も大切な事は鬼舞辻無惨を討ち取る事である。
しかし当然の事ながらそれは生半な事では無い。
頸を落としても殺せない以上は陽光で焼き殺すしかない訳だが、そんな事は相手は百も承知であり、夜明けが近くなればどれ程鬼舞辻無惨側に優勢であろうとも形振り構わず全力で逃走しようとするだろう。
鬼舞辻無惨の攻撃を回避し続けるだけではなく、それを陽光の当たる場所に押し留め続けるだけの力が必要であるのだが。しかし何をどうすれば止められるのかと言う問題もある。
極論、「人」の形状である事に拘っていない鬼舞辻無惨は、手足を落とされようがそこから残った肉体を自在に変形させて移動する為の新たな機構を瞬時に作り上げる事すら出来るだろう。
『赫刀』による再生阻害ですら、鬼舞辻無惨が「再生」を放棄した場合何処まで有効なのかと言う話になってしまう。
広範囲を可能な限り根こそぎ抉り続ければその逃走を阻止出来るかもしれないが……。しかしそれを維持し続けられる程に強力な攻撃を絶え間無く続けられるかどうかに関して言えばかなり難しいものがあるだろう。
基本的に、呼吸の型はどれも「頸を落とす」事に特化している。まあ、防御などに適した型などもあるから一概にそうとは言い切れないが、「とにかく大ダメージを与える」事に重きを置いた型は少ない。
広範囲を薙ぎ払ったりする型は多くの呼吸に存在するが、鬼舞辻無惨本体はあくまでも成人男性と同程度の大きさだと思われるので、そう言う攻撃が極めて有効なのかと言われるとちょっと難しいのかもしれない。
まあ、鬼との戦いとは基本的には頸を落とせば終わるので、硬い頸を落とす為の切断力などに重きを置く事は合理的であるので、そう言う方向性に特化する事は当然なのだけど。
それが却って、鬼舞辻無惨に対して最適な攻撃手段が乏しくなってしまっているのはかなり厄介な事態である。
珠世さんの、「鬼を人間に戻す薬」が完成して、それで少しでも鬼舞辻無惨を弱らせる事が出来れば良いのだけれど……。とは言え、それがどれ程の効力を持つのか分からない現状で、その薬頼みに対策を立てる訳にはいかない。
本当に、厄介極まりない相手である。
とは言え、あれやこれやと考え過ぎた所で何もかもを一度に解決出来る訳では無いのだし、中途半端になってしまう方が問題である。
今は、目の前にある出来る事ややらなければならない事をこなしていくべき段階なのであろう。
そんな風に決意も新たに皆の鍛錬に付き合っていると。
任務が無く鍛錬だけをこなす日々が何日か続いた後で。
善逸が「悠さんに一緒に付いて来て欲しい所があるんだけど」と。そう切り出してきたのであった。
◆◆◆◆◆
鬼殺隊に入る為には藤襲山で行われる最終選別で生き延びる必要があり、そしてその最終選別に行く為には一部の特殊な例を除けば育手と呼ばれる指導者役の者から呼吸や剣術の基礎を学ぶ必要がある。
育手の多くは、歳や負傷などで現役を退いた元隊士たちであるのだそうだ。
個人差は多少あるものの、入隊を希望する者は概ね育手の下で一年程度掛けて鬼殺の術を学ぶらしい。
育手は東京周辺を中心に何人も居るらしく、どんな育手の下で育ったのかによって、呼吸への習熟度なども結構まちまちであるそうだ。
ある意味、本人の資質や気質に左右される部分が多く、また育手自身の思想や実力もかなりバラバラなので、統一した規格だとかマニュアルだとかを用意出来る様なものではないからこそ、自分に相性が良い育手に出逢えるかどうかもかなり重要であるのだそうだ。
炭治郎は自分の育手であった鱗滝さんをそれはもう尊敬していて、物凄くマメに文通もしている様だし、彼の下で修業していた時代の話もかなり聞かせてくれる。
厳しいけれどとても優しくて、炭治郎にとっては第二の家族の様な相手であるらしい。
鱗滝さんの事を話す時の炭治郎は本当に嬉しそうで。その人を心から慕っているのだと言う事がよく分かる。
命懸けの戦いに向けて、文字通り命懸けにも近い修行を課されるからこそ、育手との師弟関係は非常に強いものになる事も多く。
弟子が何か不祥事を起こしたり明らかな隊律違反などを起こせば、その師匠である育手もその責を問われる程だ。
ある意味では、育手の人たちは隊士の身元保証人の様な役割も果たしているのかもしれない。
鬼殺隊に入隊する者の多くは、その経緯の関係上親類縁者などを喪っている事も多く帰る場所が無い者も少なくは無い。
そんな隊士たちにとっては、育手は単なる「師匠」という言葉で収まる様な存在では無いのだろう。
そう言った経緯もあって、自分の育手を慕う隊士は物凄く多いそうだ。
そしてその例に漏れず、善逸は自分の育手である桑島さんの事を物凄く慕っている様であった。ちなみに、その兄弟子として同じく桑島さんに師事していた獪岳も、ちょっと素直では無いが師匠の事は尊敬している様だ。
「じいちゃん」と善逸が呼び慕っているのを見ていると、ずっと独りで生きてきた善逸にとって桑島さんは初めて得た「家族」の様な存在であるのかもしれない。
ある意味では、育手とその弟子である隊士たちとの間には、ただ単に血が繋がっているだけの親類以上に強い繋がりがあると言っても良いのだろう。
獪岳が黒死牟に対して命乞いをした事や、鬼になる事も一度は了承してしまった事を知る者は少ない。
だが、その育手である桑島さんには既に知らされている。流石にそこに隠す事が出来る事では無いし、獪岳がその事をどう思うにせよ桑島さんには知る権利が当然にある。
そして、獪岳には一度ちゃんと善逸を交えて桑島さんと話し合うように、と。そう求めた事があったのだけれど。その後、あまり時間を置かずに刀鍛冶の里へ向かった事もあって、未だそれは果たせていなかった。
……まあ、今の獪岳は確実に良い方向に変わってきているのだけど、それはそれ、これはこれ、と言う話である。
そして、鬼殺の任務が入る事は暫くは無さそうだと言う事もあって、これを機に休暇を貰って二人で桑島さんの所に帰ろうと言う事になったらしい。
そんな二人と桑島さんにとって大事な話し合いの場に、自分も居合わせても良いのだろうか……? と少し思ってしまったのだが。
善逸が「じいちゃんも悠さんに会いたがっているから!」と言い切るので、ならばとその厚意に甘える様に二人と一緒に桑島さんの家を訪ねる事になったのであった。
一般的に、修行する環境を確保する為にも育手の人たちは山奥だとか人里からは少し離れた場所にその住居を構えている事が多いらしい。
例えば、炭治郎の育手である鱗滝さんは、狭霧山と言うかなり標高が高い山に住んで炭治郎を鍛え上げてくれたそうだ。
桑島さんもその例に漏れず、街や人里からは離れた場所に桃の果樹園を作りながらそこに住んでいた。
「あ、見えて来た! 悠さん! あそこだよ!!」
善逸は桑島さんの家が見えて来た事に嬉しそうな声を上げ、その歩調を早める。
少しでも早く桑島さんに会いたいのだろう。
どれ程桑島さんの事を慕っているのか、言葉にせずとも伝わって来る。
そんな善逸の反応に少し呆れつつも、獪岳もそれに続く。
少しばかり善逸の足取りよりも遅いのは、後ろめたさがやはりあるからなのだろうか?
善逸の賑やかな声に此方に気付いたのか、家の中から小柄な人影が出て来る。
義足の右足と、それを庇う様に右手で杖を突いたその人が、二人の育手である桑島さんであるのだろう。
「じいちゃーん!」
かなり大きな声でそう呼びながら、飛び付くかの様な勢いで善逸は真っ直ぐに桑島さんの下へと駆け寄る。
そんな善逸と、少しだけ離れた場所に居る獪岳に目を向けて。
桑島さんはその目を大きく見開いて二人の名を呼ぶ。
「善逸! 獪岳!!
よく……よく無事に帰って来たな……」
桑島さんの下へも、二人が上弦の肆を撃破した事は伝わっているとは思うのだけれども。しかし、二人がどの様な状態であるのかは文面からだけでは分からず、心配していたのかもしれない。
こうして、その無事な姿を見る事が出来て、きっと安心したのだろう。
二人の帰還を労うその声は、込み上げる感情によってか震えていた。
そして、此方に目を向けてきた桑島さんに、軽く会釈をする。
事前に善逸がうこぎに手紙を託しているので、自分もこうして此処を訪れる事は知っているのだろうけれど。
何せ互いに話には聞いていても、初対面の相手であるのだ。
失礼の無い様にしたいものである。
「初めまして、鳴上悠です」
「そうか、お主が善逸の言っていた……」
そう言って、桑島さんは少し驚いた様な顔をする。
善逸が手紙の中で話していたイメージと、実際に会った時の印象か何かが違っていたのだろうか?
まあ何はともあれ、積もる話もあるが取り敢えずは長旅の疲れを癒してくれとばかりに、桑島さんに居間へと通された。
善逸たちが手慣れた様子でお茶を淹れたり或いはお茶請けを用意したりしているのを手伝おうとして、二人から「座って」と言われてしまい少し手持ち無沙汰気味に二人の様子を見守っていると。
「鳴上殿、善逸と獪岳を助けて頂き、本当に何とお礼を言って良いものか分かりませんが。
我が一門は決してこの恩を忘れませぬ」
桑島さんから、物凄く畏まってお礼を言われ、しかも深々と頭を下げられて。
思わず驚いてしまう。
「いえ、その。
助けたと言っても、俺が出来た事なんて、本当に少しだけですし……。
それに、そんな風に畏まられると戸惑ってしまうので、出来れば善逸たちに接する感じで接して頂けると助かります……」
確かに二人の為に出来る事はしたけれど、そうも畏まられてしまうと物凄く戸惑ってしまうし落ち着かない。
出来れば、普通に接して欲しい。
そう思ってそれをハッキリと言葉にすると、桑島さんは逆に困った様に小さく唸ってしまった。
「ううむ……。まあ、そこまで言われては……。
では改めて。我が弟子たちを救ってくれた事に、お礼を申し上げる。
鳴上殿が居なければ、獪岳は道を踏み外してしまっていたじゃろう。
そして……善逸には辛い役目を負わせる事になっていたじゃろうな」
桑島さんのその言葉に、訪れる事は無かったその「最悪の結果」を思い浮かべる。
弟子が鬼になった責を負って、恐らく桑島さんはその命を自ら絶って。
そして、善逸は同門の弟子の責任として、鬼となった獪岳を討つ役目を負ったのだろう。……今、歩み寄りをみせている二人を見ていると、その「結果」がどれ程残酷で救いが無いものかと思ってしまう。
そうならなくて良かった。本当に、心からそう思う。
「そうならなくて良かったです、本当に。
あの日、間に合う事が出来て、本当に良かった……」
間に合う事が叶わなかった未来もあったかもしれない、そもそもあの救援要請を受ける事も出来なかった未来もあったかもしれない。
選ばなかった未来がどうなっていたのかなんて、想像する事しか出来無いけれど。
そのどれもが、善逸の心に深い傷跡を残す結果になっていただろうと思うのだ。
「……鳴上殿が獪岳を庇ってくれたから、獪岳は『やり直す』機会を得る事が出来た。
鳴上殿。獪岳を守ってくれて……その可能性を信じてくれて、本当にありがとう」
桑島さんのその言葉には、やんわりと首を横に振った。
……確かに、重い処罰を与えない様にとお館様に嘆願したのは自分だけれども。
それは、獪岳を信じたからでは無い。
「いいえ、俺が守ったんじゃ無いです。
獪岳を守ったのは、最初から最後まで善逸ですよ。
俺は善逸の願いに応えただけです。
俺が信じたのは獪岳ではなくて、獪岳の事を守りたいと願い変われる筈だと信じた善逸を信じたんです。……少なくとも、一番初めは」
今なら獪岳自身を信じて、この手を伸ばす事が出来るけれど。
あの日、黒死牟の手から助け出した直後の時点では。
自分にとって、獪岳は『善逸の大事な人』だと言う認識でしかなかった。
だからこそ、獪岳を救ったのは、他でも無く善逸だ。
善逸だけが、あの日何をしてでも獪岳を助けようと必死になって動いていた。
黒死牟の刃の下に恐怖を抱きつつもそれを踏み越える様に躊躇う事無く飛び出したあの瞬間から、善逸が獪岳を助けていたのだ。
自分は、そうやって必死になって獪岳を守ろうとした善逸の行動に引き摺られただけで。
獪岳が変わって行けたのは、間違いなく善逸の存在があったからだ。
無論、刀鍛冶の里で同じ時を過ごした炭治郎たちの存在も大きいけれど。
しかしやはり、善逸の存在が何よりも大きい。
最終的に変わる事を選んだのは獪岳自身の心だけど、そうやって変わっていけるだけの環境を用意したのは善逸なのである。
自分はただ、それを見守っていただけなのだ。
そういう意味では、獪岳は本当に「運が良かった」のだろう。
獪岳の事を心から想う善逸があの場に居合わせたからこその「結果」が今なのだから。
「しかし、やはり鳴上殿が居てくれたお陰じゃ。
善逸の想いに応えてくれたのは、間違いなく鳴上殿であるからの」
……そう言われては、それを否定は出来なかった。
善逸だけでは、確かに獪岳を助けきれなかったかもしれない。
まあ、それはもう「たられば」の話にしかならないのだけれど。
獪岳が確かに変わっていった事は、此処に帰って来た獪岳とほんの少し言葉を交わしただけでも桑島さんにはハッキリと分かったらしく。それも含めて、刀鍛冶の里での出来事に改めて礼を言われる。
それに関して自分は本当に見守っていただけなのだし。上弦の肆を討伐したそれも自分はほぼ何もしていない。純粋に善逸と獪岳と炭治郎たちの、更に言えば甘露寺さんと宇随さんの、七人の力だろう。
「……鳴上殿。その言葉通り『見守っていただけ』なのだとしても、『傍に居る』と言う事はとても難しい事じゃ。
儂も、獪岳に対してそれをしてやれたとは言えんのだろう」
だからこそ、獪岳が道を踏み誤りかけたそれを止める事が出来なかったのだろう、と。そう桑島さんは言うけれど。
しかし、それは桑島さんだけの責任だと言う訳では無いだろう。
人の心の全てを見る事は不可能だ。
獪岳が桑島さんを確かに尊敬しているからこそ、桑島さんには……桑島さんにだけには見せられない一面だってあっただろう。
それは、決して桑島さんの所為ではない。
「……桑島さんに隠していた心の部分があったのだとしても、獪岳が桑島さんの事を尊敬していたのは確かだと思いますよ」
そして、恐らく。「認められたかった」相手の中に、桑島さんも入っているのだろう。
桑島さんは既に獪岳の事を認めているとは思うけれど。
しかしどうしても見せたくない面を隠していると言う引け目からなのか、或いは自身に向けられた桑島さんのその想いをちゃんと受け止めるだけの余裕が無かったのか、それは獪岳には届かなかったのかもしれない。
……何にせよ過去を変える事は出来ないし、今の獪岳は変わってきている。ならばそれで良いのだろう。それ以上に大事なものは無い。
自分を想ってくれる誰かが確かに居る事を、今の獪岳ならばそれを受け止めて認める事も出来るだろう。この先にどう変わってくのかは獪岳次第ではあるけれど。
最初の一歩を踏み出せたのならば、そして善逸や桑島さんの様にそれを見届けてくれる人が居るのならば。きっと悪い様にはならないだろう、と。そう信じる事が出来るのだ。
善逸と獪岳が用意してくれたお茶とお茶請けを楽しみながら。
二人に優しい目を向ける桑島さんを見て、きっと良い方向に変わり続けるのだろうと、そっと微笑んだ。
◆◆◆◆◆
悠さんを連れてじいちゃんの所に帰ったのだけれど、俺たちがお茶の用意を終えた時には二人とも話は済んでいた様で、和やかにお茶を飲みながら話をしていた。
そして、少ししてから悠さんは気を利かせた様に、少し外の景色を見て来るから、三人で話をしておいて、とその場を離れる。
獪岳の事について、雷の一門としては部外者である自分が居たら話辛い事もあるのかもしれないと思ったのかもしれない。
その心遣いを有難く受け取って、俺と獪岳はじいちゃんに今までの事を話した。
俺は、最終選別を終えて最初の任務に向かった後の事を……。
悠さんと共に無限列車の任務に就いた事、遊郭で上弦の陸と戦った事。
どうしても自分に自信が無かった俺を悠さんが一緒に任務に連れて行ってくれて、そこで初めて自分を少しだけ信じる事が出来る様になった事。
そしてその矢先に、救援要請を受けて駆け付けた先で上弦の壱に命乞いをした獪岳を見付けた事。
悠さんと共に上弦の壱の前から撤退して、そしてこのままでは隊律違反として斬首されるかもしれなかった獪岳を助ける為に悠さんを頼った事。
結果として悠さんのお陰で獪岳が重い処罰を免れて、悠さんによる監視と言う処分になった事。
そして共に刀鍛冶の里に行き、悠さんや炭治郎たちと一緒に過ごした事。
里を襲撃してきた上弦の鬼たちの内上弦の肆をその場に居合わせた全員で力を合わせて討ち取った事。
前から手紙でも話していたそれらを、文面でのそれよりもう少しだけ詳しくしつつ掻い摘んで説明した。
そして、俺の言葉の後を続ける様に、今度は獪岳が自分の事を話し始めた。
任務先で偶然に上弦の壱に遭遇した事。絶対に敵わない相手を前に心が折れ、「死にたくない」と言う感情から命乞いをしてしまった事。……その結果、上弦の壱から「鬼にする」と言われ……そしてそれを自分の命惜しさに拒絶出来なかった事。
悠の取り成しのお陰で首の皮一枚の所で助かって、刀鍛冶の里に居る間に自分自身と向き合う事になった事。
……それらを口にした獪岳は、少しだけその先を言い辛そうにその先を濁す。
だが、軽く目を瞑って首を振って、そして気持ちを切り替えたのか。
意を決した様に、獪岳はその心の底に在ったものを口にする。
「俺は……ずっと『特別』になりたかった、『認められたかった』。
『生きた意味』が欲しかった、『存在の価値』が欲しかった、……それを肯定して欲しかった。
でも、どうしたらそれを満たす事が出来るのかが分からなくて、努力して認められる以外の方法が分からなくて。
……だから、俺は……。
ずっと、善逸の事を、羨んでいた」
自分がどんなに努力しても習得出来なかった壱ノ型を習得して。
自分より努力していなくても、情けない姿を見せても、それでも誰かにとっての『特別』な存在になれた……誰からも『認められている』様に獪岳の目には見えていた俺が、羨ましくて妬ましくて、そしてそれを認めたくないから否定するしかなかったのだ、と。
そう獪岳は語った。
自分の心の奥に抱え続けていた想いを吐き出したその表情は、何処かスッキリとしている様にも見える。
「死んだら終わりだとは、今でも思ってる。
生き残らなきゃ、意味は無い。
でも、『惨め』に生き続けるのは、もう嫌だ」
生き恥を晒し続け自分を何も肯定出来ないまま惨めに生き続けるのは、死ぬよりも嫌なのだ、と。
自分が『生きていても良い』と肯定出来るものを手にしたい、と。
「居場所」が欲しいのだ、と。
そうハッキリと言葉にした獪岳は、俺とは違うけれど……でも少し似ている部分もあった。
俺だって、自分を信じる為の「何か」が欲しかったし、心の中に空いている隙間を埋める様に「家族」が欲しかった。……自分を手放しに肯定出来ないが故に、その為の「証」や「何か」を求めてしまう。
その心の箱に空いた穴の大きさに差はあれど、しかし心に空いた穴を埋める為に自分以外からの「何か」を求めていたと言う意味では同じであったのかもしれない。
そして、今。それを言葉にして認める事が出来たと言う事は、獪岳はその心の穴を埋める事が出来た……変わっていく事が出来た、と言う事なのだろう。
だから、内心恐怖に震えながらでも、上弦の肆に立ち向かう事が出来た。
……『死にたくない』と思い続けているのに、身を挺してまで俺を助けようとしてくれた。
その変化は、決して大きなものではないのかもしれない。
獪岳の心には、きっとまだ埋めきれないものが沢山残っているし、この先また別の何処かで恐怖や何かに心が折られてしまう事だってあるかもしれない。
人は、急には己の心の全てを変える事は出来ない、急に何もかもを変えて強くなる事なんて誰にも出来ない。
それでも、獪岳の心に訪れた変化は、これ以上に無い程に大切で大きな一歩だと思うのだ。
俺たちの話を聞き終えたじいちゃんは、大きな溜息を吐いて。
そして、ポカリと俺の頭を叩いた。
修行中に散々叩かれた時のそれに比べれば、全然痛くない優しい強さだったけど。
でも何で? 何で俺の方を叩くの?
思わず、ビックリしてじいちゃんの方を見てしまう。
横の獪岳も、予想外だったのか唖然とした様な顔をした。
そして、今度はそんな獪岳の頭を、じいちゃんはゴチンと音がする強さで叩く。
獪岳はずっと「良い子ちゃん」で、じいちゃんの手を煩わせる様な事なんて無かったし、ずっと直向きに努力し続けていたのはじいちゃんも知っていたから獪岳が壱ノ型を習得出来なかった時もそれを怒る様な事は無かった。
なのでもしかしたら初めて、獪岳はじいちゃんに殴られたのかもしれない。
じいちゃんに叩かれた所をちょっと痛そうに抑えながら、更なる叱責を予想してか獪岳は身を震わせる。
だけれども、じいちゃんはそんな獪岳を、横に座っている俺の事もまとめて抱き締めた。
「すまんかった……。すまんかったのぅ。
儂が気付いてやれれば良かったのかもしれん。
だが、お前たちが生きていて、本当に良かった……」
そう言って、それ以上は言葉を無くした様に身体を震わせるじいちゃんの姿を、俺たちが見るのは初めてで。
獪岳は戸惑い狼狽える様に、「先生の所為では……」と言葉にするが、その先を言う前に、より強い力で抱き締められてそれ以上は何も言えなくなる。
俺たちが生きていて良かった、と。
上弦の肆や壱を相手に、俺たちが生きて帰って来る事が出来て本当に良かった、と。
そう何度も言葉にするじいちゃんが、俺たちの事をどう想っていてくれているのかなんて、例え獪岳がどんなに捻くれていたとしても、理解するしかない程であった。
じいちゃんとの話を終えて、里の方へ向かうにも距離があるので、今日はじいちゃんの所に泊まる事になって。
昔の様に、じいちゃんと獪岳と一緒に夕食を食べるのだが、今日はそこに悠さんも加わるので、昔よりももっと楽しい時間になった。
夕食を食べ終えて、鬼殺の任務が来ていないかを念の為に確かめて。
そして、鬼殺の任務が無くなってから何日目かの夜を過ごす。
ほんの数ヶ月前まで此処で暮らしていたから、じいちゃんの家はやっぱり落ち着く場所で。
独りぼっちではない夜は、やっぱりどうしても安心する。
まあ此処を出てからも、炭治郎たちに出逢ってからは、独りぼっちで寝なければならなかった夜の方が少ないのだけれど。
そして……。
「あの、悠さん。
俺、悠さんに謝らなきゃいけない事があって……」
夜も少し暑くなってきているからか、夜風に涼む様に縁側に出て、そして夜空にかかる月を見上げていた悠さんにそう声を掛けると。
一体どうかしたのか? とばかりに俺を見詰めた悠さんは、少し首を傾げた。
「俺、前に悠さんに、獪岳の事を助けて欲しいって頼んだ時に、『神様』って言っちゃって。
あの時は本当に必死だったけど、でも、悠さんはそんな風に呼ばれる事を嫌がっているのを俺は知っていたのに。
謝んなきゃってずっと思ってたのに、今まで全然謝れてなくて。
それに獪岳の事も、悠さんに押し付ける様にしてしまって。
本当にごめんなさい」
そう言うと、少し驚いた様に目を丸くした悠さんは何度か瞬いて、そして、柔らかな微笑みを浮かべた。
「良いよ、善逸。
あの時の善逸が必死だったのは分かっているから。
だから、そう気にするな。
それに、俺は善逸の『願い』を叶える事が出来て、嬉しいんだ」
そう言って微笑む悠さんの言葉に、そしてその胸から聞こえる音は穏やかで偽りの無いもので。それが本心からの言葉だと分かる。
本当に優しい人なんだな、と。そう心から思う。
「……此処は、善逸にとって『帰るべき場所』なんだな」
その言葉に頷いた俺に、悠さんはより一層優しい眼差しを向けるのであった。
◆◆◆◆◆
【鳴上悠】
この世界での「家」の様な場所は蝶屋敷だけれど、悠の『帰るべき場所』はこの世界には無い。
ちなみに、最終選別の仕組みに関しては、もうちょっと上手いやり方はなかったのかなぁ……と思っている。沢山の子供たちが命を落としてしまうのはとても哀しい。
【我妻善逸】
じいちゃんにポコっと叩かれたのは、自分が背負いきれない分を悠に投げたから。
自分にとっての「帰る場所」を再確認する。
【獪岳】
自分の胸に溜まっていた想いを打ち明けた。
そしたら初めて桑島さんに叩かれた。結構痛かったけど、でも嫌では無かった。
翌朝、柱稽古開催のお知らせを受け取る事になる。
【桑島慈悟郎】
獪岳の事に関しては、もっとちゃんと言葉にして伝えてあげるべきだっただろうか、と少し後悔している。
【猗窩座】
無惨が頑張って修理している最中だが、まだ時間がかかりそう。
悠によって『恋雪さん』・『師範』・『親父』などの、記憶の鍵を爆破する為の単語が炭治郎たちと柱全員に伝えられる模様。