◆◆◆◆◆
柱稽古の初日がいよいよ明日に迫り、炭治郎たちは第一の試練を課してくれる宇髄さんの下へと旅立っていった。
柱稽古に冨岡さんも加わった事で全部で八つの試練になった訳なのだが、全部の修行を終えるまでにどんなに速くても一ヶ月近くはかかるそうで、想像するだけでも物凄く大変そうだ……。まあ、己を鍛える事に物凄く前向きな炭治郎と、そして力比べが大好きな伊之助は物凄くウキウキとした様子で蝶屋敷を後にしたのだけれども。
善逸と獪岳は桑島さんの所から直接宇髄さんの所へ向かうそうだ。善逸が手紙でそう教えてくれた。
ただ少し気掛かりなのが、柱稽古の知らせを受け取ってから獪岳の様子がちょっと変だったそうなのだが……。
自分も柱稽古の期間中は柱の人たちの下を順に訪れる事になっているので、何処かで獪岳に会ったら少し話を聞いてみるべきだろうか……。
まあそんな風にちょっと気掛かりな事はあるが、柱稽古の開催にあたっては概ね問題無く進んだ様だ。
それはそうと、鬼殺隊の全隊士と言っても良い数の人間が一気に宇髄さんの所に一旦集まる事になるので、今日から少しの間は宇髄さんの所は中々大変な事になっていそうだ。
まあそれもあってか、宇髄さんは「自分の所に来るのはちょっと後回しにしても良いぞ」と言っていたのだろうけれど。
そして……明日の朝にも柱稽古自体は問題なく始まりそうなのだけど。
チラリと、横を見ると。
相変わらずしのぶさんは、ぱっと見は微笑みを浮かべているけれど、それはもう苛立ちと言うのか怒りと言うのか……そう言った感情が全く隠れていない様子である。
空気がずっと張り詰めている様にすら感じる程だ。
まあ……それも無理からぬ事ではあるのだろうけれど。
お館様から珠世さんに対して鬼舞辻無惨討滅の為の協力の誘いが送られて少し時間が経って、産屋敷邸に珠世さんたちの為の研究場所の準備が完全に整った事で、珠世さんたちがその研究拠点を産屋敷邸に移す事になったのだが……。
その研究に関して、鬼殺隊側の鬼に対する薬物などの研究の専門家であるしのぶさんの協力も要請されたのだ。要は共同研究というやつである。
鬼を人に戻す為の薬を探求する珠世さんの研究内容と、鬼にとっての致死的な毒物を探求するしのぶさんの研究内容は方向性が同じでは無いが故に、二人で研究すればお互いに更なる飛躍も見込めるのではないか……というお館様の「先見の明」による提案で、まあそれは確かにそうなのだけれど……。
しかしそこで「はいそうですね」とは中々頷けないのもまた事実なのだ。
珠世さん自身は、こうして鬼殺隊と本格的に手を組む事を選んだ時点で、鬼殺隊側と共同研究する事に否は無いだろうけど、しのぶさんはそうはいかない。
そもそも、姉の仇である童磨だけではなく、鬼と言う存在その物を心から憎悪しているしのぶさんにとって、鬼との共同研究などまさに青天の霹靂にも等しいもので。
珠世さんの様な鬼の存在を全く知らなかったし想定した事も無かった為か、物凄く不信感を懐いている様であった。
更には、しのぶさんの与り知らぬ所で自分や炭治郎が珠世さんと交流を持っていた事に、そして珠世さんへの不信感を露にするしのぶさんに珠世さんが信頼出来る相手である事を頑張って説明した所、完全に逆効果になってしまってますます不機嫌にさせてしまった。
まあ、感情面で納得がいかなくても、そうした方がより鬼殺に役立つし鬼舞辻無惨を討ち滅ぼす為の力になる事は分かっていたからなのか、しのぶさんはその提案を最終的に飲んだのだけど……。
「悠くんはもっと危機感を持つべきですよ? 分かってますか?
どんなに優しい風貌をしていようと、或いは態度が誠実に見えようと、そんなものは幾らでも装う事が出来るものなんですよ? 鬼であろうとも。
悠くんはちょっとお人好しが過ぎますし、直ぐに信じ過ぎです。
悠くんを利用しようとしている者が、皆悪意ある顔で近付いてくる訳じゃないんですよ?」
「確かにそれはそうですが……。珠世さんはそんな人じゃないですよ。
炭治郎の事も、禰豆子ちゃんの事も、心から心配して助けようとしてくれる人ですし。
それに、珠世さんにとってはきっと、害になるのか益があるのかも分からない得体の知れない存在だったのに、俺に会おうとしてくれた誠実な人です」
そんな事を言うしのぶさんに、珠世さんはそんな人ではない事を説明する。
もうこんなやり取りを五回以上はしている気がするな……。
しのぶさんは、珠世さんに不信感を隠せない様で、自分が珠世さんに操られると言うか騙されて良い様に扱われているのではないかと疑っている様だ。
禰豆子を人に戻す薬を研究開発する為に十二鬼月の血を集めていた事も説明すると、お人好し過ぎるだとか危機感をもっと持てだとかと怒られた。
十二鬼月の血を集めるだなんて事は本来無謀の極みにも近いものだった事も、しのぶさんとしては珠世さんに対して不信感を募らせる結果になってしまったのかもしれない。
正直それに関しては、炭治郎の力になりたいからと自分が勝手に押し通させて貰った様なものなのだけど……。
だが事実はそうであるのだとしても、自分が珠世さんの事を説明すればする程どんどんしのぶさんの中で拗れていってる気がする……。
いや、それはしのぶさんが心から此方を案じてくれているからなのは分かるのだけど……。話が並行線を辿ってしまっている気がするのだ。ちょっとどうしたら良いのか分からない。
そして、こんな調子で珠世さんへの嫌悪感やら不信感やらが蓄積した状態で珠世さんと顔を合わせたら……正確には確実に一緒に居るだろう愈史郎さんがそれを見たら……。確実に起こるだろう一悶着を思って、思わず溜息が零れてしまいそうだった。
しのぶさんと珠世さんの共同研究の目標は、上弦の鬼及び鬼舞辻無惨を弱体化させる事が出来る薬品の開発だ。
それは、珠世さんが作り出そうとして実現がもう時間の問題にまで至った「鬼を人に戻す薬」であったり、しのぶさんが藤の花の毒を中心に作り出している「鬼を殺す薬」であったり、或いはそれ以外にも。
とにかく一つでも多く鬼舞辻無惨たちに対して切る事が出来る切り札を作り出す事が目的だ。
鬼舞辻無惨をどんな手段を用いてでもこの世から抹消したい珠世さんも、この世から鬼と言う存在を消し去りたいしのぶさんも。
鬼舞辻無惨を討ち滅ぼすと言う目標は同じなのに、珠世さんが鬼であるからこそ何の蟠りも無く……というのは難しい。
しのぶさんが鬼である禰豆子を許容しているのは、禰豆子が本当に一度たりとも人を喰った事が無く血を飲んだ事も無いからである。陽光を克服してからも人にそう言った欲求を向ける気配が無い事も大いに関係しているのだろう。
……しかし、ほんの少量の血を飲むだけで事足りる愈史郎さんはともかく、もう数百年は人を襲っていないのだとしてもかつては人食いの鬼であった珠世さんを、しのぶさんは理屈の上ではともかく感情では受け入れ難いのだ。
冨岡さんの問題が解決を見せて、これで柱稽古も問題無く始まるだろうと安心していたその最中に、仏壇を前に今は亡きカナエさんに物凄く語り掛けているしのぶさんの姿を見掛けた時は、どう見ても物凄くストレスを抱えているのが明白なその様子に本当に焦ったものだ……。
まあ、何があったのか訊ねて事の次第を知った後で、しのぶさんに珠世さんとの関係を吐かされて怒られたのだけど。
まあしのぶさんがそんな感じで物凄く感情的に難しい状態になってしまったので、この先一緒に研究するのだから最初の顔合わせの時点から大きな問題を起こさない様に、と。万が一の際の仲裁なども含めて、取り敢えず二人が初めて顔を合わせる事になる今日くらいはしのぶさんと一緒に居る事になったのだ。
日が沈み、暫くして。
珠世さんと愈史郎さんが産屋敷邸へとやって来た。
鬼殺隊の本部とも言えるこの場所で珠世さんにお会いすると言うのも何だか不思議な感じがするものである。
部屋に入ってくるなり、珠世さんは完璧な所作でそっと頭を下げた。
「初めまして、珠世と申します。此方は愈史郎です」
「……ふんっ」
愈史郎さんは早速しのぶさんの敵意に気付いたのか、不信も露にお世辞にも良いとは言えない態度を取る。
それを見たしのぶさんに、また苛立ちが蓄積したのを感じる。
まだ何も始まっていないのに、既に雰囲気が険悪過ぎる……。
正確には、しのぶさんと愈史郎さんの間で主に火花が散っているのだが……。
「ええ、初めまして。鬼殺隊の蟲柱を務めている胡蝶しのぶです。
悠くんが随分とお世話になっていた様で……」
「世話だと? ……全くだ。
そこの鳴上は珠世様のお手を煩わせたばかりか、こんな風に身を危険に晒す様な真似をさせたんだからな」
「こら、愈史郎! 何て事を言うんですか!」
しのぶさんの刺々しさを感じる言葉に、珠世さんへの敵意を感じた愈史郎さんは、それに反応する様に刺々しい対応をする。
その途端にしのぶさんから感じる圧が増し、そして珠世さんが愈史郎さんを叱る。
愈史郎さんは何時もの様に謝るのだが、欠片も悪いとは思ってないのが物凄く分かる。強いて言えば珠世さんに注意させてしまった事は気にしてるかもしれないが。
挨拶の段階から既に前途多難な状態である。
いや……珠世さん自身はそんな態度では無いのだけど……。
「珠世さん、愈史郎さん。
こうしてお会いするのはお久しぶりです。
俺と炭治郎の急なお願いを聞いて下さって……俺たちの事を信じて下さって本当にありがとうございます。
鬼たちが姿を隠している今、鬼舞辻無惨との決戦の時まで俺がお二人の為に出来る事はそう多くはないかもしれませんが。
出来る限りの事はしたいので、何かあったら何時でも言って下さいね」
産屋敷邸に居ない時でも鎹鴉に手紙などを託せば必ず受け取って駆け付けるから、と。そう珠世さんと愈史郎さんに言うと。
横のしのぶさんから感じる圧が更に増した。……何故。
「悠くん? 私の言ってた事をちゃんと聞いていましたか?」
「勿論ですよ、しのぶさん。
でも、珠世さんたちはしのぶさんが心配する様な人たちじゃないんですって、本当に。
……愈史郎さんも、珠世さんの事が本当に大切なだけで、俺をどうこうしたいと言う訳では無いですし」
お人好しを振り撒くのは止めろと言ったでしょう? 、とでも言いた気な顔を向けられて。それを忘れた訳では無いのだけど、そもそも珠世さんはそんな風に警戒しなければならない人たちでは無いのだと説明する。
第一、無理を言ってこうして此処まで来て貰っている様なものなのだ。一方的な要求や搾取ではないけど、それはそれとして鬼殺隊の本部とも言える場所にある意味二人っきりで孤立無援にも等しい状況なのだ。
仕方ない事ではあるけれど、ならばせめて、二人をこうしてここに連れて来てしまったにも等しい自分は、少しでも安らかな気分で過ごせる様に何か手伝うべきだと思うのだ。
気遣いだとかお人好しのお節介だとかではなくて、当たり前の事だと思うのだけど……。
しのぶさんとのやり取りを見ていた珠世さんは、どう言葉を掛けるべきかとオロオロして、そしてそんな珠世さんを愈史郎さんは「珠世様は今日もお美しい……」とばかりに見ている。
二人の顔合わせはそんな感じでギクシャクと言うか混沌としていたと言うか……な状態で始まったけれど、決定的な破綻にまでは至る事は無く。
そして、二人してそれまでの研究内容やその成果の事について話し合っている内に、しのぶさんの中の鬼への憎しみや蟠りがちょっとだけ薄れ、それによって愈史郎さんの態度もちょっとマシになる。
二人の研究内容はとても興味深くて、「成る程……」と驚く部分も多い。平成の時代で培った知識から大体何をしているのかを理解出来る部分もあったが、それでも今一つ分からない部分もあったし。
何より、『鬼』と言うある種の超常的な存在を、科学的に分析しそれらが起こす現象を解剖しようとしているそれは、未知の知見であった。
前例が無い所にゼロから鬼を殺す毒を作り出し、それ以外にも様々な薬を作り出しているしのぶさんも本当に凄いし。
『鬼』と言う現象……その存在を「病」として捉え、それを取り除く為の研究を完成させつつある珠世さんも本当に凄い。
二人は、自分たちが高度に専門的な知識でやり取りしているのに、一応はその話を此方が理解出来ている事に驚いていた。
……確かこの時代だと、高度な科学知識を有している人たちは本当に一握りで、それこそ帝国大学とかに行かないと……と言う感じだっただろうか。
日本で考えると、鈴木梅太郎が後にビタミンB1と名付けられる物質を発見してからほんの数年、野口英世が梅毒の研究で名を馳せたのもほんの数年前。世界的に考えると、ハーバーボッシュ法を生み出し「化学兵器の父」と呼ばれたフリッツ=ハーバーが毒ガスを戦場で使用し、アインシュタインが一般相対性理論を提唱した様な時期だ。
それを考えると、何処の誰だか未だに一切不明な存在が、科学知識に明るいと言うのは奇妙に見えるのかもしれない。
とはいえ、しのぶさんは驚きはしたもののそれ以上は何も言わず、珠世さんも不思議そうな顔はしていたがやはり何も言わない。なら、まあ良いのだろう。
蟠りはそう簡単に消えそうにはないが、二人とも共同研究を始める事には問題はなさそうだった。
しのぶさんとしても、『鬼』への嫌悪感などよりも研究者としてのその成果への尊敬の念の方が勝ったのかもしれない。
この先二人が歩み寄れるのかはしのぶさんの心次第だとは思うが、恐らく……悪い方向にはいかないだろうと、そう自分は信じている。
◆◆◆◆◆
お館様から、鬼舞辻無惨を倒す為の毒の研究に専念してくれないか、と。そんな打診が来たのは、緊急の柱合会議が行われて少ししてからの事だった。
それに否は無かった。姉さんの仇にこの身を諸共に喰らわせて毒を叩き込む作戦は、悠に阻止された事もあり放棄したけれど。それとはまた別に、鬼の頸を斬る力が無い私が役立てるのはやはり毒などで鬼殺を支援する事であるからだ。
上弦の肆を相手に、僅かな間動きを止める程度の効果でしか無かったとは言え、藤の花から作り出した毒は有効であったと、それを使用した宇髄さんが報告した様に。
それで直接的に死に至らしめる訳では無くても、動きを止める事が出来れば……鈍らせる事が出来れば。
普段の任務とは異なり、他の柱や隊士たちも総出で事に当たる事になる総力戦になるのであれば、この手で頸を斬る事が出来なくても、自分以外の誰かが頸を落とす助けになれる。
何より、鬼舞辻無惨は頸を落としても殺せない以上は、とにかく陽光が当たる場に押し留めるしか無いのだ。その際に、毒で動きを鈍らせる事が出来るなら、それがほんの僅かな間であっても、夜明けまでの一秒を稼ぐ手段になれる。
鬼の事に精通した者との共同研究になるかもしれないとお館様に言われた時には、鬼に詳しい者が自分以外に居るのだろうかと首を傾げてしまったが、まあそれで毒の開発が進むのなら構わないと思っていた。
……その研究相手とやらが、鬼であるとは思いもよらなかったのだ。
その後少ししてからお館様からその仔細を知らされた時には、一瞬反射的にそれを拒否してしまいそうにもなりかけた。
鬼と共同研究? 冗談では無い。そもそもその鬼は本当に信用出来る相手なのか?
鬼は、狡猾で卑怯で、命を命とも思わない様な存在だ。
人を喰い、人の弱さを嘲笑い、弱き者を力で捩じ伏せ蹂躙する事を喜ぶ様な汚らわしく腐り果てた性根のものばかりなのである。
成り立ての鬼の理性に欠けた飢餓の本能に支配されたその姿も醜悪だが、人を喰い荒らして理性や自我を得た鬼のその醜さはそれを遥かに上回る。
鬼は人を平気で謀るのだ。無害を装いながら人を貪る鬼を見た事もある。
更には、鬼は全て鬼舞辻無惨に従属している存在だ。
確かに、禰豆子の様に例外も存在しているが……その事に関しては鬼にとっては致死である筈の陽光を克服出来る様な特異体質であった事が関係しているだけなのではないかと思っている。
禰豆子は特殊過ぎる例であり、それを他の鬼に当てはめる事は出来ない。
禰豆子の存在だけを理由に、鬼と言う存在を信じる事は出来ないのだ。
その鬼が鬼舞辻無惨を本気で滅ぼそうとしているのだと言われても、それですら疑わしかった。
鬼舞辻無惨を害そうと考える事が出来るのなら、その支配からは逃れているのかもしれないが。鬼舞辻無惨を滅しようとするのは、言うなれば下剋上を成そうとしているのではないかと疑ったのだ。鬼と言う存在の醜さや悪辣さを思えば、寧ろそう言った動機である方が自然だとすら思った。
しかしお館様は、その鬼の存在は以前から産屋敷家の者は代々把握していた上に、炭治郎君と悠が以前から交流を持っていた相手であり、二人はその鬼を「信頼出来る相手」だと認めているのだと言った。
それを聞いた時、益々以て信用出来ないと思った。
悠も炭治郎君も、お人好しと言うか、いっそ無防備にも見える程に優しい人間だ。
利用しようと思えば、この二人ほど便利な相手は居ない。
炭治郎君には特異的なまでの嗅覚があり悪意を嗅ぎ分ける力はあるが、しかしそう言った感覚をすり抜ける方法を会得している鬼である可能性も考えるとそれですら完全に信用は出来ない。その嗅覚をすり抜ける事さえ出来れば、素朴な人柄である炭治郎君を騙してその掌の上で転がすのは造作もない事だろう。
そして、悠も炭治郎君に負けず劣らずのお人好しである。傷付いたり困っている者を見ると躊躇わずに助けようとしてしまう。
考え無しの愚か者では無いし寧ろ思慮深い方であるけれど、それ以上に根が善良過ぎてやはり良い様に利用されてしまいそうだ。
悠のその力を知れば、それを利用したいと思う者は幾らでも現れるし、悪用しようと企む者も居るだろう。それなのに、悠には危機感が足りていない様に見える。
二人に人を見る目が無いと言いたい訳では無いが、余りにもお人好し過ぎるので騙されている可能性の方が高いと思ってしまうのだ。
悠にその鬼との事を白状させると、聞けば聞く程、悠がその鬼に利用されている様にしか思えなかった。
薬を研究する為に十二鬼月の血を採って来る様にと頼まれたのだと、悠は何の事も無い様に言うけれど。
下弦の鬼ならばまだしも、上弦の鬼の血もと言うそれは無茶も良い所の話だ。
炭治郎君の様な、入隊したばかりの隊士には下弦の鬼ですら致命的な相手であるのに。上弦の鬼を倒す事すら求めているそれは、明らかに一隊士に託して良いものではない。
……まあ、炭治郎君に関しては何よりも大事な妹を人に戻したいと言う願いがあるからまだ良いだろう。その願いに付け入ってる様にしか思えなくても。
だが、悠は別にそうでは無い筈だ。
お人好し過ぎる悠は、炭治郎君たちの力になりたいだとか言って十二鬼月と戦う事を全く恐れる事も厭う事も無く受け入れてしまったのだろうけど。
その鬼が二人が言う様な本当に「良い人」であるなら、少なくともほぼ無関係の悠をそんな危険な事に巻き込んだりはしないだろう。
悠に常識外れの力があったからどうにかなってるだけで、本来ならその依頼は「死ね」と言っているのにも等しいものであるのだから。
その辺りの事を全く気にもしていない悠は、やはりお人好し過ぎるし危機感が全く足りていない。
それなのに悠は、その鬼……「珠世」だとか言う鬼の事を庇おうとするのである。
誠実な人なのだとか、優しい人なのだとか。
そんなもの、鬼であろうとなかろうと幾らでも装う事が出来るのに。
人を騙したり利用しようとしている者が、そんな思惑を顔に出して近付いてくる訳じゃ無い。寧ろ、そう言った輩に限って、誰よりも親切で誠実そうな顔をしているものだ。
しかしそれを指摘しても、悠は益々その鬼の事を庇うばかりで。
話は平行線を辿り一向に終わりが見えないまま、その鬼と顔を合わせる日がやって来てしまった。
鬼たちの為に産屋敷邸に設けられた研究室は、蝶屋敷にあるそれと似た様な雰囲気ではあるが数人が作業していても狭苦しくない様にと広めの空間になっている。
蝶屋敷の研究室からは、既に試料となる鬼の組織や実験に使う道具や薬品、研究に使う様々な情報が記された帳面などが運び込まれていて。
そして、今日からこの場を拠点として研究を行う事になる鬼の側からも様々な物が既に運び込まれていた。
今日から此処で鬼と共に研究するのかと思うと、何処までこの胸の中で燃え続けている鬼への憎悪や嫌悪感を抑えきれるのかと気が重くなる。
信頼など出来無いし、信用も出来ない相手ではあるが。
共同研究を行う以上は、憎悪の感情をぶつけるなどあってはならない訳で。
感情の制御が出来ないのは未熟者だからと、そう言い聞かせていても、中々難しい。
そんな中で初めて対面する事になったその鬼は、鬼としての気配はとても薄い……そんな奇妙な鬼だった。
鬼だと予め知っているなら気付くが、往来で一瞬すれ違うだけなら見逃してしまうかもしれない程度だ。
珠世と名乗った鬼の気配も薄いが、その横に控えていた愈史郎と言う鬼の気配は更に薄い。目などの鬼の特徴が現れている部分を人のそれに擬態すれば、余程鬼の気配を探る事に長けた者でないと見分ける事は出来無いだろう。
そして、愈史郎と言う鬼は、此方に対してかなり刺々しい態度を取る。
私が珠世と言う鬼に対して良くは無い感情を懐いているのが気に喰わないのだろう。
そんな私たちの様子を見て、悠と珠世はオロオロと顔を見合わせている様であった。
初対面の挨拶が良好に終わったとは言い難いが、まあ関係性がどうであろうと鬼舞辻無惨を確実に殺す為の研究が完成すればそれで良いのだ。
早速本題にとばかりに、私と珠世は其々の研究の概要やその成果の触りの部分を説明した。
成る程、確かにお館様が言っていた様に、着眼点が其々異なり目的も違う研究ではあるが、だからこそ一方の研究だけでは見えていなかったものを他方は見ている。
それを持ち寄れば元々の研究を完成させるばかりか、新たな研究にも結び付くのではないかと言うお館様の判断は正しかった。
そして、そんな互いの研究成果の説明を、私や珠世が理解出来ているのは当然と言えば当然なのだが、悠も成る程と頷いているのには驚いた。
何せ、一般的な高等学校で学べる内容どころか、帝国大学などで行われる様な研究にも近い程に高度に専門的な内容が多分に含まれている研究なのだ。
どちらの研究も、高度な科学知識が無いと理解する事も難しい。
それなのに、それを問題無く理解出来てしまっている悠は、相変わらず何も分からないその出自や足跡と言い謎だらけである。もう慣れたが。
悠に関してまた増えた謎の事は置いておくとして。
珠世の研究は既にかなりの部分が完成していた。
悠と炭治郎君が尽力して多くの上弦の鬼たちの血や肉を集めた事がその研究を大いに飛躍させたそうだ。
「鬼を人に戻す」と言うその研究成果が何らかの形になるのはもう時間の問題だとも言える程になっていた。
「とは言え、恐らく無惨に対してはこれですら決定打にはならないでしょう。
あの男の生き汚さ……生にしがみつく為の能力は、私たちの想像を絶するものだと考えて下さい。
どんな毒や薬を打ち込もうとも、時間さえかければあの男は確実にそれを分解します。
そして、一度分析されたそれはもう二度と通用しないでしょう」
「つまり、その時間を与えない様にする事が最も重要だと……そう言う事ですね」
確認の為の様な私の言葉に、珠世は静かに頷く。
珠世の口から改めて聞かされる事になった鬼舞辻無惨と言う存在は、余りにも破格であった。
とにかく「生きる」と言うその生物的な欲求と本能の権化とすら言いたくなる程に、「死なない事」に特化し過ぎていた。上弦の鬼が赤子の様に思える程の規格外の強さを誇っている上に、恐ろしく生き汚いが故に僅かにでも不利を悟ると何が何でも逃走する事を選ぶ。そして、自分を脅かす者が死に絶えるまで、その永遠にも等しい寿命で待ち続けるのだ。ふざけている。
毒や薬で可能な限り弱らせて、そして陽光が当たる場所に全員で足止めする。
それが最も、人の手で鬼舞辻無惨を討てる可能性の高い方法だ。
まあその為には、鬼舞辻無惨に対して有効な毒を開発する必要があるのだけれども。
そして、私たちの話を聞いていた悠が、「あの……」と声を上げて質問する。
「鬼舞辻無惨に対して毒や薬を使うのは当然として、他の上弦の鬼たちに対しても使えるものを開発する事は出来るでしょうか……?
恐らく同じ成分だと、上弦の鬼に先に使った場合も鬼舞辻無惨に先に使った場合も、結果として鬼舞辻無惨がその毒の成分を分析して解毒する為の助けになってしまうので諸刃の剣になるかもしれませんが……。
しかし、成分の違う毒を開発出来て、それを上弦の鬼たちとの戦いに用いる事が出来れば。少しでも被害を押さえて上弦の鬼を討つ事が出来ますし、そうすれば結果的に鬼舞辻無惨をより確実に足止め出来ると思うのですが」
勿論、そう簡単に毒や薬を開発出来る訳では無いのは分かっているけれど……と、そう言って悠は「無理を言ってしまっただろうか」とちょっと心配そうな顔をする。
まあ、そう簡単な話では無い事は確かだが、悠が言っている事は間違っていない。
その研究をする余力があるなら、勿論やるべき事である。
お館様が予見した総力戦まで、長くても半年程度。
それまでにどれ程のものが出来るのかは、時間との勝負になるのだろう。
だが恐らくはこれが、文字通りに鬼舞辻無惨を滅する最後の機会なのだ。
鬼をこの世から消し去る為には、今成し遂げるしか無い。
その為に、鬼と手を組んででも、この研究を完成させなくては。
決意も新たに、私は珠世と握手を交わすのであった。
◆◆◆◆◆
【鳴上悠】
珠世さんの事は物凄く信頼しているし全力で協力するし何か出来る事があるなら可能な限りは叶えたい。
しかし、悠の中での優先順位と言うか「大事な人」と言う判定ではしのぶさんの方が珠世さんよりも優先度が高い。
珠世さんは協力者(強いて八十稲羽でのコミュに当てはめるなら「狐」コミュ)と言う関係だが、しのぶさんは「家族」が一番近い程。
ほぼ全員から「お人好し」「世話焼き」などと思われているが、否定はしないけどそこまでかな……、とはちょっと思ってる。
尚、お人好し集団(或いはバカ軍団)の特捜隊の中でも群を抜いてお人好しなのでその評価は残当。
現代基準でも生き字引級の知識の持ち主であるが故に、大正時代基準だと異常な程に科学知識がある事になる。
【胡蝶しのぶ】
『鬼』との協力関係と言うそれ自体にも物凄く嫌悪感や拒否反応を示したが、何よりも嫌だったのが、悠が物凄く珠世さんの事を信頼していた事。
鬼の薬に関して自分以上に珠世さんの事を手助けしていた事が物凄く嫌だったし、それ以上に悠が『鬼』(珠世さん)に騙されて良い様に使われているのでは? と思った。
しのぶさんの目から見て、悠は危うく感じる程にお人好しだし世話焼きに見えている為、悠の力を利用したり悪用しようとする人は幾らでもいるだろう事を考えると物凄く心配になっている。
実際、足立さんとコミュってしまえる辺り、その心配は杞憂とは言い難いのかもしれない……。
悠が謎だらけなのにはもう慣れている。
【珠世】
悠や炭治郎は徹底して自分を『鬼』ではなく『人』と同じ様な存在として扱ってくれているので、非常に二人への好感度が高い。
なお、悠がお人好し過ぎる事には少し心配している。
研究材料としての無惨の血が濃い鬼たちの血が、原作と比較しても多く(無惨が上弦を強化したので)質も良いものなので、研究ペースが随分と向上する事になる。
【愈史郎】
悠や炭治郎の事は、ある意味で珠世様と二人の静かで穏やかな日々を終わらせた元凶でもある為ちょっと複雑なものを感じている。
しかし、悠も炭治郎もどちらも良い奴だし、自分たちの事をしっかり見てくれるから嫌いではない。
悠に関しては、人間……?とずっと思っているが、同時に悠が余りにもお人好し過ぎるので、本当に大丈夫か?とも思ってる。
【産屋敷輝哉】
鬼舞辻無惨を確実に殺す為ならありとあらゆる手段を用意しようとする覚悟の人。
「先見の明」を駆使して、可能な限りの準備を進めている。
ちなみに、紅茶好きの珠世さんの為に、紅茶も取り揃えている。
≪今回のコミュの変化≫
【悪魔(愈史郎)】:5/10→7/10
【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
鬼滅の刃の二次創作で恐らく一番問題になる、「強過ぎる相手が居たら無惨は逃亡してしまい寿命勝ちに持ち込んでしまう」問題ですが、この物語ではこの先で無惨が逃亡する可能性はありません。もうちょっと後で無惨視点の述懐として回収しようかとも思いましたが、無惨視点は書くのも読むのもうんざりするものなので、この場を借りて簡単にご説明をば。
先ず第一に、無惨が「逃亡」を選ぶのは、人間が相手である場合必ず寿命があり、不老の無惨は寿命勝ちが出来るからです。
そう、『人間』が相手である場合は。
最初に悠の存在を認識した時に、化け物じみた力を認識しながらもその時点で逃亡しなかったのは、無惨にとっては悠が縁壱以上の『化け物』に見えて、寿命勝ちに失敗する可能性に思い至ったからです。そして、無惨から見て事態は更に悪化しました。
何故なら、『化け物』の悠が「青い彼岸花」を手にしてしまったからです。(実際はブラフなんですけど、無惨にそれを知る由はない)
無惨視点では、『化け物』である悠が自分と同じ「永遠の命」を得てしまう可能性が一気に高くなりました。
しかも、不完全な薬で『鬼』になった自分とは違い、「青い彼岸花」の現物を持っている悠は陽光すら致死では無い本当の「究極の生物」になってしまう可能性があります。元々が『化け物』なのにそうなったらもう万に一つも勝ち目はありません。更には、悠が鬼狩りの異常者たちと同じく、自分を躊躇なく殺そうとしている事を知ってます。
相手も永遠の命を得たのなら、無惨は永遠に追われ続ける事になるんですよね、正面から戦えば絶対に勝てない『化け物』に。
それは、無惨にとっては最も避けたい事態です。
悠は、無惨に対しての釣り餌としての価値は「青い彼岸花」よりも「太陽を克服した鬼(禰豆子)」の方が上だろうと思っていますが、他でも無い悠があのハッタリをかましたからこそ、無惨は何がなんでも逃げずに悠をどうにかしなくてはならなくなったんです。
無惨が一番求めているものは「太陽を克服した鬼(禰豆子)」ですが、敵(縁壱や悠の様な『化け物』)の手に一番渡って欲しくないものは「青い彼岸花」です。
第二に、無惨の目から見ても悠が弱点だらけだからです。
鬼殺隊の隊士達の異常者たる所以は、自分の命を捧げる事に何の躊躇いも無く、更には上弦の鬼を倒す為なら仲間すら時に切り捨てる様な覚悟も持てる事です。
でも、悠は鬼殺隊じゃありません。その感性は何処までも普通です。
仲間を切り捨てるなんて絶対に出来ませんし、傷付ける事も出来ません。
黒死牟と初めて邂逅した時の様に、例え上弦の鬼を倒せる千載一遇である筈の状況下ですら、虫の息の仲間たちを助ける事を優先して動きます。
人質戦法がこの上なく有効です。(玉壺が証明した様に)
それは、無惨からすると余りにも大き過ぎる弱点に見えています。
更には、刀鍛冶の里での戦いで悠の体力が鬼とは違って無尽蔵ではない事にも気付いてます。
つまり、(無惨的な認識で)悠にとって足手纏いになる様な隊士たちと共に行動させて、上弦の鬼をぶつければ、足手纏いの隊士たちを守る事を最優先にするだろう悠を消耗させきれると判断しています。
その上で、無惨自身の周りには悠に対する肉盾となる隊士たち(柱も含む)を纏わり付かせておけば、万能属性などの危険な攻撃は完封出来る上に、肉盾を瀕死程度にすれば悠を回復スキルで更に消耗させられますし、或いは急造で鬼にするなどして襲わせれば労さずして悠を捕える事が出来ると考えています。
弱点どころではなかった縁壱と違って、『化け物』を極めているのに弱点だらけな悠はそれを攻める事に何の躊躇もない無惨にとっては、ある意味では縁壱とは比較にならない程に与し易い相手に見えています。
第三に、無惨は悠がどれ程の手札を隠し持っているのかを全く知りませんし、上弦の鬼の目を通してみたもので全部だと思っています。それでも、一見勝ち目がない程に『化け物』ですが……。
刀鍛冶の里で黒死牟たちと戦った時よりも、更に多くの絆を満たした悠が自分の想像を遥かに超えた力を取り戻しているとは知りません。
悠が召喚したものが本当に極一部だけだと言う事も知りません。(ホルスなどの太陽神を召喚してたら逃走一択だったかもしれませんが……)
そして、悠が余りにも慮外の『化け物』である為、無惨はまさかそれ以上の『化け物』だとは全く思ってないのです。
だって自分がこの世の中心であり全てだと本気で思っているので、「対処不可能」と言う発想がありません。無惨様は何も間違えない、そうでしょう?
第四に、無惨は鬼殺隊の事は舐め腐ってます。
悠以外の相手は、何時でも殺せるけど『化け物』から身を守る為に必要な肉壁だと思ってます。
珠世さんと鬼殺隊が手を組んだ事も知りませんし、「人間化薬」が完成間近である事も知りません。知っていたとしても、『化け物』よりも脅威度は低いですしね。
他にも、サンクコストの呪縛に囚われてたり、元々の視野狭窄だったりもあったりと色々と複雑なのですが。
簡単に説明すると大体は上記の理由から、この物語ではあの無惨様なのに逃げ出さなくなってます。
(まあ万が一逃走を選択した場合、『神様』と戦えない事に不満を懐いた童磨が下克上するか、或いは人々の願いによって『神様』に成ってしまった悠に即死させられる事になります)