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今日から柱稽古が始まり、今頃は宇髄さんに扱かれた隊士の人たちが血反吐を吐いているかもしれない。
宇髄さんは、これを機に質の悪い隊士を根刮ぎ叩き直してやると、それはもうやる気に満ちた顔をしていたので、半死半生位にはなっている人も居そうだ。
最低でも、下弦の鬼相当の強さの鬼と出会しても即死しないだけの力は付けさせるのが目標であるそうなので、徹底的に扱かれる事になるのだろう。……まあ、最低でもその強さは無いとこの先の決戦では話にならないと言う事であるのかもしれないけれど。
宇髄さんの試練を乗り越えても、冨岡さんの試練を合格するまでは徹底的に扱かれる日々になるのだろう。
善逸が泣き喚いている様子が目に浮かぶようだ。
冨岡さんが柱稽古に加わった事も、「地獄が増えた!」などと言っていそうな気がする。……考え過ぎだろうか。
炭治郎たちはどんな風に宇髄さんに扱かれているのだろうかと考えつつも、自分ものんびりのほほんと蝶屋敷で禰豆子たちと過ごしている訳には当然いかず、悲鳴嶼さんたちから頼まれていた通りに柱の人たちの所を順に巡っては手合わせする役目があるのだ。
その一環で一番最初に向かうのは無一郎の屋敷である。
今最も隊士たちが集中している宇髄さんの所は当然として、宇髄さんの試練を合格した者が居れば早い内に隊士たちがやって来る事になる煉獄さんの所も、受け持つ隊士たちが全員先の試練に進んでゆっくり出来る様になってからの方が良いからと、本人の申し入れで順番としてはかなり後になっている。
なので、無一郎から順に回る事になっているのだが、回る順番はそこまで厳密に決まっている訳では無くて、要請に応じて柔軟に対応する感じだ。
無一郎の屋敷には当然まだ誰も居ないし、明日明後日までに誰かが来ると言うのも考え難いので、二人でじっくり鍛錬するには持ってこいの環境だと言える。
なお、今は隊士たちの面倒を見る必要が無い甘露寺さん以降の稽古担当の柱の人たちは、各々に手合わせをしている。
……冨岡さんは早速実弥さんと手合わせをするのだと言っていたが……。確か、冨岡さんと実弥さんは、冨岡さんの口下手が災いしてあまり仲が良くないのだとしのぶさんから聞いた覚えがある。
あくまでも手合わせなので大怪我を負わせる様な喧嘩に発展する事は無いだろうけど、ちょっと心配だ。
冨岡さんは物凄くネガティブな思考はかなり改善されたけれど、言葉が足りない所は変わらないので誤解され易い部分は変わっていない。
実弥さんも、悪い人ではないと言うか多分優しい人なのだけど、ちょっと短気と言うか言葉が荒っぽい部分もあるし……。
言い合いになったりしなければ良いのだが……。
冨岡さんの事をちょっと心配しながらも鎹鴉に先導されて歩いていると、無一郎の屋敷が見えて来た。
訪問の挨拶をすると、無一郎が小走りで駆けて来る。
「いらっしゃい、悠。早かったね」
「鴉の道案内が上手かったからな」
此処まで案内してくれた鎹鴉を労って見送ると、無一郎は「早速手合わせしよう」とばかりに鍛錬場に案内してくれた。
手合わせをしていて思うのだが、無一郎はやはり物凄く強い。
単純な腕力勝負だと悲鳴嶼さんの方に軍配が上がるが、相手を翻弄する程の緩急の妙技は悲鳴嶼さんの圧倒的な膂力とはまた違う強さだ。
それに、前回悲鳴嶼さんたちと一緒に手合わせした時にも思ったが、無一郎は刀鍛冶の里で手合わせしていた時のそれよりも遥かに強くなっている。
やはり、記憶を取り戻せた事が良い方向に作用したのだろうか?
何度か手合わせをした後で、丁度良い時間になっていたので休憩を挟む。
お茶を飲みながら、二人で先程までの手合わせについて話した。
「中々、悠から一本取れないなあ」
「でもヒヤッとした時はかなりあったし、それにこっちの方こそ攻撃を当て辛かったし、無一郎は凄いよ」
何せ、カウンターにカウンターを重ねる位は平気でやってくるのだ。
刀鍛冶の里で手合わせをした時点で既に物凄く強かったけれど、今は此方の攻撃が全部予知されているのではないかと思う程に凄まじい動きと反応速度で回避してくる。
玉壺との戦いや、黒死牟と猗窩座との戦いが無一郎にとっては物凄い経験になって、更にその力を引き出しているのかもしれない。
炭治郎たちも、ある時を境にまるで大きな壁を乗り越えたかの様に一気に強くなっていたし。成長期と言うやつなのだろうか。良い事だ。
「最近凄く調子が良いんだよね。
記憶を思い出せたからかも」
「……そうか、それは良い事だな。
無一郎が記憶を取り戻せて良かったよ」
その過去に何があったのかは訊かないけれど。
自分の大事なものを確りと心の中に抱え直す事が出来たからこそ、より確りと自分自身や或いは様々な物事に上手く向き合って、そしてだからこそ強くなれると言うのは間違いなく良い事だ。
「うん。もう絶対無くさない。
これは、僕にとって本当に大切なものだから」
その記憶を想うかの様にその目をそっと閉じた無一郎は、暫しの沈黙の後にそっと訊ねて来る。
「……もし本当に一番大切なものを何が何でも守りたいと思った時、悠ならどうする?」
「本当に、大切なものを……」
そう言われて想うのは、やはり菜々子の事だった。
何をしてでも守らなければならなかった……守りたかった人。
大切な「家族」……。
……結局の所、自分は菜々子を守り切る事は出来なかったけれど……。
「難しい問題だな……。
危険なもの全てから遠ざけたとしてもそれでも相手を守り切れる訳じゃ無いし、そうする事が却ってその相手を傷付けてしまうかもしれない。
俺の手は小さくて、どんなに頑張っても『絶対』は無くて。
俺の手の届かない場所でどうしようもない理不尽に踏み潰されてしまうかもしれないし、手の中にあると思っていてもそこからすり抜けてしまうかもしれない……。
『守る』ってのは、とても難しい事だ」
自分自身の事ですらどうにもならない時もあるのだ。
況してや、大切だろうと何だろうと、自分ではない「誰か」の事を完璧にどうこうしようとするのは無理だ。
何かを壊したり踏み躙るのは一瞬でも、それを守り抜く事や治す事は何処までも難しい。
自分にとって「一番良い」と思った方法が、守ろうとした相手にとってもそうであるとは限らない。寧ろ一番嫌な方法かもしれない。
大切だろうと何だろうと、自分と相手は異なる存在で、異なる価値観で生きていて。だからこそ完璧に相手を理解し合う事はとても難しく、しかし互いに理解しようとする事を放棄したり、或いは勝手に理解した気になって妄信していては、きっと大事なものを沢山取り零してしまうし見失ってしまう。
それでも、相手を理解しようと、己と相手に問い続ける事に……考え続ける事に、意味はある。分からないとしても、分かろうとする事で何かはきっと変わる。
それを、自分は知っている。
「悠にとっても、難しい?」
「ああ、難しいさ。
……俺は結局、一番大切な人を守り切る事は出来なかった。
こうすれば良いんじゃないかって思っても、それが正しいとは限らなくて。
間違えて、上手くいかなくて、そんな事もあった。
もっと色々と上手くいく方法があったかもしれないし、もし俺がそれに気付いていれば苦しい思いが少しでもマシになっていた人も居た。
……ただ、何でもかんでも未来を見通して選択出来る人は居ないんだ。
その時その時に、それが最善だと思って、自分に出来る精一杯の事をするしかない」
もう今となっては分からない事だけど。
もっと早くに生田目さんの事に辿り着いていれば、菜々子があの様な目に遭う事も……そして生田目さん自身があんなにも苦しむ事も無かっただろう。
孤独のままに足掻こうとして、そして決定的に間違えてしまっていたあの人は、自分が陥っていたとしてもおかしくは無い状態で。
皆が居て、そして全員で考えて少しずつ【真実】を追う事が出来た自分とは違って。周りに誰も助けてくれる人が居ない上に追い詰められていたあの人は、少しでも道を踏み外してしまえばそれを修正出来る機会が全くと言って良い程に無かった。
……足立さんに唆されて始めてしまった事とは言え、自分で選んでやって来た事の責任は、あの人自身が負わなければならないけれど。
「菜々子の仇」と言うその歪んだ認識を外して改めて見詰めたあの人の姿は、余りにも孤独に疲れ切って、自分のした事の結果に押し潰されそうな「普通の人」だった。
あの人の「した事」は、今も全く赦していない。この先も赦さないだろう。
でも、あの人自身を責め立ててどうこうしたいとは、あの日の時点でもう思えなかった。
誰もあの人を止めてあげる事が出来なかったし、その孤独や苦しみに寄り添う人も居なかったのだ。
「救う為だから」と大義名分を得たつもりでも、そもそもの誘拐の時点でやっていい事では無いのだけれど。……あの人に限った話では無く、『人間』と言う存在自体が「正義」に盲目になり易いものだ。誰でもあの人に成り得たのだろう。
そして、生田目さんだけでは無くて。
きっと足立さんも、あんな風に壊れた八十稲羽を作り出してアメノサギリの依代の様に操られてしまうよりも前に、もっとマシな方法でどうにか出来たかもしれない瞬間はあったとは思う。
ただ、自分はそれに気付け無かったし、そして足立さんの周りに居た人も気付け無かった。
足立さんの周りには少なくとも叔父さんが居たのだけど。足立さん自身がそれを素直には受け入れられずに何処か拒んでいて。だからこそ、誰にも止められなかったのだろうと思う。
もう今となってはどうにも出来ない、ただの都合の良い想像なのかもしれないけれど。
……結局の所。自分は、本当に幸運だったのだ。
周りに仲間が居て、家族が居て。友だちが居て、信じてくれる人が居て。
皆で共に考えて、支え合う事が出来た。
そしてどうにもならない時も、諦めずに足掻き続ける事も出来た。
……菜々子の事も、結果として喪わずに済んだ。
イザナミの「幾千の呪言」で死んだ皆も、「幾万の真言」でそれを討ち祓ったからか取り戻す事が出来て。
結果として、自分は何も喪わずに済んだ。
でも、世の中はそうじゃない。どうにも出来ない理不尽の方が多い。
だから、自分は、ただただ運が良かった……恵まれ続けていたのだと思う。
討ち倒す事になったイザナミだって、別段悪意があってそれをしていた訳では無くて。だからこそ、「人の総意」を覆す程の「人の可能性」を示された事で、その矛先を収めて潔く『心の海』へと還っていったのだろう。
ある意味では「話が通じる」相手であったからこその勝利だと言える。
そう、自分は本当に恵まれて幸運だったのだ。
しかし、そんな風に恵まれていても『守り抜く』と言うそれは困難を極めたし、ある意味では失敗した。
「『こうすれば良い』って絶対の答えがある訳でも無いし、それを教えてくれる都合の良い存在も居ない。
自分が最善だと感じて選んだもの、咄嗟に選んだもの……。
何であれ、自分自身で選ぶしか無いんだ。
そして、選んだその結果には、必ず責任を負わねばならない」
でも、人の思考は有限で。そして情報は膨大だ。
自分の都合のいいものだけを探せばそんな風に偏ったものしか目に入ってこなくなるし、その結果偏った選択が助長される。
別にそうではなくても、乏しい情報の中から判断しなければならない事だってある。取れる手段が限られている事もある。
何がなんでもこれだけは、と思っていてすら間違う時もある。
「……そっか、難しいね」
「ああ、……難しいな。
……でも、一つだけ確かな事はある。
独りで出来る事にはどうしたって限りがあるんだ。
だから、本当にどうしようもない時は周りを頼るしか無いんだと思う。
勿論、それだって何時でも上手くいく訳じゃない。
周りに誰も居ない事だってあるし、或いは周りの人達に助けてくれる様な余裕や気持ちがあるかも分からない」
でもやはり、声も上げず何もしないままで一人きりでどうこうするのは無理だ。
急場凌ぎでどうにかしても遠からず破綻する。
そして、もしもの時に周りが助けてくれるかどうかに大きく関わってくるのが「日頃」と言うやつなのだろう。
「情けは人の為ならず」というのもそういう事だ。
「……もしも、悠みたいな人があの時も近くに居てくれたら。
もっと違う未来があったのかな……」
僕にも、兄さんにも、と。
無一郎はそっと目を伏せながら小さく呟いた。
……無一郎の兄さんがどうなったのかは、薄々察する事は出来る。
その場に居たとして、自分に何が出来たのか。それはもう……今となっては分からないけれど。
「……確実にそうだったとは言えないけれど。
でも俺は……目の前で傷付いている人を助けようとしたとは思う」
それで助けられたかどうかは分からないけれど。
でも、もし目の前で無一郎やその家族が鬼に襲われていたとしたら、迷わず助けようとしただろう。無一郎の事を何も知らなくても。
この世で起きる全ての悲劇を防ぐ事なんて無理だ。
しかし、目の前で起きている事から逃げる事は自分には出来ない。
それが本当に「正しい事」なのか、その時には分からなくても。でも、自分に出来る精一杯をしようとするだろう。
「そっか……。
ねえ、悠。僕にはね、双子の兄さんが居たんだよ」
無一郎にとっては何よりも大切で……そして深い傷跡になっているだろうその人の事を、無一郎は静かに語り始める。
どうして自分にそれを話そうと思ってくれたのかは分からない。
無一郎自身以外にも、その人が確かに存在していたのだと言う事を覚えていて欲しいと思ったのかもしれないし、もっと別の理由があるのかもしれない。
何にしろ、静かに「家族」の事を語る無一郎の言葉に、耳を傾けない理由など無かった。
無一郎は杣人の子供としてこの世に生を受けた。
双子の兄弟で、無一郎は弟。そして、兄は有一郎と言う名であった。
父と母、そして有一郎と無一郎。四人家族で、慎ましく穏やかに暮らしていた。
『人の為にする事は巡り巡って自分の為になる』、『人は自分ではない誰かの為に信じられない様な力が出せる』、と。そんな事をよく口にする様な優しい父で。
炭治郎に似た、優しい赤い目をしていたらしい。
そして、無一郎も有一郎もそんな父が大好きで、小さい頃から父を手伝って木を切っていたのだそうだ。
決して豊かでは無いけれど、それでも幸せだった。
しかしその幸せは、ずっとは続かなかった。
無一郎が十歳の頃、母が風邪を引いて具合が悪い中で無理をした結果拗らせて肺炎になりそれで命を落とした。そして父は母の為に嵐の中にも関わらず薬草を採りに出て……そして崖から落ちて命を落とした。
そして、子供たちだけが遺されてしまった。
有一郎は言葉がキツイ性格だった。
有一郎は容赦無く無一郎に冷たく刺々しい言葉をぶつけたし、態度もきつかった。
無一郎は有一郎に嫌われていると思ったし、そして有一郎の事を冷たい人なのだと思っていた。……そんな有一郎と二人きりの暮らしを、息が詰まりそうだと感じていた程だ。
「……今思えば、兄さんは気を張り詰め過ぎていたんだ。
だって、父さんと母さんが生きていた頃はあんなに一緒に笑い合っていたのに……。二人が死んでから、兄さんは全然笑わなくなった。
笑う余裕も無くなる位に、気持ちが追い詰められてたんだ。
……でも、僕はそれに気付け無かった。分からなかったんだ」
子供だけの二人暮らしで、元々裕福では無くて。
先立つものも余り無く、その日その日を生きる事が精一杯で。
そんな中で、残された家族を守ろうと必死だったのだ、と。
そう無一郎は有一郎の事を述懐する。
両親を亡くして無一郎は哀しんでいたが、有一郎も同様に哀しんでいた。
でもそれを素直に表現するには難しく、そして有一郎は無一郎を守らねばと追い詰められていって……。
そう言った事が重なって、次第に二人の間は冷え切っていった。
杣人として山の中で暮らしていた為に、周囲に他の人は居なかった事もあって、誰の助けも期待出来なかった事もより事態を悪化させてしまったのかもしれない。
両親を喪って初めての春が訪れた頃、二人の下を訪れる人が居た。
お館様の奥方様だ。
この時、恐らく既にお館様自身が遠方の山中を訪れる事は出来ない程に、その病状は悪化していたのだろう。
奥方様は、無一郎たちが「始まりの呼吸の剣士」の子孫である事を伝え、鬼殺隊に協力してくれないかと打診しに来たそうだ。
……まだ子供で、しかも何も鍛えていない無一郎たちであるが。しかし何としてでも鬼舞辻無惨を自分の代で討ち滅ぼそうと、手段をかなり選ばないお館様の事だから、鬼舞辻無惨を討つ力になる可能性があるものを一つでも多く得たかったのかもしれない。
「始まりの呼吸の剣士」……縁壱さんの事は、恐らく産屋敷家に伝わっている情報だけでも凄まじい存在であったと分かるものなのだろう。
子孫だからと言って剣才が必ずしもあるとは限らないし、そもそも縁壱さんの時代から遠く離れたこの時代の無一郎たちにどれ程のものが受け継がれているのかと言う事は甚だ疑問ではあるけれど。
まあ、そうだとしても可能性に賭けてみたい程に「始まりの呼吸の剣士」の子孫の存在は魅力的であったのかもしれないし。
何より、遠からず破綻してもおかしくない様な子供たちだけの生活を保護しようとする意図もあったのかもしれない。そればっかりはただの推測だけど。
保護すると言っても、お館様たちだって慈善事業をやっている訳では無いので何でもかんでも助ける訳にはいかなかったのだろうし、それもあって剣士として勧誘したのでは無いだろうか。
……まあ、鬼殺の剣士になると言う事は本当に命懸けの戦いの日々になるので、それを善しとして良いのかは分からないが。……しかし、命懸けの戦いになる事と同時に、鬼殺以外の部分でその生活は保証される。
血腥く何時死んでもおかしくない戦いの日々にはなるが、衣食住などの面は完璧に保証されるのだ。
何の問題も無く普通に生活出来ているなら、鬼殺の道を選ぶ様な人は早々に居ないだろうが。しかしそれが破綻寸前で、何かしらの保護が必要な人にとっては鬼殺の道が魅力的に見える事はあるのかもしれない。
この時代よりもずっと社会福祉の面が充実している現代だって、誰にも手を差し伸べて貰えずに餓死したり破綻した生活の末に命を落とす人は多くは無くても確実に存在する。
況してや、そう言った福祉があまり充実していないこの時代で、無一郎たちの様な状況に陥った子供が果たして生きていけるのかと言うと……。
お館様たちのやろうとした事は、どんな事情があれ、鬼殺の道を選ばねばならぬ様な心理的な事情を抱えた訳でも無い子供を鬼殺の道に誘おうとした事で。それ自体は賛否両論とでも言うべきものだと思うけれど。
しかし、生活を保証してやるからなどと言った文言で迫ろうとはしなかったり、或いは強制的に保護した後で取引の様に鬼殺の道を迫る事はしなかったのは、お館様の良心であり誠意だとは思う。
しかし、有一郎は決してその奥方様の言葉に首を縦には振らなかった。
無一郎は困っている人の為に剣士になって人助けをしたいと思ったのだそうだが、有一郎はその言葉を無視して奥方様に暴言を吐いて追い返したそうだ。
その後も奥方様はずっと通って来たそうだが、しかし有一郎が毎度追い返していた。
「……兄さんは、僕を危険な目に遭わせたくなかったんだろうね。
だから、危険な事を運んで来る様に見えたあまね様を拒絶した。
自分たちに出来る事は無い、無駄だって、兄さんはそう言っていたけど。
兄さんは自分自身にそれを言い聞かせていたのかもしれない」
春が過ぎ行き夏になった。
その日は、夜になってもとても暑くて。
戸を開けて寝ていたら、鬼が入って来た。
そして、有一郎は命を落とし、無一郎も生死の狭間を長らく彷徨い続ける事になった。
二人の住んでいた場所の近くに民家など無くて。
山中にあるその家の惨状を発見したのは、通いに来てくれた奥方様だったらしい。
発見され次第直ぐ様無一郎は保護され、どうにか命を取り留めたのだけれど。
無一郎は、命を喪った有一郎の身体に蛆が湧き腐っていくのを見ていた。
そして、動けない自分の身体にも蛆が湧いたのも……。
その余りにも強烈な体験と、そして死の淵を彷徨い続けた影響で、無一郎は過去を思い出せなくなってしまったのだった。
「……もし何かの選択が違っていたら、もし僕が兄さんの気持ちにもっと早くに気付けていれば……。
何かは変わったのかな。兄さんは死なないでも済んだのかな……」
今となってはどうやっても変える事の出来ないそれを、そうと分かっていても無一郎は考えていた。
後悔と言うのとはまた少し違う。ただ、本当にそれ以外に道は無かったのだろうか、と。そう己に問い掛ける様なものだった。
「……俺には、その答えは分からない。
でも、俺は……。……こうして無一郎に逢えた事を、とても嬉しく思うよ。
無一郎が生きていてくれて、俺はとても嬉しいんだ」
此処に有一郎も居てくれたのなら、もっと良かったのだろう。
でも、それは叶わない。もう、決して。
……無一郎の身に起きた出来事は余りにも凄惨で。無一郎が助かった事も本当に奇跡的な出来事に近い事なのだろう。
もし何かが掛け違っていれば、無一郎もその時に命を落としていただろう、或いは無一郎が死んで有一郎だけが生き残っていたのかもしれない。
何であれ、無一郎が今生きて此処に居る事だけが、様々な選択や可能性の果ての結果だ。
そして、無一郎と出逢えたこの可能性の結果を、自分は喪い難い程に大切なものだと思っている。
「そっか。僕もね、悠に会えて良かった。
……実はね、玉壺にやられそうになった時、父さんと兄さんの声が聞こえたんだ」
まるで自分を励ます様に、諦めるなと伝える様に。そんな風に二人の声が聞こえた様な気がしたのだそうだ。
そして、それは当初、自分と炭治郎の声の様に聞こえていたらしいのだが。
記憶を取り戻すと同時に、本当の声になったらしい。
そして。
「それでね、あの後で眠った時に夢を見たんだ。
家族四人の夢だけど、僕は今のままの姿でね。
そして、そんな僕に『よく頑張ったな』って、兄さんが褒めてくれる夢だった」
「……もしかしたら、夢の中で本当に会いに来てくれたのかもな」
所謂「夢枕に立つ」みたいな感じで。
何せ、炭治郎は故人である筈の錆兎さんたちと逢った事があるのだし、この世界では幽霊と言うか……そう言った存在は確かに何処かに居るのだろう。
なら、無一郎が聞いたのだと言うその有一郎や父の声も、本人たちが無一郎に呼び掛けていたのかもしれない。
「そうかな。……そうだと良いな。
兄さんは、自分が死ぬ直前に『弟だけは助けて』って、そう神様に願ってた。
そして、僕を励ましてくれた時も、『生きろ』って」
でも、自分だって有一郎に生きていて欲しかったのだ、と。
そう無一郎のその目は語っていた。
「そうか……。なら、鬼舞辻無惨を倒して、生きて『鬼のいない明日』を迎えて。
それから沢山生きて、沢山幸せになって。
それで、次に有一郎に会った時には、自分はこんなにも幸せに生きたって、そう胸を張って言い切れる位、生きなきゃならないな。
皺くちゃのお爺ちゃんになってから、満面の笑みで自慢してやれ」
死んでいった有一郎の願いがそれであると言うのなら、無一郎が少しでも長く生きてそして幸せになる事こそが、その想いに報いる道であるのだろう。
幸せは生きた年数では無いけれど、それでも大切な人には少しでも長生きして、そして沢山幸せになって欲しいと願うものだ。
「鬼舞辻無惨を倒して、鬼をこの世から根絶やしにして。
……それから、か」
今は鬼舞辻無惨を倒す事が最優先で、それ以外の事に気を配る様な余裕はあまり無いかもしれないけれど。
鬼舞辻無惨を倒し、鬼の居ない明日がやって来たら。と、その後の事をふと考えたのだろう。
鬼殺以外の事をしている自分に想像が付かなかったのか、無一郎は「うーん」と小さく唸る。
「……それを考えるのは、今は難しいか?」
「鬼殺が終わった後って言われても急には思い付かないかも。
やりたい事って言われてもあんまり……」
家族を喪ってから、記憶を思い出せなくなっていたとは言え、無一郎は只管に鬼殺の道を歩んできた。
無一郎だけでなく、鬼殺隊に身を置く者の多くがそうであるのだろう。
そもそも、帰る場所が鬼殺隊以外に無いと言う人も多そうだ。
まあ、そういった人たちもきっとお館様が何とかするのだろうけど……。
鬼舞辻無惨を倒して、それで「はい終わり」とは綺麗には終わらないものである。
鬼が残っているならそれを駆逐するまでは役割があるだろうけれど、鬼舞辻無惨諸共に鬼が消滅したりするのならその時点で鬼殺隊は解散する事になるのだろう。
隊士たちのその後と言うのは、最終決戦が確実に迫って来ている今だからこそ、ちゃんとある程度は考えていかないといけない事なのかもしれない。
やりたい事がしっかりと分かっている人なら良いが、まだ幼い頃から鬼殺の道で生きてきた者も多い訳で……。そう言った人に、「今日からどうしたいのか決めろ」と迫るのも酷な話である。
そんな事を考えていると。
無一郎は、「ああ……」と小さく息を零した。
「やりたい事……って言って良いのかは分からないけど。
故郷の山に帰って墓参りをしたいな。
父さんと母さんと……そして兄さんのお墓があるから。
随分と遅くなっちゃったけど、ちゃんと行きたいんだ」
「そうか」
そう言った「やりたい事」を一つ一つ見付けていく事も大事な事だ。
その積み重ねの中で、何か新たに見付けられるものもあるかもしれないのだから。
こうして話をしたからなのか、無一郎の表情が少し晴れやかなものになった事に。「良かった……」と、そう心から思うのであった。
◆◆◆◆◆
【鳴上悠】
有一郎の事にとても胸を痛めた。とても哀しい。
自分の事に関しては、基本的に運が良かった部分が大きいと自覚している。(が、その運や周りの人望を掴めたのは間違いなく悠自身の努力の結果である)
【時透無一郎】
悠がもしあの時あの場に居合わせていたら、自分たちのことを知らなくても全力で助けようとしてくれたんだろうなぁ……と思っている。
有一郎にも悠に会って欲しかった。きっと仲良くなれると思う。
実は、不死川兄弟の事に関して、自分と有一郎の事を思い出してちょっとモヤモヤしている。実弥の意図は何となく分かると言うか、多分有一郎と同じだよね……と察している模様。
素直にならないと色んなものを喪うし取り返しがつかなくなってから後悔してしまう事を実体験として知っているのでもどかしい。
【時透有一郎】
何時も無一郎を見守っている。無一郎が鬼殺隊なんて言う命を投げ捨てる様な場所に居るのでとてもハラハラしている。
死なないで欲しいし、長生きして幸せになって欲しい。
【エンディング分岐についてのお知らせ】
もうちょっとしたら幾つかアンケートを取って、結末を分岐させる予定です。
分岐先は
・トゥルーエンド
・ノーマルエンド
・バッドエンド(正確にはビターエンド位です)
の三つです。
どの結末でもちゃんと物語としては完結します。
皆様の【選択】を楽しみにしています。
(選ばれなかった結末に関しては、完結後に改めて書くとは思います)