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甘露寺さんの所に滞在して五日程が過ぎた。
炭治郎たちは煉獄さんの試練も突破して、今度は無一郎の試練に向かうらしい。
きっと無一郎も炭治郎たちが来て喜ぶだろう。
呼吸が使えないハンデを背負いながらも、玄弥も何とか煉獄さんに合格を認めて貰えた様だ。
全集中・常中の習得とその精度の向上が目的であると言う煉獄さんの試練だが。既に一定水準以上の常中が可能な者や、或いは玄弥の様に呼吸の才以外の部分でその力を評価すべき隊士に対しては、煉獄さんが直接手合わせをする事でその力量を確かめ、その上で一定基準を満たせば合格になるそうだ。
炭治郎たちでも即日合格とはならずに数日は鍛錬を積まねばならなかった事を考えると、その合格基準も決して甘いものではなくてかなり厳しいものなのだろう。
何にせよ、玄弥が無事に柱稽古を続けられる様で何よりだ。
……玄弥は、今回の柱稽古には並々ならぬ気迫で参加している。
何しろ、しのぶさん以外の全ての柱の下を順に廻る事になる。
当然、風柱である実弥さんの所にも行く事になるのだ。
徹底的に玄弥を避けている実弥さんも、否応なしに顔を合わせる事になる。
そこで二人の関係が何かしら良い方向に進むのかどうかは分からないけれど……。
手合わせの際に会った時の事を思い出して、かなり面倒な状況になっている様であるそれを思い出すと、溜め息が零れてしまう。
恐らくは、『玄弥に危険な事をして欲しくない』『玄弥を危険から遠ざけたい』と言う想いがそこにあるのだとは思うけれど。
幾ら何でも、あれでは態度と言動が不味過ぎる。
あれでは二人とも無益に傷付くだけだし、互いにより一層意固地になるだけだろう。
もどかしいを通り越して、どうにかしないと不味いのでは……? と心から思わせる程に。二人の間のそれは、本来ならもっと単純に解決出来るか双方折り合いを付ける事が出来る筈なのに、複雑怪奇に絡み合い捻れてどうにもならなくなっている。
とは言え、それをどうこうするにも先ずは互いに話し合いが出来る状態にしなくてはならないのに、実弥さんは絶対に自分のそれを曲げないだろうし玄弥を突き放し続けるので、話し合いが平行線を辿るどころかそもそも発生すら出来てない。
冨岡さんの時のそれとはまた別に、かなりの難題である。
でもやはり、このままにする訳にもいかなくて……。
炭治郎たちから送られた手紙を読みながら、「うーん……」と考え込んでいると。
「どうかしたの?」と、一緒にお茶の時間の休憩を取っていた甘露寺さんが少し心配そうに訊ねて来た。
「ああ、いえ……。……一度拗れたものを元に戻すのは難しいな、と。
ちょっとそう考えていたんです」
そう答えると、甘露寺さんは「もしかして……」と不死川兄弟の事かと訊ねる。
まあ、甘露寺さんは柱として実弥さんと交流があるし、そして里では玄弥との交流もある。そうでなくても、複雑に拗れてしまった兄弟仲の事を何処かで聞いたのかもしれないし、柱の人たちと手合わせした時に実弥さんと話していた事を聞いていたのかもしれない。
甘露寺さんは不死川兄弟の複雑な関係に少し戸惑っている様だった。
「うちは皆仲が良いから、ああ言った感じの兄弟関係は初めてなのよね」
五人姉弟の一番上として生まれた甘露寺さんは、弟妹たちととても仲が良い事もあって、不死川兄弟の込み入った関係性は中々共感出来ない様だ。
まあ、甘露寺さんにとって他に身近に兄弟が居る人と言えば煉獄さんたちなのだろうし、煉獄さんと千寿郎くんは見るからにとても兄弟仲が良いので、あそこまで複雑怪奇になってしまったものに遭遇するのは初めてであろう。
実弥さんが頑なに弟の存在を否定している事も有って、「訳アリ」なのだとは察しつつもそれ以上は詳しく聞けなかったそうだ。
「……まあ、実弥さんは玄弥の事を決して疎んでいる訳では無いとは思いますよ。恐らくは、になりますが……」
寧ろ、相手の事を大事に想い過ぎているからこそああなっているのだろう。
だからこそ相手も自分も傷付けてでも遠ざけようとしてしまっているのだろうけど、それでは誰も救われない様に思う。
「あら、そうなの? それなのに仲が悪いのは切ないわね……」
鬼殺隊の剣士としては例外的とも言える程に明るく朗らかな甘露寺さんではあるが、鬼殺隊に身を投じる事になった様々な人々の哀しみや辛い事情を見聞きしてきたからか、不死川兄弟の間にもあるのだろうそう言ったものを感じ取って、哀しい顔をする。
「そうですね……。互いを想い合っている筈なのに、ああ言った形にしかなれないのは……傍から見ていてもとても切ないです」
当事者である二人の悲しみや苦しみはそれ以上のものなのだろう。
……二人が話し合うだけで何か決着を付ける事が出来るのなら良いけれど、今の状況では第三者の何かしらの介入が無ければどうにもならない状況にまでなっている気がする。
何れ時間が解決する事なのかもしれなくても、時間は無限ではなくて。
そして、鬼殺隊の総力を挙げた決戦が迫る中で、最悪の場合その機会は永遠に喪われる可能性だってあるだろう。……そうはならない様に可能な限り手は尽くすけれど。
「……相手を想っているからこその言動でも、それで互いに深く傷付く様な事を続けていたら……『もしも』の時の後悔は本当に手の施しようのないものになってしまう。
俺の我儘かもしれなくても、そんな後悔を抱えるかもしれない様な状態で居て欲しくは無いんです」
分かり合える「明日」が必ず来るとは限らない。鬼の存在の有る無しに関わらず、理不尽で不条理な死が何時訪れるのかは誰にも分からない。
後悔の無い人生と言うものは存在しないのだとしても、背負う必要のない後悔を自ら作り出そうとするかの様なそれは、傍から見ているとまるで意味の無い自傷行為の様である。……本人はそれが一番だと思っているからそうしているのだろうけれど。
でも、その「最善」の中には、肝心の玄弥の気持ちは含まれていない。
「……誰かを守る事は、とても難しい事ですね」
守ろうとしたその行動が何よりも互いを傷付けてしまったり。
最善だと思った行動が、決してそうではなかったり。
……ただ、心にも無い言葉で守れるものは決して多くは無いだろう。それどころか取り零してしまうものの方が多い。
それだけは、きっと確かだと思う。
「そうね……」
甘露寺さんも、少し切なそうな顔で頷いた。
……甘露寺さんも、鬼殺隊の剣士として戦う内に様々なものを見て来たのだし、守る事の難しさを知っている人だ。
明るく朗らかで、悲惨な過去があったから鬼殺隊に身を置いている訳では無いのだとしても。しかし、共に戦ってきた仲間や先輩や後輩……鬼殺隊で得た繋がりを喪う事は多かっただろう。
人より優れた力を持っていても、それでも全てを助ける事は出来ない。
自分の手の届く場所だったとしても、どうにも出来ない事だってあっただろう。……そして、自分の手が決して届かぬ場所で知らぬ内に誰かを亡くしていた事も。
それでも優しさや明るさを喪う事も忘れる事も無い甘露寺さんは、本当に素敵な人だと思う。
そして、少し切ない気持ちになって落ち込んでしまった甘露寺さんは、元気を出さなきゃと大量にパンケーキを焼き始めた。
甘露寺さんは沢山食べる人だが、料理やお菓子作りもとても上手だ。
まあ、作った端から消費してしまうので、自分で作る時も有れば屋敷の管理などの為にやって来てくれる隠の人たちが作ってくれる時もあるが。
洋風のものもとても好きであるらしく、カツレツやオムライスなども好きなのだとか。この時代ではまさにハイカラな料理として扱われているもので、食べ馴染みが無い人も多い料理なのだが、力が出るから好きなのだそうだ。
材料があるなら自分も色々作れるのだと申し出ると、それならばと一緒に料理したりもする。
なお、初日はオムライスを作り、二日目は大量にコロッケを作り、三日目は寸動鍋でビーフシチューを作り、昨日はカレーライスを作った。
美味しい美味しいと喜んでくれるのでとても作り甲斐がある。
初日にひたすらオムライスを焼き続けるのはちょっと疲れたが、二日目からは一気に量を作れるものにしたのでそこは問題無い。
ちなみに今日は肉じゃがの予定だ。
中々食費が物凄い事になっていそうなのだが、そこは柱なので問題無いのだとか。
大量のパンケーキを食べた甘露寺さんは物凄く元気になって、午後からの手合わせを再開した。お腹が満たされるととても調子が良いらしい。
ちょっとこなれて来ただろうかと言う頃合いからの猛攻は凄まじいものである。
甘露寺さんは、多分炭治郎と同様に感覚派とでも言うべきものなのか、説明はあまり得意では無いらしく。
その不思議な形の日輪刀から繰り出される独特の呼吸と型に興味が湧いて訊ねてみても、「ぐああああ~ってしてね」「そこでグイッ、ヒュンって」「この時にメキメキバキィって」と、正直何が何だかよく分からない説明だった。
炭治郎なら解読出来るかもしれない。
傍に居るだけで元気になれる様な明るい人だけど、そんな甘露寺さんが一番嬉しそうな顔をするのはどうやら伊黒さんからの手紙が届いた時の様だ。
どうやら甘露寺さんは伊黒さんと頻繁に文通をしているらしく、更には柱として忙しい日々を送る中で非番の時には一緒に食事に行ったりなどしているそうだ。
そして、甘露寺さんは伊黒さんと一緒に食事に行くのがとても楽しいらしく、更には手紙を貰える事が嬉しいのだとか。
美味しいものを食べている時以上に幸せそうな顔をしている甘露寺さんを見て、「もしかして……」と言う思いが過る。いや、人の恋路にとやかく関わる事は良い趣味とは言えないのだけど。
聞けば、甘露寺さんが大切にしている靴下は伊黒さんから贈られたものであるらしい。少々……と言うか大分あられもない格好の隊服を支給されて困っていた所を気を利かせてくれたのだとか。
伊黒さんはとても親切で自分に良くしてくれる人なのだと甘露寺さんは言う。
「……あの、ちょっと不躾な質問になってしまいますが。
甘露寺さんは伊黒さんの事をお慕いしているのでしょうか?
その……恋愛的な意味合いで」
夕暮れ時を前に届いた伊黒さんからの手紙を、本当に幸せそうに読んでいる甘露寺さんに、ちょっと迷いつつも聞いてしまう。
いや、決して他意は無いのだ。
ただ、以前甘露寺さんから聞いたその入隊の理由や、その時に既に意中の相手は居るのだと言いたげな態度を思い出して、つい。
まあデリケートな部分であるのだし、特に異性に対しては答え辛い事かもしれないけれど。
その質問に、甘露寺さんはポッと頬を赤く染めて、そしてもじもじと気恥ずかしそうにしつつ、コクリと静かに頷いた。
ちょっと気恥ずかしそうに語った所によると、伊黒さんが自分に向けてくれる気遣いやその優しさが本当に嬉しくて、そして自分が何かを食べている姿を今までに見た誰よりも優しい目で見守っていてくれるのが幸せで。そして、それらが沢山降り積もって、気付けば伊黒さんの事が特別に好きになっていたのだそうだ。
ただ……。
「でも、伊黒さんはきっと皆に同じ位に親切なの。
それに……優しく親切にしてくれる事と、女の子として好きになってくれている事とは同じでは無いから。
お友だちとしては仲良くしてくれても、お嫁さんにしたい人だとは思って貰えないかもしれなくて」
それが恐くて。今の心地良い関係性を壊してしまうのではないかと尻込みをして。
それで、伊黒さんの事を特別に想い慕っていても、その想いを告げる事が出来ないのだと言う。
甘露寺さんはとても可愛らしい人で、周りの人たちを皆明るくしてしまえる様な素敵な人で、そして自分の命を懸けてでも誰かを助けようとする事が出来るとても勇敢な人なのだけれど。
……それでも、かつて見合いの場でその特異的な部分を指摘されて破談になった事が、その心に深い傷になって今も甘露寺さんを苦しめているのだろう。
本当の自分を隠さずとも良くなっても、かつて心の無い言葉で斬り捨てられたその怪力で誰かを助けられる様になっても。
しかし、自分らしく生きていたいと思い、それを実現出来る場所で生き生きと生きられても。
「誰かと添い遂げたい」と言うその願いは、かつて傷付いた時の状態から今も踏み出せていないままなのだろう。
深く傷付いたからこそ慎重になって、そして臆病な程に尻込みしてしまう。
程度の差こそあれど、誰しもがそうなのだろう。傷付くのは嫌なのだ。
だから無責任にその背中を押す事は出来無いけれど。
「俺は伊黒さんでは無いから、その気持ちの全てが分かる訳ではありませんが……。
しかし、恐らく伊黒さんが甘露寺さんに親切にしているのは、誰にでも優しいからではなくて、それが甘露寺さんだからだと思いますよ」
自分が伊黒さんと話した時の事を思い出して、甘露寺さんにそう伝える。
まあ、伊黒さんと顔を合わせた回数は少ないし、冨岡さん程では無いがそう多くを話し合った訳でも無い。
ただ……優しい人だとは思うけれど、しかし甘露寺さんが言う様な「とても親切な人」なのかと言うと違う気がする。
他の人に対しての態度を見ても、恐らくは甘露寺さんだけに特に親切なだけなのではないだろうか。
「そうなのかしら?」
「伊黒さんが優しい方なのは確かだとは思いますが……。
何だったら、伊黒さんが甘露寺さん以外の他の人にどう接しているのかをこっそり見てみては如何ですか?」
丁度柱稽古の期間中なのだから、柱同士でどうしているのかを観察する機会は沢山あるだろう。
異性に対しての反応を知りたいと言うのであれば、同じ柱であるしのぶさんに対して伊黒さんがどう接するのかを見てみれば良いと思う。
それか直接観察するまでもなく、伊黒さん以外の柱の人たちに訊いてみたら良いのだ。
恐らく、甘露寺さんに対する様な親切を向けられている人は他に居ないのではないだろうか。
そもそも、多忙な中で非番の日を合わせて食事に誘っている時点で、かなり特別な好意を懐いている気がするのだが。
「でも私、しのぶちゃんに色々と相談しているのだけどよく分からなくて……」
話を聞いてみると、どうやらしのぶさんとは恋愛相談の様な事をしているそうなのだが。
しかし、そのしのぶさんからの返事の内容は何と言うのか……その……。
論文か何かかな……? と思う程に学術的なものだった。
いや、多分しのぶさんはとても真面目にアドバイスしているつもりなのだとは思うけど。何と言うのか、しのぶさんはとても真面目なのだけど、たまにちょっと不思議な事をするというか。
……それは、陽介たちに「天然ボケ」と言われる自分が言えた事では無いのかもしれないけど。
ただ、恋愛沙汰にそう詳しくはない自分でも、多分甘露寺さんが求めているアドバイスは心拍数や血圧がどうだとかと言う話では無いとは分かる。
もしかしなくても、しのぶさんは恋愛音痴と言うかちょっとずれているのかもしれない。
アオイから聞いたカナヲの命名の際の話や、飼っている金魚に自信満々に「ふぐ」と名付けたりしているのを聞くに、ネーミングセンスが独特なのは間違いないけど。多分その他にも何かと独創的なのだろう。
「俺も良い助言が出来る訳では無いのですが……。
伊黒さんが甘露寺さんをどう想っているのかを知るには。
やはり、同じ様な状況下で、甘露寺さんに対する反応と他の人に対する反応がどう違うのかを観察してみるのが一番ではないでしょうかね?」
まあ、それとなく周囲を探ってみたりだとか、そういう手もあるだろうけど。
そんな風に始まった甘露寺さんの恋愛相談は大盛り上がりを見せて、夜更けまで二人で話し込む事になったのであった。
◆◆◆◆◆
甘露寺さんの恋愛事情を知ったその翌日。
そろそろ甘露寺さんも柱稽古の準備をしなければならないので、恋屋敷を発つ事になった。
次に向かうのは伊黒さんが待つ蛇屋敷だ。
「鳴上悠、俺はお前を待っていた」
「はい、少しの間になりますがよろしくお願いします」
恐らく玄関先で待っていてくれたのだろう伊黒さんが早速出迎えてくれる。
伊黒さんと何時も一緒に居る鏑丸も、当然ながら一緒だ。
ジッとこちらを見てくる鏑丸に軽く頭を下げると、何処か伊黒さんの気配が優しいものになった気がする。
……ただ、それは勘違いだったのか。
「甘露寺から話は聞いている。
随分と親しく過ごしていたそうではないか」
等と言う文言から始まり、うら若き婦女子の下を訪れる際の礼節に関してやら、甘露寺さんに対して馴れ馴れしくし過ぎるなやら、そもそも何処の誰だかも分からないし語る気もない者が甘露寺さんに近寄るのは云々……等と言った事をあれやそれやとネチネチとした言い方で色々と言い募られる。
何と言うのか、物凄く……それはもう果てしなく物凄く、何か盛大に誤解されている気がする。
「あの……。
多分伊黒さんが心配されている様な事は何も無いですよ、俺と甘露寺さんとの間には」
まあ確かに、大切な人だとは思っているけれど。
別にそれは恋愛感情的なものでは全く無いと思うのだ。
仲間と言うか友だちと言うか、まあ幸せになって欲しいと心から願う相手だが、それは別に恋人になりたいだとか更にその先の関係性になりたいだとかと言う感情とは一切無縁のものである。
と言うより、そんな心配をしなくても、甘露寺さんの心は伊黒さんに向いているのだが……。
何と言うのか、変に考えたりせずにお互いに直球で想いを伝えたら、甘露寺さんと伊黒さんに関して言えばそれで万事解決なのでは……? と思ってしまう。
いや、今ここで甘露寺さんの想いを勝手に暴露してしまうのは流石に良くないのだが。
しかし、自分と甘露寺さんの間にその様な感情は全く存在していない事を申告すると、何故だか伊黒さんは慌てた様な素振りを見せる。
……物凄く色々と分かり易過ぎる反応なのだけど、こんな風に反応していたのなら甘露寺さんはどうして気付かなかったのだろうか?
……まあ、それだけ甘露寺さんにとっては過去のトラウマが重かったのかもしれないが。
そんなこんなで何となく締まらない感じの挨拶にはなってしまったが、しかしその手合わせの内容はかなり濃密なものになった。
単純な膂力だけで言えば、伊黒さんの力はあまり強くはない方なのだろう。だがそれを補って余りある程の精密な太刀筋と、それ以上に素早く此方の攻撃を見切ってその隙間に刀を滑り込ませる様に反撃してくるそれは何とも独特のものだ。
激しい打ち合いになれば確実に此方が勝てるが、しかしそれは分かっているからこそするりするりと蛇が細い抜け穴を通っていくかの様に回避しつつ最低限の動きで此方を止めようとしてくる。
何度も手合わせをしている内に気付けばすっかり日が落ちてしまった程に、互いに手合わせに集中していた。
流石に今日はもう終わりにしようと言う事になって、休憩をしていたのだけれど。
その時、伊黒さんがポツリと呟いた。
「お前は……何も訊かないんだな」
口元を隠す様に顔に巻いていた包帯をキッチリと巻き直しながら伊黒さんはそう言う。
……その包帯の下には、口元から両頬を大きく切り裂かれた様な酷い傷痕がある。
最後の手合せの際に、此方の攻撃が僅かにその包帯に掠ってしまい……その結果包帯を解いてしまったのだ。
流石に、その包帯の下を見て全くの無反応でいる事は出来なくて少しは驚いた様に息を詰まらせてしまったが。
しかし何も言える事など無く、そして実戦を想定している手合せである以上はそこで手を止める事は出来なくてその後も戦い続けていたのだけれど。
「……人の事情にズケズケと足を踏み入れるべきでは無いですから。……話して頂くのなら、幾らでも聞きますが」
成り立ての鬼ですら人を容易く切り裂く事が出来るのだ。
……鬼によって人生を狂わされた人が多い鬼殺隊の中には、鬼によって付けられた惨い傷痕を持つ者も少なくは無い。
その場合、その傷は心の傷にも強く関係している。
それを他人が軽々しくどうこうして良いものでは無い。
それに、隠しているのならそれに触れて欲しくはないと言う事なのだろう。そんな事まで一々好奇心のままに暴き立てる様な悪趣味は持ち合わせていないのだ。
とは言え、本人が誰かに話したいと思っている事であるのならそれを聞いて受け止める覚悟はあるのだけれど。
「聞いた所で何も気分が良くなる部分など無い。
そもそも、俺や他の者の話よりも、お前自身の話はどうなのだ」
「俺の話……ですか?」
話と言われても、何か語る様な事など果たして自分にあるだろうか?
そう思って思わず首を傾げてしまう。
「……お前はどうやら妙に他人の事情に首を突っ込んではどうにかしようとするようなお人好しの様だが。
しかし、お前自身はどうなのだ?
何処の誰だかも分からない、今まで何をしていたのかも、何の為に此処に居るのかも。自分自身の事は多くは語らず、何を抱えているのかも言おうとしない。
それで他人の事情をあれやこれやと抱え込んでどうする気だ」
伊黒さんにそう指摘されて、思わず言葉に詰まってしまう。
それは紛れもなく事実だからだ。
鬼殺隊の人たちは、皆辛い事情を抱えている事が大半だから、基本的に他人の事情を詮索しようとはしない。鬼殺隊で共に戦っている事以上に重要な事は無いのだとばかりにそれ以上は求めない。
……自分は、その気風に甘えているのだろう。
自分の事を何一つ明かさないまま他人の事情に関わっていくその姿勢は、人によっては眉を顰める様なものだと思う。
……しかし、自分に語れる様な過去は無い。
説明出来る様な辻褄の合う経歴も無い。
この世界で何を辿った所で過去に繋がるものは出てくる筈も無いのだし、そうなれば益々不信感を与えるだろう。
自分の過去を知る人は居ない、自分の過去に繋がる人や物も無い。……それで何を語れると言うのだろうか。
この世界に於ける自分の過去は、炭治郎に初めて出会ったあの日の夜からのものだけが全てである。
ペルソナの力だって、説明した所でそれを他の誰かが証明出来る訳でも無くて。
ちゃんと説明した所で、やはり自分は『何処から来たのかも分からない 』『何者なのかも分からない』『おかしな力を持った「何か」』にしかなれない。
だから、何も話せない、何も語れない。
訊ねられれば答えられる部分は答えるけれど、その部分もそう多くはない。
「……俺自身について語れる事は殆ど無いですね。
ただ……どうして此処に居るのかは。
炭治郎の力になりたいと言う気持ちと、鬼の様な人の心や魂の尊厳を踏み躙る様な存在を生み出し続けている鬼舞辻無惨の事を許せないと言う感情が始まりでした。
でも、もうそれだけではなくて。沢山の人たちに関わる内に、もっと多くの想いが生まれて……。
大切な人たちと人として共に戦って、皆で鬼の居ない明日で笑い合える未来を勝ち取りたいと……今はそう思っています」
どうして『夢』の中で此処に辿り着いたのかは分からない。
どうして醒める事の無い『邯鄲の夢』を見続けているのかも。
あの日出逢ったのが炭治郎でなければ、鬼殺隊に入ってはいなかったのかもしれない。……その場合どうしていたのかは、もう今となっては分からない。
ただ、今自分が鬼殺隊に居て、そして皆に出逢って共に戦っているのは、あの日炭治郎と出会ったからだと言う事は分かる。
「お前は……。……まあ良いだろう。
……鬼の居ない明日が来れば誰もが笑い合えると本気で思っているのか?」
何かを言おうとして、しかしそれを諦めたかの様に僅かに首を横に振った伊黒さんは、「目的」だと語ったそれを本気なのかとでも言いた気に訊ねてきた。
「誰もが直ぐに『鬼』と言う存在がその心に残した傷痕から解放されるとは言えませんが、それでもきっと何時かは、と。そう思います。
だって、生きている限りは『幸せ』を感じる瞬間が必ず来る。どんなに小さなものでも、ささやかなものでも。
『鬼』から解放されたそこで『幸せ』に笑う瞬間は必ず来ると、俺はそう信じたいんです」
例え、恨みや憎しみを晴らす為に刃を手にしたのだとしても、自分と同じ様な想いをする者を少しでも減らす為の義務感の様な気持ちで戦いに身を投じたのだとしても、或いは義憤の様な想いから鬼を討つ事を覚悟したのだとしても。
でも、それで幸せになってはいけないなんて理由は無い。
数多の想いを繋いで掴み取ったその先の未来で、無数の無念が報われる程の幸せを掴み取って生きて欲しいと願うのだ。
鬼を討つ為に生きてきたのではなく、幸せになる為に生きてきたのだと、今こうして笑い合う為に生きてきたのだと。
鬼の存在が消え去ったその先で、大切な人たちにはそう思って幸せになって欲しいのだと願ってしまった。
それはきっと途方も無い程に向こう見ずで、そして押し付けがましい程に傲慢な願いであるのかもしれないけど。
その心からの願いに背く事は出来ない。
「『幸せ』、か。だが、『幸せ』になる資格など無い者も居る。
そんな者に対してまで、お前は一々心を配るつもりか?」
「『幸せ』になる資格なんて、そんなの必要ないでしょう。
いいえ、もしそんな物があるのだとしてもそれはきっと誰しもが持っている筈です。
そもそも『幸せ』は資格云々の話じゃなくて、心がどう感じるかの問題で、それは生きていた事を嬉しいと思う瞬間です」
それはきっと、誰にでもある筈だと思いたい。
中にはそれに気付けない人もいるかもしれないけれど、人はほんの些細な事でもそこに『幸せ』を感じられる。
生きたいと誰もが望むからこそ、「生きていて良かった」と思う瞬間はきっと誰にだってある。
しかし、伊黒さんはゆるりとそれを否定する様に首を横に振る。
「なら、俺にはその資格が例外的に無いのだろう。
……俺は、生贄として死ぬ為に生かされ、そして生きる為に何十もの命を犠牲にしてでも逃げ出した屑だ。
今生で『幸せ』になる資格など、俺には無い。
無惨を殺して死んで、この薄汚い血を浄化しなければ『幸せ』になどなれない」
返す言葉を喪い呆然とした様に立ち尽くしてしまった此方を見て、伊黒さんは「お前が気にする事では無い」と零してその場から立ち去ってしまうのであった。
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【鳴上悠】
蜜璃の事はとても大切に想っているが、別に恋愛感情では無いし今後とも恋愛感情には発展しない。
蜜璃の夢を全力で応援しているので、その恋路は全力で応援する所存。
自分の過去などに関しては、炭治郎に少しだけ八十稲羽での出来事を話している位で、それ以外は誰にも何も話していない。
【甘露寺蜜璃】
とても優しく親切な悠に対しての好感度はとても高いけれど、悠は男女の区別無く皆に親切だし優しい事も知っている事もあって恋愛的な意味での好感度では無い。
どちらかと言うと、「異端」扱いされがちな力を持っている事や、人の役に立ちたいと言う気持ちから鬼殺隊に居る事に対するある種の同族意識の方が近い。
とは言え、物凄く好きではあるし、その優しさにキュンとくる。
伊黒さんとの恋路が成就するのかどうなのか……。
【伊黒小芭内】
コミュ障ぼっちの義勇さんとは違ってちゃんと隊士との交流があって色んな話も耳に入ってくるので、悠が鬼殺隊の様々な人たちの悩みを解決したりメンタルケアをやっていたりしているのは知っている。義勇さんが柱稽古に参加する事を決めたのも悠(と炭治郎)のメンタルケアの結果なのだろうと勘付いている。
悠の事は謎だらけ過ぎて正直よく分からないけど、人格の部分は間違いなく善良な「綺麗」な側の存在だと思っているしその部分への好感はある。
蜜璃の事が本当に好きだけど、自分の出自や(本人の責任は無いけど)結果として親族をほぼ皆殺しにしてしまった事など、様々な事で思い詰めている為自分の気持ちを明かせない。
悠は、蜜璃に対してとても優しいし親切だし、自分の様な穢れた血を引いている訳では無いだろうし蜜璃を守れる位とても強いしと、自分が持つ事の出来ない様々なものを全部持っている様に見えている。
なので、もし蜜璃が悠の事を好きになったり、悠が蜜璃の事を好きになったりすると自分には一切勝ち目は無いと思って、ちょっと落ち込んだ。
まあ、悠も蜜璃も互いに恋愛感情は皆無なのだが。
『神様』に委ねれば全て上手くいくと思いますか?
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はい
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いいえ