『鳴上悠は鬼殺の夢を見る』   作:OKAMEPON

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実弥さんに対しての何かしらのアンチ・ヘイトの意図はありません、悪しからず……。


『たった一つの願い』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 全く、何処までお人好しなんだか……と。そう思わず溜息を吐いてしまう程に、悠から送られてきた手紙の内容は「お人好し」なんて言葉で済ませて良いものか迷うものであった。

 カナエ姉さんも本当に優しいし大分お人好しな人ではあったけれど……お人好し加減で言えば悠の方が上かもしれない。良い意味でも、悪い意味でも。

 

 他人の心に真剣に向き合って、綺麗なだけでは無い感情ですら真摯に受け止めてそこにある『真実』を探し出そうとする。

 そうした悠のその姿勢に、傷付き果てた心を救われた人は決して少なくはないのだろう。

 蝶屋敷に運ばれて来た隊士たちの身体の傷だけではなく、その心に深く刻まれた醜くドロドロとした感情にまで向き合っている事も多かった事は知っているし。それだけではなく、時透くんや冨岡さんなどの柱たちの心にも真剣に向き合って、その心が苦しみから前を向く為の手助けをしている。まあ、私自身も彼の「お人好し」に救われた部分がとても大きい。

 ただ、そうやって他人の心に向き合う事は決して楽な事では無い。

 時には深く傷付く事もあるし、そもそもどうにか出来る様な状態じゃない事だってある。悠のその優しさが正しく報われ続けてきた訳では無いだろう。

 それでも他人の事情や心にも向き合おうとし続けるその在り方は、優しく眩しいと同時に何処か不器用にも見える。

 まあ、結果として悠のその「お人好し」は色々と上手い具合に色んな人たちを助けているので、無理に止める様な事でも無いけれど。

 

 そんな極まった「お人好し」である悠は、今は不死川兄弟の事で頭を悩ませている様で。

 拗れに拗れて話し合う事すら出来なくなっている二人がちゃんと話し合える様にどうか力を貸して欲しいのだ、と。そう悠は私を頼ってきた。

 

 不死川兄弟……不死川さんと玄弥君の複雑な関係は、私も断片的には把握している。

 

 自傷する様にして稀血を鬼殺に利用する不死川さんは、傷を負う頻度の割にはあまり蝶屋敷には近寄りたがらないが。昔は怪我が酷くなる前に引き摺られる様にして蝶屋敷にやって来ていたものだ。

 不死川さんを連れて来ていたあの人……。不死川さんの兄弟子であるのだと言っていた粂野さんは、不死川さんが柱になった切っ掛けであった下弦の壱との戦いで亡くなったと聞いた事がある。

 そして、それが原因で柱になったばかりの不死川さんはとても荒れていて、今では考えられないがお館様にすら食って掛かった程だったのだと、柱合会議でその場に居合わせていたカナエ姉さんから聞いた事もある。

 弟など居ないと頑なに玄弥君の事を拒絶しながらも、玄弥君が負傷して蝶屋敷に運び込まれた時にはほぼ必ずと言って良い程蝶屋敷に立ち寄っている事も知っている。

 ……どうして不死川さんが玄弥君の事を拒絶しているのか、その理由を察せない訳では無いし、思う所が無い訳でもないけれど。だからと言ってそこに一々口を出す事は出来ないので私は静観していた。

 

 玄弥君に関しては「鬼食い」の事に関して蝶屋敷で経過観察を行っている事もあって、不死川さんの事よりもちょっとは詳しく知っているつもりだ。

 最初の頃は荒れまくっていたその態度も、悲鳴嶼さんや悠の尽力で随分と丸くなって。今となっては鬼殺隊に入ったばかりの頃のそれとは比べ物にならない程に穏やかで普通の青年になっている。

 同期として交流がある事もあって、カナヲも含めて炭治郎君たちとの仲も良い。

 そんな玄弥君が鬼殺隊に入った理由とは、かつて自分が兄に言ってしまった心無い言葉を謝罪する事と、そして少しでもたった一人残された「家族」である兄の力になって兄に幸せになって欲しいからであると言う。

 

 ……恐らくは、不死川さんとしては玄弥君が幸せになってくれる事を心から願っているのだろうし、その玄弥君の「幸せ」の中に自分は居なくて良いと思っているのだろうけれども。しかし、玄弥君自身にとっての「幸せ」の重要な部分を不死川さんの存在が占めている事には気付いていない……或いは分かっていても見ないフリをしているのだろう。

 自分が「悪者」になってでも大切な人の「幸せ」を守ろうとするそれは、ある意味では「自己犠牲」と言ってしまって良いのかもしれないけれど。傍から見ていて盛大にすれ違っているそれは、まるで独り相撲の様に不毛な行動に見える。

 私としては、不死川さんの気持ちも理解出来るし、玄弥君の心情も理解出来る。……どちらかと言うと玄弥君の方に心情としては傾きがちかもしれないが。

 

 私だって、本当ならカナヲには鬼殺の道なんて選んで欲しくは無かったし、だからこそカナヲに呼吸を教えてなどいないし育手を紹介してすらいない。それなのにカナヲは私やカナエ姉さんが鍛錬している姿を見て花の呼吸を習得してしまっていて……そして最終選別に向かってしまった。

 あの時は蝶屋敷にカナヲの姿が見えなくて本当に驚いたし心配したし、まさか最終選別に行っているとは思わなくて最終選別を合格した者の名前にカナヲの名があって本当に心臓が止まるんじゃないかと思う程に驚いたものだ。

 自分の意思で中々物事を決める事が出来なかった頃の事だったから、一体誰に何を言われたのだろうかと本気で心配したしカナヲを唆した奴がいるなら絶対に許さないと本気で怒ったし、カナヲが心配だったあまりにもう継子は取らないと決めていたそれを曲げて継子にした。

 後々になって、あの時のあの行動はまだハッキリとは自覚出来ていなかったもののカナヲ自身の意志によるものだったらしいと理解したが……。まあ、本当にあの時は血の気が引いた思いであった。

 だから、最終選別合格者の名前の中に玄弥君の名前を見付けた時の不死川さんの気持ちも多少は想像出来る。

 ……最悪の場合、自分が知らない内に藤襲山の何処かで大事な「家族」が死んでいたかもしれないのだ。不死川さんの混乱や恐怖などは察するに余りある。

 正直、その衝撃が大き過ぎて、ああやって頑なに拒絶する程に「余裕」が無くなっているのかもしれないとすら思ってもいる。

 だが、それはそれとして、ああやって拒絶していても何も変わらないし実際に変えられていないのに、それでもその方法に固執しているのは如何なものかとは思うのだが。

 ……まあそれも、不死川さんが喪失の痛みに雁字搦めになっているからなのだとも言えるだろう。

 共に戦っていた粂野さんを喪ったからこそ、その痛みを忘れる事なんて出来無いからこそ、玄弥君に対して何処までも頑なになり続ける。

 不毛だと自覚していたとしても、それを今更止める事は出来なくなっているのかもしれない。

 

 そして、不死川さんの気持ちもとてもよく分かるのと同時に、玄弥君の心情もとても理解出来る。

 ……幸い、と言ってしまって良いのかは今でもよく分からないけれど。カナエ姉さんは私を置いて行ったりはしなかった。

 一緒に鬼を殺して、一人でも多くの人に自分たちの様な想いはさせない、と。その約束を、決して違えなかったし、私を置いて行く事は無かった。

 ……その心の中にどんな想いを隠していたのだとしても、私には鬼の頸を斬る事は出来ないと分かっていて、そこで私の「幸せ」を願って私だけを置いて一人鬼殺の道を歩む事は無かった。

 私の心の中に在る決して消えない鬼への憎しみや怒りを否定せずに、一緒に歩く事を選んでくれた。

 カナエ姉さんが本当の所はどう思っていたのかなんて、今となっては確かめようが無い。

 本当の所は最初から私には鬼殺の道を選んで欲しくは無かったのかもしれないし、或いは鬼殺隊に入って様々な人たちを見る中で私に鬼殺以外の道を選んで欲しくなったのかもしれないし、或いは死の間際になって初めて自分と同じ様な目には遭って欲しくないと思ったのかもしれない。

 例え姉妹でも……血の繋がりがあって、そして大事に想い合っている「家族」でも。それでも相手の全てを理解している訳ではないし、その心の中を覗ける訳では無い。

 ただ少なくとも、私はカナエ姉さんと一緒に鬼殺隊に入った事を、決して不幸せだなんて思わない。

 辛い事も沢山あったし、思い通りにならない現実やどうする事も出来ない理不尽に何度も遭ったし、どんなに頑張っても自分では鬼の頸を斬る事は出来ないと言うそれには今だって打ちのめされ続けている様なものだ。

 それでも、カナエ姉さんと一緒に過ごす事が出来た。どんな理不尽や不条理に遭ったのだとしても、それだけで何があっても「不幸」では無かったのだ。

 ……もし、カナエ姉さんに置いて行かれていたらと考えて、その可能性に心が冷たくなってしまう程の恐ろしさを感じる。

 夜になる度に、何処に居るのかも分からないカナエ姉さんがもしかしたら鬼に殺されているかもしれないと怯え続ける日々。自分に力が無い所為で姉さんを一人にしてしまったのだという自責。置いて行かれた事への無力感……。

 そういった、どうにもならない感情を恐らく一生抱え続ける事になっていただろう。

 不死川兄弟の詳しい事情は私には分からないけれど、しかし不死川さんが玄弥君を鬼殺隊から追い出したとしても、それで玄弥君が「幸せ」になれるのかと言うと難しいと言わざるを得ないと思うのだ。

 呼吸が使えない為に鬼の頸を斬る事は出来ない玄弥君は、確かに鬼殺隊で戦い抜く事はかなり難しい。それは私自身が身を以て知っている。

 だが、それで諦められる様なものでは無いのだ。そして諦められなかったからこそ鬼殺隊に居るのだ。

 その玄弥君の「意志」を不死川さんがちゃんと認めない限りは、二人の想いがちゃんと相手に届く事は無い。

 そして、対話すら拒否している現状ではその可能性は全く存在しないのだろう。

 

 拗れに拗れて二人だけではどうにもならなくなっているその関係性は、もう誰かが関与しない事には悪化するだけだろう。或いは、そんな意地を張って拒絶している様な暇なんて無い状況に放り込まれれば、少しは不死川さんも自分の気持ちを素直に吐露するかもしれないが……そんな状況に遭遇して無事で居られる保証も無い。

 どうかしたら、もうどうする事も出来ない後悔を永遠に抱え続ける結果にもなりかねないのだろう。

 ……そしてお人好しな悠は、傍から見ているだけでも「後悔」になるだろう事は丸分かりの蟠りを抱えたまま、二人が修正不可能な関係性になってしまう事はどうにか避けたいのだと。そう手紙で伝えて来た。

 そしてその為に、少しでも二人に対して公平に仲裁出来る私の力を借りたいのだ、とも。

 

 

「……どうかしたのですか?」

 

 思わず吐いてしまった溜息に、横で作業を進めていた珠世が少し気遣わしげにそう訊ねて来る。

「鬼」に対して、一々隊士間の個人的な関係性の問題の話などする気は無いが。

 かと言って完全に無視をするというのも少しは居心地が悪い。

 心を許す様な関係性ではないし、恐らくは今後とも心を許せる事は無いと思うが。それはそれとして、共同で研究する相手に対しての最低限度の礼儀や接し方はある。

 

「……悠くんがまた色々とお節介を焼いている様で。

 それで、私の力を借りたいと言って来たんです」

 

「悠さんが……。悠さんはとても、……その……世話焼きな性分みたいですからね」

 

 物凄く言葉を濁してはいるが、珠世も悠の「お人好し」加減についてはそれなりに心配している様だった。その点では気が合う。

 その「お人好し」に助けられているのは事実なのだが……。

 とは言え、悠本人には全く関係無い事までもどうにかしようと奔走して、そして色々と要らぬ苦労を背負っているのを見ると、もうちょっとどうにかした方が良いのでは? と思ってしまうのだ。

 そんな事は思いはするが、しかし別に悠の頼みを無碍にする気は無い。

 

「少し研究が滞るかもしれませんが、仕方無いですね」

 

 他でも無い悠の頼みなのだから、とそう思わず苦笑してしまうと。

 珠世も悠の度を越した「お人好し」にちょっと困った様な微笑みで、「ええ、大丈夫ですよ」と返すのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 悠に頼まれて風屋敷に向かったのだが、しかし私が着いた時には何とも混沌とした状況になっていた。

 

 やってしまったと言わんばかりの顔をして今まで見た事も無い程に落ち込んでいる悠と、そんな悠の周りをどうしたら良いのか分からずオロオロしている炭治郎君たちと、そして何故か穏やかな顔で寝息を立てている不死川さんと、悠と不死川さんとの間を何度も視線を往復させている玄弥君と。

 一体何があったのかと言う状況であった。

 

「状況が全く分からないのですが、これは一体何があったんですか?」

 

 そう声を掛けると、寝ている不死川さん以外の全員の視線が此方に向く。

 どうして私が此処に居るのだろうと戸惑う炭治郎君たちとは反対に、悠はますます申し訳ないと言わんばかりの顔をする。

 そして、一体何があったのかを話し始めた。

 

 

 玄弥君が不死川さんの柱稽古に今日から参加する事になったのだが、しかしそこで不死川さんは容赦無い言葉を玄弥君に浴びせ掛けてそれを拒絶したらしい。

 対話どころか顔を合わせる事すら完全に拒否するかの様なその姿勢に、あんまりだと炭治郎君たちは感じたのだが。しかし事前に悠が二人の間の余りにも複雑怪奇に拗れた事情を軽く説明して、そして無暗に刺激すると却ってどうしようも無い程に拗れさせてしまうかもしれないから、不死川さんが玄弥君にどんな対応をしていても感情的にならずにどうか抑えて欲しいと頼んでいた事もあって、その場はどうにか玄弥君を庇って言い返そうとするのは抑えたそうなのだが。

 しかし、悠がどうにかそんな態度を改めて貰おうとして必死に取りなそうとしても不死川さんは梨の礫とばかりに刺々しい態度を貫き続けて。

 それでも、せめて玄弥に柱稽古を受けに来た隊士として対応してやって欲しいという悠からの懇願を受けて、渋々訓練を受けさせようとしたその矢先に。

 自分だけではなくて、自分との仲を必死に取り持とうとしてくれている悠にまであんまりな態度を取り続けている不死川さんの姿に傷付いた玄弥君が、「鬼食い」の事に関して口を滑らせてしまったらしい。

 玄弥君の「鬼食い」の事を、不死川さんはその時まで全く知らなかったらしくて。

 それを聞いた瞬間、それはもう怒髪天を衝くとでも言わんばかりの勢いで玄弥君の目を潰そうとしたらしい。

 寸前で玄弥君自身がその攻撃を回避出来たし、即座に悠が玄弥君を庇って追撃を防いだ事でどうにか事なきを得たが、どう考えても失明させる気満々の攻撃を仕掛けるなんて冗談では済まされない事で。

 これには悠だけではなく、傍で成り行きを見守っていた炭治郎君たちも驚いてそれを止めようとしたのだが、完全に頭に血が上っていた不死川さんを止めるには力不足であり、まさにちぎっては投げの勢いで振り払われたのだとか。

 再起不能にして鬼殺隊を追い出す、それが嫌なら今すぐ鬼殺隊を辞めろと気炎を上げる不死川さんに、悠は流石に我慢がならぬとばかりに玄弥君を庇った。

 どんな怪我を負わせる事になったとしても死んでしまうよりは絶対に良いとでも凝り固まってしまった不死川さんのその頭には残念ながら届かなかったが。こんな事をしても何も良い解決にはならない、どうか落ち着いて話し合ってくれと、悠はとにかく最後まで手を出さずに説得を試みていた様だ。

 ……しかし、玄弥君の「鬼食い」を知って、もう我慢がならないとばかりに荒れる不死川さんの耳にはその言葉は届かなくて。

 半殺しにしてでも叩き出すとばかりに玄弥君を狙おうとする不死川さんから玄弥君を守る為に、止むを得ずに悠は不死川さんを眠らせてしまったらしい。

 

「……それでそんなに落ち込んでいるんですか?」

 

 明らかに落ち込んでいる悠にそう訊ねると、悠は静かに頷く。

 ……話を聞いている限り、不死川さんを止めるにはちょっとやそっとの事では無理だっただろうし、そこまで頭に血が上っていたのなら、もう実力行使で止めるしか無かっただろう。

 ……不死川さんの気持ちを全く理解出来ない訳では無いが、それはそれとして完全に状況を悪化させるしかない様な事をしでかしてる時点でまあ擁護は出来ない。

 

「……それはそうなのですが……。しかし、実弥さんが取り返しの付かない事をしてしまう前に止めなければと、そう思う余りに俺は……。

 咄嗟の事とは言え、実弥さんに対して力を使ってしまった……」

 

 例えそれが何の殺傷力も無いもので、ただ単に眠らせるだけで放っておいてもその内目覚めるものだったとしても。

 しかし、不死川さんに咄嗟の事ではあっても()()()()()を使った事を酷く後悔している様だった。

 更には、不死川さんが心にも無い様な苛烈な言葉で玄弥君を攻撃する事を止められなかった事も、どうやら悠を落ち込ませている様だ。

 正直、私からすれば気にする程のものでは無いとは思うのだが。その辺、悠は他人に気を遣い過ぎていると言うか……不器用に繊細なのだろう。

 

 落ち込んでいる悠に、炭治郎君たちは「悠さんは悪くない」などと言って励まそうとしているが、あまり効果は無い様だった。悠にとっては悪いかどうかの話では無いのだろう。そこに関しては悠自身の捉え方の問題だ。

 悠があまりにも深刻に落ち込んでいるから悠を庇おうとしているのか、不死川さんの様子が如何に荒々しくて直ぐに対処しなければ玄弥君に本当に一生消えない傷を与えかねなかったのかと、カナヲは言葉を必死に探しながら私にそう説明する。

 そんなカナヲに「分かっていますよ」と微笑んだ。

 まあ実際、これに関しては悠に何かしらのお咎めがある可能性は皆無だろう。

 先に乱闘騒ぎを起こしたのは不死川さんなのだし、そしてどんな事情があろうと非が無い隊士に対して再起不能の大怪我を負わせようとするだなんて言語道断の行いである。隊律違反がどうとか以前の話になる。

 普段は何だかんだと冷静なのに、玄弥君の事になると周りが一切見えなくなってしまうのか……。

 まあ、本当に取り返しの付かない怪我を負わせたりする前に止める事が出来て、不幸中の幸いとでも言うべきだろう。

 本当にそうしてしまっていたら、今度こそ拗れるどころか色々なものが一気に壊れてしまいかねない。

 

「まあ、事情は分かりました。

 そこまで状況が悪化しているなら、もうこれは不死川さんと玄弥君の間だけの問題ではなくなってしまってますね。

 早急に、話し合うなりして解決策を見付けなければ」

 

 柱と言う階級には相応の態度が求められる。

 私情で一隊士を相手に再起不能の半殺しにしようなどと、当然あってはならない。鬼殺隊はそんな無法の集団では無い。

 鬼舞辻無惨の討伐と言う、鬼殺隊の悲願に向けて一丸となって動いているそんな中で、組織としてはここまでの明らかな不和を見過ごす訳にはいかないのだ。

 もうここまで来てしまうと、お館様に直談判してでも不死川さんと玄弥君の話し合いの場を設けて、どうにかお互いに折り合いを付けさせる必要がある訳なのだが。

 

 その時、不死川さんの鎹鴉が手紙を運んで来た。

 不死川さんはまだ寝ているので代わりに私が受け取っておくと、その差出人はお館様であった。

 それを見て、悠は「早い……」と驚いた様に呟く。悠が何か予め動いていたのかもしれない。

 

 普段の荒々しい雰囲気は何処へやらと言った様子で安らかに寝息を立てている不死川さんはまだ目覚める気配は無いが……。

 しかし、もういい加減観念して腹を割って話すべき時が、確実に近付いているのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ── 全くお前は本当に強情と言うか、バカ野郎だな。

 ── 大事な弟を傷付けて一番後悔するのはお前だろ。

 ── 先ずは一回話し合ってみろよ。

 ── ……なあ、実弥。

 ── お前を置いて逝ってしまって、ごめんな。でも。

 ── 俺はお前に自分の人生を諦めて欲しくないんだ。

 

 

 ……何処か懐かしい夢を見た様な気がした。

 遥か遠くに消えてしまった、もう二度とは戻れない優しい過去を垣間見たかの様な。或いは誰かに何かを願われた様な。

 ……今も強く心に焼き付いた、友の声を聞いた様な気すらした。

 お袋をこの手で殺したあの日から、眠る時に夢なんて殆ど見ないし、見たとしても良い夢見になる事なんて一度も無かったのに。随分と久しい安らかな眠りだった。

 その夢の余韻に、まだ何処かぼんやりとしたまま目を開けると。

 

「兄ちゃん……!」

 

 目の端にじんわりと涙を浮かべた玄弥が俺を覗き込んできた。

 その途端に、意識が途切れる直前の出来事を思い出して、胸の奥に沸き立つ程の焦燥感と怒りが蘇る。

 こんな所まで来てしまう位、馬鹿で真っ直ぐで努力を惜しまない優しい弟は。自分に絶対的に足りない力を補う為に、鬼を食っていたのだ。

 あろう事か鬼を!

 そんな事をする位ならば、諦めて鬼殺隊を去れば良いだけの話だったのに!

 何をしてでも必ず守ると決めた筈の玄弥を全く守れていなかった事への怒りと、そして鬼を食ってでも此処まで辿り着こうとした玄弥の想いが何時か必ず玄弥自身の身を滅ぼす事への焦りとで、頭が一杯になって、それで──

 

 跳ね起きる様にして、何としてでも玄弥を一刻も早く鬼殺隊から引き離さなくては、と。

 文字通りに半殺しにしてでも、隊士として再起不能の傷を負わせてでも叩き出さないと、と。

 その衝動のままに、玄弥を狙う。

 鳴上の存在を考えると、生半可な傷を与えただけでは意味が無い。

 狙うなら、目だ。鳴上の力でも煉獄の左目の視力は戻せなかった事を考えると、そこを狙うしかない。

 そこだけは妙に冷静に考えて、そして。

 

「はいはい、止めてくださいねそう言うの」

 

 玄弥に向かって突き出そうとしたその手を、小さく柔らかな手が止めた。

 思いっきり力を入れれば振り払える手だ。

 だが、その手の力よりも。

 その手がここに在る筈が無い存在のものである事に驚いて、思わずその手の主へと目をやる。

 

「胡蝶。何でお前が此処に居やがるんだア?」

 

 思わず突き刺す様な鋭い視線を向けてしまうが、しかし胡蝶は何処吹く風とばかりにそれを意に介さず本心の見えない微笑みを浮かべ続ける。

 

「何で此処にと言われますと、まあちょっと色々と経緯はあるのですが。

 端的に言えば、そんな馬鹿な事を止めさせる為……と言った所でしょうか」

 

 ニコニコとした微笑みと共に発せられた歯に衣着せぬかの如きその言葉に、思わず額に青筋が浮かぶ。

 それを見た玄弥は焦った様に「兄ちゃん!」と声を上げ、そして「実弥さん……」とどうやらこの場に居たらしい鳴上が制止するかの様な声を上げる。

 何故此処に胡蝶が居るのかも分からないが、それ以前に目覚める前の記憶が朧気だ。そもそもどうして俺は眠っていたんだ?

 確か、玄弥を絶対に鬼殺隊から追い出そうと容赦なく叩きのめそうとして、そして……。

 最後に覚えているのは、何かを言っている鳴上の声だけだ。

 ……まさか、鳴上に気絶させられたのか?

 

「それに関しては本当に申し訳なく思っていますけど、今はとにかく一旦落ち着いて下さい」

 

 静かな鳴上の声に、僅かに気勢が削がれる。

 目覚める直前に、少しだけ夢見が良かった気がするのも影響しているのかもしれないが。

 焦燥感や怒りは今も胸の奥を掻き乱してはいるけれど。

 胡蝶と鳴上を振り切って玄弥に手を出す事は不可能だという事くらいは判断出来るようにはなっていた。

 そんな俺を見て胡蝶はやれやれとばかりに溜息を吐いて、そして手紙を差し出してくる。

 何の気もなしにそれを受け取ったが、その差出人を見て驚愕のあまりに目を剥いてしまう。

 それは、お館様からの手紙であった。

 あまね様が代筆なさったのだろうけれど、そこにあったのは玄弥と話し合うようにとのお館様直々のお達しである。

 胡蝶は相変わらず底の読めない微笑みで、「当然お館様の言葉には従いますよね」とばかりの圧を掛けてきていた。

 手紙を見て、玄弥を見て。手紙にまた目を落としてから、胡蝶と鳴上を見る。

 ……この状況では、従う他に無い事は分かった。

 

 

 互いに向かい合う様にして座り、そして両脇には胡蝶と鳴上が仲裁の為に控えて。立会人なら一人に絞れと文句を言ったのだが、また衝動的に暴れ出す事を考えると二人は必要だと胡蝶は笑顔で全く譲らなかったので結局二人の立ち会いを許す。

 話し合え、との事であったがそもそも話す事など何も無い。

 何か「芽があると」玄弥が思ってしまえば、益々鬼殺隊に留まろうとしてしまうだろう。

 

「話し合うも何もねェ。俺には弟なんていねェんだよ。

 馬鹿の一つ覚えみてぇに、しつけェんだよ。

 ブチ殺されてないだけ感謝しろォ」

 

 不機嫌を装ってそう睨み付けると、玄弥はその身を震わせながらもギュッと拳を膝の上で握り込んで、一生懸命に俺を真っ直ぐに見る。

 ここまで言っても、ここまで突き放しても。それでも玄弥は諦めない。その心を折るにはこれでは足りない。

 本当に半殺しにして、文字通りに鬼殺隊に留まれない身体にしてやらなければ、玄弥がこの地獄の様な血腥い場所から離れる事は出来ないのだ。

 

 そんな俺の言葉と、玄弥の反応を見て。

 胡蝶と鳴上は、重く溜め息を吐いた。

 

「あのですね、本当にもういい加減にしてくれませんか?

 馬鹿げた乱闘騒ぎを起こしかけても反省の色すら無いなんて、割りと本気でどうかと思います。

 第一、それを『話し合ってる』態度だとでも本気で思っているんですか?」

 

「実弥さん……それが実弥さんの、『本心からの言葉』なんですか……?

 実弥さんは、それで良いと本気で思っているんですか?」

 

 仲裁する為の立会人である筈なのに、二人とも遠慮無くそんな事を言ってくる。

 思わず、好き勝手言ってくるその言葉に、苛立ちが募った。

 

「そうやって睨めば済むとでも思っているんですか?

 弟なんて居ないとか言っておきながら、玄弥君が蝶屋敷で療養している時には必ず蝶屋敷を訪れている事はもうバレているんですよ? 普段あんなに言っても寄り付きもしないのに。

 それでよくもまあ、『弟なんて居ない』だなんて言えますね」

 

 笑顔の裏に、苛立ちの様なものを滲ませつつ胡蝶はそう返した。

 その事実を知らなかった玄弥は驚いた様に目を丸くして、俺と胡蝶の間で視線を彷徨わせる。

『本当に?』『でも、そんなの……』と、信じたいけれど信じ切れないとでも言わんばかりの玄弥のその目が胸の奥をざわつかせた。

 そして、何の躊躇いも無く言葉の刃を突き立てた胡蝶の方を少し驚いた様に一度見た鳴上は、直ぐ様俺の目を真っ直ぐに見詰めて問い掛ける。

 

「実弥さん……。俺にはどうしてそこまで実弥さんが頑なになってしまうのか、その理由は分かりません。

 でも実弥さん自身、もう気付いているんじゃないですか?

 こんなやり方をしていたって、意味は無いって。

 実弥さんの真意は絶対に伝わらないし、そればかりか全くの逆効果にしかなっていません。

 そんな事を何時まで続ける気なんですか?

 玄弥を説得するにしても。せめて、もっと本心からの言葉で説得しようとして下さい」

 

 俺への気遣いを滲ませたその目と言葉に、素直に頷ける訳も無い。

 そんな甘さで玄弥を諦めさせる事など出来やしない。

 本心からの言葉なんて、それを明かせば玄弥をますます鬼殺隊に縛り付ける結果になりかねないのだから。

 

「アァ? そんな事をして何の意味がある。

 そもそも、鳴上に何の関係があるって言うんだ」

 

 此方の事情を知りもしないクセに、と。そう睨むと。

 鳴上は、何かを抑える様に強く目を瞑り、深く息を吸って吐いた。

 

「……そう、ですね。ええ、確かに俺はそう多くを知っている訳ではない。

 ですが、俺にとっては無関係なんかでは無いんです。

 玄弥の事も、そして実弥さんの事も。

 ……実弥さん。どうして玄弥は鬼殺隊を去らなければならないと思うんですか?」

 

「そんな事は何度も言ってんだろオ。

 コイツには何の才覚も無ェ、呼吸すら使えねェ、剣士ですらねェ」

 

 だからこそ、鬼殺隊に籍を置く意味など無いのだし、鬼殺隊としても戦力にならない相手なのだと、そう伝える様に言うと。

 鳴上はその目の奥の色を更に研ぎ澄ませて訊ねてくる。

 

「どうして才覚が無ければ鬼殺隊を去らなければならないんですか?

 実弥さんにとっての『才覚』って、一体何を基準にしているんですか?」

 

「ア? ンなもん決まってんだろオ。

 鬼を狩れない剣士を食わせておく様な場所じゃねェんだよ」

 

「成程。……ですが、呼吸を使えるからと言って鬼を狩れる訳では無いですよね。

 お忘れになっているのかは分かりませんが、玄弥は上弦の肆の討伐に大きく貢献した隊士の一人です。

 それですら『鬼を狩れない剣士』だと玄弥を切り捨てるのは、一体どう言うつもりなんですか?

 それに、玄弥は呼吸を使い鬼を狩る剣士たちに混じって同じ内容の柱稽古を受けて此処まで辿り着いているんですよ?

 なら、今の時点で此処まで辿り着いていない隊士たちは全員、『才覚が無い』玄弥を下回っているという事になるんですか?

 ……分かっているとは思いますが、宇髄さんも煉獄さんも無一郎も甘露寺さんも伊黒さんも、玄弥が呼吸を使えない剣士だからって甘い対応をしたりなんて絶対にしませんよ。寧ろより厳しく合否を見極めている筈です。

『才覚が無い』なら鬼殺隊を去らねばならないと言うのなら、現時点で此処に辿り着けていない隊士は全員鬼殺隊を去らねばならなくなるのではないですか?

 その一人一人に、『お前には才覚が無いから辞めろ』と言って回るんですか?」

 

 さあどうなんですか? と。そう此方を真っ直ぐに見詰めてくる鳴上を前にすれば、どんな嘘や虚言も忽ち暴かれてしまいそうだった。だが、僅かに躊躇ったそれを悟られない様に踏み潰す。

 

「こんな奴に負ける位、隊士の質が落ちてるって事だろ。

 此処に辿り着いた奴らは精々使える様に叩き直してやらァ。

 それとこれと、ソイツに才覚が無いのとはまた別の話だなァ」

 

「……実弥さん。貴方のその言葉は随分と矛盾していると……俺はそう思いますよ。

 客観的に見ても、実弥さんは玄弥を特別視している。

 例え、鬼殺隊中の誰もが玄弥の事を認めて、その力や想いを認めたとしても、実弥さんだけはそれを否定し続けるのでしょう。

 では、何故? どうして実弥さんは玄弥をそこまで否定し続けるのか。

『鬼食い』の事を知った後に、どうして玄弥の目を潰したり半殺しにしてまで再起不能にしようとしたのか。どうしてですか?」

 

 沈黙は許さないと、その眼は語っていた。

 そしてその反対側に座り此方を見ている胡蝶からも、同じ圧を感じる。

 だが、沈黙するまでもない。答えは決まっている。

 

「そんなの分かり切ってる事だろオ。

 鬼なんか食っている奴を鬼殺隊に置いてはおけねェ」

 

「鬼その物である禰豆子ちゃんの存在が許されているのに?

 先に言っておきますが、お館様も玄弥の『鬼食い』の力の事は知っていますし、その力が上弦の鬼すら討つ事に役立っている事を知っていますしその存在を認めています。

 柱の人たちだって、しのぶさんと悲鳴嶼さんは当然として、あの時里に居た無一郎や甘露寺さんや煉獄さんや宇髄さんも知っていますし認めています。

 鬼を殺す為の力になるものを『才覚』だと指すのならば、玄弥にはちゃんと『才覚』がある事になりませんか?

 玄弥は鬼を殺せる、鬼殺隊の力になれる。

 なら、どうしてそれを拒絶するんですか?」

 

 鳴上は決して目を反らさない。

 鳴上は……色々と言ってくる時点で、俺の言葉の真意を理解しているのだろう。

 そして、愚かでは無い鳴上は鬼殺隊に居続ける事の危険性を理解しているだろうし、そもそも仲間の事を大事にする鳴上にとっては玄弥が「鬼食い」でその身と心を擦り減らす様にしてまで戦い続ける事に何も感じていない筈など無い。

 そして玄弥を止める為には、鬼殺隊を追い出すしかないだろう事も。

 だが、それを分かっている筈の鳴上は、それを否定するかの様にひたすら俺に訊ねる。……「何故?」と。

 

「鬼なんざ食って、どんな影響が出るのか分からねェ。

 今は良くても、ある日突然鬼その物になるかもしれねェんだぞ」

 

「ならそれこそ、絶対に玄弥を鬼殺隊から追い出してはいけないでしょう。

 鬼に成るかもしれない相手を野放しにするなんて、鬼殺隊としては有り得ない事でしょう? 鬼殺隊は鬼を殺す為の組織なんだから。

 冷静になれない気持ちを理解出来ない訳ではありませんが、今の実弥さんの言葉は言い訳にすらなっていませんよ。

 ……実弥さん。もうそろそろ、ちゃんと向き合いませんか?」

 

 大きな溜息を吐くと共に、「向き合え」と、鳴上は俺に言う。

 向き合うも何も、玄弥の為に出来る事を考えてそうしているのに。

 

「実弥さん……。実弥さんは、一体何と向き合っているんですか?

 実弥さんが見ているのは、向き合っているのは、本当に目の前に居る玄弥ですか?

 貴方の目に、玄弥はちゃんと映っているんですか?」 

 

 意味の分からない事を言われ、一瞬返答に詰まる。

 玄弥を見ていない、だと? そんな筈は無い。そんな事は有り得ない。

 玄弥を思うからこそ、俺はこうしているのに。

 それ以外の方法を知らないからと言うのはある、不器用なやり方なんだろうとは思う。だが、それでも。俺は確かに玄弥の事を思って──。

 

「いいえ、失礼ながら。実弥さんは玄弥の事が見えていませんよ。

 ……見ているのだとしても、それは今目の前に居る玄弥ではなくて、実弥さんがこうだと信じている、『実弥さんにとって都合の良い玄弥』です。

 ねえ、実弥さん。実弥さんは……玄弥が鬼殺隊に入って来るまで、あの日から一度も玄弥に会った事は無かったんですよね。何年も。

 鬼を殺す為に傷付きながら流離って、鬼殺の道を教えられてからは鬼殺隊で戦い続けて。

 ……実弥さんの中の玄弥は、本当に歳を重ねていますか?

 自分があの日置いて行った、小さい子供のままなんじゃないですか?」

 

 鳴上にそう言われ、脳裏に過るのはあの日の玄弥だ。

 訳も分からぬままに弟たちが殺され自身も深い傷を負った混乱の中、血溜まりの中に倒れ朝日の中で燃え尽きていくお袋とその傍の血塗れの俺の姿を見て、「人殺し」と泣きながら叫んでいたあの日の……まだ子供だった玄弥の姿は今も深く心の中に刻まれている。

 玄弥の言葉が俺を傷付ける事は有り得ない。どんな言葉だって、玄弥が生きて発した言葉は全て、玄弥が生きている証の様なものだからだ。

 玄弥が生まれた時からずっと見守って来た、守ってやらなければならない、今となってはたった一人残された大事な弟。……俺が今も息をしているその最大の理由。

 玄弥が生きていてくれる事、幸せになってくれる事。

 それだけが、俺の願いだ。その想いと、鬼への憎悪しか、もう俺を動かす物は無い。

 俺は玄弥を守らなければならない。だからこそ鬼狩りなんて続けさせる訳にはいかない。だから。だから──

 

「人は変わっていくものですよ。特に、子供にとって時間の流れはとても大きい。

 実弥さんにとって、『あの日』の出来事が忘れる事など出来る筈も無い深い傷痕として今も心を苦しめているのだとしても。その出来事に苦しんだのは、実弥さんだけではない。

 実弥さんが、『あの日』を境に今までとはまるっきり違う生き方しか選べなくなってしまったのなら……。それは、玄弥にとってもそうだったんじゃないでしょうか?」

 

「あの日」の後の玄弥が、消えない苦しみを抱えてそれでどうやって生きて来たのか、何を支えに生きて来たのか、何を想って生きて来たのか……。それを知っているのか、見ているのか、理解しているのか、と。

 鳴上はそう静かに問い掛ける。

 俺を糾弾している様な声音では無いそれは、しかしどうしてか跳ね除ける事は出来ずに、心の中の「何か」を暴こうとする。

 だが、それから逃げる事は出来ない。

 

 ……今こうして向かい合って初めて。俺は、鳴上を『恐ろしい』と感じた。

 その常軌を逸した力の事を知った時も、鳴上の事をあまり知らずにただの得体の知れない相手だと思っていた時も、一度たりとも感じた事の無かったこの感覚は、一体何なのだろうか。

 鳴上は、その力を揮うまでも無く、何かとてつもなく恐ろしいものを暴いてしまえるのだと、そう大した根拠も無いのに確信した。

「向き合え」と、そう何度も鳴上が繰り返し言葉にしているそれが、俄かに恐ろしい気配を帯びている様ですらある。

 しかし、もう目を反らす事は許されない……。真っ直ぐに此方を見ている鳴上はそれを許しはしないだろう事をヒシヒシと感じた。

 胡蝶は俺と鳴上をただ静観しているだけで、玄弥は戸惑った様にオロオロとしつつも口を挟めずにいる。

 俺が何かを答えるまで、鳴上は待ち続けるのだろう。文字通りに、何時までも。

 

 ……鬼となったお袋をこの手で殺したあの日を境に、俺は玄弥の下を去った。

 それから、玄弥の名を最終選別の合格者の中に見付けるまで……馬鹿で直向きな玄弥が俺に一目逢う為だけに鬼殺隊なんかに入って来るまで、俺は。玄弥が何処かで幸せに生きている事を願っていた。……だが、何もしていなかった。

 血腥い世界に玄弥を関わらせたくは無くて、俺は……玄弥が何をしているのかを確かめようとはしなかった。柱になる前も、なってからも。

 玄弥の幸せを壊したくは無かった。

 ……だが、もし。玄弥が何をしているのかを確かめていれば、せめてその所在を把握していれば。玄弥が鬼殺隊に入る為に最終選別を受けるだなんて半ば自殺行為に挑む事も無かっただろう。

 どの育手の下で修行しようとするのだとしても、玄弥を弟子として受け入れない様に触れ回って先回りして潰す事だって出来た筈だ。

 だが、俺はそうはしなかった。知ろうとすらしなかった。

 そもそも、「あの日」の後で玄弥がどうやって生きて来たのかも知らない。どうやって生計を立てていたのかも。

 元々、貯えなんて殆ど無くて。お袋の他に俺と玄弥が一生懸命に働いてどうにか支えていたのだ。あの時、俺は血腥い道に連れ出す訳にはいかないのだと玄弥を置いて行ったが。だが……それは……。

 鬼殺隊が駆け付けたのなら、藤の家紋の家で一時的に療養させるなどして、多少の支援は行っただろう。しかし、あの時あの場所には鬼殺隊は居なかった。

 匡近に出逢うまで、俺は鬼殺隊の存在すら知らずに、今思えば無謀ですら無い程の滅茶苦茶なやり方で鬼を狩っていた。鬼への憎悪、お袋をそんな『化け物』の同類にされて喪った絶望、そして何時それがまた玄弥を襲うかもしれないという恐怖から……。

 ……そう、玄弥を守りたいと、そう思ったからだ。

 俺は、玄弥を守らなければ。玄弥を遠ざけなければ。

 だから俺は……──

 

 ── 本当に?

 

 静かに俺を真っ直ぐに見詰める鳴上のその眼が、まるでそう問い掛けているかの様だった。

「向き合え」「目を反らすな」「逃げるな」と、恐ろしい『化け物』が内側からそう吼える様に叫んでいた。

 

 俺は……玄弥の事を何れ程知っているのだろう。

 そもそも、どうやって玄弥が鬼殺隊に居る俺の事を知ったのかすら、俺は何も知らない。

 鬼殺隊に入ってからの事は報告書などを通して知っているが……。

「あの日」に別れてからの玄弥の事を、俺は何一つとして知らなかった。……それを、鳴上に指摘されて漸く思い至る。

 ……だが。

 知らなかったからと言って何だと言うのだろう。

 こんな場所に留まり続ける事の方が問題だ。

 ずっと傍に居てやれるなら守ってやれるかもしれないが。それですら絶対では無いのだし、玄弥が誰かを守ろうとして傷付く事を止める事は出来ない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 玄弥の幸せが俺の生きる意味で、そして長生きしてくれる事が俺の喜びなのだ。

 それを喪う訳にはいかない。

 

「……それがどうしたって言うんだア?

 俺がソイツを知っていようがいまいが、何の関係がある?

 俺が言いてェのは、さっさとソイツを辞め──」

 

「実弥さん」

 

 俺が知る限り初めて、鳴上は他人の言葉を遮った。

 どんな時も静かに耳を傾けようとする普段とは全く違うその眼差しに宿る感情が一体何なのかは、俺には分からない。

 鳴上のそれに驚いているのは俺だけではなく、玄弥や胡蝶もそうである様だ。

 だが、そんな俺たちの反応に構う事無く鳴上はゆっくりとその首を横に振る。

 

「実弥さん。……そこにどんな想いがあるからって、何もかもが赦される訳じゃないんです。

 どんな言葉も、一度口にしてしまえばそれを『無かった事』にする事は叶わない。

 自分が選んだ事を『無かった事』にする事も出来ない。

 玄弥の事をどう思っているのだとしても、その『想い』を自分の行いの免罪符にしてはいけないんです。

 そして、相手に向き合う事すらしない今の実弥さんのそれは……」

 

 そこで少し躊躇う様に鳴上は少し黙る。しかしその目は俺から逸らされる事は無くて。そして……。

 

 

「──独り善がりの不毛な自殺です」

 

 

 その言葉に、もう思考するよりも早く鳴上のその胸倉を掴んでいた。

 玄弥が慌てているのが視界の隅に映るが、今はそれどころでは無い。

 胸倉を掴まれているにも関わらず、鳴上は眉一つ動かさずに俺を静かに見詰め続けている。

 恐らく、鳴上は気付いていたのだろうし、避けようと思えば避ける事が出来ただろうし止める事も出来た。

 だが、そうはしなかった。

 その意図が何なのかなど、どうでも良かった。

 

「何だとテメェ……。もういっぺん言ってみろオ」

 

 元々良くは無い目付きが凶悪な事になっているのだろうと分かる顔で睨み付けるが、しかし鳴上は全く怯む気配すら無く、真っ直ぐに俺の目を見る。

 

「自己満足の逃避です」

 

「アアッ!? 鳴上、テメェ調子に乗ってんじゃねェぞ。

 俺が何時、逃げた! 逃げてなんていねェ!

 第一、テメェに俺の何が分かるって言うんだア!?」

 

 勝てるかどうかなどの問題では無く、今すぐにこの口を塞ごうと更に胸倉を締め上げる力を強めた。

 だが、鳴上は目を逸らす事すらしない。

 

「ええ、分かりませんよ。実弥さんが言葉で表す事も行動で示す事すらもしない本心の全部なんて、俺に分かる訳が無いんです。

 実弥さん自身が、理解される事を拒んでいるのだから。

 でも、実弥さん。それでも分かってしまうものもあるんですよ。

 実弥さんが思っている以上に、部外者として外から見ている事で気付ける事はある。

 それに、理解し合おうとする事を放棄すれば、上手くいく事なんて無い。だから、何時までも不毛な自傷行為にしかならないんです。

 願いや想いの是非の問題ではなくて、実弥さんが何かを思って選んで行動するのと同じで、玄弥にだって自分で考えて選んで行動する権利がある……自分の選択に自分で責任を負う義務がある。

 玄弥はもう、何もかも実弥さんが守ってやらなきゃならない様な子供じゃないんですよ?

 実弥さんのそれは、玄弥の心を踏み躙って、自分自身の心すら踏み躙って、何もかも取り返しが付かない方へと悪化させてるにも等しいです。

 話し合う事は、実弥さんにとってはそんなに難しい事なんですか?

 実弥さん、教えて下さい。

 何を一体、そんなに恐れているんですか?」

 

 何もかもを見通そうとする眼が、真っ直ぐに俺の奥底にある何かを捉えていた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 随分とまあ、容赦が無い。

 悠と不死川さんの会話を横目で静観しながら思わずそんな事を思ってしまう。

 それ程までに、悠の言葉は余りにも鋭く不死川さんの心を抉らんばかりに強引に開こうとしていた。

 直視したくなど無い、自分自身ですら自覚しているのかも怪しい本心。己の行動の根幹を分析され解体され、それに「向き合え」と静かに促し続ける悠のそれは、一歩間違えれば言葉で人を殺せる者のそれだ。尤も、悠自身はそれを自覚しているからこそ、そんな言葉で不死川さんの心を切り付けて傷付けずに済むように辛抱強く耐えていた様だが。

 余りにも頑なになってしまった不死川さんの心は、最早ちょっとやそっとの言葉でどうにかする事も、或いは不死川さん自身でどうにかしようとする事も出来なくなっていたのだろう。

 結果として、余りにも辛い荒治療になってしまっているが……まあ基本的には不死川さんの自業自得にも近い。

 威勢良く悠に掴みかかっても、悠の言葉により深く刻まれるだけで。此処まできてしまうと、もう素直に認めて早く楽になった方が良いだろうにと思ってしまう程だった。

 

 玄弥君を何としてでも守りたいと言うその気持ち自体は、私も理解出来るし間違ってなどいない。悠も、それは決して否定などしていない。

 ただ、その想いの結果表れる行動は、傍目に見ていても酷く歪であった。

 ……尤も、そうなってしまう理由も、理解出来ない訳では無い。

 

 そもそも単純な話、『余裕』が無いのだ。

 柱ともなれば、基本的に日々鬼殺の任務に追われ続け、休まる暇はそう多くは無い。

 そして、鬼殺隊に所属する以上、喪失は切っても切り離せないものである。

 そもそも入隊した時点で、鬼によって付けられた傷が全く癒えていない者の方が大半だ。癒えていないからこそ憎悪や憤怒が前に進む力になっているのだから。

 更には親しい者を得ても、その相手を何処かで喪う事すら全く珍しくは無い。

 喪失の痛みと憎しみと怒りだけが降り積もっていく蠱毒の壺の中の様な場所ですらある。それでも、何時かこの手の刃が鬼舞辻無惨に届くのならそれで良い、何時か鬼舞辻無惨を滅ぼす可能性に到れるなら命すら惜しくないという者たちにとっては、そこで臆する事はないのだが。

 だが、そんな状況の中で『余裕』なんてある訳が無い。

 だからこそ、こうだと決めたそれに固執してしまうのだ。

 不死川さんはあらゆる感情に雁字搦めになっていて、その結果余りにも歪な行動へと結び付いている。

 ……そして、何年もかけて凝り固まったそれを、時間が解決するのを待つのは余りにも危険である。

 愛する者ですら傷付ける事を一切厭わなくなったそれは、もう一刻の猶予も無い事を示している。

 そもそも両眼を潰して鬼殺隊を追い出したとして、その後を一体どうするつもりなのだろう? 盲目にされて叩き出されたのなら、玄弥君は最悪野垂れ死にしかねない。

 玄弥君をただ放り出しただけで、それで本気で良いと思っているのならば、あまりにも視野が狭過ぎる。

 それ程までに玄弥君を危険に近付けまいと必死だという事であるのかもしれないが、しかしそれを言い訳にしてやっても良い範疇を明らかに逸脱している。

 血が繋がった兄弟だろうと、確かな愛情からの行動だろうと、越えてはいけない一線は当然存在する。

 それを踏み越える事をやっておきながら、『自分はこんな事をしたくないのに玄弥が……』みたいなさも悲しい汚れ役であるかの様な内心が多少なりとも存在するのには、腹立たしいを通り越して呆れてしまう。

 

 悠が何度も何度もそう直接言葉にして伝えている様に、ちゃんと話し合えば良いのだ。

 互いに自分自身の想いや願いを晒して、その上で折り合いを付ければ良い。二人だけでは中々折り合いが付けられないのなら、そこは私や悠の様な部外者の出番になるのだろう。

 だが、不死川さんはそもそも「話し合う」事すら最初から拒絶して、凝り固まった考えのまま踏み越えてはならない一線を踏み越えようとする。

 目論見通りに玄弥君を追い出せたとして、そこまでしてしまった不死川さんは果たして今まで通りで居られるのかと、一度でも立ち止まってでも考えたことはあるのだろうか? 恐らくは無いのだろう。目先の感情に踊らされて、それをどうにかしようと必死なだけなのだから。

 だからこそ、悠は本気で不死川さんを止める。

 悠自身は、恐らくこう言った形で不死川さんを止める事は不本意であるのだろうけれど。しかし、まだ取り返しが付く内にどうにかしなくてはと腹を決めたのだろう。

 

 悠の言葉の刃で一つ一つ自分の心を隠しているそれを……本心を歪に捻じ曲げた行動へと変えてしまっているものを引き剥がされていく不死川さんは、まるで恐ろしい『化け物』に喰われていくかの様ですらあった。

 玄弥君は、目の前で最愛の兄の心が切り裂かれていくその様を見て……明らかに余裕を無くし威勢すら削がれていく不死川さんの姿を見て狼狽えているけれど。

 もう見ていられないとばかりに悠を止めようとした玄弥君のその手を、私は止めた。

 もう、此処までしないと不死川さんを変える事は出来ないのだ。これは、最後の機会であると言っても良いものであった。

 

 しかし、不死川さんは「幸運」な人間である。

 何せ、理不尽が何処にでも転がっているこの世では、もう絶対に取り返しがつかなくなってから……完全に喪ってから漸く己の行動を振り返って絶望する事だって普通に起こり得るのだから。

 これから先、鬼舞辻無惨との決戦が確実に起こるその中で、「何時でも絶対に取り返しが付く」様な事なんて無い。

 不死川さんが自分の何もかもを振り捨ててでも守りたいと願った玄弥君を目の前で永遠に失う事だって当然起こり得る。

 なら玄弥君が鬼殺隊を離れれば良いのかと言うと、鬼の存在を知りながら鬼に対抗する為の手段を失い、肉親を頼れなくなった者がどうなるのかなど、あまり良い未来は想像出来ない。

 互いに折り合いを付けて納得してそうするならともかく、一方的な最後通牒を突き付けられるだけだったそれに、果たして「納得」など出来るのかという話にもなる。

 そうなる前に、それだけは止めようと。その事情に関して部外者であっても此処まで必死になってくれる存在が居てくれた事は、奇跡的な程に運が良いと言えるだろう。

 傍から見ていて拗れた関係性に気付いていても、それが肉親などの極めて深い関係であったのなら、そこに何かしら介入しようと思える人はそう多くは無い。

 当人たちが直接的に助けを求めてるのならともかく、不死川さんにしろ玄弥君にしろ「助けてくれ」と言葉にした訳ではない。

 それでも、臆する事無くそこに踏み込もうとするのは、まあ悠がやはりどうしようも無く「お人好し」であるからなのだろう。

 

 自身が目を背けていたものに光を当てて直視させる悠の言葉に、とうとう返す言葉を喪った不死川さんは沈黙してしまった。

 恐らく、その内面では非常に様々な葛藤が繰り広げられている事なのだろう。

 そうまでしないと、自分の本心を玄弥君に伝える事が出来ない程に、追い詰められ続けていたという事なのかもしれないが……。

 悠は、ただただ静かに不死川さんを待ち続けている。

 真っ直ぐに不死川さんを見詰めるその眼差しには、慈愛にも似た確かな優しさと……そして静かな悲しみが宿っていた。

 直視したくなどなかったものに向き合う事になっている不死川さんの顔色は悪い。

 

 このまま不死川さんがどうにかして自分自身に折り合いを付けるのを待っていても良いのかもしれないが、……何よりもそんな姿を見せたくは無かっただろう玄弥君の前でこうなってしまっているので、中々難しいかもしれない。

 なので、ちょっとばかり手助けをする事にした。

 

「……私としては、不死川さんの気持ちが理解出来ない訳では無いのですよ」

 

 まあ、それは間違いなく悠もそうなのだろうけれど。

 しかし悠は何も言わずに、不死川さんを見詰めている。

 不死川さんは、私の言葉にノロノロと此方を見た。

 未だかつてない程に打ちのめされている様にも見える。

 

「私にも、大切な家族が居ますから……。

 私だって、カナヲには鬼殺の道を選んで欲しくは無かったし、選ばせまいと……私たちはカナヲに呼吸を教えた事はありません。育手だって紹介していない。

 あの当時のカナヲは、自分では中々決める事が出来なかったから……そうすれば鬼殺を選ぶ事なんて無いと思ったんです。

 でも、カナヲは私たちの鍛錬している姿から呼吸を見て覚えて……そして自分で決めて最終選別に行ってしまった。

 本当に驚きましたよ、何処かに姿を消したと思って人攫いか何かにあったのかと必死に探していたのに、最終選別の合格者の中にカナヲの名前があったんですから。

 あの時はどうしてカナヲがそうしたのか分からなくて、カナヲ自身の意志だとは全く思い至らなかった訳なのですが……」

 

 私の言葉に、打ちのめされていた不死川さんの目に再び強い感情が蘇る。

 だが、それがまた変な方向に凝り固まる前に、私はその続きを言葉にする。

 

「心の声がとても小さかったカナヲでも、自分の意思で決めてそれを成し遂げてしまった。

 姉として……『家族』として。どんなに相手の事を思っているのだとしても、だからと言ってカナヲにはカナヲの意志があるのだから、カナヲ自身が何かを決めて行動する事を止められる訳では無いんですよ。

 それでも譲りたくないものがあるのなら、結局のところは話し合うしか無いんです。

 そして、話し合って何かの折り合いを付ける事が出来るのは……間違いなく幸せな事なんですよ」

 

 私自身、カナエ姉さんが願った通りには生きる事は出来なかった。

 復讐に身を捧げ、命も何もかもを捧げようとした。

 カナエ姉さんが生きていたのなら、きっと身体を張ってでも止めただろう行動だ。そもそもカナエ姉さんが生きていたならそんな事はしなかったが。

 カナエ姉さんが望んでいない事は分かっていても、でも止める事は出来なかった。

 私を言葉で止める事が出来るのは、きっとカナエ姉さんだけだったが……。死者と話をする事は、どんなに願っても出来ない事なのだ。

 

 私がそうである様に、カナヲがそうである様に、そして玄弥君がそうである様に。

 大切な家族の願いであっても、それ通りに生きられるかは全く別の問題だ。

 一体どんな生き方を「願い」という形で押し付けられたとしても、それを跳ね除けて自分の意思で何かを決める権利は当然にあるのだから。

 それに……。

 

「兄や姉が弟や妹の幸せを想うのと同じ位、妹も弟も……兄や姉の幸せを願っているんですよ」

 

 心から幸せを願われる程に大切にされて、ならそうやって自分の幸せを願ってくれる人自身の幸せをどうして此方が願っていないなどと思うのだろう。

 幸せになって欲しい、……幸せになって欲しかったのだ。

 私が願っていたそれは、もう二度と叶わないけれど。

 でも、二人は違う。

 

「兄ちゃん……!」

 

 悠の言葉に斬り刻まれる不死川さんを狼狽える様に見ている事しか出来なかった玄弥君が、震える声で不死川さんを呼ぶ。

 そして、膝の上の固く握り込んだ手を震わせながら、自分の想いをちゃんと伝える為に、ゆっくりとそれを言葉にする。

 

「俺は、兄ちゃんにずっと謝りたかった。

 あの日、本当に酷い事を言って、ごめん。

 でも、……それだけじゃ無いんだ。

 ただ謝りたくて、此処まで来たんじゃない。

 俺は……──」

 

 感情に詰まった様に言葉を途切れさせた玄弥君は、心を落ち着かせようとしてか大きく息を吸う。

 そして、懸命に不死川さんを真っ直ぐに見詰めた。

 

「俺は、兄ちゃんを守りたかったんだ。

 辛い想いを沢山してきた兄ちゃんには、誰よりも幸せになって欲しくて。

 だから、俺も何かしたかった……力になりたかった。

 呼吸の才能なんて無い俺に、何が出来るのかなんて分からなくても。

 それでも、力になりたかったんだ。

 だって、兄ちゃんは世界で一番優しい、俺の大切な兄ちゃんなんだから。

 俺は……」

 

 一生懸命に想いを音に紡ごうとするそんな玄弥君の言葉を、不死川さんの大きく深い溜息が遮る。

 だが、その溜息には怒りの感情は無い。

 

「……テメェは本当に、どうしようもない()だなア。

 馬鹿でどうしようもない……俺の()だ」

 

 そう言いながら真っ直ぐに玄弥君を見る不死川さんの目には、確かに目の前の玄弥君が映っていた。

 

 

「……随分と遠回りしちまったが、まあ……話をしようじゃねェか」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【不死川実弥】
精神的にかなりキツいものを直視する事になった。
ただし、もし自身の『影』が現れた場合はこんな優しいものでは済まない。それは実弥にとっては当然知る由も無い事だが。
そして、別の世界線の未来で起きた悲劇を無事に回避出来ている事を、実弥と玄弥が知る事は決して無い。


【不死川玄弥】
足下をちゃんと固めつつ自分の願いを追っていた為、話し合う事によって受けた痛みは軽微。
やっと、向き合って話し合う事が出来た。


【胡蝶しのぶ】
不死川兄弟に対しては色々と思う事はあったが、だからと言って干渉する気はあまり無かった。が、お人好しの悠に頼まれて関わる事に。悠に頼って貰えたのがちょっと嬉しい。
実弥が玄弥の目を潰そうとしたその意図に気付いた為、かなりイラッときていた。
不器用を通り越して自分も相手もひたすら傷付け続けるその行いを、「不毛」と本気で切って捨てている。


【鳴上悠】
余りにも頑なな実弥を動かす為にはやはりお館様の力が必要かもしれないと判断して、しのぶに協力をお願いすると同時に、お館様へも手紙を出して実弥が玄弥と話し合える様にして欲しいと嘆願した。
「しのぶさんが一番公平に仲裁してくれるかな?」と思ったのに、言葉のナイフがキレッキレ過ぎて驚いてる。
なお、どうしてそこまでしのぶさんが怒っているのかは今ひとつ分かってない。
相手への思い遣りと自重が吹き飛ぶと、凄惨なレベルの精神解体が出来てしまう。でも正論パンチで相手を殺すのではなく、相手自身が己と向き合える様にする事の方がずっと大切だともちゃんと知っている。


【珠世】
研究はとても順調に進んでいる。良質な試料が豊富に揃っているのがやはり一番大きい。しのぶとはまだ打ち解けていないし、今後も打ち解ける事は出来るかは不明だが、その研究者としての知識などに関してはお互いにリスペクトしている。そして悠の「お人好し」を心配する部分で意見が一致している。





≪今回のコミュの変化≫
【刑死者(不死川実弥)】:8/10→MAX!
【塔(不死川玄弥)】:9/10→MAX!
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