『鳴上悠は鬼殺の夢を見る』   作:OKAMEPON

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『誰もが幸せを願うなら』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 今から自分がしようとしているそれは、果たして本当に選んでしまって良いものなのだろうか、と。槇寿郎さんから話を聞いて以来何度も繰り返した問答を再び自身に問う。

 それでもやはり、自分の答えは変わらなかった。

 相手の事情に斬り込み抉る事になるそれを躊躇いはしても選んでしまう事は、「傲慢」という言葉でも足りないものであるのかもしれない。

 ……それでも。

 

「話がしたいとの事だが……一体何の用件だ?」

 

 話がしたい、と。そんな唐突だっただろう此方の手紙に否を突き付けたりはせずに応じてくれた伊黒さんは、一体何の話があるのだろうかと首を傾げつつも呼び出した先の茶屋にやって来てくれた。

 ……今から自分がやろうとしている事は、そんな伊黒さんの優しさを裏切る事になるのではないだろうか……とも思ってしまう。

 

 伊黒さんは、そうなってしまうだけの壮絶な過去があったからとは言え、自分自身の心を雁字搦めに縛ってしまっている。

 そうやって自分を責め苛んでしまうのは、伊黒さんの繊細な優しさ故であるのだろうけれど……。

 ただ、伊黒さんは自分を責めていても、それで他人を拒絶したりはしないし、寧ろちょっと不器用と言うか回りくどいと言うか分かり辛い形ではあっても周りの事を気に掛ける優しさを決して忘れない人だ。……自分を責め続けて恐らくは心の余裕が無いのに、そうやって周りを気遣える程に優しい人なのだ。

 それは、誰もがそう出来る事ではない。

 優しく繊細な人だ……そしてとても強い人だ。

 

 伊黒さんの置かれていた境遇を思うと、幾らでも自分を正当化出来ただろうし、そしてそれは何も間違ってなどいない事だと思う。

 何の愛着もなく産んだばかりの我が子を生け贄として捧げ続けるそれが、何の罪も咎も無い事などやはり有り得ないだろう。

 そして、自身の意志を介在させる余地など無く生け贄にされた伊黒さんが、物心付き自分の置かれた状況を理解出来る様になるまで奇跡的に成長出来たのなら。

「生きたい」と。

 そう思う事に、その可能性を掴もうとする事に、一体何の罪があると言うのか。

 一族がほぼ皆殺しにされた事は確かに悲劇的な側面はあるのだろう。

 数代に渡り鬼に支配され続け、価値観も倫理観も何もかもが歪み、「それ以外」を知る由もない者たちが。自らの意思を以てそこから抜け出す事は極めて難しかっただろうし、そもそもその「必要性」すら感じる余地すら無かったのだろう。……まあ、逃げ出した者が居たとしても、鬼に襲われ命を落とすしかないのかもしれないが。

 ……価値観も倫理観も、それらは生まれながらに備わるものではなくて、周囲との関わりとの中で育まれるものだ。

 歪んだ価値観しか持たぬ者たちに囲まれて外界から閉ざされれば、それが歪んでいる事にすら気付かぬままにその価値観に染まり上がる。

 伊黒さんの一族は罪深い在り方ではあったのかもしれないが、それと同時に酷く哀れではあったのだろう。

 伊黒さんがそんな風にはならなかったのは、ある意味では皮肉な事ではあるが、「生け贄」として一族からは離されて生きていたからなのだろうと思う。

 狂った環境の中では、何が罪か何が正しいのかなどそう簡単に判断出来るものでは無いのだし、その地獄を知らぬ者が外から押付けて良いものでも無い。

 一族の常軌を逸している様な悍ましい所業も、元を辿れば「生きたい」「鬼に殺されたくない」と言う思いによるものであったのかもしれない。

 何か決定的な【悪】が存在したのだとすれば、それはやはり一族を縛り続けていた蛇鬼であるのだろうけれど……。

 しかしそれですら、「鬼」という存在の在り方を考えると完全なる【悪】では無いのだろう。

 ……結果として、一族に訪れた終焉は惨たらしいものであった。

 しかし、確かに罪はあってもそれを自業自得として切り捨てきるには些か躊躇いがある。……少なくともそれを決めていいのは自分ではなくて、当事者である伊黒さんだけなのだろうけれど。

 伊黒さんが滅びた一族に……その死の呼び水となってしまったことに心を囚われてしまっているのは、彼等が紛れも無く加害者であると同時に哀れな生き物であったのだと……そうも考えているからなのだろうか……。

 

 どれ程考えた所で、自分は伊黒さんでは無いから……伊黒さんが何を感じて何を抱えているのか、その全てを知る事は出来ない。

 それでも、『幸せ』になる資格など無いのだと。そう言い切ってしまうのは余りにも悲しいと……そう感じてしまう。

 結局の所、伊黒さんに感じるこの感情は自分のどうしようも無いエゴなのかもしれない。

 伊黒さんは「助けてくれ」なんて一言も言ってないし、それを「辛い」だとかと零してもいない。自分の胸に静かに抱えている。

 それを無理矢理にどうこうしようだなんて、相手の事を思っているのだとしても、それはやっぱり何処までも「傲慢」な考えであるのだし行動であるのだろう。

 

 ……自分だって、苦しくても誰にも言えないし語るつもりの無い感情はある。

 久保美津雄の影と戦った時に閉じ込められた悪夢の事も。

 菜々子が拐われ叔父さんも重傷を負った時に、この胸の内に吹き荒れた黒く濁り切った感情も。

 天上楽土の最奥でクニノサギリに操られた仲間たちと戦った時の事も。

 現実の世界が深い霧に覆われて菜々子も叔父さんも一向に快方に向かわない……毎日底無しの海の中を溺れて行くかの様に不安に苛まれた日々の事も。

 菜々子と叔父さんの居ない空っぽで冷たい家に、一人で居る息苦しさも。

 菜々子を喪った時の無力感と絶望も。

 生田目と対峙した時の、あらゆる感情が吹き荒れて心が掻き乱されたその苦しみも。

 考え抜いて理性で御してこれが「正しい」のだと納得した筈なのに、それでも置き去りにしてしまった感情に雪の中で静かに一人泣いた時の事も。

【真犯人】として足立さんと対峙した時の事も。

 マリーが独り理由すら言わず別れの言葉だけ告げて何処かへ消え、その痕跡すら喪われ記憶すら不確かなものになっていった時の……大切なものを侵されている恐怖も。

『幾千の呪言』によって自分を庇った皆が全員死んで、独り残された時の事も。それに──

 

 そう言った物事を誰かに言うつもりなんて無いし、きっと墓場まで持っていくのだろう。助けて欲しいとも、思わない。

 過去は変えられない、過去で起きた事に対して何を感じたのかも……それもまた「過去」なのだから変えようが無い。

 それは誰しもがそうなのだろう。誰しもが自分で抱えるしかないものは少なからず持っているものなのだ。

 ……伊黒さんの過去と、そしてそれによって受けた心の傷もまたそうなのかもしれない。

 ただ、それでもやはり……。

 

 

「伊黒さん……以前お話した時の事を覚えていますか?」 

 

 そう切り出すと、伊黒さんは呆れた様な大きな溜め息を吐きながら答える。

 

「……またその話か。

 本当に、お前はお節介だし頭に花でも咲いているのかと思う程だな。

 あの時も言った様に、俺に『幸せになる資格』とやらは存在しない」

 

「それは……伊黒家の滅亡に関わる出来事の所為ですか? 

 厚顔無恥な振る舞いであると自覚はしていますが……、槇寿郎さんからあの人がかつて見たものをお聞きしました」

 

 そう言うと、伊黒さんは僅かに驚いた様にその目を大きく開けたが。しかし直ぐ様深い泥の中へ沈み込む様に暗い目をする。

 

「……そうか、知ったのか。

 なら、尚更分かるだろう。

 この件に関して、お前に出来る事は無いし、俺はそれを望んでいる訳では無い」

 

「自分の選択と行動に咎は無かったのだ」、と。

 そんな下らない「正論」を振り翳すのは止めろと、その目は間違いなく言っていた。

 深く傷付いたその心を癒す為の「理由」など、聡明な伊黒さんなら幾らでも自分で見付けられる。……だが、どれ程苦しいのだとしてもそれを背負わない自分というものも許せなかったのだろう。

 ある種のジレンマに陥っているとも言えるし、ならどうすれば良いのかを他人に示された所で、伊黒さん本人がそれを納得出来る訳でも無い。

 そんな事は、もう百も承知の上での……単なる我儘なのだとは分かっている。だからこそ。

 

「……ええ、それは確かにそうです。

 俺が何をした所で、過去は変わらない……変えられない。

 そして、それを背負うと決めた人のその背から何かを奪う事も……。

 それでも俺は、伊黒さんに『幸せになる資格』が無いなんて……そんな事は絶対に無いと、そう思います。

 いいえ、そう思いたいんです。

 伊黒さんの過去がどうだとかそんな事は関係なく、伊黒さんが幸せそうにしている姿を俺が見たいから……」

 

 それは自分の我儘であり願望の押し付けであるのだけれど。

 苦しそうに……或いは寂しそうにしている姿や、今生の事を何処か疎んでいる様にすら感じるそれを、どうしても「善し」とはしたくは無かった。

 正しいか正しくないかでは無くて、自分がそれを「嫌だ」と思うからだ。

 それに。

 

「人は、独りでは生きられない。

『幸せ』も『不幸せ』も、何もかもを自分一人の中で完結出来る訳では無いんです。

 どうしたって誰かと関わる以上は、自分ではない誰かにとっての『幸せ』の中に自分の存在もあるものなんですよ」

 

 何となく笑顔で居てくれると嬉しい、だなんて小さな『幸せ』から。この人とずっと一緒に生きていたいと思う様な、自分の心の深い場所に相手の存在を置く様な、そうやって相手の存在があってこそ成り立つ『幸せ』だってある。

 誰だって『幸せ』を願うのだ。

 自分の『幸せ』を、自分にとって大切な誰かの『幸せ』を。

 誰もが『幸せ』を願う資格があると、そう信じている。

 

 伊黒さんはとても優しい人だ。

 深く傷付いていても、他人を守る為に戦い相手を思える人だ。

 だからこそ、伊黒さんの『幸せ』を願う人は居る。自分にとっての『幸せ』の中に伊黒さんの存在が在る人は絶対に居る。

 そして伊黒さんは、そんな人たちの想いを……その『幸せ』を、自分には『幸せになる資格』が無いのだと、そんな言葉で斬って捨てる事が出来る人なのだろうか? 

 伊黒さんが優し過ぎるからこそ、きっとそうでは無いと思うのだ。

 抱える必要も無い罪や喪われた命の重さを背負ってしまう人なのだから。

 

 その言葉に、伊黒さんの眼差しが揺れる。

 明らかに、心の何処かを揺らしたのだろう。

 それでも、伊黒さんはゆっくりと首を横に振った。

 

「……俺は、誰かに『幸せ』を願われる様な──」

 

 そんな筈は無いと、或いはそんな「資格」は無いのだと。

 そう言わんばかりの反応を示す伊黒さんを前に、「本当に?」とそう訊ねてしまう。

 

「本当に、そう思っているんですか? 

 誰も自分の事を想っていないと……誰からも『幸せ』を願われていないと、そう本気で思っているんですか? 

 伊黒さんにとっては、甘露寺さんもそうなのですか?」

 

 突然出て来た様に感じたのだろう甘露寺さんの名前に、伊黒さんは明らかな動揺を顕にする。

 

「何故甘露寺が……」

 

「分からないんですか? 本当に? 

 伊黒さんが甘露寺さんの事を大切に想っている様に、共に過ごす時間や交流を大切にしている様に。

 甘露寺さんだって、伊黒さんの事を大切に想っています。

 ……誰も彼もがそうだとは言いませんが、親切にされたら嬉しいんです、自分に親切にしてくれる人の事を大切に思うものなんです、そして……そんな人が幸せだと嬉しいものなんです。

 少なくとも俺はそうですし、甘露寺さんだってそうです。

 甘露寺さんにとっての『幸せ』の中には、確かに伊黒さんの存在があるんです。

 分かっていないなんて事は無いでしょう?」

 

 だって、伊黒さんは誰よりも甘露寺さんの事をつぶさに見ている。

 甘露寺さんが伊黒さんの事をどう思っているのか……それに全く気付けてないなんて事は無いだろう。

 伊黒さん自身も、甘露寺さんに対して並々ならぬ好意を抱いている。

 甘露寺さんにとっての『幸せ』の中には、間違いなく伊黒さんの存在が必要なのだ。

 それを、本当に分かっていないとは思えない。

 それでも、自分の想いを告げる事が出来ないのは。伊黒さんの中にだってあるのだろう『幸せ』を形にしようとは出来ないのは。

 やはり、どうしても伊黒さんの心が、かつての惨劇に囚われているからなのだろうか。

 

「伊黒さん。伊黒さんのその言葉は、甘露寺さんにとっての『幸せ』も傷付けるものでもあるんです。

 それで本当に良いんですか?」

 

 どんなに辛く苦しい過去があっても、心が囚われ続けていても。

 それでも、『幸せ』になってはいけない理由などは無い。それを拒めば拒む程、かえって周りの人を傷付ける事にもなる。

 

「俺は……俺には、人を殺して私腹を肥やし栄えてきた穢れた一族の血が流れている。

 こんな俺では、甘露寺の傍に居る事すら本来は憚るべき事だ。

 屑の一族に生まれ、生きる為に俺もまた多くの命を見捨てて逃げ出した。俺もまた紛れもない屑だ。

 こんな業の深い存在では、甘露寺を幸せにする事など……」

 

「甘露寺さんの『幸せ』が何なのかを決めるのは、甘露寺さん自身ですよ。

 ……伊黒さんが、一族の行いと自分の行いを切り離せない気持ちは分かりますが。

 でも、それを『理由』にして甘露寺さんの気持ちから逃げるのは、俺は……少しばかり卑怯な事だと、そう思います」

 

「卑怯」だと言ったそれに、伊黒さんの眼差しに怒りが過ぎった。

 それでも声を荒らげて反論したりはせず、静かに目を閉じてその苛立ちを抑えようとする。……やはりとても冷静で、そして優しい人だ。

 

 一族の罪と、伊黒さん自身に罪があるのかは、正直あまり関係の無い話だ。

 同じ血が流れているなんて言われても、そもそも親族や先祖の罪を何処まで背負う義務があるのかと言う話もあるし、第一伊黒さんは「生贄」として一族との関わり自体はそう多くは無かっただろうから、一族の犯した罪そのものとは余り関わり合いが無い。

 ……とは言え、そう簡単な話では無い事も分かっている。

 血の繋がりは時に理不尽な程にその人生を縛るし、しかもそう言った部分への意識の変化が叫ばれ議論される様になった平成の時代よりも昔である大正時代ともなれば……罪人の子は皆罪人とばかりの扱いを受ける事は何も珍しい事では無かったのだろうし、本人もそれを背負ってしまう事が「当然」であるのかもしれない。

 だけど、「仕方が無いから」と諦めるのは嫌だ。

 

「お前が信じている程、この世界は優しくはない」

 

「俺だって、そんな事は思っていませんよ。

 理不尽で突然の死は何時だって訪れる、どうにもならない事ばかりでそれでも足掻くしかない。そんな世界だって事は、よく分かっています。

 それでも、諦めて立ち止まってしまったままでは何処にも行けないままだ。

 抱えたものに何かの決着を着けて終わらせる事も出来ないまま、取り返しがつかなくなって後悔する日まで蹲るのは、絶対に嫌だ。……ただそれだけなんですよ、俺にとっては」

 

「仕方無い」の繰り返しが、それに疲れてしまった人たちの心が、あの混迷の霧を生み出していたものの一つだったのだろう。

 諦めて折り合いを付けて現実と向き合わなければならない事は沢山ある。

 何でも願いを叶えてくれる魔法のランプを持ってる人など居ないのだし、蹲ったまま喚き散らした自分勝手な願いを叶えてくれる様な「都合のいい『神様』」も居ない。

 努力しようが何をしようが変えられない事は沢山あるのだし、それを受け入れて折り合いを付けもせずに、有りもしない「もしも」を妄信しても現実は何も良い方向には変わらない。

 でも、最初から何もかもを諦めてしまえば、待っているのは何処までも虚しい虚無の世界だ。

 だからこそ、何もかもが不確かな中でも、手にしようと少しでも求めたそれは本当に諦めてしまって良いものなのかを、常に問い続けなければならない。

 

 伊黒さんは、「自分では甘露寺さんを幸せにする事は出来ない」と言った。裏を返せば、叶うのならば甘露寺さんを伊黒さん自身の手で幸せにしたいのだ。

 伊黒さんはそれを不可能だと思っているけれど、でも本当にそうなのか一度でも考えなかったのだろうか? 

 恐らくは、そうでは無いと思う。

 

「……俺はお前とは違う。お前の様にはなれない。

 どうしてもやはり、この身に流れる血は業が深過ぎる。

 今生で死んで、何時か人に生まれ変わって……完全に血の業から解き放たれなくては……俺は甘露寺の傍に立つ事も──」

 

「ッ! ふざけるなッ!!」

 

 生まれ変わって、と。今此処に生きている自分を完全に否定する言葉に、思わず怒りとも哀しみとも付かぬ感情が沸き立って、その衝動のままに声を荒らげてしまった。

 伊黒さんと鏑丸が驚いた様に此方を見ているが、やってしまったと反省するよりも先に言葉は喉元を飛び出して行く。

 

「何時かの来世で人間に生まれ変わって!? 

 そうしたら、甘露寺さんの隣に立てる? 

 ……ふざけないで下さい。

 人は死んだら終わりだ、『次』なんて無い。

 だから、皆今この時を精一杯生きるしかないんです。

 例えどんなに短い命でも、外を知らずに儚く消える命でも、それでも精一杯に生きるんです……生きた証を世界に残すんです。

 もし生まれ変わりなんてものが本当にあって、生まれ変わった伊黒さんが何時か何処かの未来で暗い過去を背負う事無く人として真っ当に生きる事が出来るのだとしても。

 そこに甘露寺さんが居る保証なんて無いし、生まれ変わった甘露寺さんが居るのだとしても、それは今この時代に生きて伊黒さんと共に戦っている恋柱の甘露寺蜜璃では無いんですよ? 

 似た様な姿なのだとしても、似た様な性格なのだとしても。

 それでもやっぱり、似ているだけで決して同じにはならないんです。

 伊黒さんは此処にしか居ない、甘露寺さんも此処にしか居ない。

 今の伊黒さんのその言葉は、今此処に生きている甘露寺さんを蔑ろにするも同然のものですよ?」

 

 メロドラマに酔っているのかと、そんな言葉すら喉元を出かかった程だった。

 過去には戻れず遥かな未来へ一足飛びに向かう事も出来ないからこそ、今この瞬間を必死に生きて積み上げていくしかないのだ。

 喪ってしまった誰かの、その死後の冥福を想って死後の世界や来世を想うなら良いだろう。死者にしてやれるのは想う事だけなのだから。

 だが、伊黒さんも甘露寺さんも生きている。

 それなのに、今此処に生きている相手ではなく、「何時か」の来世の相手を想うなどと、侮辱しているのかとすら一瞬思ってしまう程だ。

 

「伊黒さんのそれは、甘露寺さんの気持ちを余りにも蔑ろにしています。

 甘露寺さんが見ているのは今此処に生きている……罪の意識に苛まれながらも必死に戦って誰かを守って、そして自分が苦しくても誰かを思い遣る事の出来る伊黒さんです。

 それは、今俺の目の前に居る貴方しか居ない。

 何代も何代も来世を辿っても、今此処にしか存在しない伊黒さんの事を甘露寺さんは真っ直ぐに見ている。

 伊黒さん自身、好きになったのは想像の中の何時かの『来世』の甘露寺さんではなくて、今此処に生きている甘露寺さんでしょう?」

 

 人は誰しもが何時かは死ぬ。

 どんなに生きていて欲しくても、どんなに大切な相手でも。

 死は唐突な程理不尽に命を連れ去ってしまう。

 鬼が居ようと居なかろうと、世界は残酷に感じてしまう程に不平等で理不尽だ。

 でもだからと言って、今生を投げ捨てて来世に期待するのはやはり間違っている。

 

 

「俺は──」

 

 ポツリと、自分の中から言葉を探そうとしているかの様に何処か迷いながら伊黒さんがそう零したその時。

 

 

「ダメーっっ!!」

 

 茶屋の隅から飛び出して来た影が、桜色の髪を揺らしながら伊黒さんを力強く抱き締めたのだった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 煉獄さんの所に居た筈の悠くんが、何やら深刻そうな顔をして私の所を訪ねて来たのはつい先日の事だった。

 悠くんがそんな顔をしている事に先ずは驚いたのだけど、悠くんが私に切り出した内容にはもっと驚いた。

 悠くんと伊黒さんとの話を、こっそりとで良いから聞いて欲しいと言うのだ。

 どうして? と訊ねると、きっと伊黒さん自身は私に対しては言えないけれど、でもきっと私が知っていた方がいい事があるから、と。そう悠くんは言った。

 そして、伊黒さんの心を冷たく暗い檻の中から助け出す事が出来るのは、きっと私だけなのだと悠くんは言う。

 悠くんは自分が伊黒さんについて一体何を知っているのか、それを直接話してくれる事はなかったけど。でも、伊黒さんの為に私が何か出来ると言うのなら、それを拒む理由なんて無かった。

 だから、悠くんが私と伊黒さんとよく行く茶屋に伊黒さんを呼び出して、そして私は隣の部屋でこっそりと二人の話を聞く事になったのだけど……。

 

 自分には『幸せになる資格』など無いと、そんな事を伊黒さんが口にした時には、思わず胸がギュッと苦しくなって、そんな事は無いと声に出しそうになったのを喉元から出かかった所を無理矢理抑えた程だ。

 そして何よりも驚いたのが。

『伊黒さんが私の事を大切に想っている』のだと……好きなのだと。そう明確に言葉にした悠くんのそれを、伊黒さんは少しも否定する事無く全て肯定した事だった。

 

 伊黒さんが、私の事を? 好き? 

 その好きって、お友達としてのそれ? それとも──

 

 思考がグルグルと同じ場所を巡り始めて、頬が火照ったように熱くなる。

 

 私は伊黒さんの事が好き。

 だって、誰よりも優しい目で私の事を見守ってくれている。

 さり気無い気遣いで何時も助けてくれる。

 誰かと一緒に食べるご飯は全部美味しいけど、伊黒さんと一緒に食べている時が一番美味しい。

 いつも優しくて親切で、柱として新米だった私を沢山助けてくれて。

 そんな親切と優しさを沢山私に向けてくれる伊黒さんの事が何時しか特別な位に好きになっていた。

 親切で優しいと言えば悠くんだってそうだし、明朗快活で真っ直ぐな煉獄さんだって優しく面倒見が良いけれど。

 二人の事はとっても大好きだけど、伊黒さんに感じるそれとは似ている様でいて全然違うものだ。

 二人への好意は、尊敬とか友愛とかってものなんだと思う。

 でも伊黒さんへのそれは、恋の熱なのだ。

 ……ただ、それを自覚していても、中々踏み出す事は出来なかった。

 

 だって、私は物凄く沢山食べる。

 鬼殺隊の中でも多分誰よりも沢山食べているし、物凄く力があるし、髪の色だって大好きな桜餅色だ。

 鬼殺隊の皆は、それを馬鹿にしたり拒絶したりはしないけど……でも女の子として魅力的に映るのかどうかはやっぱり自信はなかった。

 私らしさを殺したくはないけど、それはそれとして誰か素敵な殿方と恋をして添い遂げたいと言う想いは決して消えなかったし益々強くなっていって。

 何時しか、想像の中の『素敵な殿方』と言うふんわりとしたその「誰か」は伊黒さんの姿になっていて。

 だけど、伊黒さんに恋をしている自覚が芽生えても、どうしてもその想いを告げる事は出来なかった。

 伊黒さんは優しいし親切だ。……でも、それが私だけじゃなくて皆にもそうだったら? 伊黒さんにとって、私は大勢の中の一人でしかなくて、それを舞い上がって私に気があるんじゃないかと思い込んでいるだけだとしたら? 

 それか、仲間としては大事にされていても、恋をしたり一生を添い遂げる相手としては全く意識されていなかったら……寧ろ「無理」だと思われていたら? 

 伊黒さんはそんな人ではないと思うけど、『また拒絶されるのは嫌だ』と、そんな臆病な自分がどうしても最後の一歩を踏み出す事を拒んでいた。

 伊黒さんの気持ちをどうにかして確める方法は無いのかと、しのぶちゃんに相談した事はあったけど……その成果は未だ出ないまま。

 だけど今、伊黒さんは私の事を好きだと言った。

 それが思い上がりでないのなら、自惚れで無いのなら。

 それは、それは──

 

 舞い上がってしまったかの様にフワフワと熱を帯びてどうにも纏まらない考えは。

 

 

「ッ! ふざけるなッ!!」

 

 

 誰が聞いても物凄く怒っている事が分かる程に、穏やかな何時ものそれからは考えられない程に声を荒らげた悠くんのその言葉に、冷や水を浴びせられたかの様に一気に鎮まった。

 頭が浮かれていて、一体どうして悠くんがそんなにも怒っているのか……その会話をちゃんとは聞けていなかったのだけど。

「生まれ変わって」「来世で」、と。

 伊黒さんが発したのだろう言葉を咎めるかの様な悠くんのその言葉に、何となくを察した。

 

『来世』と言うものが本当にあるのかは分からない。

 あったら良いなとは思うし、「前世からの縁」で結ばれると言うのもとても胸がキュンキュンしてしまう程に素敵なものだと思う。

 だけど、それは今ここに生きている自分にそんな縁があれば良いと思うものであり、もしくは哀しい目に遭って命を落とした人たちが何処かの未来では幸せに笑っていられる事を願うものだ。

 少なくとも、今此処に生きているのに、それを投げ出すかの様に『来世』に自分の願いを託したくなんてない。

 もし『来世』があるとして、そして『来世』の「私」が『来世』の「伊黒さん」に出逢って思い結ばれる様な事があるのだとしても。

『来世』であっても、それは私自身では無い。

 確かに私の生まれ変わりであったとしても、それでもやっぱり私ではないし、そして伊黒さんでも無いのだ。

 伊黒さんは今此処に生きているのに。

 私が恋をしているのは、今の伊黒さんなのに。

 

 グルグルと空回りするゼンマイ仕掛けの様にそう何度も考えて。

 気付いたら、何が何だか分からない内に身体は勝手に動いていて。

 まるで今この瞬間にも何処かに消えてしまいそうだった伊黒さんの事を、抱き締める様に引き留める。

 

「伊黒さんの馬鹿! 何でそんな事を言うの!? 

 来世とかそんなの分かんないわ! 

 だって、私が生きているのは今だもの! 

 伊黒さんに出会ったのも、伊黒さんを好きになったのも、今の私だもの! 

 生まれ変わってもまた会えるってのは正直胸がキュンキュンするけど、でもそうじゃなくって。

 私は、来世の伊黒さんよりも今の伊黒さんの事が好き!」

 

 思っている事の半分も伝えられてない気はするけれど、もうとにかく一杯一杯で。

 来世だとか生まれ変わりだとかに希望を見出すんじゃなくて、今此処で一緒に生きて欲しいのだと。

 とにかくその一心で必死に伊黒さんを引き留めようとする。

 

「私、伊黒さんの過去の事は分からないわ。

 何かとっても大変な事があったのかもしれないけど、でもどんな過去があったって、私が伊黒さんの事を好きなのは変わらないの。

 鬼殺隊の人たちは皆親切でキュンキュンするけど、でも伊黒さんと過ごす時間が一番好き。伊黒さんと一緒に食べるご飯が一番美味しい。

 だって、伊黒さんは誰よりも優しい目で私の事を見守っていてくれるから……だから……」

 

 伊黒さんからの返事が無くて、焦った様にとにかく伝える。

 勢いで告白してしまっている気はするけれど、それに対する気恥しさとかを覚えている余裕は全く無かった。

 そんな私の腕に、そっと控え目に触れながら。

 悠くんがちょっと戸惑いつつ言葉にする。

 

「えっと、あの……甘露寺さん、それだと締まってます。

 ちょっと力を緩めてあげないと、伊黒さんが話せないかと……」

 

「え!? あ、ごめんなさい……!!」

 

 思わず力加減も忘れて、まるで締め上げる様にしてしまっていたらしい。

 慌てて腕の力を緩めると、少し咳き込む様にしつつ伊黒さんは息を整える。

 

「甘露寺が何故此処に……と言いたい所だが。

 鳴上、どうせお前の仕業なのだろう」

 

 伊黒さんにそう言われて、悠くんは静かに頷く。

 

「ええ。お二人に必要な事だと思ったので。

 甘露寺さんには、隣の部屋に居てもらったんです。

 まさかこんなタイミングで飛び込んでくるとは思いませんでしたが……」

 

 何故この様な真似を? と言わんばかりの伊黒さんの目に、悠くんはそう答える。

 そこに迷いや戸惑いは無い。

 

「必要、だと?」

 

「先程も言いましたが、お互いがお互いの事を特別に想っているのに、それで相手を蚊帳の外に置いてはいけないと思ったんです。

 想い合っているのなら尚の事、相手にとっての『幸せ』を勝手に自分の中で決めてはいけないと……俺はそう思います」

 

 それに、お互いにお互いの想いにはハッキリと気付いたみたいですし、と。そう悠くんは微笑んだ。

 お互いの想いに、と。その言葉に、一杯一杯だった自分が何を言葉にしたのかを思い出して、思わず顔が赤くなって恥ずかしくて顔を覆ってしまう。

 

 こ……告白とかそういうのって、男の人の方からやりたいって思う人が多かったんじゃなかったかしら。

 私ったら、勢いとは言え全部先に言っちゃったみたいなものよね? 

 はしたないって思われたりしないかしら。

 

 どうしたらいいのか分からず慌てていると。

 その様子をジッと見ていた伊黒さんも、少し耳の辺りを赤くしつつ小さく溜息を吐いた。

 

「……甘露寺。俺は、君の事が好きだ。

 明るくて、小さな幸せを見付けては幸せそうに笑う君の事が……特別に好きだ。

 お館様のお屋敷で初めて出会ったあの日。……君が、あんまりにも普通の女の子だったから。俺はそれに救われた。

 あの時から、俺は甘露寺の事が特別に好きだった」

 

 改めてそう告げられて、益々頬が熱くなる。

 何だか今なら、メキメキグシャァッとどんな鬼でも倒せてしまうじゃないかと思ってしまう程だ。

 グワグワギューンっと、握った日輪刀も真っ赤に染まりそうな気すらする。

 そんな私の様子をジッと見ながら、伊黒さんは言葉を続ける。

 

「ただ……俺はそんな君の傍に居るのには相応しくないと。

 ……そう思ってもいた。

 俺の家は……色々とあって、大手を振って太陽の下を普通に生きていける様な事は出来ない程の業を重ねていた。

 ……だから、こんな穢らわしい一族の血が流れる今生では、君を幸せに出来ないと……そう思っていた」

 

 そんな事は無い、と。そう言い掛けたけど。

 それは伊黒さんも分かっているのか、静かに溜息を吐いた。

 

「……だがそれは、『逃げ』だったんだろうな。

 俺が幸せにしたいのは……守りたいのは、今目の前にいる甘露寺なのだから。

 俺は……俺のことばかりで、甘露寺の事を考えてやれていなかったのかもしれん。

 ……そんな俺でも許してくれると言うのなら。

 どうか、この先もずっと、この命ある限り甘露寺の事を守らせて欲しい」

 

 来世でも生まれ変わった先でもなく、今ここに居る私の事を、と。

 そう静かに言葉にした伊黒さんへの返事は、もうずっと前から決まっていたものだった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
来世とか言い出された時はかなり怒ったし、それ以上に伊黒さんの苦しみはそれ程までに深いのかと感じ取って哀しかった。
幾千の呪言をも振り払い幾万の真言を世界に示した者としても、時の狭間で『生きた意味』の答えを見届けた者としても、……『死』と対峙し精一杯に生きて奇跡を成し遂げた『彼』の友人としても、今生を投げ捨てるそれは絶対に相容れない考えである。


【伊黒小芭内】
この後蜜璃ちゃんと正式にお付き合いを始める。やってる事は以前と大して変わらないが、甘酸っぱい雰囲気は倍以上になった。


【甘露寺蜜璃】
この後伊黒さんと正式にお付き合いをする。
伊黒さんが本当に優しくて、お見合いのトラウマも前向きなものに変わっていった。



≪今回のコミュの変化≫
【恋愛(甘露寺蜜璃)】:9/10→MAX!
【死神(伊黒小芭内)】:7/10→MAX!

Q:何が起こっても、自分の選択に責任を持てますか?

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