『鳴上悠は鬼殺の夢を見る』   作:OKAMEPON

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『心に寄り添う者』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ふと目を開けると、そこはもう幾度と無く見慣れた蒼い世界であった。

 そして目の前にはやはり、『鳴上さん』が居る。

 しかし、何時もとは違ってその穏やかな金色の瞳には、何処か物憂げな感情が揺れていた。

 

「あの……どうかしましたか?」

 

 こうして『鳴上さん』と会う度に、何かとても大切な事を忘れている様な気がするのだけど。

 だけどそれが何なのかは分からない。

 しかしその思い出せない「何か」によるものなのか。物憂げな『鳴上さん』を見ていると胸の奥がザワザワするのだ。

 

「……少し、色々と考え事をしていただけだから、気にしなくていい」

 

 そう『鳴上さん』は言うけれど、気にしないなんて俺には出来なかった。

 だって、『鳴上さん』からは何かを悩んでいる様な……そんな匂いを感じるのだ。

 そう言うと、『鳴上さん』は「そうか……」と小さく呟いて、そして苦笑する様な気配と共に一つ溜息を吐く。

 

「炭治郎相手に隠し事は難しいな。

 そう、だな……何と言えば良いのか、色々と気掛かりな事があってな。

 まあその内の幾つかは炭治郎たちに話せる様な事では無いのだけれど……。

 ただ、やはりどうしても鬼舞辻無惨の動きが気になってしまうんだ。

 そして……恐らくは現実の世界の方で、何か妙な動きが生まれている」

 

 無惨の動きに関してはともかく。

「妙な動き」と『鳴上さん』が言うそれには全く見当も付かず、思わず首を傾げてしまう。

 ……はて、その様な何かがあっただろうか……。

 思い返してみても、ここ数ヶ月の記憶は殆どが柱稽古の記憶であるし、正直俺は世間全体の動きと言うものにはあんまり詳しくはない。

 現実の世界で何か大きな事故や事件が起きたかどうかは、俺にはよく分からない事であった。

 

 俺のそんな様子に、『鳴上さん』は「分からなくても気にしなくて良い」とそっと首を横に振る。

 

「恐らく、炭治郎の周りで何か決定的な事が起きている訳じゃない。

 ……鬼殺隊の中の『何か』が無関係であるとは限らないかもしれないけれど、恐らくそれは鬼殺隊とはあまり関係の無い所……言うなれば『大衆の無意識』の部分に『何か』が起きているのだと思う」

 

 現時点では自分にもそこまで詳しい事は分からないけれど、と。そう『鳴上さん』は言うが……その表情はやはり何処か物憂げだ。

『大衆の無意識』云々については俺にもさっぱり分からないけれど、しかし鬼殺隊の中で起きている『何か』に関しては少しだけ「もしかして」と思い当たるものはある。

 

「あの……それって、鬼殺隊の中で悠さんが『神様』って扱いになってきてしまっている事と何か関係が……?」

 

『鳴上さん』はゆっくりとその目を伏せる様にして呟く。

 

「……恐らく、今の状況自体とは直接的な関係は無いだろうが……。

 それでも、無関係とは言えないんだろうな。

 鬼殺隊の人たちのそれも、『この世界の心の海』を構築するものの一部なのだから、その影響は確実にある。

 そして『鳴上悠』は本来はこの世界の存在ではないが故に、この世界にその存在を留める縁となる『繋がり』……絆に強く影響されてしまう。

 特に、特別な『絆』を結んだ相手からの認識の影響はとても強い。

 そしてそれは、意識に上らせているものだけでなく、無意識にどう認識されているのか……と言うのにも影響されてしまう。

 とは言っても、今の所はそれで何か悪い方向に転がる……と言う所まではいってないから安心してくれ」

 

 まあそうは言っても、『神様』として誰かから扱われるのは寂しい事だけれど、と。諦観の様な感情を交えつつも、「寂しい」と『鳴上さん』は口にする。

 それにどう答えれば良いのか……。悠さんに対して鬼殺隊の中でそう言った認識が生まれているのに、それをどうにかする事はまだ出来ていない自分に何が言えるのか分からなくて。

 何か言おうとして言葉に出来ずそれを飲み込むと、そんな俺の様子を見た『鳴上さん』は、「気にするな」とばかりにゆるりと首を横に振る。

 

「それは、炭治郎が気にする事ではないさ。

 それに関しては誰が悪いと言う訳では無いし、強いて言えば『鳴上悠』の選択の結果だ。

 それに……炭治郎たちが『鳴上悠』にちゃんと向き合ってくれるから。理解する必要も無いただの都合の良い『神様』ではなくて、目の前に居る一人の『人間』として見てくれているから。

『鳴上悠』は『人間』のままで居られる。『人間』として、この世界に繋ぎ止められている。

 ……『鳴上悠』は、本当に恵まれているな」

 

 嬉しそうに柔らかな微笑みを浮かべて、『鳴上さん』はそう言葉にする。

 ……恵まれている、と。『鳴上さん』はそう言うけれど。

 ただそれは、悠さん自身が誰よりも真っ直ぐに相手に向き合って居るからなのだろうと思う。

 そう言葉にすると、『鳴上さん』は「いいや」とそれを柔らかく否定する。

 

「確かに、そうやって相手に向き合っているからこそ、と言う部分は間違いなくあるだろうけど。

 それでも、炭治郎たちの様に考える事が出来る人は決して多くは無い。

 自分たちの願いを叶えてくれる都合の良い相手が居て、自分たちの代わりに戦ってくれる都合の良い相手が居て。

 その時に、その相手に確りと向き合って『理解しよう』と考えられる人は多くはないんだ」

 

 相手の事なんて理解しなくても、相手が自分にとって都合が良い様に動いてくれるのなら。理解する事を放棄する事の方がずっと『楽』だから。

 そこにある動機が善意であれ何らかの打算であれ、自分に都合が悪い訳では無いなら、と。

 相手を「理解しようとする事」は決して楽な事では無いし、相手の真意やその内面が自分が思っていた様なものでは無かった場合「失望」する事もある。「知りたくなかった」と思う事もある。知ってしまったからこそ、相手に対して純粋な気持ちで向き合えなくなる事もある。

 そこに至る感情が「崇敬」であれ或いは「怠惰」であれ、人は「都合の良い相手」に対して、勝手に自分の中で作り出した「偶像」を見てしまう。

 特に、悠さんは「都合の良い『神様』」を押し付けるのにこの上無く「都合が良い」のだから尚更に、と。

 ……そう、『鳴上さん』は淡々と言葉にする。

 

 それは……それは確かにそうなのかもしれない。けれど、……それはとても寂しい事だと俺は思う。

 悠さんはそう言った「理想」を押し付けられる事を望んでいないと言う意味でも、そして人が想う「都合の良い『神様』」なんかではない……今目の前で俺たちの力になりたいと精一杯に自分が出来る事をしようと足掻いている悠さんの姿を正しく見る事が出来ないのだと言う意味でも。

 

 何も言えないままの俺を見て、『鳴上さん』は静かに柔らかな表情を浮かべる。

 それが何れ程「難しい」事なのか分かっているからこそ、俺たちには心から感謝しているのだ、と。

 感謝するべきは寧ろ俺たちの方だと思うのに、『鳴上さん』は真摯にそう思っている声音と匂いで、優しくそう言葉にした。

 

「『鳴上悠』は、この世界に在るべき者ではない。……それは、何をしても揺るぎようの無い事実なのだろう。

 悪意や害意とは無関係に、その存在の影響は良くも悪くも大き過ぎて……望まぬ形で大切なものを傷付けかねない。

 それでも、炭治郎たちと出逢えた事、そして大切な『絆』を結べた事。それは……何にも替え難く大切な事だ。

 絆があるから……それを愛しいと思うから、守りたいと願うから。『鳴上悠』はどんな時でもどんな相手でも、戦う事が出来る。

 有難う、炭治郎。

 この世界で初めて『絆』を結んだのが炭治郎だった事は、疑いようも無く『鳴上悠』にとって最高の幸運だった」

 

 溢れんばかりの感謝の気持ちが伝わってきて、だけどそれに照れたりする事以上に「この世界に在るべきではない」だとかの言葉が気になってしまう。

 それに、『鳴上さん』にとって……そして悠さんにとって「特別」なのだろう『絆』を初めて結んだのが自分とであった事にも驚く。

 そんな俺の反応を優しい目で見詰めていた『鳴上さん』は、しかし再び何かを憂う様にその眼差しを曇らせる。

 

「そして大切だからこそ、喪いたくは無いんだ。

 炭治郎の事も、誰の事も。

 鬼舞辻無惨との決戦の中で、誰も彼もをこの手で守りきる事は決して出来ないだろうし、誰の命も奪わせる事無く勝ち抜く事も難しいのかもしれない」

 

 それが「怖い」のだと、そう静かに『鳴上さん』は吐露した。

 そして、少しでも失わなくても済む様にと、悠さんは手合わせなどで少しでも柱の人たちや俺たちを鍛えようとしてくれているのだろうし、『鳴上さん』は試練を課してくれる。

 しかし、どうやら『鳴上さん』の憂いは鬼舞辻無惨との決戦だけではない様だ。

 

「鬼舞辻以外にも気掛かりな事はある。

 どうやら『この世界の心の海』で何かが起きている様なんだ。

 そして、それに関してあまり良い予感はしない。

 ……どうして『この世界の心の海』が揺らいでいる気配がするのか、俺にも分からない。

 それでも、気を付けて欲しい」

 

『心の海』と言うその言葉に、悠さんがかつて戦ったのだと言う恐ろしく強大な存在の話を思い出して、思わず緊張してしまう。

 悠さんが戦った「アメノサギリ」とやらの様なモノがそうそう簡単に現れるとは思いたくは無いけれど……だが『鳴上さん』が憂いているのはそう言う事態なのだろうとは分かる。

 気を付けろと言われても、もしそんな強大な存在が目の前に現れたとして俺に一体何が出来るのかとは思ってしまうけれど。

 

 ── 炭治郎ならきっと大丈夫だ。

 ── 一番大切な事は、自分自身の心だから。

 ── 自分の選択の結果には、必ず責任を持つ事だ。

 

 ふと、以前悠さんから言われたその言葉を思い出す。

 自分自身の、心。そして、自分の選択に責任を負う事。

 それが、そう言った存在に相対する時に大切なもの。

 それだけでどうにか出来るのだろうかとは思うけれど……しかしそれが出来なくてはどうする事も出来ないものなのかもしれない。

 

 ふと『鳴上さん』を見ると、悠さんのそれとは少し違うけれど……でも大切に見守ってくれている様な優しい目をして俺を見ていた。

 視線が重なった事に気付いた『鳴上さん』は、少しだけ微笑む様にその表情を緩ませる。

 

「……もし、どんな願いも必ず叶えてくれる『神様』が炭治郎の目の前に現れたとして。

 どうする事も出来ない様な苦境に陥った時、その『神様』に全てを委ねたら、全て上手くいくと思うか?」

 

『鳴上さん』がどうしてそんな事を訊ねて来たのか、その理由は分からないけれど、でも。

 その答えは、考えるよりも前にとっくに決まっていた。

 

「それは……思わないです。

 その……自分が苦しいからって、誰かにそうやって自分自身の事を丸投げするのは違うって思うんです。

 どうしてそう思うのか、言葉にするのは難しいんですけど……」

 

 何もかもを救ってくれる様な「都合の良い『神様』」が居てくれるのなら、と。そう考えてしまう瞬間が無い訳では無いけど。

 でも、自分自身の何もかもを相手に委ねてしまうのは、「違う」と思う。

 そもそも、そんな事をしようとする自分と言うものも想像出来ないし、そんな風に自分自身の事にすら「無責任」になってしまうそれを考えると、ゾワゾワする様な……何とも言い難い「嫌な感じ」になるのだ。

 その理由をちゃんと言葉で詳しく説明するのは難しくて、曖昧な答えにしかならなかったけれど。

 しかし、俺の答えに『鳴上さん』は何処か嬉しそうに頷いた。

 

「その気持ちがあれば、きっと大丈夫だ。

 選択する事の大切さを忘れなければ、己の選択の責任を負う意味を見失わなければ……きっと。

 人は移ろい流され易く、そしてどうしても『安楽』を望んでしまう。

 欲望に振り回されて己を喪い、何かに向き合う事を放棄して怠惰に耽り、弱い自分を守る言い訳に溺れて、それどころかそれらに疲れ果ててどうにもならない『終わり』ですら求めてしまう事もある。……それは、仕方の無い事なのかもしれない。

 でも、炭治郎の様に、『自分自身』を持ち続けて……選択していけるのなら。

 どんな『人々の総意』が目の前に現れても、それに屈する事は無い筈だ」

 

『鳴上さん』は、眩しいものを見詰めているかの様に少しその目を細めて微笑んだ。

 そして、そっとその手を差し出してくる。

 思わず反射的にその手を取ると、その瞬間何か温かなものの存在を強く感じ、驚いた様に『鳴上さん』を見てしまう。

 

 

「それは、俺から……いや『鳴上悠』から、炭治郎への『絆』だ。

 心と心の繋がり、魂の絆。

 どんなに離れていても、例えもう其処に居なくても。

 それでも確かに心の中に在るもの。

 ……炭治郎がこの先の何処かで何かに向き合う時に、きっと支えになるもの。

 俺が出来る事はこの位しかないし、今こうして話した事も『その時』にならなければハッキリとは思い出せないのかもしれない。

 だが、それでも俺は信じている。

 炭治郎の事を……皆の事を。俺は、信じるよ」

 

 

 真剣な目でそう言葉にした『鳴上さん』に、何かを訊ねようとして。

 俺は──

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 無惨は苛立ちと共にその腕を振り払おうとして、しかしその寸前で僅かな理性がそれを押し留める。……理性と言うよりは、『死』への恐怖の感情と言う方が正しいかもしれないが。

 

 鬼となり陽の光を避けねばならぬとは言え己の足で狭く暗い部屋の外へと歩き出せる様になってから「初めて」と言っても良い程に、何もかもが全く思い通りになっていない。

 その切っ掛けが何であったのかなど考えるまでも無い。

 この世のありとあらゆる理を冒涜し凌辱するかの様なあの『化け物』がこの世に現れたからだ。

 

 あの『化け物』が鬼殺隊と接触する事を阻止出来なかった事こそが、最も取り返しの付かない「過ち」であったのだろう。

 あの『化け物』は、無惨を殺す事に何の躊躇いも痛痒も感じないのだろう。

 鬼殺の剣士の様な連中は、彼我の力の差も弁えず無意味で非生産的な事に己の命を賭す事に執念を燃やし執拗に無惨を追っているだけの羽虫の様な存在であり、無惨に対して憎悪を向けようが或いはその息の根を絶たんと気炎を上げていようが障害と呼べる程のものにもなりはしないが。

 しかし、あの『化け物』は違う。あれは、この世に在って良い存在ではない。

 そもそも生き物であるかどうかすらも怪しいと無惨は感じていた。

 何時何処から発生したのかも不明な、正真正銘の『化け物』。

 悍ましいまでの暴虐その物の力を意のままに揮い、天変地異を巻き起こし、精神を貪り凌辱する『化け物』。

 与えられる限界まで血を与えて強化した上弦の鬼たちですら全く相手にもならない、例え上弦全員を一度にぶつけたとしても何の意味も無いのだろう。

 

 本来ならば、あんな『化け物』の様な存在に関わる必要性など無い。

 その目から逃れるかの様にこそこそと逃げ隠れするのは耐え難い屈辱であり、鬼でなければ憤死しかねない程に腹立たしい事ではあるが……。しかし、かつて「日の呼吸」の『化け物』の手から逃げ延びた後にそうした様にすれば良いだけの事でもある。……そうやって隠遁して、あの『化け物』が何時か寿命で死ぬのであれば。

 だが、あの『化け物』は余りにもこの世の理を逸脱している。寿命と言う時の軛が存在するかどうかすら怪しい。

 百年後二百年後も当然の様な顔をして変わらぬままの姿で無惨を殺さんと追い続けている可能性すらある。

 そして、その可能性は益々以て高くなった。

 あの『化け物』は、「青い彼岸花」を手にしていると言うのだ。

 不完全な状態の薬ですら無惨を『鬼』にしたのだ。

「青い彼岸花」の実物を手にしたあの『化け物』が、不完全な『鬼』を遥かに凌駕する、死も寿命も弱点も何も無い『究極の生物』と成る可能性だってある。

 そうなれば、最早打つ手はない。

『化け物』に本来は寿命が存在したとしても、そうなってしまえばもう関係無くなってしまう。

 自分がそれを手に入れて陽光をも克服した真の『究極の生物』となる目的以上に、「青い彼岸花」はあの『化け物』の手にだけは渡してはならぬものであったのだ。

 あの『化け物』の手に渡る前にそれを手に出来なかった事が心底悔やまれるが、数百年以上掛けても手掛り一つ得る事の出来なかった鬼共が無能であったと言うだけであるのかもしれない。

 何であれ、永遠の命を得た『化け物』に未来永劫追われ続ける事になるだなんて事態は、無惨には到底受け入れる事など出来ないものであった。

 ただ思う様に生きていたいだけであると言うのに、何故世界はこうも理不尽を突き付けるのだろうか。そうまでして自分が憎いのか、とそう悪態を吐きたくなる程である。

 

 何であれ、あの『化け物』が「青い彼岸花」によってより一層手の付けられない『化け物』になるのだけは阻止しなければならない。

 無限城を一撃で根こそぎ消し飛ばす様な存在を相手に、真正面から正直に戦ったとしても一切の勝ち目は無いが。

 しかし、どうやら天運は完全には無惨を見放してはいなかった様で。

 力の多寡を競うのなら何をしようとも勝ち目は皆無だろうが、しかしどうにもあの『化け物』は愚かしい程に「弱み」が多い様であった。

 あの『化け物』は、どうやら人間を見捨てる事は出来ないらしい。

 目の前の鬼を倒す事以上に、その場に居る人間を助ける事を優先する。人間たちなどあの『化け物』にとっては塵にも満たない程度の存在であろうに。足手まといでしかない相手の事を庇って、その力を揮う事が出来ない。

 信じられない程に愚かだが、しかしその特性は無惨にとっての僅かな勝機である。

 鬼を軽く凌駕する程の力を持ちながらも、しかしその力は無尽ではなく消耗するもので、更には人間どもを気にするあまりにその力を引き出せない事も多い。

 あの『化け物』に対しては、上弦の鬼たちを肉壁にするよりも、人間共……特に鬼狩り共を盾にする事の方が効果的であろう。

 上弦たちは『化け物』を相手にするには役には立たないが、鬼狩り共を足止めし減らす分には役に立つ。

 上弦を鬼狩り共にぶつければ、鬼狩り共を見捨てる事の出来ない『化け物』は勝手に消耗するだろう。

 そして、あの尋常ならざる力も、周りに巻き込みかねない鬼狩りが居るのであればあの『化け物』はそれを使う事は出来ない。

 何なら、適当な鬼狩り共を鬼にして嗾けてやってみても良いかも知れない。

 消耗し切った状態の『化け物』を相手にするのなら、まだ何かしらの勝ち目はあるだろう。そうすれば、あれを捕らえて「青い彼岸花」を奪い取り、鬼に変えてしまえば良い。

 最大の敵は、最高の手駒にも成り得る存在であるのだ。あの『化け物』を鬼にして支配出来るのなら、この先の長い時間の中で新たな『化け物』が現れたとしてもそれを退ける事が出来る筈だ。

 

 そしてそれを選ぶと言うのであれば、その戦いの舞台は入念に準備せねばならない。とは言え、戦場を決定する優位性が自分たちの側にある事は無惨はよく理解していた。ただ問題を挙げるとすれば、その決戦の場に相応しい無限城が、あの『化け物』の手によって跡形も無く消し飛んだ事であるが。

 まあ……無限城は鳴女の血鬼術によって形作られ維持された空間だ。

 その根源たる鳴女さえ無事であるのならまた何度でも作り直す事は出来る。

 ……その肝心の鳴女は、あの『化け物』の攻撃で無限城を跡形も無く吹き飛ばされた影響で、『化け物』の攻撃こそ直撃はしなかったものの酷く消耗した状態になり、それを回復させる為に随分と多くの無惨の血と時間を要した。

 漸く最近になってどうにか無限城の再構築に取り掛かれる様になったが……しかしその安定性はまだ十分では無く、あの『化け物』を相手取る為には心許無い。

 あの圧倒的な力自体は無限城に鬼狩り共を引き摺り込めば抑止出来るだろうが、そもそもあそこまで絶対的な力でなくとも『化け物』の揮う力はどれもこれも桁違いのものであり、不安定な状態の無限城ではその力を受け止められないだろう。

 その為、決戦までにはまだ暫しの時間が必要であった。

「青い彼岸花」がその手にある事を考えると仕掛けるならば早ければ早い程良いが、そうやって急いて遮二無二に襲い掛かった所であの圧倒的な力の前に潰されるだけである事は分かっている。

『死』の気配に関して、無惨はこの世の何よりも敏感であった。

 それを可能な限り避ける為ならば、驕り高ぶるが故の癇癪を抑えられる程度には。

 だからこそ、憤死しかねない程の苛立ちを覚えても、無惨は我慢していた。

 そう、生まれてからこの方「我慢」などした事など無いと言っても過言では無い無惨がだ。……それ程までに、『化け物』の存在は余りにも強大であった。

 そして問題は無限城だけではない。

 

 使える手駒として手元に残された上弦の内、黒死牟と猗窩座が全くの使い物にならない状態にまで陥った事も、無惨としては非常に苛立ちを募らせていた。

 童磨はまあ……そう言った状態にはなっていないものの、あれはあれで触れる事も悍ましい程に何かが大きく狂っていた。その思考を覗くと此方まで汚染されそうなので、最近は最低限の伝達や位置の把握だけに留めている。まあ、あの『化け物』と相対する事に関しては寧ろ積極的に喜んで引き受けるのであろうから、『化け物』にぶつける手駒の役目は果たせるのでそれで良しとする事にしている。

 奴に何かしらの接触をすると、『神様』と呼ぶあの『化け物』の事を壊れたレコードの様に延々と垂れ流されるのも耐え難いのだが、そもそもあの『化け物』に対して激怒している無惨にとってはその場で童磨を衝動的に処分しない様に自分を抑えるのが苦痛の極みであるからだ。狂ってはいるが、手駒として優秀なのは事実であるので、衝動的に処分してしまうのは巡り廻って己の頸を絞める結果になりかねない。

 狂信者の事は放置するとして、問題は黒死牟と猗窩座である。

 どちらも童磨に比べれば非常に忠実であり使える手駒であるのだが……しかし『化け物』の攻撃によって完全に精神の均衡を崩され、狂乱しているか或いは廃人の様に変わり果てているのかのどちらかになってしまっている。

 

『化け物』のあの攻撃は血を介してその戦いを監視していた無惨にも甚大な影響を与え、この世で起こり得る最も悍ましく恐ろしく絶望的な光景を複数の脳だけでなく全身の細胞に刻み付ける程のものであった。

 その悍ましい光景を振り払う為に、無惨は自身で何度も己の脳を破壊した程である。その甲斐あってか、十数回程脳を破壊した辺りからどうにかその幻覚を追い払う事に成功したが……。しかしあの『化け物』の事を考える度に、あの恐怖を思い出したかの様に己を形作る細胞が震え上がる程である。

 そして、あれを直接喰らった黒死牟と猗窩座は今もまだ狂乱の中に居る。

 一体どんな幻影を見ているのかその思考を覗こうとしても、意味を成さない乱れ切ったものであるし、或いはその精神の奥深くに絡み付いた呪詛の様な闇が再び無惨を侵食しかねないので、その思考を覗く事すらかなりの危険を伴うものであった。

 どうにか使える状態に戻そうと、それらの記憶を消しても、呪詛の様なそれは尽きる事無くその記憶を掘り起こしより深くその精神を乱す。

 いたちごっこよりも質の悪いものであった。

 身体が崩壊する可能性のあるギリギリの量の血を無理矢理与え、その精神への支配を強めても、一応の形にはなっても些細な切っ掛けで再び狂乱する。

 更には、人間を喰えなくなった事も深刻な問題であった。

 飢餓が無い訳でも、人を喰う事への衝動が消えた訳では無いのだが。

 中途半端に「人間」的な感性や理性が戻っているのか、或いは呪詛によってそれを無理矢理に穿り出されているのかは分からないが。

 とにかく、「人を喰う事」それ自体に強烈な忌避反応を示すのだ。特に猗窩座はその傾向が強い。

 回復させる為に無理矢理喰わせるのだが、その度に猗窩座は自壊しようとしてまで己の行いを拒絶する。その度に、非常に手間ではあるがその精神への支配を強めてどうにかしてそれを抑制しなければならない。

『化け物』との決戦の時までには、どうにか黒死牟と猗窩座を「使える」状態にまで取り繕わなければならない。

 苛立ちの余り黒死牟と猗窩座に折檻しそうになるが、しかしその結果どうにか不安定ながらも積み上げた精神のそれを一気に崩壊させかねないので、何時もそれをギリギリの所で押し留めている。今だってそうだ。

 

 この様な状況を引き起こした『化け物』への尽きぬ怒りと憎悪と、そしてそれ以上の恐怖を胸に。

 あの『化け物』を倒すその時の為の準備を進めているのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「教祖様、有難うございます」

 

「いやいや気にしないでくれ。

『ナルカミ様』は必ず君を救ってくれるとも」

 

 ハラハラと涙を流しながらそう言って礼を言う女に、にこやかな笑顔を作って返す。

 最近随分と増えた信者たちの内の一人だ。

 ……確か、身内が不治の病に倒れ、藁をも縋る想いで『ナルカミ様』へと辿り着いたのだったか。

 可哀想な身の上話をつらつらと語られた所で俺にとってはどうでも良い話ではあったが、『ナルカミ様』を信じそれに縋りたいと言うその想いに貴賤は無く、そしてあの『神様』ならば迷わずその手を差し伸べるのであろう。

 信者と幸福になる事が俺の務めである事は、万世極楽教の教祖であった頃から何一つ変わらないのだ。この女の願いも、『神様』へと届けてやるべきものなのだろう。

 

『神様』の事を知らない哀れな人間たちにあの『神様』の事を伝える為に始めた『ナルカミ教』だが、初めはほんの小さな集会程度のものであったそれは、思った以上の速さで急速に拡大している。

 東京を中心に広まっているが、そろそろ遠方の方へも広がりそうな勢いだ。

 教祖……と言うより、あの『神様』の事を伝える事が出来るのは今の所俺だけなのだからそんな大規模になるとは思ってもみなかったのだけれど。

 まあそれ程までに、あの『神様』は誰もが望んで止まない様な存在だったと言う事なのだろう。

 俺の説法を聞いて満足する者も居れば、或いは本当に『ナルカミ様』の奇跡で願いが叶ったと言う人も居る。まあ、願いが叶った人の大半は話を聞く限りは、あの『神様』に遭遇して助けて貰った訳では無く、ただの偶然によるものだろうけれど。何であれ、『神様』に……『ナルカミ様』に対する「信仰」は凄まじい勢いで広まっている様だ。

 万世極楽教の時とは違ってその規模を抑える様にとは無惨様から言われていないから、拡大していく勢いに任せている状態だ。

 

 死を恐れる様に、無になる事を恐れる様に。

 人の世は何時の時代も不安と恐怖に満ちている。

 ほんの僅か先の未来すら見通せない事を恐れ。様々な方向へ揺れ動き今までにない速さで変化し、その勢いが留まる事を知らぬ世の中の有り様に不安を懐き。そんな不確かな世界の中で己の選択に迷い。理不尽や不条理に慟哭し。叶わない筈の願いを抱えて彷徨い。人と人との関わりの残酷さに打ちのめされ。己を見失う程に絶望する。

 

 そんな世界の中に在って、祈っても救ってくれない神しか居ないこの世界のたった一つの例外。

 人を助け、人を癒し、人を守り、人の為に戦う。そんな『神様』を、人はずっと望んでいたのだ。

 何処かにある極楽では無く、今生きているこの世界で「幸せ」になる事を人は望んでいる。故に、それを叶えてくれる『神様』は、何処までも人の心を満たすものであるのだろう。

 海の向こうの大陸の神である「天主」の様に人に理不尽を強いる事は無く、その願いに寄り添う様に在るそれは、まさに理想の『神様』だ。

 

 あの素晴らしい『神様』の事を知ってくれる人がこんなにも増えて、俺はとても嬉しかった。空虚な日々がこうも歓びに溢れるなど、かつての自分では想像も出来ないに違いない。

 ああ……再び相見えるその時が心から待ち遠しい。

 その時には、もっとその力の全てをこの目に焼き付けたいものだ。

 

 遠からず訪れるのであろう「その時」を想像し、意識して作ったものではない笑みが自然と零れるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
『鳴上さん』と話した内容は、以後夢の中に訪れた際にも所々が抜け落ちた様に思い出せなくなっている。
現在の『試練』は柱+同期組(と獪岳)の総力戦で黒死牟と猗窩座を同時に相手にしている状態。


【童磨】
絶賛推し活中。
新しく始めた『ナルカミ教』は、東京周辺を中心に急速にその勢力を拡大させている。
童磨自身の布教能力の高さがその急拡大に関係しているのは間違い無いが、果たしてそれだけなのか……。


【鬼舞辻無惨】
老々介護に疲れ果てキレ散らかしている。
人質作戦はピンポイントに悠の地雷である事は知らないし、知ってても理解出来ない。


【鳴上悠】
無惨様が想定しているよりも数倍以上は『化け物』。


【『鳴上さん』】
流石に童磨の暗躍には気付いていない。が、明らかに『この世界の心の海』が騒がしくなっている事には気付いている。
炭治郎の事を何があっても絶対に助ける為に心から信じる事を決断し、『人の総意』による『試練』に向き合う事になる可能性の高い炭治郎の力となるべく、この世界に於ける己の存在の根幹に関わる最も大切なものを委ねた。


【ナルカミ様】
童磨が作った『ナルカミ教』の「神様」。モデルは当然の事ながら悠。
人の心に寄り添い、万病を癒し、人を脅かすモノを討ち滅ぼし、人の世に安寧を齎す、『人の願い』を叶える「神様」。
そのご利益は非常に多岐に渡る。また信仰する際に特別な入信方法やお布施などは不要である事も、その信仰の裾野を広げている要因になっている模様。
教祖である童磨による布教活動(兼カウンセリング)によって悩みが解決した人が急増している他に、信者の中には不治の病の病状改善などの「奇跡」の様な現象を経験している者が少しずつ増えている様だ……。





≪今回のコミュの変化≫
【太陽(竈門炭治郎)】:9/10→MAX!


【世界(『鳴上悠』)】:0→?
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