此処がアニメになるには後何年掛かるのでしょうね。楽しみです。
『無限の奈落へと』
◆◆◆◆◆
年の終わりが目前に迫った、冬の長い夜。
陽は完全に没し、望月からは些か欠けた形で中天へと昇り行く月が下界を照らすその中。
彼の存在は、千もの歳月越しに己を討たんとする者たちの頭領の下へと直接その姿を現した。
鬼舞辻無惨。
この世に蔓延る鬼のその頂点にして、全ての鬼を生み出せし元凶。
千年以上もの時の中を思うがままに人を食い荒らし、人の世に嘆きと悲劇の連鎖を幾つも生み出した悪鬼。
紛う事無き化外の首領は、そうでありながらも一見すると非常に人間らしい装いでその場に現れた。
この時代では恐ろしく高価であろう上質な洋装で全身を固め、その着こなしはその趣味の良さを表すかの様に洒落ている。
しかし、人間の如き装いでありながらも、その気配は禍々しく、腹が捻じ切れかける程に吐き気を催すまでに不快の極みである。
産屋敷家の庭に弦を掻き鳴らす音と共に何処からともなく現れた鬼舞辻無惨は、産屋敷家の邸宅へと興味深そうにその視線を向ける。
鬼殺隊……否、鬼殺の剣士を率いる産屋敷家の存在は遥か昔から認識していたが。しかし幾ら鬼殺の剣士たちをしつこく煩わしい羽虫程度に目障りに思おうとも、彼等を指揮する産屋敷家の者たちは非常に隠れるのが上手い為か産屋敷家の者たちを根絶やしにする事は叶わず。そして、幾度と無く壊滅的な被害を与えても鬼殺隊やその前身となる鬼殺の剣士たちは決して絶える事は無かった。
しかしその事に関して苛立ちを感じてはいても、鬼舞辻無惨がその原因を真剣に考えた事は無い。
何せ、鬼舞辻無惨にとっては、幾ら目障りではあろうとも、所詮は人間でしかない鬼殺隊の剣士たちの刃など、到底己の命には届きようの無いものでしかないからだ。
故にこそ、産屋敷家を根絶やしにすればこの煩わしさから開放されると信じ、鬼たちに産屋敷家の者達の居場所を探らせてはいたのだが。
何故己が身を捧げる覚悟の上で鬼殺に身を投じる者たちが決して絶えないのか、それを鬼舞辻無惨が考える事は無いし、考えた所で理解する事も出来ないのだろう。
『生きたい』という本能的な欲求にのみひたすらに忠実である鬼舞辻無惨にとって、己の命よりも重いものなどこの世に存在する筈もないのだから。
「千年もの間身の程も弁えず私の邪魔ばかりして己は怯えた子鼠の様に逃げ隠れしていた一族の長が、まさかこんなにもあっさりと己の居場所を突き止めさせるとは。
私は心底興醒めしたよ、産屋敷。
あの『化け物』を手に入れた事で、思い上がって慢心したのか?」
嘲る様にそう煽る鬼舞辻無惨の言葉に、鬼舞辻無惨を迎えるかの様に庭に面した部屋にあまね様と静かに座していたお館様は凪いだ湖面の様な穏やかな表情を浮かべたまま対峙する。
武器も何も持たぬ、無力なただの人間二人。
その程度、鬼の頂点である鬼舞辻無惨にとっては道端の小石程度の煩わしさすらも存在しない程、軽く撫でるだけで鏖殺出来る程度のものでしかない。
鬼殺隊を率いる身でありながら、この場には柱どころか鬼殺の剣士は一人も居らず。それどころか、屋敷の中には二人の気配のみ。鬼の首魁を前にする状態としては余りにも無力で。
その状態を見た鬼舞辻無惨が、「慢心」とせせら笑っても不思議ではない状態である。
例え、お館様たちが明らかに自分の来訪を予期しているかの様に己に対峙しているのだとしても。余りにも圧倒的な力の差がそこにあるが故に、その事に対して警戒したり或いはその行動の意味を考える事はしない。
目の前の人間たちの命は既に自分の気紛れで何時でも消せるのだと、相手の命を握っていると確信した鬼舞辻無惨は、その臆病極まりない本質は何処へやらといった様子で、畳に座したお館様たちを睥睨した。
「……やあ、そろそろ来ると思っていたよ。
初めまして、だね。鬼舞辻無惨。
君は、私に……産屋敷一族に酷く腹を立てていただろうから。
私だけは君自身が殺しに来るだろうと思っていた」
「思う」と言うよりそれは、「確信」とも言うべきものであったが。
何にせよ、お館様の思惑通りに鬼舞辻無惨は現れた。
現れる日も、そしてその刻も、お館様が予見し予測した通りに。
自身の襲来は予測されていたのだとそう言葉にされたと言うのに、鬼舞辻無惨はそれに対して僅か程の動揺も見せない。
この場には自分を害し得るものは無いと確信しているが故に、その在り方は何処までも傲慢であり迂闊であるとすら言えた。
詰らぬものを見下す目で睥睨する鬼舞辻無惨と、それに感情の揺らぎを全く見せぬままに静かに対峙するお館様と。
二人の顔立ちはまるで鏡写しにしたかの様にとてもよく似ている。
千年程昔の産屋敷家の祖先と鬼舞辻無惨は同じ血族であったと言うが……。
千年もの時を経てその当時の血など随分と薄れているだろうに、ある種の偶然なのか必然なのか、千年の時を経て邂逅した二人は、確かに互いに同じ血の流れの中に在るのだとそう納得してしまいそうになる。
或いは、世界に三人は居るらしいと言われる自分によく似た他人なのか。
何であれ、自分と似た顔立ちの男が目の前に居ると言うのに、鬼舞辻無惨にとっては心底どうでも良いものであるらしく、それに関して何の興味も示していない。
見た目を自由に変える事の出来る鬼舞辻無惨にとって、姿など自己の都合で好き勝手に変える事が出来る程度のものでしかなく、産屋敷家の人間と似てる顔立ちだとしてもそこに何の感慨も繋がりも感じないのだろう。
「だから何だ?
私が此処に現れると予測していたなどと、口では何とでも言える。
だが、『化け物』どころか、柱どもの気配すら無い。
予想していてそれなのだとしたら、愚かで無能としか言えないな」
恐らくは気配を探った上で、この場にはお館様とあまね様以外には「何も居ない」と判断し、鬼舞辻無惨はその血色の悪い顔を歪める様に嗤う。
「子供たちには私を守る必要は無いと、重々言い含めているからね……。
あの子たちは貴重な戦力だ。私一人を守る為に割く事は出来ない。
……それに──」
お館様は僅かに目を細めて鬼舞辻無惨のその心の奥底を見透かすかの様にその目の奥を見る。
「『化け物』、か。
君はあの子の事をそう見るんだね」
「あれを『化け物』と呼ばずして何と呼ぶ?
あれはこの世に在ってはならん『化け物』だろう。
それとも何か。まさかあれを『人間』だなどと、世迷い事を宣うつもりか?」
「理解出来ん」とばかりに吐き捨てた鬼舞辻無惨に、お館様は静かな表情のまま答えた。
「成る程、君はそう考えるのか。
私の答えとしては、悠は『人間』だよ。あの子がそう望む通りに。
ただ、私は……君はあの子に『神』や『仏』などの姿でも見るのではないかと思っていたのだけれど」
まあ、千年前と言えば今の時代よりも更に神仏に対しての信仰は深かっただろうし、当たり前の様にそれらの存在は己の身近に在った筈だ。
菅原道真公を神として祀ったり、「祟り」だとか「呪い」だとか「神罰・仏罰」などの考えが当たり前であった時代に生きていた人間であったのだ。
長く生きている内に多少考え方に変化は在ったとしても、鬼舞辻無惨と言う人格の大きな部分は既に平安の時代に培われている筈である。
そう言った背景を考えると、ペルソナの力を見た時に『化け物』よりも『神仏』の方を考える方が本来は自然であるのかもしれない。
「鬼狩り共を率いておきながらその様なモノを信じているのか?
いや、その様に愚かだからこそ、千年もの間私の邪魔をする事に執着し続けてきたのかもしれないが。
神も仏も、この世に存在などする訳が無い。
何も救わず、何も叶えず、ただ縋られるだけの偶像に何の力があると言うのだ。
現に、千年もの間何百何千と人間を殺してきた私に何の天罰も下る事も無く、私は許されているぞ。
この千年、それらしきものの姿すら見た事が無い」
そんなものを信じているのか、と。
心の底から馬鹿にしているかの様に呆れた様に鼻で笑う鬼舞辻無惨に、お館様は「そうか」とだけ静かに答える。
此処で問答した所で鬼舞辻無惨が考えを変える訳でも無いのだし、そして心を変えた所で何の意味も無い。
何かの奇跡が起こって鬼舞辻無惨が己の行いを心底悔い改めたとしても、最早それにも何の価値も無いと言わざるを得ない程に、その行いは今を生きる人々にとっても赦せるものでは無いし、過去から無数に積み重なった無念と執念の鎖はその魂を捕らえ地獄の奥底まで引き摺り落とす瞬間を待っているのだろう。
問答の内容自体には何の意味も無いが、しかしその一秒が夜明けまでの一秒に繋がってもいるのだ。こうして対話する事自体には意味があった。
「無惨……君の夢は何だい?
君は、この千年……一体どんな夢を見続けて来たのかな……」
静かに問うお館様に、鬼舞辻無惨は何も答えない。
しかしそれは無視している様子では無く、何かを考えている様であった。
そんな鬼舞辻無惨に、お館様は微笑んでいるかの様に見える程にその目を細める。
「当てようか、無惨。
君は永遠を夢見ている……不滅を夢見ている。
……どうしてそれを夢見るのか、君の心が私には分かるよ。
君は、『死』が恐い……『自分が消える事』が恐いんだね。
だから、『終わらない事』を夢見ている」
「死にたくない」と言う、ある意味では誰もが持つ当たり前の願いであるそれを、お館様は口にする。
……鬼舞辻無惨の願い自体は、余りにも普遍的なものだ。
しかしその願いを叶える為に、何千何万の屍の山を作り上げ、他者の心も尊厳も踏み躙ってもそれを意にも介さないその在り方は……やはり人の世と相容れるものでは無い。
己の望みを言い当てられた所で、鬼舞辻無惨に動揺は無い。そもそも、そんな「当たり前」の事を言い当てて何になるのだろうとすら思っている様子ですらあった。
「……だから何だ。
その夢はもう間もなく叶う。
お前たちを殺し、あの『化け物』を捕らえ、『青い彼岸花』を手に入れさえすれば……」
「君の夢は叶わないよ、無惨」
お館様のその言葉に、鬼舞辻無惨はこの場に現れて初めて……無力な存在を見下す以外の感情を、「苛立ち」を見せる。
一気に膨れ上がった殺気と凶暴な気配に、お館様は涼しい顔のまま答えた。
「君は……随分と思い違いをしている。
一つの命に永遠は無い。例え君が太陽の光を克服したとしても、永遠は其処には無い。
私は、『永遠』に最も近いものとは何なのか、知っている。
『永遠』とは人の『想い』だ。『想い』こそが永遠であり不滅……」
その言葉に鬼舞辻無惨は「下らぬ」と吐き捨てるが、お館様はそれに構う事無く続ける。
「この千年間、幾度も鬼殺隊は存亡の危機に直面し、そして可哀想な子供たちは大勢亡くなったが……それでも決して鬼殺隊が消える事は無かった。
それはね、無惨。
君が下らないと言ったもの……大切な人の命や尊厳を理不尽に奪い踏み躙った存在を決して赦さないという、そんな人々の想いはどんな時を経たとしても不変であり永遠である事を証明している」
人間に対して無関心に近い程に、取るに足らないどうとでもなる存在だとしか思っていない鬼舞辻無惨には、きっとお館様の言葉の意味を真実理解出来る日は来ないのだろう。
だからこそ、それを踏み躙る事に何の痛痒も持てない訳なのだから。
その心の在り方は、文字通りに『自分』以外に何も無い空っぽなものに近いとすら思う。自分すら果たして其処に在るのだろうか。
そして、何も言わない鬼舞辻無惨にお館様は淡々と感情の揺らぎの無い声音で続ける。
「無惨、君は誰にも赦されていないんだ。この千年間、一度も。
何度も何度も虎の尾を踏み龍の逆鱗に触れ続け、本来なら一生目覚める事は無かった虎や龍を君自身が起こした。
そして……君が『化け物』だと言う悠も、そうやって君が起こした龍によって此処までやって来た。
彼等はずっと君を睨んでいるよ。絶対に逃がすまいと。
過去から今に至る全ての想いが、決して君を赦さない。
君が永遠を夢見て行った全ての結果が、君自身を滅ぼす事になるんだ」
そこには、今鬼殺隊の剣士として戦っている皆だけではなくて、珠世さんの想いも、そして縁壱さんの想いも。更には今に至るまでに散って行った名も知らぬ無数の鬼狩りの剣士や彼等の為に働いた無数の人々の想いも含まれているのだろう。
「鬼殺隊を支えているのはそんな永遠に続く『想い』とその繋がりだから、私を殺したとしても痛くも痒くもない。私自身はそれ程重要な訳ではない。
ただ……君には人の想いとその繋がりを、その強さを、理解出来ないのだろうね。
何故なら君は……君たちは。
君が死ねば全ての鬼が滅ぶんだろう?」
他の鬼たちと共に在る事を否定され、心すら歪めて支配され。
余りにも哀れで何処までも鬼舞辻無惨にとって都合の良い「手駒」でしかない。
そんな鬼たちは、極端な言い方をすれば鬼舞辻無惨と言う大樹に生えた葉っぱ程度の存在だと言える。
大元である鬼舞辻無惨が滅びれば、纏めて滅び去ってしまう。
一つの「種」と言うよりは余りにも歪なそれを鬼舞辻無惨は否定せず、図星を突かれたかの様にその身に纏う空気が揺らぐ。
尤も、極論を言ってしまえば自分さえ存在していればその他の鬼がどうなろうと知った事ではない鬼舞辻無惨にとっては、そう動揺する程の事ではないのだけれど。
しかし、それを見抜かれていた事自体には驚きを隠しきれなかったのだろう。
そしてその時。屋敷の上空を鴉が数羽大きく二度三度と旋回する様に飛ぶ。
それを見たお館様は、微笑む様にその口元を微かに緩ませた。
「ありがとう、無惨。
まさか君が此処まで私の話を聞いてくれるとは思ってもみなかった。
ずっと君に言いたかった事は言えた。
……最後に一つだけ良いかい?」
そう言って、お館様は己の服の袂へとそっとその手を差し入れて何かを掴む。
それを見た鬼舞辻無惨は僅かに警戒するが、しかしそもそも無力な人間などこの場で幾らでも縊り殺せるのだと思い直し、お館様の命を狩ろうとその手を醜く変形させようとする。
「私自身がそれ程重要な訳では無いとは言ったけれど、この命に意味が無い訳では無い。
私は幸運な事に、鬼殺隊……特に柱の子たちから慕って貰えていてね。
だからこそ、あの子の願いに報いる為にも、まだ成さねばならぬ事はある」
そう言いながらお館様が袂から取り出したのは。
月灯りの下で真っ青に染まった、彼岸花の様な花だった。
それを目にした瞬間鬼舞辻無惨は固まり、そしてそんな鬼舞辻無惨の動揺を意に介さずお館様は手にした花を放り投げる様に己の手元から離す。
咄嗟にそれを追い掛ける様に、鬼舞辻無惨の視線と注意が完全に逸れて。
「──マハラギダイン!!」
青い色の花ごと鬼舞辻無惨を呑み込み吹き飛ばす形で、劫火が吹き荒れた。
一瞬で綺麗に整えられていた庭が焦土と化し、何もかもが燃え尽き炭化しては灰となって吹き散らされる。
そんな地獄の様な光景の中で、劫火の直撃を受けた鬼舞辻無惨の肉体は一瞬の内に柔らかな部分は瞬時に蒸発する様に消し飛び、上半身を中心に骨すら溶け落ちた状態になる。
僅かに残った脊椎と骨盤部分と下肢の骨に炭化し変性した肉片がこびりついているだけの、最早「生き物」とは言えないそれは。下手な鬼なら死にはしなくても再生すら儘ならず朝日に焼かれるまで転がっているしかない様な状態ではあるけれど……。
しかし、やはり尋常な存在ではない事を示すかの様に、肉体の殆どを喪っている筈のそれに、徐々に肉が付き始め、炭になった組織を呑み込む様に新たな筋肉や組織が生まれていく。
それを見た瞬間上空を旋回していた鴉たちが大きく鳴き、そしてそれは方々へと伝播していった。
肉人形と言うある種の分身を生み出して同時に何体も操る事が出来ると言う鬼舞辻無惨は、最悪の場合襲撃の際にその肉人形を寄越す可能性もあったからだ。
そうなった場合、肉人形を倒した所で意味は無いのだし、その時点で無惨が何処かへ逃走する可能性もある。
愈史郎さんの札で気配を殺しながら姿を隠して奇襲するにしても、最初の一撃が無意味になればその後の作戦にも支障が出てしまうのだ。そうはならなかった事は素直に喜ばしい事である。
肉人形にはある程度までなら再生能力は備えてあっても、上弦の鬼程のものでは無い。
そして、目の前の存在の再生能力は上弦のレベルなど遥かに超えている。
先ず間違いなく鬼舞辻無惨本体である。
再生を始めているそれを見て、「今ならば」と。そんな思いは微かに過ってしまう。
今この瞬間ならば、大きな被害も無く、取り逃がす心配も無く、確実に鬼舞辻無惨を消滅させられる。
まあ、屋敷の庭は文字通り消し飛ぶだろうが……もう焦土と化しているので今更だ。
肉体を炸裂させて逃走しようにも炸裂させる為の肉体部分が全く足りていない今ならば、かつての縁壱さんの時の様に取り逃がしてしまう可能性は無い。
ただ……。
僅かに過った考えを振り払う様に、十握剣を抜き払う。
そして再生しつつあった鬼舞辻無惨に肉薄し、それを斬り刻む。
やはりと言うか、尋常では無い再生速度であるが故に日輪刀では無い十握剣では大きく削れる訳では無い様だが……。しかし、打って貰った日輪刀の出番は此処では無いのだし、そして今はこれで良い。
まだ胸椎から上部分の再生が進んでいない中で、紫電を纏った刀で斬り刻まれ再生しつつあった肉体を灼かれていく鬼舞辻無惨が何を考えているのかは声が無い為に分からないが。
その身体から感じるそれは、
鬼舞辻無惨の尋常では無い再生速度を止めるには少し足りないが、元々武人と言う訳では無く「戦う事」自体には不慣れであり、人間相手には「戦い」になった事など皆無であるが故に「戦闘」の経験の無い鬼舞辻無惨を足止めするには十分であった。
視界の端に小さな種の様な何かが漂い、そしてそれは一瞬の内に質量保存の法則をまるで嘲笑うかの様な無数の棘に変化する。
再生しつつあった肉体を完全に固定された鬼舞辻無惨の動きが完全に止まる。
そしてそこに飛び込んで来たのは──
◆◆◆◆◆
『化け物』め!!
そう心の底から罵倒し吐き捨てたくなる程に。
直接対峙する事になったその存在は、余りにも常軌を逸していた。
しかし誰に向ける事の出来ない癇癪を爆発させようが、目の前から『化け物』が消える気配は無い。
上半身を完全に消し飛ばされ、眼球も何もかもが消え去った為に視覚的な情報が得られない。
見るも無残に焼き尽くされた骨に残った細胞からどうにか再生させた僅かな肉体に視覚器を生やそうにも、目の様な複雑な構造をした神経の塊の様なそれを増やすのは流石にこの状況下では一息に出来る事では無くて。
しかも、目の前に居る『化け物』は再生させようとしたそれを狙っているかの様に斬り刻んで来るのだ。
かつての『化け物』の様に赤く変じた日輪刀では無いが故に、斬り刻まれても身を焼き尽くし続ける様な痛みに襲われる訳でも無く再生が出来ない訳では無いが。
しかし、紫電を纏ったその刀身は容赦なくその断面を焼き切っている為、既に身体の大半を吹き飛ばされた状態では再生が鈍ってしまっていた。
かつてのあの『化け物』と対峙した時の様な。圧倒的なまでの『死』の匂いが纏わり付いている様にすら感じた。
『化け物』の形をした『
再生させた肉体を更に変化し触腕を形成し薙ぎ払おうとしても、その尽くが微塵に斬り刻まれ雷に焼かれる。
何をしても勝てる可能性が見えない。
『人間』などでは何千何万と集られても意味を成さないまでの、圧倒的なまでの彼我の能力差を以て、ただ適当に腕を振り払うだけで何もかもを鏖殺してきた無惨にとっては、『戦い』など一度も経験した事など無いのだ。
かつての日の呼吸の『化け物』との邂逅も、そもそも『戦い』にすらならなかったが、逃走し生存する事は出来た。
しかし、この『化け物』からは逃れる手段すら思い付かない。
肉体を弾けさせる手段とて、まるでそれを見越していたかの様に肉体の質量を此処まで減らされてしまえば有効とは言えない。
何とか弾けた所で、纏めて燃やし尽くされるか滅びの光に消し飛ばされる。
全く以て理解の出来ない『化け物』だった。
こんなモノがこの世に存在して良い筈が無い。
『人間』の形をして、『人間』の様な顔をして、『人間』の中に混じりながら。その実その中身は全く以て『人間』などでは有り得ない『化け物』である。
そして、『化け物』の姿を目にしたからなのか。
以前、黒死牟と猗窩座と共有していた感覚から逆流して来たあの悍ましい光景が蘇り、身体中の細胞が『恐怖』に戦慄き叫び出さんばかりに震え出す。
どうにかそれを制御し、肉体を再生させるだけで精一杯であった。
少しでも状況を好転させる為に「人質」を取ろうとしても、産屋敷の方へと攻撃を飛ばす前にそれらは全て斬り刻まれて終わる。
最早八方塞がりであった。
そしてそんな中、突然肉体が無数の棘によって貫かれ固定される。
まだ胸の辺りまでしか再生が進んでおらず、目の再生は出来ていない為に一体何が起きたのか一瞬把握出来なかったが。
どうやらその棘は『化け物』の攻撃では無く、感じる気配から察するに何らかの血鬼術である様だった。
だが、一体誰の血鬼術であると言うのか。
無惨は今まで鬼にしてきた者達の中で、血鬼術に目覚めた鬼のそれは過去のものから今に至るまで全て把握している。
陽光を克服した鬼でなくても役に立つ血鬼術であるのならば利用する為だ。
とは言え、役に立つ血鬼術に目覚める鬼は非常に少ないのだが。
しかし、今己の身を貫く棘の血鬼術は、無惨の記憶には無いものであった。
ならば、これは──
その未知の血鬼術に、そして目の前に居る『化け物』に完全に意識を取られていたが故に。
無惨は
そしてその者は、『化け物』の攻撃によって斬り刻まれ再生させつつあった腹の辺りに拳を捩じり込んで来る。
その者の気配に、無惨は覚えがあった。
「この気配、珠世か!!」
全く予想だにしていなかった存在の乱入に驚愕して、どうにか再生が進んだ喉を震わせてそう言葉にすると。
「ええ、そうですとも!
この血鬼術は浅草で貴方が鬼にした人のものですよ!!
そして、今貴方は私の拳を吸収しましたね?」
少しでも再生を早める為に、其処に在ったそれも巻き込んでいた事を指摘した珠世の声音は。
まだ目が再生出来ていないが故にどの様な表情なのか実際に目にする事は叶わなかったが、しかし女の情念を感じさせる様な凄絶な笑みを浮かべているのだろうと思わせるものである。
「拳の中に何が入っていたと思いますか?
鬼を人間に戻す薬ですよ!
どうですか、効いてきましたか?」
そんなものが存在する筈は無い。
そう結論付けた無惨は、寧ろその愚かさを笑う。
「その様な妄想に縋って何の意味がある?
それより、此処に現れたと言う事はお前はあの『化け物』の仲間か?
愚かな奴だ。自らあの『化け物』を縛める為の盾になりにくるとは!」
『化け物』の手を鈍らせる為の盾を求めていた無惨にとって、下らない復讐心の為にこうしてのこのこと飛び込んで来た珠世のその愚かしさは、寧ろ千載一遇の好機であった。
この場にこうして現れた以上は、『化け物』と珠世は仲間であるか或いは協力関係にあるのだろう。
そんな相手に対し、例えそれが鬼であったとしてもあの『化け物』は攻撃を仕掛けられないのだろう。今までの記録からもそうだろうと分析出来る。
実際珠世がこうして現れてからは、『化け物』の攻撃は腕や上半身を斬り飛ばしてはくるものの、珠世が居るのだろう辺りには殆ど攻撃していない。
自分たちの勝機を自ら投げ捨てるなど、余りにも愚かであった。
「逆恨みに執念を燃やし続けた結果がこれとはな!
お前の夫や子供を喰い殺したのはお前自身だろう?
美味そうに貪り食っていたのは、私では無い!
その後も大勢楽しそうに貪り食っていただろう!
あれは幻だとでも宣う気か?」
「そうなると分かっていれば鬼になどならなかった!
それでも、それを選んだのは私。自暴自棄になって大勢殺したのも私。
だからこそ。その罪を償う為にも、私は此処でお前と死ぬ!!」
漸く再生の済んだ眼に映った珠世は、憎悪と悔悟に染まった表情で。
そんな珠世を見る『化け物』は、『化け物』のクセにまるで『人間』の様な心があるかの様な表情をしていた。
そして──。
何時の間にか無惨の周囲には幾人もの鬼殺の剣士たちが集っていた。
数と気配からして、柱だけではなくそれ以外にも何人か混じっている様だ。
こうもわらわらと自ら足手纏いになる為に集ってくるとは。
復讐心だか何だかは知らないが、何処までも愚かで、そしてそれは無惨にとってはこれ以上に無い程に「都合が良い」。
「無惨!!」
そう吼えて、他の柱たちと共に呼吸の型を繰り出そうとしているのは、忌々しい耳飾りを付けた鬼狩りだ。
剣士どもは周囲を取り囲み、一斉に攻撃を仕掛けようとしているが。
無惨の目にはこうして集まって来た者たちは誰も脅威とすら感じなかった。
この場に於いて最も悍ましい存在であった『化け物』は、人間たちが無惨にとっての肉盾となる事でその脅威は随分と削がれている。
少なくとも、周りをこの様な形で取り囲んでいる状態では、先程の様に劫火で燃やし尽くしたり、或いは無限城を消し飛ばした様な一撃を放つ事は出来まい。
『化け物』を何らかの方法で手懐けて飼い慣らしているのかと思いきや、その使い方すら理解していない愚か者ども。
己の復讐心などと言う詰まらないものに拘るその在り方が、此処までその復讐の対象である筈の自分に味方する事になろうとは。
『化け物』の脅威が少し削がれた事で漸く恐慌状態から少し持ち直した無惨はせせら笑いながら、鳴女に仕掛ける様にと命じる。
途端に、周囲の鬼狩り共の足元を呑み込む様に無数の襖が出現し、そして無惨自身の足元にも無限城の中でも特に安全な最奥の領域へと繋がる障子が現れて全てを呑み込む。
『化け物』を呑み込む事はやや躊躇いがあったが、鬼狩り共や無数の「人質」を用意した無限城の中こそが最も『化け物』を狩れる可能性のある場である。
「これで私を追い詰めたつもりか?
貴様らがこれから行くのは地獄だ!!
目障りな鬼狩り共! 精々そこの『化け物』を縛る鎖となって死に絶えるが良い!!
今宵皆殺しにしてやろう!」
無惨のその言葉に耳飾りの鬼狩りが何か啖呵を切っていたが、その様な雑音はどうでも良いと聞き流しながら無限城へと退避するその寸前。
足元に出現した襖を跳躍して回避していた『化け物』が一気に無惨に肉薄して来た。
再び己の身に迫り来た『死』に、無惨の身は恐怖に硬直しかけるが。
しかし、『化け物』が振るった一撃は無惨の身を斬り裂く事は無く。
無惨の身体に同化しつつあった珠世の腕を斬り落とし、珠世の身を抱え込んだ後で足場にするかの様に無惨の身体を蹴り飛ばす。
ほんの一瞬で行われたその狼藉に反応しきれないまま。
珠世を抱えた『化け物』が鬼狩り共の後を追って、誰かが落ちていった障子の中へと飛び込むのを、無惨は驚愕と共に見送るしか無かった。
◆◆◆◆◆
【鳴上悠】
愈史郎の札で姿を隠しながらお館様の隣でずっとスタンバイ状態だった。
初手メギドラオンをしなかったのは、再生するかどうかで本物か偽物(肉人形)かを見分ける為。
追撃でメギドラオンしなかったのは、この世界に存在すべきでない自分だけの手で決着をつけてはいけないと思った事と、既に無限城に「人質」が囚われていた際に最悪の結果になる事も予期したから。
珠世さんを無惨に吸収される前に斬り離したのは、珠世さんに死んで欲しくないという理由の他に、珠世さんの力がこの先で必要になるからと言うものもある。
【産屋敷輝哉】
前もって決戦の際の総指揮権は輝利哉に委任している。
無惨を釣る為の囮として、無惨と対峙する事に。
(悠が傍に居るけれど)危険な為本来は自分一人で無惨と対峙するつもりであったが、あまね様は自分の意思で傍に居る事を選んだ。
無惨の動揺を誘う為に、青っぽい色に染めた彼岸花みたいな花(悠のアドバイスで染料を吸わせて染めたもの)を用意していたが、思った以上に無惨の動揺を誘えたので満足。
庭先は完全に吹き飛んだが、無問題。
【珠世】
お館様や悠からはまた少し離れた場所で愈史郎の札を使用した状態でスタンバイ。
その後は原作同様に特攻。
原作では使用した薬は四種類だが……。
無惨に吸収されて死ぬ覚悟での特攻だったのに、寸前で悠に救われてしまった。
【柱の皆さん】
事前に原作よりも邸に近い場所で愈史郎の札を使用した状態でスタンバイしていた。
【炭治郎たち】
事前に原作よりも邸に近い場所で愈史郎の札を使用した状態でスタンバイしていた。
カナヲはしのぶと行動を共にしている。
尚、増産するにも限界があった為、事前に愈史郎の札が配られていたのは、柱と悠の他には甲以上の隊士と、射撃の腕を見込まれて特殊任務が割り振られている玄弥のみ。それ以外の隊士たちは決戦に備えて待機状態を命じられていた。
【鬼舞辻無惨】
鳴女の探知に産屋敷家の屋敷が引っ掛かった為のこのことやって来た。
一応周囲に悠や柱が居ないかは事前に調べさせていたが、事前に愈史郎の札で姿を隠していた悠たちの姿は見付けられなかった様子。
悠を見た瞬間恐慌状態でパニックに。
なおこの後、鬼を人間に戻す薬が効き始めた辺りで慌てて解毒作業に取り掛かる事になる。