◆◆◆◆◆
既に鬼舞辻無惨に吸収されていた左手と、そして吸収されたその手に握られていた数々の薬が作用しつつある可能性のあった左腕を斬り離した結果、左腕の肘から先を喪った珠世さんを肩に抱える様にして片手で支え。
鬼舞辻無惨が決戦の地として選んだ奈落の底へと続く襖や障子が閉まり切る前に、しのぶさんたちが落とされたものへと身を滑り込ませる様にして飛び込んだ。
上下も左右も滅茶苦茶で、重力が働く向きすら視覚的には全く分からず何もかもが歪み捩じ切れているかの様な空間を珠世さんを抱えたまま落ちる。
構造物の何処かを掴むなりしなければ、底に叩き付けられるか或いは「無限」に終わりが無い場所を落ち続ける羽目になりそうだが。
しかし、下手な場所に着地しても、建物内の繋がりすらも滅茶苦茶であろうこの場所では却ってしのぶさんたちから離れてしまいかねない。
だがそれを見越して先導しようとしてくれているかの様に、しのぶさんの鎹鴉である「艶」がグルグルと飛びながら目印になってくれている。
その目印に従って、反対側の壁を蹴って勢いを付けて向きを変えながら障子を蹴破る様にその中に飛び込んだ。
飛び込んだその部屋は天地が逆さまになっているかの様な状態で。
最悪の場合一歩踏み出した其処で重力の向きが代わって天井から畳に叩き付けられかねないと警戒してしまうが、慎重に踏み出した感じだとそう言う訳では無い様だ。
とは言え、この異質な異空間を維持している鬼の気持ち次第で幾らでも天地を掻き混ぜてしまえるのかもしれないし、或いはこの異空間内に居る時点で好きな様に場所を転移させる事が出来てしまうのかもしれないので油断は出来ない。
炭治郎が以前戦ったと言うかつては下弦の鬼であったらしい鬼は、鼓の音に合わせて己の領域である屋敷の中を文字通りに自由自在に天地を引っくり返したり転移したりとしていたらしいし。
同じと言う訳では無くとも似ている部分がある、この異空間を維持している琵琶の鬼も同様の事が出来る可能性はある。
何にせよ、何時でも対応出来る様に警戒を続ける必要はあるだろう。
「艶、把握している限りの状況を教えてくれ」
「柱及ビホボ全テノ隊士タチガ落トサレタァ!
隊士デハナイ民間人モ多数囚ワレテイル!
ソノ数、数百ハ優ニ越エルガ、総数ハ未ダ把握出来ズ!
鬼ノ気配多数!
既ニ隊士ノ一部ハ民間人ヲ守ル為ニ戦闘中!
隊士ト上弦トノ接触ハ未ダ無シ!」
「お館様と奥方様はご無事なのか?」
「既ニ屋敷カラ退避済ミ!」
どうやら鬼殺隊全体を狙ったこの攻撃にお館様たちが巻き込まれる事は無かった様だ。
飛び込む寸前に一瞬目をやったお二人の周囲に何か異常は無さそうではあったが、時間差で引き摺り込まれている可能性はあったので憂慮はしていた。
しかし状況は良いとは言い切れない。
予測自体はしていたが、「人質」とする為であろうが民間人を多数予めこの空間の中に捕らえていた様だ。
数百を優に超える人々が此処に囚われ、更には無数の鬼たちが人々を襲おうと徘徊している。
柱以外の隊士たちは優先的に民間人の保護の為に動いている筈だが、空間の繋がりすら歪んだこの異空間で分断されている状態だと孤立無援にも等しい状況で人々を守らねばならなくなっている者も多いだろう。
柱稽古を乗り越えたとしても、戦う力の無い人々を守りながらの戦いはどれ程の実力があったとしても厳しいものがある。
更には、守られている人々が「正常な判断」をしてくれるとも限らない。
見た事も無い「化け物」たちを目にしてパニックに陥っている可能性も高い。
やはり、一刻も早くこの異空間を支配している鬼を落とす必要がある。
それにしてもやはり、愈史郎さんお手製の札の効力は絶大だ。
尤も何十何百もの鴉たちから送られてくる視覚情報を精査し作戦を立てては適切な動きが出来る様にサポートしているご子息方の能力が凄まじいからこそそれを有効活用出来ている訳なのだが。
五人がかりとは言え、まだ八歳の子供たちがその様な大役を任されそれを必死にこなしているのだと思うと、何としてでも勝たねばならないと言う気持ちがより一層強くなる。
艶にしのぶさんとカナヲが居る場所までの案内を頼みつつ、肩に抱えていた珠世さんのその身体をそっと下ろす。
珠世さんは、まだ状況が把握しきれていないかの様に呆然としているが。
鬼舞辻無惨に吸収されて死ぬ筈だった自分が未だ無事である事に漸く理解が及んだのか、「どうして……」と小さく零す。
斬り落としたその左腕の肘から先は、未だ再生が進んでいない。
……元々、かつてはともかく久しく人を喰っていない珠世さんの再生能力は鬼としてみれば血鬼術を使いこなしている割にはかなり低いものだと言えるものだけれど。
しかし、よくよく見ればその肘の断端は再生していくよりも寧ろゆっくりと静かに崩れていっている様にも見える。
その理由が何であるのかは分かっているけれど。
でも、未だだ。未だ、もう少しだけ、時間が必要だった。
「珠世さんの覚悟を否定するつもりはありません。
俺も、愈史郎さんも、炭治郎も……珠世さんに生きていて欲しいと願っていますが、それで珠世さんの覚悟を捻じ曲げる事は出来ない。
でも、珠世さん。もう少しだけ俺たちに力を貸して頂けないでしょうか。
鬼舞辻無惨を討ち滅ぼす為に……そして少しでも多くの人を助ける為に。
珠世さんの力が、必要なんです。
鬼舞辻無惨に薬を撃ち込む為にこんなにも無茶をした珠世さんに、『戦え』と言うのは心苦しいですが……」
どうか、もう少しだけ自分たちに貴女の力と時間を下さい、と。
自分が斬り落とした左腕の断面に触れ、そっとそこに気休め程度のディアをかけながら乞う。
……鬼の始祖であり頂点である鬼舞辻無惨を討つ為に特別に調合と調整を重ね続けた薬は、ただの鬼にとっては最早必殺の毒にも等しいもので。
ほんの僅かにその身に取り込むだけでも、その影響は免れ得ない。
拳に隠し持ったその薬ごと左手を吸収されたその際に、吸収されたその部分を通じてほんの僅かにでもその薬は珠世さん自身にも影響を与えている。
繋がっていた腕を斬り落とした所で、その影響を完全に無かった事には出来ない。
鬼舞辻無惨の様に薬を分解する程迄の力は無いだろう珠世さんにどの程度の影響が現れるのかは自分には分からないが……。
しかし、再生が止まっている様に見えるこの腕がその答えなのだろうとは思う。
……もう、あまり時間が無い。
そして、残されたその時間を自分たちの為に使って欲しいと願うのは、とても傲慢なものであるけれど。しかし、珠世さんの心を動かせるのだとしたら、きっと。
「……私が、まだ役立てる事があるのですね」
鬼としての力は、全くと言っても良い程に強くはない自分に、と。
何処か子供の我儘を聞き届けて「仕方無い」と苦笑しているかの様な、そんな「親」の慈愛にも似ている微笑みを僅かに忍ばせて、珠世さんはそっとその目を閉じる。
「……それが無惨を滅ぼす為に必要であると言うならば、それに否はありません」
「ありがとう……ございます、珠世さん」
哀しみに似た痛みを訴える胸をそっと押さえて、静かに頭を下げる。
そして、指笛を鳴らして近くに居るかもしれない鎹鴉を呼んだ。
隊士に宛がわれている訳では無い鎹鴉たちも今回の決戦には総動員されている。
この異空間にも少なくはない数の鴉が飛び込んでいる筈だった。
そして、その合図に反応した一羽の鎹鴉が奥から飛んで来る。
愈史郎さんの「目」を確りと付けているその鴉を腕に止まらせて、珠世さんを愈史郎さんの所へと案内して欲しいと頼む。
そして、珠世さんには愈史郎さんの目くらましの札を渡した。
「この戦いの要は、愈史郎さんと珠世さんです。
……どうか、よろしくお願いします」
あらゆる場所に無数の鬼が蔓延っているこの異空間で、そして何処に上弦の鬼が居るのかも分からないこの状況で。
直接的に戦う力には乏しい珠世さんが無事に愈史郎さんの下まで辿り着く事は決して簡単な事ではない。鎹鴉の道案内があるのだとしても、想定外の事態は何時でも起こり得る。それでも、信じて託すしかない。
自分たちは自分たちの出来る事をするしかないのだから。
「……ご武運を」
珠世さんの道案内はその鎹鴉に任せて、自分は艶の案内に従ってしのぶさん達の後を追うのであった。
◆◆◆◆◆
空間ごとの繋がりが滅茶苦茶な事になっている異空間ではあるが、艶の先導に従う事で恐らくは最短でしのぶさんたちの下へと向かえているのだろう。
途中にはしのぶさんが毒で倒したのだろう鬼の死体が多数転がっているので、こっちで合っているのだろうと分かる。
それにしても、一体どれ程の鬼をこの異空間に放っているのだろうか。
……鬼殺隊が狩り切れて居なかった鬼だけでは流石に此処までの数にはならないと思うのだが……。
被害が表立って出て来なかっただけで、
残念ながら、浮浪者やら孤児など、
……何にせよ、今は一刻も早く合流しなければ。
襲い掛かって来た鬼たちを一掃しつつ駆け抜けてしのぶさんたちを探す。
作戦の事を考えると、しのぶさんたちはそこまで動いている訳では無いだろうけれど。この異空間は完全に鬼の支配下にあるのだ。
時折弦を掻き鳴らす音がして、その度にどうやら空間の接続が変わっている様である。その結果、中々辿り着けない。
空間の接続が変わっても、カナヲの所に居る「五十鈴」と艶のお陰で完全に見失うまでには至っていないが、このままでは埒が明かない。
「コノ下ァ!!」
焦りを覚え始めた時、艶がそう合図する。
それに迷う事無く、床になっている天井全体を叩き割って下の階層にあった空間へと飛び込む。
そこには、押し寄せて来る鬼たちを手分けして掃討しているしのぶさんとカナヲの姿があった。
「しのぶさん! カナヲ!」
二人が無傷の状態であり、特には消耗していない事に安堵して。
周囲を囲んでいた鬼たちをマハンマオンで一掃する。
下弦程度の力を無理矢理与えられているらしいとは言え、雑兵の鬼たちはハマで一掃出来る程度の強さでしかない。
まあ、それでもこの人海戦術紛いの物量戦を難なく捌き切る為には、柱や柱に準じる実力が無ければ困難極まりないだろうけれど。
何にせよ、上弦の鬼に遭遇する前に二人と合流出来て何よりだ。
この異空間に落とされてからまだそう時間が経っていないからなのか、未だ誰かが上弦の鬼と遭遇したとの情報は無いが……しかしそれも時間の問題であろう。
この異空間での戦いで最も重要なのは、一刻も早くこの異空間を支配している鬼を見付け出し、それを何としてでも殺さずに生かしたまま落とす事だ。
そうでなければ、最悪のタイミングで上弦の鬼たちを一ヶ所に搔き集められてしまう可能性がある。
この空間での戦いに於いて、最も脅威となるのは鬼舞辻無惨でもその他の上弦の鬼でも無く、此処を支配している鬼である。しかもただ脅威になるだけでなく、殺しても殺されても此方としては「詰み」になるのだ。厄介なんてものではない。
しかし、琵琶の鬼を獲るその役目は自分やただの柱では熟せそうにはない。
万が一その琵琶の鬼に自分が接近したら、それを感知した瞬間に鬼舞辻無惨はその鬼を殺しかねない。
そうなればこの異空間は崩壊し、それに巻き込まれる事になるだろう。
そして柱の人たちであったとしても、鬼を殺す訳にはいかず更にはその鬼をその支配下に置いて操る必要があるとなれば、それは流石に誰の手にも余ってしまう。
結果、その最重要の役目を任される事になったのは愈史郎さんである。
勿論、戦闘能力的にはそこまで強くはない愈史郎さんだけでは鬼を支配するまで接近する事は困難なので、他にもその作戦に協力する者は居るけれど。
琵琶の鬼を落とすまでの自分たちの役割は、上弦の鬼たちと派手に戦う事で琵琶の鬼や鬼舞辻無惨の注意を集め、愈史郎さんたちが琵琶の鬼を落とし易くする為の陽動の様なものだ。
まあ、単に陽動と言うだけでなく、上弦の鬼は鬼舞辻無惨との決戦の前に討ち滅ぼす必要はあるのだけれど。
「上弦の弐……童磨は何処に……」
他の上弦と遭遇したならば、その鬼を倒す事を優先しなければならないが。
今の所自分たちの目標は上弦の弐こと「童磨」である。
しかし、この広大かつ空間の繋がりすら不規則な異空間で、何処に居るのかも分からない鬼を探し出す事は難しい。それこそ、りせの様に優れたサーチの力が必要になるだろうが……そんなものはこの場に居る誰も持ってはいない。
闇雲に動き回ったとしても却って消耗するだけだ。
最大の目標である鬼舞辻無惨と対峙する前に過度に消耗する事は可能な限り避けなければならない。
更には、この異空間に囚われていた多数の民間人も保護しなくてはならない。
まあ、それに関して言えば柱以外の隊士を積極的に動かして、可能な限り保護出来る様に誘導してくれているとは思うが……。
予想はしていたが頭が痛くなる様な事態ばかりである。
戦う力など無い民間人はもとより、柱以外の隊士が上弦の鬼と遭遇しても勝ち目は殆どと言っても良い程に無い。
どうにか、被害が拡大する前に柱たちが其々上弦の鬼を抑える事が出来ればいいのだけれど……。
その時、弦を掻き鳴らす音が響き、咄嗟にしのぶさんとカナヲの手を取った瞬間に周囲の景色が弦の音と共に目まぐるしく入れ替わる。
場所が入れ替わっているのではなく、自分たちの方が次々に異なる場所に飛ばされているのだと瞬時に理解し、何が起こっても良い様に警戒しつつしのぶさんとカナヲと離れ離れにならぬ様に注意する。艶と五十鈴はしっかりとしのぶさんとカナヲの肩に止まる事ではぐれない様にしている様だ。
六度程転移させられた後に、奇妙な大扉の前に辿り着きそこで音は止んだ。
「……この気配は」
大扉の向こうから感じる忘れ難い気配に、しのぶさんの目に昏い光が灯る。
空間を操る鬼が何故わざわざこの前に連れて来たのかは分からないが……恐らくは罠であるのだろう。だが、自分たちにとっては逆に都合が良い。
準備は良いだろうか、としのぶさんとカナヲに目配せすると、二人は静かに頷いた。
それを確認してから大扉を開け放った其処に居たモノは。
「今日と言う日をどれ程待ち望んだ事か、またこうしてお目通りする事が叶うとは!」
嗚呼……『神様』、と。そう感極まったかの様に感嘆の声を上げたその鬼は。
かつて戦った時そのままの姿形で、しかしあの時とはその雰囲気やもっと根本的な部分が全く違うものであった。
目の前に広がる空間が、かつてこの鬼と対峙したその場所と酷く似ているから、尚の事その違いが浮き彫りになっているかの様だ。
かつて遭遇した時には、この鬼には「感情」と言うものの揺れが全く無かった。
オーバーな程にそれを表層的に演じていても、その目には何も浮かんでいなかった。
いっそ『心が無い』と言ってしまっても良い程に、人間的な感情は無かったのだ。
だが、今目の前に居る「
その目にはまるで始めて見るものに目を輝かせている幼子の如く好奇心の輝きが灯り、更には溢れんばかりの感動に潤んでいるかの様ですらあった。
更には感動に溢れたその輝きの中に底知れぬ執着と狂気をそこに感じ、それが紛れもなく自分ただ一人に向けられている事を理解して思わずゾッとしてしまう。
「『神様』……? 一体何の事を……」
全く以て意味が分からない。
『神様』扱い……と言う部分に関しては、確かに鬼殺隊の人たちからはその様にみられている事もあるらしいとは知っている。それを望んでいる訳では無くても、事実なのだから仕方が無い。
しかしそれに関しては、この世に在ってはならない様な反則染みた力で皆を助けているからで。
己を完膚なきまでに叩きのめした「敵」に対して感じるものとしては、酷く歪なのではないだろうか。まだ『化け物』呼ばわりしてくる方が納得出来る。
更には、最早「変貌」と言っても良い程の外面的にも漏れ出ている程の内面的な変化は一体何だと言うのだろう。
だが、此方の言葉に「童磨」はニッコリと微笑む。
「『神様』は『神様』だとも。
かつての俺は、神も仏も存在しない、極楽なんて何処にも無い。そんなものは頭が悪くて何かに縋らなければ生きていけない可哀想な人たちが必死に生み出したただの妄想だと思っていた。
でも、『神様』に出逢った事で、そんな考えは全くの見当違いなのだと気付いた。
そうとも、『神』は確かに其処に居る。
人の心に、その感情に!
これまでの俺が理解出来なかったそれその物が、そうだったのだ、と!」
狂気すら滲ませた恍惚の表情を浮かべうっとりと微笑む「童磨」に、しのぶさんとカナヲも理解出来ないものを見ている様な視線を向けている。
その視線にある感情を言葉で表現するならば、「気持ち悪い」というそれだ。
生理的に嫌悪感を搔き立てられるものへと向ける冷たい視線に構う事すら無く、「童磨」は滔々と続けた。
「それまでの俺にとって、人間の感情と言うものはどうにも夢幻の様なもので、嬉しいも哀しいも理解出来ないし、信者たちが言うそれらはただの妄想だと思っていた。
だが、『神様』を知ったその時、生まれて初めてこの鼓動は脈打つ様に高鳴り、今まで見ていたものは全て薄い幕越しに見ていた幻であったかの様に鮮やかに世界が色付いて見えた!
自分の思考を凌駕する程の、絶えず湧き起こる衝動というものを初めて理解した。
己の望みが叶わない事を恐れる感情を、やっと見付けた感動を永遠に喪う事の恐ろしさを初めて知った!
『死にたくない』と、そう生まれて初めて思った……!」
目を輝かせてそう述べる「童磨」の弾む様なその声は、そこに噓偽りがある様には思えず。しかし、それに理解し共感出来るのかと言われれば「否」と言わざるを得ない。
心を理解出来なかった存在が、『心』を理解した。
古今東西の様々な物語で美談の様に語られるそれが、こうしてその口から語られるとどうにも悍ましく感じてしまうのは何故であるのだろう。
「ああ、今ならばかつての俺は間違っていたのだと、そう心から思う事が出来る。
心も、感情も、素晴らしく美しいものだ。
『神様』の力のその根源にあるものなのだから!」
ペルソナの力が『心の力』であると、それを正しく理解していると言うのに。
何故此処まで理解出来ない異質なものを見ている様に感じてしまうのか。
「童磨」の言うそれは確かに「心」であり「執着」であるのだろうけれど、しかし人が理解し共感出来るものであるのかどうかは全く別である。
更に言えば、『心』を理解しているのだとしても「童磨」は恐らくは……──
「心を理解したから、だから何だと言うんですか?
それでお前の所業が赦されるとでも?」
溢れんばかりの怒りと憎しみと苛立ちを抑えつつ、しのぶさんはそう言い切る。
心を理解しようがどうであろうが、しのぶさんにとって童磨がカナエさんの仇である事には何一つ変わりが無い。
そしてしのぶさんのその言葉に、
「ああ、居たんだ。えっと確か君は……『神様』と一緒にやって来た子だったね。
赦す赦さないの話なんて今はしてないよ?
第一、そんな事はどうだって良い事だろう?
君たちの傍には『神様』が居るじゃないか」
ならば一体それの何に問題があるのかと、そう心から思っているかの様にニッコリと笑いながらそう言い切って。
「ああ、だけど」と。少し「悪い事をした」と言わんばかりの顔をして、童磨は宣う。
「君の姉さんには少し悪い事をしてしまったね。
あの子も『神様』に出逢えていたかもしれないのに、その前に殺してしまった上に食べ損ねてしまったから──」
その言葉を遮ったのは、我慢の限界を超えたとばかりに一気呵成に踏み込んで超速の刺突を繰り出したしのぶさんの一撃だった。
だが、童磨はその一撃を指先で挟んで止める。
その事に、しのぶさんは驚いた様に微かに目を見開く。
「前に戦った時よりも速くなっていないかい?
凄いねぇ、頑張ったんだね!
でも、今俺は『神様』と話しているんだから、邪魔しないで欲しいな」
特殊な形状であるが故に横からの衝撃には構造的に脆いしのぶさんの日輪刀を折ろうと、童磨はその指先に力を籠めようとするが。
しかしそれよりも前に、思いっきり童磨の腕を蹴り上げて僅かに指先の力が緩んだその隙に、しのぶさんは日輪刀を奪い返して後退する。
それを見た童磨は、「判断が早いねぇ」と呟く。
鬼舞辻無惨の血を与えられた童磨の強さは、以前戦った時の比では無い。
それは予想していた事であったが、こうして改めて対峙するとその事実がより一層重く圧し掛かる。
しかし、警戒する此方に構う事無く童磨は至ってマイペースに話続ける。
「極楽浄土なんて目指す必要は無かったんだ。
心持ち一つで、この世は地獄にも極楽にも変わるものなのだから。
地獄も極楽も、それは共に心に在るもの。
『神様』がこうして存在しているこの世こそが、人々が辿り着くべき楽土だったのに」
かつての信者たちには悪い事をしてしまった、と。そう童磨は言葉にする。
その言葉がどれ程本心からのものなのかは分からないが、随分と馬鹿にしたものだ。
「だからこそ、その反省を生かして今度はちゃんと人々を導こうと思ったんだ。
『神様』の事をもっと大勢の人たちに知って欲しかったのもあるけども」
一瞬、童磨が言っている意味が分からず。思わず「は?」と瞠目してしまう。
だが、直ぐ様に「まさか」と思い当たるものがある。
「『ナルカミ教』の事を、言っているのか……?」
「ナルカミ」と言うそれはただの偶然の一致だと、そう思っていたのに。
まさか、目の前のトチ狂った鬼が広め出したモノだったなんて。
「ああ、まさか『神様』の耳にも届いていたなんて。
最初は本当に小さな規模のものだったのに、驚く程瞬く間に日本中に広がっていってね。
俺としても驚いているんだ。
やっぱり『神様』の存在は偉大だな!」
そんな事を宣う童磨に返す言葉も無く絶句してしまう。
いやまさか、と。全く考えてもいなかった事態に思わず狼狽えてしまう。
直接的にその『ナルカミ教』とやらに関与した訳では無いとは言え、童磨のその言葉によるならばそこで信じられている「ナルカミ様」とは自分の事なのだろう。
だから何だと言ってしまえばそうなのだろうけれど……。しかし、どうにも居心地の悪さと共に、「非常に不味い事になった」と言う何故なのかは自分でもよく分からない焦りの様なものも感じてしまう。
基本的にこの大正の時代では鬼殺隊の人たち以外に深く関わる事は無いのだが、しかし任務の際に襲われていた人を助けた事は一度や二度では無いのだし、そもそも全く関りが無いなんて事も無い。
もし、何かを切っ掛けにして自分の存在が広まってしまえば……。自分が思っていた以上の迷惑が周りに掛かってしまうだろうし、最悪の場合その程度では収まらない事態に発展してしまうかもしれない。
鬼との戦いの中に在ってすら、この世に存在するべきでは無い力なのだ。
況してやそれが鬼など何も知らない一般の人に広まった時にどうなるのか……。
……この世には理不尽が溢れている。
平成の時代よりも遥かに「不治の病」は多く、福祉などの法整備も未発達で。
一度天災で生活を破壊されてしまえばそれを立て直す事は非常に困難で。
そんな中で、決して万能では無いのだとしても、しかしその理不尽を引っくり返し得る力が……それを揮う存在が居るのであれば。
それに縋りたいと、そう願う人がどれ程現れるのだろうか。
それを咎める事は出来ないし、そもそもそれは決して「悪い事」では無い。
だが人の願いに際限は無く、自分が対応出来る範囲など容易く超えてしまう。
そしてそれがどんな理不尽であったとしても、それを善しとしない今を生きる人たちが試行錯誤して少しでも変えようとしていくからこそ未来に繋がっていく。
天災に対しても防災の技術やその知識が少しずつ蓄積されていく様に。
病に対しても、原因を解明し、治療法を見付け、薬を作り出していく様に。
沢山の理不尽と屍の山の上に築かれた時代に生まれ生きていたからこそ、理不尽の何もかもを強引に取り除く事が「最善」であると言う訳では無い事も分かっている。
だけどそれは……今を生きてそして理不尽に苦しんでいる人たちにとって、何の救いになると言うのだろうか。その人たちが望むのは、今の自分たちが救われる事であるのだから。
遠い未来で自分たちの犠牲によって新たな犠牲者が生まれる事を防げるだなんて、それで納得して己の身に降り掛かったそれを受け入れる事が出来る人がどれ程居ると言うのだろう。
……そして何よりも。目の前で苦しむ誰かにそんな心無い言葉を吐き捨てる事が出来る程、自分は割り切りが良い訳では無い。
思わず、目の前に討たねばならぬ敵が居る事すら一瞬忘れかける程に動揺してしまった。
しかし、そんな動揺に構う事も仕掛けて来る事も無く、童磨は「だから」と明るい調子の声で続ける。
「折角の機会だから、『神様』を求める人々を此処に招待してあげたんだ。
俺が話を聞くだけでは救い切れない人も大勢居てね。
そう言った人たちの中には、何があったとしても『神様』に助けて欲しいと、自らこの無限城に来る事を望んだ者も居るんだ」
この異空間……『無限城』に「人質」として囚われている人たちの全員がそうと言う訳では無いらしいが、しかし少なくない数の「信者」が自ら望んで此処に訪れた『ナルカミ教』の信者であると言うのだ。
『ナルカミ様』に……自分に、直接逢えるかもしれないなんて、ただそれだけの事で。
無数の鬼たちが蠢き、迷い込んだ人々を喰い荒らそうと狙っているこの地獄の檻の中に、自ら。
そして、それを「とても良い事をしてあげたなぁ」などとニコニコと笑いながら童磨は宣い、手を大きく叩いて「ほら、入っておいで」と声を掛ける。
すると、自分たちが入って来た大扉とは別の扉が開いて、わらわらと人が入って来る。
その格好は、至って普通の人たちで。こんな場所に居る事を除けば、本当にそこらの町中で普通に生きているだろう人たちにしか見えなかった。
突如広い空間に出た彼等は驚いた様に辺りを見回していたが、突然の事に驚いて彼等を見ていた此方に気が付くと、童磨に構う事など無く此方を目掛けて駆け寄って来る。
そして、必死の形相の女性が、縋り付く様に服の裾を掴んで懇願して来た。
「『ナルカミ様』……!
どうか、どうか、私の息子を救って下さい!
まだ幼いのに不治の病に罹り、余命幾許も無く……。
お医者様に縋っても苦しむ時間を増やすだけで──」
しかしそんな女性を押しのける様にして、今度は壮年の男性が掴み掛る様に縋って来る。
「いいえ、私の息子を助けて下さい。
事故で半身を潰されて、将来の夢も何もかもを喪い、動かぬ身体で死んだように生きている事しか出来ないのです。
私はどうなっても良いから、どうか」
後から後から、押し寄せて来た人々は口々に「助けて欲しい」と言葉にする。
自分自身に降り掛かった不幸に、愛する家族の身を蝕む理不尽に、愛しい人を苦しめる病苦に、どうかその御力を以て我々を救ってくれ、と。
口々に、余りにも真摯な祈りの言葉と共にそう懇願してくる。
「ま、待ってくれ、待ってください!
今は、とても危険な状況なんです! こんな場所に居ちゃいけない。
早く少しでも安全な場所へ──」
「『神様』! 私の身などどうでも良いのです!
そんな事よりも、どうかあの子を助けて下さい」
安全な場所に避難して欲しいと言葉にしても、それはもう『神様』に縋るしかない程に追い詰められている人々の心には届かない。
今はそれどころでは無いのだが、しかしなら何と言えば彼等を安全な場所へと誘導出来るのか、そもそも童磨を前にして守り切れるのかと、そう考えてしまう。
しのぶさんとカナヲも余りの事態に言葉を喪っている様で。更には、自分たちが入ってきた筈の大扉は何時の間にやら消されていた。
適当に壁をぶち抜けば外に出る事自体は可能だが、しかしそうやってこの場から逃がしたとしても、この人たちが無限城を徘徊する鬼に襲われないと言う保証も無い。
どうにか動ける隊士たちを動かして貰うにしても、この複雑怪奇に捻じ曲がった異空間では思う通りに動くだけでも困難だし、その場に到着するまでに手遅れになっている可能性すらあるだろう。
そもそも、何を言っても言葉では梃子でも動かせそうにない程に、彼等の「覚悟」は決まってしまっている。
そして。
硬い金属を激しく打ち鳴らした様な音が響いた。
咄嗟に防ぐ事が出来たが、自分たちの頭上に迫って来ていた無数の氷の刃の存在と、それを防ぐ様に自分たちを覆う様に現れた氷壁の存在に漸く気付いた信者の人たちが途端に悲鳴を上げる。
一体どういうつもりだと、そう童磨を睨むと。
「おいおい駄目じゃないか、『神様』を困らせちゃ。
『神様』に会わせてあげるとは言ったけれど、『神様』に迷惑をかけて良いとは言っていないだろう?」
邪魔だから片付けようと思って、と。余りにもあっさりと、床に落ちたゴミをゴミ箱に入れようとしているかの様な気軽さでそう童磨は言う。
人質だとか、そんな事を考えている様子では無かった。
それが当然であるかの様に、そう考えている様だった。
……何であれ、信者の人たちを見捨てる事は出来ないし、そして童磨は此処で討ち取らねばならぬ相手だ。
他ならぬしのぶさんの手で、決着を付けねばならない。
「……どうか落ち着いて。
貴方たちの言葉を無視するつもりはありませんが、今はどうか俺たちの言葉に従って下さい」
現実離れした危機を前に漸く現状の危険性を理解したのか、途端にパニックになり掛けていた人々を、そっと諫める様に抑えて。
そして少しでも離れた場所で固まっている様にと指示する。
この場に居合わせてしまった以上絶対の安全を保証する事は出来無いが、それでも少しでも守り易くするにはそうするしかない。
そちらに流れ弾などが向かわない様に注意するしか無いだろう。
怯えた様な表情をした信者たちがその言葉に従って童磨から最も距離を取れる部屋の隅に逃げ惑う様にして固まる。
……今はそうするしか出来ない。
「彼等の事も守ろうとするんだね!
流石は『神様』だ。何時だって誰かを守ろうとしている!
ああ本当にもう、ワクワクして仕方が無いや。
この胸の高鳴りをどうやったら伝えられるんだろう。
ねえ『神様』、一体どれ程の力を俺に見せてくれるのかな」
「もっともっと、『神様』の事を知りたいんだ」、と。
余りにも無邪気な子供の様な表情を浮かべて、童磨はその両手に持った扇を大きく広げるのであった。
◆◆◆◆◆
【鳴上悠】
【世界】に辿り着いた程に類い稀なるペルソナの力を持っていようと根本的にただの善良な高校生なので、童磨からの『神様』扱い(ガチ)には心底ドン引きしている。
「えぇ……こわ……近寄らないで……」位の感覚。
ボコボコに叩きのめした相手が次に会った時には『神様♡』とか言い出してたらそれは最早SAN値チェック並のホラー。
『ナルカミ教』の事を知って一気に心労が嵩んだ。
【胡蝶しのぶ】
復讐を誓った相手が明らかに自分を眼中にすら入れていない状況に青筋を立てている。
更に悠に異常な執着を向けているのでかなり逆鱗を逆撫でされている状況。
【栗花落カナヲ】
ただでさえ気持ち悪い鬼が気持ち悪さを増した上で悠に気持ち悪い執着を向けているのを見て、「この世に存在しちゃいけない奴」と言う認識を更に強めている。
【童磨】
「『神様』と戦いたい! 鳴女ちゃんよろしく!!」と勢い良く手を上げて、無惨や鳴女からは(理解出来ないなコイツ……)と思われつつ「どうぞどうぞ」とされた。
『神様』しか眼中に入ってないので、しのぶやカナヲの事は「そう言えば居たねそんな子」程度の扱い。忘れている訳では無い。どうでも良いだけ。
とは言え、琴葉そっくりの伊之助が現れたら琴葉の事は思い出す。
ちなみに、『ナルカミ様』については髪色などの外見の情報は信者たちに教え広めている。
【珠世】
無惨にぶち込んだ薬の影響を少なからず受けている。
夜明けを迎えられるかどうかの時間しかもう持たない。
無限城での戦いで最重要である鳴女の攻略を愈史郎と共に任される事に。
【愈史郎】
もし
そしてその頼みと引き換えに、何としてでも鳴女を攻略する事を悠に約束している。
自身のモチベーション維持と言う意味以外でも、鳴女を攻略する為に珠世様の力は有効である。
尤も、そんな理由が無くても悠はその頼みを聞き入れていただろうが。
【信者の人たち】
どうにも出来ない事情を抱えて一縷の望みをかけて『神様』にお目通り叶う可能性があると言われた無限城に自らの意思で飛び込んで来た。
恐ろしく愚かではあるが、大切な何かの為にそれだけ必死なのだとも言える。
≪今回のコミュの変化≫
【女帝(珠世)】:9/10→MAX!
【悪魔(愈史郎)】:9/10→MAX!