◆◆◆◆◆
琵琶か何かの弦を掻き鳴らす音と共に足元に突如出現した障子の先に在った空間に呑み込まれる様に落とされて、上下左右が滅茶苦茶な場所に放り出される。
朧げな灯りに微かに照らされた遥か下の闇の中に底の様な板張りが見え、足場も無い中で底に向かって落ちていった。
建物の中の何処かに掴まるか、或いは勢いを付けて障子や襖を蹴破ってその中に飛び込むかしなければ、このままだと底に叩き付けられてしまうだろう。
どちらにせよ技を出して落下の軌道を変えなければならない。
どの辺りに飛び込もうかと、落下しながら瞬時の判断を迫られていると。
「炭治郎!!」
やや斜め下に見えた襖が大きく開け放たれ、そこから義勇さんが身を乗り出す様にして俺を呼ぶ姿が見えた。
そこを目掛けて軌道を調節し、どうにかその部屋へと飛び込むと。
その部屋の周囲から酷い臭いが立ち込めている事に気付き、部屋に飛び込んだのとほぼ同時に障子や襖を破る様にして今まで見た事が無い程の数の鬼が雪崩れ込む様に押し寄せて来た。
──水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦
──水の呼吸 参ノ型 流流舞い
技を出したのはほぼ全く同時で、義勇さんの技と俺の技は全く干渉する事無く周囲の鬼を一息に斬り捨てた。
何度も手合わせや稽古を共にしてきたからこそ義勇さんの凄さは誰よりも分かっているつもりであるけれど、こうして実際の戦いの場でそれを改めて実感してしまう。
技の予備動作の前のほんの僅かな動きから俺が何の型を出すのか予測して、それに合わせて最適な型を繰り出すその動きは、水の呼吸を極めているからこそと言えるのかもしれないけれど。
しかし義勇さんが凄いのはそうやって対応出来るのは水の呼吸だけではなくて、柱同士での手合わせや同時に悠さん相手に手合わせした事もあって、柱が使う様々な呼吸も、更には伊之助の獣の呼吸や善逸の雷の呼吸などとも合わせられる様になっていて。
余りの凄さに圧倒されて、「やばい……」しか言えなくなってしまう位に凄いのだ。
確かに俺も周りの皆と息を合わせて攻撃する事は出来るけれど、相手の動きを見て対応していると言うよりは、この状況だったら相手はこの型を出す……って言うのが何となく分かると言うか知っていると言うかで直感的に動いているだけなのだ。義勇さんの様に瞬間的に理解して判断している訳では無い。
こうして共に戦う度に、「柱」の凄さを思い知らされる思いである。
「……」
義勇さんは刀を納め、そして周囲を見回して少し険しい顔をする。
予てからその存在は周知されていたものの、こうして直接踏み込む事になった無惨の根城は、極めて異質な空間だ。
上下左右は滅茶苦茶で本来なら壁や天井であろう場所が床になっていたりと、ともすれば平衡感覚を喪いそうになる。
加えて、相当広大な空間であろう筈なのに息が詰まる程の鬼の臭いと、そして多くの人々の臭いがする。
鬼殺隊の隊士特有の匂いでは無いから、きっと一般の人たちだと思うけれど。
それがこんなにもあちらこちらから強く漂ってくるなんて、一体どれ程の人がこの鬼の根城に囚われているのか。
無惨の手によって無辜の人々が「人質」として多数囚われている可能性があると、悠さんもお館様も言っていたけれど……。
これは、想像を遥かに超えた人数がこの根城の中を彷徨っているのだろう。
更に不味い事に、その総数を掴み切れない程の鬼が此処には蠢いている様だ。
上弦の鬼や或いは無惨の様な、圧倒的なまでの強さと悍ましさを感じさせる臭いでは無いけれど……。しかし鬼に抵抗する術を持たない人たちが大勢居る状況ではそれは何の慰めにもならない。
事前に知らされていた作戦としては、一般人が囚われていた場合には柱以外の隊士がその保護を優先的に行い、柱は上弦の鬼及び無惨の討伐を最優先とする手筈になっていた。
上弦の鬼も無惨も、柱以外の者が対峙したとしても基本的に勝ち目という物が存在しない……と言う判断があるからこそ、被害の規模を抑える為にもそうする必要はある。
だが、保護するにしてもこうも隊士同士が分断された状態である上に何処にどれだけの人が囚われているのかも分からないのだ。そう簡単にはいかないだろう。
愈史郎さんの札を使って鎹鴉たちが協力して先導し状況を伝えてはくれる筈だが……それにしたって落とされて間も無いこの段階だとこの根城の規模すらも分からないのだ。
割と行き当たりばったりに、人々を保護していく事になるのかもしれない。
何にせよ、義勇さんから離れない様にして、少しでも多くの柱や隊士と合流しなければならない。
この根城に落とされる直前、お館様の屋敷に現れた無惨を悠さんと珠世さんが追い詰めていた。
珠世さんとしのぶさんが作った薬は、無事に無惨に効いているのだろうか。
それを確かめようにもこの異空間の何処に無惨が隠れているのかは分からないし、無惨の性格を考えると通常の手段では絶対に辿り着けない場所に逃げ込んでいる可能性もあるだろうと、そうお館様たちは言っていた。
何せ、悠さんもこの根城の何処かに居るのだ。
何が何でも悠さんだけは己に近付けないようにしている可能性はある。
そうなった場合、この異空間を維持している鬼をどうにかしない事には誰も無惨に辿り着けない可能性だってあるのだろう。
ならば、少しでも多くの者が無惨の下へ辿り着く為にも、自分たちに出来る事をしなくては。
薄ぼんやりとした暗がりの中に灯りが点されていて完全な暗闇にはなっていないけれど、しかし足元が所々見えにくい事には変わらず、そして此処を支配する鬼によってか絶えず建物の位置や繋がりが変化している上に、足元などに無数に広がる障子や襖が俺たちを呑み込もうとしてくる。
まるで建物自体が生きているかの様に脈打ち蠢いているかの様だった。
そうやって俺たちを分断するつもりなのだろう。
何処に上弦の鬼が居るのか、或いは無惨が居るのか分からないまま、俺と義勇さんは只管に駆ける。
誰もまだ上弦の鬼とも無惨とも遭遇していないのか、愈史郎さんの札によって連携している鎹鴉たちからの連絡は無い。
この空間を支配する鬼も見付からないままで、もしかしてこのまま果てがあるのかも分からないこの空間を只管に彷徨い続ける事になるのではないかと思わずゾッとしてしまう。
それはそれで、俺たちを封じ込める手の一つではあるのだろう。
そんな不安が僅かに過ぎったその時。
「カアアアァーーっ!!
遭遇ッ! 上弦ノ鬼ト遭遇!!
胡蝶シノブ、栗花落カナヲ、鳴上悠。
上弦ノ弐ト遭遇ーッ!!」
俺たちを先導するかの様に飛んでいた天王寺さんたち鎹鴉がそう告げる。
どうやら、真っ先に上弦の鬼と対峙する事になったのは悠さんたちの様だ。
奇しくも、その組み合わせは以前も上弦の弐と戦った三人である。
前回は悠さんの活躍により撃退する事が出来たが……。
しかしその時よりも確実に強くなった上弦の弐を相手にし、更にはあちらこちらに戦う術の無い人々が彷徨っているこの状況では前回と同じ様にいくとは限らない。
だからこそ悠さんたちがこれ以上不利にならない様に、残った上弦の参と上弦の壱を俺たちで抑えなくては。
しかし、そうやって気持ちは焦るものの一向に上弦の鬼の気配すら感じられないままであった。
◆◆◆◆◆
鬼舞辻無惨の根城であるその空間は、常に蠢き続けては中に捕らえた者たちを弄ぼうとしているかの様であった。
薄暗がりの中、建物全体が生き物の様にうねりのたうち飛び出したり引っ込んだり、或いは別の空間同士を繋げたりと。現実的な有り様を大きく逸脱している。
血鬼術で作られた空間であるが故に、この空間の中に存在する時点で既に半ば鬼の腹の中に居るも同然であるのだろう。
今この瞬間もこの空間をその血鬼術で維持しながら己の手の内に落した者たちの様子を監視しているのであろうその鬼がこの空間の何処にいるのか、柱として鬼の気配を探知する感覚に長けている自分にも分からない。
血鬼術の中に取り込まれていると言う事もありこの空間全体に鬼の気配が濃く拡がっている事と、それ以外の木っ端の鬼達が無数にこの中を蠢いている為だ。
「不味いな……分断されてる」
鎹鴉を通してある程度はお互いの状況を把握は出来るけれど、あまり良い状況であるとは言えない。
特に、柱同士は完全に分断されている様だ。
少しでも此方の戦力を削ごうという狙いなのか。
鬼がどの様な手を打ってくるのかは未知数だが、こうして分断した以上は各個撃破を狙っているのだろうか。
お館様たちは、幾ら己の領域の中であるのだとしても、何十何百もの人や鬼たちの事を一度に監視する事は不可能でありどうしたってその意識を向ける先は幾つかに絞られるであろうと言う事や、そしてそれは柱などの重要戦力により重点を置かれて居るであろう事……。要は、柱は鬼から徹底的に狙われる可能性が高い事を指摘されていた。
鬼殺隊に協力している鬼の手による血鬼術の札も、鬼に捕捉されている状態で使っても姿を隠す効果としてはあまり意味が無いだろう。
あくまでも視覚的に姿が消えるだけで完全にその存在の痕跡を消せる訳では無い以上は、無用に此方の手札を晒すだけの結果になる。
今は、他の柱と合流するか或いは、上弦の鬼との戦いの中でも少しでも戦力として数える事の出来る隊士と合流する事を優先するべきだろう。
幾ら柱と言えど、単騎では今残っているどの上弦の鬼と戦っても勝機が薄いか確実性が無い。悲鳴嶼さんなら或いはとは思うが、それでも単独で対峙すれば深手を負いかねない。
少しでも戦力を保ったまま無惨と相見える必要があるのだ、上弦の鬼たちは倒さねばならない相手ではあると同時にそこに全戦力を消耗させる訳にはいかない。
尤も、それは鬼の側も分かっている事だけに柱が合流する事はそう簡単な事では無いだろう。
もし合流出来る隙があるとすればそれは……。
「遭遇ッ! 上弦ノ鬼ト遭遇!!
胡蝶シノブ、栗花落カナヲ、鳴上悠。
上弦ノ弐ト遭遇ーッ!!」
少しでも無惨に近付ける様に捻れた空間を駆け抜けていたその最中、銀子が悠たちが戦いを始めた事を知らせる。
どの辺で戦っているのか、そこからは遠いからなのか今自分が居る場所からはその位置を探る事は出来ないが。
しかし、上弦の鬼と悠たちとの激突は間違いなくこの空間を支配している鬼の意識を集める事だろう。
無数の人々が囚われている今の状況では悠は絶対にそんな事はしないとは言え、悠によって一度この空間は完全に消し飛ばされているのだから。
無惨としてもその他の上弦の鬼としても、悠には否応なしに意識を向けざるを得ない可能性が高い。
そうなれば、鬼の意識の隙を突いて誰かと合流出来る可能性は少しは高くなるだろう。
そんな事を考えていたその矢先、足元だった部分の建物が凄まじい勢いでせり上がり、咄嗟にそれを飛んで回避した先の建物も次々に打ち上げるかの様に飛び出していく。
それどころか壁や天井の全てが此方を押し潰さんばかりに蠢き、まるで瀑布の様に怒涛の勢いで砕けた木片などを撒き散らしながら迫ってくる。
飛び出る床を回避して、塔の様に飛び出ながら迫って来るその上に飛び乗って、更にそれを足場にしながら奥から迫り来る壁を回避して、押し潰さんとする天井の隙間を潜り抜けて。
瞬時の判断で足場を見抜きながら鬼の猛攻を回避する。
大した脅威では無いが、何せ目につく範囲に鬼の本体は居ないのでこれを止めさせる方法も無い。
悠たちや他の柱との合流を妨げようとしているのか、或いは与しやすいと見られて潰しに掛かられているのか、それとも何処かへ誘導しようとしているのか……。
その意図を読めないが、とにかくその猛攻を回避し続けるしかない。
そして、四方八方から押し潰さんと迫って来たその攻撃を避ける為に背後にあった壁を斬り破って転がり込んだ先には──
「来たか……鬼狩り……」
六つ目をギョロリと動かして此方を見遣る、上弦の壱──黒死牟が居た。
異形の刀の柄に手を添えながらも、それを直ぐ様に抜き放ち限斬り掛かろうとはせずに、黒死牟は此方を観察する様に見詰めている。
侮りでも何でも無く、
事実そうであるのだろう。
以前に対峙した際のその能力を考えれば、黒死牟一人で鬼殺隊を壊滅させる事すら可能であると言える。
間違い無く柱の中でも最強の悲鳴嶼さんでさえ、恐らくは単独で対峙すれば時間稼ぎに徹していたとしても何処まで持ち堪えられるのかと言う話になるだろうと。その事実を否応なしに認めざるを得ない程に、上弦の壱という存在は圧倒的であった。
単騎で相対してどうにか出来る相手ではない。
それでも……。
「……」
無言で、何時でも刀を抜き放てる様に構えながら相手の出方を探る。
相手との圧倒的な実力差を……残酷なまでの力量差を理解しながらも、身体に震えは無い。
前に黒死牟と遭遇したその時の、あの絶望的なまでの威圧感と恐怖感を、どうしてだか今は感じないのだ。
寧ろ心は静まり返った水面の様に凪いでいる。
逆に黒死牟の様子を観察する余裕すらあった。
それが何故であるのか、何となくは分かる。
自分にとっては、黒死牟は「未知」の相手ではなくなっているからだ。
以前の戦いを通して、そして何度も何度も繰り返した悠との手合わせを通して。自分は既に黒死牟を知っている。
相手の力を正しく理解しているからこそ、その彼我の実力差を理解したとしても、未知の恐怖感で過大に評価する事は無い。
それは、今この場においては何よりもの力になる。
恐らく、今こうして自分が黒死牟と会敵した事は直ぐ様通達されているだろう。
動かせる戦力がある程度近くに居るならば救援が来るであろうし、そうでないとしてもここで自分が少しでも黒死牟の足止めが出来ればそれだけ他の者たちへの脅威は少なくなる。
そして、今目の前に居る黒死牟は完全に此方を侮っている。
正確には侮っていると言うよりは、問答無用で奥の手を見せたり暴虐的な力で叩き潰そうとはしてこないと言う方が正しいかもしれないが。
言い方は悪いが、
腹立たしさが無い訳では無いが、その慢心にこそ僅かながらも自分の勝機があるのだから寧ろ喜ぶべきか。
以前に対峙したその時に感じた黒死牟の頸の硬さを思うと、あれを一人で落とすのは不可能だと判断するしかない。
悠の助力があってすら、単独でその頸を落とせる可能性があるのは悲鳴嶼さん位なものだろう。それですら、最も理想的な状態で最大限の力を頸への一撃に込める事が出来るのならと言う条件が付く。更には、上弦の弐と対峙している真っ只中である悠の助力は当然ながら期待出来ない。
だからこそ、今自分が成すべきは……。
共に頸を狙える戦力がこの場に集うまで、最大限時間稼ぎをする事だ。
瞬時に目標を定め、如何なる攻撃が放たれたとしても必ず回避してみせようと、意識を研ぎ澄ませる様に『透き通る世界』へと足を踏み入れる。
それを何やら感知したのか、黒死牟は六つあるその目を僅かに細めた。
「歳の頃は十四あたりか……。
その歳で私を前に怯まぬ胆力……、歴代の柱たちですら辿り着けて居なかった程の呼吸の深さ……。
実に申し分無い……。
お前……名は……何という……」
出逢ったのは二度目であると言うのに、まるで初めて出会ったかの様に黒死牟はそう宣う。
……尤も、最初に遭遇したその時には、黒死牟も……そして上弦の参である猗窩座も、悠の事しかろくに眼中になかったのかもしれないが。
鬼に名乗る名は持ち合わせてはいないが、僅かな問答で稼いだ一秒が勝敗を決する事もある。
だから、端的に名を答えた。
「時透……無一郎」
その名に黒死牟は何かを考える様に押し黙り、ポツポツと呟く様に独り言ちる。
「『時透』……。聞いた事は……無いが……。
しかし、その身体付き……何処かで……見た覚えが……──」
しかしその思考が何かに辿り着きかけた時、
好機……と言える瞬間であったのかもしれないが、しかし数々の経験を積んで研ぎ澄ませてきた己の勘が、飛び出そうとした身体を抑え込んだ。
「………………。
その齢で……柱に上り詰めるだけの……才があると言う事か……。
肉体も……その歳で良くぞ……そこまで練り上げたものだ……」
何かが明らかにおかしかった。
まるで、直前に己が何を考えていたのかを全て忘れてしまったかの様な。
鬼の言動が支離滅裂である事は珍しくは無いが、しかし上弦の壱ほどの鬼でそんな事は有り得るのだろうか。
「鬼の癖に、歳を取り過ぎて呆けたのかな。
数百年も無駄に生きてきたんだから仕方ないか」
煽る様にそう言葉にするが、どうにも黒死牟の反応は薄い。
いや、薄いと言うよりも寧ろ……。
意識や感情がそこにあるとは思えない何処か無理矢理にも見える動きで、抜く手すら見せぬ程の素早さで異形の刀を抜いた黒死牟はそのままの勢いで周囲を斬り裂く。
だが、散々悠との手合わせを繰り返し続け、更にはもっと全力でその力を奮っていたその姿を間近で見た事があったからこそ、その一閃は今の自分には何の脅威でもなく。
全てを見透かす程に研ぎ澄まされた感覚は、数瞬先の未来をそこに描くかの様にその攻撃の何もかもを見切らせる。
そしてその感覚に寸分の狂いも無く身体は動き、薙ぎ払う様に振るわれた一撃とその周囲を切り刻む細かな斬撃は毛先を掠る事すらもない。
「ほう……これを避けるか……。
それでこそ……我が剣技を振るうに不足無し……」
己の一撃を難なく回避したと言うのに、寧ろ僅かに喜ぶかの様に黒死牟はその目を細める。
そこには、先程の様な何処か虚ろな様子は無く、戦い甲斐のある相手を前にし高揚しつつある剣士の姿があった。
黒死牟はまだ本気では無い事も、そして奥の手を出していない事も、それを嫌という程に分かっているからこそ、一瞬の油断も出来ない。
少しでも早く此処に誰かが合流してくれる事を願いながら、その為の一秒を稼ぐ為にも。
更に深く集中する様に、己の呼吸を深めるのであった。
◆◆◆◆◆
「カアアアァーーっ!!
遭遇ッ! 上弦ノ鬼ト遭遇!!
時透無一郎、上弦ノ壱ト遭遇ーッ!!」
終わりの無い迷路の様に入り組んだ異空間を上弦の鬼と無惨の居場所を探しながら必死に駆けていると、悠さんたちに引き続き無一郎くんが上弦の鬼……それも上弦の壱である黒死牟に遭遇したのだと天王寺さんから伝達される。
悠さんたちとは違って無一郎くんは一人きりの様で、一刻も早く柱や少しでも柱に近い戦力になる誰かが援護に向かう必要がある。
「無一郎くんの所は此処から遠いか!?」
天王寺さんにそう訊ねると、少し黙った後で「案内可能ゥッ!」と答えてくれた。
どうにか、今お館様たちが総出で作ってくれているのだろう見取り図で案内出来る範囲に居るらしい。
ならば俺たちが援護に向かうべきだろう。
義勇さんは何も言わずに頷き、鎹鴉の案内に従って進む。
目に見えている道だけでは無く、時には壁を斬ったり床をぶち抜いたり天井を駆け上ったり、先に行かせまいと妨害するかの様に建物全体を生き物の身体の様に操って暴れ狂うその嵐の様な攻撃をすり抜ける様に進みながら、道なき道を進む様に駆け抜けていく。
途中、何度も近くで鬼の気配と共に誰かが戦っている気配があった。
きっと、この空間に囚われた人々を救う為に戦っている隊士たちだったのだろう。
鬼の猛攻に必死に抗っている気配に、何度も衝動的に駆け付けて手助けしたくなるが、今この場で優先順位を間違えてはいけない。
上弦の鬼を食い止め、そして討ち取らなければ。もっと大勢の犠牲者が出る。
無惨を討ち取らなければ、今宵の戦いの全てが無駄になる。
上弦の鬼や無惨との戦いで『戦力になる見込みがある』と判断されているからこそ。今ここで木っ端の鬼の猛攻を防ごうと足止めされてはならないのだ。
例え、その結果柱稽古で共に汗水垂らして同じ釜の飯を食った同志が命を落とす事になったのだとしても。
義勇さんも顔色は何時もと変わらず冷静そのもののままだったが、その匂いは何かを辛いものをグッと堪えている様な感情を伝えて来る。
誰もが必死に戦っている、其々の戦場で、少しでも多くを守る為に、そして全ての元凶を絶つ為に。
だから、決して足を止めてはならない。
「コノ壁ノ向コウ!」
鎹鴉に示されたその壁を義勇さんと二人でぶち抜くと、その先には。
無一郎くんと、それに相対しながら刀を振るわんとしている鬼の姿があった。
たった一薙で驚く程の範囲を切り刻むその攻撃を、無一郎くんは素早く掻い潜る様に回避している様で。
無一郎くんが戦い始めてどれ程の時間が経ったのかは分からないけれど、今の所は掠り傷程度も負わずに済んでいる様だ。
それでも、反撃に転じる余裕は無いのだろう。
こうしてその姿を目にしただけでも、彼の存在が今までに戦ってきたどの鬼よりも恐ろしく強い事が分かる。
上弦の陸よりも、上弦の肆よりも、そして煉獄さんに致命傷を負わせた上弦の参よりも。
それらの鬼たちを束ねたとしても全く意味をなさないだろう程に、その強さは次元が違う。
いっそ威厳すら感じる程にその気配は禍々しく重厚で、この鼻が捉えたその臭いは数多の命を喰らい啜ってきた存在である事を訴えている。
僅かに邂逅した無惨のそれに次ぐ、酷い臭気であった。
だがそれ以上に、その感情の臭いは酷く歪である事の方により意識が向く。
腐臭の様に感じる何かに蓋をされている様だが、そこから漏れ出る様に漂うそれは、まるで生きながらに何かに燃やされ続け灰になりながらも何かに執着し続けている……吐き気がしそうな程に強烈な執着の様な臭いだ。
そんな酷い臭いをさせながら、上弦の壱はその手の中の刀の形をした何かを振るっていた。
これが、上弦の壱……縁壱さんの兄だったものなのか、と。
悠さんたちから話には何度か聞いてはいたが、直接それを目にするのはこれが初めてで。
次元の違う強者を目の前にしているのだと震える心とはまた別に、哀しみとも無念とも……何とも判別の出来ない感情も覚えてしまう。
鬼と化して異形の相貌になってはいても、その全体的な顔立ちの輪郭などは夢で見た縁壱さんのそれと似ている。
しかしそこに浮かんでいる表情は、穏やかで素朴な人柄であり静かな眼差しであった縁壱さんのそれとは違い、何かに飢え続けている。
恐ろしい存在だと言う事は、ビリビリと肌を震わせる程のその気配から嫌という程伝わってくるが。
それ以上にどうしても哀しいと思ってしまう。
縁壱さんの無念を思ってなのか、或いはかつては兄だった存在に対する複雑な思いなのかは分からないけれど。
無惨討伐の為にも、元より今宵この場で討たなければならない存在ではあるけれど。それ以上に、負けられない、終わらせなくてはならないと、そうも思う。
縁壱さんから託され継がれ続けて来た耳飾りが、不意に揺れた様な気がした。
その為に継がれ繋いできた訳では無い事は百も承知で、だけど以前悠さんに言った様に、これは俺がやらなくてはならない事……否、俺がそうしたいと願う事だ。
どうして鬼になってしまったのかなんて、目の前の鬼に問うた所で多分意味は無い。
無理矢理鬼にされたにしろ望んで鬼になったにしろ、無惨に支配された鬼たちの記憶は何処までも無惨に都合のいい様に歪んでしまうのだから。
だからせめて、数百年前に縁壱さんが果たせなかったそれを、その頸を落とし終わらせる役目を、果たしたい。
目の前の鬼が、かつては縁壱さんと言う一人の人間にとってとても大切な人であった事を、俺は知っているからこそ。
出来るかどうかではなくて、やらなくては。
乱入者の存在に気付いた黒死牟は、無一郎くんを相手にしつつその三対の目の内二つをギョロりと動かして此方に視線を向ける。
その途端にひりつく程の殺気と威圧感を感じるが、肚に力を込めてその威圧感に立ち向かう。
黒死牟の振るう刀の一撃一撃を、その斬撃が蹂躙する範囲を、確かにこの目は追いこの鼻は捉える事が出来ている事を再確認する。
それを見て、改めて悠さんに感謝した。
今のこの程度は黒死牟にとっては小手調べ程度のものである事は分かっているが、その程度の本気具合ですらただただ脅威でしかない。
それに問題なく反応し対応出来ているのは、間違いなく悠さんのお陰だ。
ならばこそ、それに報いる為にもここで勝たねばならない。
「ほぅ……新手か……」
増援に対して焦りすら見せず、黒死牟はその刀を振るった。
広範囲を斬り刻むその一撃をどうにか回避すると、黒死牟は何処か楽しそうにその目を細める。
「そこの男は……柱の様だが……。
そちらの子供は……そうでは無い……。
しかし……それでも……この一撃を……避けるとは……」
面白い、と。そう呟いた黒死牟のその手の中で、その刀が形を変えようとしていた。
◆◆◆◆◆
【竈門炭治郎】
縁壱の耳飾り、縁壱と同じ「日の呼吸」。と、黒死牟にとってはとても縁壱を彷彿させる存在。血縁関係は一切無いので顔立ち自体は異なるが、赤みがかった髪や眼もちょっと縁壱を彷彿させるかもしれない。
とはいえ、無惨に強力に精神を支配されている今の黒死牟にはそれを正しく認識は出来無いが……。
柱稽古を乗り越えた後も鍛錬を怠らず実力者たちの力を間近で見続けた事と、更には夢と現実の狭間で幾千万の死線を越えて来た結果、既に幾つも「扉を開けた」状態。同じ様に死線を潜った柱の人たちの強さには及ばないものの、十分に無惨の足止めの戦力になると判断される程の実力がある。
ただしそれ程の強さに到達していても、単騎で遭遇すれば上弦の鬼相手だと勝ち目は無い。
【冨岡義勇】
前向きになった事で今度こそ柱として人を守ろうと決めている。
炭治郎と共に黒死牟と対峙する事に。
【時透無一郎】
刀鍛冶の里での戦いの際に、黒死牟に対して殆ど何も出来ていなかった事が本当に悔しくて柱稽古期間中は凄まじい勢いで己を鍛えていた。
原作軸では柱の中でも屈指の剣才を持っていたが経験の浅さ故の隙はあった。が、文字通りの『死線』を幾千幾万と潜り抜けている事もあって、記憶には残らなくても戦闘経験の浅さに関しては全て解消されている。
如何なる状況でもその才気が遺憾なく発揮される様になったが。それでも今残っている上弦の鬼を単騎で相手する事は非常に厳しい。
なお、黒死牟の子孫だと知ったとしても、「それで?」となるだけ。
【黒死牟】
単騎で遭遇すれば(悠以外は)誰にも勝ち目は無い理不尽の権化。
……ではあるのだが、無惨からの精神支配が強く及び過ぎている事もあってその記憶や思考に色々とガタがきている。
悠に関する記憶や縁壱に関する記憶を強く思い出そうとすると思考のブレーカーが落ちるが、そこで思考のリセットが行われないと一気に発狂し使い物にならない程に不安定化してしまうので無惨としては安全装置として付けざるを得ない精神支配である。
そんな無惨の涙ぐましい努力にも拘わらず、記憶を閉じ込める箱は既にボロボロでそれを封じる鍵ですらガタガタ。無一郎を「子孫」と考えようとするだけでブレーカーが落とされる程にかなり深刻な状況である。
とは言え理不尽な強さはそのままであり、思考のブレーカーが落ちていようと何だろうとその剣技に曇りは無い。
無意識の反撃を受けるだけで柱ですら壊滅的な被害を受けかねない、正真正銘の怪物である。