「ネイチャー」
「んー」
「ねえってばさー」
「後でねー」
「……大好きだよー」
「知ってるー」
「んもー! ネイチャってばー!」
ぺちーん。両手のひらでテーブルを叩く。もちろん大きな音がしたり、広げた教科書やらノートやらが転げ落ちたりしないよう配慮を持ってだ。
そんなコンプライアンスを考慮しつつ駄々をこねる少女、つまりトウカイテイオーは現在、大変に退屈していた。
「暇ならテイオーも試験勉強すればいいじゃん」
「ボクはその範囲ばっちり解るからいいの! 折角のお休みなのに! 一緒に居るのにー! 」
「うん。テイオー先生、教えてくれてありがとう」
「どういたしましてぇー!」
学期末試験である。つまりは学生の本分。もちろん中央トレセン学園に通う二人にとってはレースこそが本分であるのだが、だからといって学問を疎かにする訳にもいかない。教養というものは生きていく以上どんな所でも必要だし、こうやって頭を働かせる事はひいてはレース中における判断力の柔軟さにも繋がる。
そこで企画されたのがこのお勉強会である。純粋に試験勉強がしたいナイスネイチャに対し、教師役として高らかに名乗り出たトウカイテイオー。
なにせ自他共に認めるレースの天才トウカイテイオーと言えば、学問においてもトップの成績。仮に調子が悪い時だって、上から数えて片手で足りるほどの柔らか頭の才女っぷりなのだ。
大船に乗ったつもりで任せてよね! 得意げに胸を張るトウカイテイオー、下心を満載した宝船で沖に出る。だがしかし、ネイチャも特に地頭が悪い訳ではない。躓いていた部分を教えてしまえば、後は自分ですらすらと問題を解き始めてしまった。
こうなってしまうともう面白くないのがテイオーである。早々にお役御免となってしまい、目の前にある問題集といえばもはや解き方を熟知したパズルのようなもの。弄りまわした所で退屈でしょうがない。
向かいに座るナイスネイチャは目の前の問題集に掛かりっきりで、全然相手にしてくれない。ちょっと思ってたのと違う! なんというかもっとこう、もうちょっとドキドキするというか、青春の熱に溢れる勉強会デ、デートというか……? とにかくもっと色々あって良いはずでは? 具体的には知らないけど!
膝歩きでネイチャの後ろに回り、もふもふとツインテールを持ちあげる。朝一番にも関わらず、二人の為に部屋を空けてくれたマヤノは生ぬるーい微笑みを浮かべて出かけて行った。もしかしてこうなることが分かっていたのだろうか。
もふもふ。脇の下から手を伸ばし、今度は胸を持ち上げてみる。カップサイズは同じだと聞いているが、なんだかネイチャの方が大きい気がする。別に大きさに対しあまり頓着は無いけれど、それでもちょっぴり面白くない気分。
「楽しいですかー?」
「うん、楽しいー」
違う意味ではきちんと面白かった。耳たぶだとか、肘の余った皮だとか、猫の肉球を触るような感覚だ。
「テイオーってさ」
「んー、何ぃー?」
「結構エッチだよね」
「……」
ペンを走らせる音に時折交じる、参考書のページをめくる音。無言で勉強を続けるネイチャの背後に、うつ伏せで横たわるウマ娘一人。うなじまで赤く染まったそれは時折思い出したように、うぎぅ、だとかぐぅう、と言った唸り声を発している。先程の発言は中々にクリティカルだったらしい。
そんなテイオーを歯牙にもかけずネイチャは勉強を進める。テイオーはベッドの上でバタ足を始める。クロールだ。彼女は今、真っ白いシーツの上を泳いでいる。
一五〇〇メートル自由形、地上の部を見事なタイムで泳ぎ切り、表彰台に立つ。さあヒーローインタビューを受けようかと言う頃、携帯のアラームが鳴った。
「あ、もうお昼か」
「やったー! ご飯買いに行こう! もう試験勉強はいいでしょ? 解らなかったらまたボクが教えてあげるしさ、それにまだ一週間もあるじゃん! ほらほら、根詰めてたからおデコとかテカってるよ!」
「えっ嘘、うわっちゃー。顔洗ってこようかな」
「あ、それならボクもシャワー浴びたい。ちょっと汗かいちゃったし」
「自分のせいでしょ……。ていうかこの時間はお湯出ないんじゃない?」
「半分くらいネイチャのせいじゃないかな……まあいいや。ふっふっふ、なんとこのワガハイ、いつでもお湯が出る秘密のシャワールームを知っているのであーる!」
しゃわしゃわと降り注ぐお湯。もくもくと立ち上る湯気。シャワーノズルがずらりと並び、鼻歌がこだまする。やって来たのは結構な広さの敷地を簡素な間仕切りで切り分けたこの場所。トレセン学園が誇る一流設備の併設トレーニングジム── の、シャワー室である。
「なるほどねー、学園は全然思いつかなかった」
「でしょでしょー! ここはお休みの日でもお湯が出るんだよね!」
隣り合ったブースに入り、声を飛ばし合う。貸し切り状態のシャワー室で真っ昼間にぬるめのお湯を浴びる。いつもと違う行為は特別感があって格別の楽しさだ。さわやかな心地良さは、なんだかお祭りの日のお昼時みたいに心を弾ませる。
「あれ、ネイチャ。髪も洗うの?」
「あー、えっと、うん……さっぱりしようかなって思って……」
ひょいと覗けばネイチャが頭からざぶざぶシャワーを浴びていた。それならシャンプーも持ってきた方が良かっただろうか。一応設備の物もあるが、やっぱり自分で買った物の方が質が良い。
「テイオー、ちょっと……」
「何ー?」
「うん、ちょっと、こっち……」
「んー?」
手をつかまれ、するっとブースに連れ込まれた。
「わぁ、待って! 髪濡れちゃうから! うわっぷ、ちょっと!」
「あっ、ごめん……じゃなくって、ええっと、あっ、ひゃあっ!」
二人仲良くバランスを崩し、壁にもたれるようにして思いっきり尻もちをついたネイチャに、覆いかぶさるように倒れる。顔面に直撃しているシャワーの向きをとりあえず変えて、体を起こしぺたりと床に座りこんだ。びたんびたんと尻尾が跳ねる。
「いたた……もう、頭びちゃびちゃじゃん! 何するのさー!」
「ご、ごめん……いやー、そのー……」
「んー?」
同じくぺたりと座ったネイチャは、何か言葉に詰まって両手を胸の前でモジモジし始めた。可愛い。凄く贅沢な時間を過ごしているような気がする。
ひとまず、この可愛い生き物を観察するため、声を掛けずに様子をうかがってみた。
すると何やら整理がついたのか、ネイチャはひとつ大きく息をして、こちらをまっすぐ見やった。急に視線を向けられてどきりとしたその隙に、ネイチャはすっと距離を詰め、テイオーの首後ろに手を回す。
思わず固まる。だってこんな、裸で、そんな。
「あのさ、テイオー」
「ひゃいっ……」
「午前中はさ、あんまりテイオーの相手してあげられなかったでしょ……」
「う、うん……」
「だから……その、埋め合わせ、とかじゃ無いんだけど……」
いきなりの展開に、耳が痛くなるほど心臓が鳴っている。二人のそばに、暖かい雫がとめどなく降り注ぐ。
「シャワー浴びてたら、なんかね。なんか……雨みたいだなって、思った……」
「……っ。……」
「テイオー……いいよね……?」
返事も待たず、吸い付いてくる。いつもよりも高い温度で、唇が、素肌のままで、全身が吸い付いてくる。細まる瞳が心を乱す。
つるり、唇を掻き分けて何か入ってくる。ちょっと待って。これは、口の中を、舐められてる。お湯が口に入ってくる。唾液と混ざって、口の端からだらだらと垂れ流す。おへそを伝って床まで届く。待って。これは知らないやつ。わかんないけど。なんか、頭の中に、音が、響い、て。
──あったかい。あったかいなあ。なんか、きもちいいかも。だいすき。やわらかい。すき。もっとしていたい。
脳をゆさぶる温度の中で、暖かさの波に押し流される寸前、テイオーは思った。
──ネイチャの方が、よっぽどエッチじゃん。
「……」
「…………」
「……お腹空いたね」
「……そうだね」
しっかりと乾かされた髪からお揃いのシャンプーの香りを振りまき、ぐうぐう鳴りそうなお腹を抱える。
結局、お互いの全ての指がふやける程、たっぷりの時間をかけて唇を貪り続けた二人は、へろへろに疲れ果ててシャワー室を後にした。感情のジェットコースターで精神力を使い果たした。まだ一日が半分ほど残ってる? いやいやまさか。もう帰って寝るだけですよ。そんな気分。
「ご飯どうする? アタシもう作る気力無いかも……」
「食べに行かない? スペちゃんに教えてもらったお店があるんだ」
「それ、超大盛のお店とかじゃないよね……?」
なんでも無い会話が、中々どうして悪くない。右手の甲をネイチャの左手に当てると、そっと握り返してくれた。かっと頬が熱くなる。伝わる熱が愛おしい。
暖かい体に、少し冷たい風が心地よく頬を撫でてゆく。一緒にご飯を食べれば、きっとまた元気になるだろう。
きゅっと結んだ手をそのままに歩きはじめた。今日この後もきっと良い日になる。
だってこんなにも暖かな日差し、空に雲。前方にはいつもの見慣れた風景。そして、右手には幸せを握っているのだから。
レイニーデイと比べて、自分と向き合ってちょっと吹っ切れたので元気になったトウカイテイオー。
長い事ずっと見てた相手なので、実はけっこう掛かってるナイスネイチャ。
これでこの二人のお話はおしまいです。ありがとうございました。