トレーナーに婚約者ができた。
きらり瞬く薬指には小ぶりなダイヤモンド。
そういった話に飢えている女子高生としては外せないコンテンツに、かしましい友人たちと取り囲んで根掘り葉掘り大盛り上がり。
あれやこれやと時間は過ぎて、身近な、それも尊敬できる大人の普段は見せてくれない一面をたっぷり摂取し粗方満足。その日は解散と相成った。
学生の頃からの恋愛だったらしい。
ダイタクヘリオスに背中を突っ付かれながら渋々と、それでいて照れくさそうに話すその顔は、普段より若者らしく見えて、こちらが一方的に感じていた年上っぽさが和らいでいるように感じた。
ああ、彼もあたしたちと同じ生き物なんだな。何となくそう思った。
トレーナーが携帯で見せてくれたお相手は、おしとやかそうでいて、それは幸せそうにはにかんでいた。
とても良い事だ。トーセンジョーダンはそう思った。
素直に祝福できるし、彼はきっと幸せな家庭を築くのだろう。
けれども言葉にできないモヤモヤが澱のように心の底に降り積もる。自分たちの方から半ば無理矢理聞き出して、さんざん楽しく盛り上がった後だと言うのに、寮に向かう彼女の胸の中は夕暮れの色に染まっていた。
恋とかでは無いと思う。たぶんそう。部分的にそう。そもそもタイプじゃないし。あたしが好きなのはもっとガツガツくるオラオラした人。彼とは似ても似つかない、そのはずだ。
でも好きじゃないかと言えばそんな事はない。照れくさいしわざわざ言葉にはしないが、好悪で言えば大好きな類だ。大好き、その言葉を思い浮かべるとなんだか冷静で居られない。恥ずかしいとも違う不思議な感覚になる。
多分、自分は子供なのだ。仲の良い、尊敬できるお兄さんを取られてしまった気がして、むくれているのだ。そうに違いない。
何となしに自分の左手を見やる。斜めから差し込む赤い日差しに反射して、昨晩仕上げたばかりのネイルがきらりと輝いている。
彼が褒めてくれたネイル。薬指の爪には小さなラインストーン。
「ダイヤモンドー。……なんつって」
風が首筋を撫でてゆく。思いがけない冷たさに少しだけ肩をすくめる。
あたしたちはいつかきっと別れる時が来る。漠然とそう思っていた。だってあたしたちは先生と生徒で、頭の造りも全然違って、大人で、子供で、もしかしたら縁は切れないのかもしれないが、
こうやって密に密に関わり合うのは今だけで、トーセンジョーダンの競技人生が終われば彼は新しい子を担当するだろうし、あたしもまた次の自分の人生に向かって歩き始めるのだろう。
そもそもこうして関わりがある事自体が例外なのだ。
だからこそ、彼の人生の隅っこに、自分の爪痕を残しておきたい。そんな風に思っていた。思っていたのだ。
「……もうちょっとこのまんまが良かったなー」
この気持ちはきっと、いつか来る別れの予感が思いがけず早まったような気がして、びっくりしているだけなのだ。
冷えた風が再び尻尾を揺らす。就寝前の温かいココアが恋しくなり始める季節。
ぶんぶんと頭を振って胸の霧を外に吐き出そうと試みる。
「ダッサいなー……今のあたし」
こちらの心にはしっかり彼の爪痕が残っているのだ。どんどん短くなっていく日が、残り時間を表しているようで癪に触る。だから。
「こっちだってやり返してやるから。ちゃんと見とけし」
顔を上げ、真正面から夕日を見た。耳もピンと立てて背筋を伸ばした。ずんずんと大股で歩き始める。その様は、少しだけバカっぽいかもしれない。でも知ったことか。
今だけは誰にも譲らない、あたしだけの時間だ。あたしだけに使ってもらう時間なのだ。
トーセンジョーダンは歩く。明日に向かって、太陽を追いかけて歩く。今夜は多分、ちょっとだけ泣いてしまう。始まる前に終わった想いを抱いて、ココアの香りで眠るだろう。でもそれだけだ。これはそれだけの話なのだ。
「ま〜、いっちょやりますか!」
夜は意外と忙しい。爪の保湿にお肌の手入れ。トーセンジョーダンは体質上夜ふかしもできない。
だがそれも全て明日のため。明日の太陽に追いつくために、トーセンジョーダンは歩く。昨日に伸びた長い影を背負って、イミテーションのダイヤモンドを薬指に携えて。
何色にも染まる無垢な宝石は、その輝きを増しながら、どこまでも歩いていく。
そしてその輝きは、きっと本物にも遜色ないのだ。
失恋ジョーダンは一般教養。
ジョートレは尊敬できる大人だからジョーダンに決して手を出さないけど、ジョートレにこそジョーダンに手を出して欲しさがあります。あの子を一番幸せにできるのはきっとお前だという確信があります。
心がふたつある〜。