その日、アンジェはコントロールに呼び出しを受けていた。理由は簡単。数日前のエリックの遺体がテムズ川に上がった事。そして、願いの女神と思わしき人物と接触した報告の聴取を行われていた。
「ーー以上です」
一通りを話し終え、アンジェは正面を向く。話を聞いたLは今日発行された新聞を見ながら葉巻を吸う。
「報告は受けた。しかし、遺体は発見された……」
「検屍官が綿密に調査を行いましたが、遺体の見た目。体格からしてまず間違いないとの事です」
7がそう答えると、Lは怪訝にしながら新聞を再び見る。
「……下がっていい」
「はっ!」
そうしてアンジェは部屋を出るとLはエリックの遺体が上がった記事を見て、一旦はこの事を置いておく決断をした。
数日前に願いの女神と思しき人物
ただ、病院にいた彼の妹エイミーが忽然と消息を経った事からコントロールはエリックと願いの女神が妹の治療と引き換えに何かしらの取引が行われたと予想して居た。そしてその結果、エリックの命が奪われたのだと断定して居た。
コントロールの拠点を出たアンジェ自身も、エリックの遺体には疑問を抱いていた。なぜ一週間後に遺体が上がったのか……その事に関しては心当たりがあった。それは、死ぬ直前のエリックに書かせたあの生命保険。その受け取りに必要な日数が完了した後に遺体をテムズ川に放り投げた可能性があった。つまり、あの人物はエリックが書類を書くのを見ていたと言う事。あの公園に来る事が予想していたとは思えない。
と言うことは何処かから追跡を行っていたと言うこと。一体どこから付けられていたのかとアンジェは内心冷や汗を掻いた。
「(……今はやるべき事をするしか無い)」
あれだけ気配を感じれない相手な上に、二人も居たとなるとこちらには部が悪い。おまけに一人は軽機関銃装備。拳銃如きで叶うはずが無い。
それに、今の所アンジェや周りに被害は確認されない。気になるところではあるがお手上げなのが現状であった。
その日、マリアはロンドン郊外のとある場所に来ていた。
「……」
そこでマリアは普段からは想像が付かない畑仕事をしており、片手に鍬を抱えて土を掘り返していた。
「よしっ、こんな物かね……」
手元が土で汚れながらもマリアはそう呟き、腰を上げる。此処は、マリアが所有する漢方薬を作る材料を育てる為の専用の畑であり、此処で取れた作物を漢方薬の材料にしていた。西洋医学では治しようのない、冷え性なども改善できる自然由来の成分しか使っていない漢方薬は今では市民の間では人気であり、最近では困った時の葛根湯なる言葉もあるそうだ。ただ、あれは健康状態の悪い人にお勧めできないが……。
とにかく此処最近で最も生産されているのは山帰来。俗に言う梅毒用の薬だ。数十年前、この国にいたジョン・ハンターと言う男が実に様々な人間の解剖を記した本を発表した事で、現在の医学会は飛躍的に進歩しつつあった。
今では王立医科大学などを出ていなければこの国で医者として活躍することは出来ない。革命前の医療改革は功を奏し、共和国にも受け継がれていた。そして、こうした郊外などでは漢方薬の為の畑も多く作られていた。
医者として煙草と麻薬厳禁を言う彼女は畑から戻ると電話機を持ったクラウスが待っていた。
「御主人様、お電話です」
「誰から?」
「シャーロット殿下にあられます」
「変わって頂戴」
こんな時期に何の用だろうかと思いながらマリアは電話に出る。
現在、シャーロット殿下はアンジェ達と共に任務に当たっているはずだ。任務の内容は此処最近市民を騒がせている毒ガスジャックの犯人を突き止める事。共和国贔屓の人間をどこから持ち出したか分からない毒ガスを使って殺害しておる厄介な奴だ。
神経ガスを使われ、その被害は共和国贔屓に留まらず王国国民までにも広がっていた。おかげで戦時下でも無いと言うのに病院は毒ガス患者で埋め尽くされていた。そもそも毒ガス自体、条約で製造を禁止され。軍上層部はその残酷さに恐れ慄いて自ら使おうとは思わなかった。戦争も起こらない上に維持費も馬鹿にならない為、今では毒ガスの保有量は格段に減らしつつあった。
そして、ロンドン市内で毒ガスを保有するのは壁の中にある軍の貯蔵庫であり、そこに入るには兵士の宿舎を通らなければならない。その為、毒ガスジャックはその前を通っても怪しまれない者……つまり王国の兵士である可能性が高いと考えて居た。
そこまで絞れたのだが。ただ、問題が一つ。
常駐する一二〇〇名の兵士全員を調べ上げる必要がある事だった。構成員全員が女性のチーム白鳩では最近女性兵士が増えてきたとはいえ、あまりにも目立ちすぎる。そこでアンジェの一言。
「男は洗濯しない」
この一言で作戦は決まった。軍の衣服の洗濯は外注業者が行なっていることから、そこを狙ってアンジェ達はその業者に侵入して居た。軍人の衣服には必ず名前を印字した名札が貼られており、検査薬を使って一つずつ地道に調べる。まさに『千里の道も一歩から』を体現したような作業だ。
マリアは元々予定が詰まっている上に、市井にその顔はよく覚えられている事からその仕事に行く事は無かったのだが……
「お呼びでしょうか、シャーロット殿下?」
電話に出ると、そこではプリンセスの声がよく響いた。
『いきなりごめんなさい。メアリー、貴方に一つお願いがあるのだけど……』
「何でございましょう?」
そう聞くと、シャーロット殿下はマリアに要件を伝えた。
『貴方に一つ、工場を買って欲しいのだけれど……』
「は……?」
夜分遅く、車に乗ったマリアはロンドンの。今はアンジェ達が務める洗濯工場にやって来た。そしてそこでアンジェ達と合流した。
「夜分遅くにごめんなさい。お仕事もあったでしょう?」
「いえ、今日の予定は特にありませんでしたから」
そう言い、片手に工具箱を持って降りて来たマリアにプリンセスやや申し訳なく思いながら接する。進捗は……あまり芳しく無いようだ。
どうやら余りにも作業効率が悪すぎてこのままでは一ヶ月以上掛かってしまうレベルだそうだ。原因は機械にガタが来ており、いちいち休ませなければ壊れてしまう始末だと言う。おまけに従業員の態度が悪いと来た。
「なるほど、お話は理解できました。私がこの工場を買い、中の社内環境を改善してほしいと?」
「借金もあるのだけど宜しいかしら?」
「……お任せを、何ポンドご用意すればよろしいでしょうか?」
金はいくらでもある。理由は簡単、マリアはその名声を利用し幾つかの医療企業を創立。買収を繰り返し王国内の随一の巨大企業を作り出し、莫大な資金を抱えて居た。その中には手術などで汚れた衣服を洗濯する企業も含まれており、洗濯も国民衛生の一環であった。
それに、マリアはシャーロット殿下の部下であり、全てを捧げる騎士である。その気になればマリアの保有する全てをシャーロット殿下に渡す気であった。
他の王位継承者よりも少ない額しか支給されぬシャーロット殿下から、信頼を得ている証拠であると改めて認識しながらマリアは工具箱を持って中に入った。
彼女は医学だけでなく工学にも精通しているのか、ベアトリスの繊細な声帯マシンをメンテナンス出来る能力も持ち合わせて居た。
此処までできるのであればスパイでは無いかとも疑ってしまうが。それにしては余りにも危機管理能力が無さすぎて、これには共和国のお偉いさんですら呆れてしまうレベルだったと言う。よってスパイでは無いと判断が下された。ただし、警戒を怠る事はなかった。
「うわぁ…これは……」
「……」
中の機械部分を見たマリアとベアトリスは思わず唖然となる。
「油を全く差していないから金属が灼けて居るわね……」
そう言うと、ベアトリスが機械を触ってネットリとした嫌な触感に思わず顔を顰めてしまう。
「どうなっておるのじゃ?」
ここら辺は全く分からないちせが聞くと、ベアトリスが答える。
「グリスが固まって、更にそれが埃とか色々混ざって絡み合っていますね……」
「うわ、抜け毛が絡まっているわ。これは骨が折れるわね……」
そう言い、早速機械を分解し始めたマリア達は工具箱片手に仕事を始める。そんな中、思わずマリアは呟く。
「よくこれで火事が起きなかったわね……」
それ程までに中身は悲惨だった。その横で、ちせが聞く。
「これで発火事故は無くなるのか?」
「はい、古い部品を交換すれば大丈夫ですよ」
そんな事を聞くと言う事は……つまりはそう言う事だろう。此処は近くに家もある上に道路が狭いから火事になったら大惨事だったろうと思いながらマリアは全て外し終えるとアンジェ達が提案する。
「機械の配置も良くない。銅線が複雑すぎる。作業の順番に並べれば、無駄な移動を省ける」
「多分、買った順番に入れていったんでしょうね……」
「重そうですしね……」
「やれやれ、仕事が増えること増える事」
そう言うと、ドロシーが腕をまくりながら言う。
「ようし、ならついでに道具の配置も変えるか!!」
「字が読めない人も居るから、機械の扱いは絵を使って説明しよう」
そう言うと、マリアは医療改革の次に打ち出すべき新たな課題を見た気がしながらマリアはベアトリスに言う。
「ベアトリス様、必要な部品があればお申し付けください。必要な装備はこちらで準備いたします」